なぜ生きている

なぜ生きている

この世界には私の存在は無くなり、全く新しい宇宙が姿を現しました。
私の存在はこの生命の中に存在しているようで、全く存在していないのです。存在しているのは仏様としての存在で、私という人間は生命を営んでいないのです。
完全に無の私となり、この世界にはもういない。私に関わるものは仏様だけなのです。仏様が私の身代わりになってこの世界を生きている無我の美しき計らいがあった。
私は私の存在を無くしていくと、仏様がぱっと現れて大事な教えを授けるのです。
私は私ではない。そう、私は仏様である。
この世界に生命を与えられた奇跡は父と母の種の結合から起こりました。なぜ父と母は種の結合をしなければならなかったのか。
このでき事は偶然、もしくは必然の産物なのか。もし父と母のこの遺伝子の結合が行なわなければ、全く私と異なる生命が創造されていた。
もし偶然の産物であるのなら、なぜこのような私の遣伝子を誰が創造したのか。
私の遣伝子は誰が書いたのか。私の生命は誰が誕生させたのか。私の存在とはなぜ存在しなければならないのか。私の存在する意味、誕生する意味、本当の意味とは。
何か仏様から与えられた、この世界に生きている役割があるのです。

私は本当の私を生きているのか。私は本当の私を生きていないのか。
私は人間を生きているのか。私は仏様の仏性の中を生きている。私はこの世界に存在する意味を知っているのか。この私の存在はどこが認識しているのか。
そして創造主は脳を創造したのです。脳は何の為にあるのか。

父と母がこの世界に私を誕生させ存在させたが、必然的に存在させたのではない。私を誕生させたのは何という偶然なのでしょうか。
この世の営みから一回離れてみて存在している本当の意味を問うのです。
そして私は人間として生まれてきました。
この世の人間として一体何を課せられたのか。

人間は仏様の存在を知ることができます。仏様の仏性を知ることができます。
仏様の仏性は全く単一な事を要求しているのです。その単一なことだけに全生命をつぎこむのです。
それに生命の意味を確認するのです。生命はそれに帰依していく。
私は私ではなく仏様となって単一なものを寄り処として生きていく。生命の時間は限られている。一大事なものだけに使わなければならない。
さあ、私という人間は一大事なものを知り、一大事なものに、より時間を使うのです。
人間とは大概無駄な事をやるのが多すぎて、本当にその人にとって必要で大事な事を知ることができないままでいます。
私という遣伝子は何の為に存在しているのか。それはまさに生きるためなのです。
私は私を大事に思ってくれている母なる存在が必ずいるのです。
そう、私自身の遣伝子は、私を大事に生かしていくのです。

私という人間は他の人間とどこか異なるというのでしょうか。私は宇宙で唯一の存在なのです。
そして日常を生活する意味においては、大概の人々は全く同じ物事の捉え方で生きています。
しかしただ単に生活する意味だけに、人間は意味しているのではありません。

人間は仏様を感じることができる唯一の存在。私の仏様とは何処にいるのでしょうか。私の仏様は内なる私の中にいるのではないでしょうか。
だから私は安心している。私とはどこまでも安心して進化することができる。

人間の進化における創造性とは一般性を有していなければならないのです。
父と母がいなければ、私という遣伝子は生まれてこなかった。祖父と祖母がいなかったら、私はこの世界に存在しなかった。

この世界に私が今生きて存在している時、他の人間へと幽体離脱して意識を乗り移らせることはできない。
この世界に私が今存在していない時にも、他の人間に意識が移り変わって生きることはできない。
私という存在はこの世界で唯一なのです。
では私の死後には他人の遣伝子として一から人間の生命を始めることはできるのか。
それは私の肉体と精神とは全く別次元の異なる人間で、私の遺伝子を持った人間は、この宇宙でたった1回しか営む事ができないのです。

私という人間はもう創造することができないのです。
私はなぜこの地球のこの時代に産まれたのか。それは必然の時間性なのでしょう。
私はなぜこの場所に産まれたのか。それは必然の場所性なのでしょう。
私という人間を必然とするならば、これからやるべき事は明瞭にわかるのです。さあ、創造をしましょう。

なぜ生きている

なぜ生きている

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-05-18

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