観光星

観光星

茸短編SF系小説です。PDF縦書きでお読みください

 今回は伊豆に来ている。温泉宿に荷物を置いてチェックインの時間まで、近くの山道を歩くことにした。紅葉を見ながらの山歩きほっとする一時である。都内のマンションに住んでいると、自然の中を歩きたくなる。
 山道から木々の合間を見下ろすと、小さな水の流れがあるのに気がついた。少し歩くと下にいく道が見つかったので降りてみる。
 木に囲まれた道を下っていくと、小石が敷き詰められた川辺に出た。流れの縁に立つと、ゆっくりした流れの底に石が浮いて見える。水ぎわの大きな石に腰掛けた。
 ときどき、流れの表面からぴちゃっと小魚が跳ね、銀色の鱗が光る。魚の名前は知らない。水の中を見ると、川底では小さな虫が石の間をちょろちょろと動いている。小さなカジカが小石の表面について尾っぽを揺らしてる。
 ぼーっとしていると、ぺちゃぺちゃと水をなめるような音が聞こえてきた。猫が水を飲むときにたてる音に似ている。何かがいるようだ。音からすると大きな動物ではないだろう。せいぜいイタチ、オゴジョ、テン、といった仲間ではないだろうか。
 私は気づかれないように、岩陰からそーっと音のするほうを覗いてみた。すると、牛乳瓶ほどの大きさの茶色い茸が、八つほど、流れに傘の部分を浸している。音はそこからでているようである。ということは茸が水を飲んでいるのだろうか。
 一つの茸が首をあげた。傘と柄の間から赤い舌がでている。
 やっぱり水を飲んでいたのである。
 これは茸ではない。茸の形をした動物である。だが、足がない。
 一つがぴょいと飛び上がった。
 跳ねているんだ。
 「旨い水だ」
 茸の一つがそういうと、みんな立ち上がって、ぽーんと飛び上がり、あっという間に空のかなたへ消えていってしまった。
 ますます頭の中がからっぽになって、何が起こったのかわからなくなった。こんな幻覚を今まで見たことがない。そこいらに生えていた植物の何かを吸い込んでそうなったのだろうか。他人が見たら、石に腰掛けた老人が、魂を抜き取られたように水際を見つめているといった構図だろう。
 幻覚以外の何者でもないはずだ。水を飲んでいた八羽の鳥が、自分に気がついて一斉に飛び上がったのに違いない。そう思うことにして立ち上がった。
 時計を見ると、そろそろ宿に入れる時間である。
 宿に戻るとチェックインがはじまっていた。鍵をもらって部屋に行くと、二階の、遠くに海が見渡せる大きな窓のあるいい部屋だった。
 食事の前に露天風呂に入り、部屋で備え付けのビールを飲むと、さっきの出来事などすぐに忘れてしまった。もう女房にも先立たれ、年金生活、一人暮らしをしていることもあって、気楽なものである。天気が良くて、体の調子も良いときにはふらっと一泊の旅にでる。手軽な散歩のできる温泉宿を探して行くのである。写真を撮るわけではなし、スケッチを楽しむわけでもなし、山や海の雰囲気と、空気を楽しみ、温泉を楽しむといったものである。
 いつも部屋でごろごろしているわけであるが、唯一の楽しみは、山歩きの時に拾ってきたものを、棚にきれいに並べて、そのときのことを思い出すことである。先日行った山の谷間では、きれいな緑色の小さな石を一つ拾った。蛇紋岩というらしいが、名前はどうでもよく、形が良くて、置いておくと綺麗ならいいのである。ここ伊豆の宿では、茸が水を飲んで、旨いと言っている幻覚、幻聴もあった。それも一つの思い出である。体の調子は悪くないが、頭の中が年を取ってきた証拠だろう。

 伊豆にいってから一週間ほど経つ。月曜日の朝、窓から明るい光が入ってきて目が覚める。開けてみると真っ青な空がせまってくる。
 今日は久しぶりに高尾山にいく気になった。住まいから電車一本で行くことができる。お握りをつくり、小さなリュックに詰めて出かけた。
 その日は滝の脇を通る道を登って頂上に向かった。高尾山にはいくつかの登山道がある。最近の高尾山は人気が高く、一般の道は普通の日でもかなり混んでいる。私の上るこのルートを利用する人はあまり多くなかったものだが、月曜日の朝早いうちというのに、ちらちらと人が登っていく。
 上まで行くと、頂上から周りを眺めて、大山方面に行く道に入った。そこは人気がなくよさそうであった。ちょっと歩いて戻るつもりだった。
 のんびり歩いていくと、道の山側の岩の間から、水が浸み出している。岩から出た水は小さな流れになって道の端を流れていく。きれいな水だ。飲めそうだ。持っていた半分に割った竹の筒をちょっと岩に差し込んだ。竹筒は水を受ける良い道具になるのでいつも持ち歩いている。水が竹筒を伝わって、チョロチョロと流れた。しばらく流しておき、手で水を受けて口をつけてみた。旨い。あまり硬くもなく、変に柔らかくもない水だ。もちろん冷たい。冷たい水が喉に流れていく。
 このあたりでお結びでも食べるかと、座れる場所を探すと、大きな木の根っこが張り出していた。腰掛けるのにちょうどいい。木に寄りかかるように腰掛けると、リュックから梅干とおかかの握り飯をとりだした。
 かぶりつきながら、差し込んだままの竹筒から流れる水を見ていると、真っ赤なトンボが筒の先に止まって、尾の先を水につけた。まさか卵を生むつもりではないだろうが、しばらくして飛び上がった。冷やしていたのだろうか。
 また、トンボが飛んできた。やけにずんぐりしたトンボだと見ていると、茶色の茸である。落ちてきたのだろうか。竹筒の先にうまく乗っかっている。やがて、ぺちゃぺちゃと音がする。あれ、どこかでこのような光景をみた。そう思いながら見ていると、茸が流れる水に傘を浸して動いている。赤い舌がちらりと見える。
 茸が水を飲んでいる。
 そんな馬鹿な。一端、目を景色のほうに向け、遠くの山並みを眺めて、もう一度竹筒を見た。やっぱりいる。茶色の茸は「旨い水だ」と言って、空にすーっとのぼって消えていった。伊豆で見た幻覚だ。
 食べかけのお結びを口に入れ、もぐもぐしていると、また、空から茶色の茸が落ちてきて、竹筒の先にとまった。水をペチャペチャ舐めている。幻覚が消えない。ちょっと怖い。
 お結びを飲み込むと、意を決して水のでているところに近づいた。
 茸は夢中になって水を飲んでいる。まだ映像は消えない。
 茸の背中の方からのぞき込むと、傘の先が二枚に割れ、唇のように動いて、猫のように赤い舌を出して、たらたらでている水をペチャペチャ音をたてて飲んでいる。
 ついつい「うまいか」と声をかけてしまった。
 すると、茶色の茸は傘を私の方に向け。
 茸はびっくりした様子も見せず、「うまい」と言って、すーっと空の上に上がっていってしまった。
 私が見上げていると、空のかなたで何かキラッと光ったが、茸は音もなく光に向かって、消えていった。
 これで二度目である。茸がペチャペチャと音を立てて水を飲むのを見たのである。今回は見間違うことはない、あれは確かに茸である。いや、確実に茸の形をしていた。それに水を旨いと言って飲んでいた。幻覚が長く続くのは良い状態ではない。誰かに相談をしたほうが良いかもしれない。だがな、病院通いになると、このような山歩きが出来なくなるかもしれない。人に言うのを躊躇している自分がいる。
 私はもう一度竹筒からでる水を飲んだ、確かに旨い。日本の水は旨い。だから日本酒が発達し、ウイスキーにしても質のよいものができるのである。と、ちょっと場違いの感慨にふけった。ともかく帰ろう。今度はどこか有名な水がでるところに行ってみよう。またあの茸に会えるかも知れない。三度目になると、幻覚ではない可能性が高くなる。のではないか、などと思った。
 結局、医者にも行かず、からだに関してはすこぶる健康に毎日を過ごしていた。

 正月を温泉で過ごすことにした。温泉というと、なんと言っても東北である。それに名湯がたくさんある。
 雪の中の温泉宿は格別である。仙台駅からバスで一時間ほどいった作並温泉にきめた。その中でも古くからある旅館を予約した。
 その年はあまり寒くなく、雪も少ないので、土の見える道を、バスはゴトゴトと進んだ。いくつかの旅館が建ち並ぶ中で、その旅館ははずれにあった。
 有名な広瀬川があり、その上流にある宿である。数年前、大きな地震があり、このあたりもかなり被害にあったようだが、その旅館はさほど影響を受けなかったという話である。
 若主人の話では、近くにはよく知られたウイスキーの蒸留所もあり、とても水のきれいなところだということだ。
 部屋に案内され、すぐに風呂にはいることにした、
 露天風呂は川に沿ってしつらえてあり、水の流れを見ながら暖まることができる。小さな露天風呂で、三人も入ると満員である。私一人しか入っていない。下を見ると大きな石の間を、緑色に澄んだ水がゆったりと流れている。冬でなければ水にはいると気持ちのいいところだろう。
 湯に浸かりながら、きれいな水の流れを見ていると、水の中から丸い物が浮きだしてきた。水の流れに流されることなく、ぽこっと水面に頭を出す。よく見ると茸である。また水面にでてきた。みていると、ぽこぽこと、十個もの茶色の茸が水面に現れると、流されることなく浮いている。なぜ流されないのだろう。不思議に思っていると、水面に頭をつけて、ペチャペチャと音を立てて水を飲み始めた。赤い舌が見える。
 やっぱり会えた。きれいな水のところに必ず出てくる茶色の茸。幻覚か。
 茸たちはエメラルド色の流れに頭をつけて、しばらく音を立てて飲んでいると、ポチャット音を残して空中に飛び上がり、すっと川面の上に浮かんだ、
 石の間から顔突き出して見ていた私の右足がすべった。ボチャンと音をたてて私は湯の中に落ちてしまった。
 あわてて体制を立て直して、顔をだした。そのとき、上を見た私はびっくりした。私の頭上に茶色の茸が浮かんで私を見ている。
 「旨いのかその水は」と声が聞こえた。
 「気持ちがいい」
 私は気持ちで答えた。
 「分子が振動している、きついのではないか」
 きついという言葉の意味がわからなかった。なにも答えないと、
 「きついという言葉がわからないようだが、その水にはいると、この星の生き物はどうなる」
 私の頭の中を読めるようで、そう聞き直してきた。
 「暖まる」
 「飲むのではないのか」
 「飲むこともある、いろいろな成分が入っている」
 「我々が飲んでも害がないか」
 「害になるかどうかわからない、あなたたちは誰だ」
 「そなたの、上にいる」
 頭の上の茸たちが宙に舞ったまま動いた。
 「茸たちか」
 「私らはこの星では茸というのか」
 「しかし、茸は話をしたり水を飲んだりしない。あなた方は誰なんです」
 私は湯につかりながら、再び茸たちに尋ねた。
 「私たちは旅をしている、たまたま通りかかったら、この星からいい匂いがした、降りてみると、至る所に旨い水があった、それで、しばらく、ここで観光することにした」
 「どこからきたのです」
 「言ってわかるかな、この星であることは違いがないが、次元が違うこの星だ、無限にある次元の中の一つの次元に属している、全く違う数理の原理によって存在する、あなたたちには想像できない世界だろう、次元が違うと同じ星だが名前だけではなく大きさ、形、構成、全く違うものがある、われわれは次元を旅行し、我々のいる時間はすべての次元で同調してすすんでいるので、元のところに戻ることができる」
 「ここは地球と言います」
 「そうか、異次元の地球は無数の形をとり、無数の中心となるものがあり、地球ではどうやらあなたがその中心となる生き物らしいが、私たちの星では、私たちが中心だ、私たちの星は、この星でいうと、水球といえるかも知れない、コアが水で、表面は土でできており、地球にあるような酸素を作り出す物が繁茂している」
 「植物ですね」
 「そういうのだな、そこに我々が、中心になるものとして、誕生した、生活の場を作り出している」
 「想像できない」
 「それはそうだろう、それが当たり前だ、いろいろな次元のこの星を訪ねているが、ほとんどは三次元以上の惑星だが、二次元しかない星は球ではなく、面しかない、厚みはなく、ただ広がりだけの意識が存在していた、もちろん立体形という概念がない。我々の存在とは違う、さらに一次元しかない星は、動くことのない意識しかない、それが宇宙の起源でもあるようだ、なにでできているのかさえ我々も想像できない」
 「むずかしいですね」
 「それで、我々の星では、水がコアにあるが、浸みだしているところは少なく、旨い水があまりない、そこで、次元を旅して、旨い水のあるところで楽しんでいる」
 「四次元の世界は同調しながら、異次元へ旅行ができるということですか」
 「なかなかうまいことを言う、地球はかなりすすんだほうだな」
 「私にはむずかしい、湯に浸かってのんびりできればそれでいいんです」
 本当に私にはわからなかった。同時に存在する宇宙の間を行き来するなどというのは、空想科学小説の世界である。
 「そんなに、その水はいいのか」
 「体温を必要とする我々には、暖かくて気持ちがいいのです」
 「ウン、なかなか旨い説明の仕方だ」
 空中に浮かんでいた一つの茸が降りてくると、私の目の前で、柄の先を湯に浸した。
 「分子の動きが激しいから、ちょっとちくっとするが、悪くない、害になる物もなさそうだ」
 ほかの茸が言った。
 「飲んでみろよ」
 その茸が傘を湯に浸すと、ぺろっと赤い舌をだした。
 「ひゃ、何とも言えない、癖になるかも知れないが、ためしたらどうだ」
 その茸がそういったとたん、空中でふらふらしていた残りの茸がすーっとおりてくると、ポチャンと湯の中にもぐった。
 あれっと湯の中を見ると、茸たちが露天風呂の底で、ふらふらと揺れている、やがてすーっと水面に昇ってくると、私の周りから、茸たちの頭がポコポコと現れた。
 「ふーむ、チリチリする、気持ちの良いものだ」
 私はたずねた。
 「チリチリすると言うのは、暖かいということじゃないですか」
 「地球では暖かいというのか、太陽の光を受けると、チリチリすると言う、それは暖かくなると言うのか」
 「そうです、地球の中心は燃えている、その熱で水が暖まったのが温泉です」
 「そうか、面白いな、いい観光星だ、旨い水があるし、チリチリする水もある、きっと、みんなも来たがるだろう」
 そういうと、茸たちはぽこぽこと湯からでて、宙に舞い、上空に上っていった。
 番頭さんが露天風呂の入り口から顔をだした。
 「お客さん、大丈夫ですか」
 「あ、大丈夫です、もうすぐでます」
 「いや、大丈夫なら、ごゆっくり、でも、入られて一時間もたつんで、主人がみてこいといったもので」
 番頭さんは安心したように戻っていった。

 それから、いろいろなところで、茸と出くわすようになった。明らかに、観光星となったようである、あの茸たちは観光旅行社でも立ち上げたのではないだろうか。
 ある日、私がマンションの隣の公園のベンチに腰掛けていたら、植え込みの中をぞろぞろ歩く茸たちをみた。その先頭にいるのが、どうもあの温泉で、最初に湯に傘を浸した茸に似ている。傘の縁に二つの黒子があった。
 もしかすると、幻覚かもしれない。まだ、誰にも相談していないが、体の調子は悪くないし、幻覚にしても何も悪さをしていないので、放っておくことにした。
 

観光星

観光星

茸の形をした異星人が地球の水を飲みに来る。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-06-08

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