mcc

mcc

「今日のレッスンは一旦事務所に集合してから、っと・・・」
 着替えを済ませジャージ姿になった看板娘は、いつものように自動ドアをくぐり抜ける。老舗の和菓子屋の目の前でバッタリと出くわしたのは、意気揚々と事務所へ向かう未夕だった。
「あいちゃんっ、おはようございますっ!」
「あっ! みゅー、おはよう!」
 熊谷屋から藍里が出てきたところに居合わせられたのが余程嬉しかったのか、未夕は笑顔を隠そうともしない。
 二人とも足を止めて、浮かんだ疑問を投げかけてみる。
「まだ事務所の集合時間までけっこう時間ありますよね? こんなに早くどうしたんですか?」
「それはみゅーも一緒じゃない? 私は荷物置いて着替えてすぐに出てきちゃったけど」
 嬉しそうな笑顔のまま未夕は応える。
「私はですねぇ、レッスン前の精神統一! ってわけじゃないですけど、温かい飲み物で一服? してみるのもいいかな、と思って早めに出てきたんです~」
「そっかー、私は軽く振り付けのおさらいをしておきたかったから、事務所の下でやってようかなって」
 ありふれた動機も、日々のルーチンの中では珍しく見えてくるものだと納得しながら藍里は思い返す。
 そういえば未夕はいつも他のメンバーより先に事務所に居るし、時偶マグカップを持っていることもあると。
 何を飲んでいたのかわからないのは、事務所の階段を上る足音に合わせてマグカップを洗ってしまうからだろうか?
 そんなことを考えていると、思わず笑い出しそうになってしまう。
「いいですねぇ、私もおさらい付き合いますよっ」
「あっ、でもでも、私も一服してみたいな~って・・・ダメ?」
 未夕がいつも飲んでいるものが気になって申し出たお誘いは、少しばかり前のめりだ。キョトンとした未夕から目を泳がせながら言葉が滑り出る。
「あ、あのねっ、いつもみゅーってみんなより早く事務所に来てるじゃない? それで何を飲んでるのかなって気になっちゃって、その・・・」
 んふっ、っとはにかむ未夕は一本取られたといった調子で言う。
「あいちゃんよく見てますねぇ。一応メンバーのみんなにはバレないように楽しんでたつもりだったんですけどね? とりあえず私が何を飲んでいたかは、グリーンリーヴズに着いてからのお楽しみ! ってことにしておきますねっ」
 話しながら指でポーズをキメる未夕のキレがいつにも増してよく見えるのは気のせいだろうか。
 いつもの道をいつものように歩き出した二人の心はスキップのように弾んでいる。


 事務所の鍵を開けて中に入ると、当然丹下社長と松田さんの姿はない。
松田さんは少し前まで事務所に居たみたいだけど、買い出しをしてミーティングまでには戻ってくるようだ。
「誰もいませんねっ! あいちゃん、チャンスですよ? チャンス!」
 跳ねるように振り返った未夕は妙に嬉しげで思わず笑ってしまう。
「なにそれ~おかしくない?」
 ツッコミを入れた藍里は、未夕の背中を追うようにシンクとコンロの前に立つ。やかんでお湯を沸かし始めると、未夕はシンクの下の引き出しから袋を一つ取り出した。
「じゃーん! こちらが私の秘蔵の一杯ですよっ! お嬢様?」
「これって・・・ココア?」
 未夕が取り出したのは粉末ココアの袋だった。
「ついにメンバーにも知られちゃいましたねぇ、私のココア。他のみんなにはまだ秘密にしててくださいね?」
 引き出しの中、未夕が袋を取り出した場所を見てみると、物の置き方の具合でちょうど死角になる位置だった。どおりで今まで見たことが無いはずだと苦笑が漏れる。
「みにゃみあたりはもしかして気付いてたりするんじゃない?」
「いやぁ~、もし他のメンバーが気付いたりしたのがわかったら、私に知らせてくださいって松田さんには言ってありますし大丈夫なはずです!」
 松田さんだからちょっと不安なんじゃないか、とは思っても言わないでおく。
「お湯が沸くまで座ってよっか」
 はいっ、という元気な未夕の返事を聞きながら近い方の椅子に座ると、未夕は藍里の隣に並んで座る。
「今日は微妙に曇りだからいいけど、ここに座ると西日がけっこうキツいよね」
「あっ、わかります! ブラインドも無いしガンガン日差しがくるんですよねぇ~。ひどい時はエアコンつけてても相殺って感じで・・・」
 本日の平穏そのものな西側の窓を困った調子で見つめる二人は、募った事務所への不平を面白可笑しく話し合う。
「だいたい丹下社長の許可が無いと、暖房も冷房もつけられないっておかしくないですかあ? そりゃあ耐え難い時は私たちもつけていいってことになってますけど、基準が恐ろしく高いですよね、社長・・・」
「根性とケチが結びついちゃった結果なんだろうねー。ちょっと欲しいな~くらいの時は、松田さんに頼んでつけてもらって、よく後から来た丹下社長に一喝されてるし・・・悪いなぁとは思ってるんだけど」
 叱られている松田の顔は、快適さを手に入れたことと、WUG!のメンバーを多少ながら守れたんだという達成感で、いつもキリッとしている。
その表情でずっといてくれれば、そこそこ頼もしく思えるようにもなるんじゃないかと少しだけ想像してみる。
「暖房といえばっ、ななみんが冬場に早く事務所に着きすぎちゃった時に、大人が居なくてエアコンが何故かつかなくて、おまけにファンヒーターが灯油切れで給油の仕方がわからないからって、結構な時間この椅子で凍えてましたよね~」
「そんなこともあったよね。コンビニとか暖かいところで時間つぶせばよかったんじゃとは思うけど、たぶん少しパニックになっちゃってたかもしれないなー」
 そんなことを話しているうちに、やかんの笛が鳴り響いた。
「お湯、沸いたみたいですねっ」
 今日の未夕は何をするにしても嬉しそうだ。藍里がそんなことを考えていたら、未夕は慣れた手つきで手早く二人のマグカップにココアの粉を入れていく。
 やかんを手に取りながら少し寂しげにつぶやいた。
「本当は牛乳を入れてミルクココアにした方が美味しいんですけど・・・」
「ここ、冷蔵庫無いもんねー」
「冷蔵庫があればいろいろ便利だとは思いますけど、まあ、即栄養ドリンクで埋まりそうな気もしますね」
「私もそう思う」
 グリーンリーヴズの大人たちが、気つけに一杯、といった具合で栄養ドリンクを飲み干すところを何度も見てきたが故の、確度の高い予想に二人とも笑い出す。
「笑いながらだと危ないよ、みゅー、やけど気をつけてね」
 未夕の背中に投げかけた言葉で、大きく揺れていた手は止まり、また小さく揺れだした。
 お湯が注がれた二つのマグカップを持って未夕は向き直る。
「お待たせしました、お嬢様。こちらホットココアになります。大変熱くなっておりますのでお気をつけください」
 まだ溶け切らないココアの浮かぶマグカップには、ハートの意匠のスプーンが挿してある。


藍里の向かいに座った未夕は、まだ溶けきらないココアをかき混ぜて、スプーンがマグカップに触れる音だけが響いている。
「私、この溶けきってないココアのダマを混ぜながら、ちょっとずつ溶かしていくのけっこう好きなんです」
 未夕の普段は見せない心の底からリラックスしたような表情での呟きを、藍里もまたココアをゆっくり混ぜながら聞いていた。
「最初に少ないお湯で練ってしまえばすぐに飲めるんですけど、私は昔からずっとかき混ぜて溶かしてるんですよ。こうして遊んで眺めていれば少しはぬるくなりますしね」
 そう言った未夕はマグカップの中にココアの渦を作りだし、残っていた黒点の消失を確認する。
「って、あいちゃん、聞いてますかぁ?」
「うん、聞いてるよ。みゅーのこんなに穏やかな表情って、初めて見たみたいでなんか新鮮で」
 困り顔で詰め寄った未夕は困り顔で引き返した。
「もしかして今、完全オフモードみゆを見られちゃった感じですかぁ?」
「ん、まぁ・・・ばっちり?」
 苦笑混じりに藍里が応えると、未夕はガックリと音が出そうな動きで頭を落とした。
「でも、みゅーのいつもみたいにテンションに左右されない一面? みたいなのが見られて私は嬉しかったよ?」
 顔を上げずに半ば俯いたまま、未夕は言葉を発する。
「あいちゃんは、みんなのこと、本当によく見てますよね・・・」
 藍里は微笑み、
「そりゃあもちろん! 私はWUG!の大ファンだもん! みんなのことをもっと知りたいって気持ちは、みゅーのアイドルファン活動にも負けないよ?」
 なんて軽口を叩く。
「なんですかぁ~、それぇー?」
 お互いに笑いながらココアを一口、口に含んだ。
「あいちゃんがそうやってみんなを見てくれてるっていうのは、メンバーみんなが安心感みたいなものを感じてると思いますよ」
「えぇー、そうかなあ・・・」
 私がそうですから、とは、今は未夕は言えなかった。
 少しだけ話題を逸らしてみる。
「みにゃみは目に入れても痛くない! って感じですよねっ」
「じゃあよっぴーは、目を光らせる・・・とか?」
 目が含まれたメンバーに似合いそうな慣用句を探す流れになり、二人ともがうーんと軽く唸って考えを巡らせる。
「ななみんはー・・・目が高い、かなあ」
「いいんじゃないですか? かやたんはこれしか無いでしょう、目に物言わす!」
 夏夜に申し訳ないと思いつつも声を上げて笑ってしまう。
「まゆしぃは、目を奪われる・・・」
 はい、と相槌を打って未夕はしみじみと頷いた。
 今回のような連想ゲームを何回かやっていけば、微妙なズレからお互いのメンバー観の違いがわかっていくのかもしれない、と藍里は思い至る。
 未夕が神妙な面持ちで前を見つめている。


「あいちゃんは、涙になってくれそうですよね」


 言われた瞬間に心に波紋が拡がった気がした。
 面と向かって、目を見て言われて、言った本人の頬はどんどんと赤くなっていく。
 それってどういう意味? と聞き返したいのに目が離せなくなってしまっている。
 自分の心臓の音が鳴っているのがわかるような静寂で、相手はマグカップを両手で口元に持ってきているが、とくに飲むようすはない。
 お互い視線が外せない、このままどれくらいの時間が経ってしまうのだろうと脳裏に過ったその時、事務所の階段を上る足音がした。
「おはようございまーすっ!」
 実波が挨拶しながら入ってきて、さっきまでの永遠のような時間の針を進めてくれた。
「みにゃみ、おはよう」「おはようございますぅ!」
「二人とも何飲んでるの?」
 二人が持っていたマグカップに気付いた実波が問いかける。
「私が持ってきたココアですよぉ、みにゃみも飲みますか?」
 うんっ! という元気な返事を聞くと、未夕はまたお湯を沸かし始めた。
 藍里の隣に座った実波はヒソヒソ声で話しかける。
「あいちゃんこのココア、今日初めて飲んだの?」
「うん、そうだよ」
「私ね、けっこう前からあることに気付いてたんだけど、やっと飲めるから嬉しいんだあ」
 ついさっき話していたことを本人から聞かされて、笑みがこぼれる。
 お湯が沸いてマグカップにココアを入れた未夕は、少量のお湯でココアを溶いていた。それに気付いた藍里の視線に対して、
「お静かにっ」
 とでも言いたげな人差し指とウインクを返す。

 これからしばらく、グリーンリーヴズではココアが流行ったようですよ?

mcc

mcc

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-02-17

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

Derivative work