*星空文庫

千葉県の東側

earthsolute 作

  1. 茂原市
  2. 茂原市
  3. 鹿嶋市
  4. 鹿嶋市
  5. 鹿嶋市

茂原市

また、市庁舎建設現場からナガスクジラの化石や貝類が発見されたことから、1万年ほど前の平地部は、ほとんど海底であったと考えられます。やがてこの海は、5,000~6,000年前の時代に、土砂のたい積と隆起の繰り返しによって陸地化していきました。
4世紀に大和朝廷が確立してからは、市内にも古墳が築かれるようになりました。双子塚古墳からは直刀や杯型土器などが、長尾古墳からは陶棺が掘り出されています。

藻の茂る原野に手を入れ、牧野として整備したのは藤原黒麻呂でした。宝亀5年(774年)に上総介に任じられた黒麻呂とその子孫によって開墾された牧野は、広大な荘園を形成するに至りました。しかし、その荘園も武士階級の台頭とともに没落、戦国時代に消滅し、やがて武士の所領となっていきます。
当時、里見氏と北条氏が反目する中で、付近は長南武田氏、土気酒井氏、東金酒井氏と黒熊大膳(本納地域)が勢力を張っていました。黒熊氏は酒井氏とともに里見氏に属し、一支城としての役割を担っていましたが、永禄7年(1564年)国府台合戦で里見方が北条氏に敗れたのを機に、酒井氏が北条側に寝返ったことから、両者の間柄は危機に陥りました。結局、黒熊大膳の奸計虚しく、里見の援軍を迎えぬまま本納城は落ち、大膳も自害しました。本納の蓮福寺の裏山は「本城山(ほんじょうやま)」と呼ばれ、九十九里平野を見渡せるここに黒熊大膳の居城があったとされています。
のち上総藻原地方は、徳川家康の家臣である大久保治右衛門忠佐に支配されます。そして江戸幕府が開かれると、数多くの旗本の知行地として統治されることになります。今も受け継がれている「六斎市」は、このころ初代大久保治右衛門によって開かれたものです。
江戸時代、この地方に関係した文化人には、実践的学問を説き、赤穂浪士の処分問題にかかわった荻生徂徠がいます。この向学の士は、14歳から13年間、本納に住んでいました。
また、このころ茂原は湿地や沼が散在する原野でしたが、8代将軍吉宗が登場した享保年間から、千町野、大芝村、永吉、早野地区で新田開発が盛んに行われました。

茂原市

千葉県の東側はなんで茨城で無いのだろう。

鹿嶋市

鹿嶋市

縄文人の生活道具
縄文人は,様々な道具を使っていたことがわかっています。鹿嶋の縄文人はどんな生活道具を使っていたのか見てみましょう。市内の遺跡からは土器の次に石器類が多く出土しています。

土器(どき)

鹿嶋市内から見つかった縄文時代後期~晩期の土器です。食べ物を煮炊きする際などに使われていました。

縄文土器3つ

こちらは,やかんのように注ぎ口がある縄文時代後期の土器です。平成3年の発掘調査で縄文時代の住居跡から発見されました。

縄文土器 注口

石鏃(せきぞく)
竹の棒などに挟んだり,棒に突き刺して矢じりとして狩猟に用いました。

石鏃

石斧(せきふ)
字のとおり斧として使用されました。鹿嶋市内の遺跡では,植物の採取や地面に穴を掘るために用いたと推測される打製石斧の出土例が多いです。

石斧

ツマミ形石器
鹿島神宮の北側に厨台遺跡という鹿嶋市の縄文時代中期の代表的な遺跡があります。この厨台遺跡で多く見つかるツマミ形石器は,ガラス質黒色安山岩を主な石材として用いています。その使用方法は,獣の皮を剥いだり,肉を切ったりするのに使われていたものと推測されています。

ツマミ形石器

石錘(せきすい)
石錘は漁をする際に錘(おもり)として縄につけて使用したものです。両端の切り込みに縄をかけて,使っていました。石錘

骨角器(こっかくき)
動物の骨などで作った釣針や銛などの器具を骨角器といいます。鹿嶋市神野地区の神野遺跡では鹿の骨でつくられたヤスが見つかっています。ヤスは,銛と同様に魚を突き刺して捕る道具です。ヤス

編み物
鹿嶋市内では編み物そのものの出土例はありませんが,網代の痕が底面に残っている土器が出土しており,網代(編み物)を使用していたことが伺われます。網代痕
木製品
この他,木製品は鹿嶋の縄文人にとっても身近な道具の一つであったと思われますが,腐る物質のため残っておらず,台地上の遺跡からは発見されていません。全国の縄文遺跡では,低湿地から稀に,器や櫛,丸木舟や弓や杓子などの木製品が出土しています。鹿嶋でも縄文時代にこれらの木製品が使われていたのではないかと想像されます。

鹿嶋市

鹿嶋市は茨城で、茂原市は千葉だが、両者気候は非常に似てはると予測しております。なんで違くなったのでしょう。

鹿嶋市

鹿嶋市

縄文時代の人々は自然と共生した生活を送っていました。自然は恵みをもたらしてくれると同時に,人間にはどうすることもできない大きな災害をもらたらす力を持ったものでもありました。そうした自然への畏怖の念からアニミズム信仰が生まれ,祭祀が行われるようになりました。

鹿嶋でも祭祀に使われたと考えられる土偶などが多く出土しています。


土偶 ―どぐう―

土偶は妊婦や女性を象った物がほとんどで,割れた状態で見つかる例が多く,安産等を祈り,身代わりにするために割って捨てられたものなどであろうと考えられています。

鹿嶋市宮中の片岡地区に,縄文時代の集落跡の片岡遺跡があります。この遺跡から,頭・肩・胴部がバラバラの状態の土偶が見つかりました。この土偶は,乳房がふくらんでいることから女性を表わしていると考えられます。片岡遺跡 土偶 実測図

片岡遺跡の土偶も儀式のために割られたものなのでしょうか。発掘調査で発見されたことにより,約3500年ぶりに頭と胴体がくっついたことになります。
(右:片岡遺跡出土 土偶実測図)

鹿嶋市内から出土した様々な土偶

土偶

石棒 ―せきぼう―
土偶は女性を表わすとされていますが,石棒は男性を表わし土偶と同じように縄文時代の呪術に使用されたと考えられています。

石棒は縄文時代前期に出現し,縄文時代後期終末から晩期にかけて頭部の形が抽象化されて,やがて石刀や石剣へと変化しました。鹿嶋では,発掘調査で発見された例

『千葉県の東側』

『千葉県の東側』 earthsolute 作

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2018-04-16
Public Domain

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