sakurairo

「まゆしぃ、笑って?」

 笑顔リクエスト、このお願いに、まだその名前が付いていなかった頃、実波から私への頼みごと。
 そんなことを頼まれるのは初めてだったし、突拍子の無さに疑問符を浮かべながら、少しだけ首を傾げた。
 期待の込められた瞳に真っ直ぐ見つめられた私は、その子へと向き直り、言葉に裏や他意が無いことをすぐに感じ取った。
  純粋
 ただ、私の笑顔が見たい、そうだったのなら見せてあげない理由も無かった。

「どうしたの?」
 微笑みかけた、つもりだった。
 その子は呆然としていた。
 信じられないものを見て放心したような、さっきとはうってかわった眼差しを私に向けている。
 その瞳の中には、ほんの少しだけ寂しさが見て取れた気がしたけど、永遠に感じられたこの時間も、思い出したような感謝の言葉に遮られた。
「あっ、ありがとうまゆしぃ! 変なこと聞いちゃってごめんね?」
 そう言って実波は私から離れていった。
「ううん」と返した私の表情は強張ってはいなかっただろうか。
 たかだか数秒の実波のあの瞳が瞼の裏に焼き付いた。
 私の笑顔は、たぶん、実波の期待には添えなかった。
 それが何故なのか、今は見当もつかない。


 それから実波は、私に笑顔を頼むことはなかった。

     ・・・・・

「お客さんの笑顔が見たいなら・・・そうだなぁ、自分から笑ってー! って頼んでみる、とか?」


 I-1clubの仙台シアターでの公演を見た私たちは、ビジュゥで昨日のMACANAでの初の単独ライブの反省会をしていた。
 I-1の圧倒的なパフォーマンスを見せつけられて、WUG!のメンバーはみんな地に足がついた、というより、出来ることからやっていくしかないといった心持になっている。
 その第一歩となるのがこの反省会だけれど、とにかくI-1と天と地ほどの差があったのがライブ中のMCだった。佳乃は反省するためとはいえ、散々だった昨日のMCを思い出す度に、恥ずかしいやら悔しいやらで眉間にシワが寄っている。
「リーダーばかりにみんなが任せすぎてたよね、ごめんねよっぴー」
 即効性の解決策はないけれど、みんなが薄々気付いていたこと。これまではWake Up,Girls!のホームであるライブなどは全く無かった。どこへ行っても初めまして、そして、少しでもグループのことをお客さんに知ってもらい、好きになってもらうためのパフォーマンスばかりだった。それはリーダーによるグループの紹介、メンバー自身の自己紹介、そして軽い掛け合い程度だった。
 今回は初めての単独ライブというホームの舞台で、お客さんではなくファンに向けて話さなきゃいけなかったけれど、その距離感をつかみ損ねてしまったのが一番の敗因だったと思う。
 そこで、まずはMCを少しでもマシなものに変えていこうというのが最優先の議題になっていた。
「I-1は日常の話をうまいことオチをつけて、面白おかしく話してましたよねぇ・・・」
 生で見るI-1のダンスに特に感動していた未夕は、MCも一言一句を聞き逃さない勢いで、未だに興奮冷めやらぬといったところだ。
「あれを私たちがハイ出来ますか、って今言われたってなかなか厳しいものがあるわよね」
「でも通用するMCってなると、やっぱあれくらい話せなきゃダメってことなんだろうねぇ」
 ラジオでやっている一人喋りとは当然勝手が違ってくるし、問題点がわかってきても、改善の手段はいまいち出てこなかった。
「とりあえずは、他のアイドルのMCを見て研究することと、各自が日常的に話せそうなネタをストックしておくこと、あたりを頑張っていこっか」
 佳乃が今後の方針をまとめて言った。
「でも、みんなが楽しく笑ってくれる話かぁー、考えてみるとけっこう難しいかも・・・」
 実波の少し弱気な言葉を聞いた藍里は、おどけた風に切り出した。
「お客さんの笑顔が見たいなら・・・そうだなぁ、自分から笑ってー! って頼んでみる、とか?」
 メンバーが一様に驚いた顔で藍里を見た。
 藍里は自分がまずいことを言ったかな、と少し身構えている。
「いいね、それ」「みにゃみならアリだと思う」
 みんなの同意を得られた藍里はホッとしてココアを一口飲んでいる。
 当の実波は何かをまた考え込んでいるみたいだ。
「そう言って笑ってもらっても、その前後もMCってあるよね? ちゃんとやれるかなぁ・・・」
 みんなが意外だ、という表情で実波を見たのに気付いて非難の声が上がる。
「もーっ! さっきまで散々どうしようかって話してたんだし、私だってちゃんと考えてるよー!?」

     ・・・・・

「実波ちゃんの笑顔はみんなを元気にしてくれるからねぇ、ありがとうね」


 笑顔の天才、なんて言われるのはやっぱり恥ずかしいけど、自分が笑っていることで誰かを元気にできているのなら、それは嬉しいことだった。
 昔からよく笑う子だって言われていたし、近所のおばさんに、花が咲いたように笑うのね、って言われたことが印象に残ってるけれど、本当によく笑うようになったのは、仮設住宅に住み始めて民謡クラブのおばあちゃん達と出会ってからかもしれない。
 だれかを元気にできているんだっていう実感は、自分の活力にもなっているのかなって思い始めた頃に、東北うた自慢で優勝して、Wake Up,Girls!にスカウトされた。
 島田真夢って名前を知ったのは、Wake Up,Girls!に入って初めての顔合わせの時だった。
 I-1clubの元センターだった人で、林田さんの友達で、Wake Up,Girls!に必要な人だって。
 ただ純粋に、必要とされる人だってことが気になって、メンバーに島田真夢のことを聞いてみた。
「島田真夢ってすごい人なの?」
 その質問を待ってましたとばかりに、未夕さんが答え始めた。
「すごいもすごい、超すごいですよ! 今もっともアツいアイドルグループI-1clubで、初代センターを務めてミリオン連発したんですから!」
 そう言ってスマホで動画を再生して見せてくれた。

 歌い、踊る、アイドル。
 そのセンターに目を奪われた。
 もしかしたら心も奪われてしまったのかも。
 人に元気を与える笑顔、たぶん、自分がうっすらと思い描いていた理想がそこにあって、まるで吸い込まれるような錯覚さえ感じていた。
「すごーい・・・」
 思わず口から漏れた言葉を未夕さんが拾ってくれる。
「すごいですよねぇ・・・ザ・アイドル! って感じで・・・。まゆしぃがWake Up,Girls!に入ったら本当にすごいですよ!」
「さっきからすごいしか言ってないけど」
 的確なツッコミにみんなが笑った。

 I-1clubについては、たぶん数曲くらいサビを聞けばわかる、程度しか知らなかった私だけど、島田真夢の笑顔を見て、アイドルが目指すべき場所みたいなものを、直感で感じ取ったんだと思う。
 それだけに、あの時彼女に頼んだ笑顔の中に潜む哀しさに、どうしようもなく気付いてしまったんだ。

     ・・・・・

「みんな―――! 笑って――――――!」
 MACANAでの定例ライブ、自己紹介の場面に、実波は突然ファンに向かってそう叫んだ。
 いつもの自己紹介が始まると思っていたワグナー達は、一時は面食らった様子だったけど、すぐに笑顔でレスポンスの掛け声を上げ始める。
 ファンの笑顔を見渡した実波は、
「みんなの笑顔~っ! いただきましたっ!
 うんめぇにゃ~!」
 そう言っておなじみのポーズを取った。
 今まで以上に沸き上がる歓声が、このコール&レスポンスの成功を物語っていた。
「はーい! 片山実波ですっ! みんなー!? 新しい挨拶考えてみたんだけどどうだったー!?」
 口々に最高! 毎回やってほしい! といった声が上がる。
「よかった~・・・今までみんなから、うんめぇにゃ~やってー! って声をかけられてからやってたから、私の方からやってみたいって思ってたんです!」
 反響が良かったからか実波は満足げだ。
「みにゃみからどんどん笑顔をリクエストしてきてよ!」
 その言葉を聞いて実波はパッと笑う。
「笑顔リクエスト・・・! そうだねっ! このコール&レスポンスは笑顔リクエストって名前にしますっ!」

 真正面から笑顔を頼むなんて芸当は、実波にしかできないなと思っていたら、私の番が来た。
「みにゃみ、これをやることメンバーには内緒にしてたんですよ? 本当にビックリしました!」

 それから実波は、たまにメンバーを相手に笑顔のリクエストをするようになった。
「笑って?」と言われて悪い気などするはずもなく、笑顔を見せれば実波も笑い、お互いの笑顔の確認作業のようだった。
 私が笑顔のリクエストをもらうことはなかったけれど、それは以前同じような頼みごとをされたあの時のことを考えると、もどかしくも、納得はできていた。
 実波に直接、あの時の私に何を見たのか、なんて聞けるはずもなかったから、結局そのままになってしまっている。
 実波の人を元気にする力を見せられて、私自身のことを見つめ直す。

 私にもあんな瞬間があっただろうか。

 一度否定した記憶を呼び起こすのは、それなりに勇気が要るけれど、きっと大丈夫だと思うことにした。

     ・・・・・

I-1club一期生としてメンバーになってから、私たちは白木さんや、芸能界や、世間の波やらに、心も体も鍛えられてきた。誰からも見向きもされないことも、誰かから応援されることも、アイドルとして乗り越えてきた。そう思っていた。
 東日本大震災
 地震と津波によって東北地方に甚大な被害をもたらした天災に対して、I-1clubが出来ること。それは、チャリティライブを行い、元気や活力を届けに行くことだった。
メジャーデビューをする直前の緊張の時期に、心を揺さぶられる出来事が起きたことで、メンバーの結束や意識はさらに固くなったように思えた。
「アイドルとは、必要とされる人達です。必要とされない人達はアイドルではありません。あなた達は一人から、市民から、国民から、世界から必要とされる人になってください。そのための努力を一瞬たりとも怠らないように」
 白木さんの言葉は具体的だったり抽象的だったり、いろんな場合があるけれど、この時はすぐに理解できた。
 被災地でのチャリティライブは、全ての機材をトラックで持参するために、一回が少人数になってしまう制約もあり、メンバーが代わる代わる参加することになっていた。私が被災地へ慰問に行けたことも片手で数えられるくらいだった。
 私が初めて参加したチャリティライブの時、麻衣はみんなに言った。
「元気をもらいに来てくれる人に元気をあげるのは、そんなに難しいことじゃないよ。でも、そうじゃない人達にどれだけ元気をあげられるか、だから。そこに全身全霊でぶつかっていこう!」
「「はい!」」
 一度チャリティライブに参加していた麻衣の言葉には重みがあった。
「誰よりも激しく!
 誰よりも美しく!
 誰よりも正確に!
 I-1club、行くぞー!!!」

「観客は、一度しか我々のステージを見ないものだと思ってください」
 常に全力を見せられるようステージングをすることは、舞台に立つ者の常識だけど、被災地公演となれば、向き合い方もいつもとは違う。
 必要となりに行きたい、受け売りだとしても本心だった。
 見に来てくれた方々には、いろんな人がいた。
 I-1のファンの人、アイドルが好きな人、イベントがあるからと来てくれた人、たまたま近かったから、通りかかったから、知り合いに連れられて・・・等々。
 そんな人達みんなの心の隙間を埋められればとステージに上がった。
 公演では、多くの観客を盛り上げることは出来たと思う。
 たくさんの人に元気を届けられたとも。
 そして、どうやっても今は、元気や笑顔を届けることが出来ない人がいるんだ、ということも思い知らされた。
 興味が無い人にだって、パフォーマンス次第ではその心に届き得るのだ、という信念を教え込まれてきた。
 そんな私たちには、表情が変わらない人より他に、笑顔になってくれているけれど、私たちの声も熱意も届いていないんだと、ステージの上からでもわかってしまう人達の存在がつらかった。
 意気込みとは裏腹の無力感、キャプテンの麻衣はこのことを体感していたから、あんな風に予めメンバーを励ますことが出来たんだろう。
「みんな意気込んで気力全開で向かって行くからね、だから気力だって消耗しちゃうよ。そういうプロジェクトだってわかってるし、わかってる人が支えていかなきゃね。私も次回はメンバーに入ってないかもしれないし、帰ったら今度のリーダーになりそうな子には言っておこうと思ってる」
 真剣な表情でI-1clubの今後をより良くするために語る麻衣は、普段よりもずっと頼もしく見えた。

 その後、I-1clubは「リトル・チャレンジャー」でメジャーデビューして、ミリオンセラーを達成した。
 センターを任された私は、もちろん偉業を達成出来たことは嬉しかったけど、自分が貢献したとかそういうことよりも、I-1clubという存在を、世間へと届けられた実感の方が嬉しかったのかもしれない。

     ・・・・・

「新曲、極上スマイル。君らのためにガチで書いてきた。オレの歌、歌うからには、今までみたいな学芸会気分じゃ許さないよ」
 そうみんなに言い放って、早坂さんはまた来週って事務所から出て行った。
 持ってきたCDをまゆしぃに渡して。

「極上スマイルかぁー・・・」
 松田さんが全員分コピーしてくれたCDを、家に帰って聞いている。CDの中には音数が少なくてメロディーが聞き取りやすいものと、実際に歌を乗せるオフボーカルの二曲が入っていた。
 歌詞にはタイトル通りの笑顔のことが書かれていた。
 友達のこと、季節のこと、旅行のこと、食べ物のこと、海のこと、山のこと、日本のこと、そして笑顔のこと。
曲はすごくテンポが早くて、曲調はコテコテのアイドルソングだって誰かが言ってた。
「ダンス、ちゃんと踊れるかなぁ」
 曲のテンポが早くなると、その分ダンスだって激しい振り付けになってくる。早坂さんはパッと見ただけでクラクラしちゃうような難しい振り付けを宿題だって残していった。
 難しい曲だけど、その分全員できちんと踊れたら、すごく見映えがしそうなダンスだと思った。
 二番の歌詞で食べ物のことを歌っているところや、歌詞から想像する風景が目まぐるしく変わっていくところもお気に入りだった。
「お姉ちゃん、それって新曲?」
 曲を聞きながら歌詞を口ずさんでいると、妹の実月に声をかけられた。
「そうだよー、学校とか、誰にも喋っちゃダメだからね?」
「それ毎回言われてるから、わかってるよっ。曲名はなんていうの?」
 タチアガレ! や16歳のアガペーの曲をもらった時に、口止めのために念を押しすぎて、妹にうんざりされてしまったことを思い出す。
「極上スマイル、っていう曲だよ」
 それを聞いた実月は驚いて、
「お姉ちゃんのためにあるような曲じゃん!」
 そんな風に、私に言った。

「そうかなぁ・・・?」
 私の笑顔で元気になってくれる人がいるのはわかってる。そう言ってくれることが自分の活力になっていくことだって知ってる。
 でも、「極上」の二文字が付いてしまうと、自分の中で浮かんでくる笑顔は、やっぱり以前のまゆしぃのものだった。
「お姉ちゃん、何か悩み事でもあるの?」
 私の歯切れの悪い返事を聞いた妹は、いつもと様子が違うと思ったのか、そんな質問を投げかけてきた。
 悩み事
 私は悩んでいたんだって、その時になって初めて気がついた。
 まゆしぃの、本当の笑顔が見たい。
 それが自分のわがままかもしれなくても、憧れたあの笑顔を見たいって気持ちは本当だったから。
 それを、ちゃんと伝えなきゃって思った。
 そして、いつか目の前から逃げ出してしまったあのことを謝ろうって。


「悩み事、あったかも。でも言えないんだ、ありがとね」
 流れる曲に合わせて、気持ちも弾むみたいだった。

     ・・・・・


極上スマイル

 早坂さんが、私たちのアイドルの祭典への挑戦に向けて、ガチで書いてくれたという曲。
 早坂さんがI-1に提供していた曲も、それなりにチェックしていたので、今度はこういったキャッチーさで勝負するのかといった感想だ。
 だけど、私が注目させられたのは歌詞だった。
 サビの一節
「シンドイ季節を知ってるから かわらぬ笑顔を愛でる」
 これを読んだ瞬間に、いろいろな記憶が思い出されて、横をかすめては流れていく。
 その中にはI-1でのレッスン、駆け出しだった頃、初めてお払い箱が出た日のこと、被災地公演のこと、芹香の脱退、そして私の解雇。
 自分の中のシンドイ季節を見せつけられたみたいな錯覚。思い出されたものが、ほとんどI-1clubに入ってからのものだったことが、どういう意味を持つのかは深くは考えなかった。
 シンドイ季節、それはたぶん誰にでもあって、そこへと笑顔を届けていけるかっていう、「アイドル」を歌った曲なんだって気付いた。
 そして、その曲や歌詞の強さに押されて、Wake Up,Girls!の良さをきちんと披露できない不安も感じた。
 この極上スマイルという曲を踊りこなし、歌いこなして、観客へと、文字通り極上スマイルを届けられたなら、そう願わずにはいられない。

 あの時、私も極上の笑顔をあの子に見せることが出来ていたなら、また少し、違っていたのかな?

     ・・・・・

 気仙沼でのWake Up,Girls!の合宿の帰り道、高速バスに乗り込むと、まゆしぃの隣の席へと向かう。
「まゆしぃ、隣いーい?」
「うん、いいよ」
 まゆしぃの声はすごく優しい声だった。
 今までの、特に最近の張り詰めた感じは全然無くなって、心からリラックス出来てるみたいに見えた。
 バスが発車して、流れていく景色をまゆしぃは眺めていた。
 その横顔を見ながら、今なら、いつかのことを謝れるんじゃないかと思った。
 どうやって切り出そうか考えているうちに、なぜか緊張してきて心臓が早鐘を打ち始める。
 このままだとどうしようもなかったから、思い切って話しかけてみる。
「あのね、まゆしぃ」
 少しだけ、声が震えた。
「どうしたの?」
 あの時と同じ返事だった。
 その瞳は私を真っ直ぐ見つめて、言葉が出てくるのを待っててくれている。
「あのねっ、ずっと前に、まゆしぃに笑って? って頼んだことがあったでしょ?」
「うん、私がWUG!に入ってすぐの頃だったっけ」
 あの時のことを、まゆしぃは覚えていたみたいだ。
「あの時は逃げ出したりしちゃってごめんなさいっ!頭が真っ白になって、どうすればいいかわからなくなっちゃって・・・」
 真っ正直に自分が思ったことを伝えていく。
「あぁ、あれってやっぱり逃げ出しちゃったってことだったんだね。みにゃみは明るい子ってイメージが強かったから、あの時みたいな反応はちょっと衝撃だったかな・・・」
 やさしい感じで答えてくれているけれど、少なからず傷つけてしまっていたことがわかって胸が痛んだ。
 あの時の自分が取ってしまった反応を説明するには、私が島田真夢に対して、勝手に抱いていた憧れを一から話さなきゃいけなかった。
「私ね、Wake Up,Girls!のオーディションが終わって、事務所に集まった時に、まゆしぃの映像を見せてもらったんだ」
 アイドルについて、ピンときていなかった私の、理想であって、目標になった、かつての笑顔との出逢い。
「映像で見たまゆしぃの笑顔にね、私、感動しちゃって・・・これが笑顔で元気を届けられる人なんだ、アイドルなんだって思ったの」
 まゆしぃは、私の言葉を真剣に聞いてくれている。
「その時から私もまゆしぃがWake Up,Girls!に入ってくれればなって思ってたし、まゆしぃが駆けつけてきてくれた時は本当に嬉しかったんだ」
 絶望的な状況の中に現れた理想の存在に目が眩んでしまっていたんだと思う。
「私、まゆしぃはまゆしぃだから、昔みたいなすごい笑顔ができるんだろうって、勝手に期待しすぎちゃったんだ。それであの時、笑顔リクエストをしてみたの」
 それでまゆしぃの返してくれた笑顔を見て、どうしようもなく立ち尽くしてしまった。
「私のあの時の笑顔って、どこかに問題があったんだよね?」
 ゆっくりと頷いて言葉を続ける。
「まゆしぃの笑顔を見て思ったのはね、ものすごく悲しい、切ないって気持ちが見えるなってことだったの」
 赤裸々に話すってこういうことなんだろうなと思った。
「私はまゆしぃの笑顔が一番だと思ってたから、ギャップがすごくて、それで何も言えないで固まっちゃってたんだ・・・だから、ごめんなさい」
「そっか・・・そうだったんだね。もう謝らなくていいよ。私はもう大丈夫だから」
 そう言ってまゆしぃは笑ってくれた。
 その笑顔は今までよりもだいぶかつての笑顔に近づいていたけれど、ほんの少しだけ寂しさが見えた気がした。

     ・・・・・

 実波から最初の笑顔リクエストのことについて聞いた私は、あることを思い出していた。
「みにゃみは前の私のことを、一番だなんてさっき言ってくれたけど、笑顔を届けられなかったなぁって思ったこともあったりするんだよ」
 それは被災地公演のことだった。
「えっ、ほんとに?」
 実波はとても驚いていた。理想というだけあって、多少は盲目にもなっているんだろう。
「そうだよ、I-1だってWUG!と一緒で全然ファンがいない時期だってあったんだから」
 実波は感心したように聞き入っている。
「私がそうやって思ったのはね、東日本大震災の被災地でチャリティライブをした時だったんだ」
「I-1clubのチャリティライブって石巻にも何回か来てるかも」
「うん、石巻市には何回か行ってると思うよ。私は石巻も気仙沼もメンバーじゃなかったから、気仙沼は今回が初めてだったんだ。震災のすぐ後からチャリティライブはやってたから、被災地っていうのは少しは見てきたつもり」
 他のメンバーが行ったチャリティライブの画像や開催地の遠景を見ているのと、現地に行って肌で空気を感じるのは、それこそ天と地ほどの違いがあった。
「そのチャリティライブでね、来てくれた人達みんなに笑顔になってほしいって、もちろんそう思ってやってたんだけど、表情は笑ってくれてるけど、心までは届けられていないなって痛感することが、何回かあったんだよね」
 実波は目を丸くしている。
「ちょうど、みにゃみが私の笑顔を見て悲しそうに見えたっていうのと同じ感じになるのかな?」
 それを聞くと、実波は語り始めた。
「私はね、小さい頃からけっこう笑顔が素敵な子だねとか言われたりして、自分も笑っているのって楽しかったし、人よりも笑顔でいる時間は多かったんじゃないかって思うんだ」
 実波にとっての自分と笑顔の関係、笑顔を大切にしている実波だからこその言葉には重みがあった。
「仮設住宅で民謡を歌い始めて、Wake Up,Girls!に入ってアイドルになって、笑顔と向き合う時間も回数もどんどん増えていって、そしたらね、笑顔の奥にもいろいろあるんだなっていうのが見えてきたんだよね。本当に心から笑ってるんだなとか、悲しいし辛いけど今は笑っていようとか、なんとなくね、わかるようになったの」
 さすが、笑顔の天才の名は伊達じゃないと思った。
 冗談交じりで質問をしてみる。
「じゃあWUG!のメンバーに笑顔リクエストすると、その時の調子とかもわかったりするんだ?」
 実波は笑いながら応える。
「そんな健康診断みたいな便利な感じじゃないよ?」
 真顔で答える実波が面白くて笑ってしまった。
 そして二人とも、声を上げて笑った。

 今の笑顔には影の部分が出ていなければいいな、そう思いながらバスに揺られていた。

     ・・・・・

 アイドルの祭典、東北ブロック予選大会の日がついにやってきた。
 合宿以降、Wake Up,Girls!のつながりはとても深くなって、お互いを支えあってここまで練習してきた。
 絶対勝てるなんて自信はなかったけど、100%を出し切れればいい勝負が出来るはずだって、メンバーみんなが思ってた。
 だから余計に、朝から元気のなかったまゆしぃのことが気にかかっていた。
 今日会ってすぐ、まゆしぃが気落ちしてることに気付いた私の顔には、たぶん「まゆしぃ、大丈夫?」って書いてあるみたいだったんだと思う。
 心配されていることに気付いたまゆしぃは、
「みにゃみ、おはよう。ごめん、ありがとう。私、頑張るね」
 そう言って笑って、それからは普段の調子に戻ってた。
 私何も言ってないんだけどなって、後から思うと少しおかしくて笑ってしまった。


「うわぁ~~~緊張する~~~! 人の字~人の字~」
 ステージに出る直前、やっぱり私は緊張しちゃって、いつものようにおまじないとして、人の字を手のひらに書いてそれを飲み込んでいた。
「みにゃみ、おまじない?」
 まゆしぃが話しかけてくれた。
「うんっ・・・やっぱり緊張するねぇー・・・」
「こういう勝ち負けが決まるステージってWake Up,Girls!は初めてだもんね、。私もけっこう緊張してる」
 まゆしぃは意外と緊張しいなことは、何回か話したことがあって知っていた。でもステージに出た瞬間にそういうのは消えちゃうんだって。
「緊張することや緊張感を持つことと、緊張で動けなくなることは別物だから、自分がどういうタイプで、今どれくらい緊張してるかがわかっていれば、そんなに怖がらなくても大丈夫だよ」
 前にまゆしぃに言われたこの言葉はよく覚えてる。
 これを聞いてからはメンバーみんなが良い緊張感を持てるようになったと思う。
「みにゃみ、今朝はありがとう」
「ううんっ、というか私さっきなにも言ってないよ?」
 言われてみればそうだ、と呆気にとられたまゆしぃの顔が面白くて、私はまた笑ってしまった。
 まゆしぃもつられて笑ってる。
「でもホント、ありがとね。みにゃみにはたくさん元気をもらってる」
 Wake Up,Girls!のメンバーに直接そう言われると、やっぱり少し気恥ずかしい。
「私にも人の字、書かせてもらっていいかな?」
 突然の申し出にビックリしていると、まゆしぃは私の左手を取って、人差し指で人の字を書き始めた。
 二画だからすぐに書き終わったはずだけど、書いている間はすごく長い時間に感じた。
 書き終わったまゆしぃは、はいどうぞ、とでも言いたげに微笑んで少し首を傾げた。
 心臓がドキドキしている。
 私は人の字を飲み込むと、
「うんめぇにゃ~!」
 なんて言って、今までとは別の緊張をごまかそうとしてた。
「みんなっ! 準備はいい? ステージもうすぐだよ!」
 よっぴーの掛け声でみんなが気を引き締める。
 予選のステージが始まるんだ。



「笑顔! 極上! スマ・イ・ル!」
 曲とダンスが始まってしまえば緊張とは別れを告げられる。
 それにしても今日は、、メンバーもステージも観客席も、いつもよりよく見えている気がした。
 さっき緊張を吹き飛ばされてしまったからなのかも。
 メンバーのみんなは活き活きしてて、100%の力を出せているって思う。
 曲が終盤に差し掛かった頃、フォーメーションチェンジのすれ違いで、まゆしぃの目に涙が浮かんでいることに気がついた。後ろで踊りながら背中を見ていても、悲しげな雰囲気は出ていないって思った瞬間に、まゆしぃの周りの空気が色を持ったように見えた。


 嬉しいって感情を振りまいてるんだ。


 さっきの涙は嬉し涙で、正面から見えていなくても、私が憧れた島田真夢が、あの笑顔が、そこに在るんだって、そう思えた。

「ありがとうございました!」
「「「ありがとうございました!」」」

 ステージが終わって舞台袖へ捌けていく私たち。
 みんながやりきった表情をしている。


 私はまゆしぃに駆け寄って、
 真っ直ぐ目を見つめて、
「お願い」する。


「まゆしぃ、笑って?」

sakurairo

sakurairo

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-02-22

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二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

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