*星空文庫

悲しい出来事

仁科 哲夫 作

 平成三十年六月八日の日経新聞一面のコラム、春秋欄の出だしの文章である。
こんな悲しい文章があるだろうか。「きょうよりかあしたはできるようにするから もうおねがい ゆるして ゆるしてください」。まだ小学校に上がる前の船戸結愛ちゃんが、ひらがなで必死に綴っていた。お願いの相手は本来なら自分を愛してくれずはずの両親だ。
 東京都目区のアパートで虐待と衰弱の末に死亡した五歳の幼女が残したもの。これを読んで思わず涙ぐんだ。彼女の絶望的な気持ちが痛いほどよくわかる。
 私を生んだ母は誕生前の十一か月に亡くなっている。昭和初期はすべてが自力救済であった。生まれ故郷の長崎から出てきて神戸で働いていた父が頼れるのは、阪急宝塚線の豊中駅前で青果商を営んでいた兄だけであった。兄夫婦には子供がなく祖母も同居していたので、男やもめの父は藁をもすがる思いで預けたのだろう。
 叔父をお父ちゃんと呼び、時折訪ねてくるのが神戸のお父ちゃんで、別に変だとも思っていなかった。叔父は感情の起伏が激しく、機嫌のよいと時は可愛がってくれるが、かんしゃく玉を破裂させると手が付けられず、周囲の者は遠巻きにして嵐が収まるのを待っていた。その矛先が私に向かってくる時がある。そうなると何を言っても無駄で、「ごめんください」「ごめんください」と泣きじゃくりながら謝っても殴り続けられた。
 小学校四、五年生のころと思うが、店の手伝いをしていた。「ぼんぼん、えらいな、よう役に立つな。旦さんが帰ってきはったら褒めてもらえまっせ」と奉公人たちにおだてられ有頂天になっていた。やがて叔父が店先に帰ってきたので、頭をなでてもらえるものと思い込んで走り寄ったところをいきなり殴りつけられた。出先で何か気に入らないことがあったのだろう。そのうっ憤のはけ口がしゃしゃり出た私だった。この心の傷は生涯消えることはない。
 結愛ちゃんのやりきれない気持ち、「おなかがすいた」と訴えても、盗み食いをしても折檻されるのがわかりきっているので、じっと我慢していたのだろう。空腹に耐えながらノートに書き綴った訴えの一部が先に挙げた一文のようである。両親、特に父親はこのノートを見たのだろうか、それでもなお虐待をつづけていたのなら、鬼としか言いようがない。
 戸籍上は甥のままで父親のもとに帰ることはなく叔父夫婦を看取った。反面教師のおかげか、穏やかに筋道を立てる人柄で過ごせたようだ。糟糠の妻と共に八十を超え私は米寿を迎えた。どちらかが老々介護になってもおかしくないのに、私はすこぶる元気で、うちのかみさんは栄養を考えた料理を作ってくれる。ピンピンコロリをモットーに精一杯生きていこうと思っている。
 老いの目に涙、日経のコラムを読み、遠い昔の思い出がよみがえってきた。

『悲しい出来事』

『悲しい出来事』 仁科 哲夫 作

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2018-06-10
Copyrighted

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