月のともだち
ミントの香りがしたので、きみが来たのだとわかった。
夜の十一時だった。
いつもは天窓から現れるのに、きょうはふつうに部屋のドアから、ひょっこりと顔を覗かせた。
来たよ、と云って、きみは、まるでぼくが、きみが来るのを待ちわびていたのを知っていたかのように、いたずらに笑った。
夜の、十一時は、みんながねむる時間だった。
ひとも、どうぶつも、さかなも、花も、山も、海も、みんなねむって、起きているのは、空と、星と、月だけのはずなのだけれど、ぼくは、十一時になんかねむれないひとで、きみも、そういうひとだったので、だから、きみがやって来ると、夜中の二時、三時まで、ゲームをしたり、漫画を読んだり、ファミリーレストランでステーキをたべたり、した。ひとりでもできるようなことを、きみとふたりでするのが、ひそかな楽しみとなっていた。
「きょうは、ねこさまの話がしたい」
きみが云った。
ねこさまって、なに。
ぼくはすかさず、たずねた。
「ねこさまは、うちで飼っている、ねこのなまえ」
ミントの香りを漂わせながら、スマートフォンを素早く操作して、ぼくの顔の前に突き出した。画面には、一匹のねこが写っていた。なんの変哲もない、ふつうのねこだった。二階の、屋根の、天窓から、とつぜん現れるきみのことだから、飼っているねこも、ちょっと変わっている感じなのかと一瞬、想像したのだけれど。
十一時は、みんな、ねむる時間で、もちろんお店も、ほとんど閉まっているなかで、唯一、ファミリーレストランだけは、朝の四時まで営業しているお店だった。ねこさまのはなしを、ぼくはファミリーレストランで聞いた。今夜は、ステーキ、というより、エビフライ、の気分だったので、エビフライ定食を選んだ。エビフライ定食を注文したとき、ウエイターの笑顔が、少しだけ引き攣っていた。
「とにかくかわいいから、一度見に来てよ、うちに」
ねこさま、について一通り語りつくしたのか、すっかり氷の溶けたオレンジジュースを、ストローでずぞぞぞぞと啜り、きみが微笑んだ。
きみんちって、どこにあるの。
ぼくは間髪を入れずに、たずねた。
きみは笑みを浮かべたまま、月、と云った。
うそだ、と思った。
けれど同時に、ほんとうかも、とも思った。
どこかの席に呼ばれたウエイターが、ただいまおうかがいしまぁすと、締まりのない調子で答える。ときどき、外を車が通った。十一時にねむらないひとたちは、意外といるのだった。
ぼくは、お水をひとくち飲んで、言った。月って、ねこ、飼えるんだ。
「あたりまえじゃん」
そう云って、くいっと口角を持ち上げた、きみの唇が、三日月に見えた。
月のともだち