夜明け前
お世辞にも都会とは呼べないこの街の午前四時は眠っているというより死んでいるといったほうがしっくりくる。冬の夜明けはなんだかはるか遠くにあって、街灯と、ときおりもう活動を始めているらしい窓から漏れる明かりだけがいま頼りだ。昨日積もったふわふわの雪々は夜のあいだ一気に冷やされ凍ってしまって、がりがりがりがりと私のブーツはそれを踏みながら進むのだけれどいつの間にかその踏み心地は快感となってしまっているのでなんの躊躇いもなくまた今日もがりがりがりがりとやっている。雪解けの染み込んだコンクリートほど退屈で憎らしいものは無いと思う。黒々としたコンクリートのうえの無数の真っ黒なすき間に溶け出したその瞬間からもう地上のものと相容れることのなくなってしまう雪が私には不憫でならない。
だから上を向いてみるのだけれど、そうしたところで空もまだ眠ったままだから、死んだコンクリートと眠ったお空なんていう悲しい組み合わせから目を逸らすためにもがりがりに固まってけれども確かにしたたかにそこに存在する氷を自分の脚でざくざくと踏んでゆくという行為はやっぱりやめられないのだった。あんまりざくざくに集中しているといろいろなことを忘れてしまうのでそのこと自体を忘れてしまわないようにすることがとても大切なことだった。たとえばいま寒いこと。いくらもふもふの手袋をはめてマフラーを口元まで引き上げて歩いていても風が強い日ほど防寒着など意味を為さないみたいに風は私の身体をすり抜けてゆく。ほんとうは鼻のところまでマフラーをひっぱってきたいのにそうすると吐き出した二酸化炭素がどんどん空気に触れてしまってマフラーが濡れてしまうからそれができないのだ。濡れたマフラーなんてまっぴらごめんだ。
だから、ほんのちょっと忘れていたけれど零度を行ったり来たりしている空気のせいでいまとても鼻が痛むということ思い出してしまう。呼吸するたびにつうつうと鼻の奥が痛む。私はこのいたみが大嫌いだ。
それから忘れてしまうことと言えば時々車が通ってゆくこと。夜明け前の街は死んでいるはずなのだが車はしばしば私の横を通り過ぎる。それだけならば問題は無いのだけれどあんまりざくざくに夢中になってうっかり車道を車道と気が付かずに歩いていることがあると、運転手さんをたいそう驚かせてしまうらしいのでそのことにも注意が必要だった。私も私で足元の氷ばかり見ているから突然すぐそばで大きなエンジン音が轟いたり大型の車の場合なんか地面ががたがたと動くのでさすがに驚いて足を止めたりするのだけれど、そういう時に空が白み始めたことにうっかり気が付いてしまうともうだめだめなのだ。私は私の意思でもってこのざくざくを終了させなければいけない。
真っ暗で黒々としたグロテスクともいえる街中を歩いて歩いて、ざくざくを堪能しきって満足したところで漸く足を止める。
その頃にはもう体温も程よく上昇しており、冬だというのにコートのしたにうっすらと汗をかき心拍数も上がっている。そうして大きめのため息をひとつ吐いたところで、ぐるりと視界を一気に上向きにさせるのだ。見えてくるのはいつ来てもひっそりとした神社へ続く石の階段と、そのさらに上には薄い雲の後ろでしゅるしゅると輝いているたいようで、たいようは「今日もよく歩いたね」といったふうに私を見下ろしている。
その頃にはもう、街のほとんどが死から呼び起されてい、忘れていた喧騒もごうごうと私の耳に入ってくる。夜明けとともに終わりをむかえるざくざくの終着点はこの小さくて静謐な神社へと続く石段で、たいようを一瞥してからうーんと背伸びをして、よっこらよっこらと石段を登ってゆく。
石段を登り切った私を出迎えてくれるのは優しげな顔をした二匹の狛犬で、ただいまあ、と二匹に呼びかけてから、お賽銭箱を横目に境内へ上がって、あしたのざくざくへ向けて入念に、ふかいふかい眠りへと落ちるのだった。
夜明け前