茸焼

茸焼

茸短編小説です。PDF縦書きでお読みください。

 十一月、今日は三の酉だ。火事が多くならなければよいが。
 近くの神社でお酉さんがある。なぜかなつかしく、必ず屋台を冷やかしに出かける。
 熊手を売る店が一軒でている。その周りには、いつものように、金魚すくいやらチョコバナナや綿飴などのおきまりの店が並んでいる。
 わき見をしながら歩いて行くと、いつもの焼鳥屋がない。店はあるし、なにかを焼いているのは確かだが、いつものお兄ちゃんがいない。その焼鳥屋ですずめ焼きを一本買うのを習慣にしていた。
 今日はなにを焼いているのだろうか、近づいてみた。色の黒い丸顔のお姉さんが茸を串に刺して焼いていた。ちょっと火にあぶって、甕の中のタレにつけてもう一度焼く、それを三回ほど繰り返して、前に立てて並べる。
 茶色っぽく焼けた茸が数本湯気を上げている。焼き鳥とは違った、またいい匂いだ。一つの串に一本茸を刺したものもあれば、小さいのを三本刺したものもある。
 お姉さんの脇の笊(ざる)に茸が盛られて焼かれるのを待っている。大小様々、いろいろな形をした茸がある。赤いのも黄色いのも白いのもある。
 お姉さんが僕の方を見た。
 「おじいさん、これ美味しいよ、どう」
 目じりが下がっていてかわいらしい顔をしたお姉さんだ。
 「どこで採れた茸なの」
 私は聞いてみた。
 「いろいろ、でも遠くじゃない」
 「それじゃ一つもらおうかな、いくら」
 「百五十円、どれにします」
 「いちばん旨いやつ」
 「みんな美味しいけど」と言って、お姉さんは真ん中にあった茸を渡してくれた。
 見ていたときに焼きあがった奴だ、たしか、赤い茸を三つ串に刺して焼いていた。焼きあがったものはどれもタレがかかり茶色になっている。
 百五十円を渡して茸を受け取った。
 まず一つ口に入れた。なるほど、茸のいい味がでている。子供の食べるものではないなと思いながら、もう一個食べた。
 「ビールを飲みたくなるでしょう」
 図星である。お姉さんのタイミングは大したものである。
 「ビールあるの」
 「うん、地ビールだからちょっと高いけど美味しいよ」
 「それじゃ、頂戴」
 「三百円」
 お姉さんは、脇のクーラーボックスを開けると、缶ビールを一つ取り出した。赤い茸の絵がついているビールだ。
 「どこのビールなの」
 「秋田の山奥よ、湯沢の小安温泉」
 私は知らなかった。
 「お米で造ったビール、古代米ビール」
 そう言って、硝子のコップを屋台の縁に置いた。
 「開けようか」
 お姉さんが聞いたのでうなずくと、プルトップを引いてコップに注いでくれた。
 「ほら、どうぞ」
 裏から椅子も持ってきてくれた。
 コップに注がれたビールは赤紫色だった。一見ぶどう酒のようだ。咽も渇いていたこともあり、一気に流し込んだ。
 芳醇なビールだ。これはすごい、大当たりである。茸焼きに古代米ビールをお酉さんで楽しめるとは思っていなかった。
 「これは合うね」
 「そうでしょう」
 そこへ小学二、三年生とおぼしきおかっぱ頭の男の子を連れた女性が通りかかった。
 お姉さんは声を張り上げた。
 「頭の良くなる茸、おいしいし、どうです、お母さん、自然食で美容にもいい」
 「買って」男の子がねだった。
 「そうね、面白いわね、二本くださいな」
 「ありがとうございます」
 お姉さんは二本とると渡した。
 「ビールもあるの」
 私が飲んでいるのをみた母親が聞いた。
 「古代米のビールがありますよ」
 「でも、この子を連れているから、やめとこかな」
 ちょっと残念そうに茸を口にほおばりながら「あ、おいしい」と離れていった。
 「あとで、お母さんだけ来てくださいな」
 お姉さんが声をかけるとお母さんは振り返って笑った。
 私はもう一本くださいと百五十円だした。
 「これも美味しいわ、おじいさん」
 お姉さんは黄色い茸を焼いたものを手渡してくれた。いちいちおじいさんとつけられるのはちょっと気に食わないが、呼びかけ方が上手で、我慢ができる。それにしても、茸の串焼きは美味しいし、古代米のビールがまた美味しい。下手をすると、根子が生えるかもしれない。
 黄色い茸もいい味が出ている。ちょっと焼き鳥の味と似ているところがある。
 ビールがもう空いてしまいそうだ。
 中学生らしき男の子たちが集まってきた。
 「よお、この茸の串焼き喰ってみようか」
 「でもよお。俺、五百円しか持ってねえんだ」
 「俺もだよ、でもよ、いつも焼き鳥一本食ってたじゃねえか」
 「うん、でもこれ高かねえか」
 それを聞いたお姉さんは男の子たちに言った。
 「百五十円だよ、焼き鳥はいくらだった」
 「百五十円」
 「同じじゃない、だったらこっちの方が美味しいよ」
 「いや、本当に旨い、もう二本喰った」
 私が口をはさんだ。
 中学生は私を見ると相棒に言った。
 「ほんとだ、じいさんが旨そうに食っている」
 そう、そう、じいさんと言うなよと言いたかったが、まあじいさんだからしょうがないかと、ビールを飲み干した。まだ、焼き茸が一つ串についている。
 「ウー、ビールもう一杯」
 「はい、おじいさん」
 お姉さんはプルを引っ張って開けてくれた。
 「俺も喰おう」中学生は二人して百五十円を差し出した。お姉さんは「はい、おまけ付けておくからね」と、一本の焼けた串から茸を二つ抜き取ると、四つついた茸の串をつくり、中学生に渡した。
 「あ、ありがとう」
 中学生は嬉しそうに茸にかぶりついた。
 「ほんとに、うめえ」そう言って、かじりながら行ってしまった。
 お姉さんは二つを抜き取って茸が一個になった串を私にくれた。
 「おじいさん、おまけ」
 と笑った。
 「あ、ありがとう」
 私は感謝して、その一本を受け取るとかじった。それぞれ違う味がしてなんともいえない。高級料亭でこれをやっても、受けるのではないだろうか。
 感心している私を見てお姉さんが笑顔で聞いてきた。
 「ちょっと高い茸があるけど焼いてみる」
 「そんなのあるの」
 「あるよ」
 「いくら」
 「ふふふ、五千円」
 お姉さんは奇妙な笑い方をして私を見た。一本五千円とは冗談だろう。いや日本産の、天然松茸ならそのくらいしている。
 「松茸かね」
 「そんなんじゃないわ」
 「面白そうだけど、そんなに旨いの」
 「うん、それだけじゃないの、不思議なのよ」
 なんとなくその気になってきた。
 「食べたらおかしくなるなんてことはないよね」
 「大丈夫よ、味は補償する、それに不思議なのよ」
 お姉さんは二度も不思議と言った。
 「それじゃ、たのもうかな」
 私はビールのせいか、気が緩んで大きくなっていた。
 「いいわよ、その椅子に座って召し上がって」
 私はポケットに手を突っ込んだ、一万円札が何枚かくしゃくしゃになっている。それを引っ張り出すと、お姉さんの顔を見た。
 「五千円というのは中途半端な気がするけど」
 私はしわのよった一万円札をのばしながら彼女に渡した。
 「ほんとは、一万円、だけど、おじいちゃんには少なくても効きそうなので、半分にしたのよ」
 彼女はおつりの五千円をよこして、赤い皮袋から、真っ黒な茸を一つ取り出した。十センチもあるだろうか、かなり大きい。
 「それ、マジックマッシュルームって奴じゃないの」
 私はちょっと心配になって聞いた。
 「ううん、形がだいぶ違うのよ、それにあんな安ものじゃない」
 「食べたらおかしくなって、警察にでも連れていかれるとこまるな」
 「そんな心配いらない、心配ならやめとく?」
 「いや、食べてみたいな」
 「若い人だと二つ食べないと効果が薄いと思うの、だから一万円だけど、おじいちゃん、とても感受性が良さそうだから、一つで大丈夫、ともかく美味しいから」
 彼女は黒い茸を串に刺すと、炭火の上に置いた。何度かひっくり返してから、タレにつけ、三度ほど焼いて渡してくれた。
 「はい、それから、これ、おまけよ」と古代米ビールをもう一缶開けてくれた。
 私はあつあつの五千円もする黒い茸の串焼きをかじった。たしかに旨い。ビールを飲みながら食べ終わると、串を彼女に渡そうとした。
 前を見ると、彼女がいない、目の前の景色が変わった。私が幼いときに育った北海道の田舎の丘の上であった。六月頃の一番いい季節である。
 私は草原の切り株に腰掛けて、遅い春の空気をいっぱいに吸いながら、ミルクキャンデーを食べていた。近くの牧場で作るミルクキャンデーで、今までで一番おいしいキャンデーである。今よく売れている外国ブランドの高級なアイスクリームを食べた時にも最初は感動したものであるが、子供の頃にそのミルクキャンデーを食べた感動にはとても及ばない。周りの環境も味を高めているのであろう。わたしは、キャンデーをかじった。そう、あの時のあの頃の味である。甘い牛乳の香りが口いっぱい、鼻いっぱい、脳いっぱいに漂い、脳の中にしびれるように快感が広がった。
 その心地よいミルクキャンデーの快感が次第に消えていくと、再び私のいるところが変わった。高校生になっていた。彼女と一緒に、夏休みに大菩薩峠に登った。その帰り、桃畑で桃を採らせてもらい、熟れた桃をその場で二人で食べた。薄い皮をすーっとむくと、水に浸っているような熟れた桃の果肉が現れ、がぶっとかぶりつくと、じゅうと黄色っぽい果汁が溢れて、桃の香りが口の中に広がった。そのまま、彼女と初めて抱き合った。桃の匂いと彼女の肌の香が脳の中で交じり合った。ずいぶん昔の話である。その時はじけるように快感が脳の中に走った。
 だんだんとその甘い感覚が遠のいていき、私はベルギーのブラッセルにいた。しかも、あのレストランの質素だが重量感のあるテーブルの前に座っていた。ウエイターが鉄の鍋と大量のポテトチップを運んでくるところだった。当然私のところに来るのだろう。
 そう、仕事の関係でパリに行ったついでに、行ってみたかったベルギーに飛んだのだ。駅のインフォーメーションでホテルを予約し、ホテルまで歩いた。駅から七、八分のところである。ホテルのロビーに何人かの日本人がたむろしていた。その一人が話しかけてきた。旅行かというので、一泊だが仕事のついでによったことを告げると、ムール貝の美味しい店を紹介するからと地図を広げた。
 私はチェックインした後にすぐにそのレストランに来て、蒸したムール貝を注文したのである。今いるレストランである。
 蒸たてのムール貝が運ばれてきた。ふっくらとしたムール貝が鍋の中にひしめいている。
 ホークで一つとった。口の中に入れると、なんともいえない味が口の中に溢れた。これほどおいしいムール貝というか、貝類を食べたことはない。ワインをたのんだ。ムール貝を食べ、白ワインを飲み、時間はどのくらい経ったのだろうか。脳の中が満たされ、あまりにも幸せな気分になった。
 ほとぼりがさめると、わたしは、ドナウを見下ろすレストランにいた。いい香りが漂ってくる。まもなく、たっぷりした器に入れられたハラーススープがウエイトレスによって運ばれてきた。ハンガリー、ブタペストからかなり奥にはいった町のレストランである。ハラースとは漁師という意味で、海のないハンガリーでは漁師が川でとれた魚をその場で煮込んで食べたのが、ハラーススープである。鯉をパプリカとともにグツグツ煮て、単純なようで、複雑な味と香りのスープである。もちろん、鯉の状態や種類によっても味は違う。ハンガリーではゼゲドの町のハラーススープが一番だといわれている。このレストランはその味をだしているのである。
 ゆっくりと、ハンガリービールとともに食べた。脳はハラーススープに浸っていた。
 その香りが鼻から消えていくと、私の目の前に茸を焼いているお姉さんの笑顔があった。
 「楽しかった」
 「うん、もういつ死んでもいい」
 「おじいさんいくつ」
 「八十八」
 「そう、じゃ、これお土産にあげる」
 彼女はそういうと、白い小さな茸をくれた。
 「冷蔵庫に入れといて、いつまでも美味しいからね。食べる時はそれをね、ミキサーで小さくしてヨーグルトに入れて食べてもいいし、焼いて食べてもいいし」
 「それで、今のように昔の味がよみがえるのかな」
 「そう、一番おいしかった思い出」
 私はいつのことがよみがえるのか考えてみた。どこで食べたものだろう。
 「でもね、おじいさん、そのまま目が覚めないと思うよ」
 彼女は言った。

 今、その茸は冷蔵庫に入れてある。いつ食べるかまだ決めていない。そのときが待ち遠しい。でも、まだ私も元気である。もう少しは美味しいものを食べたいという欲が残っている。最高の人生になった。
 だが、あれから一度も酉の市に茸焼きの屋台を見かけることはない。
 

(「海茸薬」所収、2017年自費出版 33部 一粒書房)

茸焼

茸焼

茸の奇妙な話

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-03-02

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