クリスタルを恋う夜に
ミュージカル スタミュ「Caribbean Groove」の二次創作です。アルベール→クリス。
雨が丸窓をたたく音で、アルベールは目を覚ました。
夕餉を終えた頃から強さを増してきた風が濃紺の波を荒立てているのがわかる。
まだ眠ってから数時間と経っていないのだろう、眠りは浅く、今しがた見ていたらしい夢のこともおぼろげに覚えていた。
気だるい身体をゆっくりと横に倒すと、向かいのベッドで眠るうら若きキャプテン――これは彼の自称だけれど――のクリスが穏やかな寝息を立てている。雨音など、ただの口実にすぎない。アルベールはここ最近眠れない夜が増えた理由を知っていた。
どうやらこの船が故郷の国に近付いているらしいと気が付いたのは、一週間ほど前のことである。幼い王子と共に故国を追われてからもう13年という月日が過ぎていた。先ほどまで見ていた夢の断片が頭をよぎる。かつて美しい城が建っていた丘の上で、大海を見渡す王子の、水晶のごとき煌めきに満ちたそのまなざし。海に憧れた小さな国の小さな王子様は、皮肉にも故国を追われたことで海賊の道をゆく運命をたどることとなった。
今でも昨日のことのように思い出す。
初めて彼と海に出た日、この身を犠牲にしてでもこの背中を守ると誓ったあの瞬間を。
それが今、故国を目の前にして揺らいでいるなど、彼自身思いもよらないことだった。
今までも、そしてこれからも一番近くで見守ると決めた相手を置いて、今も苦しむ民のためにこの身を削ることが自分には許されているのだろうか。自分の生まれ育ったはずの国を見て、彼は何を想うのだろう。クリスの幸せを願うたび、ひとり苦しまずにはいられなかった。真実を告げれば、彼は必ず自分とともに祖国へ往くはずだ。それはすなわち、彼の海賊としての人生を壊してしまうことになりかねない。あれほど海に憧れていた幼きクリスのまなざしを自らの手で壊すことが、彼には耐えられなかったのだ。
けれどアルベールは確信していた。
長い航海の果て、気が付けばこの船を率いるほどになっていたクリス。
その優しさとしたたかさを兼ね備えた素質は、紛れもなく彼の「王子」としての素質なのだと。
ティエラ、アンリ、そしてジョバンニというかけがえのない仲間たちと、時に衝突しながらも今日まで航海を続けることができたのは、彼の生まれきっての才能のおかげなのだ。
――もしもあの時、祖国が攻め入られることなどなく平和に時を重ねられていたら。
馬鹿げた夢想を何度したことかわからない。
国を治める彼の背中を、誰よりも近くで見守り続ける自分の姿。けれどそれは自らが作り出したまがい物の幸せに過ぎない。
アルベールは決心したかのようにまぼろしを振り払い、いま一度、隣で眠るクリスの寝顔を盗み見た。
この人の穏やかな眠りのためならば、すべてを捨てて一人故郷に赴くことなど、自分にはたやすいことではなかったか。自分の単純さに呆れてしまう。それほどまでに、クリスという人間を心から慕っているのだとようやく気が付いた。
彼が今ほんとうに王子であるかどうかなど関係ない。海賊だろうが何だろうが、彼はアルベールにとってこの世でただ一人の、何よりも大切な守るべき「王子」なのだから。
「おやすみなさい、我が王子……」
船室の暗い天井を眺めながら誰にも聞かれないよう、ひっそりと呟く。
あと何度、船の上で彼とおやすみを交わすことができるだろう。
人知れず祈りながらアルベールはゆっくりと目を閉じた。
頭上の丸窓の向こうでは、いつの間にか雨が止んでいる。
朝の訪れを待つ静かな波音は、眠れぬアルベールの心を優しく包むようだった。
クリスタルを恋う夜に