題名のない手紙 第05話


 暗い世界に居た。
 そこにはあたし以外は存在していなかった。
 右を見ても、左を見ても、上を見ても、下を見ても、真っ暗。
 ましてや自分の身体が在るべき場所を眺めてみても、何も見えない。
 真っ暗。どこまでも続く闇。
 これは・・・・・・あたしの心の中? それともあたしが見ている夢の中?
 どっちにしたって、あまり良い心地はしない。
 というより、最悪だ。
 あたしはまだ、囚われている。
 “あの人”の呪縛に。
 逃げても逃げても、いや、逃げれば逃げるほど、“あの人”の呪縛はあたしを蝕んでいく。
 この暗闇のように逃げ場が無い。逃げる方向さえ見定めることが出来ない。
 それでも逃げ続けてやる。
 その先に何が起ころうと関係ない。
 それが、あたしが生きようと決めた道なんだから。
 だから、誰であろうとその道を阻む事は許さない。絶対に。



『少女がいる日常』



 朝。
 太陽の眩しさで目を覚ました。
 カーテンを開き、窓を開ける。
 すぅっと、草の匂いが鼻腔をくすぐる。
 空気がおいしい、太陽も燦々と輝いている。
 こんな朝をもう一度迎えたい、そう思うほど清々しい朝だった。 

「おはよう。霧宮さんに持って行くの?」

 台所に入ると、紗衣香ちゃんがおぼんを持って立っていた。
 おぼんの上にはご飯や味噌汁、焼き魚などが乗っている。

「はい。先ほど見に行ったら起きていたみたいなので」
「そうなんだ・・・・・・ここで食べるっていうのは、ダメかな? 一緒に食べた方がいいかなって思ったんだけど」

 そのほうが、早く馴染んでくれそうな気がする。
 紗衣香ちゃんはちょっと考えてから、笑って答えた。

「そうですね。一人で食事なんて寂しいですし、一緒に食べましょうか」

 そう言って、おぼんを紗衣香ちゃんは台所を出た。
 テーブルを見てみると、さっき運んで行ったのと同じ食事が置いてあった。二人分。
 おぼんと合わせて三人分の食事を紗衣香ちゃんは用意していたみたいだ。

「そっか。僕なんかより、最初から考えていたんだ」

 僕からの指示を待っていただけで。

「やっぱり、紗衣香ちゃんは紗衣香ちゃんだな」

 常に周りを良く見て、他人の為に動くことが出来る人。
 仕事で培われたものもあるだろうけど、彼女の性格によるところの方が大きいと、僕は思う。
 だからこそ、穂波診療所の看護士が、彼女で良かった。
 彼女のような人間でなくては、きっと、ここで働くことなんて出来ないと思うから。
 そんなことを考えていると、ドアが静かに開いた。
 紗衣香ちゃんの後ろには、不機嫌そうな顔をして、霧宮さんが立っている。

「おはよう」
「なんでお前と一緒に食わなきゃいけないんだよ」

 いきなり、随分な言われようだった。

「まぁ、そう言わずに。一人で食べるより、皆で食べる方がきっと楽しいよ」

 霧宮さんは、僕の考えがよく分からないのか、要領を得ない顔をしている。

「・・・・・・さっさと食っちまおうぜ」

 大袈裟なため息をつき、仕方がないと言った感じで、承諾をする。
 三人して、テーブルに座る。
 この感覚は、懐かしかった。
 前にいた時も、こんな食事風景だったな・・・・・・。
 またここにこうして戻ってこれるとは思っていなかった。
 それだけでも幸せなんだろうと思う。



 朝食が終わり、霧宮さんの部屋の前まで来ていた。
 まだ早いかなとは思ったけど、診察の方を済ませておこうと思ったからだ。
 扉をノックする。
 少ししてから、返事が来た。

「だ、誰だ?」

 なんか、少し焦ってるような感じの声が聞こえた。

「僕だよ。上月」
「ちょ、ちょっと待ってろ」
「わかった」

 なんなんだろう?
 それから、少し時間が経ってから返事が来た。

「失礼するよ」

 扉を開ける。
 彼女はちょこんとベットの真ん中に座っていた。
 少し恥ずかしそうに。

「なにか用かよ」
「うん。ちょっとね。それより、なんかあったの? 慌ててるみたいだったけど……」

 そう言うと、彼女は顔を少しそっぽを向いた。

「・・・・・・なんでもない」

 なんかタイミングが悪かったみたいだ。

「用ってなんだよ」
「診察なんだけど。今からどうかなって思ってね」
「今から?」

 少しムッとした顔になる。
 よくよく感情が表に出るタイプだな、この子は。

「ダメかな?」
「ダメじゃないけど、お前はいっつも急だな。昨日といい」

 クドクドと昨日は突然休めとか言って・・・・・・と呟いている。
 確かに思いつきで行動していることが多い自分としては耳が痛い言葉だった。
 今は他に患者さんが居るわけでもないし、診療所に誰か来ているわけでもない。
 だからこちらとしては今がベストなタイミングだったのだけれど。
 なだめるように霧宮さんに微笑みかける。

「いや、早めにしたほうがいいかなって思ってね」
「じゃあ、さっさと済ませるぞ」

 そう言って、霧宮さんはベットから立ちあがり、ドアのほうへと近付いて行く。
 彼女が僕の横を通り過ぎようとしたその時、体が前のめりに崩れ落ちた。

「え? ちょ――」

 目の端に捉えたその様子に必死に手を伸ばす。
 細く柔らかい身体を抱き寄せるようにして、彼女を受け止める。
 大丈夫だろうか。彼女の身体をそっと地面へ丁寧に座らせる。

「霧宮さん、大丈夫?」
「あ、あぁ・・・・・・」

 息を吐きながら、ゆっくりと立ち上がろうとしていた。

「ダメだ。無理しちゃ。まだ座ってるか、横になって」
「っ。大丈夫だって」

 また無理して立ち上がろうとする。

「言うこと聞いて。そのまま落ち着くまで待って」

 多少力を込めて、立ち上がろうとした霧宮さんの身体をぐっと押さえつける。

「くそっ・・・・・・」

 何に対して悔しがっているのだろう。
 けど、そういう元気があるのなら少しは安心してもいいかもしれない。

「・・・・・・・もう大丈夫」

 数分しゃがみこんでいた霧宮さんは、手をすっと上げて、手のひらを僕の目の前に出した。
 立ち上がることを止めるなということだろうか。
 彼女の表情を伺いながらも静かに霧宮さんは立ち上がる。
 僕も同じように立ち上がると、このまま診察をするのはやめた方がよさそうだと考えて。

「少し時間を置こうか。霧宮さんはまだ休んでていい」
「はぁ? 大丈夫だって言ってんだろ?」
「目の前でこんなのを見たらその言葉は聞けないよ」
「なんなんだよ、お前は。自分勝手なヤツだな」
「一応、君の身体を心配しているんだ」
「心配なんていらないんだよっ!」

 怒声が彼女の部屋に響いた。
 しかし、すぐにばつが悪そうな顔をして。

「っち。後にするんならさっさと出てけよ」

 視線を外して、後ろを向く。
 怒らせるつもりはなかった。彼女の身体を心配なのは本当だ。
 けど、自分勝手に時間を変更しているのは僕のせいでもある。
 上手くいかないな。
 そんな考えが頭を掠めて、慌てて首を振る。

「失礼するよ」

 そう一言だけ告げて彼女の部屋を出た。
 ため息が出る。
 難儀そうな彼女の性格もそうだけれど、自分の余裕のなさにだ。
 これからどうなっていくのか、どうしていけばいいのか。
 考えをめぐらせながら彼女の部屋から離れた。



◇◇◇



 なんでだろう。
 正面にある醤油ラーメン見ながらそう思う。
 さっきまでシリアスに考え事をしていたというのにだ。
 気付いたら昼で、気付いたら目の前のこの男に強引に連れてこられて。

「俊也。早く食べないと麺が延びるぞ」
「・・・・・・」
「先生? どうかしましたか?」
「紗衣香ちゃん。気にしなくていいさ。いつものことだろ?」
「・・・・・・僕が普段から意識飛ばしてる危険な人みたいな言い方しないでくれ」
「なんにせよ。せっかく作ってやったんだから、伸びないうちに食えよ」

 さっきからしつこいくらいに麺が延びることを気にしている。
 はぁ、とため息をつきながら麺をすすりはじめると。

「おい、この人誰だよ?」

 同じように連れてこられたのか、ふてくされた顔をしながら隣にいる霧宮さんが、浩司を指差しながら訊いて来た。
 彼女の目の前にもラーメンが置いてある。

「俺? 俺はこいつの親友で坂上 浩司っていうんだ」

 浩司は僕を指差して自己紹介する。

「これなんだよ」

 次は目の前に置いてあるものに疑問をもったのか。
 マジマジとラーメンを見ている。

「醤油ラーメン。苦手だったか?」

 不思議そうなまなざし。
 けど、それは汁の色を見れば分かると思うけど・・・・・・もしかしてラーメン自体を知らない、とか?

「ふーん・・・・・・」

 もの珍しそうにそれを見ると、浩二が食べている様子を見る。
 それを交互に見るとおずおずという感じで箸を持つ。
 そして汁の中に箸を入れると麺を取り出してそのまま口へ。

「熱っ」

 と、顔をゆがませた。

「大丈夫?」

 この子は、ラーメンを食べたことないのだろうか。
 食べる仕草がたどたどしい。

「う、うるさいっ」

 顔を赤くしてそっぽを向いた。
 ここに来て初めてそういう表情を見た気がする。

「これ、おいしいです。浩司さん」

 僕の正面に座る紗衣香ちゃんが言った。
 もちろん、彼女の目の前にもラーメンが置いてある。

「紗衣香ちゃんにそう言ってもらえたなら、作ったかいがあるよ。ああ、涙で麺が見えない・・・・・・」
「こしょうが目にしみて見えないだけだろ」
「いえいえ、皆さんそう思っていますよ」

 違う。問題がずれてきた。

「いや、確かにおいしいけど。なんで浩司がここに居るのさ?」
「それは・・・・・・私が昼食を作ろうとしたら、突然いらっしゃって、それで作ってくださるというので」
「そういう経緯じゃなくて、根本的になんで浩司がここに居るのさ」

 この時間は学校で仕事しているはずだ。

「昨日は来るのが遅かったからな。紗衣香ちゃんにも会えなかったし、それに新しい患者っての気になって、昼時なら必ず居るだろうと思って来た訳だ」

 心なしか「紗衣香ちゃんにも会えなかったし」の部分を強調していたように聞こえたけど、当の本人は霧宮さんとお喋りを試みていて、まったく聞いていないみたいだった。

「・・・・・・くっ」

 彼の心の中でまた一敗が付いただろう。
 なぜ昼飯を作ると言い出したのかは敢えて聞かない。
 どうせポイント稼ぎで作ると言い出したんだろう。

「そうだ霧宮さん」
「・・・・・・」

 返事はせずに目線だけをこっちに向ける。

「診察なんだけど、三時からにしようと思う。その時間になったら診察室に来て」

 先程は急過ぎてムッとされたから、今度は時間に余裕を置いてみた。

「なんだよ、その中途半端な時間は」
「・・・・・・」

 時間を置いてもムッとされた。
 もう、どうしたらいいんだ。

「その間なにしてればいいんだよ」
「散歩でもしてきたらどうですか?」

 紗衣香ちゃんがそう提案してきた。

「散歩?」
「ええ。裏の山なら軽い運動になりますし、頂上の景色もいいですよ」

 裏の山・・・・・・優日の墓がある場所か。
 確かにあそこならいい運動になるだろう。
 一時間くらいあれば頂上に着ける。

「・・・・・・へぇ」

 少しだけ興味ありげに呟くと、すぐに何かに気付いたように首を振って。

「いや、ここで大人しくしとく」
「・・・・・・え? でも、そのいい天気ですし」
「・・・・・・・ご馳走さま」

 がたっと立ち上がり、自分の部屋へと戻っていく。
 紗衣香ちゃんの言うことに聞く耳も持たずに。

「私・・・・・・まずい事言っちゃいましたか?」
 
 申し訳なさそうな顔で、霧宮さんが消えていった扉をじっと見つめながら。

「いや、そういうわけじゃないだろうけど」

 少しだけ、行きたそうにしていた気がする。
 けど、すぐにそれを否定した。
 行っちゃダメだという感じで。

「紗衣香ちゃん。彼女に着いていてもらっていいかな?」
「あの・・・・・なにかあったんですか?」
「いや、たいしたことはないよ。それに、もう大丈夫そうだしね」
「・・・・・・とにかく、わかりました」

 僕の言うことに怪訝そうな顔をしながらも、霧宮さんの後を追いかけるように部屋を出て行った。

「また一癖ありそうなお嬢さんだな」

 ラーメンを食べ終えたのか、両手の手のひらを合わせて合掌をし、ごちそうさんと声を出してから僕の方をちらっと見た。

「まぁね。というか療養所の方はそういう患者さんが多いから」
「けど、あのお嬢さんはそういうのとは違う気がするけどな」
「そういうの?」
「病気でどうこうってわけじゃなく、それ以前の話ってことだ」

 それ以前?
 霧宮さん自身の問題?

「ま、勘だけどな」
「浩二の勘はよく当たるから嫌なんだよな」
「ふっ。女よりするどいと言われたからな」

 名誉なのか不名誉なのか微妙なところだ。

「とにかく、忠告は受け入れておくよ。それに思い当たる節はいくつかあるし」

 霧宮さんは僕たちの力を借りたがらない。
 なんでも自分だけで事を進めようとしている。
 彼女は、ほとんどのことが初めての体験みたいな雰囲気があった。
 けど・・・・・・誰かの、他人の力を借りるの極端に嫌がっている。それがいけないことだと言うように拒否をする。
 どうしてそういう考えになっているのかは分からない。
 それが、浩二の言っている『それ以前の問題』ということだろうか。

 ふっと、目の前でニヤニヤと笑っている浩二が目につき。

「なに?」
「いや、なんか院長らしく見えてきたなって思ってよ」
「え?・・・・・・まだまだだよ」

 僕なんかほんとまだまだだ。
 霧宮さん一人にいっぱいいっぱいになりかけている。

「・・・・・・? まぁ、いいけどよ」

 そろそろ行くかと呟いて席を立ち上がると霧宮さんや紗衣香ちゃんと同じように扉に手をかけて出て行く、と思ったけどこちらを振り返って。

「あぁ、親父が顔を見たがってたぞ。早く行ってやれよ」

 とだけ言って部屋を出て行った。

「浩介さん、か」

 色々な心配をかけたし、ちゃんと挨拶に行かないと。
 ここ数日はそういう余裕がなかったとは言え、申し訳ない気持ちになる。
 明日にでも行こうかな。そう考えながら僕もご馳走さまと両手を合わせて食器を片付けようと席を立った。



◇◇◇



 三時。
 まだ霧宮さんは来ていなかった。
 というか、紗衣香ちゃんの姿も見えない。
 まさか、山にでも言ったのだろうか。
 単純に考えても往復に二時間、その他を合わせると遅れても仕方のない時間だが。
 五分ぐらいして、静かに玄関の扉が開いた。

「・・・・・・悪い。少し遅れた」

 少し睨むような表情は変わらないけれど、少し複雑そうな顔をしている霧宮さんだった。

「いや、構わないよ。許容時間内だ。それじゃ、始めようか」

 相変わらず紗衣香ちゃんは帰ってこない。
 きっと事情を知っているはずだから話は聞きたいけれどそうはいかないみたいだ。
 あまり視線を向けないように霧宮さんを見る。
 顔は下を向いていて、肩が少し震えているようだった。
 怖いのだろうか、それとも何かを悲しんでいる

「・・・・・・なぁ」
「え・・・・・・?」
「『篠又優日』って、あんた知ってるんだろ?」

 まったく予想していない人間から彼女の名前を聞いた。
 紗衣香ちゃんだろうか。
 けど、どうして彼女にそんな話を?

「うん。知っているよ」
「なぁ・・・・・・写真ってあるか? その人の」

 僕の首から提げているペンダントを掴んだ。
 そこには彼女の写真が入ってる。
 僕がここから離れた日に、女々しく持っていったものだ。
 それを変わらずに今もつけている。
 でも、どうして霧宮さんはこんなにも悲しそうに、すがるように僕を見てくるのだろう。
 ペンダントを首から外して彼女に手渡す。

「はい。これで良ければ・・・・・・」

 霧宮さんはそれを奪い取るように受け取ると、カチッと音を立ててペンダントを開いた。
 そこには、また病気になる前の彼女の姿が存在している。
 それを霧宮さんは惚けたようにじっと見つめていた。

「霧宮さん?」
「・・・・・・返すよ。ほら・・・・・・診察するんだろ?」

 彼女は優日を知っている?
 けど、それを聞いてもきっと彼女は答えてくれないだろう。
 そういう性格だということはこの短い時間でも分かった。
 今は聞く時ではない。
 けど、紗衣香ちゃんなら何かを知っているかもしれない。
 この診察を終えたら紗衣香ちゃんを探して聞いてみよう。
 そう考えながら彼女の診察を始めた。

題名のない手紙 第05話

題名のない手紙 第05話

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-03-01

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