月夜の子供たち

月光が水面に絡めとられながらきらきらと月の声を響かせている。月の声は僕らの、子供たちの声。子供たちの声は無数のあぶくとなって、月に照らされた木造の小さな校舎の、ひとつの教室を埋めつくす水の中に溶けていった。
「今日は月がいっとうこの星に近くなる日ですから、私たちの身体もこうして、水の中で人のかたちを細部まで象ることができるのです」
先生――人々はものごとをよく知っている歳上の存在のことをこう呼びたがる、と教わった――のかたちを上手に模した僕たちのあるじがそう話した。「学校」の真似事は突如始まった。僕たちはそれが始まるまでは、ただの月の声(子供たち、と月では云われている)でしかなかった。
月の引力が、なぜだかこの古びた校舎の中に水を運び入れているということを最初に見つけたのは先生だった。水は、どこからともなくあらわれ、廊下を、階段を、教室を埋めつくすのだが、絶対に外へ出ることはない。月のちからが強い時ほど水は上へ上へと上ってゆき、弱い時などは人々の身体の半分の高さにも満たないので、そういう時はまた僕たちは別の生きものの真似をするのだった。
「今日はこんなにはっきりと人の真似っこができるね。僕は嬉しいな」
「こんなに月のちからが強いのは久しぶりだものね」
「みなさん上手にかたちを作ることが出来ていますね。今夜のように水がたくさん上ってくる日でなければ、私たちは人の真似がうまくできませんから」
先生は黒板の前で僕たちを見渡すように静止している。先生ほど象るのが上手でない僕たちは常に水の流れに負けてしまうので、足元はおぼつかない。何人かの子供たちは静止することを諦めてふわふわと教室を漂っている。夜なのに、強すぎる月の光が泡の中を通り抜けて僕たちに届いているから、教室は淡いレモン色の光に満ちていた。
「みなさんせっかく久しぶりに人を象ることができたのですから、今夜は好きなことをして過ごしましょう。ここは『学校』ですから、みなさんが楽しめるものがたくさんあります」
先生がそう言うと子供たちはみは心踊らせて喜んだ。ここでしか、この限られた月夜の時間でしかできないことが無数にあるのだ。
「僕は月の絵を描くことにするよ、君は?」
「私はみんなを集めて歌をうたうわ。この声とっても気に入っているの」
「本を読むのも面白そうだな」
みんなが一斉に喋ったり泳いだりするので教室はいっそう揺らめいて、教室そのものがひとつの星であるかのように煌めいている。
僕は先生と一緒にみんなのところを回って、すこしでも今夜のことをこの眼に――といってもあと数時間後にはこの身体は消えてしまうのだ――焼き付けようとした。
音楽室で少女を象った子供たちが何人か集まって歌っている。月の声とはまったく異なった美しい音と音の連続、その重なりと響き。音程によって重さも違う、それらを乗せた泡が自由に水中を泳ぐさまは美しい模様を描き続けている。
「美しいですね」
「はい、次にこんな景色が見られるのはいつになるのだろうと思うと僕は泣きそうになります」
見とれていると、上昇する泡の流れがぴたりと止むのがわかった。
「あっ」
先生も慌てた様子で声を上げた。
「もう時間のようですね」
「みんなに伝えてきます」
僕は大急ぎで校舎の中を駆け、そろそろ月のちからが弱まる時間だということを伝えて回った。そうしている間にもみるみる水はどこかへ流れてゆき、僕たちのあたまを、肩を、腰を、脚を浸したかと思うと、最後の一滴が消滅する音が確かに聴こえた。
僕たちはもう、ただの月の子供たちでしかなく、先生も僕たちのあるじに戻っていた。すでに月へと登っていく先生は僕たちを呼び寄せ、光の中に僕たちを溶かしていった。
月に戻った僕たちが月の声でする会話の内容はもっぱら、次はいつあの校舎に行けるかということばかりなので、先生にしょっちゅう叱られるのだった。

月夜の子供たち

月夜の子供たち

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-06-02

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