蝶々結び

01. 年上の彼

肌寒さの残る3月末。

仕事を終えて、お気に入りのバーの扉を開いた。

もともと昼間はカフェをやっている店で、いわゆるカフェバーだ。

夜に、女子1人でゆっくり思いに浸れるところを探して見つけた、隠れ家的場所。

「こんばんは」
「いらっしゃいませ」
「あれ?」

エプロン姿の、知らない男性がカウンターの中に立っている。

「いつもの、マスターは?」
「あ、常連さんですか? 父が長らくお世話になりました。前マスターの息子の御子柴(みこしば)です」
「息子さん? 初めまして」

カウンターに座りながら他の席を見回す。

今の時間帯の客は、私だけだ。

「父が年齢を考慮して引退したので、今は僕が経営しています」
「そうだったんですか! マスターはお元気ですか?」
「少し体調を崩しましたけど、今は元気ですよ。失礼ですが、お名前は?」
(たちばな)詩歩子(しほこ)です」
「橘さんですね。父に伝えておきます」
「よろしくお願いします」

穏やかで、ふんわりとした雰囲気をまとった人だと思った。

白くて綺麗な肌は、もしかしたら私より肌理(きめ)細やかかもしれない。

恐らく年齢も近い。

興味がふつふつとわいてきた。

「ここに務められる前は、別のお仕事をされていたんですか?」
「いや、この前まで大学生でした。卒業してそのままここを継いだんです」
「え、ということは私よりも1つ年上ですね」
「そうでしたか。橘さんは、お仕事は何を?」
「会社員です。そのかたわらでシンガーソングライターの活動をしているんですけど、なかなか芽が出なくて」
「ということは、プロを目指して?」
「はい」
「すごいですね! 夢を追いかけている人って、尊敬します」

大抵はこういう話をすると、同情に満ちた目で見られるか、興味ないといった反応をされるものだけれど。

彼の瞳と表情を見れば、お世辞で言っているのではないと分かる。

実の両親ですら私の夢には期待していないし、純粋に応援してくれているのは親友くらいだ。

「目指すのが遅かったんです。高校出るまで、将来を漠然としか考えていなくて」
「そんなことないですよ」

新しいマスターは、にっこり笑った。

初対面なのにも関わらず、とても話しやすい。

「橘さん、ご注文は?」
「あっ、えーっと、カクテルでもいいですか?」
「もちろん」
「じゃあ、スプモーニをお願いします」
「かしこまりました」

店を継いだばかりと言っていたから、慣れていないのかと思いきや。

彼の手際はよくて、オレンジ色のカクテルが、おしゃれなグラスに入れられてすぐ出てきた。

「お待たせしました」
「わ、ありがとうございます」

何度も前のマスターに作ってもらったはずなのに、初めて飲む時のようだ。

私が口をつけるのを、彼はじっと見つめて待っている。

他にお客さんが居ないから、注目しているのだろうか。

「あ、あの……」
「どうしました?」
「いえ、何でもないです」

恐らくは、マスターが作ったものと味に違いがないかを気にしているのだろう。

照れる気持ちはあるが、思い切って一口飲むと、カンパリとグレープフルーツの苦みがほどよく舌の上に広がる。

それでいて、いつも飲んでいるものよりも、少し甘い気がした。

「……おいしい」
「良かったです」

彼はほっと胸を撫で下ろした。

なんだか、その姿が少しかわいいとまで思えた。

中性的な顔立ちに、優しく丁寧な接客。

年配のマスターには悪いけれど、これからこのバーでは、彼が待っているのかと思うと、胸が躍った。

しかし、紳士的というだけで、世の中に疲れている女性のハートは簡単に射抜かれるだろう。

私以外の女性客で席が埋まっている場面が、安易に予想できる。


――あまり、言いふらさないようにしよう。


「何とお呼びしたらいいですか? マスターとか、御子柴さんだと、前のマスターと被ってしまうから」
「そうですね……下の名前なら。(しん)といいます」
「じゃあ、慎さん、とお呼びしますね」
「ありがとうございます。下の名前で呼んでくれるお客さんは初めてです」

ほぼ貸切の静かな空間で、私たち2人の話は弾んだ。

歌を始めたきっかけや、自力でボイストレーニングや路上ライブに励んでいること、仕事をして費用を捻出するようになったこと。

そんな生活も楽しくて仕方がないこと。

たまに愚痴交じりになる話を、彼は頷きながら聞いてくれた。

「橘さんみたいに、夢に一生懸命な女性って、素敵ですよね」
「え、そ、そうですか?」
「初対面だし、僕よりも年下ですけど、素直にすごいなって思いました。その夢、僕も応援しますよ」
「! ありがとうございます! 嬉しいです」

アルコールも手伝ってか、両頬が熱くなった。

誰かにこう言ってもらえるのは、素直に嬉しい。

「そろそろ夜遅いですけど、終電大丈夫ですか?」
「わっ! 本当だ」

慎さんの声にはっとして時計を見ると、夜11時を回っている。

「ごめんなさい、そろそろ出ますね」
「はい。今日は楽しかったです。また待っていますから、ぜひ来てくださいね」
「は、はい! こちらこそありがとうございました。また、来ます」

支払いを終え、彼に見送られながら外に出る。

冷たい空気が、肌に心地いい。


駅への道を歩きながら、頭にすっと降りてきた旋律。

携帯電話を取り出して、鼻歌を録音した。

これをアレンジして、曲を作ってみよう。


打ち込んだ仮のタイトルは『蝶々結び』。

――その意味は、また、いずれ。

蝶々結び

蝶々結び

シンガーソングライターの夢を追いかける主人公が出会う、2人の彼。 誰かを強く想うことがこんなにも苦しいなんて知らなかった。 友達が同じ人を好きになった。 身を引く?それとも……。 結ばれる相手は誰なのか。 男女4人の想いが交錯する恋愛物語。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-03-02

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