恋茄子(こいなすび)

恋茄子(こいなすび)

浦島草幻想小説です。PDF縦書きでお読みください。


 林の中から悲鳴が聞こえる。
 ぎゃあと血を吐くような声である。気持ちのよいものではない。
 ここに着いたその日の夜、その声で寝られなかった。持ってきたウイスキーを炭酸で割って飲んだ。真夜中に必ず悲鳴が聞こえる。
 伊豆の貸し別荘にきて三日目になるが、まだ慣れない。最初の朝、別荘を管理している老人になんだろうと尋ねると、あれは鳥の鳴き声だという、白鷺の類があんな声で鳴くという。
 何とも苦しそうだ。真夜中に白鷺が鳴くのだろうか。
 真(しん)革(かわ)神子(しんこ)は東京の大きなアパレルメーカーに所属するデザイナーである。日本画の雰囲気を洋服にうまく取り込み、若い子にも年寄りにも気に入られるデザインを考えることで重宝されている。
 ここのところ疲れがたまっていて、デザインがうまく頭に浮かばない。来年の秋のデザインを決めなければならない。仕事の疲れだけではない。男とのつまらない感情の縺れに、この年になって失恋に似た胸の痛みを感じている。
 神子は十日ほど静養のため休暇をもらった。この数年働詰である。秋になろうとする今、来年初夏の新しいデザインはとっくに考え、製品もほとんど出来上がっている。マーケティング部門は忙しいだろうが、彼女はちょっと時間がとれる。
 伊豆を選んだのは、単に近くて手頃なことと、この貸し別荘には掛け流しの湯があることだからにすぎない。
 別荘が海に近い小高い丘の林の中に点在している。この時期になると借りる人はいないのだろう、夜になっても明かりがつく家はそんなにない。隣の別荘も空いているとみえ人の気配はしない。
 神子はスケッチブックを持ってきている。洋服のデザインを考えるのではなく、自然や植物をスケッチするためである。どこかで違うものに接しないと、固まった頭をほぐすことができない。
 神子は理科が苦手であった。だから、植物や動物の名前も知らない。しかし、形には興味をもっていて、日本画や染め物に絵描かれている動物植物は目に焼きついている。和服の文様は植物が装飾的に配置されているものが多く、その絵の見事さは名の知られていない職人のものであっても驚くほど新鮮である。職人たちは生きものをつぶさに観察している。それに比して、神子は自然を見つめ、正直に表現したことがない。これは神子の欠点でもあることを知っている。一朝一夕で職人のようになれるわけはないが、休暇中に植物観察の真似をしてみようと思い立ったのである。
 貸し別荘地の林の中にもいろいろな植物が生えている。敷地はかなり広く、小道をへだてて、さらに林が広がっている。その林の先には個人の別荘地があり、瀟洒な家が点在している。
 幸い天気に恵まれたこともあり、午前中は林に行く道端に生えている草をスケッチした。よく見かける草もたくさんあるが、改めて見ると、奇麗なものである。
 蚊帳釣り草があった。これは名前を知っている。蚊帳をつかったことはないが、おばあちゃんが蚊帳釣り草の葉を丸め、蚊帳のようにしてくれたのを覚えている。よく見ると繊細で日本的なものである。神子は手早くスケッチブックに描いた。見たものを即座に絵にするのは慣れている。蚊帳釣り草の葉の先に、緑色の蜘蛛がおとなしくしている。それを、拡大鏡で見たように大きく描いた。
 蚊帳釣り草の隣に生えている平べったい葉っぱの植物も絵になる。いたるところに神子の知らない草がいい形で生きている。
 林の中にはいると、羊歯が大きな葉を広げている。奥にすすむと、紫色の花を付けた奇妙な草が群れていた。破れた傘のような葉が伸びていて、根元から紫色のラッパのような花が伸びている。花の頭が壷を覆うように前に延びて、壷の中から舌というかツル状のものが伸びて、葉っぱに絡み付いている。お化けのような花だ。神子はこの奇妙な草に体ごと吸い込まれていくように感じた。神子には珍しい植物に見えたが、この辺ではよくあるものなのかも知れない。それにしてもたくさん生えている。
 神子はしゃがみこむと、念入りに、いろいろな角度からスケッチをした。
 絵を描いていると、ふと、この花が自分に対し嫌悪しているように感じた。本当の自分は描かせてやらない、といった拒絶が感じられるのはなぜだろう。
 何枚かの絵を描き終えた神子は、改めてまじまじとこの草を見た。何か物足りない。採って帰ってテーブルの上でもう一度しっかりとスケッチをしよう。そう思った神子はこの草に手を伸ばした。
 花がさっと神子の手を避けるように揺れた。
 神子が伸ばした手は傘のような葉を折っていた。もう一度手を伸ばし、花の根元を捕まえると折採った。千切りとった茎から血が湧き出るように見えてはっとした神子はあらためて茎を見た。青い汁が付いているだけである。
 神子は花と葉を持つと、あわてて、その場から立ち上がった。
 貸し別荘にもどると、管理人が神子の家のベルを押すところだった。
 「なんでしょう」
 「あ、お出かけでしたか、別荘会社のほうから近くのレストランの割引券を渡すのを忘れていたので届けるように言い付かりました、お届けにきました」
 「ありがとうございます」
 管理人が封筒を差し出しながら、神子の持っている花を見た。
 「浦島草ですね、たくさんあったでしょう」
 「ええ」
 「この辺はその草が多いのですよ、だけど今年は不思議なことに、今頃盛んに咲いているのですよ、普通は四月の終わりから五月の連休のころなんですがね」
 「浦島草って言うんですね、始めて見たものですから」
 「都会の方なんですね、ちょっと林のようなところがあると咲いているものですよ、里芋の仲間です」
 「そうなんですか」
 「浦島が、釣りをしているような風情でしょう」
 「それで浦島草なのですか」
 「だそうですよ」
 神子は改めて浦島草を見た。確かにそんな形にも見えるが、神子にはどうしても、神子に対して悪意をもっているような雰囲気を払拭することができなかった。
 「どうですかこの別荘」
 「静かで、周りもきれいでいいですわ」
 「ちょっと距離はありますが、海岸の方にも行かれると面白いですよ、おいしい魚の店もありますよ、割引券が入ってます」
 「ええ」
 「用事がある時は電話ください、それでは」
 そう言うと老人はもどっていった。
 神子は部屋にはいると、昨夜飲んだビールの空き瓶に浦島草をさした。長いべろがふらふら揺れている。茶色の瓶に浦島草の花は何となく人間くさい。
 風呂を浴びたくなった。この家には掛け流しの温泉がついている、贅沢な一戸建ての貸し別荘である。神子のように一人で借りる人などあまりいないであろう。神子は着ているものをとると、湯殿にはいった。かなり広い。
 大きくはないが、しっかりとした桧でできている湯船から少し茶色がかった湯があふれている。湯をすくい、体にかけると、中に入った。少し塩味がある。
 昼間から湯につかるなどという贅沢は久しぶりである。手足を伸ばして、自分のからだを見た。不透明の硝子窓からはいる光が肌を照らし出す。マンションの電気の明かりとは違った神子のからだがあった。マンションの風呂場の中では自分のからだに自信があった。張りのある乳房、締まった腰、太目の足の付け根、いつも自分に自信をもたらしてくれるはずのものが、昼間の間接的とはいえ太陽の光にさらされた乳房やからだは、なぜか弱弱しく、疲れを感じさせるものであった。この五日間で張りのあるものにしなければ、と気持を静めた。
 神子は湯殿からあがると、長い髪を丁寧に洗った。シャンプーとリンスはそのために東京からもってきている。髪を長くしている神子は髪の手入れを怠ることはない。その黒髪が彼女のトレードマークである。いつもはポニーテールにしているが、気が向くと、一本に束ねて背中に垂らしたり、束ねずにそのままにしていたりすることもある。仕事場ではそのような姿を見せないが、家にいるときにはその方が多い。男っ気の少ない神子であるが、その様子を見た男性はちょっと驚くほど妖艶な神子を見るであろう。

 夕方まではまだ間があるので、海岸まで歩いた。海岸沿いの道にはしゃれたレストランやバーが並んでいた。外車が何台か止まっている。帰りは代行を頼むのであろう。
 道から砂浜に降りて、海を見ていると、赤いスカートに白いブラウスを着た女の子が神子の方に向かって歩いてきた。ずいぶん色の白い子で、大きな黒い目をした丸い顔立ちはロシアやそのあたりの国を連想させる。神子と同じように髪を長く腰まで垂らしている。小学校の五、六年生ぐらいだろう。
 少女は突っ立って海を見ている神子の脇にくると、笑窪を寄せて大人のような会釈をした。
 神子は子供が苦手である。嫌いなわけではないが、どのように付き合っていいかわからないのである。神子も少女を見て軽く笑った。
 少女は神子の前をゆっくりと通り過ぎると、道を横切って林の中の別荘地へ行く道に入っていった。
 少女の後姿が木々の間に消えて行った時、神子ははっと気がついた。あの少女が着ていた白いブラウスと赤いスカートは神子がデザインしたものである。近くでみれば、白い絹のブラウスには大きな夕顔の透かしが入っているはずである。赤いスカートには深紅のボタンの花が浮きでていたはずである。彼女の和に対するこだわりである。しかし、子供の服は作ったことがない。そういえば、神子の前を通っていく時、あの子の目の高さは神子と大して違わなかった。神子の身長は百六十二センチである、小柄ではないが背が高いほうでもない。最近の小学生は大きい子も多い、母親が買って与えたのかも知れない。神子はちょっと嬉しくなった。

 その夜のことである。十二時を回っても、昨日と違い、ぎゃあ、ぎゃあと血を抜かれるような声は聞こえない。
 いつも神子は寝るのが遅い、早くても二時頃である。テレビの深夜番組を見ながら、ビールやワイン、気が向けばウイスキーと飲んで、それから寝る。
 ここでも、スケッチ帖を開いて、あらためて、ビンに差した浦島草を描いていたのであるが、それも飽きて、ウイスキー片手にテレビを見ていた。
 深夜放送は若い子達が中心の番組が多い。今の子の好みや流行(はやり)を知るにはいい。しかし内容は全くつまらない。そろそろ寝ようかと用意をし始めたとき、外の戸をとんとんとたたく音が聞こえた。時計を見ると、二時近い。こんな夜中に管理人が来るわけはなく、風か何かのいたずらだろうと思っていると、またとんとんとたたく音がする。神子は玄関に行き、覗き穴から外を見た。玄関灯に照らし出されて、海岸で会った少女が立っている。あの時のままだ。白いブラウスに赤いスカートをつけている。
 こんな夜更けに、なんだろう、ちょっぴり気味が悪くなったが、ほっとくこともできない。チェーンをかけたまま、ドアを開けた。
 外を見ると、少女は顔をほころばせて、
 「こんばんわ」
 と言った
 「何かしら、こんな夜更けなのに」
 「お姉さん、私これから、とるの」
 「なにをとるの」
 「悪い花だから引っこ抜くの」
 神子には少女が何を言っているのかわからなかった。
 「いっしょにいく?」
 少女が神子の目をのぞきこむようにして言った。黒目がちの眼がきらきらしている。
 こんな夜更けに出歩くのには何か理由があるのだろう。ちょっと尋常ではない。神子はまずは保護しなければと考えた。
 「ちょっとお入りなさい」
 チェーンを外して、女の子に声をかけた。
 「うん」
 少女は、中にはいると靴を脱いだ。白い絹のブラウスには大きな夕顔の透かしがあった。赤いスカートには赤い牡丹の花が浮き出ている。神子のデザインに間違いがなかった。
 「お名前は」
 「しんこ」
 神子は耳を疑った。
 「しんこちゃんなの、どのような字を書くの」
 「かみのこどもよ、お姉さんは」
 「おどろいたわね、同じなのよ」
 「そう」
 「こんな夜更けにどうしたの、お父さんとお母さんが心配しているでしょ」
 「寝ている」
 「近くなの」
 少女はうなずいた。
 「こんなに夜遅く怖くないの」
 「楽しいの」
 「私のところよくわかったわね」 
 「うん、家に入るところ見ていた」
 神子はどのように扱っていいか考えあぐねていた。
 「何か飲む」
 「いらない、ねえ、お姉さん、引っこ抜きにいこう」
 「なにを」
 「蛇草」
 「どうして」
 「悪い奴だから」
 ここでこうしていても埒が明かないし、蛇草とやらを一緒に探して、そのまま家に送っていった方がいいだろうと、神子は判断した。
 「ちょっと待っててね、用意するから」
 神子はズボンをはき、ブルゾン風の上張りを羽織った。備え付けの懐中電灯を持つと、家を出た。
 少女の神子は神子の手を握った。
 「神子ちゃん、そのお洋服、お母さんに買ってもらったの」
 神子が聞くと、少女の神子はうなずいた。
 「でも、大人の服だったので、お母さんが私に着れるように細くしたの」
 「大人の服なのに、どうして欲しかったの」
 「お花がきれいだから」
 神子はなんとなく、この神子が好きになった。
 「こっちよ」
 神子が神子の手を引っ張った。神子は雑木林の中に引っ張られていった。 
 「ほら」
 小女が指差したのは、浦島草だった。
 「浦島草って言うんでしょう」
 「蛇草って呼んでるよ」
 「でも、なぜ、悪い草なの」
 「嘘をついたの」
 「お花が、嘘をつくの」
 「蛇草は毒だって」
 「そうなの」
 「だけど、死ななかった」
 神子は神子が何をいっているか理解できなかった。
 「あの蛇草よ、嘘つき」
 神子はちょっと大きめの赤っぽい花をつけている浦島草のそばによると、顔をなでるようにして、舌のような紐をいきなり、引っこ抜いた。
 そのとき、浦島草がぎゃあと大きな声で鳴いた。いつも夜中に聞こえてくる声である。管理人は鷺が出す声だと言っていたが。
 舌を千切られた浦島草の花は、左右に首を降ると悶えた。切られた舌から赤い液を放った。血のように赤い汁は少女の神子の白いブラウスに赤い水玉模様をつくった。
 「ふふふ」
 少女の神子が笑った。手を伸ばすと、のたうっている浦島草の花をひっぱった。首がすぽっと抜けると、浦島草はまたぎゃーっと悲鳴をあげた。
 「ふふふ」
 神子は浦島草の花をぽいと捨てると、足を踏ん張って、両手で根本を?むと、力一杯引き抜いた。また、ぎゃーと声が上がった。里芋のような根が抜けてきた。
 少女の神子は芋を持ち上げると、笑った。
 「これ、毒があんまりないの、もっと強いものかと思ってた」
 神子は少女の神子を見た。少女の黒い目が赤い。
 「毒はない方がいいでしょう」
 「そーを」
 少女の神子は浦島草の芋をぶらぶらさせた。
 「それじゃ、帰る、さよなら、また、一緒にきてね」
 少女の神子は急に走りだすと、あっと言う間に見えなくなってしまった。
 あたりは真っ暗闇となり、懐中電灯の光が打ち捨てられた浦島草の残骸を照らし出している。
 木々の上にあったはずの星空が見えない。
 ぞくっと、身震いをして、神子は懐中電灯を前にむけた。少女についてきたこともあって、帰り道がわからない。周りは浦島草だらけである。今本当にここに少女がいたのだろうか。心細さと、自分の頭が信じられなくなって、足がすくみそうだ。
 かすかに海の音が聞こえた。神子はそれで救われた。海に出れば場所が分かる。音のするほうに何とか体を動かして、林の中の小道に出ることができた。
 やっとの思いで、自分の貸し別荘にもどった。時間を見ると、三時前である。ということは、少女と一緒に家を出てから、まだ三十分か四十分である。
 神子は何がなんだかわからず、ベッドに倒れ込んだ。

 次の日も良い天気であった。いつも九時頃に目を覚まし、ベッドの中でうだうだと堕情な時間を楽しんでから起きるのだが、なぜかすぐに起き上がり、顔を洗った。
 神子は水を一杯飲んだだけで外にでた。昨夜のことが夢なのか現実なのか確かめたかったのである。
 朝日の差し込む明るい林の中では、昨夜連れて行かれたと思われる場所はすぐわかった。細い道が一本、林の中を貫いているからである。歩いたのはそんなに長くない、いや、ちょっとしか歩かなかったような気がする。右手であったと思うので右を確認しながら行くと、浦島草の群落が見えてきた。紫色の花がゆらゆらと揺れている。
 神子は草が乱れているところを見つけた。昨夜二人で入ったところに違いがない。群落の中に入っていくと、いくつかの浦島草が倒れているところがあった。
 立ち止まって、中をのぞくと、浦島草の花が一つ落ちている。昨夜少女が折って捨てた花だ。生えていたあたりを見ると、どす黒いものが溜まっていた。
 神子はそれを見ると怖くなり、あわてて別荘にもどった。ともかく本当にあったことなのだ。神子は戻ると、ともかく、朝食を作ることにした。コーヒーを沸かし、スクランブルドエッグをつくった。
 テーブルを前にして、コーヒーを飲んでいると、なんとか気持ちが落ち着いてきた。
 テレビをつけると、ニュースが木曽の御岳が爆発したことを報じている。三千メートル級の山のわりには優しい山で、登山者が多い。急に噴煙をあげたようで、かなりの人数が犠牲になっているようである。登山者の中には湧き出る噴煙を入道雲と間違えたという者もあり、それほど穏やかな山だったのだろう。まだ噴火は止んでいない。火山灰に埋もれている人が救助を待っているようである。熱い灰に囲まれて苦しいだろうなと、神子は窓の外を見た。噴煙なんて他所事だというように朝の光の中に木々が気持ちよさそうに立っている。
 今日はこれから何をしようかと考えながら食事の後片付けをして、スケッチブックを開いた。浦島草の簡単なスケッチが数ページにわたって描いてある。ずい分描いたものだ。あの赤黒いものはなんだったのだろうか。頭からまだはなれない。
 新たなスケッチブックを開いた。ビンに挿した浦島草を改めて描いた。なにか物足りない。ああ、そうかと思い当たったのは、あの根がないからだろう。少女の神子が引っ張りだした芋のような根である。あの固まりから浦島草が生えているところを描くと、動物に近い感じを醸しだすことができるのだろう。
 さしておいた浦島草は少し萎れている。
 元気な浦島草の根が見たい。今日は外には出たくないとまで思っていた神子は、そう思い立つと、浦島草の群れのところに行きたくなった。
 別荘には塀こそないが小さな庭のようなスペースがあり、スティール製の物置が建物の脇に置かれている。借りるときに説明があったが、スコップや籠などがそろっているはずである。春は山菜採りにいいところだとパンフレットに書いてあった。そのために用意されているのだろう。物置を開けるとあった。
 神子は籠と小さなスコップ、花切り鋏をもって庭を出た。
 雑木林の中にはいると、元気の良さそうな浦島草を切って籠にいれた。鋏を入れるときすこしばかり躊躇したが、なにも起きるはずはなかった。
 根本にスコップを入れ、抜こうとしたがなかなか抜けない。かなり深く掘って引っ張ると、やっと球根のような、芋のようなものがついてきた。ずいぶん深い。ぎゃあともなんにも言わない。あたりまえだが。
 たくさんの浦島草を採った。籠に入れて持ちあげると、満員電車の人間の頭のように、浦島草の花がそろって右へ左へゆらゆら揺れる。この図柄はちょっと面白い。写真に撮っておこう。だが首だけ動いているようで気味の悪いものだ。
 神子は別荘に戻ると、バケツに水を入れ、浦島草をさして、花をすべて同じ方向に向けた。気味悪さもあるが、ユーモラスだ。何枚もの写真を撮った。これをもとにデザインを考えれば、よい服が作れそうだ。
 その夜のことである。キュウキュウという声で目が覚めた。子犬が鳴いているような、動物の子どもが鳴きあっているような声である。外から聞こえてくるのではなさそうだ。ということは部屋の中か。
 時計を見ると、夜中の二時近くである。野生の動物が別荘に住み着いていることはよくある。ヤマネやリスが入り込むことが多いらしく、ここの別荘のパンフレットにも写真が載っていた。動物好きにはたまらないのだろう。そういった動物の子どもでもどこかにいるのだろうか。もう一度寝ようと目をつむった時、ぎゃあといつもの大きな叫び声が外から聞こえてきた。そのお陰で、神子は完全に目が覚めてしまった。またぎゃあと叫び声があがった。
 キュウキュウという鳴き声も高くなってきた。
 起きあがると、キュウキュウという声の主を探した。キッチンに行くと声が大きくなった。明かりのスイッチをいれると、バケツの中の浦島草の花が揺れながらキュウキュウと声を上げている。
 この花は何を鳴いているのだろう。さっきのぎゃあと言う叫び声はまた少女が浦島草を引き抜いているのだろうか。
 それにしても、キュウキュウ鳴かれては寝ることができない。神子は外に出すつもりでバケツを持つと、玄関の戸を開けた。
 開けたとたん神子は心臓が飛び出すかと思うほど驚いた。取り落としそうになったバケツをあわてて入口の前に置いた。
 「神子ちゃん、今日も行ってきたの」
 玄関の前に、少女が浦島草を持って立っていた。
 少女はうなずいた。
 「お姉さんも、採ったんだ」
 「ええ、この花をスケッチしようと思ったから」
 「採ったとき泣き叫んだでしょう」
 「いいえ、何も鳴かなかったわ」
 「それじゃあ、つまらないねえ、弱虫のやつを探さないと」
 言葉が乱暴だ。
 「弱虫は泣くの」
 「そう、それが楽しいじゃない、ふふ」
 少女の目がきらきらした。
 「でも、水に差したこの花達が、キュウキュウ鳴くの、うるさいの」
 「そうよ、切り口が痛くなってきて、我慢強い花も置いておくと鳴くの、めそめそとね」
 「神子ちゃん、こんな夜更けに、お母さんとお父さんが心配するわよ、早く帰ったほうがいいわよ」
 「お姉さんに、これをもってきたの」
 神子が差し出したのは、真っ白な浦島草の花であった。
 「白いのね」
 「珍しいの、弱虫だけどね、あげる、水に差しておくと、面白いわ」
 少女の神子は白い浦島草を神子に押し付けると、「おやすみ」と、走って行ってしまった。
 神子は何となくほっとすると家に入った。
 確かに白い花は奇麗だ。葉も一緒にくれたので、瓶にさすと、緑色の傘をさした色白の女性が立っているような風情になった。 
 神子は写真を撮ってベッドに入った。

 朝、神子が目をさますと、部屋の中が何となく靄っていた。蒸し暑い日である。台風でもくるのだろうか。しかし、天気は良いようで、窓から見える景色は明るい。
 神子は湯に入り、朝食の準備を始めた。今日もスクランブルドエッグをつくり、ソーセージも炒めた。
 買っておいたフランスパンは少し古くなっている。スライスすると電子レンジで焼いた。
 テーブルにつくと、焼いたパンにソーセージと卵をのせてかぶりついた。なんだか食欲がある。
 テレビをつけると、昨日起きた御嶽山の爆発を映していた。硫化硫黄やガスのせいでなかなか救出が難しいらしい。山はまだもくもくと煙を吐いている。
 ふと、テーブルの上の浦島草を見ると、真っ白な花の奥から、白っぽい煙のような靄が立ち上っている。蒸気のようにも見えるし、白い粉のようにも見える。
 テレビの中で黒っぽい灰にまみれた下山者がインタビューに応じていた。頭を守って何とか下山できたが、背中には石が当たった痣がたくさんあると言っていた。山頂の山小屋は灰に埋もれている。まだ中に人がたくさんいるらしい。
 生きている限り、何が起こるかわからない。コーヒーカップをテーブルに置いたとき、テレビのスクリーンが白く靄った。テレビカメラにまで噴煙がせまったのかと思ったが、もう別のニュースに変わっている。 
 いきなりとても気持ちのよい匂いが漂ってきた。なんだか食欲が増すような香である。どこからだろうと見回すと、どうやら匂いのもとは白い浦島草のようである。
 もっと何か作って食べよう。神子は冷蔵庫を開けると、卵を二つとりだした。今度は目玉焼きを作ろう。手際よく作ると、もう一度フランスパンをレンジに入れた。コーヒーをもう一度いれ、二度目の食事を始めた。朝はあまり食べない神子にとって初めての経験である。
 パンにバターを塗った。ふと、白い浦島草の花を瓶から抜き取ると、パンと一緒に口に入れた。とてもよい香りが口中に広がり、頭の中がすっきりしてきた。
 コーヒーを喉に流し込むと、いたく満足した。なんだか不思議な満足感だ。
 空気が湿っぽく、熱い感じがする。神子はいきなりキッチンで、着ているものを脱ぎ去ると、風呂場に行き、桧造の風呂にもう一度飛び込んだ。
 気持ちがいい。うっとりして窓をみた。スリガラスを通して太陽の光が浴槽を照らしだしている。神子は手足を伸ばした。乳房がぴんと張りつめている。細い足先が桧の肌に触れると体がしびれるように気持ちがよくなった。
 寝てしまいそうだ。
 目を閉じた。
 急に日が翳ったようだ。浴槽が暗くなった。どんどん暗くなる。
 目を開けると、窓が黒っぽくなっている。まさか、火山灰じゃないでしょう。と思っていると、あっと言う間にガラスが真っ黒のもので覆われてしまった。暗い。
 電気をつけなきゃと思ったが、神子はあまりにも湯の中が気持ちよく、動きたくなかった。風呂場は脱衣場に点いている電灯の明かりでほんのりと明るい。
 自分の口の中から白い浦島草の香りが漂ってくる。神子は自分の吐く息の香りに酔いしれ、目を瞑り上を向いてふーっと息を吐いた。目を開けた。天井が見えた。その時、がしゃっという音とともに、天井から白い腕が突き出された。
 腕は風呂場の中で何かを探すように動き回り、神子の長い黒髪をつかんだ。あっという間もなく、神子は勢いよく引き上げられた。長い髪の毛を握られて、天井に吊るされた神子は、裸のまま暴れ周り。あまりの痛さにぎゃーっと声を上げた。
 腕はそのまま神子を持ち上げ、天井の穴から神子を外に引きずりだした。
 裸の神子は涙を流しながら前を見た。
 大きな少女の目が神子の目の前にあった。
 「ふふふ」
 少女が神子を持ち上げると、神子は裸のまま揺れた。
 「一番弱い蛇草だわ」
 少女は神子の首から下をねじりとると、髪の毛を引きちぎり、頭だけにした。
 「この蛇草、来年はどんな花が咲くのかな」
 少女は自分の家に帰ると、白い植木鉢に土を入れ、神子の頭を埋めた。
 少女の母親が声をかけた。
 「神子、新しい浦島草見つけたの」
 「うん、コイナスビっていうの」
 「可笑しな名前なのね、来年は楽しみね、ケーキと紅茶の用意できましたよ」
 「はーい」
 少女は植木鉢に水をやると、キッチンに走っていった。

「お化け草」所収、自費出版33部 2018年 一粒社

恋茄子(こいなすび)

恋茄子(こいなすび)

真夜中林の中からギャーと悲鳴が上がる。少女が一人夜中に訪ねてくる。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • ホラー
  • 青年向け
更新日
登録日
2018-04-06

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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