*星空文庫

ふるさとの国を追われた俺は敵の将になってリベンジ決めてやった

佐藤 作

「少々勝ったからとつけ上がりよって、いいかげん、貴様のツラを見るのも飽き飽きじゃ」

 俺の名は慕容垂。
 いきなり叔父貴の慕容評からそんな事言われて、面食らってるところだ。

「は!? 何言ってんだよ、俺が戦わなかったら晋のやつらがわんさと押し寄せてきてただろ!?」

「だまらっしゃい! どうせ裏で苻堅と通じておったのじゃろう、でもなくば、ああもやすやすと撃退できるはずもないわ!」

「いや、そりゃ苻堅は来たよ、来ましたよ!
 けど全然俺に関係ねーし!
 つーか、俺だってわりと苻堅に狙われかけたんですけど!?」

「やかましい! とっととわしの前から去れ! おまえの処分については、追って言い渡す!」

 処分て。
 なんでこの国を守るためにひーこら戦ったのに、そんな事言われなきゃいけねーんだ。

 叔父貴の顔を見た。
 もう、まったくこっちの話なんて聞くつもりもねえらしい。

 ダメだ、こりゃ。

「――ふざけんな!」

 それだけを吐き捨てて、俺は家に帰った。


  ○


 はぁ、兄貴が死んじまってから、ケチがつきっぱなしだ。

 この燕の国で、もともと俺ははみ出しモンだった。けど、南から晋が、西から苻堅が迫ってきちまったら、結局誰かが戦うしかねえ。

 どっちを見ても尻込みしたくなるほどの強敵。けど、奴らを防がなきゃ、この国が滅んじまう。

 だからこそ兄貴――慕容恪は、死を恐れず、奴らと戦ってきた。
 そんな兄貴の背中に憧れたから、俺だって戦って来れたんだ。

 なのに、あのクソ叔父貴! なにが「恪がおったせいで、わしらは晋に攻め立てられたのだ」だ!

 ちっげーだろ! 兄貴が病気で死んじまったから、奴らが攻めてきたんだ! なんでこう、あの野郎はああも分かってねえんだ!

 布団の中でじたばたする。

 そりゃな、理屈は分かるさ。

 戦いなんて、勝とうが負けようがしこりが残るもんだ。兄貴は勝ちすぎた。それで、外からたくさん怨みも買っただろう。

 けど、なら兄貴を守ってやるのが、叔父貴のやんなきゃいけねえことじゃねえのかよ!

 頭ン中がぐるぐるする。

 兄貴の発言力は、ほんとにすごかった。未だ幼い、この国の皇帝(ちなみに、兄貴と俺の甥っ子に当たる)をよく助けて、この国を支えてくれてた。

 こんな俺にだって、ほんとに良くしてくれた。
 将軍として兵を率いて、晋の将軍、あの桓温の野郎に勝てたんだって、元はと言えば兄貴に引き立ててもらったからだ。

 俺が戦えば、勝てる。桓温を退けられたのも、兄貴のおかげ。その兄貴が愛してたのが、この燕って国。

 ……な、はずじゃなかったのか?

 布団にくるまりながら、考える。俺は、なんのために戦ってたんだ?

 が、俺の悩みは、強制的に打ち止めにさせられた。

 気配だ。

 五人は下らない。殺気を隠そうともしてない。

 なるほど。確かに叔父貴のやつ、「処分は追って」とは言ってたが、「どんな処分か伝える」とは言ってなかったな。

 まぁいいさ。その方がわかりやすい。

 かたわらの剣を拾い、息を殺す。

 燕、かけがえのない故郷。

 ――それも、今さっきまでだ。


  ○


 さて、叔父貴からの刺客(たぶん)をぶっ殺し、国から脱出したわけだが、ここから先、どうしてくれたもんか。

 正直ノープランだったもんだから、歩きながら考える事にする。

 行き先は、晋か、苻堅か。燕を滅ぼせるならどっちでもいい。問題は、どっちなら軍を預けてくれるか、だ。

 そう言う意味じゃ、選択の余地はない。何せ晋についちゃ、思いっきりボコしてやったのがつい先日。俺がふらっとやってきたら、これ幸いと首をくくる羽目になってもおかしくない。もうこうなったら、それはそれでいい気もするけどな。

 こないだの戦いのことを思い出す。

 はじめ俺らは、思いっきり晋に押し込まれてズタボロになった。そこにいきなり、苻堅のやつが漁夫の利を狙いにやってきやがったんだ。

 晋にとっちゃ、俺らをそのままボコしてりゃ、苻堅にケツから飲み込まれることになる。だから、慌てて奴らは撤退を決めた。

 こっちとしちゃ渡りに船、って言いたいとこだが、うちの兄貴ときたら苻堅の手下どもも散々に倒しまくってくれたからな。晋の奴らに逃げられて、その後苻堅軍と、ちょっくら小競り合いになったりもした。

 もっとも、お互いすぐに軍は引いたが。

 ん? もしかして叔父貴の奴、あん時のことのせいで俺が苻堅と通じてる、って思い込みやがったのか?

 まあ、今さらどっちでもいいやな。俺が苻堅に殺されりゃそれまでだし、召し抱えられたら、それこそ叔父貴の心配を現実にしてやれる、ってもんだ。

 うん、叔父貴思いだな、俺!


  ○


「面を上げよ」

 朗々とした声で、俺に呼び掛ける苻堅。

 顔を上げると、壇上の玉座にゃガキ、って呼んでも良さそうな男が冠を被ってる。

「燕より亡命してきました、慕容垂って言います」

「知っている。ぼくが知りたいのは、なんでウチに来たか、だ」

「叔父貴に殺されそうになったからです」

 苻堅についての話は、いろいろ耳にしてる。

 こいつは、家族との血みどろの争いの末、玉座に登ってる。
 だから、そこにつけ込むことにした。

「ふむ。慕容評の評判は聞いている。それなりの男だ、と聞いていたが、おまえほどの男をみすみす手放すとはな」

 ほら見ろ。

 何かくすぐったそうにしてやがる。家族に裏切られた奴が自分を頼ってきた、なんて、アイツにとっちやこれ以上ないご褒美なんだろう。

「ふ、苻堅さま!」

 俺を取り囲んでる配下どもの中から、ひとりが慌てくった顔で飛び出てきた。

「まさか、この男を飼うと仰るのではありますまいな!?」

「だとすれば、どうなのだ?」

 そいつがちらりと俺のほうを見た。軽蔑と、あとは怯え、か。
 おーおー、俺の武名、思ったより周りに知られてるらしい。

「燕将としてこの男は、部下たちからの支持も絶大でした! 一将軍に到底収まらぬほどの武勇、才覚を兼ね備えたこの男、みすみす誰かの配下に収まる器とは到底思えません! 慕容評もそれを恐れ、この男を殺そうとしたのでしょう! 悪いことは言いません、速やかに殺してしまうべきです!」

 うわー、本人の前でそれ言うかよ。いや正確な判断だとは思うけどさ。

 よーし、顔は覚えたからな。あとで覚えてろよ?

 で、そいつを受けての苻堅のリアクションは激怒、だった。マジか。

「なぜおまえたちの考えには、そうも義の心がないのだ! 慕容垂は僕に義を見、頼ってきた! ならばぼくが受け入れるのは当然だろう! 殺せ、だと? おまえたちは、窓から迷い込んだ小鳥をこれ幸いと焼き鳥にする外道なのか!?」

 ……えー。

 思わず配下どもを見た。
 呆れる、怒る、とかじゃない。戸惑ってる。いや正直、俺だって殺されるのは覚悟の上だった訳だがよ。

 苻堅を見る。

 ドヤってやがる。どいつも斜め上の反論に戸惑ってるだけだろうに、どうやら完全論破したつもりでいるつもりらしい。

 ……大丈夫か、こいつ?

 おほん、さっき苻堅に噛みついた配下が、真っ先に気を取り直した。

「天王の徳深きご配慮、愚かなる我々では到底想像もつきませんでした」

 すげえ。こんな皮肉の叩き付け方があるんだ。今度俺も使ってみよう。ただ苻堅にゃまったく通じてなさそうだが。

「しかしながら、この者が本当に燕を裏切ったかどうかは分かりません。スパイとして紛れ込もうとしている恐れもあります」

 ごもっとも。
 苻堅も、むっとこそしたが、反論はしなかった。わきまえるとこはわきまえてるらしい。

「ゆえに、苻堅さま。この者を現在進めている、燕討伐の先鋒に加えるよう提案いたします。そして、裏切りの気配があれば、後ろから射殺すことをお許し下さい」

 その発言に、苻堅が驚きと悲しみとを浮かべた。

「何を言うか! おまえは慕容垂に、血族と戦えというのか!」

「他ならぬ、苻堅さまの歩まれた道でもあります。家族との情愛と、天下太平のための犠牲。どちらがより重要であるか、まさか苻堅さまが見誤るとも思われませんが」

 まったく譲ろうとしない配下の発言にやり込められ、苻堅は、おそるおそる俺のほうを見てきた。

 ……えーと、なんだこれ。どうリアクションすればいいんだ?

 もともと燕をぶっ倒したいから、苻堅のところに来たんだ。
 じゃあこれからどうやって使ってもらおうか、っていろいろ考えてたのに、そいつが全部パーになった。
 いや、楽だしいいんだけどよ。

 そうだな、こりゃいったん、迷ったフリした方がいいんだろう。

 頑張って眉間にしわを寄せて、頭を下げる。

「ここに来た以上、命令に逆らう気はないです。信じてもらえるよう、全力を尽くします」

 上手く言えたかな。正直、笑いをこらえんのに必死だった。

 にしても、苻堅にずけずけものを言って来てるアイツはヤベえな。ちょっとでも油断したら、すぐに俺を殺しに来そうだ。

 苻堅がため息をつく。

「とのことだ、王猛。この件は、おまえに任せる」

 王猛、ね。

 覚えとくぜ。



 王猛の下で、一部将として燕を攻める。はっきり言っちまえば、楽勝、だった。

 何せ、もともとは住み慣れた地だ。加えてこの国の守りは、俺と兄貴で作り上げたようなもんだ。中央にいることの多かった叔父貴が、ちょっとやそっとでいじれるもんでもない。

 守りの隙を突き、あっという間に燕の首都にまで押し寄せれば、叔父貴はとっとと逃げ出したって言う。

「追うか、慕容垂?」

「適当でいいんじゃねえの。あいつひとりで何ができるわけでもなし。追っ手を放って、殺せりゃそれでよし。追い払えたんならそれでよし。あとはここを、王猛さん。アンタががっちり治めりゃいい」

 この圧勝は予想通りじゃあった。が、それでも肩透かしを食らわされた感じはする。

 軍のトップに逃げ出されりゃ、残された皇帝にできることなんてたがが知れてる。

 無条件降伏。城門を開けて出てきた燕の皇帝、つまり俺の甥っ子、慕容暐は、死に装束を身にまとい、俺らの顔を見ると土下座してきた。

「私の首を差し出します。どうか、国民は殺さぬようお願いします」

 へえ、と甥っ子を見直す。

 前の皇帝は、恪兄貴のさらに兄貴、慕容儁。先帝が死んだとき、慕容暐はまだまともにしゃべれもしないガキンチョだった。
 だからこそ兄貴と、叔父貴の支えが必要だった。

 俺は外で戦うことが多かった、っつーか儁兄貴にも嫌われてたからあんまり都に近付かなかったし、皇帝になったあとの暐のこと、よく知らずにいた。

 それが、どうだ。いっぱしのボスとして、首を差し出してきてる。
 この堂々とした振る舞い、叔父貴に見せてやりたいもんだね。

 王猛が俺の肩を叩いてきた。
 へいへい、分かってますよ。イダイなる苻堅さまの手先として、せいぜいかわいい甥っ子を安心させてやるさ。

「土下座はナシだ、暐」

 できるだけ、気軽な口調で話し掛ける。

「苻堅さまの願いは、征服じゃない。団結だ。ひととひと、くにとくにとが手を取り合い、平和を目指す。そのためにも、今は戦いって手段を取らざるを得ないわけだが」

 言っててさぶいぼが立ちそうだ。そんなお題目で、殺された奴が納得するかよ。

 後ろで王猛の奴がニヤニヤしてんのが分かる。

 あいつも、我らが天王さまのお題目にゃ常々呆れてるくちだ。
 あんま奴との仲はいいわけじゃないが、こと苻堅の理想とやらについちゃ見事に意見が一致してる。

 慕容暐が顔を上げた。戸惑いはあるが、それよりも大きいのは、安堵だった。

 そりゃそうだ、いくら覚悟決めたからって、わざわざ死にたい奴なんかいない。

「お、叔父上」

「おまえは、俺らの旗頭だ。評のクソがいなくなった以上、俺がおまえに従わない理由はない。だから、“閣下”。天王の号令の元、この俺を、思う存分、使ってやってくれればいい」

 降伏さえしてくれりゃ、暐にも将軍としての地位を確約する。そいつが苻堅の提案だった。
 ちなみに王猛の奴が「ほんとにやめて下さい、そう言うこと」って半ギレで言ってた。聞く耳持とうともしてなかったが。

 だんだん状況を掴めてきたみたいだ。暐の目から、ぽろぽろと涙が零れ落ちた。あらためて土下座する。

「覚つかぬ身ではありますが、苻堅さまの剣となり、盾となり、戦います!」

 こうして、燕の国は滅んだ。

 叔父貴についちゃ取り逃がしたが、もうあんな奴のことはどうでもいい。

 思いもよらず、俺が育ててきた兵たちとも再会できたんだ。これ以上ないご褒美ってもんだ。



「お、叔父上! どうか、苻堅さまをお止め下さい!」

  苻堅の城について、翌日にこれだ。慌てて掛け寄ってくる暐を見りゃ、もう嫌な予感しかしなかった。

「落ち着け、暐。まずは状況を教えてくれ」

「あ、も、申し訳ありません――お聞きください、いくら苻堅さまとは言え、やっていいことと悪いことがあるのではないでしょうか! あのお方は、夜伽の相手に、无考と沖を選んでこられたのです!」

「はぁ!?」

 暐が燕から連行されるとき、人質の意味も兼ねて、家族もみんな移動させられてた。

 无考と沖は、暐の妹と、弟だ。この時十四才と十二才。

 夜伽、つまりはセックスの相手。言っとくがロリコンもショタホモも、この時代、それなりにゃあ、ある。

 が、いくらなんでも同時なんざ、アウトもアウト過ぎる。

「――あの、うすらトンカチ!」

 この件を任せるように伝え、慌てて苻堅の寝室に向かう。とは言え奴の寝室付近は屈強な兵に守られ、そう簡単にゃ入り込めない。

 だから、俺の他にも、一人。

 王猛のやつが、入り口を守る兵と押し問答してた。

「私を通せ! こんな外道、なんとしてでも止めねばならん!」

「なりません。天王の名は何人たりとも、です。特に王猛様と、」

 それから、兵が俺を指差してきた。

「慕容垂様は、何を言ってこようとも通さぬように、と」

 指に従い、王猛が振り返る。

 で、思いっ切り舌打ちした。

 おーおー、大歓迎だな。

「ボスのおいたについちゃ、案外アンタとも息が合うみたいだな」

「――不本意ながらな」

 死ぬ気で押し切りゃ、衛兵だって引いただろう。が、俺も王猛も、そこまで頑張り切る気にゃなれなかった。

 王猛がどえらく深いため息のあと、衛兵の前から引き下がる。

 苻堅さまの覚えめでたい王猛でこれじゃ、俺が変に茶々入れたって結果は変わらなさそうだ。
 なら、少しでも王猛から情報を引っ張り出しとくに限る。

「天王さま、つくづく自由だな」

 そう呼び掛けると、王猛は俺をにらみ付けてきた。が、その眼力は、どうしても、弱い。

「貴様なぞに、天王の何が分かる」

「アンタほどには分からんさ。が、アンタが不安がってるのは分かる。何せ天王さま、ご自身がこの一件でどんだけ敵作ったのかも理解できてなさそうだしな」

 特に茶々入れもしてこない。

 続けろ、って事か。

「天下を治めるために、俺ら慕容を引き入れる。そんなら慕容に天王の血が入るのは、俺らが天王の家族になる、って事でもある。无考に子供を産ませるってのは、ある意味じゃ正しいことなんだろう」

 あえて、无考の気持ちは無視する。そこは叔父貴を追っ払った俺が抱いていい感傷じゃない。

「だが、そこに沖は要るか? 沖は男だ、子供は産めない。なら沖を囲う意味は、ただの性欲でしかない。そんな奴が本当に、无考を天下太平のために妊ませようと思ってるだなんて、誰が信じる?」

 王猛は大きく、大きく息を吐く。

「しょせんは慕容か。気楽なものだ」

「あ?」

 この期に及んでケンカ売ってくんですか、オッケーオッケー買うぜ、張り切って腕まくりしようと思ったが、

「天王の通婚は多岐にわたる。いわばあらゆる部族を引き入れるため、あらゆる部族に子種を振りまこう、となさっている。慕容だけではない。北の拓跋、西の姚。奴らを従えるための方策が、このままでは奴らのヘイトを稼ぐ愚策につながりかねん」

 奴は冷静だった。

 まあ、俺はよその奴らのことなんか知ったこっちゃないしな。

「元から愚策だろ」

「――それを言うな」

 その後も王猛は、散々苻堅のセックス狂いに文句を垂れ続けた。

 いや、あきらかに王猛の方が正しいんだがな。
 実際んとこ、暐の奴と会えば苻堅への恨み言ばっかだったし、そもそも俺自身、あいつの思い込みの強さにゃほとほと愛想が尽きてた。

 間もなく、王猛はくたばった。俺が知らないところでも、相当心労を溜め込んだんだろうな、って思ってる。

 葬式じゃ、苻堅が絶叫してた。「なぜ天は、僕から王猛を奪うのだ!」ってな。

 馬鹿かよ、って思ったね。おまえが殺したようなもんだろうがよ。

 とは言えその後も苻堅の勢いは留まるところを知らず、ついには晋さえ倒せば天下統一、ってところにまでたどり着く。

 が、その頃にもなりゃ、俺らは苻堅に対して、完全に白け切っちまってた。

 こいつ、皇帝になんかしたら暴君待ったなしだろ。

 いろいろ王猛の奴にゃムカつかされたが、奴が死んじまえば、ただただ同情しかない。よくもまあ、あんなのを見捨てず、最期まで付き従ったもんだ。

 よく頑張ったよ、王猛。



 苻堅の、けどあの思い込みこそが、奴をのし上がらせたのは間違いない。

 周辺の敵を次々と倒しちゃ配下に加えて、気づけばあいつの配下は、この辺のオールスターズみたいなメンツになってた。

 ただし、どいつもがほぼ認識を同じくしてた。
 あいつの下で様子見とけ。どうせあいつはコケる。そこまでに、どう美味い汁吸って体勢整えとくか。

 そして苻堅は実際に、晋との戦いで、コケた。

 淝水って言う川のほとりでコケたから、大体淝水の戦いって呼ばれる。が、ケチのつき始めはもっと手前からだった。

 もともと晋軍を率いてた将軍の名前は、桓温。ただこいつは王猛と同じくらいのタイミングで死んだ。

 一番厄介な奴が死んでくれた、これなら勝てる! 苻堅は盛り上がったもんさ。

 だが強え将軍ってのは、サブもまた強ええもんだ。奴の場合は副官の謝安と、弟の桓沖。この二人が、とことんまでに苻堅の攻め手を台無しにしてくれた。

 俺らと晋との間にゃ、二つのどぎついバリアがある。

 滔々と流れる大河、長江と、その手前にでかでかと広がる湿地帯だ。

 普通に突っ込もうとしたら、沼地に足を取られる。で、そう言った場所での戦いに慣れてる晋の奴らにボコされちまう。

 沼地を避ける為にゃ、長江の上流から船で攻める必要がある。つまり、晋を攻めるために取れるルートは二つ。西と、北だ。ここをどう攻略できるかって考えなきゃいけない。

 が、いきなり西がコケた。

 戦いの指揮を執ってきたのは、桓沖。

 苻堅は、奴らが築いた前線基地を落とすのにすげー手間取った。しかも、やっとこさ基地の隊長、朱序を捕まえた頃にゃ、もう川に至るまでのルートは完全に守りが固められちまってた。

 戦ったら、勝てないこともないだろう。が、勝つまでに食らう損害が大きくなりすぎる。だから苻堅は、長江を下るルートを諦め、湿地帯攻め一本押しを選んだ。

 この時、配下の意見は真っ二つに割れた。
 もともとの配下たちは、反対。
 俺らを含む、苻堅の天下取りごっこに巻き込まれた奴らは、賛成。

 何せ三國志の時代、魏の曹操は、西回りだけで呉を攻めようとして、赤壁で失敗した。その後湿地帯回りで攻めしようとして、今度は合肥で失敗した。それも、何度も。

 そう言う失敗から学んで、晋は北と西との両面作戦で呉を滅ぼし、天下を取ったんだ。

 だってのに、また苻堅が同じ失敗を繰り返そうとしてる。
 なら、俺らは喜んで賛成するに決まってる。苻堅にコケてもらえりゃありがたいからな。

 王猛の時と同じように、反対意見こそが正しいんだ。
 っが、天下統一なんていう絵に描いた餅を食いたい苻堅は、正しくない俺らの意見を重視した。

 そして、俺たちは淝水に臨んだ。
 そこで、信じられないものを見ることになる。

 ぱっと見でも、苻堅軍と晋軍とじゃ5倍近い兵力差があった。苻堅軍に負ける要素はない、はずだった。

 突如そいつが、ズタズタになっていった。

 きっかけは、軍中から上がった声。最後尾辺りにいた俺にも聞こえてきたから、相当大きな声だ。

「苻堅が死んだ! 苻堅が死んだぞ!」

 聞き覚えがあった。

 声の主は、朱序。
 西部の前線基地で苻堅に捕まり、そのまま配下に加えられてた武将だ。

 奴は一部隊長にしか過ぎない身ながら、散々苻堅を苦戦させ、さらには降伏の際、涙する部下たちを慰めて回ってた。

 いかにも苻堅好みなじゃあった。
 が、そういう奴が、心底苻堅に忠誠を誓うわけもない。

 朱序の声と、晋軍の動きはばっちりリンクしてた。あらかじめ示し合わせてたんだろう。

 もともとやる気がなかったことに加えて、朱序の、この叫び。多くの軍は、これ幸いと体勢を整えて撤退を開始した。

 が、苻堅本隊はそう言うわけにも行かない。大混乱の中に、もみくちゃにされてる。

 朱序の叫びは、考えるまでもない。デマだろう。だが、このままほっとけば、本当に苻堅がくたばることだって有り得る。

「おまえら! 出るぞ!」

 手下たちに号令を掛ける。
 目指すは、苻堅。奴を混乱から助け出し、無事に城まで帰す。

 俺なりの、最後の恩返しだ。



「納得がいきません」

 馬首を並べて、慕容沖が呟く。

 ちらりと、後ろを振り返る。馬上でうなだれる苻堅に、憎々しげなまなざしを飛ばす。

「混乱に乗じて、殺してしまえば良かったでしょうに。なぜ叔父上は、あのクズを助けるのですか?」

 元は燕国に鳴り響く美少年として知られたその顔も、今じゃすっかり恨みつらみに縁取られて、ずいぶんな面構えになり果ててる。

 あの沖をここまで歪めちまったんだ。そう言う意味でも、苻堅は許しがたい。

 だが。

「恩はある。が、それ以上に、メリットが大きい。あの男が覇者として相応しくない以上、我々がたてまつるべきは、おまえの兄貴だ。違うか?」

「違いません」

「暐を皇帝に返り咲かせて、燕を復活させる。その際、いやでもドタバタはある。だが、ここで苻堅に死なれてみろ。ほっておけば苻堅に向くはずだった奴らまで、こっちにも向いてくるんだぞ」

「……!」

 はっと気付いたようになる、慕容沖。

 そう。苻堅の部下どもはオールスターズ状態。苻堅さえいなきゃ、それぞれが各エリアで王さま張れるような奴らだ。

 ほうぼうに飛ばしといたスパイからの話じゃ、どいつもが今回の苻堅の大ゴケも予想して、ほとんど損害を出してないって言う。

 この状態で苻堅をぶっこ抜けば、いきなりバトルロワイヤルが始まっちまう。そんな事になったら、事態の予測がつきづらい。

 だから、苻堅さまにはいったん城に戻っていただき、城で滅んでいただいた方が、何かと都合がいい。ひとまずの矛先が、全部あいつに向かってくれるしな。

「いま、俺らの故郷にゃ苻堅の息子がいる。俺は奴から、城を取り返す。沖、おまえは苻堅のところから暐を連れ出してくれ。そいつさえ叶えば、晴れて燕は復活だ」

 我ながら、どの口で言ってんだろうな。
 故郷を滅ぼしたのは、他ならない俺自身だ。

 ただし今となっちゃ、慕容の一族の中でも、俺の発言力が一番大きい。苻堅を見捨てるってんなら、俺自身が音頭を取るしかない。

 その代わり、飽くまで大将は慕容暐。そいつが筋ってもんだ。

 慕容沖にも、言いたいことはいろいろあったんだろう。だが、黙り込んだ。俺とあいつとじゃ、動員できる兵の数が違いすぎる。俺が慕容暐を連れ帰ることはできるだろう、だが故郷の奪還は、慕容沖じゃできない。

 それぞれがやれることをやる。ベストを尽くす。慕容沖の地頭は、下手すりゃ一族でも一番だ。やるべきこと、その必要性は感情に優先される。

 ――そう、信じちまったのが、俺の失敗でもあったんだがな。

 本拠地までの安全が確約されたところで、俺は苻堅に別れを告げた。

「この状況じゃ、苻堅さまの息子だってピンチだろう。あのあたりは、一度捨てたとは言っても、俺の故郷でもある。あんたの息子を、故郷を守るために出向きたい」

 俺の発言を聞いて、周囲の奴らは、当たり前だが猛反対だった。

 そりゃそうだ。他のもと配下どもと同じように、俺が裏切らないなんて保証は全くない。っつーか、現に裏切る気満々だしな。

だが、苻堅は周りを一喝する。

「慕容垂はここまで僕を守ってくれた! それが何よりの忠誠の証だろうに! なのに、この期に及んでなぜ疑うんだ!」

 本当、冗談も大概にして欲しいと思ったね。

 だが、やつは本気だ。

 本気でこう言う奴だから、ここまでのし上がれた。そして、こう言う奴だから、滅ぶ。

 表向き感激した振りで頭を下げ、あとのことを慕容沖に任せ、別れる。

 そこからは時間との闘いだ。辺り一帯のフワフワした勢力をまとめ上げながら、燕復活奪還の準備を整える。

 ――そんな俺の目論見は、みごとに慕容沖の暴走でぶち壊しになってしまった。



 その報せが来たのは、戦いの準備を終え、明日以降のためにそろそろ寝とこうか、と言ったタイミングだった。

「ほ、報告! 慕容沖様が周辺勢力をまとめ上げ、挙兵! 苻堅に宣戦布告いたしました!」

「はぁ!?」

 眠気も、ここ最近のドタバタでの疲労も、一気に吹き飛んだ。

 もちろん悪い意味でだ。俺のプランは、飽くまで慕容暐をトップに据えることだった。ここまでの号令も、慕容暐復帰を旗印にしてきたからどうにかなってた、って言っていい。

 その慕容暐を、俺らはまだ苻堅のもとから助け出せてない。

「ちょっと待て! 陛下はどうなった!」

「ご家族ともども、皆殺しの目に遭った、とのことです!」

「――だろうな、くそ!」

 慕容沖の恨みの深さを甘く見てた。あいつにとって苻堅は、故郷を滅ぼした仇ってだけじゃない。

 あいつは、さんざん苻堅に犯され続けてきた。
 自分自身の手で、なんべんだって苻堅の奴を殺したいとは思ってただろう。

 あいつの復讐、むしろ手伝ってやりたいとは思ってた。
 だが、今苻堅に死なれると、状況がまるで読めなくなる。
 だから慕容沖には、慕容暐の奪還だけを依頼してた。

「すぐ沖に文を送れ! こうなった以上、暐の弟であるあいつが皇帝に着くべきだ、と! その上で、速やかに撤収してこい、と伝えろ! こっちもバックアップはする!」

 慕容沖は、俺の言うことを半分だけ聞いた。

 皇帝位には就いた。だが、俺らのほうに戻ってくるつもりはない、って言う。

「叔父上のご厚意はありがたくいただきたい。しかし苻堅に対する叔父上の態度はまったく納得がいかない。おおかた、苻堅を殺したくないがための方便なのだろう。ならば、私が奴を討ち果たし、叔父上の目を覚まさせて差し上げよう」

 そんな内容の文が返ってきた。

「――バカが、そう言うことじゃねえんだよ!」

 怒りにまかせて、俺は手紙を壁に叩き付けた。

 たちの悪いことに、この挙兵で慕容沖は、将軍としての才能を一気に花開かせてたようだった。

 周辺のアンチ苻堅の勢力を吸収、一大軍勢として成長。ついには苻堅を城に追い詰めた、って言う。

 なるほど、ひとときは天下すら狙った奴を追い詰められりゃ、そりゃ慕容沖がつけ上がるのも分からなくはない。

 が、あいつはやばい勘違いをしてる。

 苻堅の強さの源は、周辺勢力をほぼ無傷のまま吸収していったところにあった。

 淝水での大ゴケのあと、そう言った奴らはほとんど独立。次の天下を狙ってる。

 つまり、今の苻堅を追い詰めるのは、言うほど難しくもない。
 むしろこれで慕容沖が苻堅を倒しでもしたら、周りの奴らはこれ幸いと慕容沖を狩りに来るだろう。ターゲットがチョロくなった、ってな。

 冷静さを取り戻せさえすりゃ、自分がどんだけピンチに追い込まれてるのかも気付けただろう。だが、こうなりゃもう無理だ。せめてあいつが無事に苻堅を倒せるよう、祈るしかない。

 何せ、俺は俺で想定外にぶち当たってた。

 俺らの故郷を占拠してた、苻堅の息子、苻宏。
 奴が防備をきっちり固めて、立てこもってきやがったんだ。

 俺が変に慕容沖の救援に向かおうとすれば、苻宏は背後から俺たちを狙ってくるだろう。

 ただでさえあっちこっちをさまよってる俺の軍は、ちょっとのダメージが致命傷になりかねない。補給線は、とにもかくにも、薄い。

 まずは拠点を確保できなきゃ、次の動きなんて考えられるはずもない。だから、動くわけにはいかない。故郷を取り返して、初めて次の手が打てる。

 不毛な戦いは続く。

 時は、いたずらに過ぎていく。



 苻堅が死んだ。

 といっても、慕容沖が殺したわけじゃない。むしろ慕容沖はやつを取り逃がした口だ。そして苻堅は、逃亡先で別勢力に捕まり、殺された。

 目的を見失った慕容沖は、どうもその後無軌道に暴れ回ったらしい。なので、臣下に恨まれ、殺された。タイミングさえ違ったなら、あいつこそ燕を率いてたかもしれないってのにな。無常なもんだ。

 慕容沖を殺した奴らは、そこで内輪もめだなんだを繰り返して行きながら、それなりの勢力を築く。っが、その頃には周辺の勢力も十分に大きく育ってた。西に姚萇、北に拓跋珪。

 そういや、王猛が奴らの名前を挙げてたっけな。
 全くのご慧眼でいらっしゃる。

 掲げるべき頭を失った燕は、俺を皇帝に、って押し上げてきた。

 冗談じゃない、そう言いたかった。さんざ戦い続けて、もう俺はへとへとになってた。これ以上俺に何しろって言うんだ。

 だが、他に適任もいない。ひとまず仮で戴冠の儀式を執り行い、手下……じゃないな、もう。臣下に号令をかける。

 一つに、都の奪還。
 一つに、「先帝を殺した」不届き者の殲滅。

 とは言え、都はあっさり開城された。
 苻堅の死を知った苻丕が、決死の覚悟で城を脱出。父亡き後の故国へと馳せ参じようとした。

 俺としちゃ、城さえ取り戻せるなら奴に関わる義理もない。特に追撃もかけず、見送った。

 もっとも、晋の奴らには手紙を送ったがな。「苻堅の息子がロクな供もつけずに移動してる」って。その後襲撃されただ、殺されただって話は聞いたが、まぁ、それだってどうでもいいことだ。



 懐かしき燕の旧城、謁見の間に入る。

 長らく、見上げてきた玉座。階段を上り、腰掛ける。

 玉座を温める主が帰ってきたことに、臣下たちが万歳を斉唱する。

 俺はといえば、ただただ、疲れ切っていた。

 恪兄貴を喪ってこっち疎まれ、殺されかけ、逃げ出して。
 ひとときは、自らの手で滅ぼしまでした国、燕。
 そんな国の頂点に、なぜか俺が立った。

 兄貴たちが、クソ叔父貴が、今の俺を見たら、なんて言うんだろうな。

 巡り合わせの皮肉に、俺は、笑うしかなかった。

『ふるさとの国を追われた俺は敵の将になってリベンジ決めてやった』

『ふるさとの国を追われた俺は敵の将になってリベンジ決めてやった』 佐藤 作

  • 小説
  • 短編
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2018-07-10
Copyrighted

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。