Fate/Last sin -09

「彷徨える王は、此処に来たぞ」



 ムロロナは我に返ったように本から顔を上げた。狭くはないが、うず高く積みあがった書物たちのせいで手狭になっている書斎の、唯一の窓を背にする形で置かれた椅子に座ったまま、重厚な机の上に今まで読んでいた本を置く。そして目の前に現れ、先ほどの言葉を寄越したキャスターに眼鏡越しの視線を返した。時計は午後八時を回っている。
「……気でもふれたか?」
 キャスターは、軽く顔を歪めて額を押さえた。
「間違えた。犬が嗅ぎまわっているぞ、と言おうと思ったんだ」
 ムロロナはどことなく挙動不審なキャスターに訝しげな目を向けながらも、話を続ける。
「犬か。どんな犬だ」
「酷い執念と狂気の臭いがする野犬だ。奴め気配を隠そうともしない。鼻が曲がりそうだ」
 キャスターは不愉快そうに顔を歪めた。ムロロナは椅子から立ち上がり、夜の庭を臨む窓のカーテンを閉める。
「お前は地下に居ろ、どうせ戦闘などしたこともないだろう」
「おや、珍しく迅速な判断だ。しかし残念ながらその判断は的中とは言えん。的に掠っただけだな」
 キャスターはにこりともせず、淡々と口にする。
「私は戦ったことはない。戦闘においては特に最弱だと思っていい。だが協力しないのはそれ故ではない」
「……というと?」
「今は非常に重要な仕事にとりかかっている最中だ。しかし君の命の危険が迫ったとしたら、その時には手を貸すという意思を明白にしておこう」
 ムロロナは重ねて尋ねた。
「重要な仕事とは何だ?」
 キャスターは一瞬間、話すか否か迷うように、つとムロロナから目を逸らした。だがすぐに視線を戻し、口を開く。
「―――視ている。そう遠くない結末に目を凝らすのは生来の癖だな」



 書斎を出て、洋館の屋上に位置する天文台に足を運ぶムロロナの耳に、唐突にその音は届いた。北の正門の方から、キィンと空気を細く鋭く揺らす音が聞こえる。
「……もうあそこまで。早いな」
 独りごちたムロロナの後ろから、小走りでクララが追いかけてきて、横に並んだ。
「リリーとルルアドは二階の部屋に。結界を張ったから、余程のことが無ければ安全よ」
「その余程が起こるのが聖杯戦争だがな。もうすぐ客人が来る、クララも隠れなさい」
 だがクララはそのアッシュグレーの瞳をまっすぐムロロナに向けて、きっぱりと言い切った。
「いいえ。私も戦う。あのキャスターほどでなくても、私の錬金術の血は薄くはないもの」
 ムロロナは一瞬目を伏せ、天文台へ繋がる階段へ足を掛けながら小さく答えた。
「……わかった。頼りにさせてもらおう」
「ええ、勿論。私たちは夫婦ですもの、当たり前でしょ」
 キィン、と再び音が鳴った。今度は先ほどよりも、もっと近づいている。庭先にその狂戦士の前脚が掛かるのも時間の問題だった。
 ムロロナとクララは急いた足取りで天文台へ上がる。螺旋状の階段を上りきって、ドーム状の建物の最上階へ向かう。二人はじきに要塞の見張り台のような、天に開けた屋上へ出た。体を切り裂くような冬の夜風が容赦なく二人の間を通り抜け、天文台の中へ吹き込み、埃や紙を巻き上げて暴れる。
 広大な屋敷の敷地を一目で見渡せるその天文台から、ムロロナは夜に目を凝らした。キィン、という音は北の正門の方角から、徐々に間隔を狭めて響いてくる。音の正体は、昼間に屋敷の周囲に仕掛けた簡易的な罠のようなものだ。霊体レベルまで気配を感知する「糸」と言うのが近い。その糸に何かが引っかかれば、空気を振動させて音を発生させる。キャスターによれば、やって来たのはおそらくバーサーカーだろうというから、余程理性を失った、反英霊に近い何かだろう―――とムロロナは踏んだ。音は、先ほどまでは近づいてきていたが、ある一定の距離まで寄ってきてから進退を迷っている。糸を躱して進むべきか、強行突破するべきか判断に困っているのだろう。
「……クララ、あと数分は心配しなくていい。いや、数十分かな」
 ムロロナは隣に立つクララにそう声をかけた。クララもやや緊張を緩めた顔で、「そうね」と答える。来れるものなら来てみろ、とムロロナは内心で狂戦士を嗤った。もちろん最初の糸だけが、この屋敷を要塞と呼ぶに足らしめる罠ではない。散々呼び鈴を鳴らした後でようやく屋敷に足を踏み入れると、そこには丁重な迎えが寄越してあるはずだ。
 



 そして、騎士王は魔術師を嗤った。
「ドアベルなど幾らでも鳴らしてやる。この屋敷の主はたいそう臆病であるらしいからな」
 正門の真鍮の扉を、純白の軍靴がいとも簡単に蹴り破る。轟音と共に門扉が鉄屑と化し、それに巻き付いていた小癪な「糸」が引きちぎれ、か細い振動音が幾重にも重なって巨大な耳鳴りのような耳障りな音を立てた。その音の反響も終わらないうちに、狂戦士は片手に両刃剣を握り、もう片方の手を水平に伸ばし、空に届くような声で声高に叫ぶ。
「さあロクスレイ、ピエール、ウィリアム! この俺にさえ、なお従属した愚かな三人衆め。馬を呼べ、兵を呼べ、軍を呼べ! 十字の軍を此処に再来せしめよ!」
 宣言が終わるのと同時に、バーサーカーの背後に突如として水底の澱のような黒い渦が巻いた。それらは集まり、凝固して、また解ける。水面の草のように絶えず形を変えるそれらは、黒馬にも、幾千の兵士にも、幾万の剣にも姿を変えながら瞬く間に正門の一帯を埋め尽くした。
 フン、とバーサーカーは鼻で笑う。
 ―――俺の直感は正しかった。あの女狐、見込み通り、とんでもない魔術師だ。
 だがバーサーカーの軍勢に対抗するように、屋敷へと続く長い石畳の道の両脇の地面から、ぼこりと何かが生まれ出た。それに続くように、庭の地面がぼこり、ぼこりと隆起する。岩を纏い、草木を纏いながら大量に次々と生まれ出てくるそれは、土くれでできた泥人形のようであった。
 程無くして、とうに氷点下へ達した夜の広大な庭先で、泥人形の兵士と黒澱の軍隊が睨み合う構図が完成する。
 狂戦士はひときわ巨大な黒い霊馬に跨り、口の端を歪めた。
「泥風情を蹂躙することになるとはな。エルサレムの方が余程手堅かったに違いない」
 そう侮蔑の念を込めて呟くなり、その嘲笑は砂が水を吸うように消される。後に残った獅子の面影で、彼は剣を振りかざし馬を(いなな)かせた。
「全軍、正面突破せよ! 我ら十字軍の威光をこの地に知らしめるがいい!」


「十字軍の英傑、ウィリアム・マーシャルの好敵手、ロバート・ロクスレイの親友、ピエール・バジルに殺された男―――」
 身を切るほどの夜風が吹いているというのに、その魔術師は塀から身を乗り出すようにそのサーヴァントを見つめた。その顔には、隠しきれない高揚がうっすらと浮かんでいる。
「彷徨える王、獅子心王(ライオンハーテッド)……リチャード一世か!」
「……ムロロナ?」
 横に立つ妻に名を呼ばれて、彼はハッと我に返った。乗り出していた身を引き、ひとつ咳払いをする。
「いや、すまん。何でもない」
「ふふ。いいのよ、あなたが本当はワクワクしていること、私は知っているんだから」
 クララのにこやかな顔に、ムロロナはバツが悪そうにまた目を逸らした。しかしすぐに真顔になると、眉を寄せた。
「待てよ、彼がバーサーカー? セイバーの間違いではないのか」
 ムロロナは疑問を口にする。眼下の庭で数体のゴーレムを一度に相手取る、バーサーカーと思しきリチャード一世を見ながら。
「いや、しかしリチャード一世は戦闘狂とも見れる逸話を持っている。だがバーサーカーとして召喚されたのなら、それだけでマスターの負荷は大きいはず……影に過ぎないとはいえ、一つの軍勢の一部を召喚できるほどの魔力を供給して、平気な魔術師などいるのだろうか」
「方法が無いわけではない」
 そう答える声がした。クララとムロロナはぎょっとして背後を振り返る。夜闇の中に、キャスターの青白い姿が浮かぶように立っていた。ムロロナは溜息を吐く。
「驚かせるな、キャスター……それで、方法と言うのは?」
「分からないのか? サーヴァントの魔力供給には二つある。マスターから供給される通常の方法と、マスターとは関係ない外部から供給する方法―――魂喰い。どちらか、或いは両方だ」
「魂喰い―――」
 それを聞いたクララはあからさまに嫌悪感を顔に出した。
「キャスター。あのバーサーカーが、一般人を殺して魔力を得ていると言うの」
「何事においても短絡的な判断は、不幸を呼ぶだけだ」
 キャスターは飄々と答える。冬の夜風をものともせず、天文台の塀に頬杖をついて眼下の庭を見下ろした。その目は、まるで足元を這う蟻の列を見るような、そういう目だった。
「私の耳には、近頃この周辺で人間が大量に殺されたり行方不明になったり、という話は届かない。幸いと言うべきか不幸と言うべきか―――」

「あの化け物をたった一人であのように動かせる魔術師など、恐ろしくて信じたくもないがね」




 目の前の兵士がおぼろな槍で泥人形の口内を突き刺し、続けて他の兵士が数人でその人形の胴や頭に剣を叩きこんだ時、数秒だが玄関に続く道が開けた。そして影の軍勢の主将は、動乱の最中でもそれを見逃さなかった。
「ウィリアム! 扉を開け、全軍突撃する!」
「―――――」
 すぐ傍を澱の塊のような人影が風のように通り過ぎ、泥人形たちの合間を縫うようにその扉へ近づく。どんな壁よりも固く閉ざされた重厚で艶やかな扉に、ウィリアムと呼ばれた影が手を触れた瞬間、陽光に鏡が反射したような一瞬の光が差し、音もなくウィリアムの右腕を霧散させた。
「――――」
 しかしその影は何の怯えも恐怖も示さない。
 ただ淡々と、消えた右腕の代わりの左腕を扉に差し伸べる。


「馬鹿だ。正面玄関には対サーヴァント用の攻撃性結界が張ってある。ただの召喚物に破れるものではない」
 ムロロナは玄関の様子を眺めながら、冷たく言い放った。クララはそんなムロロナの横で、同じように眼下を眺めてはいるが、ムロロナと違い些かの不安を顔に浮かべている。そうしてしばらく沈黙していたが、ウィリアムの左腕が扉に触ろうとしたとき、突然顔を上げてムロロナに告げた。 
「万が一のこともあるわ。私、下に行ってくる」
「やめた方がいい」
「リリーとルルアドがいるのよ!」
 語気を強めたクララに若干鼻白んだムロロナだが、すぐに真顔に戻る。
「大丈夫だ、もし屋内に侵入された場合のことも考えてある」
「でも……」
「そうだろう、キャスター」
 話を寄越されたキャスターは、片眉を吊り上げただけだった。あくまでも我関せずという姿勢を崩さない彼に、ムロロナは詰め寄る。
「お前は言った。君の命の危険が迫ったとしたら、その時には手を貸すという意思を明白にしておく、と。昼間の準備もこの時のためのだろう。違うのか?」
 その詰問に対する答えを待たず、階下で轟音が響いた。


 ――――正面以外に抜け道を探す気は無いのか。
 両腕をかき消されたウィリアムは音のない声でそう尋ねてきた。騎士王リチャードは、その問いを鼻で笑う。
「騎士の王が鼠のように穴倉から敵の城内にに攻め込む、なるほど確かにそれは喜劇だ」
 そして泥まみれになった右手の剣を捨て、自分の背丈ほどもある巨大な槍を握る。
「俺は狂っているが、卑劣な子鼠に身を堕とした覚えはない。我等が騎士道の偉大なる祖に顔を向けていられるほどの誇りは、死んでも失くすつもりは無い!」
 リチャードは黒馬の手綱を思い切り引き、横腹を蹴った。馬は嘶き、前脚を高く宙へ蹴り上げる。そのまま黒い風のように、或いは怒り狂った闘牛のように扉へと突進した。
「―――見ていろ、要塞の主よ!」
 巨大な槍は、烈火の炎を纏って扉の継ぎ目へ狙いを澄ます。
「彷徨える王は、此処に来たぞ!」



「そう。その言葉を待っていた」
 今にも焼き尽くされそうな扉を目の前にして、玄関ホールの中空で霊体となったたキャスターが実体化する。粒子がその肉を編み終わると、燦然と燃え上がる扉、その向こうにいるバーサーカーに語り掛けるように、キャスターは言葉を紡いだ。
「―――子らを護ろう。人を救おう。聖地への巡礼も捨て、知恵を授かろう」
 艶やかなホールの床面が、炎の明かりを受けて赤く染まる。ホールから二階へと続く階段から、バタバタと足音がして、ムロロナとクララが追いつく。キャスターの声に呼応するように、ホールの古いランプの明かりが煌々と燃え盛る。
「黄金を捨て、創世記を編もう。聖霊の家に集い、神秘を解こう」
 静かな声とは反対に、扉から遂に槍の穂先が顔を出した。あと数秒もすれば、結界を張った扉も破られる。
 だというのに、キャスターは全く表情を揺らがせなかった。むしろその顔は、一種の穏やかささえも帯びていた。
「我らすべて、人間の為に。我らすべて、完成の為に。百年の契りを交わした時、未来は安寧に回帰する―――」


「『薔薇十字団の錬金術(ローゼンクロイツ・アルケミー)』」



 槍が完全に結界を破ったのと同時に、バーサーカーはふと違和感を覚えた。
 あれだけ燃え盛っていた炎が、まるで夜明けを迎えた薪のように衰え、白く濁って消えていく。
 炎だけではない。自分が跨っていた大きな黒馬も、槍も、燃え切った炭のように脆く崩れ去る。背後を振り返ってみれば、両腕を無くしたウィリアム、ロクスレイ、ピエール、ひいては泥人形と戦っていた数百の兵士、数千の剣など、バーサーカーが呼んだ十字軍の全てが、ただの靄となって夜中の闇に霧散していった。
「……どういうことだ」
 古いランプの明かりだけが照らす、輝きを失ったホールに立ち、バーサーカーは目の前に立ちはだかった男を見て歯ぎしりする。老獪な青年といった年齢不詳のその男は、顔色一つ変えず声を発した。
「ようこそ、彷徨える王」
「歓迎は不要だ。俺の名を知っているなら、貴様も当然名乗りを上げるつもりだろうな」
 冷え切ったバーサーカーの言葉に、男は首を振る。
「私は騎士ではない故、本来なら真名を名乗ることは無い。しかし宝具まで出して迎えてみせたのだから、今夜くらいはかの貴族じみたマスターも許すだろう」
 男は言った。

「私はキャスターのサーヴァント。錬金術師にして薔薇十字団の祖、真名をクリスチャン・ローゼンクロイツという」

Fate/Last sin -09

Fate/Last sin -09

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-05-09

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