Fate/Last sin -06

 靄がかかった薄暗い視界の中に、両親と祖父母の姿が見える。
 私の右手に刻まれた令呪を見て、四人は凍り付いたような表情を浮かべる。両親は口々に、私をなじる。
「お前には無理だ」
「あなたには無理よ」
 そう。
 私はいつだって期待されていない。姉さんの代わりにはなれない。
「やめておけ。命がいくつあっても足りん」
「無理をしないで、楓」
 優しい祖父母の言葉も、なぜか今は針のように刺さる。
 私には無理だという。
 それはそうだろう。だって私は優秀じゃない。ただの普通の人間だ。素養もない。期待もされていない。だけど―――
 万に一つの奇跡に縋るくらい、試してみたっていいと思った。
 それで姉さんが帰ってきて、私の役割が終わるなら。
 視界がぐるぐると周る。輪郭がぼやけて、絵の具が混ざっていくように全部、ぐちゃぐちゃになる。灰色の視界だけが――――

 



「マスター、起きているか?」

 楓はその言葉を、ドアの内側から聞いた。寝起きの気怠い体を、「うう……」と唸りながら伸ばす。まだ眠たい。覚醒とレム睡眠の間をうろうろしていたくて、楓はごろりと寝返りを打った。カーテンの向こうは既に明るい。
「……え!?」
 ハッと目を開け、勢いよく身を起こした。部屋の中はカーテン越しでも分かるほど高い位置からの陽ざしで満ち溢れ、嫌な予感がして目覚まし時計を掴み上げる。
 午前十一時半。―――それが結果だった。
「ぎゃーーーーーーー!」
「どうした、マスター!」
 扉を激しく開け放ち、金髪の青年が長剣を手にして部屋へ突撃してくる。楓はその光景に飛び退いて、また悲鳴を上げた。
「うわーーーー!?」
「今度はなんだ!? 敵か? 刺客か? 決闘か?」
 青年はしばらく剣を構えて鋭く周囲を見回していたが、寝ぼけた少女しか居ないのを知るとすぐに剣を鞘に納め、溜息を吐いた。
「何だ、何も無いのか。あまり私を驚かせないでくれ、マスター」
「ええ、ええ……?」
 楓は取り返しのつかない寝坊と、目の前の青年の存在の両方に呆気にとられていたが、すぐに目を見開いてベッドから飛び起きた。
「誰!?」
「む、覚えていないのか?」
 青年は困ったように首を傾げた。そう言われても……と楓はしばらく頭をひねったが、すぐに「あ」と声を上げる。
「そうだ、昨日の夜……」
 楓の一言に、青年はにこやかに頷く。
「思い出したか。そう、私が昨夜、貴女の下に召喚された最後のサーヴァント、セイバーである。……ああ、だが、先に詫びなければ」
 言うや否や、青年は楓に歩み寄った。男性が苦手な楓は怯えたように後ずさりしたが、セイバーは構わずに楓の前に立つと、いきなり膝を折って地に(ひざまず)いた。
「ちょ、ちょっと……」
 驚く楓を気に留めず、セイバーは楓の右手をとる。
「マスター。女性である貴女の私室に勝手に踏み入ったこと、そして昨晩、敵を撃退させる為とはいえ、勝手に宝具を使用したこと、心から謝罪する。そして何より――――貴女の名前を聞くのを失念していた。今更ながら、尋ねたい。貴女の名は?」
「も、望月、楓です。あの、手……」
 楓はセイバーに握られた右手をこわばらせ、そう名乗った。セイバーは楓の後の言葉に一瞬きょとんと首をかしげたが、「ああ」と一言おいて手を放す。
「失礼、馴れ馴れしすぎたか」
「いや、あの、すみません……」
 セイバーは楓との距離を測りかねて、軽くため息を吐く。セイバーとしては、楓を怯えさせず、かつ彼女が自分の主であるということをどうやって認識してもらったらいいのか、自分に配慮が足りないのか―――と黙考していただけだったのだが、その沈黙が余計に楓を怯えさせた。
「あの、何か……私なんかがマスターで、本当、すみません」
「謝らないでくれ。君は堂々としていればいい、楓。そうだ……何か、してほしい事は? 何でもしよう。何でも言ってくれ」
「うーん、特に、は……」
 楓は困惑して下を向いた。魔術師としても半人前の私は、サーヴァントに何か命令できるほどの知恵も戦略も持ち合わせていない。折角セイバーを召喚したのに、これでは運の無駄遣いだ。考えなくては。……私はまず、何をすればいい? マスターとして、聖杯戦争における魔術師として。
「……あ」
 考え込んだ楓の頭に、ぽんと浮かんだのは、昨夜アサシンと名乗る少女に連れ去られた杏樹先輩のことだった。
「どうした? 何か思いついたか?」
 顔を覗き込むセイバーからやや距離を取りながら、楓は頷いた。
「アサシンについて、調べてほしい、かな」
「アサシン? 何故?」
「昨日の夜、学校の先輩があの人……アサシンに連れていかれたから。先輩は、たぶん魔術師じゃなくて……」
 そこまで聞いたセイバーは合点が言ったように眉を上げる。
「なるほど、一般人の介入か……よし、昼間の内に居場所を突き止め、出来るなら今夜、アサシンからその一般人を開放する。それでいいか?」
 一刻も早く杏樹を聖杯戦争から逃がしたいと考えていた楓は、それでいい、と頷く。
「なら楓は休んでいてくれ。昨日、無理に宝具を使ってしまったから消耗が激しい。夕方には戻る」
 セイバーはそう言い残して、素早く霊体となって楓の部屋から出ていく。
 それを何とか見送り、楓はぐったりとベッドに寝そべった。体が重い。セイバーの言う通り、昨夜の消耗がまだ回復していないらしい。今日は授業を諦めて、とにかく夜まで休もう、と楓は目を閉じた。





「アルパ神父、と言ったか」
 煤けた瓦礫を拾う男の、白く固い手がぴたりと動きを止める。手の主はそのまま声のする方向へ、屈めていた背を伸ばした。瓦礫の山となった教会の前に、門を背にして立っていたのは三十代も半ばを過ぎた、貴族じみた外国人の男だ。
「ええ、私がアルパですが。あなたはキャスターの?」
 午後になって陰ってきた陽ざしが、一瞬だけ顔を出す。声をかけてきた男の古風な丸眼鏡越しに、銀杏を思わせる金色の虹彩がちらりと光った。
「そう。私はキャスターのマスター、ムロロナ・ルシオンと言う。教会が攻撃を受けたと聞いたので、様子を見に来たんだ」
「それはどうも。だけど心配は無用です。サーヴァント同士の戦闘に、少々巻き込まれただけですから」
「今後の拠点は、何処へ移すつもりだ?」
 アルパは軽く肩をすくめて、半壊した教会を見やった。
「まだどうにも。聖杯戦争の監督役として、全くもって不甲斐ないばかりだ」
「最もだな」
 ムロロナは手厳しく評した。万能の願望器、聖杯を争う偉大な儀式において監督役は重要な役割だ。その監督役がこうでは、今後の展開に不安を感じるのも無理はない。そういった意味で、ムロロナは神父をある意味で見定めに来たのだった。
「サーヴァントに令呪は使用しなかったのか」
「ああ、これか……」
 ムロロナに指摘され、神父は右腕の袖をまくり上げる。そこには総数十四画の、赤い刻印が刻まれている。
「咄嗟に、使うという判断が出ませんでした。……今後も恐らく、滅多な事では切れませんね」
「何故だ? この聖杯戦争を無法地帯にする気か」
「いいえ」
 アルパは困ったように目を細め、ムロロナを見る。ぼそりと、その口から言葉が漏れた。
「――――、だからかな」
 その前半分は、余りにも小さく、ムロロナの耳には届かない。
「何だ? 聞こえ―――」
「何でもないです。すみません。私は片付けを続けますから、どうぞお気になさらず。不甲斐ないと思われても仕方ないですが、役割はきちんと果たすつもりです」
 アルパは一方的にそう言い切ると、ガシャガシャと瓦礫をかき分けて燃え残った道具を拾い始めた。その様子を見たムロロナは腰に手を当て、溜息を吐く。それからアルパと同じように、瓦礫の中へと足を踏み入れた。
「一人では到底終わらないだろう。効率の悪いことをするな」
 ムロロナはそのまま、胸元のポケットから何束かのホロスコープを取り出した。それを瓦礫の間に何枚も挟みながら、詠唱を唱え始める。アルパは厳しくも冷酷ではないその魔術師の姿を見て呆気に取られていたが、しばらくして初めての微笑みを浮かべた。

『―――トラウマ、だからかな』
 数分前に自分が口にした言葉を心中で反芻して、アルパは表情を消し、目を伏せた。目の前ではムロロナのホロスコープによる魔術によって、瓦礫が持ち上がり、浮遊し、自動的に安全な敷地の端へと運ばれていく。重力を一時的に操作する、天体魔術の一種だろう。並の魔術師では扱えないような高度な術式を目の当たりにしても、アルパはさして驚くこともなくその場を見守っている。
 それはいつか、どこかで見た風景だったのだ。
 ――――いや。厳密には違う。天体魔術に秀でた魔術師など過去に出会ったことはない。だがアルパは、ムロロナの背に何か引っかかるものを感じた。それはアルパ自身の妄想で、ただの虚構だ。それはアルパ自身にも分かっている。
 突然襲ってきた、めまいにも似た動揺に気づく。
 良くない。
 だが気づいた時には、口走っていた。

「君は―――天才なのか?」


 ムロロナは虚を突かれて後ろを振り返る。突然、誇大ともいえる賛辞を送ってきた神父に、喜びよりも怪訝さのほうが先に湧いた。
「何だ、急に」
「あ、ああ、いや」
 アルパは引きつった笑みを浮かべて頭をかいた。ムロロナは眉間に皺をよせ、半分ほどが片付いた瓦礫の山に向き直る。
「馬鹿なことを言っているのなら手を動かせ。ああ、全く……夜には戦いが始まるのに、私は何をしているんだ……」
 そういいつつも、ムロロナは休むことなく瓦礫を撤去していく。アルパも、先ほどの妄想を振り切って、大きな石を拾い始めた。



 


 夢を見ていた。
 


 ガキン、と白銀同士が激しくぶつかり合う争いの音が響いた。
 目の前には怨嗟の籠った目で自分を見つめる戦士がいる。彼は体中に痣を作り、切り傷だらけの姿で目の前に立っていたが、ふと自分の体を見るとその戦士と同じくらい傷ついていた。だが彼と自分は、お互いに激しく闘志を燃やしている。戦いたい―――体の内側から叫んでいるかのように、自分の体が訴える。
 自分とその戦士は、また激しく剣をぶつけ合った。彼の攻撃は迅速で、これまで自分に挑んできたどんな戦士よりも強いとはっきりと自覚した。剣を振り下ろす一撃は重く、速い。自分の剣を以てしても、気づけば防戦一方に回されてしまう。
 自分は徐々に苛立ち始めた。
 何故、勝てない?
 ××を殺した俺に、人間が勝てるわけがない。
 それなのに、この男は――――

 ズン、と目の前で火花が散った。
 しまった、と思った時には既に酷い眩暈が襲い掛かってきて、思わず土に膝をつける。頭を剣束で殴られた。この神造の兜が無かったら、今頃頭蓋を真っ二つに割られていただろう一撃だ。
 男は、声を荒げて叫んだ。
「おれに相応しい剣があれば、今ので勝ちだったのだ!」
『何を―――』 
 カッと頭に血が昇り、俺は両手で剣を握りしめる。何という大言壮語、何という傲岸!
 俺は執拗に戦士の男の頭蓋を狙った。この傲慢かつ不敬な戦士の血肉を見るまでは気が済まない。
 だが丁度良い一撃を食らわせようとしたその時、突然老騎士が戦いの間に体を割り込ませてくる。俺は岩のようなその師に阻まれ、すんでのところで剣を振り下ろす手を止めた。
「この若者を殺すのは惜しいことです」老騎士は俺に向かって言う。
「王子。彼を貴方の騎士団に加えることを提言します」
『いや。この犬野郎は今日の内に殺してやる』
 俺は怒り、反駁した。
『そこをどけ。この俺を軽んじたのだ。死以外に与えるものは何も無い!』
 それを聞いた師である老騎士は激怒した。
 師は豪奢な鞘から白銀の剣を抜くと、それをあろうことか―――俺の頭を割り損ねた戦士の前に差し出した。
「そなたの剣……だ。これを……そなたの……に…がいい」
 師の言葉が、ぶつりぶつりと途切れていく。俺、いや私は、突然曖昧になりだした風景と映像にしがみつくように手を伸ばした。
「待て、何を……!」
 だが肝心の戦いの続きは黒い靄に覆われて見えない。
 『俺』は必死に夢の続きに食らいつき、徐々に意識を取り戻した『私』は夢が終わることを知る。
 だが私は、最後の最後に、私に向かって振り下ろされる月光の如き一振りを目にしてしまった。


「ああ……!」



 びくっと体が震えて目が覚めた。そこは薄暗い楓の部屋で、鬼の形相の戦士も、激怒した老騎士も当然見当たらない。
「夢、か……」
 ふう、と張り詰めていた息を吐き、寝転がったまま時計を見る。もう既に午後五時を回っていて、体の異様な重さは少し回復していた。嫌な夢の残滓を振り払うように体を起こすと、ぐう、と腹の虫が情けない音で鳴いた。
 それはそうだ。朝起きてから、何も食べずに夕方まで眠りこけていたらお腹もすく。楓はパジャマ姿のまま部屋の扉を開け、家の一階にあるリビングへ降りようとしたが、
「ぎゃーーー!」
 扉を開けて目と鼻の先にいた人影に飛び退いて悲鳴を上げた。
「そんなに驚かなくても……楓は臆病だな」
 扉の外に立っていた青年、セイバーは呆れた顔で肩をすくめる。楓は半泣きで問い詰めた。
「な、なんでそんなところでじっとしてるの!? もう少し何かこう……あるでしょ!?」
「何か、と言われても……休んでいるレディーの部屋に上がり込むなど、騎士として言語道断だろう。だからといって傍に控えないわけにもいかない。これは従者として最適な距離だと私は思ったが、おかしかったか?」
「れ、れ……レディー……?」
 初めて掛けられた言葉に、楓は信じられないといった顔をした。男性とまともに会話したのは小学校の時以来の楓にとって、それは異世界の言葉と同じくらい縁がない単語だったのだ。馬鹿にされているのか、とすら楓は邪推したが、セイバーはいたって平然と構えている。楓はしばらく唖然としていたが、ハッと気を取り直して咳ばらいをした。
「んん、ま、まぁ何でもいいけど……先輩、杏樹先輩とアサシンのことはどうだった?」
「ああ、ある程度のことは分かった。報告をしてもいいんだが」
 セイバーはそう言って、しばらく口を閉じ、楓の顔をまじまじと見た。楓はなぜ見られているのか分からず、変な居心地の悪さを感じる。数秒ほど沈黙が通り過ぎた後、セイバーは言葉を続ける。
「……顔色が悪く見えるが、まだ回復していないのか?」
「え? そんなことは……」
 体の調子は良くなったはずだ。空腹はあるが、特にそれ以外の不調は感じていない。楓は首をひねり、「あ」と声を上げる。先ほど見た奇妙で恐ろしい夢が、おぼろげに脳裏によみがえった。
「変な夢、見たからかも……何でもないから、気にしないで」
 楓は脳裏に浮かんだ夢の記憶を振り払って、セイバーにそう言った。なおも不審がる彼に構わず、一階に下る階段を降りながらセイバーに本来の言葉の続きを促す。
「それで、アサシンは―――」

Fate/Last sin -06

to be continued.

Fate/Last sin -06

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-04-11

Derivative work
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Derivative work