Fate/Last sin -04


「今朝、正式に令呪が消滅した。―――これでいよいよ、頼みの綱はお前だけになったよ」

 ―――そうですか。
 多少の計画の狂いは仕方ありません。これは聖杯戦争、何が起こるかなど予測不能ですもの。
 私を信頼してください?
 必ずやその意志を全うできるよう、協力は惜しみません。

「そうだといいのだが、何、計算違いが多すぎる。彼女もあまり冷静ではない……」

 大丈夫ですよ。
 むしろ貴方が命の危機に瀕することは無くなって、意思の遂行はより確実になったと、彼女にもそう伝えてください。

「ああ、それより。君、体はどうだい」

 今は何も。

「そうかい。……私も、できるだけ君に苦痛が無いよう、努力はするが……」

 貴方にそう言っていただけるなら、何も不安はありません。

「恐怖は……無いのか」

 無いと言えば嘘になりますが。
 
 すべては、聖杯の意思のままに。




御伽野(おとぎの)家系統、被験体番号百二十六号、固有名称、蕾徒(らいと)。メディカルルームに定刻通り収容します」




 夜明け前、いつもの調整に入る。舌の裏に一本、腕には三本の太い管が差し込まれる。貴重な僕の体と回路をうっかり破壊しないよう、大人達は毎回細心の注意を払っているようだけど、僕はただ、されるがままに寝っ転がっていればいいので、気楽なものだ。
 部屋は本当に明るい。細かい作業をしやすいよう蛍光灯がこうこうと光を放ち、外はまだ日も昇っていないのに、この部屋だけ真昼のようだ。窓もない部屋には、空気清浄機から吐き出される清浄な空気が満ちている。幼いころはこの明かりが眩しくて、まだ眠たい頭を無理やり起こされてくらくらしたが、今は目を閉じてしまえば平気で二度寝できる。その間に、大人たちは汗をかきながら僕の体についてあれこれ調べる。終わるころにはすっかり日は昇り、管が引き抜かれ、二度寝も終わってすっきりとした僕は、朝食前の三十分の間、自分の部屋も同然の『温室』へと帰る。


 ――――ああ、そうだった。
 いつもの時間通りに部屋へと帰された僕は、温室の二重扉を開けて中に入ってから思い出した。丸いドームのガラス天井の東側から、冬の朝陽が差し込み、あたたかい水とあたたかい空気の中の植物たちがオレンジ色に照らされている。僕は緩くカーブを描いた通路を歩きながら植物たちを一つ一つ、じっくり観察し、どこか病気になっていないか、あるいは腐っていないかなど見てまわる。ここまではいつも通りの日課だったが、温室の中でも一番大きなサボテンの角をぐるりと回った時、思い出した。
 温室の中央、色々な植物が生い茂る中にぽっかりと空いたスペースに、いつもとは違う存在がそこにあった。『彼』―――僕以外の人間は、初めて会った時と同じ不思議な金属の服を着て、先端に尖った刃物をつけた変な棒を脇に抱えて、昨夜と同じ場所に立っている。
 彼はサボテンの陰から現れた僕と目が合うと、軽く表情を変えた。
「よう、マスター」
 ぼくはしばらくその言葉を頭の中で転がし、あ、マスターというのは、彼が僕を呼ぶときに使う言葉だったと思い出す。冬の朝は太陽が昇るのが遅くてどうにも頭が回らない。僕は彼に答えた。
「おはよう、ええ……、ラン?」
「ランサー、だ」
「そうだった。おはよう、ランサー」
「おう」
 昨夜、ランサーという名前の彼は突然現れた。長い棒を持ち金属の服を着た彼はとても強いので、ぼくの聖杯戦争を手伝ってくれるらしい。説明によると、この僕の右手の赤い模様一つにつき一回、何でも言うことを聞いてくれるという。ただし三回お願いを聞いてもらったらランサーは僕を手伝うことはできなくなるらしく、大人たちは『大人が良いというまで絶対に使うな』と厳しく念を押した。そんなことを言われたって具体的なやり方も分からないし、この模様については特に気にするつもりはない。
 僕はランサーをじっと観察する。僕の髪の毛は黒いが、ランサーの髪の毛は茶色い。僕の目は空と同じ色だが、ランサーの目はよく見ると植物の芽と同じ色だ。体の大きさも、腕の太さも、耳の形も足の大きさも何もかもが違う。僕は、僕と同じなはずなのに全然形の違う人間を初めて目にして、ものすごく興味を覚えた。
「……なんだ、マスター。俺の身なりがそんなに変か?」
「全部ぼくと違うから、うん、変だね」
「俺からしたら、マスターのほうが変わってると思うがな。お前だけじゃない。ここは何もかも、俺の知っている世界と違う」
 僕は目を丸くした。ランサーと僕では、知っていることまで違うという。
「ランサーはどこから来たの? ランサーの知っている世界って何?」
 それを聞いたランサーは口を開きかけたが、すぐに閉じる。それから何か考えるように眉を寄せると、手で額を抑え、うーんと唸った。
「どうしたの? どこか痛いの?」
「いや。……あんた、俺の知っている世界を知りたいと言ったな」
「……うん」
 心臓が体の奥で徐々に速く鳴りはじめているのがわかった。ランサーは朝陽を受けて輝く棒を手にして、それでカツンと温室の石材の床を叩く。
「ならば自分の目で見て、自分の耳で聞くのが一番だ。よし。ここを出るぞ、マスター」
「ええ!?」
 耳を疑った僕と対照的に、ランサーはさも当然のようにさっさと温室の広場を出て通路を歩き、入り口付近にいる大人のひとに声をかける。
「なあ、おい、あんた。今日は一日、マスターと屋外に出たい。許可は必要か?」
「……ええと……」
 困った顔の大人のひとに更に詰め寄ろうとするランサーの裾を掴んで、僕は慌てて言う。
「ちょっと待って、無理だよ! 僕はここから出たことなんてないし、知りたいって言ったって、僕はお話を聞きたかっただけでぇ……!」
「俺が千の言葉を尽くして語るより、一度自分で触った物の方が遥かに身に染みるぞ。それより、お前は形のある世界より、薄っぺらな言葉の中の世界のほうが好みか?」
「急に難しいこと言わないでよおお!」
 ランサーを止めようとしがみつく僕を全く相手にせず、ランサーは「どうなんだ、早く返事をしないか」と大人のひとに詰め寄る。大人のひとは呆れた表情で、
「緊急の場合を除き、外出届の受付には、三時間かかります。外出届が受け付けられたとしても、その後の承認を得るまでに六時間掛かるのが妥当です」
と、淡々と述べた。
「九時間も待てっていうのか? 夜になってしまう。夜になれば戦いが始まる。俺は昼の間に外へ出たいと言っているんだ」
 ランサーは憤って棒で床を叩く。カァン、と硬い音が温室に反響する。それにも動じず、大人のひとはただ、つらつらと述べた。
「仮に三時間かけて外出届が受諾されたとしても、特別な理由がなければ外出は許可されません。……我々の、貴重かつ唯一の被験体ですので。ご理解を」
 ランサーはその大人のひとをじろりと睨むと、次の瞬間にはがっかりしたように肩を落としてため息をついた。
「……俺の生涯の偉大なる友は、ある戦場へ向かう途中で船が難破し、兵は多くが死に、さらに敵軍のド真ん中へ流れ着いたことがあるんだが」
 突然そんな話を語りだしたランサーを、大人のひとは怪訝そうに見上げる。ランサーはその視線を気にも留めず続けた。
「その時、偉大なる友はどうしたと思う?」
「……カエサル帝が、かの皇帝を見出した時の逸話ですか」
 ランサーはにっと口角を上げ、不敵な笑い方をした。それからいきなり僕の腕を掴み、踵を返して温室の窓際へとずんずん歩いていく。
「ちょ、ちょっとランサー! どこへ行くの!」
「俺の偉大なる友に習おうじゃないか、マスター! 即ち――――」
 彼のしなやかな太い腕が、刃のついた棒をぐっと握りこむ。僕はなんとなく嫌な予感を感じた。
「――――強行突破だ!」
 棒を握った腕が、ブンッと聞いたこともないような唸りをあげて上から下に振り下ろされる。絶妙なタイミングでその手から放たれた棒は、一直線に朝陽を受けて輝くガラスのドームの一角へと飛んで行き―――――
 ほどなくして、ガッシャーーン、と派手な音が響き渡った。
「え、ええ?」
 混乱する僕の腕を引き寄せ、ランサーはひょいっと僕を背におぶる。僕の体はまるで苗木の鉢のように軽々と持ち上がった。
「さあしっかり掴まっておけ、走るぞ」
「ええーー!」
 僕をおぶったまま、ランサーは温室のガラスドームに開いた大きな穴から外へ飛び出した。僕は必死になって彼の広い背にしがみつく。ランサーはそのまま、激しく警報ベルの鳴る温室を後にして走り出した。
「追いつかれては、折角の物見遊山が台無しだからな! 振り落とされるなよ、マスター」
「そ、そんな、こと、言わ、れても、ゆ、揺れる! 速い、ランサー、もっとゆっくり走って!」
「ハッ、可笑しいことを言うじゃないか! そんなことより、後ろを見てみろ」
 僕はランサーの言葉に、おそるおそる顔をあげた。途端に、温室のものとはまるで違う、頬を斬るように冷たい空気が襲い掛かる。僕は目を開くのにも苦労しながら、ゆっくり後ろを振り返った。
「あ―――――――」
 溜息にも似た、その一言だけが漏れる。
 頬を撫でる風はあまりにも冷たい。僕の指は寒さにかじかみ、今にもランサーの背を離してしまいそうだ。
 だが、生まれて初めて目にした本物の朝陽は、言葉を失うくらい美しかった。
 昇りはじめた太陽が、温室のガラスを黄金色に照らす。温室の外に広がっている植物園の木々、草花、そのどれもが平等に冷たく凍えるような冬の朝の空気のなか、金色の光を受けてきらきらと輝いている。いつもは分厚く曇ったガラス越しに受けるだけだったぼんやりとした朝陽は、こんなにも鮮烈に、眩しい。
 僕は言葉にならない何かで胸をいっぱいにしながら、その本当の太陽と、本当の世界を眺めていた。





「とりあえずここまで来れば、流石に彼らもそう簡単には俺達を見つけられないな」
 ランサーはそう言うと立ち止まった。あんなに速く走ったというのに、息一つ切らしていない。僕らは温室のある植物園の裏手にあった山の中を駆け続け、大きな池の傍まで辿り着いていた。僕はランサーの背から飛び降り、池の水際まで近づく。
「ランサー! この池、すごい大きいよ!」
「池というか、その大きさなら湖と呼ぶのだろうがな」
 僕はその湖という大きな池の水際に到着すると、長い袖をまくり上げ、しゃがみ込み、そっと水に手を入れる。
「冷たっ!」
「まあそうだろうな……」
 ランサーの呆れた声を聞きながら、僕はその湖の水面を見つめる。僕が知っている水は、いつでも手と同じくらいの温度だった。温室にある植物たちに与える水も、彼らがビックリしないよう、いつも温くなっていた。
 そうか。外の世界の水は、冷たいのだ。
 僕は立ち上がり、湖を見渡した。向こう岸はとても遠く、湖の底は手が届かないほど深い。温室の植物はいつでも緑の葉を茂らせているが、この湖の周りの森の木々に葉はなく、骨のような枝が寒々とした風に揺れている。
 この湖の向こう岸の、さらに向こうにも世界があり、
 この森の奥の、さらに奥にも世界があり、
 見上げた空には永遠に果てが無い。外と温室を仕切る、あの分厚いガラスの壁はどこにもない。歩いていけばどこにでもたどり着けるし、手を伸ばせば何にでも触れるんだ。
 いったいこの世界はどこまで続いているんだろう。地球が丸いことは知っているけれど、こんなに広くて大きいなんて全然知らなかった。もしどこかへ歩き始めたら、戻ってくるまでにどのくらい時間がかかるんだろう……。
 そう思った途端に足に力が入らなくなって、べたっとその場に座り込んだ。
「おい、どうしたマスター」
「……分からない。どうしよう、ランサー」
 怖い、と思った。
「こわいよ。……ねえ、外は広すぎるよ。広すぎて自分がどこにいるのか、分からなくなる。温室とは全然、何もかも違う。
 ……ぼくは……今どこにいるの? ぼくひとりはこんなに小さいのに……外は……広すぎて……」
 あの温室なら、僕の手の届くところに全てがあったのに。ここはあまりにも、よそよそしい。
 ぼんやりとした不安のようなもので心臓が締め付けられ、うなだれた。

「……そうだなあ。確かに世界は、一人で抱えるには大きすぎるものだ」
 後ろでランサーが言う。彼は僕の肩を力強くばしっと叩いた。
「だが怯えるな! お前は確かに、ひどく脆弱だ。でかいのは図体だけで、臆病でどうしようもない。おまけに無知ときた。到底、俺の求める主に相応しくはない!」
「……ええ!? 今ぼく、ものすごい悪口言われなかった!?」
 余りにずけずけと言い放つものだから、思わず僕はランサーの顔を見上げる。しかし彼はそんな僕の顔を見て、ニッと笑い、
「しかし俺の偉大なる友も、かつては病弱で軍才もない、ただの一人の男だった。
 ――――だが偉大なる友は、何も恐れはしなかった」
 ランサーの目は爛々と輝き、僕はそれに引き込まれるように尋ねる。
「それは……さっき温室で言っていたひとの話?」
「そうだとも。
 良いか、マスター。お前は俺の仕える主としては、到底相応しくない。お前は脆弱だ。お前は臆病だ。お前は無知だ。だがそれでいい。脆弱も臆病も無知も大した問題にはならない。最も重要なのは、お前が何も恐れないことだからな」
 僕の細い肩を掴んだまま、めいっぱい真剣な面持ちでランサーは言う。僕は黙ったまま固唾をのみ、彼の目を見つめていた。
「お前が、かつての偉大な友のように―――何も恐れず、何にも屈しない偉大な主になるのなら。俺は今度こそ、俺の生涯の全てをかけてでもお前を―――マスターを導いてやる。俺の生涯の全てを、マスターの望みを叶えるために費やそう!
 どうだ。それでもお前には、世界を恐れる理由があるのか?」
「……」
 僕は口を結んで、肩に置かれたランサーの手を掴む。そのまま力を取り戻した両足で、ぐっと立ち上がった。
「……不思議だなあ。なんだか、もう怖くなくなったよ」
 その言葉は本心から出た言葉だった。両足はしっかり土の地面を踏んでいる。湖の果ても永遠の空も、なぜだかもう怖いとは思わない。どんなに遠くまで続いていても、僕がどんなに小さくても―――少なくとも、僕はこの世界に一人きりの、孤独な人間ではない。そう分かったからだ。
「いい顔になったな」
 ランサーは張り詰めていた顔を崩して、少しだけ笑った。僕も笑う。何だかお腹の底からふわふわした暖かいものが湧き上がってきて、このままふわりと空中に浮かんだら、空も飛べそうだと思った。
「ねえランサー、次はどこに行く? ぼく、もっと外を見たい!」
「へえ、なら南に下って街に降りるか。ああ、その前にこの格好は目立ちすぎるから何とかしなくては……」
 ぼくらは色々な相談を交わしながら、朝陽の昇りきった湖のそばを、そっと離れていった。
 

Fate/Last sin -04

to be continued.

Fate/Last sin -04

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-03-29

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

Derivative work