ゆめうつつのうみ
視界はほどほどに良好である。地球の振動、重力を受けて絶えず流れ続ける水の中で、亡骸たちは沈黙していた。
はるか天上でゆらゆらと燃えているあの星をもってしても、この水底に届く光は僅かだった。
その僅かな光だけをたよりに、私は目の前でからころと転がったりぶつかり合ったりしている数十の海胆たちの亡骸を、悼み、眺める。それがわたしにできる唯一のことだった。彼らのたましいがもうここには無いということを、私は知っていた。そう思うことしか私には許されていないのだ。こつん、こつん、と長くて黒い棘が危なげにぶつかっては離れる。その摩擦が奏でる音と、わたしの鼓動。水底で地球が呼吸する深くて重たい、管楽器のようなふるえ。それだけで満たされているここはどこかの海底で、わたしはわたしを認識する。
ふいに視界が翳る。雲が出てきたのか、それとも大魚の群れだろうか。わたしは慌てて、この子たちを守ろうとーーなぜそう思ったのかはよくわからないがーー手を伸ばした。生ぬるくまとわりついてくる流れがくすぐったくて、思わず笑ってしまう。けれど伸ばしたその「手」に、次にやって来たのは容赦のない痛み。続けて不安定な鼓動が襲ってくる。棘に痛みがあることを、どうして私は知らなかったのだろう。それなのにどうして私はこの「手」のくすぐったさや痛みを、知っているのだろう。ーー私は。何かとても大切なことを隠している、そんな気がして鼓動がまたおかしなリズムを刻んだ瞬間、視界が大きく揺れた。海底に積もった砂がさらさらと舞い上がり、海胆たちも最後の別れを惜しむみたいに哀しげに、こなたかなたへ散ってゆく。先ほどの陰りはどうやら本当に大魚の群れだったようで、私たちよりもずっとあの赤くきらめく星に近いところで、雲みたいに大きな魚が泳いでいた。
ーー鳥になりたかったなあ。私は散り散りになった海胆たちのことなど遙か昔のことだったみたいに忘れて、そう思った。鳥になれたら、私の大好きなあの煌めく太陽の近くへ行って、そこからこの広い広い海を小さな瞳にすっかり閉じ込めてしまうことができただろうに。そんなことができたらどれだけ素敵だろうと、私は思った。今この瞬間、確かにそう思ったのではなかったか。
紺碧の空の中で羽ばたいて、でき得る限り太陽の近くから見た海は、青というよりは灰色に近いけもののような色だと思った。そのけものは白い光線をいっぱいに浴びながら、さあさあと波を震わせて、私を呼んでいたのだ。あの日。そして私は、太陽の熱にうかされたみたいに、どうしてもどうしても、この海のぜんぶが欲しくなってしまった。だからさよならしたのだ、私の太陽と。
初めて触れた「海」は凍えるほど冷たかったけれど。ひんやりとした軟らかな手に包まれる心地は天にも昇るようなほどで、私は沈みながら深い深い眠りに落ちた。最後に瞳に刺し込んできたのは、あんなに熱かったのにナイフみたいぎらぎらとした、太陽の冷ややかな視線だった。
忘れていた。私が何であったのか。愚かでちっぽけで、白くてふわふわな羽だけが取り柄の、みじめな鳥ではなかったか。
私が私をすっかり思い出してしまった今もなお、言葉なき海胆たちの夢を私は見続けている。
亡骸は何にでもなった。珊瑚にクジラ、ウミウシに烏貝。どんなに小さくても大きくても、夢の中で彼らは必ず死んでいた。
だから私は、手を伸ばして彼らのたましいを悼むことしかできないのだ。
いつか私がほんとうに目覚めることはあるのだろうか。もしもこの身勝手な欲望を許されることがあって、目覚めることができたのだとしたら……。それはきっと月夜でしかあり得ない。裏切り者の私があの星の煌めきに触れることは二度と許されていないのだと、それだけは確信している。
これが夢ならいいのにーー。何百回目かの「眠り」の前、そんなことを思った。
誰かの夢で私は、あの海胆たちの、クジラの、貝の中で真っ白な羽を畳んで安らかに眠っていてくれたら。
そんな馬鹿げた夢想を断ち切るように、私はゆっくりと目を閉じた。
ゆめうつつのうみ