Fate/defective [×××]:04
目を開けて見た光景に佑は思わず溜息をついた。豪華な調度品に、大きな暖炉。装飾の細かいソファが部屋の中央を陣取っていた。
「ここは、一体……」
見たことのない部屋にいきなり放り出された佑は、当たりを見回す。
「ーーよく来た」
そのとき後ろから聞こえたのは、か細いながらも芯のある少女の声だった。
咄嗟に振り向くと、二つあるソファの一つに腰掛け、こちらを見て妖しげに笑っている少女と目が合う。
背中など優に越える長い髪が、ソファの上をうねっている。
「君は……?」
「私か……? そんなこと、これまでもこれからも必要の無い事柄だ。必要なのは、」
少女は陶器細工のような細く白い人指し指を、鋭く佑に向ける。
「お前との語らいだよ。ユウ。お前の考えを聞かせて貰おうじゃあないか」
「語らい……? 考え……? 一体、何のことですか」
少女は深い笑みを浮かべた。人を食ったような顔、というのはこういう顔なのだろうか。彼女の瞳は深淵のようで、吸い込まれそうだった。小さな唇が、肉を欲する怪物のようにゆっくりと開かれる。
「ーー天陵那次の話さ」
背筋が震え、部屋には佑の息を飲む音が大きく響いた。
何故こんなことになっているのか。佑はティーカップを両手で持って、その中の紅茶を覗いた。どこかもわからぬ場所で、正体の知れぬ少女と、紅茶を啜る。訳がわからない。
「アイツを救いたいと考えるのか」
しばらくカップを揺らし、紅茶の水面を見つめていた少女はそう切り出す。
佑は顔を上げた少女と目が合う。心臓の鼓動が一際大きく鳴った気がした。
「那次は望んでないのかもしれないですけど。でも」
目を閉じる。浮かぶのは召喚された直後の、言葉すら忘れた、窶れた英霊の姿だ。
「あんな、何も覚えて無くて、抜け殻みたいで。もう、苦しまないで欲しかったのに」
今まで十分辛い目に遭ってきた。知り合って間もない佑でさえ、それは知っている。
せめて、苦しいと訴えてくれれば。悲しいと泣いてくれれば。「辛かったね、よく耐えたね」と、声をかけることくらいできたのに。痛みを分けることも、できたかもしれないのに。
少女は興味があるのか、無いのかわからない様子で佑の話を聞いていた。そして、「ふむ」と息を吐き出すと、ティーカップをローテーブルに置く。
「そうだな。それはエゴだ。ユウ。ナツグは何にも感じちゃいない。苦しくもないのさ。だからお前が気にするようなことは何も無いよ。何もね」
きっぱりと言ってのける少女の言葉に、ナツグの姿が目にまた浮かんだ。無表情のまま、変わらない彼の姿が。
「でも、じゃあ、」
佑は沸き出した嘆きをそのまま吐き出す。
「“ごめん”なんて。“すまない”なんて。言わなくても良いじゃないか……!」
その言葉が、まるでこちらの意志が届いたのではないかと錯覚して。何度も、何度も笑いかけた。戦って怪我をしたときは、酷く心配した。
そんなことを言うくらいなら、謝るくらいなら。少しでも氷のような表情を、溶かしてくれれば良かったのに。痛みを苦しみを、八つ当たりでもいいから吐き出して欲しいのに。
「ああ、それか」
少女は先程と同じ温度の声で、淡々と呟く。
「それはな、“残滓”だ」
「ざん、し……」
何が琴線に触れたのか測ることが出来ずとも、お前達の顔を見て悲しませたことだけは分かる。そして、気休めのような謝罪を述べる。ナツグの記憶の残滓だ。
「さっきお前も言っていたじゃないか。抜け殻だと。その通りだよ。英霊になっちまったナツグはただの抜け殻。ガワだけ残して消えたも同然だ」
何もかもを知っているらしい少女が、こちらを諭すように、諦めるように畳みかけるほど。佑の中の感情が顔を出す。エゴなのは分かっている、彼の願い。
「那次には笑っていて欲しい。エゴなのは分かってます。でも、辛い思いの分だけ、幸せになって欲しいんです」
「ナツグに幸せでいて欲しい、か……悪いが、お前達の言う幸せは。ナツグには難しいよ」
ああ言えばこう言う。誰とも分からない少女が那次の代わりのように断定して返す言葉に、佑は我慢の限界だった。
「どうして、どうしてそんなことが言えるのですか……!?」
掠れた声で小さく叫ぶ。
少女は叫びを受け止めて、「幸せ、ね」と呟き表情に陰を落とした。その目は遠くを振り返るような目をしていた。
「ナツグはな、その“幸せ”のために全ての感情を手放したんだから。幸せを感じる心も全てね」
「……は」
自分の時が止まったような心地になったが、すぐに少女に薄く笑われて我に返った。
「意味がわからないって顔してるねぇ。ま、当たり前か」
「わかるように、言ってください」
少女はソファに寄りかかり、細い指をこちらに向けた。
「お前も見抜いていたじゃないか。簡単だよ。失うのが怖いんだ」
傍にいて欲しい。一緒にいると幸せだ。そう思っちまったら最後、アイツには何も残らない。因果律やら運命やらが仕掛けたアイツの“起源”だよ。
少女は得意げに手を広げて見せた。
「起源……」
「先天的に決められた魂の性質、とでも言うのかね。正直、そんなに大したものじゃない。皆必ず持ち合わせているが。そんなの見てもわからんし、自分でも気づかない」
だが、大局で運命を決めるのは起源だ。魂にすり込まれたソレが、時にその人間の死すら決めるんだ。
「その、起源が、那次を苦しめているんですか」
「苦しめてるんじゃあない。アレはそういう性質なのさ。お前は林檎を落としたら引力に文句を言うのか? 違うだろう。物が落ちるのは当然だ。それと同じと考えろ」
一呼吸の間を置いて、少女は口を開く。
「アイツの起源は“乖離”。何を手にしようとも、必ず最後には手放すことになる。人であれ、心であれ、な」
大局で見るならば。
一度目は両親。
二度目は女王。
三度目は雪娘。
「そして、あのナツグの四度目は感情。五度目に世界と乖離した。端的に言えば、そんなところだろうよ」
それでも、アイツが唯一自らの意志をもって選んだとすれば、その理由は。
少女は佑の顔を見て、今までの人を食ったような笑みではなく、穏やかな初老の女性のような笑顔を見せた。
「代わりにお前達とだけは乖離しなかった。お前達との“繋がり”だけはね」
佑は思わず拳を握りしめた。少女は話を続ける。
「それを無くせば、本当の意味でのアイツの死だ。だから、必死に守ってきたんだろうさ」
「繋がり……」
「傍にいたいという欲を殺し、離れたくないという恐怖を殺し。ナツグはお前達と共にいたいがために“傍にいたい”と思うことを辞めたのさ」
傍にいたいと思っちまったら、きっと手放すことになるからな。
優しさと呆れたような響きの声が耳に入ってくる。佑は頭の片隅で考えていたことを吐き出した。
「じゃあ、僕らに出会ったせいで、那次はあんな未来を……」
サーヴァントとなってしまった那次を見たときから、何故そうなってしまったのか必死で考えた。何が切欠で。何が起きたことで。
もしも、佑達と出会ってしまったことが切欠だったなら。そう考えるだけで胸が痛かった。
「それは違うな。アレはお前達と出会う前から決まっていた世界との契約。覆せるものじゃない」
部屋に響いたのは柔らかな否定だった。
「ただ、辿る道は同じでも。終着は全く違う」
「え……?」
佑は俯いていた顔を上げる。
「ユウに出会わなければ、ナツグは完全な“無”だった。しかし、手放せないものができたから、藻掻いたから。だから、傍から見たら痛々しくてしょうがなくなったんだよ」
手放せなかったから、きっと今ナツグは彼の前に現れた。もし、それすらも捨ててしまえたなら。彼は二度と人間の前に姿を現すことはなかっただろう。世界の機械として、“無”になって消えていた。
「ナツグが、諦めなくてはと思うほどの欲求を、幸福を一度でも知ることができた。それは紛れもないお前達の功績だ。胸を張れ」
今の那次は、僕らと離れたくない一心で自分を押し殺しているというのか。押し殺して、押し殺した事実も殺したのか。
「……でも、諦めたく、ないです」
「それでいいさ、そんなお前だからナツグは……」
まだ逡巡している佑には聞こえぬ声で少女は呟く。ティーカップの中身が二人とも空になっているのを見つめて、少女は笑った。
「そろそろ、茶会も終いだ。お前との語らいは実に楽しかったよ」
そう少女が口に出した途端に、佑は視界が歪んだような気がした。可能性として考えてはいたが、やはりここは夢の中だったのか。
部屋が歪み、少女が遠のいたと感じたとき、佑は咄嗟に叫んだ。
「あの! 貴方は一体……!」
しかし、少女は人指し指を口元に持ってきて、また人を食ったような妖しい笑みを浮かべた。
「私が誰であっても、何も変わることはないさ。天上に積み上げられた、幾千の墓から大人しく見守っておくことにするよ」
そのすこし自嘲的な笑みを佑はどこかで見たことがあるような気がした。
Fate/defective [×××]:04