茸のお産

茸のお産

 茸幻想短編小説です。PDF縦書きでお読みください。

 
 私は産婦人科医である。
 秋も深まったある日、秋田の由利本荘市で行われる会議に行くことになった。その途中で、新潟の胎内市を訪ねてみることにした。なにしろ名前が胎内である。産婦人科医は妊婦の胎内変化を逐一知らなければならない。前々からどのような町なのか興味をもっていた。
 新潟駅から羽越線にのる。胎内市は特急いなほで三十分ほどのところにある。駅でいうと中条である。降りてみると、駅の前はよくある風景で、これといって取り立てていうようなものではなかった。駅を出たところにタクシーが一台止まっている。脇には小さな駐車場があり、周りにある店はほとんど閉まっている。ちょっとあたりを歩いてみたが、人がいないといっていいほど少ない。道の端にあるマンホールを見ると、図柄はチュウーリップだろうか、これも珍しいものではない、しかも、マンホールには胎内市と記してなく、中条とある。
 何も見るものがないことが分かった私は、次の特急まで時間をもてあますことになった。
 折角来たのだし、暇そうに止まっているタクシーの運ちゃんに、胎内市の街中につれていってもらった。街の中をちょっと見てみようと思ったからである。
 一番にぎやかだという通りを通ったが、狭い道に、これまた、普通のお店が並ぶものであった。地方の典型的な町である。
 タクシーの運転手の話では、数年前までは中条町だったが、いくつかの町をとり込んで、胎内市になったそうである。これで少し納得した。昔からの名前ではないわけである。胎内と名付けた理由を聞くと、町を流れる胎内川からとったそうである。
 そこで、胎内川に行ってもらったが、何の変哲もないさほど大きくもなく、草が茂っているだけの川であった。その川の由来はよく知らないが、上流のほうが扇状地で、一端、川が無くなり、すなわち、扇状地帯では川が地下に潜り、また扇状地末端で川として現れる。そんな形状から胎内川とつけられたという説があるそうである。
 駅に戻ってもらい、二千五百円払い、ちょっとがっかりして、タクシーを降りた。
さてどうしようかと思案していると、真っ白なボディーの横に一本真っ赤な線のはいったタクシーが駅前に入ってきた。地味な場所にやけにしゃれたタクシーである。
 そのタクシーは、音もなく私の立っている前に止まると、ドアーを開いた。
 中を見るとシートは紫色のビロード張りである。
 運転手が窓を開けて私を見た。女性の運転手である。
 「奥胎内にまいります」
 そう言って前を向いた。横顔が何とかという女優に似ている。少しぽっちゃりしていて、色は白い。ベレー帽をかぶっている。
 奥胎内、一体何があるのだろう。自分の右足が勝手にタクシーの中に入っていく。なんだこの足は、勝手に動いて。他人(ひと)事のように足先を見ていると、私は中腰になって、ビロードのシートにからだを沈めていた。
 「お願いします」
 他人が言っているのを聞くように、自分の声が聞こえてきた。
 「はい」
 女性の運転手の声は低音だった。ベレーの後ろから黒く長い髪の毛が肩までたれ、洗い立てのようにさらさらと揺れている。
 タクシーのドアはすでに閉まり、動き出している。
 先ほど通った街中を抜けると、胎内川の橋を渡った。駅に引き返した地点である。
 田んぼの道を進んでいくと山が近くなってきた。
 林に囲まれた山道に入ってしばらく行くと、牧場が見えてきた。ここは乳牛の有名なところでもある。牛たちがのんびりと草を食(は)んでいる。
 牧場を過ぎると、鬱蒼(うっそう)とした林の中の道に入った。こんな道をよく運転できるものである。山の奥にすすみ、さらに上に登っていく。
 道が道らしくなく、タクシーは草をかき分けながら進むようになった。
 ほとんど人が通ったことのないような草ぼうぼうの道を、車がかき分けながら進んでいく。まわりは薄暗い、木々の間にのびる獣道のような道である。それにしても草をかき分けているにしては驚くほど静である。振動もなく、宙を舞っているのではないかと思われるほどである。
 女性の運転手はいつの間にかベレー帽を脱いでいる。黒い長い髪が、肉付きのよい背中にゆらゆらと揺れている。
 運転手が後ろを振り向いた。
 二重の大きな目が私を見た。運転しているのに大丈夫だろうか、と気になったが、運転手の目は私を車のシートにどっしりと押し付けてしまっていた。
 運転手が低い声で、しかし、とても耳に心地よい声でささやいた。
 「先生、私の娘がこれから出産なのですが、是非、見てやってください」
 「調子がおかしいのですか」
 運転手はうなずいた。
 「はい、なかなか産まれないので苦しんでいます」
 私が産婦人科医であることなぜ知っているのであろうか。東京の病院のホームページを開ければ確かに顔は出ているであろう。しかし、今日、今、私がこの町で電車を降りることなど分かるわけはない。
 「ご自宅で出産ですか」
 「もうすぐ着きますわ」
 女性の運転手が言い終わらないうちに、山の中腹にある広々とした草地に出た。
 窓から緑色の屋根の平屋の家が見える。
 「こんなところに家があるのですね」
 「はい」
 白い壁の家の前で車は止まった。
 運転手が降りて、自動ドアにもかかわらずわざわざ私のためにドアを開けた。
 降りて目にはいってきたのは、雄大な景色である。遠くに連なる山々、その前に広がる緑の平野。見とれていると、運転手が後ろから声をかけた。
 「こちらです」
 運転手は家の戸を開けると、振り向いて私を手招いた。
 家の中に入ると、外のさわやかさとはうって変わって、むっと、湿気の多い空気が私の顔にまとわりついた。
 玄関から靴を脱ぐでもなく、外国の家さながらに、そのまま運転手は廊下に上がり、私に来るように笑顔で促した。
 廊下の突き当りの部屋から、うんうんという息む声が聞こえる。まさに、子供を産まんとしてがんばっている声である。
 「お医者さんにはかかっているのでしょう」
 「いえ、今まで、何事もなかったので、かかったことはありません、しかし、今回はとても苦しそうで、先生を胎内駅までお迎えにあがったのです」
 運転手は声のする突き当りの部屋の戸を開けた。
 その中は家の中に入ったときより、もっとむせかえるような暑さを感じた。林の中の下草の匂いが充満している。
 「暑くありませんか」
 「この子にはこれが調度よいのですわ」
 見ると、木製のベッドに、茶色のもみじの葉をあしらった浴衣を着た娘が上向けに寝てうなっている。
 お腹がかなり盛り上がっている。苦しいのだろう、胸で息をしている。しかし、外見上はこれといった悪い兆候は見られない。
 「どうですか、かなり痛みはきていますか」
 私がたずねると、大きな目をした運転手にそっくりの娘は、こっくりとうなずいた。真っ白なきれいな皮膚をしている。まだ少女といってよい年齢である。
 「初めてのお産ですか」
 運転手は首を振った。
 「いえ、去年からですの」
 おかしな答えだが、その子どもはどこにいるのだろう。
 そのとき、少女は強く息みだした。
 私は、着物の裾から手をいれ、少女の腫れたお腹に触った。
 なんであろう、なにかごつごつ、ごろごろしている。普通だと動めいている胎児の感触がなめらかに手に伝わるのだが、腹の中には何か硬いものが入っている。異常である。
 私は手を引っ込めた。
 中にいるのは人間ではない。
 「先生、手をそのままにして、この子のお腹をさすっていてくださいな」
 私はまた、少女の腫れたお腹の上に手をかざした。お腹の中でいくつもの何かが暴れているようで、私の手にぽこぽこと当たる。
 「がんばるのよ、有名なお医者様をつれてきたのだから」
 運転手が娘に声をかけている。
 「はー」
 少女がため息をついた。
 お腹の動きが少しなだらかになり、ぱーんと張ってきた。
 「もうすぐかもしれないな」
 私が言うと、少女はこっくりと肯いた。
 少女が大きくのけぞって足を広げた。浴衣の裾が割れ、雪のように真っ白な足が現れた。
 「アーア」、という声とともに、大きくのけぞった少女の陰毛のない股間が赤く口をあけた。
 私は手をやっていた少女の腹がくっと突っ張ったのを感じた。
 「ハーア」、少女が大きな声を上げると、少女の赤く開いた股間から、白いものが顔を出した。
 「ハッ」という声とともに、鼠ほどの大きさの真っ白いものがポコンと股間に転がりだした。
 茸だ。
 私は声を上げてしまった。
 少女の股間から、次から次へと真っ白い茸が出てきた。白い茸は自分勝手に飛び回り、床の上を跳ねた。
 運転手は白い茸を手にとって、
 「かわいい赤ちゃん」と微笑んでいる。
 少女は限りがないように、白い茸を産み続けた。私の足元にもうじゃうじゃと白い茸が動めいている。
 少女の腹がしぼんできた。
 シューっという音がすると、少女は真っ白な茸の姿になって、ベッドの上に横たわり、天井を見つめている。そのように見える。その脇には大きな白い茸が立っていた。床には無数の白い茸が芋を洗うような状態でからだを動かしている。
 生まれたばかりの白い茸が、むくむくと大きくなってきた。茸たちの動きが激しくなる。あっという間に背が高くなり、私を見下ろしながらダンスを踊っている。狭い部屋の中にひしめく茸たち。白い体が私に押し付けられる。
 白い煙が立ち込め始めた。茸たちが吐き出しているのだ。胞子だ。口の中に入ってくる。あたりは真っ白になり、濃い霧の中のいるようだ。白い胞子を吸った私の意識は薄れてくる。目の前が真っ暗になった。
 
 はっと気がついたとき、中条の駅前に立っていた。
 駅の放送が、秋田行きの特急いなほの到着を告げていた。
私はあわてて、かばんを抱え、改札口に急いだ。
 頭に霧がかかったような状態で由利本荘につき、宿に入った。
 地方紙の夕刊がテーブルの上にあった。浴衣に着替えながら目をやると、胎内市の茸の豊作が報じられていた。

(「海茸薬」所収、2017年自費出版 33部 一粒書房)

茸のお産

茸のお産

茸の幻想短編小説です。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青年向け
更新日
登録日
2018-02-16

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