悲しみよ、あなたは素敵な唯一の

標高およそ千メートルの手稲山に車で登ると、眼下には札幌の市街地が輝いている。なんて素敵な光景なのだろう。そう言えば日本三大夜景に選ばれたんだっけ?車を降りると、微かな涼しげな風がそよいでいる。目を瞑ってその顔を撫でる風がなんとも心地よい。思わずため息をついて、この今見ている風景を脳裏に記憶させようと瞼(まぶた)をぎゅっつと、きつく閉じた。じっとその場所に佇(たたず)んでいると、車が一台登ってくる音が聞こえてきた。
わたしは慌てて車内に入り、ドアをロックした。こんな夜中に山に登ってくるなんて尋常じゃない。その車はマツダの赤色のロードスターで車をわたしの車に近寄せた。そしてドアを開けて、わたしの車に近づいてきた。
女性だった。しかもとびきりの美人だった。歳は二十二歳といったところ。
彼女はわたしのドア越しに、こんばんわ、と挨拶をしてきた。わたしは窓ガラスを開けて、わたしも、「こんばんわ、初めまして」と挨拶を返した。
「ドライブですか?」彼女は答えた。
「そうなんです。なんかセンチメンタルな気持ちになれる場所なんです。とても静かでしょう。自分だけが最後の生き残りみたいな感じがして、そう、もう世界にはわたししか生きていないのだ、みたいな感覚がなんだか身体がじーんとしちゃって、寂しくはあるんだけど、感動もするんです。思いませんか?」
「ええ、わたしもたまにこの山に登りに来るんです。物騒ですから車外には出ることは避けているんです。でも、そうだ、あなたのことなんていえばいいでしょうか?」
「宮崎恵介と言います」
「わたしは鈴木ちなみって言います。それであなたの車を見て、きっとこの人は安全な人だと、啓示のように身体が感じたんです。宮崎さんは危険な人じゃないですよね」
「ははは、自分で言うのもなんだけど危険に成りえる人物ではないかと思うこともありますよ」わたしはドアを開けて、ちなみさんの傍まで来た。
「でもその危険を実行する可能性はゼロに近い。そう言いたいのでしょう」ちなみさんはにっこり笑って手に持っていた缶コーヒーを飲み干した。
「あまり人の心を読まないでいただきたいな。でもそんなに居心地の悪いものではないかもね」
「宮崎さんの車、トヨタのMR2ですよね」
「うん、そうだ、けっこうじゃじゃ馬だよ」
「ええ、素敵な車」
「そうだ、こんど一緒にドライブでもしませんか?まだ出会って数分しか経っていないですけど」
「いいですよ。小樽経由で余市に行ってみたいな」
「オーケー、そうだ、鈴木さんの携帯番号教えてもらってもいいですか?」
「はい、いいですよ」鈴木さんから番号を教えられ、わたしも自分の携帯番号を教えた。
「それじゃあ、電話します。鈴木さん、安全運転で」
「さようなら、宮崎さんも」
手稲山を降りていると、なんとも言えぬ心地よさが脳を刺激していた。後ろを走る鈴木さんのことをバックミラーで確認する。なんて素敵な人なのだろう。久しぶりに恋に落ちてしまった。俺ってほんと純情というか単純というか、どうしようもない奴だな。でも、鈴木さんが携帯番号を教えてくれたことは、きっと、わたしに好意をもっているからこそなのだろう。バックミラーの彼女は笑顔だった。とても嬉しそうだ。いかん、運転に集中しなくては。山を下り、五号線を右に曲がると、彼女は左に曲がった。その時彼女はホーンを鳴らした。わたしも同じようにホーンを鳴らした。
このまま自宅に帰るには、なにかせっかくの温かな思いがうち消えてしまうような感じがして、家の近くのネットカフェに寄って、狭いスペースの中で今日起こった出来事、これから行わなければいけないことを、静かに黙想したくなった。
店内に入って個室に潜り込むとパソコンを起動して、youtubeで音楽を見たり動画を見たりしながら、今後の将来について、考え始めた。ただ、ぼーっとしているのではなく、真剣な黙想をしてこれから自分がどうやって生き抜いていくことができるか、将来に向かって、いったいなにができるか、深く意識を薄れさせないようにした。
コーヒーを何杯も飲み、ソフトクリームもたくさん食べて、意識は覚醒していた。その時、突然の閃きがわたしを襲った。きっとわたしは鈴木ちなみさんと結婚すると。劇的というのか、不可思議なことと言えばよいのかわからないけど、このことは真実だ。つまり、わたしは鈴木ちなみさんを愛していると。きっと、かけがえのない思いとなるだろう。記念的なことになるだろう。わたしはいまだ、バックミラーに浮かぶ彼女の笑顔がまるで残像のようにわたしの脳裏に浮かんでくる。わたしは忘れないであろう。この気持ち、この思い、久しぶりに自然と涙が目からこぼれだした。そこまでわたしは愛に飢えていたのだろうか。たぶん、そうなのだろう。きっとわたしは鈴木ちなみを幸せにすることができる。そう強く確信した。明日、彼女に電話をしよう。そして、驚かすのだ。何を?どうやって?それはわたしだけの秘密なのだ。

悲しみよ、あなたは素敵な唯一の

悲しみよ、あなたは素敵な唯一の

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-04-26

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