求めていた俺 sequel

第三部 「黒崎寛也編」

九話 さくら園とシンジ


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十一年前。
児童養護施設 ”さくら園“ にはかつて、誰よりもやんちゃで悪戯好きな小童がいた。

ガラガラガラ!!

『もう神田君!またオモチャ散らかせて・・』

桃色のエプロンを身につけ、サラサラな黒髪の若い女性が小童に叱りつける。

『アハハハハゴメンゴメンゴメン!』

これっぽっちも反省の意も見せず走り回る小童。

『こら、ちゃんと謝りなさい!』

パシンッ

『痛いなー、ぶつことないじゃんかユミちゃん』

『いい加減先生をちゃん付けするのはやめなさい!』

頰を膨らましながら小童を躾けている女性の名前は笹原真弓。“さくら園”の職員で新人の割に面倒見が良く児童の間でも際立って人気があり、それ故に時折同僚から嫉妬を買う事もあった。

『じゃあユミちゃんの方こそ僕のこと君付けするのやめてくれよなー。ちゃんと下の名前でシンジって呼んでよ、シ・ン・ジ〜〜〜って。』

やんちゃな小童、神田シンジは笹原にあっかんべーで挑発する。

なんて小生意気な餓鬼だろう。そう思う事は
笹原にとって日常茶飯事だった。
しかし一方で大学卒業後たった一ヶ月の研修期間を終えて就任したばかりの彼女は、親が施設に子供達を預けに来るのを見る度に『羨ましいなぁ』と無意識に指を咥えている事もあった。いつか来たる結婚にも憧れを抱いていた。そんな未来の自分の妄想に浸っている時は決まって明後日の方向を向いていた。この職業についてから何回目だろう。
そして笹原は今日もいつも通りボンヤリしていると、テーブルの向かい側で鼻歌を歌いながら折り紙を折っているシンジが顔を上げて視線を彼女に移した。

『どこ見てるの?』
シンジは首を傾げて尋ねる。

『ぼ〜〜〜〜・・・・はっ!!!な、なぁに
神田君?』

シンジの声でようやく夢から覚めた。笹原はソワソワした素振りを隠せない。

シンジはそんな彼女に対して言った。

『前から言おうかなって思ってたんだけど』

『ん?何かな?』

笹原がニコニコしながらコーヒーが注がれた紙コップを口元に近づけた瞬間、シンジがとんでもない発言をした。

『ユミちゃん僕と結婚しなよ』

『ブーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッッッッ!!!!!!!!』

熱々のコーヒーのシャワーが笹原の口から噴出した。 しかもそのシャワーは見事シンジにクリーンヒットした。

『アッツゥゥゥゥゥゥゥゥイ!!!!』

シンジはコーヒーの熱さの余り天井ぎりぎりまで飛び上がった。

『ユミちゃん・・。服がびちゃびちゃだよ』

『大変!すぐに着替え持ってくるから・・』

そう言って笹原はそそくさと着替えを取りに行った。


その三日後。

『シンジ君、あーそーぼ』

シンジの一つ上の児童がやってきた。

『あ、誠くん!』

誠はさくら園で一番仲のいい友達だった。

『シンジ君さ、この間笹原先生に告白したってホント?』

『え、な、なんのことかな』

『隠さなくてもいいさ。笹原先生カワイイもんなぁ』

『あれぇ?もしかして誠君も笹原先生のこと・・』

シンジはニヤリと気色悪い笑みを浮かべて誠を横目で見る。

そ、そんなわけないじゃん!

ーーこんな回答が返ってくるかと思いきや、

『うん、大好き!!』

『え、あ、そうなんだぁ』

少し意外だった。ここまで馬鹿正直に本心をぶつけられるとかえって清々しい。

『・・誠くんって意外とストレートピッチャーなんだね』

『ん?どゆこと?』

『何でもない。そっかぁ、誠くんも笹原先生好きなんだ。』

『シンジ君も分かるの!?笹原先生の良さが!』

誠は喜色満面の表情で食いついてきた。

『まぁ・・』
『じゃあさ!!』

言葉を紡ぐ前に誠はシンジの肩に手を回した。

『僕とシンジ君どっちが先に笹原先生を惚れさせるか勝負しようよ!!』

『え?』

『そんじゃーねー!!』
そう言って誠は手を振って去ってしまった。

この約束が後にシンジと誠の関係に大きな亀裂を生じさせてしまうのだが、当時の幼い二人には知る由もないだろう。

また別の日。
笹原が部屋のオモチャを片付けていると、
『グス・・ユミちゃん・・・。』
頭に小さなたんこぶを作って啜り泣くシンジ
が彼女の元に近付いてきた。

『どうしたの?シンジ君?』
笹原はシンジの小さな体を抱き上げポンポンと優しく背中をたたいて慰撫する。

『うぇっ、うぇっ、イクルミくんがまた僕をぶったぁ。』

『それはまぁ、可哀想に・・』

『う、う、びぇぇえぇぇぇぇぇぇ!!』

悔しさのあまりか、シンジは大声で泣き出してしまう。笹原の肩は既にシンジの涙でびっしょりだ。

『うわぁっ!な、泣かないでシンジ君落ち着いて!』

『う・・・』

やがて泣き止み冷静さを取り戻したシンジは
しわがれた声で言った。

『・・あいつ、絶対殺す』

普段はヤンチャだけど他人に対しては温厚なシンジの口から出た言葉にしては予想外だった。

『だ、だめよ。殺すなんて言葉を使っちゃ。』

『僕許せない!だから絶対殺す!』

『ダメッ!!』

笹原は目に角を立てる。
怒られてビックリしたシンジは再び涙目になる。
曲がりなりにも笹原は教育者だ。教育者としてこの幼子には荒んだ心を持った大人にはなって欲しくなかった。だから彼女はシンジの
鼻面に人差し指を突きつけて言った。

『いーい?シンジ君。先生の目を見てよく聞いて。誰かに一度悪いことされたらね、シンジ君は誰かに一度いい事をするの。』

『いい事?』
シンジは首をかしげる。

『そうよ。怒りにまかせて他人を傷つけてもね、誰も得しないの。だから仕返しなんかしちゃダメ。絶対にダメ。シンジ君はいい子だから分かるよね?』

『でも僕、とても悔しいよ!!許せないんだよぉ!』

当然笹原だってシンジの気持ちをちゃんと汲んでいた。だからこそ、

ギュッ

笹原は優しいハグでシンジの怒りを鎮めようとした。

『温かいでしょ?これから悔しい時、辛い時、悲しい時、きっと何度でもシンジ君に
訪れるかもしれない。でも大丈夫。そういう時はね、こうやってハグをするの。そうすれば、自然と心は穏やかになるんだよ。だから
シンジ君、先生はいつだってこうしてシンジ君を慰めてあげるよ。』

シーン・・

『シンジ君?』
もう泣き声は聞こえなくなっていた。
『スー・・・スー・・』

安堵感を覚えたからか、泣き疲れたのかシンジは笹原に抱かれたまま寝てしまった。
『(・・フフ。いつも笑っているけど気付けば
泣いている。感情の起伏が激しい子。)』

笹原は寝静まったシンジを抱きかかえて蒲団の上に運び、そっと毛布をかけてやった。

『ふぅ・・』
一日の疲れをふきとるかのように額の汗を前腕で拭った。

彼女を近くで見ていた老年の男が長い口髭をいじりながら言った。

『笹原先生、今日も精が出ますなぁ。』

『園長先生!ありがとうございます!』

『シー。ふぉっふぉっふぉ。元気なのは大変結構だが大きい声でその子が起きてしまうぞい。』
園長は人差し指を口元に当てて注意する。

笹原は側で気持ち良さそうに寝ているシンジの顔をチラリと見てはっとする。

『あっはは・・。すいません。』

『ふぉっふぉっふぉ。して笹原先生、今日は君と積もる話がしたくての。少し園長室に
来てくれぬか?』

『私が・・ですか?』

さっきまでにこにこしていた園長の顔が急に真面目になった。一体何の話なのだろう?
園長の後に着いていくように笹原は部屋を出て廊下を歩き、園長室の扉を開けた。
新米の笹原にとっては来るのが初めての園長室だった。

部屋の奥には黒色の執務机、その上には地球儀が置いてあった。壁の一帯には歴代園長の遺影だの何かを讃える賞状だのが飾られてある。

『よっこらしょっと。』
園長は椅子に座ると、前で直立してこちらを見つめている笹原に告げた。

『笹原君。新人ながら仕事熱心な君に特別に教えておきたいことがあっての。』

『何ですか園長先生?』

『実はの、今月いっぱいでこの”さくら園“を
たたむことになった。』

いきなりの宣告に笹原は目が点になった。

『たたむって・・、さくら園が閉園するということですか!?』

園長は気の毒そうに目を瞑り一度コクリと頷く。

『で、でも、何故ですか?私まだこのお仕事始めてたったの三ヶ月なのに・・。』

『もちろん、笹原先生の努力は買うよ。でも
これは我々運営側の取り決めでな。申し訳ない・・。』

『これにはなにか事情が・・?』

『ああ、我が”さくら園“は実は多額の借金を抱えていてな。資金繰りに窮してしまっておるのじゃ。子供達には申し訳ないが別の施設に移ってもらう。』

『じゃあ私は・・』

『申し訳ないが解雇という形になってしまう』

『そ、そんな・・』

『ずっと黙ってて本当に申し訳なかった。
仕事熱心な笹原先生には出来ればこの事は
伏せておきたかった。しかしいずれは伝えなければならない運命だったのじゃ・・。
だから笹原先生、今月分の給与は倍額にする
。だから残りの数日間、悔いのないよう働いておくれ。』

深々と頭を下げて許しを請う園長。

『・・園長。』
笹原にとっては正直昇給などどうでも良かった。彼女は純粋に子供と触れ合うことが好きだったのだ。だから一日でも多く子供達の側に居たかった。しかし園長の言う通り、自分に与えられた時間は限られている。

“笹原先生、大好きだよ!”

その時、一人の小童の無垢な笑顔が笹原の脳裏を掠めた。

『(そうか・・。)』
同時に笹原の中で決意が固まった。

『園長先生。』

『ん?何かね?』

『園長先生、私頑張りますっ!!残された時間は僅かですが・・、子供達がもっともっと幸せになれるよう精進します!!』
笹原は想いを新たにビシッと、まるで警官みたいに敬礼のポーズをとった。

それを見た園長はうんうんと、片目に涙を浮かべて感心した。

『・・そうか。ありがとう、笹原先生。君のような職員に出会えて私は光栄じゃ。』

『では、失礼します。』

笹原は一礼をし、園長室を後にした。

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  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-07-11

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