
漂流船
黒猫幻想小説です。PDF縦書きでお読みください。
宇宙空間を一艘の船が漂っていた。旧式の、いや古式のといったほうがよいほど貧弱な小さな宇宙船である。これではとても一つの恒星の外には出ることができないだろう。気密性など無いにひとしい。どのようなものをエネルギー源としている生き物が造ったのかわからないが、窒素にしろ酸素にしろこの宇宙まで漂ってくる間に全くなくなってしまうはずだ。
船体には小さなかすり傷がたくさんついている。長い時間をかけてここに到達したことを物語るものである。その昔観察された超新星から来たものかもしれない。九つの惑星をもつ星が、燃え尽きる前に特殊な爆発を起こし、超新星になり、新たな宇宙の元になった可能性があるのだ。そこに生命体がいたかどうかは調べられていなかったが、存在した可能性は否定できない。
δ星の宇宙監視艇は漂う漂流船に近づいた。
光も放っていない。監視艇の計器に宇宙船から放出されるエネルギーは全く感じられない。といっても注意をおこたってはならない。以前、知らないうちに暗黒の宇宙船に近づいて、いきなり衝撃波を食らった経験がある。光をすべて吸収する宇宙船だった。ダークホールのミニュチュアのような宇宙船の中の生き物は光波を吸収して生きていた。我々のような生命体とは根本的に異なっており、会話は成立しないのではないかと思っていた。ところがその後、相手から通信をしてきて、害のない生命体であることがわかった。むしろ我々が連絡もせずに不用意に近づいたほうが悪かったのだ。とても高度な生命体で、我々に新たなことを教えてくれて去った。もっともその様な出会いは、我々が分裂して次の個体になる間に遭遇することは無いに等しい。
漂流船は私どもの感覚で感知できるかたちを持っている。これは、同じ形式の生命体が造った可能性を示している
我々の眼と呼ばれる感覚器は光の波長を感じることができる。空気の振動を感じる耳と呼ばれる器官も有している。手と足があり、土の上を跳ね生活している。肺で空気の中の窒素をエネルギー源として生き、このような生命が発達をしている星はかなりある。ようするに我々はオーソドックスな生命体である。この船もそうだろう。
それにしても、これ以上近づくのは危ない。停止をして光波や電磁波による通信を試みたが反応がない。最近開発されたかなり複雑な物質でもある程度透視をすることのできるエネルギー波による調査では、生きている生命体がいるような反応を計器は示していなかった。不思議なのは、パネルの端の未知数の何かを感じるシグナル計器が反応しているようなのだ。
船体の表面を拡大した映像には記号があった。「地球 8」とある。おそらく、その船が作られた星の名前か地名かであろう。恒星の周りに九つの惑星の絵と、恒星から三番目の惑星が大きく描かれているところから、最近超新星になった太陽系の惑星からきたものの可能性が高い。
その星の生命体であろうと思われる絵も描かれている。二本足と二本の手をもっている生き物だ。我々の形と似てなくもない。しかしδ星人の足は一本である。惑星を取り巻く気体の中の成分をエネルギーとして吸っていたに違いない。とすれば乗組員はとうの昔に死に絶えている。安全だろう。
宇宙監視艇を漂流船に近づけた。船からの反応は全くなかった。
私は身にぴったりと張り付く宇宙服に頭からからだすべてを包みこみ、漂流船を調べるために監視艇から宇宙空間にでた。星ぼしの光が球形に自分を包む。宇宙空間に身をおくといつも感激に身震いすら感じる。
漂流船の入り口を探しあてて、コックを動かすとロックはされていなかった。ということは乗っていた生命体は覚悟を決めてロックをはずしておいたのかもしれない。
開けて中にはいった。想像に反して中がずいぶん明るい。船内の壁を覆う金属が光を出していた。この星で開発された金属なのだろう。金属そのものが宇宙の光を吸収して船内に光を放つ。エネルギーの要らない光の作り方である。この方法は我々の星でも応用できる。
船内のかすかに残っていた気体を分析すると窒素が中心だが酸素の割合が比較的多い。酸素をエネルギーに利用していた生き物であることが想像できる。空気の中に、いくつかの化学物質のかけらがあった。
旧式というより、原始的な宇宙服が大小合計八つ吊るしてあった。八個体より少ない数の生命体がこの船に乗り込み、他の惑星に飛行しているときに恒星が爆発し、船は衝撃波にうまく乗ったため、壊れずにここまで漂ってきたというわけだ。
この程度の文明で途絶えた生命体は宇宙の中には五万とある。
居室と思しきところに入ると、この星の生命体の骨格がぼろぼろになった着衣をまとって台の上に横たわっていた。大きい個体は我々の大きさとほぼ同じ程度だろう。それが二つと、小さい個体が三つ、合わせて、五つある。この遺骸を調べればこの星の生命体が完全に解明できる。この五つの生命体はどのような仲間だろうか。
ある星では三つの性をもつ生命体と遭遇したことがある。三人の化学物質が新たな個体を生み出す仕組みがあり、三つの性の異なった個体とそれから生じた個体が社会の単位をつくっていた。もしその方程式を当てはめると、この船に乗っていた生命体は二つの性をもち二つの個体から新たな個体をうみだしていたのかもしれない。小さい個体はまだ成熟していない個体だったのではないだろうか。
我々の星に性はない。δ星はひとつの恒星を回る惑星で、五つあるうちの五番目のものだ。生命体は一つであり、他の種類の生き物はいない。栄養は土と空気よりとる。味の良い土のある土地に村ができ、町ができ、大きな都市に発展した。今、百八の国よりなり、私はその百八番に相当する国の住人だ。
星同士の戦をよく聞くが、我々は全く攻撃力を持たない。しかし、防衛はしている。
国は監視船を宇宙に派遣し、危険な星の資料を通りがかった船からもらう。我々がかわりに提供できるのは、宇宙の案内ぐらいである。宇宙を航行するのは容易ではない、いくら高度に発達した生命体でも、宇宙はあまりにも広く、多次元にわたるものでもあり、それを把握しきれるものではない。我々の科学は時空を越えた宇宙の道を把握している。
光を吸収してしまう生命体にも、多次元地図を教え、彼らの行きたい場所を特定した。多次元地図はその時点でのものであり、すぐ消え去る。未来と過去を取り込みながら地図を示すことができるのは我々だけである。彼らは宇宙船の照準をそこにセットすればいけるのである。
宇宙には漂っている宇宙船がたくさんある。ほとんどが巨大なもので、場合には惑星の衛星ほどもあることがある。住んでいた星が消滅するまでにその星の最も先端の技術で作り出された宇宙船たちである。星から逃げ出した生命体は宇宙に漂う。我々監視船に出会うことは、地図を教わって新たに住める星に行き着けるチャンスとなるわけである。
我々もその役割を認識していることから、宇宙船が流れてくる通り道に監視船を出している。それを聞きつけて我々δ星の監視船を探す漂流船もある。
危険な漂流船が現れることはこまる。科学が進んだ生命体でも、倫理感を全くもたないことがある。出会うものはすべて自分のものにしていく生命体たちである。そのような船が来たとき、我々はその船を破壊するよりも恐ろしい手段を使う。その船をちょっとずれた時限の宇宙に押しやるのである。そうするとその船は他の星に行き着くことはほとんどない。宇宙に浮遊し自滅の道を歩む。この装置をもっていることはどの星にも教えていない。違う次元に放り出された船は、偶然にその次元に溶け込まない限り、孤独な死を迎える。ただ自分たちの状況は自滅するまで知ることはない。
δ星の住人は地上で働くものと、監視船をまかされて宇宙で働くものが半々ほどである。戦うことをしない我々は、とても静かな一生を送るが、最近は問題が出てきた。一生を早く終わらせたいという個体が増えたことである。我々の脳と呼ばれる、からだを制御し、考える臓器も少しずつ進化しているのだろう。単純さを好んできたものが、それに飽きてくるようになったのだ。早く新たな個体に分裂してしまいたくなるのである。
残念ながら分裂すると記憶は残ってくれない。新たな個体は、教育を受け成熟していくのである。その過程はとても楽しいものなのである。自分の過去は、国の人口資料庁に保管されている。分裂後大人になって自分の過去を知りたいものはそこに行けば分裂前に何をしていたのか分かる。
分裂した相手は異なった国で教育を受ける。しかし、他国にいるにしても大人になって偶然同じ職場になることなどもあるわけである。私の分裂前はやはり監視船を任されていた船長であった。
この星では誰でもが自分の楽しみを見つけようとしている。おいしい土を食べることも多くの人たちの楽しみの一つである。良いレストランで美味しく料理された土は、この上なく幸せになる。しかし、それにも限りがある。宇宙旅行するのもいいが、いつもいけるわけではない。いろいろな映像を見るのも良いかもしれない。しかし、単調さはかわらないのである。
私はこの漂流船の星の世界はどのようなものであったのか興味をもった。
監視船の船長は漂流船にであうと、その星の研究に一生を打ち込むことになる者が多い。一生のうちに複数の漂流船に出会う者はほとんどいない。それどころか、監視船をまかされて、漂流船ばかりではなく他の星の船に出会ったことのある者は一割ほどであろう。私はいくつかの漂流船に出くわした数少ない一人である。しかし、私は漂流船の星のことを研究するより、再度宇宙にもどって、漂流船の監視をすることを選んでいた。
漂流船にはいろいろなものが積まれている。おそらく、この船の母星の映像もどこかにしまわれている。収容船を呼んでだ。収容船は漂流している宇宙船を格納し、地上の検査所に運ぶも役割を持つ。検査所ではあらゆる検査を行い、漂流船の母星を探し出す。
私は、超小型の漂流船を確保したことを伝えた。
収容船が到着するまでしばらくかかる。小さな船の中を見て回ることにした。
漂流船の先頭の操縦室はなかなかすばらしい眺めの窓がついていた。三百度近く、宇宙を見渡せる。きれいな星が瞬くのを見ていると時間を忘れる。この生命体は「きれい」ということを知っている生命体だったのだろう。
星々を見ているときであった。後ろのほうで、「にゃあ」という音が聞こえた。真空の中で音が生じるはずはなかった。つけっぱなしにしている通信器の混線でもあるのだろうか。
「こちら、108A監視船、連絡ありましたか」私は司令室に連絡した。
「なし」の一言だった。
また、「にゃあ」と音がした。
私は振り返った。真っ黒な生き物が黄色い目で私を見ていた。寸時に衝撃銃をむけた。この船の生き物とは違う生き物だ。危険すぎた。このように、異星生命体に突然接近したことは始めてであった。
引き金を引いていた。初めての経験だ。私の循環管は波打っていた。体中に張り巡らされている管は窒素と吸収した土の成分を体中に運ぶ。からだの隅々までその管は巡っており、管そのものが動く仕組みを持っていた。消化器で吸収された必要な窒素と栄養分を必要なからだの場所に適量運ぶようにできている。
衝撃波は操縦室の入り口の角を破壊した。真っ黒な生き物は瞬時に、私の立っているフロント操縦席の隙間に消えた。
すばやい。
真空で生きていることができる。これはかなり危険な生き物だ。こんなにあわてたことははじめてだ。いままで生き物に衝撃銃を向けたことはない。死まで頭の中をかすめた。
すると、なにか私の足に何かこすりついた。
足元を見た。真っ黒な生き物が、「にゃあ」と鳴いて、私を見上げている。
なんだこいつは。あわてたどころではない、なんと言っていい感覚なのかわからないが、からだがぞーっとした。私は恐怖のあまり衝撃銃を取り落とした。
しかし、その生き物は襲い掛かってくるでもなく、ただ私を見ていた。
ふたたび私の足にこすりついていた。たくさんの漂流船との出会いの話を書いた本を読んだが、このような生き物を書いたものがなかった。
だが少しばかりほっとした。安全な生き物のようだ。
黒い生き物は顔に目が二つあった。
黄色い目が私を見つめている。私は後ろにゆっくり移動し、黒い生き物の頭に手を伸ばした。
黒い生き物は動かなかった。手の先が生き物の頭に触れた。機密服の手袋を通して柔らかな生き物の感触が伝わってきた。不思議だ、気持ちが落ち着き安らぎが自分の頭の中に満たされた。仲間と話をしているときの楽しさとも違う。むずがゆい思いで黒い生き物を見た。
黒い生き物は四つの足で私の足元を歩いた。長いものがからだの後ろ足の間から伸びている。顔は丸く、先がすこしばかりとがっており、耳らしきものが頭の上に二つついている。目は丸く口は三角形に裂けていた。
ニャアと鳴いた。我々の口の中の土をすりつぶす臼状の歯とは違い、尖った長い歯が二本見えた。
とおぼしきものが顔先にある。口の左右から伸びているいくつもの糸の様なものは、おそらく触覚器ではないだろうか。
黒い生命体がまた私を見ている。私の目の奥の脳にあるものをすべて吸い取ってしまいそうな目だ。私のすべての防衛本能が消し飛んでしまった。
この黄色い目は衝撃銃より強い武器となる。
私は黒い生命体を抱きあげていた。この動物は生きる力は強いが、高度な知力を持つようには見えない。発達途上か、他の生命体に寄生して生きているのではないだろうか。この船が漂ってここまで来る間に、宇宙船の乗員が息絶えてから、紛れ込んだのだろうか。
黒い生命体は私を見上げて再び「にゃあ」と声を出した。
すると、もっと小さな真っ黒な生命体が三つ、陰から出てきた。
三つの生命体は私の足元に来ると、抱き上げている大きな黒い生命体を見上げ、「みゃあおみゃあお」と声をだした。真空で音が伝わるわけは無い、彼らの出す声は、直接私の脳に入ってきている。
抱き上げていた大きな黒い生命体はあわてて私から飛び降り、三つの小さな生命体をかかえ、頭に口から赤いものをだしてこすりつけた。我々ももつ舌のようだ。小さな生命体は目を細めている。
どこの星の生命体かわからないが、危険性は全くないと私は判断した。
そこへ、収納船が到着した。収納船は二つの型がある。漂流船に異星の生命体が乗っており、その生命体が我々の星に寄港したい希望があるときには、誘導の役割や、牽引の役割を持つ力の強い収納船が来る。星ほどもある漂流船が見つかったときも、複数の力の強い収納船が我々の星の近くまで漂流船を曳航する。一方、今回のように小型の漂流船で、乗員もいない場合は、丸ごと収納し、そのままδ星の研究施設に送り届ける収納船が派遣される。
大きな収納船が収納庫の扉を開けて、漂流船の前で停止した。その姿はまるで漂流船を飲み込もうとする怪獣を思わせる迫力がある。子どもたちの憧れの船だ。
収納船のハッチが開き宇宙服をまとった船長がでてきた。
程なく漂流船にたどりついた収納船の船長に、この黒い生命体について説明した。私の権限で私の家に連れて行くことの了解を取った。
監視船の船長が異星の客人を自宅に招くことは船長の権限である。逆に、それだけ、船長の責任はあった。しかし、我々の目に狂いはない。我々船長は遭遇した漂流船を次元の違うところに押しやる装置のボタンを押す権限をゆだねられているのである。それだけの判断力を要求される。
四つの生命体を保護箱に入れて、私は漂流船から離れ、自分の監視船にもどった。
漂流船は大きな収容船に吸い込まれた。δ星の異星研究局に運ばれ、あらゆる面から解析されることになるだろう。漂流船はわれわれの文化に異質な新しいものを吹き込んでくれる。新しい科学の考え方も多くの漂流船からもらった。われわれの星の文化は漂流船によって進化していく。化学物質を含んだ空気も収容船の船長に渡してある。収容船の星の情報がいずれ解析され私にも届くことになる。
久しぶりにδ星の地上にもどった。我々の星は比較的新しくできた恒星「ハル」の周りをまわっている惑星である。回転軸がハルを回る軸と平行に近いことと、楕円軌道ではあるが、円に近いこと、それに自転の速さから、一つの地域では月日の経過による寒暖の差があまりない。
δ星人の108の国は赤道あたりに集中している。私の家のあるところも、比較的温暖である。ハルから最も離れた惑星なので光は弱い。δ星の南と北は寒くて住むには適していなかった。他の四つの惑星には大気が存在していない。
監視船専用の基地に降り立ち、つれてきた黒い生き物の検疫手続きを行った。検疫室で保護箱からだされた生命体はこの星の空気の中でも平気な顔をしていた。空気の成分がその生命体に害になることがある。問題はなさそうである。
黒い生命体はおとなしく検疫官の検査を受けた。検疫を終えた黒い生き物を再び保護箱に入れると、私は自家用車で我が家にもどった。
丘の中腹にある家につくと、家は私の脳波を認識し迎え入れてくれた。車を家の前にとめると家自体が稼動し始め入口が開いた。私は保護箱を持って部屋にはいった。
漂流船をみつけると希望するだけ休暇がもらえた。その間に監視船の船長を続けるか、見つけた漂流船の母星の研究の一員になり地上で働くか決めるのだ。もちろん、地上で他の仕事にも就ける。
久しぶりに居間に入り保護箱を開けた。
四ついる真っ黒な生き物は私の部屋に飛び出した。その時、首のあたりからころりと黒っぽい塊がおちた。私はそれを拾い上げた。硬いものだが機械ではなさそうだ。危険でもなさそうである。とりあえず拾って机の上においた。
黒い生命体は箱から出ると、大きくからだを伸ばした。
窒素の多い空気の中でもからだに無理がないようである。
大きな生命体が床の上に横になった。ついて歩いていた三つの小型の生命体は、大きな生命体にまとわりついて腹の部分にかじりついた。何かを吸っている。小さい個体は子どものようだ。星によって子どもは一つの性のからだから生じるということである。この大きな個体は小さな個体を生じさせたのではなかろうか。
大きな個体は気持ちが良さそうにからだを横たえて、小さな個体が腹に吸い付くのを見ていた。一つの小さな個体が腹から離れると、吸い付いていたところから白い液体がたれ、あっという間に蒸発した。我々のからだの中にも液体は流れているが、それ以外にこの星に液体はない。我々が二つの個体に分裂する前に事故で死ぬと、からだの水分はすべて蒸発し、からだはあっという間に土に変化していく。その土は食べるに値せず、長い年月をかけて食料の土として熟してから食べられる土に変わる。
我々のからだの水分は空気の中から酸素と水素をつかって肺で必要なだけ作り出される。δ星の大気には水素がほとんど含まれていないが空気の中から肺が選択して吸収している。
私は飽きずにこの黒い生命体を観察し、頭をなで、抱き上げた。
一つ発見したことがある。のどの下を触ると、ごろごろと音を出し、目を閉じることであった。あまりにも気持ちが良さそうで、見ていて幸せになる。何度やってもごろごろと音を出す。大きいのも小さいのも同じようにごろごろ喉を震わす。
三つの子どもと思われる小型の生命体は絡み合ってよく動いた。大きな個体は丸まって居間の隅で寝ていることが多い。
この黒い生き物への栄養補給は最も気にしていたことの一つであるが、私が食べていた土を与えてみたら、大きな個体は喜んで食べた。食べ物は我々のもので大丈夫と見える。
小さい個体は大きな個体の腹部から出る白い液体を飲んでいたが、大きくなるにつれ、大きな個体の食べている土のところによってきて、口に入れるようになった。
漂流船を見つけてから三十日ほど経った。漂流船の母星について解析ができたと調査局から連絡が来た。ここの一日はδ星が一回自転した時間である。漂流船を捕獲すると通常七日ほどで結果が出る。それが三十日もかかったのはよほど特殊な星だったようだ。
映像を交えた専門家たちの説明には驚かされることばかりであった。からだの形は似ているが、我々の星だけではなく、今まで我々が出あった星の生命体とは全く異なっていたのだ。その星は「地球」と呼ばれていた。
言葉の解析が大変な苦労であったのは、その星には何百、何千に及ぶ言語が存在していたようなのだ。主に使われていたのはいくつかだが、それにしてもお互いの理解をするために、相当に脳を使わなければならない。それは良い意味で神経系の進化を促進したようだ。脳を保護する頭と呼ばれるところは我々の数十倍の大きさがある。
δ星人の脳は瘤のように胴の上に飛び出しているだけである。感覚器である目や鼻や耳が地球人は頭の前にあったが、δ星人は胸にそれをもっている。この生命体が、さらに高度な生命体になりえていたら、この宇宙の指導者になっていたであろうと、研究者の言葉が記されていた。
もっと驚いたことに、その星には、数え切れないほどの種類の生命体があり、水を飲み、酸素を空気から摂取して生きていた。それらが共存をしていたということは脅威である。私が連れ帰った真っ黒の生き物もその中の一つだった。δ星には一つの生命体しかいない。今まであった漂流船の星でも複数の生命体の共存は珍しかった。
水が存在するその星では、植物と呼ばれていた光に依存してエネルギーのもとをつくりだすことのできる生き物が星を覆い酸素を作り出し、動物と呼ばれる生き物が酸素を利用し、死んで植物の必要な窒素などの成分を作るという循環式の仕組みをもっていたようだ。さらにもう一種類、動物と植物より進化した、動くことは動物にはかなわない菌類という生き物がいた。それが地球のバランスを保っていたようだ。本来は菌類がその星の主たる生命体であったが、速く動く仕組みを獲得できず、動物が進化し、その頂点のヒトと呼ばれる生命体が都市をつくり、漂流船を作ったようだ。この多様性は脳の機能をすごい勢いで発達させただろう。
我々の時間の数え方からすると、δ星が三百回ハルの周りを回る時間、すなわちδ星の三百年という短い間にそこまで進歩したようだ。恐るべき生命体である。おそらく滅びてしまったのだろうが、どこかに残っている可能性が無いわけではない。
わたしが保護箱で連れてきたのは、ヒトと呼ばれる生命体と共同生活をしていた生き物のようである。「猫」と呼ばれていたようだ。ヒトが生きていく上での猫の役割はわからなかったとの報告にあった。他にもヒトは生命体を多く利用していたようである。他の生き物を食料にもしていたようだ。驚くべきことである。
不思議なのは、猫と呼ばれる生命体も酸素を吸い、水を飲み、栄養物を摂取していたはずであるが、宇宙では真空で生きており、δ星にきてからは、土を好んで食べ、窒素を利用して生きている。しかも、ここでは水を飲まない。この猫を生涯の研究対象にすることは面白いかもしれない。地球で生まれた生命体ではないかもしれない。
地球と呼ばれた星の詳細データの入った電子媒体を研究センターにもらいにいき、長官に会った。
これを期に監視船の船長を止め、「地球」について調べてみようと思うと伝えた。
私が次の分裂をするまでにどの程度「地球」について明らかにすることができるかわからないが、幸い我家に「黒い猫」と呼ばれる地球の生命体がいついてくれた。少なくともこの生き物について、何か書き残すことができるだろう。長官もそれを勧めてくれた。
やがて三つの小さかった生命体も、大きいものとかわりのないほどに成長した。大人になったようだ。部屋では四つの黒い猫が私を見ている。
床に座って彼らを見た。四つがいっぺんに私のところに駆けてくるとこすりついた。
私の衣服の紐に噛み付いて引っ張ったり、手を出したり、大騒ぎだ。この動きは「じゃれる」というらしい。目的は全く分からないが、見ていて楽しくなる。
一匹が「にゃあ」と鳴いて、私の折りたたんだ一本足の上にのってきた。すると、われもわれもとみんなむりむりと私の一本足の上に上ってきた。ふんわりした毛が私の顔にこすりつく。至福のときである。
もう一つ不思議なことに机の上においておいた黒い塊から、緑色のものが育ってきて、かなりの大きさになってきたことである。食べ物が分からなかったので、土を入れた器にそれをおいたところ、ぐんぐんと大きくなり、緑色の薄っぺらのものをたくさん茂らせ、赤黒いものが開いた。専門家に見てもらった結果、地球上のもう一つの生命体である植物であるという。椿と呼ばれた種類で、赤いのは花という生殖装置だそうだ。花には実がなり、その実から黒い塊が取れた。それが最初に私が拾ったものであり、種という植物の子どもであった。種を器に土を入れ乗せておくと、芽生え、木になり、花が咲いた。部屋の中が明るくなった。
水が無いのに黒い生命体が生きていて、植物が育つ。なぜだろう。研究所の研究員たちも首をひねった。
私は友人を招いてこれらの生命体を見せた。
「きれいだ」
赤い花の咲いた植物を見た知人たちは口々に言った。
友人たちが床に座ると、黒い猫はそばによってきて、こすりついた。客人たちは抱き上げ、ほうずりを繰り返し、なんと言っていいかわからない顔をした。黒い猫に会った知人たちは、この生命体を抱き上げるために何度も私の部屋を訪れた。
隣に住む異星研究局で働く科学者は、毎日のように来て植物の発達を記録し、調べていった。そのついでに、黒い猫をなで、抱き上げ、ほうずりをし、はては、首に巻いた。黒い猫は嫌がりもせず、みゃあと鳴いてこすりついた。
放送局から取材が来て、この様子はδ星全世界に放映された。これを機に一気に地球という星の不思議さが知られるようになった。異星研究局がまとめた「地球」という番組は、δ星の七割の人間が見たという結果が出た。地球にいたさまざまな生き物たちの映像が流されると、その動物たちの実物大と思われるフィギュアがつくられ、それぞれの家の居間に飾られた。
δ星の政府は一年後、「地球」の博物館をたてる計画を発表した。長官から私にも計画に加わり、第一発見者の名誉として館長に就任すように要請が来た。わたしはとても嬉しかった。
この真っ黒な生命体は、外にまで私についてくるようになった。
ひとびとは黒い猫を「黒いちきゅう」と呼ぶようになった。私が町の中を飛び跳ねていくと、黒い地球は四足でちょこちょこと走ってついてきた。人々がよってきて、「地球」の頭をなで、黒い地球は出会う者だれにでもこすりついた。買い物に行くと、その店の棚にちょこんと乗った。それをみるために町の人たちが集まってきた。
地球と呼ばれるようになった猫は我々の脳の隅に眠っていた、いやなかった何かを発達させたのである。我々の脳に新たなものを植えつけたのである。
その頃、不思議なことが我家で起きた。
いつものように、居間でニュースの映像を見ていたときである。ここにつれて来たときに大きかった地球、親というらしいが、私の目の前に来ると、私の腕にこすりついたとたんに二つに割れて、完全なからだの二匹の地球になった。
二匹になった地球はおちゃんこをすると、一匹は右手で顔を撫で、もう一匹は左手で顔をなでた。地球の資料からわかったことでは、この動作は顔を洗うというのだそうである。その後、残りの三匹も分裂をし、それぞれが二匹になった。私の家に、いっぺんに八匹の地球がいることになった。
調査の結果では、地球という星の生命体には二つの性があり、それが次の世代の個体をつくりだすとあったが、δ星へ来たこの生き物は、我々と同じように分裂して増えるようになったのである。この適応は不思議すぎる。適応と言ってはいけないのかもしれない。その星の条件に体が自然に合う生き物だ。
椿と呼ばれる植物も水もなしに成長した。椿もどんどん実ができた。地球では花が咲くまで何年も掛かったらしいが、δ星ではほんの数日で花が咲く。
これらのことをまとめて異星研究局に報告した。それを読んだ異星研究局から、分裂した「地球」四匹を研究局に渡してほしいといってきた。もちろん私は了解して、その四匹を取りに来た研究員に引き渡した。
はじめてみた研究員たちはこすりついてきた黒い地球に目を丸くして、抱き上げほおずりをした。研究員たちは、嬉しくてしょうがないという様子で車に乗って異星研究局にもどっていった。
その後も、私の家で、地球は分裂を繰り返した。異星研究局でも同じように増えていったようである。
私は、国の許可を得て、黒い地球を友人にプレゼントした。あっという間に、私の住んでいる町で地球が増え、それは国中に広がって行った。
δ星の住人たちはだれもが、黒い生命体を身近において疲れたときは話しかけた。
宇宙船にも一緒に乗り込ませた。黒い地球は真空でも生きていた。船外作業をするときも、一緒に外に出て、真空の真っ只中で浮かんでニャアと鳴いた。黒い地球は宇宙の真っ只中で、一人で行う作業の疲れを癒すものであった。仕事の効率がぐんと上った。
植物である椿も同じ効果があった。船内を緑と紅い花で飾った。黒い地球と椿のおかげで我々の神経系は少しばかり落着をとりもどした。
地球と呼ばれる黒い生命体はわれわれの脳をリラックスさせ、それぞれの能力を向上させただけではなかった。
ヒトのような自分の次の世代である子どもを育てるという過程が我々の体の仕組みにはない。そのためか、「かわいい」という言葉が我々にはなかった。猫と呼ばれていた生命体は、我々に「かわいい」という新たな感情を脳にうえつけてくれた。脳が進化したのである。
地球は性のある生命体と同じように、他の生き物をかわいがることを我々の種族に教えてくれたのである。それはδ星人に生じはじめていた早く新しい個体に分裂したいという気持ちを一掃し、できるだけ長くこの生き物と生きていたいという気持ちにさせた。
我々は、遠くに存在をし今はない地球という星に感謝をした。本当に惜しい生命体をなくしたものである。
「にゃあ」
何代目かになる「黒い地球」が私の足に擦り寄ってきた。もっと長く私のままでいたいのだが、それにも限りがある。しかし、新しい個体になったとしても、この地球がいる。δ星人たちは黒い地球無しでは生きていけなくなった。
私は黒い地球を抱き上げた。
黒い猫は思った。地球では前にいた星の名前である「猫」と呼ばれていたが、この星でもやはり「地球」になった。我々の役目は宇宙の生命体に安らぎを与えることである。いきついたところの生命と同じ機能をもつからだになり、その星の生命体に潤いをもたらし、その星が消滅するまで見守っている「かわいい」のが役割なのだ。
もう一つ、この星に椿の木が育つようになった。椿の木も黒猫と同じ役割を持つ生命体であった。昼間は光を吸収して窒素を空気中にはき出す。地球で酸素を吐き出し動物たちに与えていたように。
「にゃあ」と鳴くと、黒い猫、いや黒い地球はδ星人にこすりついていった。
漂流船
私家版幻視小説集「黒い猫、2015、330p、一粒書房」所収
木版画:著者