海の底から

 むかし、むかし、海の底に、あったのは、本屋さんと、パン屋さんでした。
 本屋さんは、灰色のワンピースを着た、お世辞にも美人、とはいえない女の人がやっていて、パン屋さんは、白髪頭のおじいさんが、やっていて、本屋さんも、パン屋さんも、いつも、お客さんはそれなりに、いました。
 ねむりがあさい。
 ぼくは、いつも、うまく、ねむれていませんでした。本屋さんの、美人ではないけれど、こころやさしい女の人が、ときどき、ねむるまえに読むと、よくねむれる本を、教えてくれました。パン屋さんの、白髪頭のおじいさんが、ホットミルクに、はちみつをいれて飲むといいよ、と云いながら、お店のクリームパンを、くれました。ねむるまえには、ちゃんと歯を磨くように、とも。
 あれは、人工物の、墓場。
 本屋さんの近くに、そう呼ばれているところが、あって、みんな、こわれた家電や、おんぼろになった車や、やぶれた洋服なんかを、そこに捨てていました。本屋さんは、やんなっちゃう、とぼやきながら、墓場を眺めていることが、ありました。忘れたくない思い出と、忘れてしまいたい思い出が、ごちゃごちゃと、あたまのなかを、かけめぐるそうです。パン屋のおじいさんが、きまぐれに、墓場から、だれかの捨てた電化製品を、持ち帰ることがあると、女の人は教えてくれました。どうでもよさそうでした。ほんとうに、こころの底から。
「でも、あのひとのつくる、食パンを、フレンチトーストにすると、世界でいちばん、おいしいフレンチトーストができるよ」
 本屋の女の人は、本屋さんらしくない、はげしいロックミュージックを、お店のなかでがんがんと、流していました。足を踏み入れると、バック・グラウンド・ミュージックの圧倒的存在感に、お客さんはみんな、めまいをおこし、めまいのなか、狂ったように本を物色する、のでした。ぼくが、そんなときに見つけた本が、星の本でした。
 海の、上の、上の、ものすごい上の、気が遠くなるほど、上には、星、なる石ころ(あるいは、岩)が、空、というところに貼りついていると、書かれていました。掲示板に貼る、ポスターみたいな感じだろうか。想像して、身震いしました。世界って、広い。

海の底から

海の底から

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-03-12

CC BY-NC-ND
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