青い吸血鬼

 青い色が、真夏の海を思わせた。
 いまは、冬がおわり、春を迎えて間もない頃で、やさしかったおじさんがいなくなり、おかあさんが少しおかしくなってから、三週間が経とうとしていて、わたしの通っている塾の、ひとりの女の子が先日、夢から醒めなくなってしまって、ちょっとした話題になったのもなんだか遠い昔のことのような、そんな感覚で日々を過ごしていたときに、きみと出逢った。
 耳たぶのピアスが、印象的だと思った。
 よく似合う、とはお世辞にも云えなかったけれど、真夏の海みたいな青い色が、素敵だった。
 ある暖かい夜のことで、きみは赤い提灯がぶらさがる居酒屋の、そのとなりにあるライブハウスの立て看板の陰に、いた。まるで、誰かに追われ、逃げているかのように、息を潜め、静かにしゃがみこんでいた。
 こどもだと思った、はじめて見たとき。そう云うときみは、うれしそうに笑った。なぜかわからないけれど、欲しかったおもちゃを買ってもらったような、こどもの笑顔を想起させた。わたしより十何センチメートルも、身長が高いのに。
「ビスケットがたべたい」
 出逢ったときの第一声がそんな言葉だったのも、理由かもしれない。たまたま偶然、ビスケットを通学鞄に入れていたわたしは、どうぞ、と未開封のビスケットを差し出した。きみは、まさか、という驚きの表情をした後、首を横に振って、ビスケットを受け取った。ありがとう、という声の感じが、とても好きだと思った。いなくなったおじさんに似ていたし、小学校のときに大好きだった動物園のライオンのうなり声にも、少し似ていた。
「ぼくは、吸血鬼なんです」
と呟いたので、わたしは、はぁ、と答えた。ビスケットをたべるために、近くの公園に移動して、何故か、わたしも連れ立って、ベンチに座り、むしゃむしゃとビスケットをたべはじめたきみの、横顔を、じっと観察していた。街灯に照らされ、はっきり見えた顔は、この世の者とは思えないほどに美しく、そして青白かった。
「でも、血の吸い方を、忘れてしまったのです」
 ほんとうか、うそか、なんとも判断にむずかしいなと、わたしは思った。漠然と思ったので、ほんとうでも、うそでも、たぶん、どちらでもよかったのだと、さいきんになって気がついた。吸血鬼といわれれば、なんの疑いもなく信じてしまうほどに、吸血鬼らしい容姿をしていたし、ただ現実と妄想が混同しているひと、といっても納得はできた。ブランコが、誰も漕いでいないのに、ギ、ギ、と音を立てて、揺れた。春の匂いは、どこかスパイシーで、こしょうの匂いに似てるよね、と云ったのは、この頃、みえないものがみえるようになった、おかあさんだった。
「血の吸い方を思い出すまで、この街に住んでもいいですか?」
 いいんじゃない。
 わたしは軽い調子で答えた。
 青い色の石のピアスが、光った。陽射しを浴びた海面が、きらきら光るみたいに。ほんとうですか、と嬉しそうに、わたしの方を振り向いたとき、青い色の残像が見えた。やっぱり吸血鬼っぽくない、と思った。同時に、でも、血を彷彿とさせるような、赤い色のピアスはきっと似合わない、とも思った。どこからともなく桜の花弁が飛んできて、きみが興味深そうに、その一枚を拾った。骨みたいな色だ。きみは云って、てのひらにのせた花弁に息を吹きかけ、ふたたび宙に飛ばした。
 それから、吸血鬼のきみはよく、わたしの家に遊びにやって来る。
 おかあさんは、相変わらず少しおかしくて、でも、おかしなところは日常生活のなかの、ほんの一場面でしかなくて、それ以外はふつうに仕事に行って、帰ってきて、わたしがつくったごはんをたべている。おじさんからの連絡は、一度もない。生きているのか、死んでいるのかもわからないけれど、おかあさんは、
「あのひとは臆病だから、そんな遠くに行けないわ」
と言い張る。おじさんは、おかあさんの弟なのだが、どうやらほんとうは、おかあさんの弟ではないらしいのだった。おじさんは、まるで、おとうさんかのように、わたしとおかあさんの家にいて、おかあさんは、おばあちゃん(つまり、おかあさんと、おじさんの、おかあさん)が近くに住んでいるのに、おじさんに、実家に帰れ、とは一切云わなかった。
 きみはこの頃、ストローに興味を持った。
「これを、こうして、吸えないかな。血」
 わたしの二の腕にストローの先を、刺す。もちろん、ストローなんかでにんげんの皮膚は、貫けない。くすぐったいよ、とわたしは笑う。きみは、まじめな顔で、いい案だと思うのになと、ぼやく。それから、先端を尖らせれば、とか、尖らせた先を強固に加工するか、とか、全体の強度も必要か、などと呟く。血を、だいぶ飲んでいないようだけれど、案外とからだは大丈夫なようであるから、もう、血なんて飲まなくていいじゃん、と云ったら、きみは首を横に振って「だめです」ときっぱり言い放った。それから「ぼくは吸血鬼なので」と続けた。
 そういえば夢から醒めなくなった塾の女の子が、白い月の夜にラブホテルの前で倒れていた、とかなんとか。
 首筋に、注射針でも刺したようなふたつの痕が、あったとか、なかったとか。

青い吸血鬼

青い吸血鬼

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-03-18

CC BY-NC-ND
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