*星空文庫

成り上がり青春編

播磨王66 作

  1. 第1話:新天地、横浜の地を踏む
  2. 第2話:ジフテリア事件
  3. 第3話:引越、市営住宅出の生活
  4. 第4話:若い女性の家庭教師との出会い
  5. 第5話:高専生活と驚きの体験
  6. 第6話:「アメリカンスクールで、柔道を教える」
  7. 第7話:家庭教師をした思い出
  8. 第8話:趣味と長期アルバイト
  9. 第9話:高専卒業と推薦就職
  10. 第10話:千葉の田舎に就職
  11. 第11話:祭りに出かけて4Hクラブにはいる。
  12. 第12話:4Hクラブ、女性問題で仲間割れ
  13. 第13話:工場での駈け落ち事件
  14. 第14話:お見合い事件
  15. 第15話:ヤクザの都落ち事件
  16. 第16話:同じ年の出入り業者との思い出
  17. 第17話:家庭教師での出来事
  18. 第18話:工場長の推薦状

昭和20年代後半の日本の貧しい農村に生まれ、生活苦のため上京、ジフテリアにかかり、生死を境をさまよい、それでも助かった。その後、公営住宅の抽選に当たり、小中学校生活、近くの女子大学生に家庭教師を頼み、勉強する気になって、2年間の猛勉強の末、工専へ、その後も一生懸命勉強し、総代で卒業、オイルショックなどを経験して、いくつかの中小企業での経験。地方の町工場で巻き起こる数々のユニークなエピソードを経た。しかし、鋳物関連企業の将来性を考えて、そこ工場の工場長が、推薦状を書いて、優良製薬企業を受験、合格して、新しい世界へ羽ばたいていくまでの青春物語。(カクヨム、小説家になろう、にも、載せています。)

第1話:新天地、横浜の地を踏む

 昭和25年代の3月、北島太一と北島春子は、親戚筋のはからいで、
見合いをして昨年、結婚した。翌年の4月に妊娠がわかったのだが、
貧農であり、休むことができず、また、この時代、食事も充分に
取れるはずもなく苦労していた。翌年の2月の寒い夜に、女の子を
出産したが、助産婦さんを呼んだと時、鳴き声が小さく、ほとんど
聞こえなかった。やはり低栄養の未熟児で、ほとんど死産、同様だった。
 これには、母の北島春子は、気が狂わんばかりに泣き叫んで、
一日中、ふさぎ込んでいた。

 北島太一は、祖父の北島義朗の長男であったが、その後、
北島義朗が飛行船事故で死亡した。北島太一の母は、家族達のため
、祖父の次男の北島作之助と結婚して7人の兄弟を作った。
 つまり、北島太一、1人が父が違う異父兄弟という
複雑な家庭状況だった。そう言う事もあり、この事件以来、
北島太一と北島春子は、実家に居づらくなった。

 その後、翌年、また、妊娠がわかり、今回は、以前の死産もあり、
充分な休養と栄養を取らせてもらった。翌年の3月に長男、北島治を
無事出産することができ、本家でも、初孫と言うことで赤ん坊の北島治は、
皆に可愛がられた。しかし、北島太一、春子は、7人の異母兄弟と
どうしてもうまくいかず、また貧農で大家族10人分の食料が確保
できないので家を出る決心をした。

 その年の9月の朝早く、置き手紙を書いて、都会へ出て行った。
 こういう事は、当時では決して珍しい光景ではなかった。
 父親が餞別にもらった十キロの米を背中に背負い、母親は、
子供をおぶって、見知らぬ大都会である、横浜の地を踏んだ。

 横浜駅から横須賀に向かって京浜急行に乗り換えて三十分。
駅からバスで二十分、徒歩十分の所に、親戚が住んでいた。
 その親戚の知り合いの家の納屋を直した部屋を借り生活する事になった。
 家畜の臭いのする部屋で簡易コンロと便所と隙間風で部屋の中も寒い、
あばら屋だった。その後父は職を求めて職安を訪ねる毎日だった。
そして桜木町の小さな船会社に臨時社員として職を見つける事ができた。
その会社は日本石油の関連の港湾運送の会社だった。そこで、主に、
船から、大きな荷物を運び出す、仕事をする事になった。
 父は元々、海軍上がりで、力仕事に向いている頑健な身体だった。
 ただ台風シーズンは、船が壊れない様に猛烈な風の中、船を
固定する為に従事する事もあった。
 
 父は、酒と女が、大好きで、家に帰る途中の屋台で飲むのが楽しみ。
 他人には愛想良く、他の女の人にのせられて勘定まで支払ってしまう
始末だった。そんな事で家に帰れば、母との喧嘩は絶えなかった。
 母は、と言えば、生後、半年の子どもがいて仕事に出られず、
家で内職をして、家計の足しにしていた。
 貧乏生活の為、おかずも、十分に、買えないので、昼間に、
近くの野山、田畑のあぜ道で、山菜、野草をとっては
天ぷらにしたり、味噌汁、煮物にして、おかずにして生活していた。

第2話:ジフテリア事件

 1957年7月、四歳の夏に近くの幼稚園に入園し、
 八ヶ月後、近所で、ジフテリアが流行りだした。
 北島は、生まれつき丈夫でなかった事もあって運悪く、
 そのジフテリアに感染してしまった。 
 数人の友達も、感染したのだが、週間程度で回復した。
 一方、北島は、ひどくなるばかりで、近くのM共済病院の
隔離病棟に入院した。しかし、その後も、症状は改善せずに、偽膜症状
(喉に膜ができ呼吸が出来なくなる症状)で母親が二十四時間、
付き添い看護する事になった。偽膜が喉を塞ぐと,息ができないので、
母は、毎晩寝ずに、喉にできる偽膜を指で破り、北島は命をつないだのだった。
数週間も、それが続いたので先生方が直接、喉に穴をあけて小さな
プラスチック製のラッパ状のものを取り付け、呼吸できるようにしてくれた。 

 数ヶ月しても症状が悪くなりばかりで、食事も取れなく、
ついに、心臓停止が、数回、起こってしまった。
 そのたびに、医師が緊急蘇生処置で、心臓を動かす様にしてくれた。
そして、ぎりぎりの状態で一進一退を繰り返していた。

それでも少しづつ回復してきたのだった。半年を過ぎる頃から、
食事を取れる様になり、顔に赤みがさしてきて回復してきた。
当時、ジフテリアが流行し重症化した場合、ほとんど死亡していた。
 その中で、これだけの、重症例で回復したという症例は、
珍しかった様で先生達が学会で発表する事になった。
その為、毎日、やたらに、尿と、血液と、痰を採取した。
 一年の入院で奇跡的に、命を取り留める事が出来たのは、
神様のお陰かもしれない。

その年の三月、退院する事ができた。退院後は自宅療養の日々。
 元気になる頃は、既に小学校入学の時期になっていた。
 小学校は自宅から徒歩三十分の場所にあった。 
 貧乏暮らしは変わらなかったが何故か毎朝、牛乳が配達され、
北島の身体を気遣って特別に、飲ませてくれた。ただ、両親には
申し訳ないが、好きになれなく、よく残してしまった。

 体育の授業は参加できず遠くから眺めているか保健室にいるかの、
どちらかだった。医者から、当分、学校での運動は、禁止と
言われていたのである。その為、ぶくぶく太って肥満児になった。 

 少して、住んでいた改造した納屋が手狭になり他の借家に引っ越した。
 今度の借家は、8八キロ離れた、海沿いの漁師町。この頃になると、
父が早めに帰ってきた時には、近くの防波堤で釣りをした。
 そして、あじ、たこ、いか、しゃこ、さばと、いろんな魚が、
食卓にのぼるようになり、豪華な食事にありつける様になった。
 特に、あじは、便利な、さなかで、大きいものは、さしみ、
塩焼き、小あじは、揚げ物にして、喜んで食べた。
 いか、たこ、しゃこが取れた日は、父は、特に、上機嫌であった。

第3話:引越、市営住宅出の生活

 その頃、母が、横浜市の市営住宅に何回も応募していた。
 それが、ついに当選した。当選した団地は、横浜市北部のにあり、
駅からバスで三十分の新しくできた市営団地。
 家賃は月、五千円と記憶している。木造平屋二DKの木造二軒長屋だった。
 生まれた始めて、風呂付きの家で感動したのを今でも思い出す。小学校は、
自宅から徒歩三十分で、地元の農家の子供が多かった。
その中で、小学校の近くの大地主の息子と、仲良くなり、彼の家で、
仲間達と、家の中を走り回っては、その家の人に、怒られていた。
その仲間達は非常に仲が良く脳天気な連中で、いつも楽しかった。
たまに小学校の廊下のガラス窓から、仲間で、昼食後、逃げ出して、
近くの原っぱで遊び回っていたのが、楽しい思い出。

ある時、友人と、通信簿を見せ合った事があり、彼、頭いいんじゃん。
だって、通信簿一と二ばかりだぞ。かけっこでも一等、二等は、良いと
決まってるんだからと明るく笑っていたのだった。 
 しかし実際は逆で、家でも学校でも馬鹿だねとか役立たずとか
言われる毎日だった。特に、音楽の時間は、先生に歌を歌う様に、
言われても、恥ずかしいから、絶対嫌と、六年間、一度も歌わずに終わった。 
 通信簿が一になるのも当然だった。
 
 図画の時間も最悪だった。絵を描けといわれたので山に夕日が、
落ちる絵を描いた。しかし真っ赤に見えたので、迷わずに赤い絵の
具で全部塗った。しかし鉛筆で書いたはずの山の輪郭が全く見えなくなり、
ただ画用紙に、赤い絵の具を塗っただけになってしまった。
 この絵を見た図画の男の先生が北島を馬鹿にしてるのかと北島を殴った。
それ以降、北島は、今後、一切、絵なんか、書くもんかと心に決めた。 
 最後には、親が学校に呼び出され、教頭先生から、こんな子は、
早いうちに、なんとかしないと、不良になるかも知れないと言われ、
馬鹿だから、中学校にも、行けないとか、さんざん脅かされた。

 しかし何故か、仲間達は中学校へ無事入学する事が出来た。
ただ一番の親友であった、大地主の息子は、KO中学という私立の名門校に
入学していったのだった。
(その後、その大学の医学部に入り外科の先生になった。)
 確かに彼は家庭教師が付いていたし元々賢かった。いたずらのシナリオは、
全部、彼のアイディアだった。1965年3月に、中学に入学した。 
 中学校は、家から二十分で小学校より少し、近い所にあった。
 出来たばかりの中学校で、鉄筋の真新しい、クリーム色の校舎が綺麗だった。 

 当時、新品の学生服で通えたのが、うれしかった。
 やがて中学に入り、お医者さんから運動禁止が解除された。 
 北島は陸上部に入り、減量の為、毎日2kmを走る事にした。
 そのおかげで、体重は70から60kgへと半年で減量できた。
 陸上部では、走り幅跳びの選手になったが、区の大会で八位の
成績と平凡だった。勉強は、依然として、苦手だった。
 これには、特に、親の方が、真剣に悩んでいた様だった。

第4話:若い女性の家庭教師との出会い

 母が、近くの住んでいた友人の娘さんが横浜市立大学商学部に入ったと
大喜びしている話を聞いて家庭教師を頼みに行った。
その娘さんの空いている時間を電話で、連絡してもらい、
彼女のお宅へ行き、一時間だけ、家庭教師をお願いする事に決まった。
その先生は、まず北島に英語でも数学でも何か興味のあるものを探しなさい。
 それについて徹底的に勉強すれば、他の事も、わかってきますからと言ってくれた。
 彼女に言われた通り、やってみると英語では、日常英会話が好きになり、
徹底的に暗記していった。次に数学は方程式に興味を持ち、それに特に力を入れた。
国語では小説を読む事が好きになり、多くの本を読みあさった
 
 家庭教師の先生が読書家で、トルストイ、ドストエフスキー、ショーロホフなどを
読む様にすすめてくれた。そして先生の持っている本を無料で貸してくれた。
 何もわからず、言われるままに戦争と平和、アンナカレーニナ、(トルストイ)、
罪と罰(ドストエフスキー)を読んでいった。その中でも、印象的だったのは静かなるドン。
 静かなるドン(ショーロホフ)第一次世界大戦・ロシア革命に、翻弄された、
黒海沿岸のドン地方に生きる、コサック達の、力強くも、物悲しい、生きざまに、
感動した。頭脳明晰ではあるが、貧しい、元大学生ラスコーリニコフが一つの
微細な罪悪は、百の善行に、償われる「選ばれた非凡人は、新たな世の中の
成長の為なら、社会道徳を踏み外す権利を持つ」という独自の犯罪理論をもとに、
金貸しの、強欲狡猾な、老婆を殺害し金を奪った。金で、世の中の為に、
善行をしようと、企てるも、殺害の現場に、偶然居合わせた、その妹まで、
殺害してしまう。この思いがけぬ殺人に、ラスコーリニコフの罪の意識が、
増長し苦悩する。というストーリだったと思う。

 とにかく中学では、この家庭教師の女性の持ってる本を片っ端から読みあさった。
読書感想を求められのだが最初の感想は、だたスゲーだけで、誠にお粗末なものだった。
最後に印象に残ったのがフランソワーズ・サガンの「悲しみよこんにちは」である。
1954年に出版された作品で、主人公の新鮮な感性に感動させらた事をはっきり
と覚えている。多くの本を読む様になって、社会・政治、経済に、興味を持ち始めた。 

 彼女は家庭教師をするのは、初めてで彼女が勉強に興味を持った経験を、
そのまま北島に伝えただけだと言った。最初、家庭教師の時間は、
北島のわからない所を、教えてもらっていたが、その内に先生の興味を
持った話題とか入試の経験を聞く時間が増えていった。
 勉強すれば、あなたの未来が、切り開かれていく事になるので、頑張んなさい。
 この一言が、ズシーンと心に響いたのだ。北島にとって未来を切り開くという事は、
まず何と言っても貧乏生活からの脱出。これで目的が明確になったのである。

 北島のハートに火が付いたのが中学二年の初めだった。それから運動クラブも
やめて一心不乱に寝る間も惜しんで古本屋で買った問題集を使い、徹底的に勉強した。
 特にチャート式という参考書が、うまく、まとめてあって、頭に入りやすかった。
 そんなある日、化学の実験で私の人生を方向づける事が起こった。二つの試験官に
入った透明な溶液を、混ぜると、黄、赤、青色に突然に変わったのだ。
 北島の頭の奥にあった興味の泉の栓を抜くのに、十分な出来事だった。
 何だこりゃ、なぜ、なぜ、なぜだ! 北島は、この時、化学をやることに決めた。

 非常に単純な、北島の頭は、即決してしまった。次は、具体的に、どうするかを
決めねばならない。家に帰り、母と相談すると案の定、今の実家の経済状態では
高校から大学へは、行かせる事ができないとの言われた。
 つまり中学卒業後もう一回だけの勉学のチャンスしかないということだ。
そこで、自分の進路は工業高等専門学校しかないと決めた。
それも、奨学金を取るという条件付きで、両親の了解を得た。
 当時、加速度的に、成績が上がったとはいえ、最初の出発点が
低かったのだった。その為、高専は、そう簡単に、入れる所ではなかった。
この作戦を思い立ったのが、中学二年の夏だった。その後は睡眠時間、四時間程度で、
とにかく集中力を最大限にあげて、エンジン全開で、勉強していった。
 ただし、眠くなったら、無理せず、短時間を仮眠を心掛け、
集中力を切らさないように心がけた。

 中学3年になり、入試前の最終テストで、めざす高専に入れる確率が70%となった。
 そして雪の入学試験の日を迎えた。めざす高専は、バスを乗り換えて60分かかる。
 道路が混んでる時は90分以上もかかる。実際の入学試験では、
かなりできた自信があった。更に、その頃から高専の人気が急に下がり
始めた事も幸いして、意外にも化学科で二番目の点数で合格できた。
その高専の奨学金も、何とか手に入れる事ができた。
 それは、もう天にも昇る気持ちで通学したのは言うまでもない。

第5話:高専生活と驚きの体験

 念願の高専での、生活が始まり、希望に胸を膨らませたのだった。
入学して、制服代や、バスの定期券など、高額の出費で、親に申し負けない
気持ちでいっぱいだった。入学後は、部活は、心身を鍛える目的で、柔道部に入った。
 朝七時に、家を出て、八時半に学校へ、夜六時半に授業終了。
 夜七時から九時まで柔道の練習。帰り途中で、どうしても、腹が減った時は、
乗換のバス停近くの屋台のラーメン屋で、腹を満たした。
 実は、この屋台のラーメン屋の主人には、運動クラブの学生が、
いつも世話になっていた。まだ腹減ってそうな学生をみると、ラーメンの無料で
追加増量しくれたのだった。これには、皆、涙が出る程うれしかった。
 そして、家に着くのは、夜十時過ぎという生活が始まった。疲れすぎて風呂に
入って眠りそうになる日々の連続。
 土日に、家庭教師のアルバイトをしながら何とも忙しい日々だった。
 夏休み、冬休みで柔道部の合宿の合間に、船の荷受けや工場の重労働など、
高賃金のアルバイトをしていた。入学して一年して、家からバスで20分、
通学の途中の所にある教会へ興味もを持ち、立ち寄った。その教会で毎週1回、
無料で英会話教室を開いているのが、目にとまり、通う事に決め、
そこの牧師の息子と仲良くなった。英会話教室を終えた後に、
コーヒー、紅茶や、見たこともないパンケーキ、ハンバーガー、
ポテトフライ、ステーキなどをごちそうになった。
そして、土日に、待ち合わせて、元町、本牧、などで遊ぶ様になった。
 
 旨い料理や、素敵な、音楽に舞い上がっていった。アメリカ人の友人に
とっては、柔道が興味深かった様で、いろんな技を教えてくれと、
頼まれて、教える事となった。彼は、オチャメで、いたずら好きな少年だった。
 ただ、牧師の息子という事で、いい人づらしてるのが嫌いで、いつも悪ぶっていた。

 そんなある日、柔道で鍛えた、北島の腕力がどれ位、強いのか試してみようと
彼がいい出し、本牧のバーに入って、ひ弱そうな、米軍の兵士を探し、声をかけ、
腕相撲をしようと、声をかけた。実際に、十ドルを賭け、腕相撲をしたのだった。
(映画のオーバーザトップと同じ。)実は、腕相撲は、腕力だけでなく、
テクニックが実は大事なのだ。それは、速攻。北島の友人が腕相撲のこぶしの
上に手を置いて、レディー・ゴーの合図で、戦いは始まった。
 北島が一気に相手の腕を自分の方に引き込んで、あっさり勝ってしまったのだった。
 負けた兵士はフロアーの兵士たちに笑われたので真っ赤な顔をしていた。
その兵士の十ドルを友人が、もぎ取ったので、兵士が怒り形相になった。
 友人が、北島に、ランといって、猛スピードで、逃げ出した。
 幸いに、兵士は、かなり酔っていて捕まらずに、すんだ。無茶すんなよと
北島が彼に言うと、すっきりした顔で大笑いしていた。彼が、なんか気持ちが、
スカッとして最高だと言っていた。ただ、あまりに危険なので、
これっきりにしたのは言うまでもない。
 数週間後、彼が、北島に、お礼がしたいという事で、横浜YCACで、
ステーキをおごると言ってきたので付き合うことにした。できるだけ、
オシャレしてくる様にと言うので、学生服のズボンと真っ白なYシャツで出かけた。
 横浜YCACに着き、彼が、入館証を見せて入館できた。豪華なレストランで、
高そうな酒が並んでいた。彼が、ステーキを注文して、何か飲み物は
とウエイターが言うので シャンパンを注文したのである。
 そして分厚いステーキが、旨そうに湯気を上げて出てきたのだった。
 これには、たまらず、かぶりつこうとしたが、彼が、ちょっと待て
「ウェイトア・ミニッツ」といって、北島を止めた。まずステーキナイフの使い方、
切り方を教えるから、同じ様にやれと言った。仕方なく、
できるだけ上品そうに時に少し笑いながら食べた。
 シャンパンで乾杯し、ゆっくりと味わいながらステーキをできるだけ上品そうに、
いただいた。こんなうまくて高カロリーなものを食ってるアメリカ人に、
ローカロリーの米や、さつま芋ばかり食ってる日本人が戦争しかけるなんて、
なんて馬鹿な事をしたんだろうと、思う北島だった。

第6話:「アメリカンスクールで、柔道を教える」

 その数週間後、あの友人から電話でアメリカンスクールで、柔道の指導を
してくれないかと言うので休みの日に、柔道着を持って出かけていった。
元町の丘の上のアメリカンスクールで小さい道場の様な畳の敷いてある場所。
 女の子三人と男の子三人が柔道着に着替えていた。北島も早速、
着替えて挨拶した。ただ二人が、左前の着方をしていたので、すぐに直した。
 左前は、日本では、死んだ人の着方、だから絶対に間違えない様に言っておいた。
 左前の事には、みんな一様に驚いていた。続いて、受け身の練習を見せて、
北島と同じ様にやるようにと言ったところ、受け身は知らないと言う。
 そこで受け身は、準備運動であり、頭や首の怪我防止のために、重要だと教えた。
 それに対し、柔道など格闘技は、攻めでしょうと、彼らが言ってきた。
 その基本的な考え方が、全く間違っていた。柔道は、基本的に敵から身を守るもの
であって、自分から攻撃するものではないというと皆、首をかしげていた。
 こんな基本的な事で時間とってたら、まずいと思い、すぐに受け身を教えた。
次に教えてもらいたい技を、みんなに聞く事にした。背負い投げ、
一本背負い、内また、払い腰、巴投げ、派手な技ばかりだった。
 
 とりあえず担ぎ技(背負い投げ、一本背負い)を教え、
次に跳ね技(内また、払い腰)を教えた。巴投げは首を痛めると、
大変なので、教えなかった。夕方になって、終わろうとすると、ある女の子が
寝技を教えろと言ってきた。内心うれしかったが、実際に、練習中に、
下半身の制御がきかなくなったら困るので、どうしようか悩んだ。
 しかし、教えての声が、多いので教える事にした。寝技の動きの、素早さと、
不思議さに興味を持っている様だ。そこで、基本的な、けさ固めと、上四方固めを
教える事にした。まず彼らに寝技をかけて欲しいというので、男女、交互に教えた。
 そして女の子を抑える時に、1人だけ、下着を何もつけてない子がいて驚いた。
 その子が、またグラマーでプリンプリンなのだ。嫌な予感がしたのだが、
冷静にと心に言い聞かせ、教え始めた。そのグラマーな子は最後だった。
けさ固めも、最後、その子の番になった。抑えてみると何とも言えない、
良い匂いがして、また袈裟固めが、上半身を固める技なので上半身の柔道着の
間から彼女の豊満で上を向いたバストが、しっかりと見えた。
 見ない様にすればする程、北島の目が、その一点に、吸い寄せられた。
 あーまずいと思った時は、もう既に遅く、私のピラミッドが
立ち上がり始めたではないか。深呼吸をし少しなだめて終える事ができた。
 その後トイレに駆け込み、なだめてから、何食わぬ顔でもどってきて今度は上四方固めを
始めた。その時である私は黒人を差別する気はないが、体臭は別だ、とにかく臭い。
 上半身を抑えるので、もろに体臭が北島の鼻に容赦なく入り込んでくるのだ。
 そこで臭い男の子は抑えたらすぐ交代し、臭くない子の時に、技のポイントを
説明する様にした。そして、あの子の番が来た。今度は、上半身に覆いかぶさるように、
抑えるので、彼女の十六インチ砲二つが、私の胸の下にある。考えただけでも鼻血が
出そうだが、ぴったり身体を合わせたもんだから大変、私の機関銃が大きくなってきた。
 その位置はというと、彼女の頭の上、髪の毛の上である。何とか、
悟られない様にすると、腰が引けた変な格好になるので困った。そこで、やむなく
畳に強く押し付けると言うか、押し曲げた。そして何とか彼女に悟られなかった。
 しかし、この状態では立ち上がれない。そうこうしているうちに時間ばかり過ぎて、
みんなに気づかれる前に上四方固めからの変形という事で、いろいろな固め技に、
変形させて、時間稼ぎをした。それを、みんなが、なんと熱心な先生だろうと
思い違いをして喜んでくれたのだ。
 ちょっと、かがんだ姿勢で腰を引き、北島のピラミッドが目立たない様にした。
 そして無事、練習を終える事ができた。彼と付き合って一年が過ぎようとした頃、
彼との別れが突然やってきた。彼が高校二年時、飛び級で高校三年になり大学の
受験資格を取り試験で合格しボストン大学に合格した。彼とは、いろんな議論をし、
時には激しい口論となった事もあったがフランクでいたずらっ子の様なオチャメな所と
裏腹に悪賢い側面を持つユニークで面白い奴だった。
そして、ボストン大学に、合格して、単身で行ってしまった。
 帰り際に、彼が、北島、本当に面白い一年だった。この思い出は、
多分、一生忘れないと言っていた。 
 もちろん、北島も同感であったのはいうまでもない。

第7話:家庭教師をした思い出

 次に、私が家庭教師をした時の話をしよう。高専の合格の
お祝いに私の母のお兄さんが市営住宅の庭に六畳のプレハブを建ててくれ、
そこを私専用の勉強部屋としてくれた。そこで家庭教師をする様になった。
 家庭教師に対する要望は、大きく分けて、二つだった。
一は、人並みの学力まで、引き上げて欲しいと言う事。
 二は、良い学校を目指している子供を希望校に合格させる合格請負人である。
私の場合、一の子(人並みに)が三人で、二の子(良い高校へ)が四人だった。
面白いのは一のケースなので、書く事にする。まず最初に来たのは、中一の女の子で、
第一印象は、集中力がない子だった。五~十分で、疲れてきて、やる気をなくす。
 彼女には、まず問題集をやらせて、その後、教える様にした。問題集を解いてる段階で、
できなくなると、すぐ、わかんないと言い、やめてしまう。そこで、
私が、月謝もらってるのだら、もったいないよ、毎回、言う事になった。
 でも私が、払ってるんじゃないから、関係ないというのである。
実は、どうしたら良いかと困っている時、彼女が、ジュリーの大ファンである事が
わかった。そこでジュリーは馬鹿は嫌いだよ、やはり賢くて、かわいくて、
きれいな子が好きだと思うよと言った。それに対して意外にも、
ジュリーに好かれる為なら、勉強しようと、言い始めた。その後は問題集を
真剣にやり続けた。それと共に問題を解ける様になってきて自信を持ってきた。
 そこで良い会社に入って多くの給料をもらって、ジュリーの追っかけでもしたら
いいんじゃないというと。真面目に、それいいねと言い、良い高校、良い企業を目指すと
言い始めた。これには流石に驚かされた。数か月後、クラスで十番になった様で
自信を持ってきた。ついに、この地区の二番目の普通高校に入って
近くの銀行に勤めて結婚した。
 
 もう一人印象に残っているのは、加藤君(男子)と佐藤さん(女子)である。
彼らを、同じ時間に、教える事になった。加藤君は数学以外が苦手で記憶力が弱いのが
弱点だった。一方、佐藤さんは、逆に記憶力は強いが、
数学が、大の苦手だった。そこで、加藤君に歴史の記憶問題を出して、
制限時間が終わった時に、答えてもらう様にした。
 やはり半分位の正解率で改善しなかった。佐藤さんは方程式が苦手で
問題を出すと最初やる気なかったのだが、ある時から急に、正解率が高くなった。
なんと、北島が気が付かないうちに、答えをさっと見て、覚えていたのだ。
 二人の成績が、向上しないで、困っていた時、佐藤さんが、加藤君に、
あんた馬鹿だね、なんで、そんなの覚えられないの、覚える気があれば、
簡単に、覚えられるでしょう。やる気がないからよと言い始めた。
 これには、加藤君が腹を立てた様で、真剣な顔で、覚える様になってきた。
 そして、何と二人は仲良くなってしまっい、そして地区では中程度の
同じ高校に入って、お互いに仲良くしていた。卒業後、彼は大学へ彼女は、
近くの企業に就職した。ある日、二人に子供ができてしまって、
結婚した。その後、引っ越して、詳細は不明である。

 もう一人の二のケースの下島君は、とにかく、答えを違える子だった。
例えば、間違える確率と間違えない確率で、圧倒的に間違える確率の方が少ない
ケースでも堂々と、間違え続けた。下の問題では大抵、数回、間違えた後に、
覚えるケースが多く、確率的にも間違える方が、難しい。それを何と、
全部の間違えるパターンを答えた。これには、さすがに、よく全問、間違えたと、
ほめたい位だった。多分、教えている北島にも、全問不正解の答えを述べる方が、
よっぽど難しい。つまり、確率的には、超難問の問題に全問正解したのと
同じ位,難しい事なのだ。以下の英語の組み合わせを全て答えよ、
という問題に対して、いとも簡単に、全ての不正解の組み合わせをして
くれたのだった。ファンタスティック! 
 すげー、下島は天才だと、思わず、北島は、心の中で叫んだ。

 具体的に言うと、英語の所有格と目的格。
 アイ  マイ  ミー  マイン
 ユウ  ユアー  ユー  ユアーズ 
 ヒー  ヒズ  ヒム  ヒズ  
 シー  ハー  ハー  ハーズ 

 ただ、彼は、冷静な子で、純朴で、非常に性格が良く、人の話を、ちゃんと聞く子だった。
そこで彼に冷静に話すことにした。北島は、勉強が好きで、興味あるのだが、
下島君は、そうではないらしいと言った。
 また、北島は、自分は、不器用で、気が短くて、ドジな所が欠点だと言った。
 君は、どうだと聞くと、彼が言うには、僕は本当の所、勉強に興味がないとの言った。
 そこ下島君は、何に興味があるのと聞くと、工作が好きで、
いろんなものを作り上げるのが好きですと答えた。彼の父親が、畳屋をやっていたので
継ぐ気はないのか聞くと、その気がないと答えた。
 理由を聞くと。仕事がきつい割に収入が少ない点、休みが不定期で、サラリーマンの様に
土日休みではなく、また、格好悪いので、女の子にもてない。それにボーナスも、
昇給もないと、冷静に分析していた。
 そこで北島が、畳屋は誰でもなれるものではなく、師匠について修行しないとできない。
 またお客さんに信用されないと、商売にならないと話した。それに畳屋も、やり方をかえて、
注文を増やす努力をすれば儲かる可能性が高くなるのではないかというと、
確かに、それはあるかもしれないと言た。近所に、軽トラで団地をまわって
御用聞きをして儲かっている若手の畳屋もいると言った。
それだよ、下島君は、手先も器用だし、気が短い事もないので畳屋に、
すぐなれるんじゃないかというと家が畳屋だから、その気になればねと言った。

 下島君は無理して勉強するより畳屋で稼いだ方が早いんじゃないかと伝えると、
そうかもしれないと言いだし、翌週、母親と挨拶にきて家庭教師を受けるのを
辞めて中学卒業したら父親を手伝って畳屋になると言ってくれた。
 北島が、その方が、向いてるかもしれないと彼の母親に伝えた。
 今迄、格好悪いとか、儲からないとか、文句ばかり言って畳屋を馬鹿にしていたが、
急に儲かる畳屋になるよと、言いだした様だ。お母さんから、北島さんが
人には向き不向きがあり、向いている方を選んだ方が合理的だと言ってくれた為、
息子が、その気になった様だと話してくれた。
 そこで、北島が下島君のお母さんに、若い子は、先入観だけで、好き嫌い、
かっこ良い悪い、儲かる儲からないを決めつける子が多いので、成功し易い道を
選ぶのは、重要な事だと話した。その後、彼の持ち味の人なつっこい笑顔で、
多くの新しいお客さんをつかみ、彼の畳屋も繁盛してる様だった。
また、たまに道を歩いていると、軽トラに乗って仕事に行く、
彼に会うと、吹っ切れた様な、充実した笑顔が、頼もしく思えた。

 二のケースの子の1人は、私と同じで工業系をめざして、なんと、
北島と同じ学校の機械科に無事、入学できた。彼は、元々できる子で、
やる気に火をつける事で自分で成長していった。ほめるたびに喜んで、
えくぼが現れるのが印象的だった。

 もう一人は、もともと非常に頭の良い子で北島が厳しく自分に甘えるな
常にトップをめざせと彼に言い続けた。お前の能力の割に成績が良くないな、
手を抜いてるんじゃないかと檄を飛ばすたびに、にらみ返してきたが、
最後は中学校をトップの成績で卒業し高校も県内トップ高に入学し、
日本でトップと言われてる大学に入った。
(北島の住んでいた市営団地では、彼だけが、その大学に入学したのだった。)
 家庭教師・冥利につきる出来事でうれしかった。家庭教師って子供の興味を
引き出したり本当にやりたい事を明確にしてやる事で
成長していくことをあらためて、勉強させられた。

第8話:趣味と長期アルバイト

 北島だけの空間を持てた事で集中して勉強も趣味もできるようになった。
英語は、エフ・イー・エヌ(米軍基地の英語放送)を毎日聞く様にして、
英語が、さびないように、鍛えていた。自由になる金も、少しできたのである。
そこで、最初に興味を持ったのは、珈琲だった。喫茶店で、飲んだ珈琲の旨さが、
忘れらなかった。そこで最初は手動式珈琲ミルと、サイフォンを買って
豆をひいて珈琲をいれる様になった。サイフォンは、下に球形のガラス容器(フラスコ)
と上に円筒形のガラス容器(ロート)と二つの容器をゴムで接合できる形状であり、
の容器ロートの下に、布製のフィルターをかましてあり、そこで、濾過する格好に
なっている。書いて説明するより、実際に見た方が、わかりやすい。
 サイフォンは水の入った下のガラス容器(フラスコ)の下からアルコールランプに
火をつけ、直火で湯を沸かす。湯が沸き始めたら、ひいた珈琲豆を上の
ガラス容器(ロート)のフィルターの上に置き、ロートをフラスコに差し込むと、
沸騰したお湯が上の容器に移り、全部が上に移った時にアルコールランプを消すのだ。
そうすると上に溜まった、珈琲と湯の混ざったものが、真ん中の、フィルターで、
濾過され、香ばしい珈琲ができる。ただ、その後、サイフォンを、毎回洗う事が
面倒になり、簡単なドリップにした。コーヒー豆は、モカ、キリマンジャロ、マンデリン、
ブラジル、いろんな豆を少しづつ買って楽しむ様にした。 
 その後、紅茶にも興味を持ち、ダージリン、オレンジペコなどを飲み始めた。
 
 その次に、当時、はやっていた、ゲルマニウム・ラジオに興味を持った。
 その後、トランジスタ・ラジオを経て、オーディオに、夢中になっていった。
 趣味は、最初、あこがれから始まり、その夢が、だんだん大きく膨らんで
いくものだと、再認識させられた。

 夏休み、冬休みのアルバイトは海芝浦にあった東芝関連の工場で働いた時間が
最も長かった。日当は、二千円。当時は、公害の一番ひどい時期で、毎日、午前用と
午後用のガーゼマスクを与えられていたが、半日で、真っ黒になり、イオウ臭がして、
気持ち悪かった。昼食は、食堂で、定食250円、天ぷらうどんが180円だった。
 毎日、空腹で、定食+うどんか、そばの連続で、空腹を満たしていた。
 それでも、この工場は、東芝系で、他の工場より環境や、労働衛生は、比較的、
良かった様だ。仕事を終えると、必ずお風呂に入り、家に帰るのが常だった。
 家までは、電車バスでを乗り継ぎ、90分程度。
 その他、工事現場でのアルバイトの時、仕事を終えた後に、たまに
横浜駅近くの野毛の寿司屋で、親方に寿司を食べさせてもらった。
 その時の親方は寿司を食ったら、さっさと帰っていいぞと、言うのだ。
親方が少し楽しんで帰るからと、意味深な、笑いを浮かべ、店の二階に、
女と上がって行った。いわゆる、ちょんの間って、やつでした。
 工事現場の手伝いが、不定期で日当が三千円だった。一番、高給の良い
アルバイトは、横浜港での荷受けだった。1回運んで千円。
しかし荷物は50-80kgあり担げる人は、そんなにいなかった。
しかし、給料が良いとの、噂が立ち、担ぐ人が多く集まる様になり
1日、最高5回位までしか、担げない様になっていった。
 つまり、北島にとって、日当五千円が、最高額のアルバイトだった。
当時、一番、高い学生アルバイトは米軍基地での米兵の死体洗いで日当1万円。
でも、実際に経験した先輩に聞くとホルマリン臭が、きつく死体を見て1週間、
食欲が落ちたとの事で、二度としたくないと言っていた。


 それらのアルバイトと家庭教師で年間十万円以上、稼いぐ様になり
オーディオにのめりこんで行った。時間がある時は。よく秋葉原へ行き、
ショールームでステレオサウンドを聞いて憧れが強くなっていた。
 最初、ターンテーブル、FMチューナー、プリメインアンプ、スピーカーを
買いそろえた。そのメカマニアが、高専のコンピュター・プログラムの時間で、
実際に、プログラムを組んで大型コンピューターを動かす授業を
うけるようになり、その憧れが、コンピューターに、向っていったのだ。
 
 そして数年後に、日本で最初の本格的マイコン、富士通FM8を買う事につながっていった。
 高専に入って、時間ある時には、秋葉原に出かける様になった。そこでは最新の
オーディオ機器を見られるし、触れれ、また情報も入ってくる。
特に好きだったのは、試聴室で、気に入った曲を聴く事だった。

 当時、好きだったのが、ヨーロッパのサウンド・トラック、レイモン・ルフェーブル、
ポールモーリア、パーシーフェイス、オーケストラものが大好きだった。
当時、有名な、国産スピーカーは、ヤマハ、オンキョー、デンオン、三菱、サンスイだった。 
米国製では、JBL、欧州製では、タンノイなどが、有名だった。
 その中でも、私は、JBLの大ファンだった。
その後、バックロードフォンという、特殊な形状の高効率、高能率のスピーカーが
流行りだして、私も作成キットを買い作ってみた。しかし私の部屋が6畳であり、
そのメリットを十分に生かす事ができなかったのである。

第9話:高専卒業と推薦就職

 高専も四年になり、専門課程に入った。北島の入った研究室は、
物理化学研究室だった。その理由は二つある。一つ目は、実験があまり好きでない事。
それに化学溶液には、臭いものが多く、それが嫌いで、すぐ頭が痛くなる。
二つ目は、不器用で溶液の混合する際の微調整が、苦手という弱点があった。
 それらの点で、有機化学系、高分子化学が、対象から外れる事になる。
 数学は大好きで、計算したり、方程式を解くのが、好きだった。
また理屈をこねるが、好きだった。これらの理由で、物理化学を専攻する事に
なった。研究室では、担当の先生が、触媒、吸着を研究していた。
 その先生が、ユニークで、男と女の間には、ベクトルがあって、
その方向性と、その力によって、その二人が結婚するかどうかが決まると
話していた。最初、みんなは馬鹿にして、相手にしていなかったが、
真面目な顔で、それを証明してみせると、意気込んでいたのである。
先生が、そのベクトルを測る装置を真剣に作ろうと考えていたのだった。
 ただ、そのベクトルの力が小さすぎるので理論的な話ばかりで、
測定装置の設計する所までは行かなかった。
 四年になり中間、期末テストの範囲が専門分野に絞られて好きで入った
化学科という事もあって専門分野の学力が、かなりついてきた。
三年まで化学科の中で、ライバルがいて一般教科では1年の平均点で、
いつも二位で悔しい思いをしていた。四年になって、逆転した。
念願のクラストップ。最後は、主席で卒業する事ができた。
 しかし研究室全体では各研究室の中でビリか、その1つ上だった。
と言うのは化学において、有機化学系、高分子化学が当時、花形であり、
物理化学は理学に近く即実践に使える工学系とは言いにくい分野だった。
 その為、あまり目的を持たずに、何となく物理化学研究室に入ってくる者が多かったのだ。
 そう言う訳で、いつも、他のメンバーが平均点を、おもっきり下げてくれるのだった。
 卒業式の後、各科の総代(成績トップの人)が学校の関係会社の機械、
電気、化学会社の会長や、社長(日本最大の企業グループ)と面会して、
今後、社会に出ての抱負を話す事になっていた。
北島は、世界で一番の工業国家・日本の化学の分野での一翼を担いたいとか、
日本の未来の為に貢献したいとか、歯の浮く様な事を言ったたものだと、
今、考えると、非常に、恥ずかしい気がしてならない。 

 高専を卒業して、学校推薦の大手化学メーカーの研究所に就職する事ができた。
自宅からバスを乗り継いで六十分の所に、その研究所があった。仕事は、
あらかじめ年間計画が立っていて決められた実験を同じ手順で行い報告書を
提出するだけの事であり、北島の考えを差し挟む所は、全くない。
 そして午前十時のおやつがあり、三十分の休憩、午後三時も
同じ時間が設けられている。まるで幼稚園である。

 中でも一番気に入らなかったのは、研究員の女性である。
目を見張る様な美人がいるか最初いろいろ探したがいない、では色っぽくて、
付き合いたくなる様ないい女はと見てみるが、全く反対のタイプの女性ばかりだった。
 働く意欲を失うのに、そんなに、時間が、かからなかった。
 そして一番、嫌だったのは、全く、実力を発揮する場所がない事だった。
 入社、数週間後、飲み会に誘われ様になった。参加してみると、
最初は一番エリートだと自画自賛してるグループの歓迎会だった。
新人たちを見下した態度が、気にいらず、以後、一度も行く事はなかった。
 数日後、また、別の飲み会に、誘われた。これは、第二グループだった。 
 その他に、別のグループにも、さそわれた、それは第三グループで、
みんなで結束して、地位向上を図っていこうと訳のわからない事ばかり言う、
変なグループだった。要するに、学閥の仲間に入れてやるということだった。
 全く興味がないというよりも、反吐が出るような連中の話が、嫌でたまらず、
半年くらいして、推薦入社の会社に、辞表を出すという、傍若無人の行動に出た。
 退社後、まもなく、第一次オイルショックがおこり、就職活動は、
超氷河期になり良い条件の就職先がなくなった。これが天罰なのかと、落ち込んだ。
何とか就職できた先は大手印刷会社の子会社でインク製造の職場だった。 
 その当時、ブラック企業ばかりで、この会社も基本給と同じ位の残業手当が
出る程、残業が多い会社だった。具体的には、月の残業時間が二百時間を超える。
わかりやす言うと毎日、夜十二時過ぎても、働かされたのだ。
 同期の、高専卒の連中で、私が11ケ月働いたのが一番長く、数か月ごとに、
同期の仲間が、辞めていった。北島は、体力だけは自信を持っていたが
二回目の検診で血尿が見つかり入院する事になったのだった。 
 退院後、上司に呼ばれ、残業ができなければ、
辞めてくれないかと、言われ、嫌気がさして、すぐにやめた。  

第10話:千葉の田舎に就職

 その後、新聞広告を見て、次の会社に就職する事になった。
会社は千葉県のはずれの鋳物関連の化学製品メーカ。
 社宅付きという事で単身赴任した。その会社には大卒の機械専攻の
先輩が2人が機械のメンテナンスを行っていた。
 技術課長の六歳年上の山下先輩。機械修理担当の木下先輩。
化学専攻の大卒の12歳年上の八木工場長が製品検査をしていた。

 北島の使命は、新製品を三年以内に開発する事だった。実験の計画、
化学薬品の購入、管理、新製品の性能実験も、全て任せるというものだった。
責任は、大きいものの、非常にやりがいがあると思い入社した。
 その後は、色んな材料の素材の性能試験を最初に半年間で行った。
次に、その材料を混合できるか調べた。混合物の性能試験で半年、
1年過ぎた頃、新製品候補が、五種類出来上がった。 
 今度は、その燃焼試験(性能試験)をして三種類までに最終候補を
絞り込み、新製品を世に出す計画だった。

 さて、仕事以外の話もする事にしよう。この工場は、千葉の田舎で
最寄りの駅まで車で30分という陸の孤島。その工場敷地の中に研究室と
3軒長屋と別棟1軒の4軒の木造の社員社宅があった。

 別棟に技術課長の六歳年上の山下先輩が暮らしていた。
 機械修理担当で三歳年上の木下先輩が、私の隣の部屋に住んでいた。
 山下先輩は、東京六大学出身で、訳あって夜学を卒業したそうだ。
 コックのアルバイトも、経験していた様で、料理がとても上手。
 休みの日にはポークソテー、ビーフカレーとか旨い料理をごちそうしてくれる
のが楽しみ。離れの社宅は3部屋で、妻帯者用としてつくられていた。
 そこの6畳の部屋に、麻雀台と5つの椅子を買って来て、仕事を終えた後
や休日に麻雀をして楽しんだ。その時は、十二才年上の、この工場唯一の営業担当、
坂井先輩が、得意先から帰ってきて、よく参加していた。
本社から来る、いけめんの本社の営業部長も、よく誘った。これが一番の息抜き
になった気がする。腕の方は,山下先輩が飛び抜けて強かった。
彼の性格通り几帳面な打ち方で相手が、リーチをかけると、うまく逃げたし、
調子の良いときは、強気で、うってくるのだ。

 次に楽しかったのは町内野球大会、l年に4回春夏秋冬に行われた。
かなり、この地域では野球が盛んだった。広い原っぱが多く、練習場には
困らない田舎という立地条件が幸いしたのかもしれない。
 そして、その二人と先輩と、工場長に、訳ありの若手二人、
運送担当の人、近所の人など、9人をかき集めて、町内の野球大会に
出場していた。ただ、強くはなく最高でも3回戦までだった。
優勝は、強豪三チームが、ほぼ独占状態。
 工場は、従業員が30名、うち女性がパートも含めて、
5人だった。特に、高齢者の兼業農家の人が多かった。
 その為に野菜、果物をたまに差入てくれるのが楽しみだった。
訳ありの若手が二人おり、軽い知的障害を持っている若者だった。
塩尻君、二十代後半で、ぽっちゃり体型でエロ、スケベとか呼ばれる位の男で、
お金が貯まると近くの町のソープランドへ行くのが、唯一の楽しみだった。
発送係のパートの、若めのおばちゃんの、お尻を触ったり、胸を触ったりして、
よく、ひっぱたかれていた光景が微笑ましく思い出されてくる。
 人は良いのだが、こすっからい所があり、悪るっぽいのだが、
賢くないので企みが、すぐばれてしまう。ただ気が小さく、びびりで、
大きな事は、起こせない、かわいい、悪ぶってる兄ちゃんといった感じであり、
みんなに、からかわれていた。もう一人は、十代後半で、
良い子で挨拶もするし、いつも笑顔の好男子だった。
 ただ、しゃべるのが苦手で、よく馬鹿にされていて、口で、
反論できないので、真っ赤な顔をして、悪口を言った人を
追いかけまわしていた。お母さんが大事に、育てていて、しつけもできており、
障害さえなければ、普通に働いて、家庭を持てたであろう、愛すべき男だった。

第11話:祭りに出かけて4Hクラブにはいる。

 工場に入社してから、2ケ月後、近くの祭りに地元に住む、
会社のおじさんに誘われた。そして、神輿の担ぎ手が少ないので、
頼まれた。おじさんは、北島の腕力に期待して連れてきたようだ。

 神輿を担いで、汗びっしょりになると、コップにいれた水の
ような者を周りの地元の人が渡してくれる。
 一気に飲み干すと、それは、日本酒である。日本酒は、
あまり好きではないので、水をもらい、口直しをした。
 30分位で担ぎ手が交代して近くの集会所で、夕飯と、ご馳走が
用意してあった。おなかも空いていたので遠慮なくいただいた。
一休みしていると、また、お呼びがかかり、再度、神輿を担がされた。
 そして2時間位し、お祭りは終了。終了後、集会所に、あつまり、
北島を連れてきた、おじさんが、近所の若者達に、北島を紹介した。

 彼らは、農協の下部組織で4エイチクラブ(農業青年クラブ)
とか言っていた。 よく聞くと、地元の若手農業者の集まりだった。
 面白そうなので、北島もゲスト会員として、入会する事にした。
 気さくな連中で、総勢、男性5人、女性7人で合計12人で代表格の
牛島君と握手した。その後、彼らの仲間入りして、いろんな事が起きる
とも知らずに、ニコニコする北島だった。数日後、牛島君からバーベキュー
のお誘いがあり、でかけた。
 工場まで、車で来てもらい、バーベキュー会場は、車で15分の
大きな河川敷だった。数人が、釣り糸をたてて、魚を釣りはじめた。

 北島は、魚釣りの餌が苦手なので、バーベキューの用意の方を担当し
30分もすると、魚が釣れたようだった。バーベキューの用意も完了した。
 早速、火をおこして、買ってきた、豚肉と牛肉となす、ピーマン、
キャベツを焼き始めたのである。大きな鉄板が3つあり、1つは、
焼きそばを作るために、あけておいた。40分位して総勢10人が
集まりバーベキューが始まった。たれをつくったり、野菜の焼け具合を
見たりして、楽しんだ、運転手以外は、生ビールを飲み始めた。
 若い連中で、焼けるそばから、どんどん食べるので、できあがった
料理はすぐなくなる。そこで、北島は焼きそばを大量に作り始めた。
 これで、みんなの食欲に見合うだけの料理の供給ができるようになった。

 生ビールがドンドン、開き始めて、みんなの食べるスピードが遅くなり
、ゆっくり、バーベキューを焼けるようになったので、飲んで、食べて
1人づつ自己紹介をした。
 会長の牛島君。副会長の石島君、副会長の君子さん、夢子さん、
知加子さん、吉田君、木下君、絹子さん、大石君と、北島の合計10人。
 牛島君が、北島に自己紹介をしろというので、今度、近くの工場の技術者
として入社した北島ですと、みんなに挨拶した。
 出身は、横浜、スポーツは柔道、仕事は研究開発と、大きな声で話した。
いろいろ質問を受けて、答えた。1番困った質問は、何故、こんな田舎の
工場に入ったのかと言う質問だった。

 オイルショックで就職難でここに来たというと、皆、不思議がっていた。
今度は、北島が見た彼らの第一印象だが、総じて、子供っぽい感じがした。
 ただ、顔は日に焼けて健康そうでにみえた。女の子では、君子さんが
可愛い感じで良い感じだった。工場に一番近いのは、絹子さんの家であり、
歩いて10分の所にあった。全員が、農家の跡取りのようだった。
 2ヶ月後、農閑期になるから、泊まり込みで、北関東の温泉に行くから
、北島君も来ないかと誘われた。工場に帰って相談していけるようだったら
連絡する伝えたのだった。2時間くらいで終了して、日が傾いてきたので
、変えることになった。工場まで送ってもらい、お礼をいい、お別れした。
工場長に、旅行の件を話すと、有給があるから、良いと言ってくれたので、
参加することを連絡した。

 数週間後、工場に、絹子さんが車で、迎えに来てくれた。石島君、君子さん
、吉田君が一緒の車だった。北島が、皆に、今日は宜しくお願いしますと挨拶した。
 高速を使い2時間半程度で温泉宿に着くようだ。
 途中のスーパーで、トイレ休憩と、昼食、飲み物や酒、洋酒、ビールを買いものをした。
 1時半に、温泉街に到着し、荷物をホテルのロッカーに入れて、早速、外湯巡りに
くり出した。平日である、そんなに混んでいなかった。ただ、来ているのは、
農閑期と言うこともあるのか、農家の方が多い様だ。
 ゆっくりと外湯巡りをして、3時にホテルに、チェックインして、
各部屋に別れていった。その晩、大広間で大宴会が開かれたのである。
 最初に牛島君が、今年の秋の収穫の話や4Hクラブの活動などを発表して
挨拶をした。その後、北島は、新人なので、お酌して歩いた。
 そして、音楽を流して、広い広間で、歌ったり、踊ったりし始めだのである。
 北島は、サラリーマンであり、珍しがられて、いろんな、人に呼ばれて、
話の相手をした。その内に、チークダンスなども始まって、北島も、
いろんな娘と踊りまくった。また、歌えのリクエストに気軽にこたえ、
洋楽、邦楽とも、数多く歌い、多く人から声がかかった。

その後、歌好きの連中と飲み好きの連中に別れ、歌好き連中は近くの
スナックへ行き歌って踊って楽しんだ。北島は、歌好き連中に引っ張られ、
二次会に、出かけた。北島は、サラリーマンと農家の若者には、
珍しかった様で、女の子にもてた。北島も、可愛い感じの君子さん、
都会好きな夢子さん、その他の女の子も若いサラリーマンに興味が
ある様で、ほとんど全てが歌好き連中についてきた。
 そう言う訳で、北島は、特に気に入っていた君子さんと何回も踊って、
歌のうまい夢子さんともデュエットした。特に、サイモンとガーファンクル
、ビートルズなど洋楽のリクエストが多く北島が、それらの歌を歌いまくった。
 最後の方は、みんな、かなり、酔っ払ってきて、チークダンスしながら
、女の子に抱きついたり、胸を触ったり、キスしたり、かなり、めちゃくちゃな
状態になっていった。それに乗じて北島も気に入った君子さんとチークダンス
しながら曲の盛り上がった所で、おもわずキスをした。それに対して、
なんと酔った君子さんが北島に抱きついてきた。
 次に、歌のうまい夢子さんと、洋楽でデュエットして、歌い終えたときに、
お礼のキスをしたところ、彼女も抱きついてきたので、破顔一笑の北島だった。
それを冷静に見ていた絹子さんが、席に座って、話したときに、北島さんは、
会社で営業マンなんですかと聞いてきたので、笑いながら、技術研究科で、
新製品の開発をしているというと、えー?、北島さんは、絶対に営業マンに
、むいてるわよと、言いだした。そして、意外に、女の子に手が早いのねと
、大笑いしていた。彼女いるんでしょと言ってきたので、それは、
ご想像にお任せしますと、煙に巻いた。歌ったり踊ったりして席に戻ると
女の子を独り占めしている格好になり、牛島君が、強引に、半分づつに、
別れて座るように言った。そして疲れ果てる頃には空が明るくなった。
 千鳥足で、宿に戻り、爆睡した。そして、昼過ぎから活動して風呂に
入ったりお土産を買ったりして過ごした。
 もう一泊して、翌日の昼前に、帰路についた。

第12話:4Hクラブ、女性問題で仲間割れ

 会長の牛島君。副会長の石島君、副会長の君子さん、夢子さん、
知加子さん、吉田君、木下君、絹子さん、大石君と、山下君、徹子さん
、峰子さんと北島の13名全員出席で公民館の大広間で忘年会が行われた。
 最初に、牛島君が、今年の4Hクラブの活動の結果発表をして、
その後、無礼講の忘年会が始まった。北島は、初めてなので、みなさんに
お酌して回ったのである。それぞれ話が弾んでいた。
 ただ、吉田君と石島君のご機嫌が今1つなのを北島は、見逃さなかった。
牛島君の所には、君子さん、絹子さん、木下君、峰子さんが、楽しそうに
話していた。吉田君と、石島君は1人で熱燗と、するめで飲んでいた。

 30分位して、牛島君が1人で飲んでる、吉田君と、石島君を呼んで、
みんなで飲もうと誘ったのだが、来ようとはしなかった。
 そのうち、石島君が君子さんを呼んで、お前、俺と牛島とどっちと
つき合いたいんだよと迫った。困った君子さんは、顔を赤らめて、
そんなこと急に言われたって困るわと言った。そして、他の女の子達に
助けを求めた。それを見て牛島君は、君島君に、まーそー熱くなるなよと、
なだめた。次に、吉田君が、絹子さんに、近づきて、俺とつき合って
くれといった返事は、まだもらってないぞと言った。
 それに対して、絹子さんが、そんなに急に言われたって、困っちゃう
と言うだけで、下を向いてしまった。また牛島君が、そー女性達を、
困らせるなよと、ちょっと、おどけて言い方で言ったのだった。

 それに対して吉田君が牛島さんは、この地区一番の大地主で
一番儲かってる大農家だから、女の子も他の農家の人も1目おいてるし
、女の子に不自由してないから、そんなこと言ってられるんだよ。

 吉田君が、うちらみたいな、小さくて貧しい農家は、日本人の奥さん
が来てくれなくて、フィリピン、中国、ブラジル、ベトナムなどの農業研究生
の女の子を嫁にもらっているんだ。こんな気持ちは、わかりっこないと、
吐き捨てるように言った。続いて、石島君が、君子さんに、牛島と俺とでは
規模も違うし、収入も違う、やっぱり俺じゃ、嫌なのかと大きな声で言った。
 すると、君子さんは、そんな言い方しかできなの、男らしくない
じゃないと言い返した。その場の空気が凍り付きそうになるのを見て、
北島が4Hクラブっていいね、近くの女の子を調達できてと、ちょっと、
ふざけた口調で言った。

 おれらサラリーマンは自由競争という名の下に男も女も自由競争、
つまり、なかなか、落とせねーって事なんだよ。これには、会場から、
笑いが飛んだのだった。つぎに、そんなしけたこと言ってねーで、
そこのステレオにレコードかけて、歌って踊ろうぜと言い、大石君が
レコードをかけた。グループサウンドが流れ、北島は、君子さんの
手を取って、踊り出した。それを見ていた、大石君や、山下君など
若手が、峰子さん、徹子さんと踊り出した。

 そして、場の雰囲気がようやく暖まってきたのだった。牛島君が、
驚いて、流石、都会っ子スマートだねと言った。実は、北島は、本当は、
君子さんが一番気に入って誘ったのだ。君子さんは北島のリードに上手く
、あわせて踊っていた。歌の途中で、石島君に気を遣い君子さんの相手を
かわった。しかし、石島君は、おれ、ツイストしか知らないと言うので、
二人で、ツイストしたらといったのだった。ぎこちないが、ツイスト
を踊って、楽しんでいた。つぎの曲は、「チューリップの魔法の黄色い靴」
を吉田君がレコードに合わせて歌った。その次の、「心の旅」も上手に
歌い上げた。それをびっくした目で見ていた絹子さんが、大きな拍手を
、歌い終えた吉田君に送ったのだった。これには吉田君も大喜びで笑顔で
頭をかいていた。次に夢子さんが加藤登紀子の知床旅情」を歌った。

 彼女は音感も声も良く非常に感動的に歌っていたのが印象的だった。
 次に峰子さんが「京都の恋」をリズムに乗って歌った。数人が歌に
会わせて踊った。続いて牛島君が「さらば恋人」をコミカルに歌い出した。
 そのひょうきんな姿を見て会場から笑いが出た。そして北島君、次に
歌ってと言われたので、沢田研二の「シーサイド・バウンド」を歌ったので
、会場は大盛り上がりとなった。会場から「君だけに愛を」のリクエストが
来て、続けざまに歌った。北島は、少しつかれたので、休んで、ビールを
飲みに行った。

 そこへ、牛島君が来て、盛り上げてくれた。ありがとうと礼を言った。
 そこで、北島はしんみりした忘年会なんて嫌だからねと答えた。

第13話:工場での駈け落ち事件

 こんな工場でも色んな騒動が起きた。最初に思い出されるのは
工場の発送部長とパートのおばさんの不倫事件。
 発送部長の奥さんは、同じ職場で、庶務・経理・事務をやっていてた。
その問題となったパートのおばさんは、誰が見ても、工場1の美人で
、特に、その色気は、すごく、脇を通り過ぎるだけで甘い香水と色気で、
ほとんどの男どもが、振り返えった。ある日、発送部長が、運送屋さん
の所へ運賃交渉に行って留守の時に問題が発覚した。 

 発送部長の車に、その美人のパートのおばちゃん乗っているのを
見たという近所の人が、現れたのだ。
 田舎では、そんな噂は、すぐ広まるのだった。
 後にわかったのだが仕事途中で人里離れたモーテルでしっかり
逢瀬を重ねていた事が発覚し、奥さんの耳に入って、まず旦那を工場中
、追いかけ回しての大立ち回りだった。工場長が発送部長に事の真偽を
聞くと、まず俺はそんな事はしていないの一点張りだった。
奥さんは旦那が精力絶倫で、やりかねない人だと疑ってかかって犯人扱をしていた。

 その騒動で、あの色っぽいパートのおばちゃんが退職したのである。
これには、若い男性達は、残念がっていた。工場のアイドル的存在が
いなくなるという事は仕事の一つの励みがなくなった。

そして数週間がたち、あの騒動の話も忘れ去れようとした時に、
次の事件が起きた。発送部長と、あの色っぽいおばちゃんが、
同時に、いなくなった、夜逃げだった。近くの警察のおまわりさん
まで出てきて、捜索に駆り出されたのだった。
 こういう時には、いろんな噂話が、まことしやかに、広まるもので
、いろんな面白い噂が、飛び交った。駆け落ちして、海外逃亡。
または都会で潜伏してるとか中には心中を図ったのではないかとか噂が立った。
 実際に、近くを流れる利根川と江戸川を警察が調べた様だが、
死体は上がらなかった。近所の電信柱に、尋ね人の張り紙まで出る
ようになった。数ヶ月して突然、彼らの消息が、わかった。

 それは、金が底をついて発送部長が、電話で、奥さんに
泣きついてきたのだ。パートのおばちゃんも、無事見つかった。
 しかし彼女は、これがもとで旦那さんに離縁されて東京の方へ
流れて行き水商売して生活をする様になったそうだ。
 発送部長は流石、もと営業マン奥さんに手をついて土下座し、
あやまり、時間がかかったが、元の鞘に収まった。
 ただし、その後、しっかり手綱をしめられて、一週間の小遣いしか、
もらえなくなったそうだ。
 流石に、これでは何もできないであろう。うまい、兵糧攻めだった。

第14話:お見合い事件

 この工場の周辺は、ほとんどが農家と商売人の家が多く
専業サラリーマンは少なく、ほとんどがサラリーマンとの
兼業農家だった。その為、この地域の女の子は、ほとんどが、
都会に出ていくか、地元の大規模農家か、商店の男子と見合いを
して結婚するケースが多かった。近くの商売人の家から我が工場
の大卒、高専卒の技術屋さんに見合いの話が、年に数回、
舞い込んできた。山下先輩は、既に三回、経験したが話が
合わないのでお断りしたそうだった。

 そんなある日、北島に見合いの話が、舞い込んだ。地元の
農機具販売店の娘、21歳で短大を卒業して自宅で経理をして
いるとの事だった。工場長から言われた話なので、むげに断れず
見合いをする事にした。その当日、その娘の父親が外車で工場を
訪ねてきて、私を乗せて近くの高級料亭で、その娘と会う事になった。 
 始めて会った印象は、気の強そうな、気位の高そうで、北島の
好きなタイプではなかった。

 体型も、私の好きなグラマー系ではなく、細くて足の短い典型的
な日本人体系だった。工場長と、北島が、彼女のご両親と、面会して
、ありきたりの会話を始めたのだった。
 そして、彼女の父親が、家の跡取りが、欲しいので、是非、
手伝って欲しいと、言いだしたのだった。あまりの強引さに、
まだ、彼女に、初めて会ったので、そんなに急に言われても、
困ると伝えると、父親も笑って、そりゃそうだと言って笑った。

 こんなに強引に結婚させたいのには、何か、あるなと、北島は
察知した。その予感が、後になって見事的中する事件が起きた。
 初回の見合いでは、形式通りの話し合いで、2時間程度で、終了した。
 1週間後、近くの駅の喫茶店で、デートをする、段取りまで、
彼女の父親の策略で、セッティングされていた。 
 断る理由もないので会うことにした。デートの当日、彼女は
白いブラウスと空色のスカートで現れた。
 北島は、めったに着ないスーツを着ていった。天気の話から入り
少し雑談した後に彼女が何故見合いに、いらしたのと聞くので、
工場長に世話になってるから、断れなくてというと、ニヤッと笑った。
 そして続けざまに、と言う事は、彼女に、あまり興味がない
と言う事ねと続けた。誠に失礼ながら、北島のタイプではないと
、はっきり言うと、安心したように、あー良かったと言うではないか
、さすがの北島も、これには、怒りを覚えた。

 「良かったというのは、どういう事ですか」と、きつく言った。
 彼女が、あなたこそ「タイプじゃないと言ったじゃないですか」
と反論してきた。そのうちに何かおかしくなって、お互いに笑い出した。
 そして北島が彼女に、彼氏がいると言う事ですねというと、
お茶目に、その通りだというのだった。
 その彼氏は、父の会社に出入りしている、農機具メーカーの
セールスマンだと言うのだ。彼は、良い人何だけれど、気が弱く、
やさしい性格で、営業には向いてないし、父の最も嫌いなタイプだと言った。
 更に、彼女は、話を続けて、彼は、彼女が、いなきゃ駄目なのと言う有様だった。
 北島は、彼女の方が彼に惚れてんじゃないかよ、と心の中で叫ぶのだった。 
 こりゃ駄目だ、こんな茶番劇につき合っては、いられないと思い、
そこで北島は彼女に、どうしたら良いのですかと質問した。すると、
さっきあなたが言った言葉、娘さんはタイプではないと、言えば良いのよと笑いながら答えた。
 わかった、早速明日にでも工場長の方から、その様に、伝たえてもらうよと返事した。 
 その後、彼女は胸のつかえが取れたのであろうか、晴れ晴れとした顔にもどった。
 翌日、工場長に、お断りの電話を入れてもらった。その数週間後、
見合いをした娘さんが、誰かさんと、駆け落ちして、姿が見えなくなったそうだ。
心の中で、彼女に、うまくやれよと、励ます北島だった。

第15話:ヤクザの都落ち事件

それは、夏の暑い日の事とだった。突然、我が工場に、デカいアメ車
が入ってきたのである。そして車から、サングラスをかけて、
めっぽう怖そうな大男が、降りてきた。工場の従業員は大慌てで
、工場二階の工場長の部屋へそれを伝えに来た。

 そして、工場の庭に出て、彼に話かけたら、この工場で雇って
くれというのだ。そこで工場長が履歴書を書けば、面接はしますよ
と答えた。彼が、履歴書、そんなもんないよと言うのである。
 それなら、採用できないと言うと、そこを何とか、頼むよと言いだした。
 そのうち、こういう奴には、北島さんに、話してもらった方が良いよと
、言い出したらしく、北島が現場に参上する事となった。その場に行くと
、兄ちゃんからも頼んでくれないかというのである。

 少しして、工場長が、ちょっとやる仕事があるから、後は頼むと
いなくなるではないか、仕方なく、とにかく話を工場の食堂で、
聞く事にした。冷たい麦茶をだして、話を聞くと、彼は、組の者に
追われて、逃げ回って、やっと、ここへたどり着いたとの事だった。
 金が底をついたから、何とか、働いて暮らしていかなければならない
ので、仕事が欲しいというのだった。素人さんには、絶対手を出さないと
言う事や、頑丈な身体で、給料以上の働きは、絶対にするからと言う事を
話していた。 だから何とか、働かしてくれと、特に絶対に他人に
迷惑はかけないと言う事を強調していた。

 そこで北島が、それなら、その約束を破ったら警察に突き出すと、
真剣なまなざしで、ドスのきいた、低い声できっぱりと言った。
わかったよ、兄ちゃんと答えた。何とか雇ってくれと言うので、
わかった、掛け合ってみようと伝えた。
 もし、喧嘩したら、ただじゃ済まない事は肝に銘じておけと、
思いっきり怖い顔して、ドスのきいた声で、言い放った。
 わかったよ、言う通りにするよと、言ったのである。
 そこで工場長に、話の一部始終を伝えてた。何かもめ事があれば
、警察を呼ぶと言う条件付きで、雇う事にしてもらった。
 それを、彼に伝え、空いてる社宅の一つを使わせる事にした。
 彼は、兄ちゃん恩に着るぜ、もし何かあったら力になるぜと言った。
 あのね、そこで、何かあったら困るんだよと、笑って答えた。
 そして、彼が暴れたら、即刻クビで、警察を呼ぶと言う条件付きでの
、採用だと言う事をしっかり、話しておいた。社宅の件も話すと、
兄ちゃん、ありがとう、恩にきるぜ、地獄に仏とは、こういう事を
言うんだなと、殊勝な事を言っていた。その晩、風呂上がりに、
ビールを飲むと、彼はニコニコして喜んでいたが、いちいち、背中を
たたく癖があるらしく、翌日、背中が赤くなっていたのだった。

 それからと言うもの、彼は、妙に、大人しく、礼儀正しく、朝早く
起きて出勤してくる人、全員に、お早うの挨拶をしたのだった。
 何せ、怖い顔なので、早足で自分の持ち場に入る従業員が多いの
には笑った。工場の職長に紹介して、仕事を教えてやるように指示した。

 一週間が過ぎ、すっかり職場に慣れてきた様で社内でもよく働くし、
 何せ、力持ちなので、思いものを運ばせたら、彼にかなうものはいない
とまで言われるようになった。数ヶ月がすぎて、彼は、特に、大きな
問題も起こさずに、働いていた。寒くなってきたある日、彼が、
たまには、兄ちゃん飲みにでも行かないかと言い出した。 

 クリスマスでもあるから、近くの町まで、彼のアメ車で行く
事にした。そして地元のスナックでメリークリスマスの乾杯を
して飲み始め、そのうちにカラオケで、歌い始めた。
 彼は、柄に似合わずプレスリーを歌ったのである。これには
驚かされ、監獄ロックから始まり、数曲プレスリーの曲を歌ったのである。 
 私はサイモンとガーファンクルをの歌を歌うと、兄ちゃん、
良い曲知ってるねと、言ってきたのだった。そこで、その兄ちゃんは、
やめろと、言い、北島さんと呼んでくれと頼んだ。しらふのうちは、
北島さんであったが、酔いが回ってくると、また例の、兄ちゃんが
始まったのだ。そして彼が、歌ってる時に、酔っ払いが、ふらついて
、ぶつかってきた。最初、興奮して胸ぐらを摑みそうになったが、
おっちゃん気をつけろよなといって、ふらついた身体をしっかり押さえた。
 その酔っ払いは、びっくりした形相で、すぐ、その場を立ち去った。
 そして、不思議な事に店に来てる、女の子をナンパするでもなく、
 静かに飲んでいたのだった。そこで、いろんな話を聞く事ができた。
 若い頃、さんざん馬鹿して、喧嘩して、女を泣かしたり、取り合ったり
、悪い事は、ほとんど、やり尽くした。でも、俺は、この世界にゃ向かない
事が良くわかったんだと話していた。本当にワルになれない自分がいるんだよと。
 だから、最後の、ここ一番という所で、情けをかけちゃうんだ。
 でも、そう言う半端者は、この世界じゃ生きていけないのさ、
 だから、追っ手が、俺をを捜し回っているんだとの事だった。

 何か、わかるような、わかんないような話であったが、妙に、
親近感の持てる男だと、思えるのが、おかしかった。帰ろうというと、
そうしようと言う事で、代行を頼んだ。かなり酔いが回ったので、
勘定済ませて帰ろうとした時、彼が、兄ちゃんに払わせたら、
お天道様に笑われるといいだしたのだった。それじゃ頼むと言い、
外で待つ事にした。そこで、待つ間に、代行を呼ぶ事にした。

少ししたら、彼が、出てきてた。その後、代行の車がやってきた。
 そして代行の若者が、こんな大きなアメ車、始めてだと、喜んでいた。
 コラムシフトのオートマチック、すげーな、と驚いていた。
 彼が、良い車だろうと誇らしげに、色々と車の事を話していた。

 年が明けて、翌年の一月の中旬の寒い朝、その事件が起こった。
 やくざあがりの彼が急に姿をくらましたのである。彼の外車と共に
、煙の様に、消えてしまった。その事件は、やっぱりなー程度で
済んだが、その月の月末に、ガソリンスタンドや飲み屋から、
彼のツケの分の取り立ての電話が鳴ったのだった。
 飲み屋が、二ケ月分で二万円、ガソリンスタンドは、一ヶ月分で
一万円、合計三万円の請求だった。工場長に相談して、彼が1月、
中旬退職だから、半月分の給料から、その分を払う事で、解決できた。
 こんな、小説になりそうな事が、実際に起こるとは、夢にも思わない北島だった。 

第16話:同じ年の出入り業者との思い出

 我が工場に出入りしていた協力会社・S鉄工の息子との、エピソード。
 工場の設備工事を、お願いしている、近くの町のS鉄工の社長の息子と、
彼の叔父さんの二人で工場に来ていた。社長の息子は、私と同じ年で、
色んな話をしたり、たまに野球の助っ人として、参加してもらっていた。

 彼は、いわゆるイケメンで、女にもてて、工場のおばさんにも、
人気が高かった。何回か、近くの町に、繰り出して飲んだ事もあった。
 ある年のクリスマスの日に、近くの町へ、飲みに行き、彼が、
二人組の女の子をナンパしてきた。私はあまり得意ではないのだが、
酒も入り、いつもより、積極的に踊ったりしていた。

 二次会で、別のスナックに移動して、歌ったり踊ったりしていた。
 その時、私の出身の横浜の話になり、彼女が数年前に一度行った事が
あると言い出した。素敵な街で、特に山下公園や海の見える丘公園、
外人墓地が気に入った様だった。こんな田舎町に、なんで来たのかと、
聞かれ、この不景気で、就職先がなく、来たと、答えた。今の住んでる
場所を言うと、なんで、あんな、ど田舎にいるのと、不思議そうに言うので
、ただ、仕事があるからさと、答えると変な人ねと笑っていた。

 社長の息子が、あー見えても、彼は新製品開発をしている技術屋さん
なんだよと、笑いながら言った。ほんと見えないわね、
 力仕事をしてるただの工員にしか見えないと笑っていた。
 そんな話をしているうちに、社長の息子は彼女と、知らぬ間に消えた。
 残された我々二人は、ちょっと気まずい雰囲気になってきた。
 彼女のが、あいつら、さっさと、ホテルにしけこんだんだよと言った。
 私が、どうしようか迷っている時に、あんた私たちも行こうよと、
 引っ張って行かれたのである。 彼女に、ついて行くしかなく、
近くの派手なホテルに、入り、チェックインも全て、やってもらい部屋に入った。
 中に入ると、びっくりする様な、部屋でいたるところに、鏡があったりして、
私が驚いているとあんた初めてなのと、馬鹿にするので、むきになって、
そんなことはないと、強く言ったのである。成人映画でも見ると言うので、
見ようと言い、見始めた。その後、私の気持ち同様に、下半身も
いきりだってきた。それをみて、わーすごいと、それを、彼女が手で
、いじりだしたから、もー、大変。その後、彼女が、すぐ、服を脱ぎだした。

私の下着をはぎ取ると、完全に主導権と、あれを握られ、つぎに、
ゴムのカバーを手早くつけてから、しゃぶりだしたのである。
 これには、びっくり、目を白黒しているうちに、私を下にして、
上に、またがってきたのである。飢えたオオカミの様に、
すざまじい勢いで激しく動くので、すぐ、昇天。

 早いのねと馬鹿にされた。一休みしてコーラを飲んでリラックスした。
 その後、彼女の手が、私の愚息を手のひらを使い、ヤギの乳を出す様な
微妙な動きで、揉み始めた、その攻撃に、愚息のターボに火が付いた。

今度は、私が上になったり後ろに回ったり、いろんなスタイルで、
楽しんだ。また一休みして、今度は、彼女が、上になり少し垂れていたが
、大きい乳房で、私の愚息を挟んで、もてあそび、始めたのである。

 上半身が大好きな、私としては、お返しに上から下に垂れ下がった、
大きな乳房を情熱的に、なめはじめたのだった。そうすると彼女の
表情がうっとりと、より悩ましい表情になっていくのが見えた。

 また、彼女が、上になり、私が彼女の乳房をしゃぶりながら、
彼女の腰が潮の満ち引きの様に、引いては返す感じで、最初はゆったりと
、少しづつ激しさを増し、最後は乗馬の速足みたいに、はやい速度で
、腰を動かし、出したのである。 そのうちに、彼女が「あー」と言い
、白目をむいたのだった。

 これには、びっくりしたのか、愚息もなえてしまった。
 あわてて、彼女を介抱すると、彼女がにっこりして、あんた意外に、
うぶなのね、と笑ったのである。でも、すごいわ、こんなの初めてと、
しみじみ言うので何か、おかしくなって「そーか」そんなに良かったか 
と答えると彼女は大声で笑い出したのだった。
 
 その後、たわいもない話をした。彼女が、私を試すように、
再度、愚息に、アタックしてきたのである。ご要望に答える様に、
直立不動で、お相手する事ができた。今度は、私がいろんなスタイルで
、総攻撃を加えた。大きな声を上げるので、私が隣に聞こえるよというと
、大丈夫だよと言い、ますます大きくなる声に、逆に燃え上って、
何回も、持続するのだった。そして、それを終えて、あんた、がたいが
良いから、強いと思っていたが、すごいスタミナだねと笑いなが言った。

 私が、若い頃、格闘系のスポーツやっていたからねと、にゃっと笑った。
彼女が失神しそうなるまで感じたのは生まれて初めてだという事だった。
 また楽しもうねと言ってきた。そこで名刺を渡した。シャワーをあびて
、帰る頃には、すっかり朝になっていて精算して始発のバスで社宅に帰り
、そのまま仕事に入ったのである。数日後、あの社長の息子が仕事で、
工場を訪ねてきた。昼休みに、社宅の私の部屋で、先日の宴の話で、
盛り上がった。彼がB子は、すごかったろ、あいつ遊び人で、有名なんだ。
 でも、彼女、お前の事、気に入ったみたいで大好きだと、言っていたと笑っていた。
好きというのは、セックスが良かったと、言う事だよ。

 一体全体どんなセックスをしたんだよ。しつこく、聞き出すので、
事の顛末を詳しく話すと、そりゃーすごね。あんたも隅に置けないね。
 大笑いしていた。でも彼女は、いろんな奴と付き合っていて中には、
不良の連中もいるので、気をつけろと忠告してくれた。高校時代に
スケバンを張っていて、近隣の高校では名の知れた、つわものだった様で
、その時の不良仲間の数人とも、いまだに、付き合っている様だと、
教えてくれた。そんな野郎に負ける訳ないだろうと、強がると、
とにかく気をつけろと言っていた。間違っても、調子に乗るんじゃないぞと、
きっぱり言った。社長の息子も、随分、喧嘩していた様で、右の頬に、
傷の跡が、残っていたのだった。

その後、彼女が大型バイクで、私の社宅に、夜這いする様に
なってきた。そこで同じ棟の先輩がいない日を電話で連絡して
逢瀬を楽しむ様になった。

第17話:家庭教師での出来事

 山下先輩と家庭教師のアルバイトをした話。会社のパートの
おばちゃんから、英語を教えてくれる家庭教師を探してる知り合い
がいるので、英検二級をもってる、北島さんに、お願いしようと
思いついたとの事だった。
 その人は、工場から、車で三十~四十分離れた、駅の近くの、
昔からの商店主だった。 そこで翌日、早速行く事にした。
 そこは駅前の大きな商店で、すぐわかった。大きな一軒家で
本宅と別宅からなっていた。その子の親と、面会して話を聞いた。

 それによると中一中三の娘が別々の日に、英語を教えて欲しいと言った。
 話し合いの結果、家庭教師の日時が火曜と木曜の夜七時から八時と決まった。
 二人分で月謝は、月一万円と提示してきたので了解した。中一の次女には、
英語の基礎の暗唱を繰り返し、とにかく基礎を徹底的に覚えさせた。
覚えが良く、有望だった。中3の長女は、ポニーテールの可愛い子で
、変に色気のある子だった。彼女には、基礎的な試験をして、弱点を探した。
 基礎はある程度あるのだが、読解力が弱く、記憶力は良いのだが、
 論理的な事柄を理解するのが苦手な様だった。数学も弱い様だったので、
ご両親に山下先輩が数学に強い事を話したら、数学の家庭教師も欲しい
と思っていたので、是非、教えてくれる様に話して欲しいと言われた。
 そこで山下先輩に話すと快く受けてくれた。火曜の夜七時から
八時で、火曜は、私と山下先輩の二人で、行く事にした。 

 その後、中一の次女は、順調に進んできたので、中一の問題集
を宿題として、範囲と期間を決めて出す様にした。彼女の努力もあって
、どんどん成績が向上してきて、喜ばれた。一方の長女は、理解力に
難がある様で何回言っても、同じ所を間違える始末で成績が上がらなかった。
 そのため、叱ると、やる気をなくすという悪循環になってきた。
 そこで山下先輩に相談すると、彼女は、おだてた方が良いとの
アドバイスをもらい、その後少しでも、良い所があれば、誉めるようにした。
間違えると、あなたらしくないね、こんな所で間違えるとはと言うと、
北島の企みを見透した様に、先生、随分、前と違った教え方になったね、
なんかあったのという始末である。そこで、何か英語を習いたくなる様な
、方法はないかと考えるようにした。
 そのうち彼女が、ディズニー大好き少女という事がわかり、
ピーターパンなど英語の絵本を買い与えて、その短文を、暗記する様に言った。

 もともと記憶力が良い事も手伝って、どんどん覚えていくのだった。
それを英語の長文に応用して、とにかく覚える事を優先させた。
 英文法は後回しにする方法を取る事にした。それからは、砂が水を
吸う様に、急速に成績が向上してきたのだった。
 数学の方も、順調に伸びてきて、高校受験に間に合いそうだった。
 彼女は最初、私立の女子高にでも、入れればと思っていた様だが、
成績が上がるに、従って目標を上げていき、最終的には、地区の
一番、二番の高校を目指す様になった。最後の受験校の選定で、
助言を求められた時に、確実に、二番目の高校に入るべきだと答えた。
 高校は確実に入学し、その後、努力して希望する大学に入学する方が
良いではないかと伝えた。そして、その地区二番目の普通高校に合格した。
 高校に入っても、家庭教師を継続して頼まれ、私が会社を辞めるまで
続けた。さて次女の方であるが、中二に上がるとクラスで三番の成績まで
上がってきた。そこで御両親が数学も、お願いしたいと山下先輩に頼んできた。

 快諾して私と共に教える事になった。数学は元々、得意であり、
家庭教師を始めて半年でクラストップ、学年でも五番以内になった。
 そんな良い子風の彼女にも、問題があったのである。
 それは中二になり、急に体が女性らしい体形になるに従い、
たまに変な目で、こちらを見たりして、集中力が落ちてきた。
 独身の、私としても、目の置き場に困るほどだった。
 それをからかう様に、わざと胸をゆすったり、モーションをかける
ような、仕草をしてからかってきたのだった。

 そして小さな事件が起きたのである。その日は普通、通りに
勉強を始めたのだが、少して、急に、お腹が痛いと言いだした。
 そこで大丈夫と言うと、ここよ、ここが痛いのと白いブラウス
を上げてのきたので、豊かな胸に目が行っ、困ってしまった。
そこで彼女の母親を呼んで彼女が腹痛だと伝えて、終了した。
 翌週も、勉強に身が入らない様で、困ってしまった。

 そこで受験の為に、もっと頑張らなきゃ駄目だろと言うと
、あんまり興味がないとの事だった。中学校で、恋人同士が増えて
、それに乗り遅れまいと焦っている様子だった。それは高校に
入ってからという言葉も、耳に入らない様であり、ついには、
先生、セックスした事あると言う始末で全く先生と思われて
いない様で、怒りを覚えた。まー女って動物は、扱いにくい。
 人の弱みを見つけて、そこを攻めてくる、全く性悪だ。
 その一年半後、会社を辞める事になり、この悪辣な小悪魔とも
、お別れすることができた。

第18話:工場長の推薦状

 ついに新製品の開発が完成し、性能試験も終了した。
 そんなある日、工場長に呼ばれて、北島君は弊社に入って
三年で与えられた新製品も完成して、今後どうしたいのかと、
聞かれた。鋳物業界は知っての通り不況業種で将来性がない。
 北島君の様な、優秀な若者がいる所ではないかもしれない。
給料も、この三年ほとんど上がってない。年収300万円では
結婚して嫁さんを食べさせるのも厳しいだろうと言われた。

 悪い事は、言わんから、若いうちに、将来性のある業界へ、
転職したら良いと言ってくれた。ありがたいアドバイスだった。
 その為には、全面的に協力すると言ってくれた。
 北島も将来の事を考えると、転職を考え始めていた時期でもあり
、工場長に新聞広告で良い会社があったら面接を受ける旨を話した。

 その後雑談して、どんな業種がいいですかねと、聞くと工場長も
化学出身であり、不況にも強く、給料の良い業種と言えば、医薬品
だろうねと話してくれた。翌日から、新聞の社員募集の欄をしっかりと
、チェックしていた時、ある製薬企業で、社員募集をしている広告
が目に入った。大卒、年齢24歳まで、就職経験者の応募可能と
書いてあった。

 ダメもとで就職希望の書類を送付し翌週に返事が来た。
 多分駄目だろうなと半分あきらめてていた。しかし高専卒で3年の
職務経験も評価してもらえた様で来月、東京で一次試験と面接に来るように
と手紙に書いてあった。翌月、東京の新宿の支店で筆記試験と午後に
支社長面接を受けた。筆記試験は一応、再度、勉強して、臨んだので、
ある程度の自信はあった。そして午後の面接で、面接官から、今いる会社
での、三年間の仕事を聞かれ、正直に、新製品開発の経緯を、順序立てて
、説明した。君は、なかなか、面白経歴の持ち主だねと思ったより好反応。

 そして最後に北島君が会社に望む事は、と聞かれて働いた分の給料を
いただければ、それで十分ですと答えると、面白い事を言うねと言われた。
 その発言は、これからの仕事に、自信を持っていると、理解していいんだねと、
笑いながら聞いてきた。そこで、もちろん全力で仕事をするだけです。
そして、その結果を評価して頂いて、給料をもらうだけですと答えた。
 やる気十分だと考えていいんだねと笑いながら聞いてきた。
 評価を下すのは、上司ですから、期待に応えられるかどうか、
やってみなかれば、わかりませんと答えた。

ユニークな考え方で面白い男だと、面接官の反応だった。
 北島としては、自分の考えをいう事しかできないし、
それで駄目なら、次を当たるだけと考えていたのである。

 数日後、一次試験合格通知が届いた。その手紙を工場長に見せて
、お礼を言った。何とか、この会社に入れるといいねと言ってくれた。
 そこで工場長が、私に推薦状を書いてあげようと、言い出した。
 えホントと言い、それはありがたい是非、お願いしますと頭を下げた。

 ただ、これは工場長の独自の判断である事であり、他言はするなと
言うのだった。もちろん了解した。一週間後、本社での二次試験、
二次面接に、その推薦状を、携えて、臨む事となった。

 二次試験は10人が受験しに来ていた。二次面接では、社長、
自らの面接だった。まず挨拶すると、社長は、君か面白い男がいると
、話題になっていた人はと、いきなり言ったのだった。
 そして、おもむろに、工場長に書いてもらった推薦状を提出した。
 すると社長が、その封筒を開いて、じっくり目を通してくれた。
 ビックリした様で、推薦状持参で入社試験にきたのは、
君が初めてだよと笑い出したのである。最後に、北島君の我が社での
抱負を聞きたいといわれたので抱負は、特にありません。
 ただ頑張って仕事をするだけです。そして自分の能力で、どれだけ
、売れるかだけです。その実績を評価するのは会社側ですからと答えた。

 ひねた新人だねと大笑いしていた。社長から、頑張って売上を上げて
欲しいね、期待しているよと笑いながら言ってくれた。

 帰って工場長に、その話をしたら、採用されたかもしれないよと
言われた。とりあえず、お手並み拝見という感じで、社長が言うというのは
、好印象だという事だよと教えてくれた。翌週についに採用通知が届いた。
 そして数日後に、会社の研修施設で、三ケ月の薬剤、医療関連を学ぶ
研修会が、行われる事が書いてあった。 なんか、キツネにつままれた感じ
というか、奇跡的というべきか、とにかく、信じられない程のうれしさで
あった事は間違いない。その晩、実家に電話をして転職の話をした。
 翌週、お世話になった工場の皆さん、推薦状を書いてくれた
素晴らしい工場長に、お礼をのべて会社を後にした。

『成り上がり青春編』

『成り上がり青春編』 播磨王66 作

日本の貧しい農村に生まれ、生活苦のため上京、ジフテリアにかかり、生死をさまよい、中学で勉強に目覚めて、成り上がっていく、幼少期の学生、若い社会人の姿を赤裸々に描いた物語である。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 青年向け
更新日
登録日 2018-03-31
Copyrighted

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著作権法内での利用のみを許可します。