Fate/Last sin -08

 ――――時間は夕暮れ前まで遡る。


「ランサー! これは何?」
 陽は傾き、色とりどりの明かりが灯り始めた風見市の中心、風見駅の南口から続く桜並木の道を歩くランサーと蕾徒がいた。蕾徒は初めて本物の繁華街を目にして、少しの時間もじっとすることはなかった。街や一般常識についてはむしろランサーの方が詳しいくらいで、パーカーとキャップ、ジーンズという一般人に紛れ込むには最適な服装を選んだのも彼自身だ。ランサーは年甲斐もなくはしゃぐ蕾徒に少しも疲れを見せず、蕾徒が好きなように動くのに合わせ、朝からこの時間まで風見市を歩き回っていた。
 蕾徒は並木沿いのとある出店の前で立ち止まった。桜並木の道沿いではいくつかの露店が開かれ、冷たい夕暮れの空気に甘い匂いやくすぶる煙などを織り交ぜている。蕾徒が立ち止まったのは、甘い匂いの方だ。
「良い匂いがする。ランサー、これは?」
「んん……? 俺も初めて見るものだな。鈴、カステラと書いてあるが……」
 二人が首を傾げていると、露店の店主と思しき中年の男性が「よう、兄ちゃん達」と声をかけてくる。
「鈴カステラ、知らねえのか?」
「ああ、俺の国では見たことないな」
 店主の男は顔をくしゃりと綻ばせて、「外人かい。珍しいだろう、ちょっと見ていきな」と一言いうと、背後の小さなテーブルから黄色い液体の入った容器を手に取り、それを目の前の、ドーム状の穴が開いた不思議な形の黒い鉄板へ流し込んでいく。黄色いどろりとした液体はたちまち茶色く焼ける。じゅう、という音と共に、甘い匂いが立ち込めた。
「良い匂い!」
 蕾徒が表情を輝かせているうちに、焼きあがった丸い焼き菓子が手際よく箱に詰められていく。あっという間に、十個の焼き菓子の入った箱が出来上がった。
「なるほど、見事なもんだな!」
「何言ってる、冷める前にさっさと食っちまいな」
 店主はそのカステラの箱をランサー達に向かって差し出し、蕾徒は嬉しそうな顔をしたが、ランサーは困った表情を浮かべた。
「ああ、すまないが今は金を持っていないから―――」
「サービスだよサービス。風見に外人が来るなんて珍しいからさ、これくらい遠慮せずに持って行きな」
 ランサーは一瞬驚いたように眉を上げ、すぐに顔を綻ばせる。
「なら遠慮なく貰おう。ありがとう」
「そんな大したもんじゃないけどな。兄ちゃん達見てると、何かしてやりたくなるんだよ」
 二人は礼を言って気前のいい店主の露店を離れ、蕾徒はさっそくカステラを一つ口に入れる。
「甘い!」
 ランサーも一つ頬張り、それから「あ」と声を上げる。
「……そういえば蕾徒、朝から何も食べていなかったが、体調は大丈夫なのか?」
 しまった、と思った。サーヴァントは食事の必要はないが、人間は日中に三回食事をしないと体調面に支障をきたす。蕾徒は朝から今の今まで、食べ物に興味を示しても、それを「食べたい」と自発的に言うことはなかった。俺に遠慮していたのでは、とランサーは申し訳ない気持ちになる。
 だが蕾徒はきょとんとした顔で首を傾げた。
「ごはん? 調整のこと? 朝は一回したし、次の調整は夜の九時だから、大丈夫だよ」
「調整……?」
 蕾徒は鈴カステラをもう一つ口に放り込み、「うん、やっぱり甘い」と頷いてから説明する。
「朝の五時に一回、夜の九時に一回、ぼくはおとなの人に呼ばれて『調整』するんだ。多分それが『ごはん』の代わり。でも外の世界のみんなは、毎日色んなものを噛んで飲み込まないと生きていけないんでしょ? 大変だよね」
「……つまり、普通の人間の食事は摂らないと?」
「うん、たぶん。よくわかんないけど」
 ランサーは自分より頭半分ほど背の低い蕾徒をじっと見た。召喚された時からどうやら自分のマスターは普通の魔術師ではないと勘づいてはいたが、まさか普通の人間ですらないとは。
 ……だが逆に考えれば、夜の九時にあの温室に戻ってさえいれば、あとは食事という煩わしい本能に縛られることなく、自由に戦えるということだ。それはおそらく他のマスターにはない有利性だろう。戦いにおいては食事をとる時間すら惜しい根っからの軍人であるランサーにしてみれば、蕾徒はむしろ好都合なマスターだった。
「でも、これは甘くて、おいしい。甘いっていうの初めて知ったけど、結構、いいかも」
 葉の落ちた冬の桜並木の下を歩きながら、蕾徒はぽつりと言った。その一言に、ランサーは虚を突かれる。
「……そうか。お前は、戦うためにそういう風になったのか」
「?」
 蕾徒は分からない、という風にランサーの顔を見上げた。だがランサーは首を振り、「何でもない」と答える。
 偉大なる友は、この虚弱な魔術師を見たらどう思うだろう。
 自分と同じだ、と言うだろうか。誰かに偉大になることを望まれて生きているのは、戦うためだけに生きているのは、彼も同じだったろうか。
(……やめよう。考えても無駄だ)
 ただ一つ言えるのは、偉大なる友にも、このマスターにも、同情は不要だということだけ。生前そうだったように、今回も俺は、考えればいい。この魔術師が聖杯を獲るに相応しい戦いができるように――――
 そこでランサーは、はたと足を止める。
「……何だ?」
 駅前の桜並木を中心とした繁華街が並ぶ大通りを二人は歩いているが、その大通りから延びる幾つもの細い路地がある。ランサーはその裏路地の一つから、異様な気配を感じて立ち止まった。魔術師である蕾徒もそれに気づいたのか、カステラの最後の一つを飲み込んで辺りを見回す。
「なんか……首のうしろがぞわぞわする」
「魔術師か、サーヴァントか……聖杯戦争に関わる物であることに違いは無さそうだな」
 ランサーは警戒しながら大通りを進んだ。この一帯のどこかに、相対するべき敵がいるはずだ。夕日はとうに沈み、明かりの増えた街には帰宅する人々で、人通りが多くなり始めている。槍をいつでも握れるように利き手をパーカーのポケットから出して歩く。しかし、これほど一目があるところではとても槍を使って戦うことは出来ない。相手がアーチャーやアサシン、キャスターなど人目を忍ぶことに長けていれば、こちらは温室に退避することも考えなければ。……いや、敵に追い込まれて九時までに戻れなければマスターの身が危険だ。第一優先は温室へ戻ることか。それから出直しても―――
「ランサー!」
 蕾徒の小声で、ハッとランサーは我に返る。考え込んでいるうちに、蕾徒が何かを見つけたようだった。
「あそこ、あの子。……なんか、普通じゃない気がする」
 彼の指さす先は、二車線の道路を挟んだ向かい側の歩道だった。並木の終わりの曲がり角、飲食店と飲食店の間の細く暗い道の入り口に、一人の少年が立っている。
 その恰好は確かに異様だった。この極東の日本という国に馴染んでいるとは言い難い、民族衣装のような服に身を包んでいる。その肌は浅黒く、羽飾りを耳元に付けている。年齢は蕾徒よりも下だろうか。
 少年は獲物を狙う狩人のような冷静な目で、こちらをじっと観察していた。
「……確かにあの少年は魔術師だろう。あの目つきでは間違いなく敵、だろうな」
「そっかあ。どうする? お話しする?」
 ランサーは少年の周囲を見る。視認できる限りでは、少年のサーヴァントは実体化していない。どこかから奇襲してくる可能性もある。まずはお互い様子を見るべきだろう、と提案しようとランサーは口を開こうとしたが、蕾徒が道路の向こう側へ向かって声を張り上げる方が早かった。
「おーい! キミ! キミはマスターかーい?」
「なっ、この馬鹿……!」
 行きかう人々の視線を受けて嫌な汗をかきながら、ランサーは蕾徒をたしなめようとする。だが蕾徒は歩道の植え込みを跨いで越えると、車が通るのもお構いなしに二車線の道路をずかずかと歩いて渡り、少年の元へと近づいていった。いくつものクラクションが大合唱しても、蕾徒は気にすらしていない。むしろ少年の方が目を丸くして蕾徒を見ていた。
 そして蕾徒は呆気に取られている少年にあっという間に近づくと、無邪気な笑顔と共にこう言った。
「こんばんは! 初めまして! ぼくは御伽野蕾徒。キミは?」
「……」
 少年はしばらく驚いた表情のまま蕾徒の顔を見上げていたが、我に返ったように表情を険しくし、渋々ながらも名乗る。
「……ラコタ。ラコタ・スー」
「ラコタ、スー。変わった名前だね。ラコタ、って呼んでいい?」
 ラコタ・スーは奇異なものを見たような、嫌悪とも敬遠ともつかない顔で蕾徒を見る。
 ――何だ、このマスターは。
 天真爛漫を装っているのか、それとも本当にただの世間知らずなのか。年下の僕を馬鹿にしているのか? ―――いずれにしてもラコタは蕾徒に対して良い印象を持たなかった。だが攻撃を仕掛けるタイミングも逃したことに気づく。しまった、とラコタは内心唇を噛んだ。そういう作戦だったのか?
「ねえ、ぼく他のマスターと会ったの初めてなんだ。何か話そうよ」
 ラコタはその言葉を半ば上の空で聞きながら、目だけで蕾徒のサーヴァントを探す。姿は見えないが気配は感じる。蕾徒がこちらに話しかけている間に、霊体化して姿を眩ませたのか。
 少年はわずかに顎を引いて意を決した。……そっちがその気なら、いいだろう。ボクにだって考えがある。
「話を? ……ならもっとこっちへ来てください」
 ラコタは飲食店の隙間の路地裏に足を踏み入れた。蕾徒はきょとんとした顔で大通りに立っていたが、すぐに素直に頷いた。
「人の多いところは苦手なんだね」
「……そう、人の多いところは苦手です」
 一歩、そして一歩。暗い方へ、狭い方へ。
「キミはどこから来たの? どんな魔術師なの?」
「それは……」
 また一歩、そして一歩。もういいだろう。ラコタは姿が見えるか見えないかの暗がりの中、蕾徒を振り返った。
「そんなことは、きっとすぐに分かりますよ」

 銃声。
 ―――乾いた破裂音が、冬の夜に響いた。



「まさか今の一発で、我がマスターを仕留めたと?」
 男の低い声がした。銃声に驚いて尻餅をついた蕾徒の目の前に、鎧を着た背の高い男が立っている。暗闇の中でも鈍色に光る穂先には、弾丸を跳ね返した傷。ラコタは首を横に振った。
「いいえ。あなたが強いサーヴァントであるということは、良く分かっていました。さっき見た時から」
 そう言うラコタの背後で、誰かが動いた。
 ラコタは挑発的に言ってのける。
「ですが――ボクのサーヴァントもまた、強いですよ」
 その言葉を待っていたかのように、路地裏の闇の中からその男は現れた。
 背はランサーよりわずかに低い。コンクリートの地面を踏むのは黒革の軍靴、纏っているのは深緑色の軍服。深い皺が刻まれた顔に相反した、隙の一つも見せない鋭い眼光。腰には白鞘の日本刀と銃が一丁。
 ランサーは聖杯に与えられた知識と総合して結論を出した。彼は間違いなく、東洋の軍人だ。恰好からして近代の英霊と推測できるが、油断は出来ない。自分と同じか、それ以上の偉業を成し遂げた相当の要人であったに違いない。
 その老年のサーヴァントは、短い髭を蓄えた口を開く。
「……槍兵、か」
「そうだ。そう言うお前は、何者だ?」
 ランサーが槍を構えても、その老人はピクリともしない。まるで明日の天気の話でもするような口調で、
「儂はライダークラスのサーヴァント。……と言っても、まあ船に乗っていなければただの老人だ」
 と名乗った。ランサーは肩をすくめる。
「まさか。であればさっきの銃撃はどういうつもりだ」
「生前の戯れの残滓よ。さて小僧―――」
 ライダーはラコタを振り返った。
「閉所では弾が暴れまわる。犬死を良しとするなら此処に居ても構わんぞ」
「そうですね、ライダー。ではボクはこれで」
 小さなマスターはマントをひらりと翻らせて、さっさと路地裏の奥へと消えていった。ランサーは腰を低くし、槍の穂先に近い柄を握る。そして背後にいる蕾徒に声をかけた。
「蕾徒、お前は先に温室へ戻っていろ。何かあったら令呪を使って俺を呼べ。魔術を使うなら、誰かに見られないように注意しろ」
「……わ、分かった」
 先の銃声とライダーの威圧感に気圧されたのか、蕾徒は強張った表情でそのまま来た道へ引き返す。
 魔術師は去り、サーヴァントだけが路地裏で相対する。
 ライダーは軍帽のひさしから猛禽のような目を光らせて、足を一歩後ろに引いた。
「さあ、心行くまで殺り合おうぞ」



 
 明け方に見た湖から、ずっと川を下って街まで来た。だから川を上っていけば、湖のほとりの植物園、つまり蕾徒の拠点である温室へと帰れる。
「はっ、はっ、はっ」
 川沿いの道路はなだらかな上り坂が続き、それが蕾徒の細く弱い脚を苦しめた。それでも蕾徒は、ランサーの戦いについて考える。
 ランサーは強い。とても強い。なにせ、あの分厚い温室の透明な壁を一撃で破ったのだ。それに脚も強い。頭もいい。いろいろなことを知っているし、いろいろなことを教えてくれる。だから本当はランサーの戦いを目の前で見てみたかったのだ。あの棒――槍というらしいが、あの武器でどうやって戦うのか。何を考えるのか。
 でもそれは出来ない。なぜなら、この一日で、自分は余りにも弱すぎるということをよく知ってしまったから。
「いやだな、弱い、のは」
 走るとすぐに息が切れる。何も知らない。武器も使えない。そんな自分がランサーの隣に居たら、邪魔になってしまうということだけは分かる。だから今は走るしかないのだ。
 蕾徒は一心に坂を上り続けた。あとどれくらいだろう。もう相当上ったはずだ。街灯の間隔は徐々に狭くなり、街のざわめきも遠くなり始めている。生まれて初めて熱くなった頬に冬の冷たい突風が吹きつけた時、蕾徒はそれを見た。
「あ」
 鳥だ、とすぐに気づく。白く大きな不思議な鳥が自分のすぐ頭上を掠めて飛び去り―――と思ったが、それは少し先の道の上で旋回して、こちらへ突っ込んでくる。
「うわあ!」
 ぶつかる、と思わず顔を手で覆ったが、衝撃は来ない。変に思って顔を上げると、ばらばらに千切れた紙のような鳥の残骸が風に舞っている。
 その中に、先ほど路地裏から出ていったはずのライダーのマスターが立っていた。黒髪に褐色の肌、無表情の顔を縁取る羽飾りが変わらないまま、街灯の明かりを受けて白く光っている。蕾徒は驚きつつも、乱れた呼吸の合間から問いかけた。
「ラコタ、だよね」
「そうです」
「鳥になれるの、知らなかった」
 ラコタは一瞬目を見開いて驚いたが、すぐに無表情に戻る。
「あれは使い魔です。乗ってきただけ」
「なんだぁ」
 気の抜けた蕾徒の返事に、ラコタは少しだけ眉根を寄せた。機嫌を損ねたというよりは、不可解だ、という表情をする。
「あなたは本当に呑気な人ですね。これから戦うんですよ、ボク達」
「ノンキ? ……ああそれ、ランサーにも言われたよ。緊張感が無い」
「そう、それ」
 夜の寒い遊歩道で向かい合ったまま、蕾徒は力なく笑う。
「だってぼく、弱いから。どうせ負けるよ。きみはすごいね、ぼくより年下なのに」
 その言葉に、ラコタは少し呆気にとられたようだった。一瞬の沈黙の後、「それは」と声を上げる。
「それは、戦ってみないと分からない。負けるか、勝つか」
 少年の声は語気を強めていく。
「戦う前から諦めるなんて、それこそ本当に弱い人間のすることだ。力が無くても、戦えば……諦めるよりはマシな結果になる」
「……」
 今度は蕾徒が呆気にとられる番だった。
 実のところ、彼が言っていることの意味のほとんどが理解不能だった。力が無くても戦えば、諦めるよりはいい、と。何故? 弱い人間が戦っても負けるだけだ。力が無いから、弱いから、強い方に負ける。弱くても勝てる世界などあるはずがない。だって、勝った方が強かった、それだけの事なのだから。
 だから蕾徒は正直に言った。
「ごめん、良く分かんない」
 ラコタはそれを聞いて再び無表情になる。「いえ」と短く言葉を切った。
「余計なお世話でしたね。ボクは―――」
 その言葉が続くよりも先に、不意に彼の金色の目がハッと大きく見開かれる。次の瞬間には、その手が蕾徒の頭に伸びていた。
「え――――」

 突風が吹いた。
 蕾徒は頭を地面に向かって押さえつけられ、バランスを崩して額からコンクリートの地面にぶつかる。相当な勢いで打ったようで、一瞬真っ暗になった視界に火花が散った。
「いったぁ! 何す―――」
「誰だ」
 ラコタの異様なまでに低い、警戒した声色が聞こえて蕾徒は口を閉じる。何が起きたのかはわからないけど、何かがおかしい、ということだけは分かる。自分は黙っていた方がいい、ということも。
「私ですかー?」
 後ろの方から女の人の声がした。ラコタの声に相反して、変に間延びしている。そう、全く緊張感がない。蕾徒はその声の主が気になって、ラコタの手の下から抜け出した。
 声の方を振り返る。寒く、冷たいがらんとした夜に、彼女は本当に唐突に姿を現した。
「私、空閑 灯っていうんですけどー」



「ご存知ないでしょうねぇ、まあ」

 

Fate/Last sin -08

to be continued.

Fate/Last sin -08

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-05-03

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

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