*星空文庫

寿命の話

槙野京 作

 さて、長らく床に臥せって本も読めないでいたから、何から語ればよいものやら、いまいち筆が乗らないわけだけれども、敢えて何かしら書いてみようかと、そのように思ってなけなしの寿命を奮発してみる次第だ。
 今時、寿命で死ねる人なんてものはほとんどいやしない。寿命が来るというのは、つまり生まれ持って背負ってきた時計の砂が落ちきるということだが、発達した医療がチューブで繋いで砂を流し込むものだから、体ばかり重くなってやたら長い時間を過ごすことになる。それが幸せなのかは個人の問題だろうから、おいておくことにしよう。
 アブラハムの宗教ではアダムがアダモ、すなわち土から作られたことになっているから、あながち寿命を砂時計で表現する私の発想も悪いとは言えないのではないか。土が潤いを失っていくたびに積もり重なった砂は重荷になり、やがて土が朽ちるとすべて砂になってひっくり返る。人はこれを輪廻転生と呼ぶ、というところまで考えたが、これでは宗教のサラダボウルに自家製理論のドレッシングをかけたものになってしまう。
 ベニクラゲというクラゲには寿命がない。正確にはある程度の周期で肉の塊になり、そこから幼体になる、つまり若返るそうだ。私は海洋生物学には疎いものだから、詳しいことはわからない。ただ言えるのは、この生態がある物語に似ているということだ。今日はその物語について話そうと思っていた。
 ヒトは時計を背負って生まれてくるのだけれど、昔はそこに入っている砂が大変多かった。だから体が朽ちても時計から取り出して作り直すことができたし、それでもほとんど寿命は減らなかった。老いては若返り、若返っては老いる。ヒトは繰り返しの中に生きていた。無邪気にも、砂は無尽蔵のものだとばかり思っていたのだ。
 あるとき、一人の老人が泉の畔で新しい体を練っていた。そこに娘が現れて、自分の顔を作り直したいから砂をわけてほしい、とわがままを言い始めた。村一番の美人になって村長の家に嫁入りすれば父である老人も生活が楽になる、そう言われて老人はつい砂をわけ与えてしまった。そのとき、二つの砂時計がぶつかって、罅が入った。老人の新しい体は完成していなかったから、あっという間に砂が尽きて、老人は死んでしまった。娘は嘆き悲しんで、なんとか罅を塞ごうとしたが、塞ぎきるころにはほとんどの砂がなくなっていた。それからというもの、娘が産んだ子は皆揃って生まれつき僅かな砂の入った時計を背負っていた。
 その物語によると、我々はその子孫にあたる。

『寿命の話』

『寿命の話』 槙野京 作

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2018-07-10
Copyrighted

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