横になったセミと絵。

カーテンが揺れる。
私は一人、自室の中でうずくまっている、キャンパスや画材は、私と一緒で横たわっている。
それはそうだ、遠近法など関係ない、観察者が、学校の制服のまま横たわっているのだから。

白い部屋、周り続ける扇風機、ふざける余裕も今はない。頭はおもい。

セミの絵をかいた。
昔から油絵をかいた、好きだ、ただ画材は高い。
飲食チェーン店のアルバイトを掛け持ちして、遊ぶ時間を我慢して、吐き出すほどもないアイデアを書き溜めては、
そういうたぐいのノートは、白と黒が今にも反転しそうなほどに、でたらめな構想でうめつくされている。

「私はけだるい」

あつさのせい、扇風機のせい、アンニュイな雰囲気のせい。

しかし、聞こえてくる音はどれも心地がいい。
クラシックを聴いているのは、アンニュイな私に心地よくピアノの音がひびきわたるからだ。
喉がからからにかわいたときの、全力で運動したあとの、そのあとの水の飲み心地のような、軽くいってしまえばそんな快感によくにている。
楽しい、だけど、だるい。

「この絵は、楽しい」

だけど、完成までもっていくのがけだるい。
最後のピースが失われたきがする。
それはむしろ、絵に秘められた思いや、ノートの構想が現実化する事への不安や、しない事への不安ではない。
それは、流れるピアノの旋律に後押しされていて、何も問題ない。
いつもの、アレだ、いつもの事だ。
完成に近づくと、完成させるのがおしくなる、“もったいぶりたくなる”
自分の中の闇が、自分を責め立てる。
成果なんて、欲しいのか、なんて、えらそうに。

そうじゃない、理屈はひとつだ。
最近担任が仕事をやめて引っ越した。

テーブルの上の書きかけのラブレター。
削れた消しゴム。
シャーペンは、真っ二つにおれていた。
怒りはそこにそのまま残してある。

大人の世界はわからない、ただ幸せに、と思うのだが、
この空虚を、味わっていなければ、セミの絵が完成しないのだ。

横になったセミと絵。

横になったセミと絵。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-07-10

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