スポーツバカは恋をする!

01. 私の世界

水の音、ひんやりとした感触と照りつける太陽との温度差。

肺に大きく息を吸い込んで、水に潜り、壁を蹴る。

伸びをして、浮上するまで数メートル――水の中のきらきらした光景が、目に眩しい。

そう感傷に浸れたのも束の間、今度は両手両足を強く動かして、対岸のゴールに向けて泳ぎ出す。

毎日毎日、これの繰り返し。

飽きないの?って聞かれるけれど、飽きたことなんてないし、むしろ好き。

幼い頃から水泳しかやってこなかった私には、この世界こそが全てだ。

「ぷはっ!」

折り返して50メートルを泳ぎ切り、顔を上げると女性コーチが覗き込んでいた。

ストップウォッチを私に見せ、にこりと微笑む。

「いいよ、三枝(さえぐさ)さん! 自己ベストまでとはいかないけど、ここ最近キープできてるね」
「はい」
「大会まで時間はあるけど、気を抜かずにやりましょう」
「分かりました」

プールサイドに上がり、休憩のためにベンチへと向かった。

自分で言うのもあれだけど、私は1年生の時から水泳部のエースだ。

2年生になり後輩も入ってきたけれど、それでも私の記録を破る部員は、今のところいない。

それが唯一、私の自慢であり、自信だった。

周りから『水泳バカ』なんて言われているけれど、それでも結構。

私には、胸を張れるものがあるから。

――ただ、ちょっとだけ。

イマドキの女の子、というか、恋しているかわいい女の子を見ると「いいなぁ」って思ってしまうことがある。


「はぁ……」


自分の体を見た。

日焼けでぼろぼろになった肌、筋肉質で肩が張っているし、キャップの中の髪の毛は随分と傷んでいる。

幼い頃からの蓄積は、水泳の記録とともに、私の体にも刻まれていた。


私には、かわいいとか、恋愛とか、無縁だろうな。


そう思って立ち上がり、諦めを飲み込んで、また水の中へと戻った。



***



毎朝が憂鬱だ。

学校に行くのは水泳のためだと思うくらい、授業は正直面倒くさい。

けれど、親の目がある以上、それなりの成績はキープしなければならない。

「成績が下がったら、部活禁止!」なんて、横暴なことまで言われている。

欠伸(あくび)を噛み殺して、通学路を急いでいると、校門近くで賑やかな声が聞こえてきた。

どうやら生徒会――風紀委員による挨拶運動と、服装容儀点検だ。

役員の中に、私でも知っている学校の有名人がいた。

「おはようございます!」

水島(みずしま)(ひかる)くんだ。

いつも明るくて礼儀正しくて、そして何より見目が整っている、いわゆるイケメン。

同じ2年生だけれど、話したことは一度もない。

生きている次元の違う人だ。

「水島くんだ! おはようー!」
「おはようございます」
「私、服装大丈夫かな?」

女子生徒が1人、短すぎるスカートを見せながら、露骨に近付いていった。

水島くんは、苦笑いを浮かべる。

「あはは。女子はあっちで女子の委員が見ますので……」
「えー! 水島くんがいいなー。ちなみに、長いよりも、短い方がかわいいでしょ?」

なんて心臓の強い人なんだ、と思いつつ横を通り過ぎようとすると、水島くんはこちらを向いた。

「おはようございます」
「へっ……あ、はい。お、おはようございます……」

驚いて上手く返事が出来なかった。

眩しい――なんて笑顔の素敵な人なんだ。


「うわ、だっさ。あんだけスカート長いと、足に絡まりそう」


少しだけ浮かれていた私の背中に、私に向けられたであろう言葉が刺さった。

長いっていっても、膝が隠れるくらいだ。

みんなのように、膝上数センチまで上げる自信なんて、私にはない。

下を向いて、足を速めた。


「そうかな。僕は規定を守っている人に好感が持てますけど」


水島くんが、私にも聞こえるくらいの大きな声で言った。

足を止めて、振り返る。

不自然なほどに響く声に、周囲の子たちも水島くんの方を見ていた。


「え、えぇっ!?」
「それに、女性は簡単に足を見せるものではないですよ」
「……はーい」
「じゃあ、あっちで見てもらってください」


にっこりと笑みを浮かべて女生徒を促し、そのまま水島くんは私を見た。


「気にしないで」


口が、そう動いた。


「っ!」


恥ずかしくなって、ぷいとそっぽを向いた私は、足早に校舎に向かった。

――礼くらい、言えたはずなのに。



***



水島くんに再び会うこともないまま、放課後の部活になった。

全てから解放されたように、水の中を自由に泳ぐ。

けれど、頭の片隅で、今朝の水島くんの顔がちらついて離れない。

優しく、温かい笑顔だった。

でも、庇ってくれたあの言葉は、きっと本心じゃない。

風紀委員として、言わなくてはならなかっただけ。

私みたいな、ダサくて色気もない水泳一筋の奴なんか、水島くんの記憶にも残っていないだろう。



部活が終わった後も、日が暮れるまでとコーチと約束し、1人練習に残った。

泳いでいれば、このもやもやも晴れるだろうと期待して。

「はぁ……」


また溜め息をついた直後。

がしゃんというフェンスの音がして、誰かがプールサイドに入ってきた。

02. キラキラした世界

「おー、割と簡単に入れるな」
「ちょっと泳いでいくか?」
「ばっか。制服濡れるって」

外からフェンスを飛び越えて入ってきたのは、見たことのない男子生徒3人組。

ネクタイの色からすると1つ上の3年生か。

ガラの悪い、いかにも不良っぽい雰囲気。

ふざけた遊びの一環で、このプールが選ばれたみたいだ。

関わるのは避けたいと思い、急いでプールから上がろうとした。

「ん? 誰かいる?」

水の音で、1人が私に気付いたようだ。

音がするのは仕方がなかったけれど、何があっても無視しようと、プールサイドを駆ける。

走るのは厳禁だ、というのは重々承知している。

万が一、転倒して怪我でもしたら危ないからだ。

それでも、今はそれに構ってられない。

「ちょい、あれ見ろって」
「あ? 水泳部員か?」

視界の端に、指をさされているのが映った。

更衣室に逃げ込み、カーテンを閉める。

学校の施設自体が古くて、運悪く、更衣室に鍵はついていない。

でもまさか、ここまで追ってくることはないだろう。

とにかく早く着替えて帰ろうと、キャップをとり、タオルで体を拭いていた。

――その最中。


更衣室の扉が、突然開いた。

「ひゃっ!?」
「あー、いるいる」

気持ち悪い笑顔を浮かべた3人組が、入ってきてしまった。


恐怖のあまり、頭が真っ白になる。

後ずさりをするものの、足が震えてうまく逃げられそうにない。


「へぇ。現役女子高生の水着ってか」
「でも色気ねーな」
「まーまー。ということで、俺たちとちょっと遊ばない?」
「な、な……」


大声で助けを呼ぶべきなのに、声が喉で引っかかっていて出てこない。


そうしているうちに、男子生徒の1人がスマホを取り出した。

そのカメラが私に向けられる。

「ちなみに、誰かにバラしたら、今から撮る恥ずかしい写真ばらまくからね?」
「!!」

何をされるのか、最悪の事態が頭を(よぎ)った。



――本格的にまずい。



徐々に距離を詰められ、奥の壁に私の背中がついたところで、男の手が肩に伸びてきた。

「いやっ!!」
「ぶっ」

タオルを広げるようにして投げつけ、相手に隙ができたところで、脇をすり抜ける。

扉を開けて、プールサイドに飛び出した。



膝ががくがくと揺れるけれど、とにかく必死に走って逃げる。

裸足で水着姿のまま、校舎に向かっていると、1階の渡り廊下に今朝のあの人がいた。

「えっ! 三枝さん!?」

腕に抱えていた書類らしきものを投げ捨て、水島くんは私の方に走ってきた。

「どうしたの!? 何かあったの?」

普通に考えて、誰かがこんな格好で必死の形相を浮かべて走ってきたら、驚くのも仕方ない。

情けない姿を見られてしまったショックは少しあるけれど、絶対に助けてくれるであろう人に会えた安心感の方が、(まさ)っていた。

「た、助けて、ください……」

体力には自信があったのだけれど、恐怖と全力疾走によって、息はもう絶え絶えだった。

それだけ言って、へなへなとその場に崩れ落ちる。

足は泥だらけで、髪もぼさぼさだ。

水島くんはしゃがんで、私と目線を合わせた。

彼も動揺しているのか、せわしなく瞬きしている。

「もしかして、不審者侵入?」
「プールに……3人の、男子が入ってきて。それで、変なことされそうにっ……」
「! 大体は分かった。何もされてない? 大丈夫?」

大きく頷くと、水島くんは安心したように息を吐いた。

「とにかく、先生たちに保護してもらおう。立てる?」

差し出された手を取り、足に力を入れて、立ち上がろうとした――けれど、立てない。

「三枝さん?」
「……腰が抜けちゃったみたい」
「ああ、そうだよね! 気付かなくてごめん。ちょっとだけ我慢して」

そう言うと、水島くんは私の背中側と膝下に腕を通した。

何事かと見守っていると、そのまま体が宙に浮く。

「へっ!?」

水島くんが、私を横抱きにして抱え上げたようだ。

まさかの状態に、更衣室のときと同じくらい混乱する。


体が、固まった。


「職員室はすぐ着くからね」
「……は、い」

水島くんの顔が近い。

イケメンに耐性のない私は、返事だけして視線を逸らした。

私の体がまだ湿っていたせいで、水島くんの制服が濡れてしまったのだけれど、彼はそんなことを気にする風でもなく、どんどん歩いて行く。


密着した肌から伝わる体温が熱くて。

安心するのに、変にドキドキして。

必死な横顔を一瞬だけ盗み見ると、キラキラしたエフェクトがかかっていて。


こんな状況にも関わらず、落下するような速いスピードで、私は水島くんに恋をした。



***



職員室に着いてからは、私に代わって水島くんが事情を説明してくれた。

先生たちが慌ててプールに向かったけれど、3人の姿はもうどこにもなかったようだ。

3人の特定は、私が顔を覚えていないこともあって、ほぼ不可能になった。

「家の人、迎えに来てくれるって?」
「うん。今日は本当にありがとう、水島くん」

ようやく着替えを終えることができて、校門に向かうと、水島くんが待っていた。

辺りはもう暗い。

私の帰りを心配して待っていてくれたのだと分かると、また胸がじーんとした。

「どういたしまして」
「あ、あと。今朝も、その。かばってくれたのに、変に避けてごめんなさい……」

今なら言える気がして、俯きながらも必死に伝えた。

「ああ。気にしなくていいよ。三枝さんが真面目に頑張ってること、知ってるから」


嬉しい言葉に、顔を上げる。

爽やかな水島くんの笑顔を、ずっと見ていたいと思った。

03. かわいくなりたい

鈴蘭(すずか)!」
「お母さん……」
「大丈夫なの!?」

職場に連絡が来たであろうお母さんが、慌てて車で迎えに来た。

お母さんは校門前で車を停め、私の無事を確認すると、水島くんに視線を移す。

「何もされてなくてよかった。あなたが助けてくれた生徒さん?」
「あ、助けたというほどではないんですが。先生方に知らせたのは僕です」
「でも、この子は大声を上げるのが苦手だし、怖かったと思うから……本当にありがとう」
「いいえ。では、僕はこれで。三枝さん、ゆっくり休んでね」
「うん。ありがとう」

きっちり45度のおじぎをして、水島くんは帰って行った。

「優しくてとても素敵な子じゃないの……」
「そうだね」

水島くんのように誠実で優しい人もいれば、自分を襲おうとするような変な輩だっている。

月とすっぽん、雲泥の差だ。

「鈴蘭の彼氏じゃないのよね?」
「はいっ!? そ、そんなわけないじゃない!」
「そうよね。明るくてかわいい女の子が似合いそうよね……」
「……どうせ、私は地味でかわいくないよ」

諦め気味に溜め息をついたお母さんは、残っている先生たちに挨拶をすると言って校舎に向かった。

先に車に乗り込んだ私は、フロントガラスの遥か向こうに見える水島くんの背中を眺めていた。



***



自宅に帰り着き、早めにお風呂を済ませた。

バスタオルを巻いたまま、鏡の前に立つと、日焼けした私が映った。

水着の跡がくっきりついた体は、私のコンプレックスだ。

この体に、あの水島くんが触れたのだと思うと、嬉しさ半分、恥ずかしさ半分の感情が込み上げる。

水泳は好きだからこそ、肌が荒れるのは仕方ないことだとは分かっていても――何の手入れもせず放置しているのと、努力するのとでは違う。

でも、ボディクリームとか、化粧水とか、そういう美容の道具を私は一切持っていない。

「…………」

私は、水島くんが好きになった。

できればもっと話したいし、近づきたいし、仲良くなりたい。

それなら、このままじゃダメだ。

水島くんに釣り合うような女の子にならなくちゃ。

私には無理だと諦めていたけれど、努力を怠れば、あとは転落するのみ。

今日のところは、頼るべき人に頼ろう。

「お母さーん」

脱衣所の扉から顔を出し、台所に向かって呼んだ。

「なにー!?」
「ボディクリーム借りていい?」
「いいけど、あんまり多く使わないでねー!」
「はーい」

お母さんが使っているのは、いかにも高そうなパッケージに入っていて、キャップを開けると甘い香りがした。

手にとって少量を伸ばし、腕や肩、足に馴染ませていく。

「わ……」

クリームってベタベタするものだと思っていたのに、そういうわけでもなく。

日焼けと乾燥で傷んでいる肌が、少し潤った。

それに、クリームが体温で溶けて、いい香りが漂う。

「明日、買って来ようかな」

お母さんのほど高いものは無理だけど、小遣いの範囲内で買えるものはあるはずだ。

幸い、特に使うこともなかった貯金が残っている。


ちょっと嬉しくなって、私は機嫌よく着替えてリビングに戻った。



***



翌朝、目が覚めるとすぐ、洗面所に向かった。

昨日あんなことがあったというのに、恐怖感はあまりなく、どちらかというと心は躍っている。

水島くんと、話すことができた。

かわいくなるための努力をしようと決意できた。

鏡の中の自分は、心なしか今までの自分より明るく見える。

「よし……!」

顔を洗って、部屋に戻り制服を取り出す。

パジャマを脱いだところで、肌質がいつもと違うことに気付いた。

「あ、すべすべしてる」

腕や足を(さす)ってみると、潤いが保たれているのか、かさかさしていない。

たった1回でもこんなに効果があるのか。

驚きつつも制服に着替え、スカートを腰に固定した。

「短く、か……」

試してみたくなって、他の女の子たちがやっているように、丈が膝の上になるようスカートを折り曲げてみた。

が、全くもって似合わない。

「やめだ、やめ」

慌てて元に戻す。

水島くんだって、長い方に好感が持てるって言っていたし。

かわいくなりたいにしても、水島くんの好みじゃなきゃ意味がない。

「どういうのが、タイプなのかな」

好きな人の好みは、どうやって調べたらいいのだろう。

友達なんて伝手(つて)、私にはない。

ならば、直接聞くしかない。

聞いたとき、水島くんはどんな反応をするだろうか。

最悪の場合、私の気持ちに勘付いてしまうかも。

「前途多難……」

今更かよ、とツッコミたくなるほどに、私は自分の無謀さに気付いたのだ。



***



今日も校門の前に生徒会役員たちが立っていた。

もちろん、水島くんもいる。

その周りには、昨日よりも多くの女子生徒が群がっていた。

これは、話し掛けづらい。

気付かれないうちに今日も通り過ぎてしまおうとしたけれど、頭1つ飛び抜けている水島くんと、目が合ってしまった。

「三枝さん、おはよう」
「! お、おおおおはよう……」

なんて爽やかな笑顔。

それでにこりとされると、ドキドキする。

案の定、女子生徒たちの蔑んだような視線が、私に向けられた。

そそくさと逃げると、すぐに質問が飛んだ。

「さっきの子、友達なの?」
「はい」
「ふーん……」

納得いっていない声が聞こえたけれど、今は仕方ない。

――いつかは、かわいくなって見返してやるんだから。

スポーツバカは恋をする!

スポーツバカは恋をする!

水泳一筋で生きてきた高校2年生の鈴蘭(すずか)は、自他ともに認める地味な女子。 それでも、心のどこかでかわいい人やおしゃれに憧れていた。 とあることをきっかけに、同い年の真面目で明るい好青年・燿(ひかる)に好意を持つが……。 学校内でも人気者の燿に引け目を感じつつも、鈴蘭はかわいくなって告白することを決意する。 ※タイトルはRuBinEsさんより提供していただきました。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-03-03

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Copyrighted
  1. 01. 私の世界
  2. 02. キラキラした世界
  3. 03. かわいくなりたい