*星空文庫

ゆりかごの花明かり ~書庫いっぱいの愛を

秋邑 茨 作


     一


「無くてはならない存在ですぅ」
 む。
 模範解答を口にしているのは、二十代半ばくらいの女。ギリギリ二十代、峠を越していても驚かない風采の(むすめ)だ。
「いらっしゃいませ」
 ―――お邪魔してますぅ。
 無くてはならないねえ。だから本屋で働こうって? 
 いいの、いいのよ別に。私もそうだったんだから。
 でも、違うのよねえ。
「訊いておきたいことは?」
 やった、終わりだ。 
「やっぱり本屋さんって、本に詳しくないといけないんですぅ?」
 訊くなってば。終わらせたいのっ、店長は。 
「詳しいに越したことはないけど、」
 博識としてのね。
「話題に乗り遅れなければ大丈夫。心配ないよ」
 はい? 新刊読むのは至上命令、話題作りが本屋の使命。 〈 ベストセラー作家を排出するのは我々だ 〉、なんて言ってるくせに何よ。
「そうなんですねえ。安心しましたぁ」
 そおなんでっすねえ~。一から教える必要がありそう。接遇マナーを。
 それはそうと、
 ―――書店員は本に詳しい。と思い込むのは危険。
 確かに、小説や児童書や情報誌などの売れ筋書籍に詳しい店員はいる。だけどそれらは在庫の中のほんの一部。術語を駆使して学術書の内容を詰問してくるお客から、レアすぎる話題を披(あらわ)する絶版マニアにまで対応できる書店員などまずいない。
 だから、詳しいと思った時点で書店員失格。 〈 それ面白いですよ 〉 なんて自分の価値観でお薦めするなど以ての外。アドバイスをするとすれば、 「直感を信じて買え」 「出版されるだけの価値と評価を信じて勇断を下せ」 「プレゼントなら既読の本か図書カード」 それ以外にない。だから私は、絶対にアドバイスをしない。
「来月からね、いいよ。丁度ひとり辞めることになってるから」
 辞める? そんな話があれば真っ先に私の耳に入るのに。誰だろ。
 フルタイムのバイトくんではない。正社員の誰かなら送別会の話が出るはず。残されたのはパート社員。誰も辞めるだなんて言ってない。
 あらいけない、打ち間違えるとこだった。発注部数を。先々月はどえらい事をやらかしちゃったもんなあ、同じ(てつ)を踏んづけるところだったわ。休憩献上で迷惑掛けてたら嫌がらせよね。って、まさか・・・・・・
 私がクビ? 
 いやいや、ないない。力仕事は男勝り、苦情処理は朝井に任せろ、接客だったら誰もが脱帽、朝井がいるから安心して休みが取れる。私であるはずがない。
 きっと、売ってやってる臭露わの片手間おばさんか、化粧が崩れるとか何とか言って重たい物を持とうとしない小娘か、マニュアル通りのことばしか口にしない妙に引っ込み思案の短大生のうちの誰か。接客業でありサービス業であり労務者である自覚がないんだ、あいつらは。
「ではよろしくお願いしますぅ」
「よろしく」
 採用か。教えてやろうじゃないの、本屋のイロハを。書店員のあるべき姿を。
「朝井くんちよっと」
 来た。教育担当のご指名。 「はいっ」
「言いづらいんだけど」
 やっぱり。私だあ。



      二


 赤ん坊を抱いたママさんがちらりほらり。庸二郎の一日は、図書館の児童書フロアから始まる。
「すぅう~」 この香り。
 かぐわしき本の息吹きに惚けながら、検索機に向かう。懐かしさと新しさの入り混じった風景に、頬も緩むというもの。
「やられおったかママさんに。ペタペタと。カッカッカッ」 ハンドクリームの残滓まみれにされた絵本に声を掛ける。 「キャッキャ、キャッキャ燥ぎよって。嬉しいか。嬉しいな」
 書棚の下の童話は泣き出しそうだ。 〈 借りてくれるかな。ぼくのこと 〉  
「泣くんでない。きっと借りてくれるから、楽しみにして待っておれ。なっ」
 さっ、
「お早うございます」
 む。わしに構うな。
「何か、お探しの本でも?」
 何ぃ? お探しの本があるから居るんじゃろうが。
 娘を無視して、検索機の画面をタッチ。
【ほんの名まえ】 ピ、ピッ、ピ・・・
【キーワード】 ピピッ、ピ・・・
 どうしてじゃ。存分に励もうと思っとったのに。
 弱った。
「ご不明な事があれば」
 しつこい。ご不明だから弱っておるのじゃ。
「ご遠慮なさらずに」
 お節介な娘。だが悪い気はしない。
「書庫、見られんか」
 話したかったわけではない。戦記モノの多くは梗概が未記載。タイトルと著者名だけではお手上げ。埒が明かんのじゃ。
「申し訳ございません。それは」
 ある意味期待通り。誰の書庫、誰の本じゃと思っとる。市民のものじゃぞ。
「お持ちします、見るだけでも大丈夫ですから」
「いいっ」 ふん。
 ピコ。
 せっかく来たのじゃ。このさい直感で。
 ピ、ピピ。下方の 【書庫請求】 ボタンを、
「ポチ」
 〈 ゥイーン 〉 ハムスターネズミの家ほどのプリンターから請求用紙が排出される。
 まずは一枚。手を伸ばす、
「ご用意します」
 用紙を横取りした娘が、背を向けそそくさ歩き出す。
「終わっておらん」
 ちっ。勝手な真似をしおって。
 嬉しかった。お節介と呼ばれることを恐れぬ思いやりが。まごころが・・・・・・
 いかん、ぼーっとしている場合ではない。庸二郎は画面に戻る。
 時間が無いのじゃ。わしには。
「お預かりしておきますか」
 なっ、何という速さ。
 書庫に辿り着くにはカウンターをぐるりとまわり、検索機からもっとも離れた関係者以外立入禁止の扉を開けねばならず、しかも路次には行く手を阻むかの如く、低いテーブルや椅子が据えられておる。そのような悪条件を踏破した上に、ファミリーレストランをも遙かに凌ぐ広さの書庫から、たった一冊の本を捜し出す苦役が待っておるというのに。  
 信じられん。
「日中戦争がテーマのものに、ご関心が?」
 なに?! 巷の図書館では、原爆投下の惨状や沖縄の激戦、学童疎開や動物を題材としたものが主流。それらは既に読破済み。タイトルだけで心中察したとすれば、それもまた奇跡。まさか・・・・・・
 いやそんな筈はない。
「太平洋戦争全般のものであれば」
 うむ。
「明治維新後からのものでしたら、」
 この娘はホンモノの読書人(どくしょじん)。消えゆく定めにある、末枯れた児童書の救世主。同胞かっ。
「この本にまとめて書かれています。戦争関連の児童書のことが」
 いやいや参った。テーマ別、時代別に書かれたおススメ児童書のバイブル。よくぞご存じ。
 じゃが、そこに掲載のある本は、かつて陽の目を見た者たち。わしの目当ては洟も引っ掛けられぬまま書庫を叩き出されようとしている哀れな児童書。だが有難く受け取っておこう。気持ちだけは。
「持っておる」
「そんな気がしてたんですぅ。私も、持ってるんですよ」
「なに!?」 
 間違いない、書庫マニアじゃ。
 


      三


 図書館で働き始めて早や三か月。ここには、書棚にへばりついて動こうとしない人も、 「そいつを何とかしろ」 なんて怒り出す人もいない。本を放り投げるヤツもネット攻撃する誰かさんも。
 はあ。こんなに幸せでいいのかしら。
「ええ~、市民の皆様のお立場に立って、接遇には十分留意し、おもてなしの心を忘れずに、本日も、頑張ってまいりましょう」
「はい」
 がんばる? 自然体でいいのよ。
「ええ~、朝井さん。事務所まで、宜しいでしょうか」
 何だろう。もう開館なのに。
 駆け出したい衝動は、恐るおそる階段を下りる係長によって阻まれる。早くして。
「慣れましたか」
 そっか、正式雇用の話だ。試用期間が終わるから。
「雰囲気と仕事の流れくらいは」 ここは少し控えめに。
 うんうん、そうでしょうそうでしょう。 「わたくしから見れば、すっかりベテラン。いい仕事ぶりです。ええ」
 事務所にすっこんでいるあなたに、私の何が分かるのでしょう。そんな事よりお話し、あるんでしょ。
「ええ~、とても三か月とは思えません。市民も喜んでおられます」
 多分、係長の言う市民は市長。市長宛にお褒めの手紙が届いたから。嬉しくないわけではないけれど、私は市長やあなたの為に、 『がんばってる』 わけではありません。 「何のご用でしょう」
「異動をお願いしたい。と、思いまして」
「異動?」
 何じゃそりゃ。アルバイトが異動?
「弓木さんや森さんは三年以上児童書フロアにいます。私も三階で働きたいです、このまま」 主張しなきゃ。この国で生き残るために。
「朝井さんを後方任務のままでいさせては市の損失。二階でご活躍頂きたい」
〈 散りてぞ生くる 桜花 〉 昨夜読み終えた軍記を思い出す。 「最前線で戦え」 「潔く散ってまいります」 でも、
「お願いですよね」
 戦わずして散るわけにはいかない。もちろん御国の為でもママさんたちの為でもない。節と義の為に。
「現段階では。口頭ですから」
 口頭だからお願い。書面ならば命令と思ってください。ややこしい。って言うかヘン。
 え~来月から来なくていいから。もとい、え~来月から二階を頼むよ。本屋の店長みたいに言ってくれた方がよっぽど分かり易いし、切り替えられるのに。
 でも、仕方ないか。組織ってそういうものだから。やり方も言い方もヘンだけど。 「分かりました」
「嬉しいです。では本日から」
 おい! 今日からって、
 早く言えよ。

 

      四


「ξ×∂×Ψ×ζ!」
「申し訳ございませんっ」
「詫びるくらいなら初めから、Ψ×ζ×δ×ξ×∂、っ!」
 あれ。
 おじいちゃん?
 周囲の目も憚らずに(わめ)いてるのは、確かにおじいちゃん。でも無口な印象しかない、あの “九時四十分おじいちゃん” が。どうして。
 あら、あららら。警備員さん登場。
 あれじゃまるで万引き犯。店員さんがへこへこしていなければ。
 タタタ、スタタタタ―――
「どうしたんですかっ」
 こういうの放ってはおけない。
「口を挟むでな、」
 ?
 わあ。能面みたいなおじいちゃんの顔が、スローモーション動画みたいに泣き笑いに変わる。
「どうしたの」
 まずは中立的立場の店長に。
「ぼぼく、わしは間違っておらん」 おじいちゃんが答えた。
 理由はわからないけど、不安だったのだろう。大勢の面前でひとり、主張することが。
「何があったんですかっ、店長さん」
 店長の話しによると、長蛇の列をつくるレジで、ご婦人が、マイバッグを差し出したのがことの発端らしい。レジ係に商品を詰めさせる行為に、おじいちゃんは腹を立てたのだ。からだが不自由というわけでもないのに。そう言って。
「応じる方も応じる方じゃ。違うかっ」 店長を一太刀。
 立場上、自分でやれとは言えないのは分かる。でも、マイバッグには入れてレジ袋には入れないでは理屈が通らない。おじいちゃんは、不平等を指摘される前に、店としてやることがあるじゃろ。そう言いたいのだ。恐らく。
「神様にでもなったつもりかっ」 婦人に一喝。
 そのとおり。店長の困惑顔にも嬉しさが滲んでいる。この国の神様は定員オーバー、十分足りてるの。
「あんたの様な親に育てられた子供は不幸だ」
 不幸かどうかは知らないけど、親の背を見て子は育つとか親の因果が子に報い、なんて言うから間違いではない気はする。でも間違いなく言い過ぎ。
「ウ、ウチの息子は大蔵省よっ。思いやりのある優秀な子に育てたのは、わ・た・し。何も知らないくせに勝手なこと言うんじゃないわよ!」
 私は中立。でも二回りは違う人生の先輩には悪いけど、立場を盾にして、優位の剣を振りかざす神様の味方にはなれない。 「そんなに立派なら、」
「だったら息子を見習え。息子に恥をかかせるな」
 言われてしまった。いいぞ九時四十分!
「あ、あんたなんかに、」
 まあまあまあ、カンカンカン。店長が割って入り婦人の口を塞ぐ。おじいちゃんのTKO、テクニカルノックアウト勝利だ。

 さっきの剣幕は何処へ。おじいちゃんは、貝になってしまった。マイバッグの底にしまったシジミみたいに。
「異動になったんです。二階に」
 ここは共通の話題から糸口を。
 ・・・・・・・・・
「私、朝井春子(はるこ)です」
 ん?
 おじいちゃんが首を傾げる。
「朝日に井戸、春の子を書いて、朝井春子」 おじいちゃんは? 私首を傾げる。
「朝井、春子」
 それは私。どうも話が嚙み合わない。
「君が咲く 朝の陽ざしに 春うらら」
「素敵! 俳句がご趣味なんですね。おじいちゃんのお名前は?」
「相応しい名前じゃ」
「相応しい、お名前」 何だろう。
「あんたらしい。名は体を表す」
 つづいてたのか、私の名前の話し。 「おじいちゃんの、」
「林庸二郎。木を二つに難しい方のもちいる、ふつうにジロウ」
 林さんの声少し尖る。
「ハヤシ、ヨージローさん。難しい方のもちいるって」
 漢字には自信があった。でもソコソコだから分からなかった。 「それにふつうのジローさんって」
「庸才庸人庸徳のヨ・ウ。漢和辞書に出ておる」
 がんこ。と思ったけど手帳に書いてくれた。健康の康のちょんちょんのところに火の用心の用」 さすがは林さん。って思ったけど自分の名前。説明できて当然。ジローはたぶん二郎か次郎。
「山ほどある」
 ? またまた話がどこかに。でも折角話す気になったのだ、ここは話しに合わせて。「何が、山ほどなんです?」
「救いたいんじゃ。本を。児童書を」
「山ほどある本を、救いたいんですね」 
「カビなど生えてはおらん」
 何が言いたいんだろ。
「すぐそこじゃ」
 心なしか林さんの頬は赤く何だかもじもじ。話は理解できないけど、もしかして、これってお誘い? 本を見せたいのかも。
「歩いて五分。いや十分」
 二倍も違うじゃない。そんなツッコミを入れたい所だけど出来なかった。林さんの目が、何かを訴えていたから。 「近いんですね。割と」
 はっきり誘えばいいのに。私も見て見たいし、知りたいのだから。どうして、山ほどあるカビの生えいてない本を救いたいのかを。
「お邪魔していいですか」
「うむ」
 こくりと頷き林さんが歩き出す。マイバッグを大事そうに抱えて。



      五


「着いたから返す」
「差し上げます。幾つもありますから」 
 凶兆はあったらしい。図書館に返す本を、まとめて詰め込んだ時には。
 食料品と5キロ米の入った林さんのマイバッグは、無残にも持ち手の紐が切れてしまったのだ。口論のあとすぐに。
 二車線の国道を横断し、左に折れて跨線橋を越える。どこまで行くんだろう。
「もうすぐじゃ」
 さっき聞いた。もう十分以上歩いてるじゃない。
 ま、いいか。帰ってもやる事ないし。林さん、嬉しそうだし。私もちょっぴり嬉しいし。 「うわあ」
 児童公園を曲がると景色が一変した。諦めながらも、心のどこかで焦がれつづけたのどかすぎる風景。 「わぁ・・・」 他に言葉が出ない。
 この町にくるまでの私は、走って15秒で千葉、ということ以外になんの特徴もない、東京の隅っこで暮らしていた。
 十年間事務員として働いていた鉄工所の倒産を機に、新宿の本屋を転職先に選んだのは心機一転、生活を変えたかったから。
 十年に及ぶ通勤地獄と単調な独り暮らしでうつを発症した私は、病気を克服すべく、またまた心機一転、本屋を辞めてこの町にやってきた。
 住めば都と言うのは嘘。冬は寒く人は冷たく、山は見えず人間ばかり。星と緑は運次第。おまけに物価は都内以上。 〈 店員がいるから買えるのよっ 〉 〈 客のおかげで稼でいるくせしやがって偉そうにするな! 〉 売ってやってる買ってやってる誰が偉くて誰が強い、そんな小競り合いばかり。東京都と思われていない東京暮らしの方がよほど都だった。
 でももう、うつの再発に怯えずにすみそう。この景色がきっと私を慰めてくれるから。 「羨ましいわ。近くに自然があって」
「そこ」
 そこ? 林さんが見てる風景は私と変わりない筈。広大な芝と、黒い遮光ネットが張り巡らされた三角屋根の温室が二棟(ふたむね)。それと敷地の端に農機具置き場と納屋があるだけ。
 人が住めそうな建物と言えば、線路を越えた遙か先。米粒大の高層マンションがあるくらい。どこがソコなんだろう。
「んむぅ」
 二つ折りの財布からカードを取り出した林さんが、温室の入口で何やら思案している。
 やっぱり。ソコはここ。あの納屋が住まい。
「思い出せん」
「どうか、しました?」
「番号を忘れた」
「番号?」 カードリーダーだ。
 温室に入るには、警備システムのロックを解除する為にカードを通し、そのうえ暗証番号を入力する必要があるようだ。あらためて周囲を窺う。
 扉上部、警備会社のステッカーにLEDライト。至る所に、半円形の防犯カメラが据えられてある。豪邸である筈もないのに。厳重すぎる。
「毎月変えねばならんから。六桁も」
 言い訳をする林さんは、口を尖らせる男の子。とは言え、毎月六桁もの暗証番号を変更するシステム自体嫌がらせみたいなもの。林さんを責められない。
「記念日とか住所とか。語呂合わせとか」
「外来語は好かん」
 普段使うのは漢数字一二三。アラビア数字1、2は好んで使わない。だから忘れた。だだっ子。
「何じゃったか」
 私は温室を見にきたわけではないの。 「本はどちらに?」 
「それじゃっ」
 うんうん。林さんが歯を剝き出して入力し始める。検索機を使う時と同じように。指を震わせながら。
 ピ――ィ。
 ロック解除。
 ふぅ。林さんが相好を崩して、私の笑顔を誘った。

 温室内は広かった。私が住むアパートが、丸ごとすっぽり納まりそうなほど。そしてヒンヤリしていて、とっても清潔。遮光ネットがたっぷりの日差しを遮断しているのが実に惜しい。心休まる贅沢な場所なのに、せっかくの景色がぼんやりとしか、 「ヤダッ」
 何これ。
 壁際に向かって伸びる網状台座に載っているのは、たしかフラスコ。三角すい状のガラスの中にある、いる? のは何だ。
「メリクローン」
 外来語が嫌いな筈の林さんが、にべもなく言う。
「クローン、て」 
 フラスコの中の、カイワレ大根にしか見えないモノが成長するにつれて・・・・・・人間の姿に。こわい。
「メリクロンとも言う」
 林さん曰くメリクローンとは、
【根や茎の先にある生長点 (細胞分裂する部分) を取り出し、フラスコ内の培地 ――細菌の培養に使う液体にかんてんを加えて作ったもの―― で増殖させる方法】
 だそうで、雑菌の侵入を防ぐ為にフラスコを使うのだそうだ。因みに、一般的にはメリクロンと呼ばれているが、メリクローンが正しいらしい。
「フラスコが母胎で、カイワレが胎児ですか」
 ふむ。回答ナシ。
「お前さんがそう思うのならそうじゃろ」  
 投げやり。微妙みたい。通路を挟んだ台座の上、将棋盤のようなモノが気になる。 「お向かいのそれは」
 フラスコにいるのが胎児苗なら、将棋盤のマス目の中のは、新生児苗か。
「CPじゃ」
 またまた外来語。コミュニティポット。つまり、生まれたての赤ちゃん苗たちが共同生活をおくる鉢。産婦人科の新生児室に並ぶ、保育器みたいなものか。自分で納得。
 別棟の温室に向かって林さんが顎をしゃくる。 「CP出し」
 なあんだ。カイワレ大根を使って、お出汁を作ってるのか。それならそうと、
「CPから出したもの」 お出汁ではなかった。
 林さんは、保育器の中で育った新生児苗を、お湯呑みくらいの大きさの鉢に移し――この作業をCP出しというのじゃ――幼稚園生苗になるまですくすく育てる仕事をしているのだそうだ。
「ここから、ベビーベッドに移るわけだあ」
 ・・・・・・
 お前さんが言うならそうじゃでしょ。どうせ。
「ゆりかごじゃな」
 少年みたいな笑顔で林さんが言う。
「夢があるじゃろ。ゆりかごのほうが」
 ベビーベッドだって夢はあるわ。ま、ここで張り合っても仕方がない。お父さんが言うならそう。ゆりかご。 
「ところでこの苗って」
「胡蝶蘭じゃ」
「コチョウランって、アノお花ですよね」 羽を広げた蝶、と言うより、おひなさまの顔を柳の枝いっぱいに、規則正しく並べたようなお花。開店祝いや社長室や政治家さんの事務所などに置かれる高級花だ。
 林さんに育てられた胡蝶蘭は、花を咲かせお嫁に出すまでの工程を請け負う業者さんに引き渡すのだと言う。なので、長くこの仕事をしている林さん自身、花をつけた胡蝶蘭を見ることはないのだそうだ。
「切なくありませんか。せっかく育てたのに」
 何ぃ? 林さんの頭がロボットみたいに動いてこちらに向けられる。
「過程が大事なんじゃ、過程が」
 確かに。成長させなければ花は咲かない。だけど、花を咲かせるために成長させるとは言えないだろうか。
「大切に育てたからこそ、」
 悲しいことを言うんでない。顔がそう言っていた。



     六


 奥行きは思いの外長かった。二棟に見えた温室は棟つづきで、実際には全部で三棟。 
 ギィ。
 扉の向こう、ガラス面が白く塗られた温室にそれは在った。もしかしてこれ全部、
「本じゃ」
「すごい!」
整然と並ぶロッカーの数、数、数。図書館の児童書用書庫にもヒケを取らない、正に書庫だ。厳重な防犯設備が必要なわけは、胡蝶蘭でなく本のため。私決めつける。本の盗難を防ぐ為だったのだ。
「いっぱいでな」 林さんが沈痛な声で言う。ロッカーを増やす場所はどう見てもない。
 だからこれ以上本を救えない。なので悔しい。
 気持ちは分かる。でも、 
 <すごいじゃろう。こんなに沢山の本を、わしは救ったのじゃぞ。>
 自慢してほしかった。胸を張って。
「中、見れますか」
 ?
 おかしなことを言う。林さんがそんな顔をする。
「見・ら・れ、ますかじゃ。習わんかったか」
 そっちか。ともあれ元気が何より。 「よく言われるんです。ら、付けなさいって。でも、どうやって区別したらいいのか」
「探求心と観察眼」
 林さんの言うそれは、要するに比較。つまり、
  食べられますは、〇
  食べれます×
  喋れますは、〇
  喋られます×、というか言わない。
「違いから」
 ここからが重要。林さん人差指を立てる。
「共通項を捜す」
 違うのに共通項。 「さっぱり」
 ふう。
「よ・う」
 林さんもったいつける。早く教えて。
「食べようとは言うが、喋ようとは言わん」
「喋ろうです」
「それじゃよ」
 探求心と観察眼が導き出した結論は、 「よう」 が成立する言葉は、らを抜いては×いけない。喋ようの様に言葉として成立しない場合は、ら抜き言葉でOK。あくまで 「わし」 の自説だそうじゃが。
「勉強になりますぅ」
「お子さんに教えてやりなさい。親の務めじゃ」
「いませんものお子さん。ははは。彼すら。ほほほ」
「それは」
 それは、何? つづきを言って。それは、思いもよらなかった。勿体ないお気の毒さま。どれ?
「良かった」
「良かった!?」
「人生、九割は苦。苦しまんですむ」 
 そうかもしれない。私の人生九分九厘苦、みたいなものだもの。
 だけど良くない! ひとりじゃ映画にも外食にも行けないし旅行になんて何十年も行けてない。せめて彼氏くらい。ううん、男友達でいいから、いいえ女友達でも構わ、
「息子が、いてな」
 低い声が話しを変える。
「生まれつき寝たきり。会話どころか、泣きもしなければ笑いもしない、子どもじゃった」
 じゃった・・・・・・
「ひとつくらい親らしいことをせねば、そう思い立ったわしは本屋に走った。読み聞かせくらいできる、と思ってな。
 じゃが、病室の扉を開けた時にはもう、息子は十年の人生を、まっとうしておった」
 児童書を鍾愛する理由だ。


「書こうと思っとる」
 主語抜き言葉はら抜き以上に罪。分かるわけがない。
「物語を」
 わしは物語を書こうと思っています。
 いいかもしれない。探求心と観察眼に長けた林さんならきっと書けるはず、 「らしい」 物語を。過程重視の。
「教えてくれんか。パソコン」
 わしはパソコンを、
 ずっと頼みたかったのかもしれない。申し訳なさそうだもの。もちろん、
 どうしよう。
 図書館の仕事は天職。だけどダイエットと言い聞かせて食費を切り詰め、一日おきのシャワーで光熱費とシャンプー代を削る生活は、精神衛生面のダメージが大き過ぎてもう限界。だから他のパートとの掛け持ちを考えていたところだ。林さんには悪いけど、やっぱり、
「もちろん講習料は払う。一回、五千円ほどじゃが」
 小さな体を丸める姿は、お漏らししちゃった男の子。
「お金の問題ではなくて、時間の方が」 もちろん両方だ。
「一日二、三時間。お前さんの都合の良い時でいいんじゃ」
 三時間で時給換算、1666円。二時間だったらニーゴー。あり得ない厚待遇。
「やります!」 週に五日、いや六日!
「もしマスターできたら」
 林さんが言い澱む。自信がないのだ。
「大丈夫。責任持って教えますから。ふつうにマスターするまで」
 教えますではなく、教えて差し上げます。或いはお教えします。ふつうにマスターとは何じゃっ! 何て言われるかと思ったけど、林さんは素直に喜んでくれた。
「マスターしたらやめる」
「折角マスターしたのに、」
「図書館に通うのを」
 パソコンをマスターしたら、図書館に行くのをやめます。物語に懸けているのだろうか。
「でも、ときどきは」
「読み直そうと思っとる」
「ここにある本を?」
「できる限り」
 なるほど。そうだったのか。
 林さんはプレミアなど付く筈もない児童書を繰り返し借り続けた。新刊が入る度に図書館を追い出されようとしている本を手許に置き守ることが、救いだと信じてきたのだ。
 だが林さんは気づいた。読まれてこその本ということに。
 林さんは読み聞かせようとしているのだ。我が子に。
「読んでくれんか。聞かせてほしいんじゃ、感想を」 瞳が潤んでいた。
「もちろん。お願いしたいくらいです。でも書評はしません」 
 きっぱり言った。私は、仏頂面のあなたが好きなの。
「アドバイスくらいいいじゃろ」
 ふふ、外来語ばっかり。 
「私でよければ。でも図書館の本、どうなっちゃうんだろ。林さんがこなくなったら」
「お前さんが居るじゃろ」



      七
 

 限界じゃった。
 古本屋街へ足を運び、図書館へ通いつめるだけでは、もはや、児童文学消滅の危機を食い止めることは不可能。諦めておった。
 ―――悩む者の望みは永久不滅。
 誰が言ったのかは忘れたがそのとおり。
 春子さん、あんたはアルファでありオメガ。救世主じゃ。
 お前さんのおかげで幻の書、 【ムグンファの香りにのせて】 をもうすぐ。 
 ぽち。
 春子さん。
 ぽち、ぽち。
 いきます、 “バンっ”
「えんたっ!」
 昭和の名作、児童文学の傑作がとうとうわしの手に。
 五万、いや十万円叩いても惜しくない、と思ってきたが、スタート価格はたったの五十円。にも関わらず、競売参加者は皆無。出品する方もする方じゃが、買おうとする者さえいない事にも腹が立つ。ならばいっそ六十円で。と思いもしたが、それでは余りに大人気もなく、作品に対して不敬で無礼。なので初版刊行時と同額の千百円で落札。現在の貨幣価値と別途送料を勘案すれば、常人には非常識な買い物ということになる。
 だからどうした。わしは胸を張って言う。日本の至宝を救ったのだと。
 一度、いや三度熟読したら春子さんに渡そう。この上も無い至上の宝を、彼女の一期に加えるのじゃ。
 さ。この勢いでアレとアレ、それにアレを手に入れればもう、思い残すことはない。いつ黄泉の客となっても構わん。
「やってますね」
 その声。
「夢中で、気づかなかったみたい」
 温室ガラスに映るのは、初夏に合う空色のワンピースを着た春子さん。
 もちろん、来ると思っていたとも。防犯システムをオフにしたのが思いの表われ。いやいいんじゃよ、気づかなくて。小さなことじゃ。
「や」
「ごめんなさい、来れないって言っておいて」
 来られ、ない。言葉を飲み込む。小男などと思われたくはなかった。
「あれ?」
「これは」
「書いてるのかと思ってました」
 思って、いました。
「あ、いやこれは」
 べつに隠し立てする事はないのじゃ。春画を買うわけではないのだから。
「児童書を、見つけてな」
「ネットオークションで? すごい! こんなに早くマスターしちゃうなんて、さすがはヨージロさん」
 ヨージロではなく庸二郎。
「あれ? その本」 春子が画面を覗き込む。
 見られてしまった。驚かせたかったのに。
「持ってますぅ、ムグンファ」
 へ?
「お爺ちゃんに買ってもらったの。小学校の入学祝いに」
 わしが息子にしてやりたかったことを御祖父は為した。どうりで。心あたたかに、育ったわけじゃ。
「いかがじゃった」
 知りたかった。息子の思いを。春子さんの口から。お前さんの言葉で。
「言いません。でも、いまも持ってるんですから」
 聞かなくても分かる。
 眠れないなあ。たまには―――
 お前さんは、本棚からムグンファを引っこ抜きベッドに潜り込む。そして記憶にあるのとは異なる新しい世界へ、誘われていったのじゃ。
 童心に帰ったお前さんは夢中になって頁を繰り、息子は目を輝かせて、わしに先を促す。 「どうなるの? どうなっちゃうの?」
 笑っていることにも涙していることにも気づかぬまま眠りについた二人は、寝言でこう言うんじゃ。 「ありがとう」 ふにゃふにゃ。
 耳もとでムグンファは囁く。 「大きくなったね、傍に置いてくれてありがとう。また、読んでね」
 わしは二人の髪に手をあてて言う。―――生まれて来てくれて、わしの人生に関わってくれて、ありがとう。そのままいつまでも、
「それよりどうですか。執筆の方は」
 それより。終わりかムグンファは。
「ジャンルは? やっぱり児童向けとか。自分史なんてことは、」
「言わん」 別に腹を立てたわけではない。答えられんのじゃ。
 これは純愛これは青春これファンタジー。書いた当人が何を思ったところで、読者がそう思わねば詐欺。みたいなもの。それに 「お前さんとの事をメルヘンチックに」 などと言えるはずなかろう。
「んもう。楽しみにしてるんですよ、どんな物語になるのか」
「所詮アマチュアの遊戯。期待せんでくれ」
「期待します。だってヨージロさんの、物語だもの」



      八


 借りたいんだけど。
「借りれないのっ」
 あらやだ、 「申し訳ございませんっ」
 借りられないが正解よ。なんて思う余裕さえない。
 どうしたの? どうしちゃったんだろ。
 どうかしてる。ミスばっかり。
 わかってる。ヨージロさんと会っていないから。
 たったの二週間なのに。ずっとふわふわしてる。
 ―――大詰めなんじゃ。書き終えたら連絡するから。な。
 まだ、完成しないのかな。
 ―――電話は嫌いなんじゃ、書簡をしたためてくれんか。
 返信、くれないじゃない。一週間も経つのに。
 ってもしかしたらヨージロさん、 
「来てほしい」
 って言いたかったのかも。伺っていいですかって、言ってほしかったのかもしれない。



     九


 嘘。

     「や」


 無いわ。
 カメラもステッカーも。フラスコも。
 やだ。

     「幸せですねヨージロさん。本も」
     「同じじゃから。わしらは」
     「同じ?」
  
 
 あっちは?
    
     「古くなれば見向きもされない。だから、幸せなのかもしれんが」
     「幸せなら・・・幸せですね」


 あった、よかったあ。
    
     「どうなるんじゃろう。わしがいなくなったら」
     「またあ。縁起でもない」
     「捨てられるんじゃろうな」
     「私が守ります。本は。それより物語は? 終わりました?」
     「それより。感心せんな、その言い方」
     「気をつけます。それよりあっ、また」
     「カッカッカ。誰も読まんよ、老いぼれの書いた童話など」
     「やっぱり童話だったんだあ」


 老いぼれだなんて思っていません。

     「言うてしもうた。ハッハッハ・・・」


 掲載、まだだったんですね。

     「約束じゃぞ、感想。それにアドバイス。やんわりとな」
     「それじゃ上達しませんよお」
     「いいんじゃよ」


 読んで、ほしかったんですね。
 絶対に、読ませたかったんですね。だから感想とかアドバイスだとか、思ってもいないことを・・・・・・

     「最後にココ。この 【Enter】 を押すの」
     「その大きなポッチをか」
     「そうエンタ―。 『ぽち』 って」
     「えんた」


 ふうぅ。
 緊張するなあ―――
 いいですね。いきますよ、ヨージロさん。
 これが、
 これが林庸二郎の、 
「作品よ」 チッ、
「えんたあ!」
 

 うふふふ。
 ちゃんと入れましたよ、ヨージロさんのお花。新しい書庫に。
 愛と、やさしい香りと夢いっぱいの、あなたのゆりかごに。

 読んであげてね、十歳の息子さんに。
 ね。
九時四十分、お父さん。



                                     了

『ゆりかごの花明かり ~書庫いっぱいの愛を』

『ゆりかごの花明かり ~書庫いっぱいの愛を』 秋邑 茨 作

馴染めない町で暮らす読書人春子と、書庫マニアを自称する庸二郎。消えゆく定めにある児童書に愛をそそぐ二人の物語。【2018年7月4日改変:タイトル/内容変更】

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2018-03-14
Copyrighted

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