Blood Colors 支配者の猟犬

楽園からの追放者

 ふいに教会の扉が開いた。すると、同じように牧師服を着た男たちが大きな木箱をいくつも続けて運びこんできた。青年は煙草を灰皿にこすりつけ木箱に駆け寄る。

「注文されていた「ドラグノフ狙撃銃SVD」30丁、「短機関銃MP5」20丁、「歩兵携行用ミサイルランチャー」10丁、だ。領収書はお前で宛ていいのかキタガワ?」

 キタガワと呼ばれた青年は乱雑に箱の蓋を開け中身を一通り確認すると口の端をゆがめ微かに微笑んだ。「私は名誉ある将兵(グリーンベレー)だった。私は名誉ある合衆国の猟犬だった。私は名誉ある世界結社の戦士だった。」

 どこかの国のどこかの教会。牧師服をまとった初老の牧師は教会の長椅子に煙草をくわえて座る日本人の青年に語りかけていた。

「あれはパキスタン国境付近でのことだ。私は三つの分隊を率いて評議会の工作部隊が潜伏している旧軍事施設に進行した。敵はこちらよりも圧倒的に少なく実力も精鋭部隊生え抜きの私の部下たちの方が上回っていたはずだった。」

 牧師は木製の杖を握っている自身の拳に力を込める。

「通信が途絶えたんだ。ツーマンセルで行動させていた部下たちとの通信が一つ、また一つと。そしてついにすべての部下との通信が途絶えた頃、私はその理由に初めて気づいた。いや、もっと前に気付いていたのに気づかないふりをしていただけなのかもしれない。」

 青年は返答も会釈もすることなくただつまらなさそうに天井を見上げ煙草をふかしていた。

「殺されていたんだ。30人もいた私の部下はすべて。精鋭部隊のエリート兵だった彼らが交戦の跡すら残さずに。私は薄暗い施設の中でその正体を知った。敵はたった一人だった。足元まで丈のある白いコートを着用し、ピエロを模した不気味な仮面をつけた男たった一人だったのだ。」


「…ブラッドカラーか?」

 青年は初めて口を開いた。

「ああ、あれが私が初めて目にしたブラッドカラーだった。私の最後の敵となった

「請求先は世界結社。現金一括払いだ。」

 教会にぞろぞろと軍服を着用しガスマスクで顔を覆った兵士たちが押し掛けてきた。彼らはキタガワが指示したとおりに武器の積まれた木箱を手際よく教会の外に止めてある大型のトレーラーの荷台に運び込んでいく。

「我々、赤十字教会は貴様らブラッドカラーの敵だ。我々、赤十字教会は貴様ら軍人の味方だ。今後もご贔屓願うよ。」

 キタガワは牧師の軽口を戯言と聞き流し、トレーラーの横に止めていた装甲車に乗り込む。

「取引は無事に終了したのかしら?」

 装甲車の後部座席に腰を下ろしたキタガワに声をかけたのは装甲車という重厚な車両に全く似合わない雰囲気の少女だった。

「アーキマン大佐は元気だった?」

「ああ、だがもう軍人としては使い物にならないだろうな。完全に目が死んでいた。まあ、自分の部隊がたった一人の敵に全滅させられたんだ。気持ちはわからないまでもない。」

 ブラッドカラーが使用する異能力「血能(ブラッドアーツ)」はその利便性や脅威力によってA~Dに分類される。Dランク、C ランクの血能は基本的に物理攻撃などの相手に対する加虐は基本的に不可能で大体の能力が敵や物体の探知、自己の回復、一時的肉体強化などに限られる。それに対しBランク、Aランクの血能は完全に対人戦闘に最適な物理攻撃能力がほとんどである。Bランクの血能は主に近接攻撃においてかなりのアドバンテージになるような能力が多く、Aランクの血能は一流の魔術師でも再現不可能な物理攻撃能力、炎や氷などの五元素を用いたものや銃火器や戦車までも瞬時に具現化できるようなものまである。大佐が戦ったピエロマスクの男もおそらくこの類の能力だろう。

 血能にはもう一つランクがある。「Sランク」

 世界結社の文献にも数種しか記載がなく、詳しい情報が欠如しているため詳しいことは軍幹部の者も知らない。人間が観測しうることのできる範囲外の血能。



「一つ追加情報よ。」

 少女が口の端を皮肉にゆがませ不意に発言する。

「評議会の腕利きのエージェントが人体兵器の少女を連れて脱走したらしいわ。はい、これ。トラブルリストの更新情報よ。これを見たらアーキマンは悔しがるでしょうねえ。」

 キタガワは少女から顔写真の添付された報告書を受け取る。

 ビンゴを引いたと思った。写真に写っているのは二十代前半の虚ろな目をした青年だった。

 評議会のブラッドカラーの精鋭で結成された部隊「クロノナンバーズ」。存在しないはずの13番目の時の番人。道化師の面を被った死神。冥府の武器商人。№13。天霧京介。かつてキタガワが所属していた血能者大隊を壊滅させた男。

「こいつは…今どこにいる?」

「船で沖縄に逃げ込んだそうよ。そこからの足取りは一切不明。評議会と世界結社両方を敵に回してるっていうのによくやるわねえ。」

「…東京のケルベロスの連中と合流するのは確か来週だったな?」

「ええ、新任の隊長様に顔合わせできるなんて楽しみねえ?」

 キタガワは内ポケットからシガレットケースを取り出し、薔薇の刻印の入ったライターで紙巻に火をつける。

「予定変更だ。東京に入るのは当日。今から沖縄に向かう。」

 少女は一度ポカンとした顔になったがすぐにまた笑みを浮べ言った。

「久しぶりに火がついたみたいねえ?私まで巻き込まないでよ?無彩限の失楽園?(アンリミテッド・ロストワールド)

魔導書を持つ少女 前編

沖縄 那覇 第一珊瑚ホテル

「いやあ、戦争があってから沖縄に来るお客がすっかり減っちゃいましてねえ。まあ、戦争で観光名所のほとんどが焼け落ちちまいましたからねえ。このホテルもきれいな海のおかげで残ってるようなもんですわ。ところで御二人方は何の用でここへ?随分お若いですがご兄弟ですか?」

ホテルを訪れたのは背の高い若い青年と西洋人形の様な出で立ちの少女だった。青年は受付で用紙に記入しながら支配人の初老の男性に答える。

「いえ、妻です。ここへは新婚旅行へ。まあ、特にあてもなく各地をぐるぐると回ってるだけなんですけど。」

青年は愛想よくそう返し、支配人に記入用紙を渡す。

「笹原陽介さまでいらっしゃいますね?承りました。これが部屋のカギになります。夕方になればお風呂をご用意できますのでお申し付けください。」

支配人からカギを受け取った青年は少女の手と荷物を引き、部屋へと向かっていった。



部屋はどこにでもあるような一般的な内装だった。他と変わったことがあるとすれば窓から見える広大な海の景色。

部屋に入り、ドアのカギを施錠すると青年は何かを確認するように部屋中を確認して回る。ランプの内側、机の引き出し、カーテンの裏地、ベットの下。

「盗聴器の類は仕掛けられていない。念のためにトラップを配置した。お前は使い魔を使って周囲を見張れ、俺は船着き場で船の手配をしてくる。誰が来てもドアを開けるな。分かったな?」


「分かった。」

少女が答えると青年は目を赤色化させ左手に拳銃を出現させる。

「念のためだ。拳銃の訓練は受けているだろ?」

少女はうなずき、青年から拳銃を受け取った。

青年は施錠を解錠し、部屋の外へと足早に歩いて行った。



評議会には国家を動かす力があるとまで言われた精鋭部隊が存在する。

「クロノ・ナンバーズ」

12人のブラッドカラーで構成された最高幹部の腹心である。それぞれがA~Sの高ランクブラッドアーツを有しており、その強大な力で各地で暗躍し、評議会の勢力拡大に貢献してきた。

評議会最強の12人の時の番人。ある時、№1が一人の日本人の少年を連れてきた。少年は金次第でどこにでも従い、どんなことでもやってのけるフリーのブラッドカラー「フリーマン」と呼ばれる便利屋の一人だった。少年は一本の刀と槍のみで評議会の指令支部をいくつも壊滅させ、駆け付けたナンバーズのメンバーたちと2日以上交戦を続けた。少年を拘束して連れ帰った№1はあらゆる情報網を駆使して半月掛けて少年の素性を調べ上げた。

雨霧恭介。それが彼の名前だった。有しているブラッドアーツは文句なしのAランク。自身が存在しているかとを視認したことのある銃火器を自由に複製できる規格外の能力だった。拘束された当時の年齢は16歳。つきとめられたのはそこまでで、それ以前の情報は一切不明だった。

№1は雨霧に提案をした。

「僕の部隊で働かないか?君がそれを呑んでくれるなら対価としてその能力を取り払ってあげよう。」

雨霧は自身の能力を嫌っていた。能力には必ず代償が生じる。一般的には自身の魔力を消費する場合がほとんどだが一部の強大な力を持つブラッドアーツにはそれとは別に代償が発生する。雨霧の場合は「相手に必ずとどめをさす」という代償が生じたのだ。雨霧が命乞いをする相手にいくら情けをかけようとも殺さなければ自身が能力の代償を払えずに死ぬ。そんなジレンマを持ったまま戦い続ける日々の中で雨霧は次第に感情を失って行っていた。

そんな中での№1の提案。

「いつまでだ?俺はいつまで戦い続ければいい?」

№1は「評議会を勝利に導くことができれば君の願いを必ず叶えよう。君を戦いから離れた世界へ逃がしてあげよう。君は殺人鬼じゃない。人々を世界結社の呪縛から解き放つ救世主なんだ。」

こうして生まれたのが存在しないはずの13番目の時の番人、グリムリーパー、№13雨霧恭介だった。


雨霧は順調に評議会に対する功績を上げていった。世界結社の重鎮を何人も暗殺し、主要な部隊をいくつも壊滅させた。評議会こそが正義。俺の力を持って人々を救いに導けたら。雨霧は自分が正義の側にいると思い込んだ。世界結社最強のブラッドカラー部隊「グリフォン」を跡形もなく壊滅させた頃のことだ。

「ついに完成した!少女の体を媒介に第三の魔導書の現界に成功した!」

任務から帰還した雨霧に当時の№9が目を見開き興奮した状態でそれを伝えてきた。

№9はもともと魔術についての研究を先行していた研究員だったらしい。クロノ・ナンバーズに配属され、権限が与えられたことで高度な研究が可能になったと常々喜んでいた。端的に言えば研究の過程で犯罪行為をいくら行おうと咎めるものも裁く者もいなくなった。

雨霧は№9に招かれ彼の研究室に足を踏み入れた。そこで目にしたのはバイタルポッドに入れられた少女だった。

「…この娘は?お前が作った人形か?」

「いいや。これは前回の作戦の際に殺されてた餓鬼だ。使えると思って拾っておいたが正解だった!餓鬼は魔力潤滑度が高い!私が生成したコアをすんなりと受け入れてくれたよ!」

反吐が出そうだった。戦争の過程で生物兵器が生まれるのは必然だ。しかし、雨霧には理解できなかった。少女の亡骸さえも利用するのが救世主だと?馬鹿げている。俺が評議会に望んだのは…俺が革命に望んだのは…。

雨霧の評議会に対する忠誠が薄れると同時に薄れていた雨霧の感情が戻りつつあった。


それからしばらくしてバイタルポッドの少女は目覚めた。つけられた名はブリュンヒルデ。失われた第三の書を内包する生体兵器。

ブリュンヒルデは目覚めた直後から厳しい訓練と実験を繰り返し行わされた。各種銃火器の訓練から高度な魔術術式の発動まであらゆることを。


ある日、雨霧はブリュンヒルデと話した。

「つらくないのか?」

ブリュンヒルデは一瞬きょとんとしたがすぐに気丈な表情に戻った。

「別に。これが私の役割だもの。評議会の生体兵器。命令に従うのは当然でしょ?」

強がっては見せたもののブリュンヒルデはこの先に怯えていた。このままいけば彼女は生体兵器として何百、何千もの人間を殺すことになるだろう。生前の少女の人格と生体兵器としての性の間で彼女は揺れていた。



ある日、雨霧はブリュンヒルデを連れて逃げた。阻もうとした№9と№11を殺害し、ブリュンヒルデと共に姿を消した。


世界結社、評議会の双方に狙われ戦いを繰り返し、そうした辿り着いたのがこの沖縄だった。笹原陽介という偽名を使ったのも中立地帯である沖縄にも刺客が潜り込んでいることを予想してのことだった。

「お前、名前は?」

「ブリュンヒルデってさっきまで呼んでたじゃない。急に何?」

「そうじゃない。お前の本当の名前だ。生体兵器としての名前じゃない。お前はもう兵器じゃない。お前のことを兵器名で呼ぶのは業腹だ。」

「…アリス。アリス・ヘルレイド・ロックフェラー。」



…珍しく余計なことを思い出した。とっとと舟券を入手して戻らないと。

雨霧は埠頭にある小さな旅券屋に訪れた。

「あら珍しいねえ?お客さんかい?」

店の奥から出てきたのはしゃがれた声の老婆だった。

「二日後の中国行きの船の券が欲しいんですけど?」

「中国行き?そっちの娘も一緒かい?」

老婆に言われ雨霧はぎょっとして後ろを振り向いた。そこには部屋で待機するように指示しておいたはずのアリスがどこで入手したのか麦わら帽子をかぶり立っていた。

「この付近の海は波が荒くて結構揺れるんだよ。その娘は絶対酔うよ。悪いことは言わないから飛行機にしな。」


「どうして来た?部屋から出るなと言ったはずだ。」

「ここは大丈夫。てきの気配はない。」

「それを決めるのは俺だ。…その帽子どうしたんだ?」

「ホテルのおじさんに借りた。」

「話したのか?」

雨霧は呆れたように話す。

「いいか?人とかかわりを持てばそれだけ痕跡を残すことになる。信頼できる相手とも限らないんだ。」

アリスはコクリと頷く。

「それ、後で返しておけよ。行くぞ。」

アリスの手を引いた雨霧はホテルへの帰路を歩き始めた。

アリスに人並みの感情が根付き始めている。雨霧はそれを不安に思うと同時に少しうれしく思っていた。このままただの女の子として生きていくことができれば…と。

魔導書を持つ少女 後編

ホテルのエントランスで部屋に戻ろうとしていた雨霧とアリスは布団を吊るした物干しざおを担いだ支配人とすれ違い声をかけられた。

「おかえりなさいませ。どうでしたか海は。」

「ええ、とってもきれいでした。妻も喜んでました。」

「それは良かった。お風呂の準備ができております。お客様が上がるころにはお料理の方をご用意いたしますので。」

それを聞いた雨霧は違和感を覚えた。

「あれ?料理込みでしたっけ?」

支配人はきょとんとした様子で答えた。

「奥様からそう伺っておりますが?」

雨霧はアリスの方に振り向く。アリスは雨霧からサッと目をそらし、バツの悪そうな様子でそわそわとしている。

「頼んだの?」

雨霧からの簡単な問いから「何勝手に余計な行動をしてるんだ?」という心境を読み取ったアリスは「う、うん」と戸惑いぎみに答えた。



……勝手に動きすぎている。沖縄に来てからアリスの様子が明らかにおかしい。行動にここまで積極的ではなかったはずだ。逃走に支障が出る範囲ではないのだが……。慣れない長旅でストレスを感じさせてしまっているのだろうか?

「…飯が用意されるらしいから風呂から上がったら食堂で落ち合おう。」




数十分後、風呂から上がった雨霧はアリスとともに訪れた食堂で思わず目を見開いた。

客は自分たち以外誰もいなかった。つまり二人だけだ。しかし、机の上には宴会でも開くかと思わせるような量の数々の郷土料理が尋常じゃない量で皿に盛りつけられていた。ホテルのシェフと接客女給と支配人がニコニコとこちらを見守っていた。

「お、おい。なんて言って頼んだんだ?」

「…全部十人前。」

雨霧は椅子から転げ落ちた。いや、腰を抜かしたというほうが正しいだろう。

「俺たちは二人なんだぞ?おかしいだろ?」

アリスは用意されていた焼酎の瓶を雨霧の酒枡に傾けながら話す。

「恭介は組織を抜けてからずっと追手の能力者たちと戦ってきた。私が足手まといで危険な状況に陥ったことだって何度もあった。だから…その…今くらいはゆっくり休んで。見張りは使い魔にやらせるから。それにいらないっていうなら別にいわよ。私が食べるから。」


思ってもいなかった。ここ数日の違和感の正体はアリスからの「気遣い」だったのだ。雨霧はアリスにはまだ人間としての感情は完全には根付いていないと思っていたがそれは大きな間違いだった。

雨霧は卓上の料理に食らいついた。好みのジャンクフードとはかけ離れたジャンルの料理だがここ数日ロクに食事をとっていなかったせいか箸が進んだ。アリスも同様に根菜類を箸でつまみ次々に口に運んでいた。

「一ついいか?」

「何?」

「お前浴衣の着方なんて知ってたのか?誰に習った?」

「……ホテルの女給さんに着付けてもらった。」

「……またか。」

雨霧とアリスが珍しく他愛ない話をしている最中だった。

「これと、これと…後これもください。」

雨霧とアリスの後ろの座席にいつの間にかもう一人の女性が座っていた。



……何故だ?いくら食事で気が散漫していたとはいえ素人の人間がここまで接近していれば流石に気配で気付いたはず…。まさか、組織の追手!?

雨霧はその女性に振り向く。おとなしい雰囲気の日本人の女性……。だが、組織の能力者とて屈強な男ばかりではない。それこそ日常に溶け込むような女子供を何人も見てきた。この女も……。

いや、考えすぎだ。いくら評議会とて国連認定中立地帯に能力者を送り込むような真似はしないだろう。


「どうかされましたか?」

雨霧は女性の声で我に返った。 

「す、すみません。おなか一杯になってボーっとしてたみたいで……。」

「そうですか……それにしても結構な量食べるんですね。」

女性は空になった雨霧とアリスの皿を指さして微笑む。雨霧はそれに苦笑いをして返すと満腹になって眠りかかっていたアリスの手を引き、食堂を後にした。


「もう使い魔を退かせろ。お前は休め。見張りは俺がやる。……明日の朝、ここを出発する。」

アリスは頷き、横になろうとして止まった。

「恭介は?」

「俺はいい。寝なくても体力は回復できる。」

フリーマン時代にその手の訓練は散々受けた。三日三晩ターゲットを追い回すようなことも多かったからだ。

「ねえ、私たちはどこに向かうの?」

アリスの突然の問いに雨霧は答えられなかった。中立地帯であるここ沖縄にもおそらく何かしらの調査が回っている。ここを逃れてどこへ向かうのか。可か不可かはともかく、終点は二つしかない。このまま逃げ回り続けて二人とも犬死するか。自分たちを追う者、つまり評議会、世界結社の双方を壊滅させる……。

そんなもの命がいくつあっても足りない。……だが、もとから無かったような命だそんな俺に今生きる意味ができた。アリスを守り抜くんだ。他の誰でもないこの俺が。

「アリス、俺たちの安住の地は俺たちで作る。この逃避行を続けながら、お前を守りながら、俺は行く手を遮るすべての外敵を排除する。だから、俺を信じて着いてきてくれないか?」

「あなたは試験管のなかの私に唯一手を差し伸べてくれた。生体兵器ブリュンヒルデである私に。見ず知らずの少女であるアリスに。だから、私は組織のヒットマンである№13ではなく、私を守ってくれる雨霧恭介を信じるわ。」


その時だった。部屋のドアが勢いよく壊され、ホテル全体の照明がショートした。

「お楽しみ中悪いがちょっといいかな13番目?」

玄関に立っていたのは食堂で合った日本人の女性だった。

「何者だ?」

雨霧は即座に目を赤色化させ、出現させたライフルを構える。

「今更こんな格好しても無駄か。ったく…グリフォンの連中を始末した奴って聞いてたからわざわざ能力一個消費したってのにまさかこんな腑抜けた奴だとはな。」

女性が目を赤色化させるとそのおとなし気な外見が崩れ去り、本来の男性の姿に戻った。

「その命もらい受けるぞグリムリーパー。」

右手に着けた黒い皮手袋、口にくわえた致死性の高い葉巻。世界結社のSランクブラッドカラー「キタガワ・タツキ」

「アリス、窓から脱出しろ。後で追いつく。」

「恭介は?」

「おそらく進行してきているのはこいつ一人じゃない。こいつらをある程度削っていく。」

アリスは承諾するとベランダに向かってベットの上から飛び出す。

「逃がすかよお嬢ちゃん!」

キタガワは飛び出したアリスに懐から取り出したナイフを投げつける。しかしそのナイフがアリスに到達する以前に恭介がライフルでそれを打ち落とした。その甲斐あってかアリスはベランダの塀から外へ離脱できた。

「中々扱いに長けてるな。」

無駄口を叩くキタガワに渙発いれずにライフルのトリガーを引く。しかし、弾丸は一発もキタガワに当たることなく目の前の空間で制止する。これも奴の能力なのか?

「俺の能力はライブラリーだ。左手で触れた相手の能力をかすめ取り、それを使用できる。まあ、使ったら消えるインスタントアーツなんだけどな。ってことで手っ取り早く倒させてもらう。」

そう言うとキタガワは右手の皮手袋を外し、雨霧に向かって接近する。雨霧は接近してくるキタガワに射撃を行うがそれを最小限の動きで回避し、その右手を雨霧に突き出す。

攻撃の速度は中々早いがこれまで戦ってきた敵に比べれば速度はやや劣る。受け流してカウンターを……。いや、おかしい。この右手何か……。

雨霧は受け流しを中断し、後方に転がり右手を回避する。そうしてキタガワに再び射撃を繰り返した後、即座に閃光手榴弾を出現させ起爆させた。

視界を回復させたキタガワが部屋を見渡すとすでに雨霧の姿はなくなっていた。



俺が視界を閉ざしている状況でも敵を感知できると踏んであえて反撃せずに分の悪い狭い空間を離脱したのか?それとも俺がひそかにこの部屋に張り巡らせた時限トラップに気付いていたのか?

これは長丁場になりそうだな。

……俺だ。グリムリーパーが部屋を離脱した。総員戦闘準備。敵を発見次第一斉掃射をかけろ。



ホテルに配置されていたのはガスマスクで顔を覆った兵隊たちだった。一般の兵士に比べれば確かに腕は立つがあのキタガワという男に比べればただの障害物でしかなかった。


兵士を倒しながら雨霧はホテルの地下ボイラーから旧地下トンネルに移動していた。

「思ったよりも早かったな。」

雨霧は足を止めた。ホテルから相当な距離を走ったというのに撒いたはずのキタガワが先回りしていた。しかし、今度はキタガワ単独ではなく屈強な大男を二人連れての登場だった。
雨霧は二人の大男に射撃を行う。しかし、弾丸は着弾するものの全く聞いていない様子だった。

「こいつはゴーレムだ。コンクリート製だから銃弾は効かねえぞ。まあ、こんなとこでミサイルでもかまそうもんなら崩落しちまうぞ。」

2体のゴーレムがじりじりと雨霧に向かって歩いていく。雨霧はライフル銃を放り投げた。

「仕方ない。一気に片をつけてやる。」

雨霧は目を赤色化させ自身の放出可能な魔力をすべて放出する。

「へえ、まだ隠し玉があったとは。」

禍々しい鎖が無数に出現し、雨霧の体を包んでゆく。鎖は色を纏い次第に黒い外套に変化し、顔にはピエロを模した白い装着されている。

「虚無魔装…。マジか、神話級魔術だぞこりゃ。」

雨霧に向かって2体のゴーレムが拳を振り上げたがその拳が下に振り下ろされる前に斬撃を加えられ無残に崩れ果てた。



……これならばこの男を倒してアリスに合流できる。魔装を維持していられるのはいまの俺の状態なら後5分。やはり本体の黒刀がない状態ではこの程度しか……。


雨霧の不安を見透かしたこのようにキタガワは再び目を赤色化する。その瞬間、何かを察し雨霧は距離をとろうと後方に飛び上がったが少し遅かった。雨霧は突如として地面に叩きつけられ、地面から身動きできなくなる。

「重力…操作……。」

「ご名答。貴重な能力だから取っておきたかったんだけどな。まあ、あんたを殺せるなら妥当だろ。」

身動きできない雨霧に銃を持ったキタガワが近づき、拳銃を構える。

「good-byeグリムリーパー。」

キタガワが引き金を引こうとしたその時だった。

「何故……?」

キタガワが銃口を自身の額に突き付けていた。

「クッソ!まあいい。聞け、グリムリーパー。今回はお前の勝ちだがお前の戦いは一生終わらない。永遠に円舞曲を踊り続けろ。じゃあな死神また会おう

それを言い終えるとキタガワは自らの額を拳銃で打ち抜き絶命した。

「大丈夫?恭介?」

立ち上がった雨霧のもとに駆け付けたのは窓から脱出したはずのアリスだった。

「お前がやったのか?」

「うん。これでも私は第三の書を内包しているから。でもあいつきっと生きてる。もうさっきの死体が消えてる。」

アリスに言われてみてみるとキタガワの死体は砂になって消えていた。

「ありがとう。助かった。でもお前どうやって。」

「窓から脱出した後、迂回して恭介の後を追いかけたの。敵は皆倒してくれると思ってたから。」

「無茶もお互い控えないとな。」

二人が去って1週間後、沖縄は国連厳重管轄地域に認定され人は誰一人立ち入れなくなった。

動き出す猟犬 ①

「やあ、黒鐘君。君はいつも俺を待たせるなあ。おかげで待ちくたびれちまって先にギルバート卿のとこについちまったよ。多分これを読んでるってことは秋葉ちゃんと一緒に茶会の行われるこの千年城にたどり着いたということだと思う。はっきり言って篠森航平とギルバート卿のシンクロ率はほぼ100%だ。秋葉ちゃんの反魂を持ってしたところでギルバート卿から篠森航平の引き離しに成功する確率は30%ってとこだと思う。君たちが思っている以上にギルバートの力は強大だ。篠森航平を引き離すことができるとするならば、ギルバート卿の魔力を空っぽにするしか手はない。もちろん容易なことではない。先にギルバート卿と対峙し、深手を負わせたところで体の破裂寸前まで魔力を引き出さなければならない。黒鐘君。俺は俺と秋葉ちゃんは成り行きで君を大陸横断に付き合わせちゃったけど、正直俺は後悔してるんだぜ?一般人の側でいられた君を無理やり魔術師の世界に引きずり込んじまったことを。ここから先は強制できない。いままで君たちがどんなピンチに陥っても助けてあげられた。なんてったって俺は最強だからね。でもそれは余裕があったからだ。喰種の大群に追われた時もベアトリーチェに襲撃された時も悪いけど俺には余裕があった。でも今回は違う。だから君たち二人を置いて一人で来たんだ。今から無彩限の失楽園と静寂の11人とともに最後の特攻をかけるつもりだけど多分無駄に終わると思う。でも黒鐘君。君はここで降りてもいいんだって言いたいところだけど、黒鐘君。目の前の女の子だけは救ってあげるべきだと思う。いざというときは秋葉ちゃんを気絶させてでも助けてやってくれ。君の親愛なる親友 雨霧真廣より。

 ところで十手先の未来が見える黒鐘君は秋葉ちゃんに思いの丈を伝えられたのかな?」





 この部隊に赴任してから三か月がたった。部隊員は四人。赴任以降秘書としてサポートしてくれている 浅上葵。浅上と同い年にして各種兵器の取り扱いを完ぺきにこなす再生能力者の女学生である牧野多々良。牧野とおなじ軍事学園出身の筋肉質なテレポート能力者である波多野秀太。かつてはCIAに在籍していたという異例の経歴を持つケルベロスの作戦立案役兼対人戦闘のプロである分身能力者の初老の男性、甘利源次。

 俺は理解した。先の隊長たちが次々に消えた理由を。任務自体は過酷で危険な任務が多いがこれはまあ、慣れている。一番の問題は己の必要性を見いだせないことだ。

 戦闘になれば牧野と波多野が敵陣に乗り込み、残党を通信使でもある浅上の指令の元、甘利の分身がそれを殲滅する。.............俺っているのか?


「隊長、ヘルレイド大佐からの招集命令です。」


 執務室で無心にデスクワークを処理していた俺のもとに浅上はその知らせを運んできた。

「招集命令?でも俺のデバイスには何の任務命令も下ってないけど?」

「緊急任務の場合、任務伝達内容自体が極秘の場合が多いのでそういった場合は大佐からの使いが直接秘書である私のもとに来るようになっています。」

 どうも釈然としないが気にしないでおこう。無表情で待機している浅上が不憫に思えてきた俺はデスクワークを中断し、浅上とともに大佐のもとへ向かうことにした。



「やあ、篠森君。随分と遅かったじゃないか。皆もう来てるよ。」


 木製の大きなドアを開けると銀縁の眼鏡を掛けた薄面の白人男性が手を振っていた。 

 ジェラルド・ヘルレイド大佐。イギリス空挺部隊S.A.S出身のエリートソルジャー。ここに配属された直後に様々なデータベースを用いて彼の情報を模索したが俺クラスの階級の軍人に閲覧を許可されていたのはこれらの情報のみで他の情報は横田基地に古くから在住しているものも一切知らなかった。

 他にも四十過ぎのはずなのに若者と容姿が変わらないことや配属直後に大佐にまで昇格したなど、何かにつけて胡散臭い男だ。



「それでどうしたんですか大佐?緊急要請だとか何とか……。」


 ヘルレイド大佐は引き出しから長い木製のキセルを取り出し、先端に火をつけると伏し目がちに話し始めた。

「二日前の未明、中立地帯ロシア ウラジオストク内の第二原子力発電所が評議会の特殊部隊に占拠されたと評議会に潜伏中の工作員から情報が入った。世界結社上層部は国連に恩を売るために本来なら結社の立ち入りが制限されている中立地帯であるロシアに隠密部隊を送り込んで評議会側の戦力を殲滅、発電所を開放させたいそうだ。そこで白羽の矢が立ったのが軍幹部しか存在を知らないブラッドカラー部隊の一つであるケルベロス、君たちというわけだ。何か質問は?」

 何か質問は?だと?

 無茶すぎる。これまでもいくらか無茶な任務はこなしてきた。だが、今回は規模が大きすぎる。

 大抵このようにテロリストが厳重施設に立て篭もっている場合、敵の勢力以上の人数で攻め落とすのが定石とされているのにもかかわらず、俺を含め5人しかいないこの部隊で作戦を展開しろというのだ。さらに今回評議会の部隊が立て篭もっているのは原子力発電所。例え、運よく敵の数を減らすことに成功したとしてももし弾丸が原子力プールの外壁に傷をつければ最悪の場合、放射能汚染によって町が一つ消える。


「ちょっと待ってください!いくら何でも今回はこの部隊だけじゃ遂行不可能です。せめて空挺部隊の支援がないとさすがに無茶だ!」


「だーかーらーこれは極秘任務なんだよ?正式に政府の要請のいる空挺部隊は動かせないよ。」

 この男、俺たちを捨て駒に使うつもりか?

 思わず拳に力が入った。いや、俺は決めたんじゃなかったのか?どんなことがあっても人の役にたてるなら捨て駒になっても構わないと。


「大佐?一つ質問いいですかね?」

 沈黙を切り、発言したのは女学生らしいあどけない表情の牧野だった。

「どうしたの多々良ちゃん?」

 牧野は優しい笑みを浮べ、はっきりとした口調で話し始めた。

「今回占拠されているのは原子力発電所なんですよね?それじゃやっぱり私たちだけでは人員が不足してると思います。あ、別に援軍が欲しいとかではないんですけど万が一、内部の機器が損傷してメルトダウンなんてことになったら私たちじゃ層にもできないし、敵も特殊部隊なら密閉空間を生かしたガス攻撃を仕掛けてくるかもしれないですよね?なので1名でいいのでそういった理工学のエキスパートを同行させてはもらえませんか?」

 17才の少女とは思えないほど牧野は冷静に答弁した。他の3人も至って冷静だった。自分が恥ずかしくなった。若くして中尉になったことで俺は浮かれていたんだ。戦場とはこんなものだと。俺は兵士としての入り口にすら立てていなかった。

「どんな状況でも冷静さを失わず、合理的に行動しろ。」

 教官の言葉が脳裏によぎった。


「オーケイ。それならうってつけの奴が確かフリーマンリストにいたはずだ。現地に手配しておくよ。援軍も専門家を一人向かわせるよ。これでいいかな?篠森隊長?」


「はい。助力に感謝します。」


「オーライ。早速だけど明日の早朝、一般の航空便でロシアに向かってもらう。君たちの武器などの持ち込みに規制のある物品は直接現地に届けさせる。具体的な作戦内容は隊長に一任するよ。」



 篠森が提案した作戦は以下の通りだった。

 ドーム状になっている原子力発電所の地形を生かしたステルスミッション。ドーム上部には作業員が出入りするためのハッチがいくつか設けられているためここから篠森、牧野、協力者の3人が、周辺の廃棄工場とつながっている地下通路から浅上、波多野、甘利の3人がそれぞれ敵を暗殺しながら最深部である核保管プールを目指し、施設を開放する作戦となった。


「浅上、すまない。戦闘員でもないお前をこうやって前線に送り込むことになってしまって。」

 篠森の謝罪に口を挟むように波多野が発言した。

「何言ってんだ隊長?葵こそこの任務に一番うってつけなんだぜ?」

 篠森はいまいち意味が理解できなかった。これまで秘書や通信使としてのサポート役だったこの小柄な少女が最も暗殺に向いている?

 篠森は浅上に振り向く。そして思わずギョッとした。無表情なのはいつものことだったが何より驚いたのはその目だった。そこにはいつものおとなしい少女の目ではなく、獲物を眼前に捉えたかのような見開かれた乾いた目が顕現していた。


「隊長、葵の専門分野は暗殺なんですよ。」

 甘利は砥石でナイフを研ぎながら続けた。


「葵の実家である浅上家は江戸幕府の頃より将軍に仕える闇の集団、忍の一家なんですよ。おそらく対人戦闘ならこの中で一番秀でていると思いますよ。」


「そ、それならなんでこれまで通信使で甘んじていたんだ?」


 浅上は少し伏し目がちに答えた。

「使いたくなかったんです。私の力は皆さんのように信念をもとに手に入れた力ではありません。人を殺す機械になりきるために手に入れた嫌悪の力なんです。ですからこれまでの少し余裕のある任務では裏方として皆さんを支えてきました。ですが、この殺人鬼としての私を必要としてくれるならば私は喜んで人を殺します。」

「殺人鬼」16歳の少女が自身をそう自称したことに篠森は声を失った。いや、かける言葉が見つからなかったのだ。



「まあまあ、隊長。そう深く考えないで上げてください。葵ちゃんは戦闘面においてはともかく普段はこんなに可愛いただの女の子なんですから。」

 重い空気を頓挫させるように牧野は陽気に浅上に抱き着いた。牧野はたびたびこの部隊の清涼剤になってくれる。篠森は牧野のそういった性格に感謝を感じていた。


「よし!これで作戦会議は終了とする。皆何よりも自身の生存を優先してくれ。これは俺の昔からの持論なんだが生き延びることを優先すればとりあえず何とかなる。」

 篠森の小言に皆クスッと笑った。それが心からの笑みか嘲笑かはわからなかったがこの部隊にきて3か月初めて部隊が一丸になった気がした。

動き出す猟犬②

「ねぇ!ねぇってばぁ!」

「うるせぇ!いま機嫌が悪いんだよ!理不尽にリタイヤさせられた挙句、一度日本まで向かったのにロシアまでこいだと!?本部は俺を過労死させる気か!?さらには空港で協力者を拾ってこいだと!?うびばああああああああああ!!」

 日本 東京 羽田空港

 キタガワとその付き添いである銀髪の少女 エリス・ヘルレイド・ロックフェラーはケルベロスとのウラジオストク原子力発電所開放作戦に合同で参加することになり、その協力者である世界結社の顧問学者を回収してケルベロスと合流するように命じられていた。

 キタガワは先の雨霧との戦闘、結社の理不尽な要求に半グレ状態に陥っており、涙目になるまで必死に何かを訴えるエリスをものともせず学者との合流地点である搭乗待機所に向かっていた。

「ねぇ!私、いつものドレスが着たいのに何でこっちの国の小学生の制服なのよぉ!私もう14なのよぉ!?それに御飯はどうするのよぉ!昨日の晩から何も食べてないじゃない!私、機内食だけなんて絶対に嫌よ!」


「いい加減にしろ!昨日の晩からって......今深夜2時だぞ!?4時間前に俺の財布が空になるまでカニ食ってただろ!機内食まで我慢しろ!それにこんなとこでドレスなんて着てうろついてたら怪しまれるだろ!はたから見れば8歳児同然のお前にはそれがお似合いだよ!バーカ!」


「そ、そこまで言うことないでしょぉ!?雨霧に後れを取ってイラつくのはいいけど私に八つ当たりしないでよぉ!」

 キタガワの大人げない煽りを食らったエリスはいつもの小馬鹿にする優雅な態度の面影が見られないくらい顔を真っ赤にし、半泣きでそれに応戦する。


「…ったく。触媒をベルゼブブにしたのは完全に失敗だったな。……わかったよ空港内のレストランで何か食わしてやるから頼むからおとなしくしてろ。」



 折れたのは失敗だったと、キタガワは思った。二人が訪れたのは空港内にあるチェーン経営の焼き肉屋。3,000円で食べ放題ということもあり、これで何とかなるだろうと踏んでいたところ不幸な人間を生み出してしまった。

「オーナーさん.......すいません。」

 エリスは初めの10分程度で3,000円の元を取る量の肉を食い漁り、次の10分で店内の副菜類全て、最後の10分で10人前の牛肉を食らった挙句、店内のドリンクバーの中身を空にした。

「んーなんだか物足りない気はするけどまあこれくらいで勘弁してあげるわぁ。」

「カービィかてめえは!オーナーさんの顔を見ろ!ゾンビみたいになってたぞ!」

 キタガワはエリスに吠えるがエリスはそれをものともせず満足げにドリンクをストローですすっていた。

「ところでぇ……ロシアに何しに行くおのぉ?ロシアって確か中立地帯でしょ?世界結社のワンちゃんのあなたが行ってどうするつもり?」

 エリスはストローを加えたまま、ふてぶてしくキタガワに問う。

 軍の機密事項のため本来ならこんなところで任務内容を口にするのは許されないが、軍人としてのプライドが全くないキタガワは卓上のキムチを口に運びながらぺらぺらと話し始めた。

「評議会の連中がミスリードを起したんだよ。ロシアの原子力発電所を占拠しやがった。世界結社のお偉方はマスコミからの誹謗中傷を避けつつ、国連の上層部である元老院に恩を売るために極秘裏に特殊部隊を送り込んで向こうの戦力を殲滅させたいんだと。んでその援護として派遣されたのが俺と回収するもう一人ってことだ。……だが何で奴らは原子力発電所を狙ったんだ?たしかに攻めずらい個所ではあるが評議会にしてみれば目立つだけでメリットなんてないはずだ。有力な人質なら領事館や大使館、金が目当てなら国際銀行にすりゃいいし…。」


「……あら、私は分かったわよぉ。評議会の思惑。」

「はぁ?ガキが生言ってんじゃねえよ。この事態は各国の首脳陣が頭抱えてだな……。」


 エリスは唇の端を歪め、出来の悪い生徒を説き伏せるように言い放った。


「評議会の目的は原子力じゃなくてその施設。私よく知らないけど原子力を扱うためには膨大な電力が必要なんでしょぉ?ってことは施設の発電装置は相当なモノのハズ……。前に教えてあげたでしょぉ?膨大な電力変換構造「ウォーデンクリフ」を使って魔術結晶であるスフィアから膨大な魔力を引き出そうとした魔術師の話。あれぇ?名前なんだっけ?確かギル……。」



 キタガワは今の話を聞き、その先も含めて思い出した。

 19世紀の人類最後の正統な魔術の後継者。奇跡の魔術師ギルバート・アルハザード。交流電流を発見した発明家二コラ・テスラに影から技術と知識を提供し、自身の魔力をスフィアと呼ばれる魔術結晶を用いて増大させるために電力送電機構統治施設ウォーデンクリフを建設させた彼はその行為を魔術師の裁判機構「茶会」によって裁かれ、最後には黄金の魔女ベアトリーチェによって処刑された。その後ベアトリーチェの使い達はギルバートの痕跡をこの世から完全に抹消するために彼が使用しようとしたスフィアを探索したが200年たった今でもそれは発見されていない。


 ……評議会はスフィアを握っている?


「お嬢ちゃん興味深い話してるね私にも聞かせてよ。」


 突然の第三者の声にキタガワとエリスは一瞬顔を見合わせ、声の主に振り向く。
 そこに立っていたのは軍事学園制定のセーラー服の上から白衣を纏った黒髪の少女だった。一見整った顔をしているがその黒い瞳は綺麗というよりは何もない、空虚な感じだった。


 あれ、こんな印象つい最近どこかで?


「黒手袋の男と碧眼の少女…。私のお迎えってあなた達だよね?」

「誰だあんた?」

 キタガワの問いに少女が答えようとしたその時だった。グゥーという腹からの濁音が鳴り響いた。

「あ、あははは。ごめんお腹すいちゃって……私も焼き肉を……。」

「ごめんねぇ。私たちはもうラストオーダー過ぎちゃったからもう頼めないのよぉ。」

 お嬢ちゃん扱いされたのが相当気に障ったらしく、エリスがやけに挑発的に対応する。

「じ、じゃあ自腹で………あ、300円しかない。」


「あー!いちいちひもじいんだよ!わかったよ!焼き肉はもう無理だがなんか他のトコ連れてってやるよ!もう何なんだよ!いったい誰なんだよ!何者なんだよ!分ったよ!連れてきゃいいんだろ!何食いたいんだよ!行ってみろおおおおおおお!」

 激情するキタガワに名も知らぬ少女は短く答えた。

「じゃあ、そこのマルコナルドで。」

 少女が指さしたのは向かいにある大手のジャンクフードショップだった。




 何故俺は食費で財布を空にしてるんだろうか?

 恐らく軍関係者であろう名も知らない少女にLセットを奢らされた挙句、焼き肉屋で散々食い散らかしたエリスにチキンナゲット30ピースを4セットも奢らされたからだ。


「あんた…。食いたいもん聞かれてマルコナルドって……。」

「あははは。私どんな高級料理よりもジャンクフードの方が好きなんだよね。なんか安心して食えるっていうか。」

「健康には良くなさそうだけど案外悪くないわねぇ。」


 冷静に戻ったキタガワは改めて少女に問い投げかけた。

「あんたが世界結社の顧問学者か?その年齢だととてもそうは思えんが…。」

「合ってますよー。私が派遣されてきた世界結社の顧問学者。確かコードネームはドーパントだった。」


 結社からの情報通り、本名の前にコードを名乗るのが決められた符丁になっている。情報漏洩防止のためコード以下の情報は事前には知らされないことになっている。

「一応名前を聞かせてくれ。年齢もな。」


 少女はフライドポテトを口に放りこむ手を止め、静かに口を開いた。

「雨霧夜露。歳は満17歳。」

 雨…霧…だと?

 雨霧夜露と名乗った少女を初めて見たときに覚えた既見感の正体をキタガワは察した。

「いい兵士みたいだねあなた。でもその殺気はまずいと思うよ。訓練を受けた者ならすぐに感づく。」

 キタガワが目を赤色化させた瞬間に夜露がキタガワの首元に医療用のメスを突き付け、静止させる。

「あら、これ以上説法を説くようならその生白い首飛ばしちゃうわよぉ?」

 エリスが左腕を一瞬で大鎌に変形させ夜露の首元に添える。


 空気が緊迫する。誰一人動かない。動けない。

「私の愚兄が迷惑かけたみたいだね。でも私に八つ当たりするのはお門違いなんじゃないかな?無彩限の失楽園?」

「なるほど。下調べはついてるってことか。」

 夜露がメスを下ろし、それに合わせて二人も手を引く。

「改めて。こんにちは無彩限の失楽園と人工ドール。私は雨霧夜露。世界結社の顧問理工学者。雨霧家大三女。先日あなた達と対峙したのは長男恭介。私はその4つ違いの末妹ってことになるね。よろしく。」

動き出す猟犬③

 ロシア ウラジオストク 最北端の街アルフォンス


「30分オーバーだ。相変わらず時間にルーズだな。」

 極寒の冬の街に似つかわしくない半袖シャツにハーフパンツの男は水車小屋に面した木製の橋から歩いてきた細見長身の日本人に軽口を叩いた。

「久しぶりだなブラッド。急遽の呼び出しだったんだから30分くらいのロスは勘弁してもらいたいもんだね。」

 日本人の青年は長い前髪の隙間から真っ黒な瞳を歪め笑って見せる。青年の肌は人肌とは思えないほど白く、北欧出身のブラッドよりも白いほどだった。

「相変わらず病弱だそうだな真廣。仕事中に病死って展開だけは勘弁してくれよ?ほら、今回の資料だ。」

 真廣と呼ばれた青年はブラッドから今回の仕事に関する分厚い資料を受け取った。

「世界結社のバックアップねえ…。あれ?あんた確か評議会の人間じゃなかったっけ?」

「色々と事情はあるもんだ。無粋だぞ。」

「へいへい。…………なるほど、ケルベロスより先に最深部にたどり着いてスフィアを破壊しろってことね。でもなんでだ?これだけの任務ならフリーマンリストに他にも安くて適当な奴がいたはずだ。」

 真廣の無頓着な問いにブラッドは致死性の高い葉巻に火をつけながら答えた。

「俺もお前との付き合いは長い。せっかくだし兄妹の盃にお前も混ぜてやろうと思ってな。世界結社はケルベロスに理工学のエキスパートであるお前の妹 雨霧夜露を従軍させている。それに加えてスフィアを狙う盗賊集団に紛れて評議会からドールを連れて逃亡したお前の兄 雨霧恭介もロシア入りしている。そんな中お前だけ除け者ってのもかわいそうだろ?」


「ったくあの馬鹿兄貴は何やってんだ?ロリコンが災いして世界結社と評議会の両方を敵に回すとは…。それに比べて夜露ちゃんは優秀だなあ……。運が良ければ仕事ついでに兄貴をぶっ殺せるかもな。意外と気が利くじゃねえか。恩に着る。」

「それで仕事ついでと言っては何なんだがケルベロスの進行を容易にするために盗賊団と現地のゲリラが潜伏している連絡棟ビル内に入って連中を殲滅しておいてもらいたいんだが……。」

「ああ、そのことなら織り込み済みだ。」

 真廣はそう言うと右手を上に向け、パチンと指先を鳴らした。直後、連絡棟のある方向で轟音が鳴り響いた。

「ちょ!?何やったんだ!?」

 連絡棟は轟音と共に崩れ落ち、巨大な爆炎を形成した。キノコ雲を形成した直後、驚くことに桜が降り始めた。何の比喩でもない。正真正銘、実態を持った桜である。


卒業式の桜(ジ・エンド・ブロッサム)。いい能力だろ?」




 あれ?何で川に浸かってるんだっけ?

 俺は思い出した。合流した増援部隊のグリフォンの隊長キタガワに投げ飛ばされたんだ。

「なんの警戒もなしに握手を求めるとはな。日本きってのブラッドカラー部隊の隊長が聞いて呆れる。」


 篠森は凍える手を甘利と波多野に握られ冬の川から何とか這い出た。急激な体温低下のせいか掌が動かない。

「これこれ。早く温めないととうしょうになっちゃうよー。」

「わ、悪いな。ところであんたは?」

 白衣を着た少女は手際よく篠森の手を温めながらついでのように答えた。

「雨霧夜露。そこにいる波多野と牧野とは同期の軍事学生。まあ理工学に関して海外の大学で専攻した経験があるから今回の任務に専門家として同行したってわけ。まあよろしくね隊長さん。」


 色々と問題は生じたがとりあえず現地入りと武器、資材の搬入は完了した。予定通り作戦展開を…。

 その時だった。篠森たちの後方からすさまじい爆音が鳴り響いた。爆炎は篠森たちの位置からでも視認できるほど巨大でそれと同時に広範囲にわたって桜が降り注いだ。


「エリス、これって。」

「あらタツキ、察しがつくようになったじゃない。リーサル・エフェクト。Aランクブラッドアーツに付与されるエフェクト。膨大な魔力を有するブラッドアーツのみがそれを発する。これだけ広範囲の鮮明な桜、それに実体までもたせるなんて相当優秀なブラッドカラーが潜伏してるみたいねぇ。敵じゃないことを祈りたいものだわぁ。」


「隊長、どうしますか?このまま目的地で作戦展開を開始するか倒壊した建物の調査に向かうか。」


「人数は全員で8人、じゃあこのメンバーを3班に分けて……。」


「おい、お遊戯会のつもりか?調査はどう考えても本陣に攻めるより難易度が相当低い、戦闘力から見て隊長、あんたと雨霧の両名が妥当だろ。本陣には俺とエリスのα、残り4人のβで攻め込む。あんたらΣチームは調査を終えた後に地下ルートから合流しろ。」


「ちょ、あんた何勝手に……。」


「まあまあ隊長、とりあえずこれで作戦を開始しましょうよそっちの調査は頼みますね。」


 篠森はキタガワのオーダーに異議を唱えようとしたが牧野にそれをいなされ、丸め込まれた。

「わ、分かった。じゃあこれで作戦開始だ。各員、生存を第一に考えろ。」

 篠森の腑抜けきった号令とともにそれぞれが目的地に向かって移動を始めた。

「さてと、じゃあ隊長さん私たちも行きましょうか。」

「あ、ああ。」


 納得いかない事象と焦る気持ちを抑え、篠森も反対方向へと歩き始めた。自分たち以外にもブラッドカラーそれもAランク以上の腕利きがこのウラジオストクに潜伏している。悔しいが他の部隊員に比べて腕がたたないのは事実。せめて調査を手早く終えてバックアップにつかないと……。


「まあまあそう落胆することないよ。あっちも高難度だけどこっちも相当なもんだと思うよ。そう思ってのこの采配でしょ。」

「どういうことだ?確かにAランクのブラッドカラーが潜伏しているのは明らかだが光学迷彩を用いて不可視化できるこちら側の方が圧倒的に有利だと思うが?」


 今回の任務にあたって篠森たちケルベロス部隊にはイギリスの研究所で開発された人体を不可視化させる特殊光学迷彩が支給されている。この光学迷彩は装備している対象の衣類や装着物などを認識して装備ごと不可視化させる。篠森たちが互いに装着している特殊併行コンタクトレンズをつけている間こそ互いを視認できるが特殊レンズを装備していない人間からは完全に不可視化され、赤外線スコープでも装備していない限りまず発見されない。


「どうやらAランク以上のブラッドカラーと戦うのは初めてみたいだね。じゃあ教えといてあげる。単独で任務を任せられるAランク以上のブラッドカラーを相手どった場合、こんなおもちゃはまず通用しない。」

 夜露は腰に装着していた光学迷彩を取り外すとそれを地面に放り、勢いよく踏みつぶしてしまった。

「光学迷彩は音までは消せない。足音、呼吸音、銃の引き金に指を掛けた時の微かな金具の音、兵隊はあらゆる音を常に発している。それだけ音が聞ければ向こうからすれば十分。自分の能力で周囲に攻撃を繰り出しちゃえばいいんだから。特に今回の奴はドでかい連絡棟ビルを爆破できる爆破能力を持ってる。そうなっちゃえば周囲ごと爆破されてゲームエンド、そうなるよりかはまともな対人戦闘にもちこむ方が有利でしょ?」

「だが一般兵はどうする?連中は多人数で銃で武装している。少なくとも壊す必要はなかったはずだ。」


「その点もメリットがあるよ。この装備は質量5㎏前後、動きが通常時よりも落ちる。私、10歳くらいまではフリーマンリストの上位にのるくらい優秀な殺し屋だったからさ銃で武装した程度の一般兵ごときに遅れは取らないんだよね。ほら、おしゃべりしている間についちゃったよ。」

 篠森と夜露がたどり着いたのはビルのがれきと盗賊の死体が散乱する火災現場だった。塵の放つ焦げた匂いと死体の放つ生々しい臭いのせいでむせ返りそうになる。篠森自身、軍人になって修羅場をいくつもくぐってきたが何度体験してもこの臭いだけは慣れない。訓練兵時代に死んだ仲間の遺体を回収する際に嗅いだ臭いを思い出しているからなのだろうか。

 周囲を捜索していた篠森はある違和感に気付いた。雪の上に真新しい足跡があったのだ。篠森と夜露が歩いてきた方向とは別の方向に。足跡は瓦礫の山の直前で途切れており、最後の足跡は不自然なくらい深かった。その足跡を見た篠森はとっさの判断で後ろに飛びのいた。何か明確な理由があったわけではない。篠森の兵士としての勘が彼をそうさせた。その勘のおかげで篠森は命を救われた。篠森が飛びのいた直後、瓦礫の山からピエロの仮面をつけた男が刃物を突き立てて飛び降りてきたのだ。篠森自身はとっさに回避したため無傷だったが、その一瞬の攻防の中で仮面の男は光学迷彩のみを奇妙な形状のナイフでそぎ落としたのだ。

「何者だ!刃物を捨てて両手を頭の後ろで組め!」

 篠森は手際よくライフルのセーフティロックを外し、仮面の男に牽制をかける。しかし、仮面の男はそれをモノともせずに篠森に接近を図った。篠森は仮面の男の上腕部、脚部などの急所から離れた部分にバースト射撃を行うが仮面の男はそれを素早く回避し、篠森にナイフを突き立てる。

「隊長さん!そのナイフはナノ合金製の殺鉄ナイフだ!受け流しは不可能だよ!」

 夜露の指示と同時にそのナイフを避けた篠森は即座に腰のホルスターから小口径のハンドガンを取り出し、仮面の男に掃射すると仮面の男は致命点に対する銃弾のみを目でも追えない速度でナイフを動かし、跳ねのけた。


 空気が張り詰まる。この男相手に隙は一瞬たりとも見せられない。今の一瞬の間に銃身を切り刻まれたライフルを溝に放り、腰に装備したコンバットナイフを引き抜く。そんな時だった。

「夜露ちゃん?」

 仮面の男が素っ頓狂日本語を話し、突如夜露の名を呼んだ。

「やっぱりだ!おっす夜露ちゃん元気してたか?」

 夜露は首をかしげる。それもその通りだ。仮面をつけた上に全身黒づくめ。人物を特定できるほうがおかしい。

「ああ、そうか。仮面付けたままだった。」


 男は仮面を脱ぎ捨てた。夜露と同じ色の白く整った顔立ち、それに相反する虚ろな黒い目。

「え、何で兄さんがここにいんの?」


「に、兄さん!?」

 篠森も素っ頓狂な声を上げて驚く。

「なあんだ。夜露ちゃんがいるってことはあんたが世界結社の工作員か。久しぶりに骨のある相手を見つけたと思ったんだがなあ。」


「お、おい雨霧。こいつは一体。」


「この人は私の兄 雨霧真廣。Aランクブラッドカラーでフリーマンリストのバウンティランカー、つまり賞金首。で、なんでここにいんのよ!」


「世界結社に雇われてねえ。ケルベロス部隊の護衛及び敵戦力の撃滅。」

「このビルも兄さんの仕業?」

「ああ、このビルは墓荒しを生業とする盗賊団が根城にしててね、厄介な芽は詰めとの上からのお達しだ。」

 真廣はそう言うと崩落したビルの方向へと足を運び始める。

「おい、どこへ行くつもりだ。」

「隊長殿。俺の任務は確かにあんたらのバックアップだ。だが同行しろとは命令されていない。悪いが単独行動にさせてもらうぜ。じゃあな夜露ちゃん。」

 真廣は手を振り、火災現場の奥へと姿を消した。


「あの馬鹿兄貴は嘘をついている。」

「どういうことだ?」

「あいつの狙いは別にある。バックアップだけが目的なら本部から正確な情報が打電されているはずだから向こうから接触を持たないのはおかしい。それにあいつが瓦礫から降りてきたとき、あいつは本気で隊長さんを殺す気だった。味方だと気付かなかったなんて言ってるけどあいつに限ってそんなヘマはしない。その上で殺し損ねた後に光学迷彩を破壊した。今後の任務を困難にするために。」




 ………夜露ちゃんには感づかれたかな?まあいい。具体的な目標が分からなければ何の意味もない。 雨霧夜露、浅上葵、キタガワタツキ、残りの4人は餓鬼は気になるが警戒対象ではないだろう。おそらくキタガワとあの餓鬼はスフィアのことに気付いている。始末するならあいつらからか。何にしろ時間がない。俺も脱出しないといけないしなあ。ウラジオストクが地獄に変わる前に。

動き出す猟犬④

北側はふと目を覚ました。現状を把握しようと最後の記憶を辿る。突然、発電所内部の警備装置の最大レベルが発動し、キャットウォークごと地下の大空洞に投げ込まれたのを思い出した。

「ちょっとお…。何よここ!ゴミだらけじゃないの!」

数分遅れて目を覚ましたエリスがごみの山から這い出てくる。天井から20メートル以上、ごみの上に落ちなければ木っ端みじんになって死んでいただろう。いくら数多くの血能をストックしているといっても不意に自身の体を宙に浮かせたり、都合のいい足場を作ったりすることは不可能だ。血能それぞれには条件があり、その要因に適した場でない限り発動することはできない。無理に能力を行使した場合、北側自身の身体に再起不能になるほどのダメージが入るような仕組みになっている。

「大丈夫か?エリス。」

「汚いけど別に傷は負ってないわ。それよりどうするの?見た感じ出口は見当たらないし、血能で上昇しようにも天井はここに落ちた時にしまっちゃったわよぉ?」

北側は服のごみを払いながら辺りを見渡す。エリスの言った通り出口の類はおろか、小さな窓の一つもない。その代わりに北側は妙なことに気付いた。軍事用の電子機器妨害用のグレネードの効果を受けた時と同じように手持ちの電子デバイスが誤作動を起こしていたのだ。それと同時に北側は同じ現象が自身の足元にも広がっていることにも気づいた。

……錯覚ホログラムをかけられているのか?

「エリス、お前の能力でこの一帯の魔力力場を吸い尽くしてくれ。」

「……何なのか知らないけどまあいいわ。」

エリスが目を赤化させると手元に一冊の古書が出現する。その分厚い古書は不気味な光を発しながら開き始め特定の頁をエリスに提示した。

「この子が最適ね。」

エリスがその頁から浮き上がった解読不能な記号の羅列に指を触れるとそれは光弾となり、辺り一面に分散した。

「これは…。」

光弾が一面に発せられた直後に空間は歪み、全域にわたって影響を及ぼしていたホログラムが崩れ去っていく。

組織がブリュンヒルデの「第三の魔導書ザ・サード・スペルブック」への防御策として作成したアンデット・ヴァルキュリアシリーズの次女「グリムゲルデ」その能力である五大元素使役型の最も古い魔導書「第一の魔導書ザ・オリジン・スペルブック」グリムゲルデの触媒であるエリス・ヘルレイド・ロックフェラーにのみ使役を許されたその強大な力はどんな強大な魔法壁にも懐柔し、穴をあけることができる。

ホログラムが解かれたこの空洞に浮かび上がったのはごみに擬態させられていた大量の現地人の死体だった。

簡単にテロリストが発電所を乗っ取れた理由、人一人見当たらない市街地、記載のなかった地下施設、大量の人間の死体、そして……兵器に転用可能な有り余るほどの原子力。

「ねえ竜基?ベルファスト理論って知ってる?」

「大戦中のドイツの学者ベルファストが唱えた兵士作成理論。生きている人間はどんなに努力しても無意識にリミッターをかけているため一割しか脳を使うことができない。しかし、死んだ人間の脳と脳に指令を与える神経を操作することでリミッターを外し、規格外の能力を持った最強の兵士を永久に使い続けることができるようになるとかいう馬鹿げた理論だったな。それがどうした?」

「私はこの理論そこまで馬鹿げてるとは思わないわ。ベルファストはこの理論を唱えた後に呪術や魔術の研究にのめりこみ始めるの。でも魔術の類が技術として発達していなかった当時においてそんなものはただのオカルトだった。でも、現代ならどうかしら?ベルファストは呪術や魔術を使って死者の使役を行う方法を探っていた。彼はその方法を見つけることはできなかったけど現代の魔術師、特に死霊魔術を行うネクロマンサーならこの死体の山の使い道をいくらでも知っているでしょうね。それにここには尋常じゃないほどの力を秘めた原子力つまりは核を生成できる設備が整っている。兵士の頭数と有力な切り札、そしてスフィア。評議会が街一つ消してでも欲しがるわけよ。」


その時だった。北側たちの前方の分厚い壁が轟音を響き散らし吹き飛ばされた。ビルが爆破された時と同様に降りしきる桜と煙の中、パチパチと手を叩きながら若い男が姿を現した。その男の出で立ちと能力の効果から北側は男の正体をある程度察していた。

「物知りだなエリス・ヘルレイド・ロックフェラー。それともグリムゲルデと呼んだ方がいいのかなアンデットのお嬢さん。」

北側はこの男をよく知っていた。フリーマンリストの上位ランカーを複数人殺害した世界最悪レベルの暗殺屋……。

「品のない餓鬼ねぇ…。もう半殺しにされたことを忘れちゃったのかしらぁ?雨霧の次男坊君?」

エリスはアンデットのくだりが相当頭に来たのかしまいかけた魔導書を再び顕現させ、絶大な量の魔力を自身の体に憑依させ始める。北側はその様子を見てエリスが何をしようとしているのか察したのかエリスの肩に手をかけ、エリスを止めに入った。

「おい、軽い挑発にキレてんじゃねえよ。向こうも二対一で勝負しようとも思ってないだろ。切り札は最後まで取っておくもんだ。」

「……分かってるわよ。ちょっと脅しをかけただけよ。」

北側に諭されたエリスは渋々といった様子で魔導書を幽体化させ、怪訝な表情で挑発の主をにらんでいた。

「雨霧真廣だな?救助目的ということもあるまい。一体何の用だ。」

「久しぶりの再会だってのにつれないやつだなあ。まあいいや。俺は今回フリーマンとして世界結社側のエージェントに雇われていてね、そいつからお前らへの伝達とサポートを依頼されたんだよ。」

そう言うと真廣は一枚の写真を取り出し北側の方へ投げる。

「これは…ケルベロス部隊の……一体こいつが何だっていうんだ?」

「スパイだ。評議会側の。俺の依頼主によるとケルベロス部隊の統括を任されているヘルレイド大佐にもいろいろと荒が見つかってな、本名、出身、経歴、軍部に登録されていた情報が何から何まで虚偽だったらしい。」

ヘルレイド大佐に関しては北側とエリスはもとより事前情報が希薄だった。今回の任務が初接触であり、北側の所属するグリフォン部隊の直属の上官からの指令で今回の任務に参加したため、ヘルレイド大佐と直接コンタクトをとったことは一度もない。ただ一つ、エリスと同じ貴族名である「ヘルレイド」を持っていることが気がかりだったが偶然だと思っていた。

「何故、今になってそのことが判明した?ケルベロス設立当初から大佐の椅子に座っていたなら身辺調査の段階でそんな嘘はとっくにばれていたはずだ。」

「その件に関して俺の依頼主が情報筋に聞いて回ったところ当時の査問委員会の役員のほとんどがヘルレイド大佐の登用に賛成してすぐに自殺している。驚くことなかれ、三十人以上いた査問会のメンバーが一人残らず自室で拳銃自殺だ。」


一昔前なら原因不明の集団自殺で呪いだの心霊だのと騒がれていたが現代においては違う。こんなことを可能にする技術が一つだけある。魔術だ。軍部に入る三年前、まだ士官養成学校にいた時に受講していた個別の魔術講師がたまたま死霊魔術師であったためその手の状況を作り出すことのできる魔術の話を聞いたのを思い出した。

「大佐自身が何らかの魔術で査問委員会の人間を操作していたのか?もしそうだとしたらその後の集団自殺、そしてその事実を探ろうとするものを最近まで黙らせておくことができたのにも納得がいく。まあその場合にもなぜ今になってっていう疑問も生じるが……。」

「案外聡明だなあ無彩限の失楽園アンリミテッド・ロストワールド。兄貴を取り逃がしたって聞いたから無能だと思ってたよ。ああ、気にしないでくれ挑発は俺の悪い癖だ。」

「別に気にしてない。俺もあれっきりで終わらせるつもりはない。グリムリーパーの息の根は必ず止めるさ。で、サポートってのは何だ?戦闘力なら俺たち二人でも何ら問題はないはずだが?」

「とぼけてんじぇねえよ。スフィアを強奪しようとしてるんだろ?」

北側は少し身構えた。スフィアの強奪に関してはエリスとの間での極秘事項だった。何故この男がそれを知りえているのか?この男に嘘は逆効果だと北側は判断した。

「俺たちの私欲に何故付き合う必要がある?」

「大佐と内通者はおそらくスフィアのことに気付いている。奴らに渡すくらいならってとこじゃねえの?」


……雨霧真廣がこう言っている以上下手に対立するよりもおとなしく協力関係になる方がいいだろう。万が一こいつが嘘をついていて俺たちを裏切ったときには……。


「裏切ったら殺すぞ。禍根を残さないように先に言っといてやる。」





北側たちが施設内で雨霧真廣と遭遇していたころ、篠森と夜露は中にいる甘利たちとの通信が途絶えたことに気付き、施設に乗り込もうとしていた。

「俺はこれから地下ルートを使って単独で施設内に潜入して甘利たちの安否を確認してくる。雨霧、君はこのまま大佐を無線で呼び続けて応答しないようならこの場で待機、二時間たっても俺たちが帰らなければ当初の脱出口に用意されている脱出カプセルで基地に帰投するんだ。」

篠森は手持ちの弾倉や薬品類のチェックを急ぎ足で済ませながら夜露にそう告げた。

「お気遣い頂いてるところ恐縮なんだけどさあ…私軽く見積もっても隊長さんの十倍は強いよ?さっきも言ったと思うけど私十歳まではフリーマンリストの上位ランクを独占してたプロの暗殺屋だったわけだし、軍部に在籍してるんだから雨霧家のお家事情も知ってるでしょ?」

若年の篠森とて「雨霧家」の名は軍人になった時から教官に耳にタコができるほど聞かされていた。


「雨霧家は本家からなる四つの分家で統制された日本の五本の指に入るほどの強大な華族だ。徳逸すべき点はこの一族が暗殺一家ということだ。雨霧家は江戸の頃より暗殺業を営み、政府の敵を闇に葬ってきたとされている。暗殺者を代々育てるという方針は今も変わっておらず、その一族の人間のほとんどが幼少期より各地の民間部隊やフリーマンとして暗躍している。お前らも長生きしたいなら雨霧家の人間とは交戦しないことだ。万が一も勝ち目はないだろう。」


教官の言葉が脳をよぎった。しかし、いくら雨霧夜露がプロの暗殺者と言っても彼女はまだ未成年だ。腕に自信があるとはいえ危険地帯に望んで連れていくことはできない。

「君が相当優秀なことは重々承知している。でもこれから向かう場所ではないが起こるかわからない。ただでさえ原子力発電所での戦闘は細心の注意が払われるほど危険なんだ。そこに若くして学者になれるほど優秀な君を連れて行って危険にさらすことはできない。」


「……面倒臭いくらい糞まじめだね。危険だからこそだよ。隊長さんはあくまで戦闘のプロなのであって万が一原子炉が暴走した場合対処できないでしょ?そういう類のバイオハザードに対処するために私が呼ばれたんだから。何もここまで来たのを無駄足にすることないでしょ?もっと私を信用してくれてもいいんじゃない?」

堅物な忠告を行う篠森の顔を覗き込むように夜露は篠森に自分が付いていく方がよいということを主張した。

少女のあどけなさを残しつつ、冷静に状況を見据える冷徹な黒い目を見て篠森は彼女が「雨霧家」の暗殺者であることを再認識した。

「……分かった。ただし、君の生存が第一優先だ俺の判断次第で君を無理やりにでも離脱させる。それでいいか?」

篠森の返答を聞き、夜露は満足げに答えた。

「聡明で助かるよ隊長さん。頼りにしてよ。」

紛れ込んだ復習者①

 2028年 10月 ブルガリア プロヴディフ 評議会本部周辺地区

「何故このタイミングで離脱なんだ!まだ市街地に兵士たちが残っているんだぞ!このままじゃ現地ゲリラに見つかって処刑されるか評議会に鹵獲されて実験体にされるのがオチだ!今すぐ助けに向かわないと…。」

 第一次評議会殲滅作戦。冷戦状態にしびれを切らした世界結社上層部の判断により行われた大規模殲滅作戦。評議会本部のあるブルガリアに大量の兵士、最新AI兵器そして当極秘に研究されていた世界結社初のブラッドカラー300人を侵攻させた。
 当時の評議会の戦力はどう見積もっても世界結社の10分の1以下だったにも関わらず、世界結社はたった3日で投入戦力の3分の2以上の40万人の戦死者を出した。
 圧倒的優位だった世界結社は歴史的敗退を史実に刻むこととなった。
 決定的だったのは評議会の抱えるブラッドカラーの数だった。本部近くに常駐していた3,000人近くの評議会の兵士は皆ブラッドカラーであり、その大半がBランク以上の殺傷能力に優れた能力の持ち主だった。それに加えて評議会はブルガリア国内に潜伏していた過激派の現地ゲリラに一定の報酬を約束し、侵攻してくる世界結社の迎撃を命じていたのだ。

 評議会の企てた巧妙な作戦と包囲攻撃によって大量の一般兵やブラッドカラーを鹵獲された世界結社はこれ以上の被害を避けるために作戦開始の僅か5日後、残った兵士たちの一斉離脱を命じた。

 当時士官養成学校を卒業したてだった篠森や北側もこの作戦に参加していた。

 本部近くの市街地での戦闘に対応していた篠森たちの部隊は現地ゲリラとブラッドカラーによる包囲攻撃を受け、甚大な被害を受けた部隊は指揮官命令で撤退を決めた。


「篠森、君は将来有望な士官候補だ。こんなところで命を落とす必要はない。第一今からでは間に合わない。捕まった兵士は隔離施設に送られているらしい。君1人では無理だ。」


「俺たちは兵士だ!兵士は人民の命を守るために戦っているはずだ!それは同僚の兵士も例外ではない!目の前で命を落としかけている仲間を見捨てるなんて真似は俺にはできません!綾香さん、あなたも言ったはずだ。兵士の命は人命を尊重するためにあるべきだと。…俺は行きます。護送される前なら1人でもチャンスが…。」

 当時の篠森の上官であり養成学校時代での師でもあった若手の女性士官、雨霧綾香はその細い腕でがなる篠森を地面に押さえつけ、首元に銃身を突き付けた。


「篠森、私の顔を見ろ。どんな顔をしている?」

篠森が見た綾香の表情は苦悩に歪んだ顔でも焦燥にかられた顔でもなかった。

「何故………笑っているのですか……?」


「嬉しいんだよ篠森。お前のような優秀な兵士の育成に成功できて。兵士の命は人命を尊重するためにあるべきだ。確かに私はそう言った。しかし、それは私の本意ではない。正義を理由に入隊したお前を最も効率よく成長させるために私が用意したただの口実に過ぎない。なかなか楽しい育成ゲームだったよ。」

立ち上がった彼女は指揮官に与えられるドックタグをちぎり捨て、最後に言い残した。

「篠森、お前は正義側の人間では無い。いづれお前は人命を優先するために人命を捨てるようになる。今だってそうだ。お前は仲間を助けるために戦闘を続行するといったがそうなれば市街地にさまよう民間人が必ず死ぬ。矛盾を孕んだ人間の末路は悪だ。じゃあな篠森。私はこのゲームから降りる。」

激戦区の中、そう言い残した彼女は姿を消した。

作戦終了後、強制帰還させられた篠森は戦死者のリストに雨霧綾香の名があるのを確認した。



「これだけの人間が……なんで…。」


北側の通ったルートを使い、地下にたどり着いた篠森と夜露が目の当たりにしたのは錯覚ホログラムの外れた後に残った死体の山だった。

「全員、窒息死してるみたいだね。絞殺の跡はないみたいだからガスによる毒殺って考えるのが妥当だろうね。問題はこれだけの死体をどうやって運んで何をしようとしたのかだね。」

「これだけの人間が殺されたっていうのに政府は何をやっていたんだ……」


「さあ?政府が気付けないほど巧妙にやったか、世界結社内部の人間が意図して隠ぺいしたか。」


後者の可能性が高いと篠森は思った。街一つ分の人民の損害を政府が世界結社から隠すことはおろか、武装ほう起した犯罪グループが意図して隠匿できるはずがない。となれば現地の情報に精通していたはずのヘルレイド大佐が見逃すはずがない。

篠森はデータベース端末にアクセスし、士官権限を使用して今回の作戦を検索した。

「該当件数……0だと?」

ヘルレイド大佐は世界結社上層部からの指令だと言っていたのにも関わらず、今回のケルベロス部隊の作戦はデータベースに記載されていないうえ、ヘルレイド大佐についての情報の一切が消去されていた。

「なるほどねえ。大佐なら命令を偽ってここに私たちを送り込むことができたし、情報の隠匿も簡単だったわけだ。じゃあ私たちってまんまと嵌められたんじゃないの?」

仮にヘルレイド大佐が評議会側の工作員だったとして、俺たちが評議会に対して行ったこれまでの作戦を野放しにしていたのはなぜだ?作戦の中には評議会に対して大きな打撃を与えるような破壊活動を行うものも多かった。大佐の権限なら俺たちにダミーの任務を掴ませることもできたはずだ。何のために俺たちを泳がせていたんだ?



「ちょっとぉ!離しなさいよぉ!こんなことしてただで済むと思ってるわけ!?」


 最深部へ向かう一本道のキャットウォーク、そこを進みながら真廣はエリスを抱きかかえ、まるで人形のようにぐるぐると振り回していた。

「タツキ!見てないで何とかしなさいよぉ!」

 喚く二人をよそに北側は完全に自分の世界に入り、考え事をしていた。


 俺たちにこの仕事を依頼したのはケルベロス部隊を統括する世界結社の上級士官であるヘルレイド大佐。しかしヘルレイド大佐の経歴は全て偽物であり、その大佐が編入した構成員の中に評議会のスパイが紛れ込んでいた……。ここまで分かれば誰だって理解する。ヘルレイド大佐は評議会のスパイであり、何らかの操作能力を持つブラッドカラーだ。そして、雨霧真廣が明らかにしたスパイ……牧野多々良。グリフォンの連中に能力を使って調べさせたが、軍部の連中に彼女のことを知っているものはおろか彼女について記載された書類が一枚も見つからなかった。公式には存在していない人間。なるほど、使いやすいわけだ。そして篠森航平をケルベロス部隊にチャーターした当時の上官である阿武隈陽太郎、こいつにも何かありそうだ。ここまで分かっても腑に落ちない部分がある。何故、俺たちをここに集めた?ケルベロス部隊ならともかく、本部に要請してまで俺たちを呼んだのは一体?


「ブラッドアーツだよ無彩限の失楽園。」

 振り回されすぎて目を回したエリスを抱きかかえた真廣が北側の顔を覗き込むようにしてそうささやいた。

「何故俺の思考を?それもお前の能力か?」

「ちげえよ。俺の能力は知ってるだろ?ブラッドアーツは一人につき一つ。それ以上は大きな代償を払うことになる。それはあんたが一番よく知ってるだろ?お前が考えてそうなことにアテを付けて答えを出してやったんだよ。物体を瞬間移動させられる波多野秀太、因果をすっとばしてどんなものでも切断する浅上葵、地形やモノを変化させられる甘利源次、膨大な魔力を引き出すことのできるグリムゲルデ、そして触れたものを千差万別なく消滅させることのできる無彩限の失楽園。俺や夜露ちゃん、裏切り者の牧野はイレギュラーとして、スフィアの機能実験をするにはこれ以上無いといっていいほどのベストメンバーだ。ここで謎なのは篠森航平だ。ヘルレイドは篠森をわざわざ北海道の基地から引き抜いてまでケルベロスの部隊長に就任させたらしい。奴は現時点では何の能力も持っていない第二類ブラッドカラーだ。今回の件には不要だ。まだ断定するのは早いが篠森自身にも何かあるんじゃねえのか?本人すらも知らない何かが。」


「憶測にすぎないな。殺人狂の言葉に確証はない。」


「まあこれでも一応元刑事なもんでな。といっても勤務してたのは実質一年だけど。」

「ほう、そいつは初耳だ。善意の体現者であったお前がなんで分別のつかない殺し屋になり下がったのか聞いてみたいもんだな。」

 北側がそう言うとそれまで常に笑みを浮べて陽気に話していた真廣の顔が神妙な顔つきに変わり、一言発した。

「もうこの世界に善意なんて無いって分かったからだよ。正義の味方に憧れた悪人の末路だ。」


 真廣はそう言うと再び普段のような下卑た笑みを浮べてエリスを持ち上げて遊び始めた。


「太陽に近づきすぎたイカロスは翼を焼かれて地に落ちる、か。感動的だね雨霧真廣。」

 コツコツとキャットウォークの先の鉄橋から一人の男が姿を現した。北側も真廣もその男を知っていた。

「ヘルレイド…いや、評議会特殊プロトコル指定特殊部隊クロノ・ナンバーズ№Ⅴジャック・サイモン。」


「本名はともかくクロノ・ナンバーズのことをしっているとはね。ああ、そうか。北側竜基、君のかつて所属していたブラッドカラー部隊キマイラを殲滅したのはうちの部隊だったね。忘れてたよ。」

「そうか……俺たちはお前の記憶にすら残らなかったか。好都合だ。あんな無様な俺をいつまでも覚えられているわけにはいかないからな。ブラッドカラー三人相手にノコノコ出てきたんだ。それなりに自信があるんだろ?さあ、さっさと殺し合おうぜ。」

 目を紅潮させた好戦的な態度の北側に呼応するように起き上がったエリスと真廣も戦闘態勢に入る。状況から考えてジャックが勝つのは至難の業だ。しかし、そんな危機的な状況の中、ジャックは動揺一つ見せることなく目を赤色化させた。

「君たちの能力は非常に優秀だ。それ故に、君たちじゃ僕には勝てない。」

 ハッタリだ。そう判断した北側は右手の手袋を外し、ジャックに接近する。それと同時にエリスは魔導書の力でジャックの能力を浮き彫りにした。


「この能力は…タツキ!近づいちゃだめ!」

 エリスの言葉に動揺し、北側の攻撃が一瞬遅れた。その隙をジャックは見逃さなかった。

 ジャックは北側の右手を回避し、それを逆手にとって北側の右腕を掴んだ。

悪魔の指揮官(ダーク・オペレーター)…一人目は僕の勝ちだ。」


 沈黙が広がった。腕を放された北側はやがて自分の体が自分の意志で動かないことに気が付いた。

「だから近づくなって言ったのに……この男の能力は触れた人間を操作できる悪魔の指揮官………あなたの無彩の失楽園と同じワンハンドエフェクトよ。」


「迂闊だったか、頭に血が上って考えが回らなかった。エリス、この能力の解除方法は?」


「能力を破棄させること。または、対象者の……死。」

 そう告げた直後、エリスが背中から二本の触手を出現させ、ジャックに飛びかかろうとする。常人なら反応するのも困難な速度。しかし、ジャックは余裕ともいえる表情を見せ、悠々と待ち構えていた。エリスの攻撃がジャックに到達する直前、エリスは不意に服の襟元を掴まれ後ろに引っ張られた。

「ちょっと待ったお嬢ちゃん。」

「離しなさいよ!雨霧真廣!」

 敵意をむき出しにして抵抗するエリスに真廣は手刀をくらわせ、気絶させた。

「先に最深部へ向かってろ。すぐに追いつく。」

 真廣は笑みを浮べながらうなずいた後、キャットウォークの足場を爆発させ、エリスを抱えて深部へ落下していった。


「よかったのかい?北側君?僕はこの能力を使い始めて長い。それなりにこの力について熟知しているつもりだ。これまであらゆる能力者と戦ってきたが、一度術中に嵌まって抜け出せたものはいない。死ぬまで僕の手ごまとして使いまわして、用がなくなったら自害させる。君も例外ではない。」


 状況から言えばジャックの勝ち。それは火を見るより明らかである。しかし、北側の顔に浮かんでいたのは焦燥の表情ではなく、人を小馬鹿にしたような笑みだった。


「評議会最高のブラッドカラー部隊クロノ・ナンバーズか……笑わせるな。お前が№Ⅴだと?術中に嵌ったのが自分だと気付けないお前は二流以下だ。」

Blood Colors 支配者の猟犬

Blood Colors 支配者の猟犬

2041年、8年前に起きた第三次世界大戦を終えた国連は世界結社と呼ばれる統治機構の傘下に入った。世界結社の政策により恒久的な平和を実現した世界だったが評議会と呼ばれる大規模な反政府組織の出現により再び世界は戦渦に巻き込まれた。若くして陸上自衛隊での功績を上げ三等陸尉にまで上り詰めた篠森航平は自身に戦時中に活躍した特殊能力者「ブラッドカラー」の適正があることから世界結社唯一のブラッドカラー部隊「ケルベロス」の隊長に任命される。

  • 小説
  • 短編
  • SF
  • 青年向け
更新日
登録日
2018-02-25

Copyrighted
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