もう、春は来ない’
身内とお互いの小説をリライトしあうという遊びをしました。
ここにあるのは私がリライトしたものです。
(しかもついでに即興小説の同じテーマを選びました)
『もう、春は来ない』 頻子さんが書いた元小説はこちら(即興小説へ)
http://sokkyo-shosetsu.com/novel.php?id=229283
栖王ヴァルハラ3丁目 頻子さん
http://subara3.gonna.jp/
『もう、春は来ない’』
――もう春は来ない。
誰もがそう思い始めた。
しかし村の端に住む、農夫のアスランは違った。他の誰が諦めても彼は春を待っていた。
春が来たら堆肥を、肥料を、もみがらを、たくさん抱え切れないほど用意しよう。それを畑に埋めて、耕して、水をやって。
アスランはそんな事を夢見ていた。
そこに畑でクマに会うことを恐れていた男は居ない。
最初の頃、余裕が有るうちは「春になったらあのクマ野郎に小さな野菜の切れ端でもやってやろう」などと考えていた。しかし、今はその小さな野菜の切れ端を食べて命をつないでいた。ほそぼそとした蓄えはもうほとんど尽きかけていたのだ。
そうしてアスランは追い詰められ、一番気持ちが高ぶった時、勢いに任せてカレンダーを暖炉にくべてしまった。
そして脳裏に一つの考えがとうとうよぎってしまった。
――もう春は来ない。
その日、トレイラー夫人は樫の木のイスを選んだ。
イスは元は棚であった。夫人の死んだ夫であるトレイラー氏がある日突然棚をばらして、そうして手に入れた木材で作ったイスだった。
行動力は人一倍あったトレイラー氏だが、どうやら大工の才能に恵まれなかったらしい。
出来上がったイスは古材を元にした事を差っ引いてもひどい出来であった。でこぼこでささくれだったイスは座った途端に体中にアザを作りそうだった。
出来上がった椅子を見てトレイラー夫人は一生懸命ヤスリをかけた。こんなものを家に置くわけにはいかない。これに座った子どもたちの姿が、そしてけがをする子どもたちの姿が目に浮かんだ。
一日中慣れない手つきで磨いて、何とか満足する位になった。
こうして夫婦二人の手で生まれたイスずいぶんとマシなものに見えた。
子どもたちは喜んで椅子で遊んだ。来客は体を預けてゆっくりと休んだ。トレイラー氏本人が腰掛けることもあって、気難しい氏がその時ばかりは優しい顔をした。
トレイラー夫人は夜にこっそり、誰も居なくなってからは日がな一日中椅子に座った。ぎこぎことした音がまるで子守唄のように心地よく聞こえた。
どこもかしこも不調ばかりの椅子。
薪が無くなった時最初に壊す家具として最も相応しいだろう。
それでもトレイラー夫人は屋根裏に閉まってあった本棚を選んだ。
次は玄関の脇に置きっぱなしだった傘立て。次は台所で使っていた小さな裁縫箱。やがて夫のお気に入りの絵の額を燃やした。
そして今日、椅子の番が来た。
トレイラー夫人は斧を振るう。
椅子は大きな音を立ててヒビ入り、続いて打ち込まれた二発目で真っ二つに割れた。折れた所がガサガサに毛羽立った。
イスだった薪はよく燃えた。
――もう春は来ない。
冬が来るまで、いや、冬が終わりに近づくまで人々はただの少しも頭に浮かばなかった。
秋が終わって冬が来てやがて春がくる。
おじいさんのおじいさんの、そのまたおじいさんの。いくらでも遡れるくらい続けられた約束事は 余りに当たり前すぎて、疑う余地がなかった。
冬が居着いてしまった大地に、春はいつか来るのだろうか?
もう、春は来ない’