えびかに夢想

――俺さ、甲殻類アレルギーなんだよね。
そう言って隣に座った男は、つまみとして出されたかっぱえびせん  梅味の入った白い小皿を私の方へ寄越した。なんとかえびの形になろうとしているがおよそえびに似ているとは言い難い、何かの部品みたいな形のスナック菓子が盛られた白い小皿。カウンターの向こうで、会話を聞き取ったらしい店主がハッとした顔でこちらを見る。頼んだのはもちろん私だ。飲み屋で好物のかっぱえびせんがつまみとして食べられるなんて、物珍しくてつい注文してしまったのだ。
「ごめん、知らなかった」
「伝えてなかったの俺だから、気にしないで。それぜんぶ食べてもらえる?」
「そりゃあ、食べるよ。頼んだの私だし。好きなんだよね、かっぱえびせん」
知らなかったとはいえ若干の申し訳なさを感じる。自分はといえばアレルギーとは無縁の人生を送ってきたので、配慮の足りなかったことを少しだけ恥じた。ただ、隣の男がこういう経験を度々しているのだろうということは、彼の話しぶりからなんとなくわかった。
「じゃあ、カニとかも駄目なんだ?」
「そうそう。高級食材なのにさ、損だよね」
「美味しいのにねー、残念」
言いながら、無造作に積み上げられたえびせんを3匹ほどつまんで食べる。そして生ビールでそいつらを押し込む。どことなく羨ましげに自分を見つめる男の顔を横目に、私はその連続した動作を繰り返していた。数匹のかっぱえびせんと、麦酒。その合間に、いくつもの他愛もない会話を挟む。
男と知り合ったのはごく最近のことで、こうして食事を共にするのも両手で数えられるほどしかない。高級レストランでもお洒落なカフェでもなく(そのどちらでも一緒に食事をしたのだが)、飲み屋街にあるごくありふれた居酒屋でも気兼ねなく会話を楽しめる。そんな男だった。
酔いが回ってきた頃、男が突然「あのさ、」とそれまでの会話では見せなかった神妙な顔で話し始めたので、何か深刻な話でもあるのかと身構えた。
「あの、さっきのアレルギーの話なんだけど。小学生くらいの頃は普通に食べてたんだよね、えびせんとか寿司とか。カニは結局食べずじまいだったんだけど」
「え?  そうなの?」
確かに男も酔い始めていたが、何故いまこのタイミングでそんな話をするのだろう。急に頭の中が?でいっぱいになる。何故、いま、そんな裏話を。
「海老なんか大好物で、しょっちゅう食べてた。それがさ、中学生の時に突然アレルギーになって。原因はよくわからなかったんだけど、今えびせんを見ててふと思い出したんだ。……そういえばあの頃、変な夢を見たなあって」
「夢……?  それが何か関係してるの?」
男があんまり真面目な口調で話すので、思わず相談を受けている時のような話し方になってしまう。何を言っているのかよくわからないが、男の言う「変な夢」には妙に興味を惹かれた。
「海辺を歩いてたんだ、夢の中で」
そう始まった彼の夢の話は本当におかしなものだった。
誰もいない見知らぬ海辺を歩いていたら、砂浜に落ちていたのだという。数匹の生きた海老が。特に不審に思うこともなく、それを拾おうと手を伸ばした。そうしたらいきなり海の方でバシャバシャと音がする。驚いて顔を上げると、人と同じくらいの大きさの蟹が、ハサミを掲げながら彼の方へ近づいてきたという。慌てて走って逃げると、冗談みたいな大きさのハサミで器用に、先ほどの海老をつまみ上げて食べ始めた。あっという間に小さな海老を食べきると、今度は自分の方へ目玉を向けてきた。ぎょっとして立ち尽くしてしまった彼は、逃げ出す際に咄嗟に落ちていた海老を拾っていたらしく、右手で海老の尾を掴んでいることに気付く。巨大な蟹がこれを狙っているのだと察すると、叫び声を上げながら海老を蟹の方へ投げつける。奴がそれに夢中になっているうちに死にものぐるいで砂浜を駆け、気が付いたら目が覚めていた。
それが彼のいう「変な夢」のおおまかな内容だった。
「なに、それ。それが原因でアレルギーになったっていうこと?」
「ううん、まあ、あり得ないんだけどさ。今まで忘れてたくらいだから、よっぽど怖かったのかもね」
「いやまあ確かに、なかなかスリリングな夢だけど」
「あんなに好きだったのに、アレルギーになってから海老を見るのも駄目になっちゃって。もしかしたらあんまり俺が海老を食べるから、怒ったのかな、って」
――誰が?
「あの馬鹿みたいにでっかい蟹が」
男の真面目な顔つきと話の馬鹿馬鹿しさがあまりにミスマッチで、一人で声を上げて笑ってしまった。そう言えば好きなものを食べすぎてアレルギーになってしまった人の話を聞いたことがある。きっと彼の場合もそのようなものなのだろう。夢の話についてはよくわからない。
「ごめん、ちょっと面白すぎて笑っちゃった。タイミングの問題なのかなと思うけど、偶然にしては怖い話だね……」
「こっちこそ変な話しして、ごめん。何か突然思い出して。何にせよ、好きだったのに食べられなくなったのは痛かったなあ」
ふたたび羨ましげそうな顔で、私の食べかけの小皿を見つめてくる。こんな話を聞いてしまったせいか、もう2匹しか残っていないそれを、私はどうしても食べる気になれなかった。
それからまた他愛もない話をして、いい時間になったたところで店を出た。晩秋の木枯らしが火照った体に心地よい。その日はお互いになんとなくそういう気分になったので、そのままタクシーで近場のホテルへ向かった。
行為のあとすぐに眠りについてしまうのが男の癖らしい。体を丸めて寝息をたてる男をしばらく眺めながら、今日の会話を回想する。例の夢の話が頭のすみに残っていてあまり集中できなかったことを明日の朝にでも謝ろうと思いつつ、私も目を閉じた。

気が付いたら、私は川辺を散歩していた。目の前には大きな林が広がっていて、街からかなり離れたところにいるのがわかる。足元には小石がじゃらじゃらと広がっていて、ハイヒールで歩くにはいささか酷すぎた。ふと、石の隙間で何かが動いた。屈んで見てみると、立派な大きさの海老がのそのそと小石の間をぬって歩いている。
思ってもみなかった光景に唖然として、えっ、と口に出すのと同時に、すぐ後ろの方で水しぶきの音。次いで何かの気配。振り向くな、振り向くな、と言い聞かせるものの体は言うことを聞かず、屈んだ姿勢のままついに振り向いてしまう。
あいつだ。あの、器用に海老をつまんで食べていた、馬鹿みたいにでっかい蟹。

「うわっっっ!」
自分の叫び声を聞き終わって、ようやく薄暗い部屋のベッドにいることを思い出す。息が荒い。今の夢は。思い出すのも嫌だったので近くに置いたミネラルウォーターを飲み干した。
「なに、何かあった?」
起こしてしまったらしい。まだ夜中の三時だった。
「いや、なんか、仕事にすんごい遅れる夢見ちゃって。びっくりしただけ」
「あるある。休みだから、二度寝しとこう」
「うん……おやすみ」
咄嗟に嘘をついてしまったが、夢のことを話すのは憚られた。たかが夢だ。何てことはない、彼の話があんまり印象的だったから、それだけのことだ。
それから何日か経って、私は男と回転寿司屋に来ていた。席に座るやいなや、男は興奮して話し始めた。
「聞いて欲しいんだけど、また食べられるようになったんだ、海老」
「うそ」
「ね、驚いただろ。自分でもよくわからないんだけどさ、あれから何となく気になって、食べてみたんだ。そしたらぜんぜん平気なの」
嫌でもあの夜のことを思い出す。私はあの日から、かっぱえびせんもカニクリームコロッケも口にしていなかった。
「変な顔になるのも仕方ないよね。俺の奢りだから、好きなだけ食べてよ」
「うん……」
そうして運ばれてきた蒸し海老や甘海老の寿司たちを、私が口に入れるのに結局1時間近くを費やした。男もかなり不思議がっていた。こんなに緊張しながら寿司を食べることはもう無いだろうというくらいの緊張の中、震える箸で口に運んだ蒸し海老。思い出すな、あれは夢だ。何度も心の中で繰り返してから、咀嚼する。

――その後のことは、皆様の想像に任せることにしようと思う、

えびかに夢想

えびかに夢想

迫り来るえびかに

  • 小説
  • 掌編
  • ホラー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-06-02

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