*星空文庫

ふじょ☆ゆり 番外編 サンプル

玉置こさめ 作

  1. こわがらせ
  2. ねだる子供
  3. トロイメライ
  4. 鬼ごっこ
  5. はなことば
  6. しるしなき
  7. かみさびる
  8. あかあかと
  9. あめあがり

こわがらせ

畳の上に散らばっているものがその人の髪だと理解した瞬間、侍女は絶叫した。

「きゃあああああ!」

 ある尼寺の広い応接間。
 そこは法事のために訪れた人たちを迎え入れる待合の一室。
 本日はそこに詰めて住持を待つ人たちはいない。その予定はない。
 室内には女性たちのために服装を確認できる大きな姿見が置いてある。
 その前にぺたりと座って工作用の鋏でざくざくと髪を切っている小さな子供の姿があった。
 まだ十歳の幼い子供だ。
 その暴挙に、世話役を仰せつかっている有子が嘆くのも詮無いことだった。
 斧田有子は現在豊泉女子高等学院中等部の生徒だ。
 身を寄せている豊田家の寺にいる間は跡継ぎである姉妹に付きっきりである。
 あしほとしのぶの姉妹を同校付属の小学校に送迎するのもその役割。しかし、今日は迎えに行った先にしのぶがいなかった。
 先に帰宅したと通りがかりの児童から聞き出した。
 慌てて寺へ帰還したところこの顛末が待っていた。
 有子の悲鳴にも無反応で、長女であるしのぶは髪を切り捨てていく。
「しのぶ様! おおおやめくださいいいい!」
 学生鞄を放り投げて、有子は駆け寄る。
 尚も刃をすすめようとするその手から鋏を素早く取り上げた。
 あっさりとしのぶはそれを許した。警戒していなかったのだ。
「何をお考えです!」
 奪われたその方を見上げ、しのぶは瞬きする。
「何が」
「な、何が、ではありません…」
 有子はぞっとした。
 しのぶのいたずら、奇行は幼い頃から悩まされてきた。
 しかし、これは度が過ぎる。
 いたずらするときの嬉々とした雰囲気がない。
 ただひたすらな無表情。
 まるでそれが義務で正義だといわんばかりの奇行の断行。
 何か、あったのだろうか。
 ほっと吐息して、有子は彼女のそばに正座した。鋏は背後に置く。
「どうなさったんです」
「返せ」
 すぐに返してくれるものと、それがあたりまえだと言わんばかりの様子でしのぶが手を差し出した。
「う。い、いけません」
 あまりにまっすぐに自分を凝視する。有子はたじろぎながらも断る。
 どうにも、この豊田の長女の視線の迷いのなさには近頃迫力が備わりつつある。まだ幼いものをと思っていたが、その性質と気質に逆らえない己を有子は自覚していた。だからこそ態度も強いものになる。
「理由を…理由をおっしゃってください。急に御髪を自分で切るなんてどうかしています」
 しのぶの髪は長い。
 やがて剃髪することを定められている少女には今のうちに華やかな装いをさせておけと父の凪が云うのだ。つまりは彼の好む髪型だった。そこに母親の面差しを探しているのだろう。
 内面はまったくその母親に似ていないことは誰にでも明白なものを。
 それでもこんな唐突な断髪には驚かされる。
「髪を切らないと伸びる」
「有子はごまかされませんわ」
 無表情な小動物に、有子はきちんと対峙する。
「どうして今この瞬間…学校を早引きしてまでそんなことをなさるのです」
「褒められた」
 端的な回答に、有子は沈黙する。
「……は?」
「褒められたんだ。立川先生に」
「立川先生…」
 しのぶのクラスの担当だ。
 春から赴任したばかりの若い男性だ。
 寺の経営する学校であるからには縁者が教員を務めるのも珍しくはない。
 しかし彼は豊田との縁は薄い。
「な、なんとおっしゃられたんです…」
「……」
 しのぶは押し黙った。俯いたその頬に陰影が生じる。
 まだ幼いながら手の触れがたい神性の感じられる面差しだ。
「ま、まさか、あの教員、ロリコンっ…!? 何をされたんです!? 何をされたんです、しのぶ様おっしゃってください、私が今すぐ退治してくれますお願いします黙らないで黙らないで怖すぎますうううううう!」
 泣き叫びながらしのぶの肩をがくがく揺さぶる。
 しのぶは静かに顔をあげた。
「髪がきれいだって」
「え?」
「髪がきれいだって言われた」
「……」
「わかったら、返せ」
 黒板の問題はといたんだから席にかえっていいだろうと言うような自然さだ。思わず返しそうになったが実際には納得の出来る回答ではなかった。それどころか謎は深まるばかりだ。
「いえいえいえ、返すわけに参りませんわよ? そ、それが、どうして、そんな行動につながるんです」
 そんなこともわからないのかというようにしのぶは口をとがらせた。
「いやになったからだ」
 そしてまた手を差し出してくる。
「いえ、返す前提でさっきから話されていますけれども!」
「私の髪がきれいだという言葉が理解できなかったし嫌悪でいっぱいになった」
 具体的に少女はそう繰り返した。
 嫌悪。
 そう告げた。
 有子は恐慌状態に陥る。
「やややっぱり何かされたんですわね!? でなければ理屈にあいませんわ! 今すぐ訴えてやります、あのロリコンっ…」
 いきり立つ有子の脇に素早くしのぶが手を伸ばしたのはそのときだ。
 有子ははっとしてその腕を掴もうとする。
「いけません、しのぶさっ…! ……!」
 鋏を守ろうと広げた腕を、しかし、まっすぐに捕らえられた。
 まだ小さな体躯を精一杯に緊張させて、その体重で自分の体が背後に傾ぐのを有子は覚えた。
 どさりと小さな体に畳に押し付けられて仰臥する。
「しのぶさ…」
 声が途切れる。
 見上げたとき。
 その少女の表情を、何と呼ぼう。
 この顔を忘れることはないだろうと有子は思った。
 しのぶは何も言わなかった。
 けれども、わかった。
 ああ。
 本当に、たったそれだけの。
 何もされなくても、その一言、それきりが、そんなにもいやだったなんて。
 わかりました。
 よく泣かずに我慢しました――そう言ってあげたいと思った。
 できなかった。
 できるものではない。
 その嫌悪は正しくないと知っている。
 そんな顔をすることはないではないか。
 自分の前で、そんなに無防備になるなんて。
 いけない。
 この人はただの子供ではない。
 いずれはこの寺を、この寺の仕組みを背負う人だから。
 肯定しては、いけない。
「有子が…」
 ただ、告げる。
「有子がきれいに整えて差し上げます。もうどなたにも褒められたりすることのないよう、短く」
 しのぶの肩がわずかに揺れた。
「それでしたらいいでしょう?」
 微笑してみせる。

 小さな後継者は、ひとつ、頷いた。

ねだる子供

妹に見せられない姿はいくつかある、と近頃思う。

 豊田しのぶはぼやいた。
「この手の集いに華やかな装いで、というのは矛盾しているな」
 黒塗りのストレッチ・リムジン。わざわざお抱え運転手つきのお出迎えだというのだから、面食らった。
 たかだか宗教関連の講演会のあとの夜食会に、ドレスとリムジンでご招待とはどういう大判振る舞いか。しかし、教員免許取得の過程で世話になった恩人が、深く関わっているとなっては断れない。事業の上でも利点がありそうだ、と、判断した。
 そうして迎えにきた車の後部座席にいる。深く沈むシートにもたれ、講演会の資料を今更めくっている。実際には登壇を依頼されていたが、学生の身分だからと断ったものだ。せめて会食に、というので、都合をつけた。
 スリーブドレスにストレッチパンツ。ドレスにプリーツが入っているので華やかさはあるものの、今のところの顔つきは完全に仕事中の表情だ。襟元の柔らかなリボンがアクセサリーの役割を果たしているが、今は少々うっとおしいとすら思う。
「おまえは来なくても良かったのに」
 高校を卒業し、しのぶはそのまま尼僧となる約束を反故にした。
 今は家と関係しない大学に通いながら、商売に手を染めつつある。
「そうは参りません」
 隣に当然のように座っている有子は、対照的に透け感のあるレースドレスだ。胸元にシャーリングが効いているので、優美な女性らしさがある。羽織っているボレロも薄手のレースタイプで、非常に愛らしい。
「しのぶ様が失礼なさらないよう、あかし様から言いつけられております」
 正直に監視役であることを述べる。
 しのぶは笑う気にもならない。
「あかし様あかし様あかし様…」
 繰り返し呟いて揶揄する。
「何ですの?」
「別に」
 有子は作り笑いで気付かないふりをする。
 それなら、黙っていようと思う。視線を窓外に転じる。
 運転手は先方の寄越した者。せめて、下調べして迎えは不要と断っておくべきだった。
 運転免許は取得したばかりだが、車を転がすのは好きなのだ。自分の車で行くことを伝えておけたなら、もう少し開放的な気持ちになれていたかもしれない。
 緊張しているのかもしれない、とも思う。
 社交の場には慣れつつあったが、今日の集まりはつながりの薄い者の方が多い。
 だからこそ、向かうわけだが、こうまで豪奢な迎えを寄越すとは思っていなかった。
 そういう集まりなのだろう。
 生臭い連中だ。
 挨拶程度に済ませて戻ってくるのがいいだろう、そう感じていた。
「私の付き添いがご不快でしたら、商売も通学もよしてお寺に戻ればいいのですわ」
「うるさいな」
 いつからこうなったのだろう。
 まるで敵対関係のようだ。
 そう思いはするが譲れない。
 独創性もなしに、寺の主の言いなりに自分を引き止める、そういう女になってしまった。そうさせたのが自分なのだとしたら、責任を感じるべきだろうか?
 この摩擦が少しずつ心身を削り取っていく。
 けれども、これが本来あるべき姿なのかもしれない。有子は、寺に逆らいようがない。
 そういう身の上だ。
 だから、つまり、これまでが錯覚だったのだ…と思うことにする。
 自分の、妹の味方であるように感じていた、それが。
 
 ☆

 日本で初めての全天候型ドーム球場。野球の試合だけではなく、ビッグアーティストのライブ会場としても用いられる。周辺には商業施設や高級ホテルが立ち並ぶ。
 しかし、今では落成時のような人気はない。東京湾沿いの臨海地域の開発が始まった頃からその客足は格段に落ちた。現在はヒーローショーやコスプレイベントといった根強い常連客に支持される催しに力を入れている界隈だ。
 各施設の設備は最新式ではない。
 だが、充分に上等だし、何よりもサービスが行き届いている。
 注目度が落ちている分、イベント会場のコストパフォーマンスも良心的だ。
 招待会場は、ドーム球場から程近いホテルの大ホールだった。講演が終るとすぐに椅子が下げられて、そのまま立食式のパーティ会場となった。
 天井にはシャンデリア。絨毯は深く靴の沈む一級品。
 テーブルクロスの上にはワインとチーズ、アラカルト。
 ロビー活動を好んで行うわけではない。だが、この集まりのうちの何割が講演の純粋な聴講者であることか。社交的な会話のコツは掴みつつあった。どんな笑顔が適しているかも。
 重要なのは、不要な相手からの声掛けを切り抜けてなるべく優先したい相手と長く話すことだ。
 恩師への挨拶はクリアした。馴染み深い宗教学者との議論もクリアした。
 久しぶりに対面した学友との再会も、将来を思えば大切な時間だ。
 ここまでは予定通りだ。あとは初対面だが関わっておきたい相手が何名か。学生としての付き合いを抜けて、ここからが新しい展開だ。そろそろ、慣れないヒールにつま先は痛くなりはじめている。笑顔をかたどるのもだるく感じられる。そうなってからこそが大事な場面だ。
 今ここにいる人たちと、いつでも会えるわけではない。
 けれど、もしも、ここに…
 そう思うことがある。
 小さな子供がいて、テーブルの下を潜り抜けてシャンパングラスの山をひっくり返してくれたら。
 走り回ってくれたら。
 そんなことを考えながらも、脇にいる有子に確認する。
「NPOの主体はあの中央に固まっている連中だな?」
 金を大事に金庫に仕舞っている無能と倹約だけが売りの組織。
 それでも何人かは運用したがっているはずだ…それを見極める。
 ホールの中央には花が派手に生けられている。
 その花器の裏側にあるテーブル、そのあたりに陣取っているスーツの一団を目視して問う。
 しかし、問いに対して問いが返ってきた。
「…しのぶ様、お疲れでは?」
 信頼に基づいた確認なのか、本当に疑問を抱かれているのか、その声からはわからなかった。
 しのぶは思わず有子を見る。
 冷ややかな美貌がそこにあった。
 気付いていたことだが、今日の彼女の正装は完璧だ。
 無機質な人形のようだ。ドレスアップもドレスダウンも必要ない。典型的なエレガンスを身にまとっている。連れてまわるのが誇らしいほどに。
 それが自分の役目だと、この侍女はよく知っている。
 けれど、そういう確認をするからには、自分の側に何か不手際があったのか。
 あるいは、何か彼女自身に不具合があるのかと思った。
「いや、全く疲れていない。何だ? 幽霊でも見つけたか?」
 からかうようにそう問う。
「有子は感動していたんです。今日のしのぶ様が輝いていらしてあんまり眩しいので」
 からかいの斜め上を行く発言を返された。
 この侍女は、日常的にそんなことばかりを言う女なので、寺の長女は意に介さない。
「いつものことだ」
 威張ってみせる。
「ええ。本当に…いつでもあなた様をお慕いしています」
 流石に笑おうかと思った。
 喉を潤すために手にしたワイングラスを落とすかと思った。
 大概非常識な面があるのは承知だが、こんな場所で軽口を叩くようなことはしないはずだ。
「何だ? 化粧が落ちてきたか? それとも服のどこかに染みがついているか? 言いたいことがあるならはっきり言え。気持ちが悪い」
「いいえ。言いたいことは今申しました」
 お慕いしているのはいつものことじゃないか。
 例え口先だけのことだとしても。
 そこまで反論しようかと思って、よした。
 身内とばかり懇意にしている様を見られるのは不利だ。
「…変なことを変なタイミングで言うんじゃない。行くぞ」
「はい」
 いつでも、常時。
 その表現が数分後の未来のことを示すと知らされるとは思っていなかった。
 知らされたときには、遅かった。
 その真意を知ったときにはいつでも遅いのだ。
 彼女の正装が完璧な時点で、車から降ろして置いてくるべきだった。
 
 ☆

 財力にも肉体にも自信のありそうな男だ。だからこそ、懇意にする資産価値はある。
 ただ、この男に知能があれば。
 チャンスは笑顔で近づいてくるわけではない。けれど、まさか慇懃を迫られようとは思っていなかった。
 まさか、こんな場で夜の誘いをかけられるとは思っていなかった。あるいは、そういう手合いもいるかもしれないと想定してはいたが…
 意外だし、不愉快だ。
 わかってはいたが、この一団には縁がなかったものと諦める。それが得策だ。
 逃した魚は大きかったというが、逃す前から大きいのがわかっているのは口惜しい。
 しかし、こちらの側ではずっと笑顔でいなければならない。
 もったいないと思いながらもしのぶは断りを入れた。こちらの価値が体にしかないと見込んでいる相手からは何も得られないし、与えようがない。
 そもそもが無理だ。
 きらめくシャンデリアに内蔵されているのはただの電球だし、絨毯を剥がしてあらわれる床は冷たく平らで寝床にもならない。
 正直に告げる。ビスポークスーツにフランス製のネクタイの男に。
「申し訳ありませんが、私のセクシャリティは一般とは少し異るもので…」
「ふうん」
 却って興味を深めたように男は目を細めた。
「アブノーマル? マゾか何か?」
 動物がよく言葉を覚えて喋っているものだな、と思う。
 思うだけでなく言いたくなるが黙る。
「そういうことではなく…とにかく、あなたの要求に応じてご満足いただけるような相手ではないと言うんです」
「俺、平気だけど。サドでもマゾでも。応じてやるよ」
 彼は不意に手を伸ばして、しのぶの腕を掴んだ。
「いい体じゃん」
 小さな子供がいたならば。
 そう感じる。
 けれど、いない。どこにも、そんなものはない。
 この場を台無しにしてくれるような存在はいない。無茶をする者はいない。
 自分のうちからも、もうとうにそれは消えている。
 はっきり言ってしまうしかないだろう。この組織そのものとの縁は見込まれない。それくらいの損害だ。
 見込めない手合いだと…それが判断できただけでもよかった。
「私は」
 口を開いたときだ。
「申し訳ありませんが、この方は女性をしか愛しません」
 沈黙を保っていた有子が、しのぶの肩を撫で始めた男の手に指を置いた。
「あなたのお相手でしたら、私が」
 しのぶは言葉を失った。
「何を…」
 何を言っているんだ、この馬鹿は。
 しかし、男は実に満足そうな笑みを見せた。
「なあんだ! それならそうと早く言いなよ」
「いや…誤解です、これは」
 勝手を言うな。
 どいつもこいつも。
 黙れ。
「何なら二人相手でもいいけどさ、いいね、この人。綺麗な胸だし」
「待ってください」
 声を荒げようとするのを抑える。
 怒りがこみあげてきた。
 しかし、有子はすべてを弁えていた。
 笑顔と、会話の引き際を。
「ええ。あなたのような方に私の寺の主が恥をかかせるわけがありませんもの」
 寄り添って背後に腕をまわした有子が、あいている自分の手を彼から見えないようにそっと握った。
 宥めるように。
 しのぶは激しく彼女を睨んだ。

 ☆

「あの方は豊泉寺の檀家の筋です」
「どうしてリストから外さなかった?」
「外すべきではありませんでしたから」
 あの場でテーブルをひっくり返さなかっただけの苛立ちは、すべてこうしてあらわになる。
 予約されたホテルの一室だ。予め、しのぶが取らせた一室だった。
 男が用意すると言い張るのを断って、自分の寝台くらいは用意させてあることを告げた。
 それから、彼の寝泊りする場所を聞いた。有子にそれを伝えるとき、自分が女衒に成り下がったように感じた。
 実際、その通りではないか。
 その後の商談はすべてうまくいった。そうでなければならない。
 単に感情の問題で…それだけのもとを取らなければ、この集まりで損したものを回収できないと思えたからだ。
 完璧だ。完全だった。あたりまえだ。でなければ、仕事を完全に行わなければ、怒りの行き所がないように思われたからだ。
 今日会話すべき相手のリストは、有子がピックアップしたものだ。
 顔写真付きのSNSサービスを利用して見せられたデータ…それにあんなエラーがまじっているなら、早く弾かれるべきだった。そして、有子がああいう手合いだと知らなかったはずがない。
 いや。
 豊田がそれを調べていないはずがない。嫌味な位に未だにしのぶを庇護したがる、そして相手を選択する権利があると主張したがる家が、それを調査していないはずがない。
 間抜けだ、と、我ながら思う。
「…おまえ…知っていたな! ああいう男がいると!」
 ツインルームに入った途端に二人は口論を始めたが、しのぶが結論に至ったのはようやくこのときだった。
「知っていて、わざと…」
「そうです」
 有子は悪びれない。
 部屋に置かれているティーポットで、彼女は丁寧にお茶を淹れる。
「あかし様は、あなた様の弱点が有子だとよくご承知です」
 しのぶは脱力した。
 これ以上の会話は無駄だと悟る。
 ソファに座り背を預ける。ようやく、襟元のリボンをほどいた。
 もうこのまま寝てしまいたいと思う。実際、そうしてしまえばいい。
 あとはこの気の利かない…自分にだけはままならない馬鹿に任せればいいのだ。
 そうしてしまえばいい。結局のところ、あの寺からは逃れようがないと…認めてしまえばいい。
 感情さえなければ。そう思う。
 ここで、悔しいと、思いさえしなければ。
 こんなに都合のいい従者はいない。わかっている。叔母の思惑すらも利用すればいい。手を広げる、その一助にしてしまえばいい。いずれあの寺をも凌駕してしまう、その一段階だ。考え方を変えればすべてが有利に働き始める…そういう犠牲の払い方を知っている。そうして今までもいくらピンチをチャンスに塗り替えてきたことか。けれど、これはだめだ、と、思う。この展開はよくない。
 …望まない。
「私を哀れんでくださいますか?」
 テーブルに、有子がカップを置いた。
「私が可哀想でしょう?」
 顔をあげずともわかる。
「あの寺から逃れようなんて思わなければよかったと…そうお思いになりますでしょう?」
 笑っている。
「触るな」
 有子の指が、頭に置かれたのでそう呟いた。まぶたを開くことができない。
「もう行け」
 小さな声でそう命じる。
「行って務めを果たして来い」
 知っている。
 この女がどんなに男を嫌っているか、知っているのは自分なのに。
 女をしか愛せないのは。
 本当は。
 …知っているのに、もう顔も見られない。顔を見たら引き止めてしまうだろう。
 そうしたら、この女は言うことを聞くだろうか? そうはならない。
 少なくとも、自分のものにはならないということをこうして思い知らされる。
 有子が部屋から退出する。その着替えの衣擦れの音を、足音を、扉の閉ざされる音を遠くに感じる。瞼の裏に物音に応じた光が見える。
 その印象はいつでも柑橘類に似ている。自分の脳がどうしてそういう印象をもたらすのかを未だに知らない。
 柑橘類の固い皮に爪が入って引き裂かれる。その映像は感覚ではなくてただのイメージだ。
 それをただ、自分は。
 瞼を開いたら、涙がこぼれるという理由。それだけで、直視することもできないのだ。
 触らないでほしいと思う。何か余計な印象をもたらされるからではない。
 黙るよりほかになくなるので。

(続きは同人誌・電子書籍でお読み頂けます)

トロイメライ

「せんせー」
猫のなつくような声で呼ばれて、豊田しのぶは振り向いた。
「これあげる」
ぱらぱらと掌にパラソルチョコレートを手渡されて、目を丸くした。
時は四月。場所は美術準備室。
妹の入学にあわせて親の経営する学校に美術教師として赴任した頃のことだ。
授業が終わった後も美術室に残っていた生徒らに声をかけ、教材を仕舞うのを手伝わせた。
その直後のことだったから、面食らった。
褒美に何かやろうかと思っていたのはこちらの側だったので。
しかも、チョコレートときたから時期はずれだ。
もらうのが二月ならバレンタインが想起されるところだが、桜の咲く時節に唐突にお菓子を渡されるとは思わなかった。
「…何だ、これは」
「えー。だってえ」
「あっ。あたしもあげる! これあげる!」
「私のも! 先生、食べてえ」
後続の生徒らも立て続けにしのぶの手にお菓子をのせたがる。
容易に動くのが恐ろしいばかりに掌に彼女らのポケットから鞄から取り出された菓子類がのせられた。
「あのなあ、菓子の持ち込みはいかんだろう。しかも私に差し出すとは何事だ」
校則で禁じられていたはずだ。
多分。恐らく。
赴任した、しかも直系一親等の経営する学校の規律だ。しかし、関心がない。
彼女らが違反していたとしても、それを詮議するつもりはない。
建前上口にしてみただけだ。案の定、少女らはきゃーっと笑うだけだった。
「えーっ。いいよお、気にしないでえ」
「いや、気にするとか気にしないとか、そういう…」
どうやら論旨が最初からずれているようだと気付く。
「先生食べてね!」
「またあげるね!」
「あ、こら…」
またあげると言われてしまった。
赤だの青だの緑だの。
手に残ったのは、カラフルな包装の砂糖菓子の山だ。
駄菓子は嫌いではないが、手に負えない。
商売相手とはいえ、彼女らの行動は読みづらい。
吐息する。
机上にそれらを移し、片付けの作業に戻る。
そして、しばらく仕事の合間にそれらをつまむようになった。
その菓子が尽きないうちに、また声をかけられた。
職員室に、美術部の生徒らを集めて、活動報告を受けた後のことだ。
「せんせー。これあげる」
差し出されたのは、菓子ではない。
それよりももっと凝っていた。
愛らしいパンダ柄の布に包まれたランチボックスだ。
「何だ、これは?」
「えーっと、サンドイッチです」
「いや、そうでなくてだな」
これが何かと聞いたのではなく、これがこちらの手に渡る経緯を知りたかったのだ。
「えっ。もしかしてパン嫌いですか?」
「先生、大丈夫! 明日はあたしがおにぎり作ってくるからあ」
「いや、パンとか米とかそういうことを問いたいんじゃない」
「あっ。先生、おかか好き? 何がいい? ツナマヨ?」
「具なら鮭と梅干が好きだが、そういう話をしているんじゃない」
「鮭と梅干だねー。たくあんもつけていいですか?」
ちょっと待ちなさい、と、幾分か厳しい一声を発すると、少女らは黙った。
「弁当をくれるのは嬉しいが、どうして当番制みたいになってるんだ? …というか、どういう意味があるんだ?」
尋ねると、少女らは顔を見合わせて不思議そうにするばかりだ。
「えー。だって、先生、困ってそうだからあ」
「…困ってる?」
「いいよお、無理しないでえ。うちら先生のこと好きだしい」
「無理?」
にこにこしながらも、生徒らは職員室を出ていこうとする。
「じゃあねえ、先生! 明日はおかかね!」
「ちょっと待て! 理由を教えていかないか!」
ほとんど必死な声で制止したにも関わらず、まるきり人の話を聞かずに行ってしまった。
「…っていうか、最初からおかか一辺倒なら好みを聞いた意味があるのか!」
その声はむなしく職員室に響いた。
実際に、しばらくは回転式の木馬のように彼女らからのお弁当攻勢が続いたのだった。

 ☆

夕暮れの美術室に、その生徒はひとりで佇んでいた。
数日間、学校を離れて友人宅で寝泊りしていた週明けのことだ。
午後の授業も終わり、三々五々残っていた美術部の生徒らも帰り、しのぶだけが準備室で仕事をしていた。仕事といっても、実際には美術教員としての作業はほとんど行わない。
教員として許されざることだとはわかっているが、それをする暇はない。
だいたいが自ら立ち上げた事業に関する諸処の業務を行わざるをえない。即ち、忙しい。
だから、早いところ美術室で遊んでいる連中にはお帰り願いたいところだと、いつもそう思っている。
だが、その生徒は何か雰囲気が違っていた。
誰かと話がしたいようだったし、悩ましい、思いつめた瞳をしていた。
窓際に佇み、外を眺めている。想念はこちらに向かっている。そう感じた。
しのぶは準備室を出て、その少女の名を呼んだ。
「ここにまだ何か用があるのか? それとも悩みでも? 私で良ければ聞かないでもないが…」
「先生…」
黒い髪のしとやかな雰囲気の少女だ。
潤みを帯びた目で見上げてくる。
「どうした?」
「私…あの…一人暮らしなんです」
「…ああ」
そういえば聞いたことがある。
豊泉寺女子高等学院はそう学費が張るわけでもないし、校風も自由だ。
けして入学するのに敷居の高い組織ではないが、裕福な家の子も少なくはない。
この生徒は、親が長らく海外で働いているため、一人で暮らしていると聞いたことがある。
そのわりには素行も良いように見受けられ、成績もいいと評判の生徒だ。
しかし、年齢にふさわしい悩みもあるだろうし、寂しい日も多かろうと思う。
「聞いているよ」
「き、聞いているんですか?」
少女が焦ったような顔をする。
「ああ、聞いている。親御さんたちは忙しいって。けど、普段からしっかりしてるって、ほかの先生たちも褒めてたよ。何か不便なことでもあったか? 親に語れないような悩みでも、私は誰にも…」
「先生!」
遮るように少女は一声を発すると、たちまちしのぶに抱きついてきた。
縋りつく、というような勢いだった。
「……!」
美術教師は言葉に詰まる。
「わたし…私、いいんです!」
少女の見上げる眼差しには、熱情よりももっと尊い何かが秘められているような気がした。
「だって…だって、私…! 私なら…! 一人だし! ほかに誰もいない部屋ですから! 先生なら…先生なら、ずっといてくださってかまわないんです!」
「……」
「このまま、ほかの子たちにとられるくらいなら…! みんな…みんな、ずるいっ…お菓子とか…お弁当とか…そんなのちょこちょこあげるだけで親切したつもりになってるけど、私、わかります! あんなの自己満足の偽善です! 先生! わたし…私なら、お弁当だけじゃなくって、寝る場所も提供できます! だから…! だから、うちにっ…」
「ちょっ…と、待て」
話についていけない。
違和感を覚えながらも、少女の衝動的な行動と提案の理由を感知しようと思う。
右手を持ち上げて、とりあえず少女の頭に置く。
ぐりぐりと頭を撫でてやりながら、その身を引き剥がした。
「何かこう…何だ? 私は温情をかけられているのか? 何の話をしているんだ?」
そう尋ねると、少女ははっと顔を上げた。
真実を知ったかのような、諭された者のするような真摯な顔つきに戻った。
「そう…ですよね。いくら何でも…こんな申し出…失礼、でした、よね…」
「い、いや。ちょっと…」
「ごめんなさい…」
少女は最早、涙目だ。
「あのな、私の質問に」
「私…私、余計なお節介で先生のプライドを…でも、先生のこと気にかけているってこと、覚えておいて…忘れないでくださいね! 失礼します!」
身を翻すと、一散に駆けて美術室を出て行ってしまった。
「待ちなさい! 質問に答えていかないか!」
ほとんど怒りに達しそうなしのぶの声は、静かな教室に響くばかりだ。

(続きは電子書籍・同人誌でお読み頂けます)

鬼ごっこ

潮騒が聞こえる。
ああ。またここか。ということは、具合が悪いのだろうか。
付き合いで飲みすぎたときや、仕事が煮詰まっているとき、書物に深く没しすぎたとき。そういうときに眠りにつくと、必ずこの夢をみる。
必ず、この静かな海に立っている。
夢のうちにいる自らを知りながら、しのぶは砂浜を歩く。何度も訪れるこの浜辺が、どこなのかを知らない。ただ、前世か過去世、いずれのときか知らないが、自分の遺伝子に埋蔵されている記憶が意思をこちらに導くのだろうと思う。いつの時代の海か知らない。日本であるのは確かだ。
空はいつでもうす曇りで、水平線の遥か向こうまで人影も船も見えない。
荒涼たる静けさだ。この場所にいるときには人に逢う。
知らない人とすれ違うこともあれば、亡くなったはずの人に話しかけられたりもする。
それほど親しい相手ではない。共通しているのは、いうもその人たちは何か言いたげだということだ。
そういうとき、その場で話を伺うこともあるし、起きてから線香をあげることもある。
彼岸にある人の場合は、直接連絡をとることもある。いずれも、寺にゆかりの深い人たちばかりだ。
霊力、というのだろうか。オカルトじみた呼称だとは思う。
けれど、人が生きてる間に離れていてもつながりを互いに感じているのなら…これも、ある種の感覚だろうと思う。やけにはっきりしている。いつも、夢のうちでも五感の享受する刺激をはっきりと感じ取ることができる。それでも夢と現実の境をたがえたことはない。
けれど、そのときは違った。その情動は強かった。懐かしい、地から空から自分を絡め取るほどの凄絶ないとおしさがあった。苦しいほどの。
ああ、この匂いを知っている。生きていたときの、あのひとの。
本当に。これが現実ならよかったのに。

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はなことば

決して許したわけでも屈したわけでもなかった。
けれど。

いいじゃないか。おまえの艶姿。

そう言われてなんだかなにもかもどうでもよくなってしまった…
「ねえ、知ってる? 会長の停学」
「見た見たあっ。貼り紙出てたじゃんっ」
「やっぱり厳しいねえ、ここ」
「だよねえ。おかしいもんねえ」
「だって悪いのって、どう考えても…」
妙な話し声と視線に晒されて、みおは席を立った。
教室の隅まで聞こえてきた噂話。まるでみおに聞かせるかのような響き。
しかし、事実、それまでそのことを知らずにいた少女は驚いた。立ち上がって、その声の発生源を睨み据えた。
「その話…本当ですかああっ」
耳に入れようという意図はあったものの、ダイレクトに尋ねられて少女たちは身をすくめる。みおは剣道部では剣道の達人として知られている存在だ。その話し方や雰囲気からそうは思われていないが、凄まれるとそれなりに威圧感がある。
「あ、えーと…」
クラスメイトたちは急に口ごもる。
「本当だよ? だって、理事長室の前に紙が貼ってあったもん…」
それを聞いたみおの頬に、赤みがさした。
「本当ですのねええっ。やりましたああっ」
「え?」
「いいざまですううっ。私は決して会長を許したわけでも屈したわけでもないんですからああっ」
今にも高笑いしそうな誇らしげな表情だ。
「天罰がくだったということですねえっ。この目で確認してやりますううっ」
彼女は早足で教室を出て行った。
残されたクラスメイトたちは肩をすくめて、顔を寄せ合う。
「相変わらずだねえ」
「すごいね」
「どうしてあんなに嫌うのかなあ…」
 囁く声にもかまわず、みおは走っていく。
「っていうかさあ」
世間知らず。
そういう言葉がしっくりくるねと、少女たちは笑いあった。
実際のところ彼女の行動は唐突であることが多い。そして、本人が威張ってもどこか水槽のうちの魚のように、他愛なく感じられるのだった。
「でも…会長、本当に戻らないのかなあ」
ひとりが、ぼそりと呟いた。
少女たちは急に黙り込む。
ポニーテールのクラスメイトが駆け去った戸口を見つめる。
「うん…」
「あたしさあ。竹下さんの、ああいう行動力は尊敬しちゃう」
「そうだね」
「だって、普通はさあ。怖くて近づけないもんね…会長って…」

 ☆

 階段を駆け下りていきながら、竹下みおは含み笑いを浮かべてしまう。
 あの憎い相手がいなくなる! 学園から消える! 
 だいたいが気に入らなかった。
 彼女のコスプレ姿を見たときから。
 まばゆい姿で朝礼にあらわれた、あの魔法少女の姿を見たときから--
 ゆるせない、と、思ってしまった。
 意気揚々と理事長室の前にやってきたとき。
 その人物と遭遇した。
 自分と正反対の意気消沈した様子で、ただ佇む者。文芸部部長、文化祭の叛乱の首謀者だ。
 松平悠美は、呆然とした表情でそこに立って掲示を見上げていた。
 思わず声をかけるのも躊躇されるほどの、その表情。それはけっして、こんな結果を望んでいたわけではないと物語っていた。みおは立ちどまった。
 どうして、そんな表情をしているのか?
 自分が招いたことなのに。
 悠美は、こんなことを望んでいなかったというのか?
 わからない。どうして、その表情にこんなに傷付かないとならないのか…
 ぎゅっと疼く胸のあたりに手をやる。烈しい視線が自分に向けられているのに、悠美はついに気付いた。みおの側を向いた。
「竹下」
 少し、笑った。参った、というように。
「おまえは、知っていたのか? 会長のこと」
 みおはそれを直視できない。黙って俯くと首を横に振る。
「そうか」
 また悠美が笑う。
 二人は共謀者だ。気まずくないはずがない。
 みおもまた、罪悪感を覚えていないはずがない。それを信じてるように、だからこそ、労わるように文芸部の部長が笑いかける。その優しさを受け入れるには、みおは高揚しすぎていた。
 声にならないいらだちが突き上げてくる。こうも異なる人物と、どうして友達になれそうだなどと一瞬でも思わされたのだろう。けれど、責めることもできない。恐らくは、この人道的な反応が正しいのだろうと思う。この文芸部部長の落ち着いた、寂しげな笑みが。
「やってしまったのだ」
 悠美は俯く。
「こんな結果は…ここまで追い込むつもりはなかった、と言ったら調子がいいだろうか。なあ、どう思う? 竹下。おまえは…後悔してるか? あの行為を…しかし、私は…」
「…ちがってますうう」
「え?」
 もう堪えきれない。みおは、ついに声を発していた。
「ま、間違ってますうう! ど、どうして、今更、そんな顔をするんですかああっ!」
「…竹下?」
 理不尽を言っているのはわかっている。けれども、そうして声を荒げても悠美の反応は鈍い。ただ怪訝そうな顔をするばかりだ。その自然さが、身に備わったその道義心が、みおを余計に熱くさせた。廊下に反響する声でこう叫んだ。
「何であなたが後悔するんですかああっ! 仰る通りの、あなたはお調子者ですうううっ!」
「な、何だとっ」
 投げつけられた言葉のあまりの放埓さに、さすがに悠美が色をなくす。
「おまえ…もしかしてまだ会長のことをっ」
「あたりまえですううっ! 恨みまくりですううっ! あなたはそうして腑抜けてればいいじゃないですかああっ! 間抜け! オタク! 腐女子!」
 半泣きにそう言い捨てると、みおは逃げるようにその場から駆け去った。
「なんだと! オタクなのも腐女子なのも認めるが罵倒として用いるのは許さんぞ、リア充レイヤーめええええ!」
「その言葉そっくり返しますうう! どてかぼちゃ! おたんこなすううう!」
「くっ…! 幼児か!」
 返される言葉が稚拙すぎて、かえって、ボキャブラリティの豊富なはずの文芸部部長は言葉を失った。
「何なのだ、まったく…」
 走り去っていくポニーテールが廊下の角を曲がるのを見送り、息を吐いた。

 ☆

「文芸部・美術部漫画コースの選択者及び、アニメ研究会漫画研究会の諸君。本日はよく集まってくれたのだ」
学院の地下一階の特別教室。美術・家庭教室には生徒たちが集っていた。
 黒板にはこう記されている。
『第十四回腐女子アンダーグラウンド会議』
 壇上に立つのは、松平悠美。
 しかし、その表情には覇気がない。集う少女たちの顔ぶれも、すべて揃っているわけではない。
 今日の集会に乗り気でない者が欠席していた。沈みきった空気に、悠美は発破をかけるようなことはしなかった。
「…われわれの計画は破綻した。そのことについて、反省するために集まったのではないと最初に告げておきたいと思うのだ」
 集った面々は顔を上げた。ただ、悠美の言葉を待っている。
「会長の停学を皆も承知のことと思われるのだ」
 ざわ、と、少女たちは反応する。
「われわれの主義主張は会長に通じたものと思われるのだ。しかし、豊田会長は、むしろ、われわれのためにその立場を危うくしている。これを因果応報と思うか、あるいは後悔につなげるかは各自の判断に任せようと思うのだ。だから、私の提案を聞いてほしいのだ」
 一旦、悠美は言葉を切った。
「私たちは、やりすぎたのだ」
 その声は少しだけ震えていた。
「この学園の体質をよく理解していなかったのだ。会長がどれだけの綱渡りの状態で、己の趣味を隠したいという本心に背きながら、反感を買いながらも、あのような一見愚行としか思われないような方策を選んでいたのかをもっと思慮すべきだったのだ。そして、われわれはむしろ彼女の失脚を招くようなやりかたで意思表示するよりも」
 静かな声で懺悔する。
「話し合いを、していればよかったのだ」
 簡単なことだった。
 藍色の空の映える窓に、夜が翳る。
「われわれは…いや、私は、提案するのだ。会長の停学が、穏当な状態で、すなわち、完全な生徒会長への復帰を明示する状態でとかれるまで、私はこの集まりの休止を提案したいのだ」
 壊してしまったものを想う。
「会長が苦しんでいるときに、…あの腐った女子の鑑のような人が苦しんでいるときに、私たちだけ楽しくすごすことが既に不可能だからだ。賛同者は、席を立って即刻この教室から退出願うのだ。残った者は、私が直接話を聞くのだ」

 ☆

 教室に残る者はいなかった。
 ただ一人、悠美だけが、その壇上に残っていた。
 哀惜を背負って。
「まだ居残りしてるのか…」
 そろそろ特別教室の戸締りを、と、そこを訪れた美術教師は中に入れずにいた。
 戸口の外で、壁にもたれて思案する。教室の鍵を指でまわして弄ぶ。実際のところ、ここ数日は御剣蘭の捜索と学校の覇権を競う裏工作で眠る暇もない。そこにきて、この感傷的な状況に立ち会ってしまい、神だの仏だのを呪いたくなる。思春期の少女の一途さには覚えがあった。
「愛されてるな、あしほ…」
 妹ながら誇らしい。
 しかし、唸るよりほかにない。
 そういえば、学園一の不良少女が警察にモーションをかけているという話も入っている。
 御剣蘭の残したもの、熱狂の空気がかき消えてしまうのは惜しい。妹の居場所が心地よくなりそうな風を感じていたのに。
 豊田しのぶは教室のうちを覗き見る。
 声のかけようもないほどに、竹下みおは沈みきっている。
 面倒くさいな、と、教師らしからぬことを思う。
 だいたいが、神経質な文学少女は苦手だ。口も頭もよくまわる。そして、悪事を働く者以上に、大人を嫌っている。きっと落ち込んでいるところを教員に見られていたと知られれば刺激してしまうだろう。
 覚えがあるのだ、そういう感情には。
 思春期の、自分に似ている。少しだけ。
 この体質が何なのかと書物ばかりを貪り知識だけで城壁を築いていた。
 だから、沈黙が慰めだということも覚えている。
 戸締りは後でもよかろう。
 それよりも、あの不良少女…片瀬早紀といったか、そちらの方がまだ元気が余っていそうだ。そう算段を組んだのはこのときだった。
 箱入りとはいえ、教師としての自覚はある。
 少女たちの心のアフターケアも担うことになろうとは思っていなかったが。

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しるしなき

「この寺ってさー」
「うん?」
「ちょっと変わってるよな…」
豊泉寺の縁台。
それを聞いてしのぶは苦く笑った。かつての教え子の飾りのない頭を一瞥する。

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かみさびる

御剣蘭を記憶していない、と、しのぶは言い切っていた。
ありていに言えば、彼女は一度覚えたことを忘れない。
現在彼女が勤務する豊泉寺学園に属する少女たちの名前なら全て把握している。
そして、一度見た者は必ず忘れない。
その主が、あんなにも目立つ少女、金色の髪の御剣蘭を見て記憶していないと言っていた。
直観像記憶がしのぶには備わっている。これは視覚で認識した刺激、つまり映像記憶を失わない能力のことだ。それ自体が傍から見れば異常なものであろうが、幼少期のある一過程までは誰にの脳にでも備わっており、それが年齢に従い、場合によってはさまざまな体験を通じて喪失されていくものだ。突発的に選ばれた遺伝子にのみ備わるものではない。
それを指して異常と言いきっていいものか、有子には判断がつかない。
失われるべきものが失われない、という時点で通常と異なるのであるのなら、症例と言えるだろうと…しのぶは自ら嘲るようにそう称したことがある。その症例が生じやすい体質が脈々と引き継がれているのが、豊田の一族の特徴だ。それを、かつては特殊な能力とみなす非科学的な時代もあったのだろうと前置きした。その上で、科学が世の中に満ち、自らの健常でないことは明らかにしても、それが特別な力だとみなすのを誤謬として判断するのがしのぶの見解だ。
悲しいかな、そこが、彼女の叔母との大きな違いだ。
一方で、しのぶは自らの体質を異常だとは言い切らないまでも、確かに健常でないと認めてはいる。その人にとって、一度見た者を忘れないこと。これは、絶対だ。だからこそ、その人にとって、御剣蘭の存在は異分子そのものとみなされる。ここからは、有子にとっての想像でしかないが、恐らくしのぶは脅威すら感じているはずだ。
幽霊を見ても震えひとつ見せない主人が、怯えている。だから、近付きたがらない。
そのことが、有子をほんの少し愉快な気持ちにさせる。
あの人に頼られている。
たったそれだけのことが、実際、生まれて初めてと言ってもいいくらい珍しいことなのだから。
それにしても、…あの少女や、その姉妹の何に気をつければいいのか。
「有子さあん。チーズケーキとショートケーキとどちらがお好きですかっ?」
呼ばれて有子は面を上げ、傍らに立ちこちらを伺う少女に目を向けた。
喫茶エターナル。
立秋をすぎたとはいえ時節は八月。輝く太陽がまだまだ眩しい夏の一日だ。
暑気から隔てられた店内に鈴のような声が響いた。
昼には親子連れやサラリーマンで賑わっていた店内が、いつしかほかの客は皆食事を終えて、今は有子ひとりきりだ。
自分の主の一人であるあしほから言い遣って、文化祭に関する諸処の書類を引継ぎに訪れた有子だ。ラッシュタイムに訪れてしまったことを詫びたが、なこもみかもこぞって引きとめた。
しばらく待っていてほしい、小一時間もすれば客は引くからと言いながら、窓際の席へ背を押さんばかりの勢いだった。そうは言っても己は部外者であることを鑑みれば、喫茶店とはいえ、主の友人の家に長居するのは失礼だろう。そう思って時間を改めると打診はしてみたものの、みかもなこもそれを許さなかった。
尚も辞退する言葉を考えあぐねたところで思い出されたのは、しのぶの言葉だ。

あしほから目を離すな。

考えてみれば絶好の機会だ。あしほはそう感じてはいないようだが、あの御剣蘭は得体が知れない。かと言って、当人はあしほにべったりで隙がないのだから妹であるこの少女二人の様子をそれとなく探ってみるのもいいかもしれない。
彼女らのくるくる立ち働く様を眺めながら、机上で書類整理をしながら待つことにした。
しかし、どこからどう見てもそれは平和な喫茶店の一風景で、どこにも怪しい様子など伺われないのだった。
間近に迫る美少女の笑顔に、咄嗟に反応ができなかったのもそのためだ。つい作業に没頭していた。
「あ、もちろん、サービスです。甘いものがお嫌いでなければ…ですけれども」
なこは屈託なく笑いかけてくる。
「あら…申し訳ありませんわ。あしほ様の御用で訪れましたのに」
「いいえっ。お待たせしたお詫びです。贖罪のファフロツキーズです!」
「そうです、有子さん」
カウンターの向こうで皿を洗いながらも、みかが柔らかな声をかけた。
「召し上がって」
しとやかに勧められては断りようがない。
「では、ありがたくチーズケーキを頂きましょう」
「はい。少々お待ちくださいませ」
恭しく頭を下げるなこの姿はさまになっている。
間を置かずに有子のテーブルへケーキとおかわりのアイスティーを運ぶと、なこは有子の向かいの席にそのまま腰を下ろした。
「お待たせしました。改めて、会長からの御用事伺います」
その切り替えの早さに、有子は微苦笑する。
主人の懸念を除外できる有子ではない。それは絶対至極、尊重したい。
話してみると、なこという少女はよく働く上に頭の回転が早い。聞けば、あしほとはひとつ違いだという。あのような落ち着きはないが、少女らしい明るさを感じさせる。謂わば年齢にふさわしい性質の、普通の人だ。
何をどう探ったものか…対話の合間に観察眼を働かせてみるものの、少女の仕草にはこちらを信頼しきったくつろいだ空気しか感じられず、何と言おうか、思わず顔がほころんでしまうのだった。
しのぶに思い違いなどはありえない。そうだとしても、しのぶと同じ感覚も勘も備わっていない自分には、少女たちの正常らしからぬ点を射抜くなど到底できそうにもない。
そう思っている間にも、引継ぎは終ってしまった。必要書類に説明を加えて手渡すのには五分もかからなかった。ただ、内容に瑣末とはいえ学校の予算に関わる案件だ。店内が賑やかなうちに済ませられようものでもなかったし、待っていたのはそのためだ。
だから、このケーキの振る舞いはありがたいものだった。
「なこ様、お仕事中とは思うのですが…よろしければもう少しお喋り致しませんこと」
手をつける前にそう確かめてみると、なこは嬉しそうに頷いた。
「はい、もちろんですっ。いいでしょう、お姉ちゃん」
「あら、羨ましい。構わないけれど…」
みかはわずかに眉間に皺を寄せた。
「留守番をお願いしてもいいかしら…夜までにほしい洗剤が切れているのよ」
「大丈夫ー」
「じゃあ、休憩ね。はい、どうぞ」
親切に、みかは、なこの分のアイスティーを運んできた。
「ありがとう、お姉ちゃん。大好きっ」
ここぞとばかりになこが姉に抱きつく。しかし、みかは暑いんだからと言ってなこの額を軽く指先で突いた。あらあらと思う間に、みかは、財布を持って出かけてしまった。
近所の商店にそのまま出向くのだろう。
「と、言うわけでっ。貸切ですねっ」
「ありがとうございます。別のお客さんがいらしたらお構いなく」 
「うふふっ」
なこは向日葵のように笑った。
「歓喜のスターゲイトがひらいちゃいますっ。有子さんってお綺麗だから独占したいなあって前から思ってたんですよう」
平然と言い放つ。あしほにしても、自分にしても、なこは女性と見ればすぐに心を開いて懐いてしまう。かと言って、自分が豊田の家の長に抱くような、どろりとした感情と異なるものだろうと軽く考えながら問う。
「なこ様は女性がお好きですのね」
「ですですっ。宿命的に、なこは、女の子の味方ですっ。有子さんほどふかあい恋愛はしてませんけどっ」
「え」
今。
つっこみどころがたくさんあったような…
有子はアイスティーを手にしたきり固まってしまう。


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あかあかと


それを行う日取りは決まっていたし、姉のあかりも承知していた。
晩秋の一日。
帰る途中、姉は二人になりたがった。家までの道からそれて、遠回りに歩道を歩いた。あまり時間がないことは姉もわかっていた。夕暮れになってから戻っては叱られる。
家では母や親戚や寺の尼僧たちが待っている。
そのときを待っている。
姉は私の指にふれるのが好きだった。幼い頃から、そうだった。ほかの仲のよい姉妹と違ったことは、それが14歳までつづいたことだ。
十五でそれが途切れるとは思っていなかった。
歩きながら、あかりはお互いの指を絡めてくる。
「間違い探しみたいねえ」
「…何がですか」
「あなたと私」
本当にそうだった。
私たちは、よく似ていた。
髪質も、指の骨ばった部分も、へその形までよく似ていた。
「一卵性の双子ですからあたりまえでしょう」
「ふふふ。外見はね。でも中身は全然違うわ…性格も性質も」
それもそうだった。同じことをしていても、私は罪悪感しか覚えないのに、姉は幸福を感じていた。
「どこか行きたいところはありますか」
尋ねる。
「別にないの。それは私が問うことじゃないかしら」
「……」
「そんな顔しないで。意地悪言ったわけじゃないの」
その指を強く握り返した。
「では、付き合ってください」
「あらっ。王子様みたい。珍しいわねえ、あなたが主導権握ってくれるなんて」
あかりは笑った。まぶしく笑う。
その笑い声の音階が私の目には桜色に映える。
悲しいほどに透明な薄淡いその色調。
「どこに連れてってくれるの? 隣町? 遠い町? 人里離れた無人島? それとも海の外の大陸かしら」
わくわくと瞳を輝かせる。
無邪気な人だ。
「逃避行はありません」
押し殺した声で私が告げる。
「……あかし」
彼女はこちらの腕に寄り添ってくる。
「そんなつもりじゃないわ…そんなつもりじゃないの。ごめんなさい。逃げたいなんて私言わないわ」
黙っていると、彼女は話題を変えた。
「とても懐かしい場所に向かっているのね」
「覚えてますか?」
「ええ! …ああ、何年ぶりかしら。十年かそれくらい」
再び笑みがその面にあらわれる。
けれど、私の舌は打ち消すようなことを言う。
つまらぬことを言う。
「姉さん、今日はずっと内緒にしていたことをお話します」
姉の肩が揺らいだ。
私は卒業を待たずにそれを行うことにした。すると姉もそれに倣った。
向かう先は豊泉寺の経営する学園幼稚園。私たちの揺りかご。
園児たちはもうとうに帰宅している。門を通る。私たちの制服を見て、警備員は微笑するだけだった。それでも、経営者の嫡子だとは思っていないだろうが。
施設には向かわず、小さな庭園をまわりこんで、花壇へ向かった。姉は重い足取りでついてきたが、やがて顔をあげた。忘れていたことを思い出したのだろう。
「ああ…そうね。あんまり小さくて忘れていたけれど、この季節だったのね。この花が咲くのは」
花壇にはいちめんの彼岸花が植わっている。それらは根から毒を出してほかの種を排除してしまう。自ら毒を出して、他の何もかもを廃する。見かけは美しいけれど、恐ろしい花だ。
けれど、紅の光景に、姉はそれに等しい明るさで頬を輝かせている。
「この頃だったわね」
姉から言い出した。
「私とあなたが、本当はまったく違っていて、中身は間逆だというのを…お互いに知ってしまったのは」
「…そうでしたね」
覚えていてくれたのか。
幼かった私たちは、この花を一緒に見たとき、別々のことを言い合った。私の言うことがまったくわからずに、姉は泣き出した。そのために喧嘩した。
姉は花が赤いからきれいだと言った。私は、そうは見えないと言った。
そうしたら、姉は泣き出してしまった。だから、その先は言えなかった。
「あのとき…私が伝えたかったことを今でもあなたは御存知ない」
あかりは、目を見開いて、こちらを見た。
よく似ていると人は言う。豊かに長く伸ばした髪も、面差しも、よく似ていると。


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あめあがり

あたし達はいわゆる非行をおこなっているわけで、学内からは忌避されていた。
非行をおこなう、というのもおかしいけれども。
ある日学校の古株の先生に言われたのだ。「非行少女」と。
あまりの語感の古臭さに鼻で笑ったんだ。そうしたら頬を打たれた。
トモは先生に仕返しすると息巻いていたけれど、あたしがとめた。
無視するように頼んだ。
あたしにはそういう暗いところがあった。
めちゃくちゃやって退学になってもかまわないんだよ、ユウ。
トモにそう言われても笑うしかない。
中途半端な場所にしがみついてるから。
退学は困ると返答する。
それはトモも自覚をしているからこそ、困って。
困らせた。
あたし達のおこないが非行というなら、何か為すべきことが世間様では決まっていてそれを「しない」から非の字がつくんだろう。
あたし達はすすんで悪行を為すわけじゃなかった。
そりゃあ気に入らない奴をいじめたり、お小遣いが足りない時に持ってる連中から奪いはする。
でもそれもこの学校では看過される。悪行とはみなされない。
つまりただやる気がないだけ。
学年がひとつあがって二年生になってから、少しだけ学校の空気がかわった。
豊田あしほというこの学校の理事の親戚が入学して、まだ一年なのにさっさと生徒会長になりあがった。
それと一緒に、その姉という女が教員として赴任して、『看過する』って空気が教員からちょっとだけ消えた。
ほんとに、ちょっとだけ。
つっても、その生徒会長が大胆な改革をしたとか、コネ就職の美術教員がいきなり厳しい校則を強いたわけじゃない。
あたしら自身、相変わらず教員から指導を受けることはあった。
けど、コネ就職女がなんかしてくるってことはなかった。
で、最大の変化はやっぱり新入生のサキと仲良くなったことだった。
つまり最初から向こうも校則を守らないタイプで、授業中にふけてたまり場になる場所でかち合うことが増えた。
最初にらみ合うくらいだったのが、次第にうちらのグループから絡むようになった。
サキは誰ともつるみたがらなかった。
それがまためんどくさくて、邪魔だった。
わかりやすく、最終的にうちらはそいつをつねったり叩いたりしようとして取り囲んだんだけれど、サキにはめちゃくちゃ力があった。
そんで誰もケガさせなかったのだ。
掴みかかってった何人かの腕をひねったし、背中から押して地面に倒したりしたけれど、顔を汚さないよう気を払っていたことが、後でわかった。
脅しかけに対して動じないくらい強かった。
女子高の。
武道もやってない中途半端なヤンキーにすぎないうちらにとって、力があるとか勉強があるというのはそれだけで脅威で。
本当は、怖くて。
だから最初は怖くてサキにもう絡まないようになったのだった。
それでもうちらの共有する場所はどうしても重なるから、こっちから謝って仲直りしようともちかけた。
そんときのサキの笑い声は忘れられない。
めっちゃくちゃにバカにしていて。
でも心底面白そうで。
「仲直りって、もともと仲いい同士がするもんじゃねえの?」
あたしはサキの髪の赤いのが最初から本当に好きだった。
それが下品に笑って空気震わせるのをうっとりと見ていた。
グループでは。
あたしは格下で。
トモはあたしと違って集団のなかじゃちやほやされているから、トモがいなかったらあたしは弾かれていたんじゃないかと思う。
でも、そういう上下の差みたいな空気も。
サキが入ったら、なんとなく纏まるようになった。
だんだん次第に好きになるとかじゃなくて、最初っから苛烈に好きだった。
でも、サキはそういう感じじゃなかった。あたしが女だからじゃなくて、コイとかアイとか、そういうのわかんない感じだった。
トモは、あたしがサキに懐くのが気に入らないみたいだった。
いつもあたしを庇ってて、威張っているバランスが崩れるのが嫌だったんだと思う。
トモは。
自分を男なのだと言う。
体は間違った借り物で、本当は男だから高校出るまでに金を貯めて手術して改名して男に「戻りたい」と言う。
それはただの障害の症例なのだそうだ。
何度聞いても覚えられない名前の。セイドウなんたらショウガイ。
そういうのよくわかんないけれど、大変だねと言ったら、他人事みたいに言うなと怒られた。
聞いてみたらあたしが好きなんだそうだ。
男に「戻って」あたしと結婚したいんだそうだ。
そういうの勝手に決める前に告白するもんじゃないのと告げたら、好きだと言われた。
なんとなく。
あたしは、トモならいいかなと思った。
あたしが処女じゃないことを知っているのに、中学から同じなのに、どうして言わなかったの。
問い詰めたら、ずっとそのなんちゃらショウガイを調べるのに手いっぱいで、あたしが好きでも言えなかったそうだ。
でも、あたしが中学のときの先輩と付き合い始めたのも、その話も愚痴も全部黙って聞いていたのはあたしのためなんだそうだ。
あたしに、選択肢を与えるべきだと思ってたそうだ。
どうせ中学のときの付き合いなんて長続きしないから、あたしに男を経験させる猶予が必要だと思ったそうだ。
「正しい」「自然な」男性を選ぶか、最終的に自分を選ぶか。
それはあたしの勝手だけれど、最後には自分のものにする自信があったそうだ。
それを聞いたとき、トモの王様みたいな自信と、あたしをモノみたいにみなす上から目線に腹立ってしょうがなくってめっちゃキレて喧嘩した。
それだったら最初から言ってほしかった! って。
三日くらいものすごく怒って、口をきかずにおいて、毎晩悔しくて泣いて、悔しさが引いてから、自分が言ったことの意味に気付いた。
何で悔しいんだろう。あたしはトモを選ぶだろうと思った。
でも、確かに最初から男を知らずにいたら選ばなかったかもしれない。
白状したら、トモも教えてくれた。
本当は卒業まで待つつもりだったけれど、あたしが完全にサキのこと好きになってるから焦ったんだって。
確かに参ってるよ、サキにはめろめろだよ。でも、サキはあたしが男とやったとか、そういう話をすると困るし、怒るし、そういう潔癖なところ好きだけどあたしにはあわないよ。
あたしは最初からムリだよ。サキみたいなすげー女と付き合えるわけないじゃん、あたしなんか。そう言ったら、だから焦ったんだよって言われた。
かなわないのに、あたしがサキを好きでいるところがトモを焦らせてた。


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『ふじょ☆ゆり 番外編 サンプル』

『ふじょ☆ゆり 番外編 サンプル』 玉置こさめ 作

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  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2018-05-25
Copyrighted

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著作権法内での利用のみを許可します。