Fate/defective [×××]:03
幼い頃、両親が読んでくれた絵本は、最後は必ず幸せになって幕を下ろした。
魔法の解けたシンデレラは、最後は王子様と幸せになった。
永遠の眠りについたはずの白雪姫は、王子様のキスで目を覚ました。
童話の全てが、全ての登場人物がハッピーエンドにならないのは知っていた。けれど、そのときは両親と幸せな終わりを考えた。
赤ずきんとおばあさんを食べて、猟師にお腹を切られてしまった狼は。赤ずきんとおばあさんの優しさで助けてもらって。二人と一匹で幸せに暮らしたことにした。
月に帰ったかぐや姫は。おばあさんとおじいさんと文通をして、いつまでも親と子であり続けることにした。
もちろん、人生がそんな甘いものでないことは知っている。「めでたし、めでたし」と幕を下ろせば幸せなままの人生なのか。
そんなはずはなかった。その先も、そのまた先も、人生は続いていく。
けれども、だけれども。
こんな終わりは。否、こんな「続き」は。
あまりに残酷すぎる。
◆◆◆
扉が開いて出てきた佑の顔は、完全に虚をつかれた様子だった。来た理由を尋ねられたが、アリアナは無視をして佑の家に入った。
あんな歯切れの悪い言葉を返されて、心配にならないわけないじゃない。
日本で行われる2度目の聖杯戦争。その参加のために佑は帰国していた。そこにアリアナや那次は含まれていなかった。代わりに毎晩、経過報告と安否確認のために電話をかけていたのだが。一昨日の報告がアリアナをもう一度日本の地を踏ませることとなった。
『サーヴァントを召喚した……そう、もうすぐ始まるのね』
『う、うん……』
『それで? どんなサーヴァントなの? クラスは? できれば真名も言って欲しいわ』
『それは、えっと……』
『まあ、盗聴されてるかもしれないし、言えるわけないか』
『え? いやそれを気にしてるわけじゃなくて。その、サーヴァント……なのかな』
『は? なに、それ』
『あ、いや、ううんなんでもないよ! クラスはライダーで性格に難はないし、大丈夫だよ心配しないで』
『……ちょっと? 何焦ってるの?』
慌てる佑の様子は声だけで想像できた。何を焦っていたのだろうか。そういえばそのそのとき那次はどうしているかも訊いてきていた。何も変わったところはないと伝えると、深い溜息が聞こえていたが。それもいつもと様子が違った。
心配になったアリアナは急いで荷作りをして日本へ向かったのだ。
「待って、別に何も心配するようなことは」
「じゃあ、サーヴァントはどこ?どうして傍にいないの? 無防備に玄関のドアを開けて。敵だったらどうしていたの?」
「彼は今ご飯を食べてて……」
「……は?」
車椅子の車輪がフローリングを滑る音が、体を巡る血のような音に聞こえた。気味の悪さに車輪を押す手が震える。リビングに入ってすぐに所にいる、浮き世離れした風貌の男。サーヴァントだ。
なんなんだ。彼は。
茫洋とした目を机の上の皿に向け、機械的に食事をする男。アリアナの目に飛び込んできたのは、そんな光景だった。
「な、つぐ……?」
無意識に声に出たのはロンドンにいるはずの人の名前だった。色素の抜け落ちた髪や褐色の肌、鍛えられた体。何もかも那次とは似ていないのに、何もかもが近しいと感じる。髪の分け目とか、癖とか、それに瞳の色だとか。見た目で同じなのはそれくらいだ。
「やっぱり気づいちゃうんだね、アリアナも」
「や、やっぱりって、なに。なんで、あいつは」
「僕にも、わからない。それに」
彼は、記憶を失っていて。自分が誰かもわからないんだ。
頭を鈍器で殴られたような衝撃というのは、こう言うことを言うのか。久しく忘れていた衝撃がアリアナを襲う。その先で那次に似たサーヴァントは、「ごちそうさま」と手を合わせて呟いた。その声もまた動作と同じように機械染みていて、アリアナは息をすることを忘れた。佑はそれを聞いて優しい声で彼に問いかける。
「カレーは美味しかった?」
「……おいし、かったんだろう。悪いが感覚が希薄で、確かな感想は言えない。元々飲食はサーヴァントに必要な訳ではないからな。その当たりは返答に窮する」
「……そっか」
納得したように佑はご飯粒ひとつ残っていない綺麗なお皿を片付け始める。手伝おうと立ち上がりかけたサーヴァントを座り直させて、彼は台所へ向かおうとした。
「待って。佑に謝って」
「……アリアナ?」
アリアナは語気を強めてサーヴァントに詰め寄った。意志の薄い瞳と目が合う。サーヴァントは「ユウの知人か」と感慨もなく呟いた。
「そんなのはどうだっていいわ。佑はあなたのためにご飯を作ってくれたんでしょう? ちゃんと美味しかったなら美味しかったって言いなさい。それにサーヴァントが食事を必要としないのなんて佑だって知ってるわ。それも承知で言ってるんだから、わざわざそんなこと言わないで。佑の気持ちも考えて」
「アリアナ、いいよ。彼はちゃんと完食してくれた訳だし」
「いいえ! 佑だって悲しかったんでしょ。あんなこと言われて」
佑は口をつぐんだ。それは彼の心を微かにでも傷つけたことを示していた。
「ユウを悲しませた、ならそれは謝る。すまない」
「いいよ、気にしないで、ナツグ」
「……」
名を呼ばれてナツグは眉を寄せた。怪訝そうな視線であることはアリアナにもわかった。ここまでの機械的な仕草と声に、彼女の感情も遠くへ川の如く流れていくような気がする。
「ナツグ。本当に、何も覚えてないの」
「お前も、勘違いしているのか。そんなに似ているのか?」
「勘違いじゃない。……けど、全然似てない」
似ていて欲しくない、とは言わなかった。サーヴァントのその姿が、様々な連想を引き起こしてしまったから。
くすんだ黒い衣服が、まるで燃えた後の炭のようで。
手の甲を覆う武装を固定する腕輪が、枷のように見えて。
七分丈のズボンの裾が、使い古されて捨てられそうで。
ブーツに巻き付いた革の帯が、彼を縛り付ける呪いのようで。
そんな姿と、那次とを重ね合わせたくはなかった。
知ってしまった未来、知ってしまったこと。今の彼の行く末が、こんな苦しい姿であるならば。
私は、どうすればいいのだろうか。
◆◆◆
幼い頃、救われないヒロインが可哀想だと、両親に撫でられながら泣いていた。
物語は受け取った人によって変わっていくのだと両親は言った。
悲しいと思ったのなら、悲しくないように。笑えるようにすればいいと言った。
それは魔術を使わなくても叶うのだとも。
こうだったらいい、と願うだけでいいのだと。
そうすれば物語の主人公は救われるのだと。
なら、私が彼が幸せであればいいと。笑っていられる未来だったらいいと。願うだけで救われるのか? 彼が、私が、佑が。
それだけじゃ足りないときは、どうしたらいいの? 神に祈りを捧げれば、何か変わるというの?
誰かに助けを乞えば、彼は救われるの?
それこそ、私の神様に。
それこそ、佑の相棒に。
それこそ、彼を変えた女王様に。
人生が童話のように、物語のように行くなんて思ったことはない。
けれど今だけは、物語のように温かい光を綴ってくれる救世主がいないものかと、思ってしまうのだ。
Fate/defective [×××]:03