月影の祭り

<壱>

 今は江戸の時代。
 この山地には百年前から由緒正しき祭祀(さいし)が秘密裏で根付き、村人以外に知られることを頑なに拒まれてきた。
 その祀りは夏も静まり、夜霧と共に涼しさが肌に染み付く時季になれば行われる《夜神さん》という。
 夜神とは、この閉ざされた山間の小さな村に毎年現れ、民家の内の一軒にやって来ては乙女を《片色目》にしていく不可思議な現象を施す根源である。
 その翌朝になると、乙女は朝の帳のゆるやかな明るさに目を細める。なぜなら、乙女の左瞳の色だけが空色だったり、木の葉色だったり、何かの花の色に、はたまた淡い夕暮れ色に変えられているからだ。それが何かの花の色ならば、翌年その花が多くつき、花染め織物や花を閉じ込めたべっこうあめの産地でしられるこのあたりは美しい花の彩りで充たされた春を迎える。もしも自然の色ならばそれになぞらえた事象で季節を報せてくる。
 祭祀はそれらへの感謝や畏敬や鎮魂を込めて行われる。貢ぎ物としては花色ならば染物や花を。瞳の色にちなんだものが乙女により手向けられてきた。泉色ならば湧水を。栃色ならばその実といったように。
 だが、光も跳ね返さぬような闇色や、何にも染まらない純白に瞳が変えられた時だけは穏やかには済まされなかった。夜神さんの訪れた翌日から乙女は座敷牢にいれられることとなる。そんな一年は何かが起こる。その時にその乙女が身の危険にさらされないよう、それらの禍から逸らさせなければならなかった。そして明くる年の夜神さんの祭祀でその乙女は貢ぎ物として捧げられた。
 瞳を変えられた乙女が座敷に匿われていることで、禍は最小限で済まされるのだが、もしも逃げ出したとなれば酷かった。

「お七。今日も来たよ」
「三治朗(さんじろう)さん、外は寒かったでしょう」
 声を潜めて迎え入れ、すぐに襖は閉ざされた。
 お七が閉じ込められたのは、村でも十の指に入る立派な屋敷の娘として産まれたには悲しすぎるものだった。六畳の固い床じきの間。そこには寝床や桐箪笥、葛籠(つづら)や鏡台などが置かれている。外からは弱光さえ射し込まない地下。
 今や彩りの秋も過ぎて寒さが身に染み始める冬の入り口。たまに雨は雪にかわり、野や山がほんのりと雪化粧を纏うような。鳥の鳴き声も寂しさをまし、鹿の高い鳴き声もなりを潜めて狼の遠吠えも静かになってくる季節。
 お七は恋仲の三治朗と毎年見てきた秋の山錦に包まれた村の美しさを思い出すと、心がなんとも切なくなる。山の青い泉を滑り波衣となる紅葉や、畔の木々の間を現れる狐や雉の姿。色づいた実をとりわけ二人でほんのり甘酸っぱいそれを食べたりもした日々。
 三治朗は今、着物の膝に視線を落とした可憐な乙女を見て、自己を責めた。なぜもっと早く結納を済ませなかったのだろう? 身分の違う二人は許嫁にもなれず、それでも二人でいられる今生の幸せを日々尊く思い過ごしてきた。夜神は婚姻を結ぶ前の乙女の前にしか現れない。
 だからとてまさかお七を訪ねたのだなんて。
 お七の左の瞳は純白で、小さい瞳孔などは夜の坩堝ほど暗い。この地方の女の髪型通り前髪は切り揃えられ、長い後ろ髪はゆったりと毛先が染め物の布で包みこまれ、彫り物留め具の花飾りが咲いている。それは奇しくも今のお七の左眼と同じ白、村に伝わる《おなご生涯花》の風習で、彼女が生まれたときに印として与えられた白い花だった。お七は言う。この瞳は私の大好きな生涯花とおんなじ。綺麗で、気に入っているのよ。と微笑む。
 三治朗は辛かった。こうやって人目をはばかり逢いにきた帰り道は、一人悔しさに涙が頬を流れ伝った。
 焦燥した顔など見せるべきでないと笑顔で会いに来ても、お七が三治朗の焦りを読み取っていることは長い付き合いでわかっていた。
 本当に辛いのはお七なのに、助けもできない自分がなんと情けないのか。
「思い悩まないで。この瞳を受けたことで、この一年は村人に注意をしなさいと夜神様は忠告してくれているのですもの」
 三治朗を安心させるために言い、そのお七の視線の先、三治朗の背後から襖越しに、足袋をする足音が微かに聞こえた。お七は三治朗を早く葛籠に押し込み上に柔らかな着物を乗せてから蓋を閉めた。
 三治朗は息をひそめて目を閉じ、着物に焚き染められた香の薫りに包まれながら、はね上がる心臓を落ち着かせた。
 お七は引かれた襖の先を見て驚き、身を固まらせた。まさかまだ夜の深部でもないのに来たのだなんて。
 夜群青の衣を召し、足元まで長い放埒な黒髪を風も吹かないのになびかせるのが、人あらずにまごうことのない夜神様だ。その深い青の瞳は月のように光りを発している。
 青く光る瞳がお七の黒い右目に揺れる。
 光りにあてられそろそろ雪肌のお七は花になり透明になりそうだ。
 また彼女の全身からじわじわと発されはじめた群青色の光がみるみると夜神様に吸い込まれていく。お七は膝をくずし後ろに倒れかけ手首を掴まれた。その白い手からもみるみる光りは吸い寄せられ、夜神様に到達するまでには白い光になってゆく。
 今日のぶんの光をもらうと、夜神様は今度はふわと浮かび、なんとその場で見えなくなった。
 葛籠からそれを見ていた三治朗は酷く驚き、支えを失いふらりとしたお七の背を見ると蓋をはねのけ駆けつけた。葛籠に仕舞われていた色とりどりの花染着物が空に舞い三治朗の肩にまとわりつき、その薫りと頼りある胸に包まれてお七は目をさました。
「大丈夫か?」
「ええ、三治朗さん」
 頬を染めたお七を座布団に落ち着かせ、三治朗も顔を赤らめてから気を取り直してゆっくりと聞いた。
「さっきのは一体」
「………」
 お七は言うわけにはいかずにいた。
 彼女の視線を落とした顔を見ると、三治朗の心に大きな焦りが走った。まさか恋仲の自分にまで言えない夜神様の秘密があり、二人を隔てようとしているのか。
「お七」
 キッといきなり彼女は顔をあげ彼を見た。
「言えないの。お願い。私を助けるためと思ってどうか」
 三治朗は脳裏で何かが弾けたように目をみひらき、ついカッとなっていた。
「彼はお前をさらっていくんじゃないか!」
 夜神様は村の守り神と言われているが、これは何を信じろというのか理解できなかった。
 三治朗はあまりにいつも落ち着き払っているお七、恋仲を引き裂かれる悲しみの涙さえ見せたことのなかったお七を凝視した。それは今まで強く頑なに弱くなることを耐えるお七のしおらしくも健気な姿だと思っていたのに。
 だが、三治朗は自分の怒りは勝手なことではないのかと思いとどまり、聡明なままのお七の瞳をじっと見て、何度も息を吸い吐いた。
 お七はじっと三治朗の瞳をそらすことなく見続けた。それは白い瞳がもとからお七の色であったのだという概視感が襲うほど。まだ若い三治朗にはすべてが不可解な物事でしかなく、理解になど及ばなかった。彼は顔を背け、走って座敷から出ていった。
 襖がぴしゃりと閉まりお七は取り残され、こらえ続けていた涙が一気に溢れ、顔を床に臥せって泣きそぼった。
 この瞳は悪い風に当たって、病や疫に冒される危険があると夜神様が匿わせているもの。そんなことが知られたら、恐怖にかられた村人たちはお七に何をするか目に見えている。
 夜神様は訪れる毎にお七から体に憑いた邪な疫の毒素を抜きにくる。
 白い瞳は清らかな力を集めた月の光。一人の時間でも毒素に負けぬよう、瞳から体に抗える力を込めていた。
 村人の一部はその年は豪雪に備えた冬支度をする者も多い。それで白い瞳の年毎に雪崩が起きそうな場所は広葉樹の苗が植えられたり、屋根を補強したりなどした。
 逆に闇の瞳のときは、河が氾濫するほどの大雨に見回られる。その時に過去に三度ほど座敷牢から乙女が抜け出し流されたことがあり、忠告も無視した行為に夜神様が翌年現れなかったこともあった。
 お七は辛さに押しつぶされたくなくて、必死に髪を束ねる染められた布を持った。
 もとは治すように言われていたお七の癖だ。不安になると幼い頃から髪の染め布をいじり、しつけがなっていないと怒られていた。
 それも、上手に毒素が消えていき夜神様がおよぼす自然治癒がすすめば、疫にならずにすむ。
 だがその後はやはり何らかの疫になるかもしれない村にはいることはできず、乙女は貢ぎ物にあげられた後に一人社から抜け出し村を出なければならなかった。
 その時は、三治朗さんに言おう。一緒に駆け落ちをしましょうと。
 それまでは、疫に体は勝つかどうかはわからない。そんな大きな不安を抱えて夜神様に授けていた。家を離れる寂しさもつのった。
 それがなぜ結納前の乙女だけに現れるのか、体の免疫がかわるのか、なんの関係なのかはわからない。
 お七はずいぶん見ることのなくなった外の景色を思い、そこを駆け抜けていくだろう三治朗さんを思って再び泣きふした。
 今は雨かしら。雪かしら。晴れているのかしら。四季は巡っているのだ。

 深い雪に閉ざされた村。三治朗は屋敷にくることはできない。
 灯火のある座敷には、姉と妹がいてお七の横で裁縫をしたり、お手玉で遊んだりをしていた。それらの影がゆらゆらと漆喰壁に描かれている。
 姉はちらりとお七の横顔を見つめた。幾度も、大切な妹に代わり自分が身代わりならと思う。お七はいつでも悲しみや不安をうちに押し込む。姉自身は夫がいて、婿として彼が屋敷を継ぐ役目があり、姉も忙しさでお七のいるここへはあまり来てやれない。末の幼い妹も一人で座敷を訪れさせることもできなかった。
 雪の気配は地下座敷には響かないが、しんしんとした寒さもそうは届かない。みな綿入りの着物を着込んでいた。
 幼い妹が笑顔でお手玉を座布団に置き、鏡台からくしを持ちお七の髪をすきはじめた。どきどきにこにことした無垢な顔がお七を覗きみてくる。そんなとき、可愛らしい妹や優しく無口な姉と別れることになる寂しさがお七を襲う。姉の髪にはヒトリシズカの飾り。妹の髪にはヨシノシズカの飾り。お七の髪には白桔梗の飾り。まるで雪に交ざりそうな白さ。
 しばらく遊んでいると時もたち、妹は眠たげに目を擦るので姉が抱き上げて座敷をはなれていくのだが、ずっと気にしていたことがあり振り返った。
 銀箔の襖に妹を抱き上げる姉が振り返り、お七は見上げる。妹は大事なお手玉を小さな手で握りしめ、すでに目をとじ柔らかな頬を姉の肩に預けている。
「三治朗さんとのこと、わたくしは陰ながら見守っております」
「お姉さん」
 お七はびっくりして目を見開いた。
「冬場は雪に閉ざされて会えない寂しさはございましょうが、また春になれば」
 お七は静かに、だが深くうなづいた。
「お忙しいのにこちらに来ていただいて有り難う存じます」
 お七は深く頭をおろし、あの白い瞳が見えなくなった。さらさらと髪がおりて涙をかくし、あげられたときには揃えられた前髪の下の瞳は蝋燭に強く光っていた。
「これも私に与えられた宿命と思い、強く過ごしてゆきとうございます」
 微笑んだお七の顔に、姉はすっくとたつ白桔梗が重なった。日に日にお七は強い揺るがない光りをまとうように感じる。姉はお七をいじらしく思い、強くうなずいて見せた。
「わたくしはいつでも貴女の味方です」
「弱音はもう言いません。お姉さんのお言葉、感謝いたします」
 辛いのを頑張るお七の姿を見つめ、姉は優しく微笑み襖を出ていった。
 姉が階段を上がり廊下を歩き、妹を床の間に寝かしつけてから出ていくと、一瞬後ずさり美眉をひそめて下男を見た。
 この下男は酷いことを言い影で村人や親族にお七を疎ませ者にしている悪い男で、お七を身の危険にさらさせようと目論む者だった。なにも言えない、することのできないお七を辛い立場にさせて、許せない心が静かな性格の姉の心に渦巻いて苦しくなる。お七はそれをまだしらない。お七を守らなければと姉は心に決めている。
 下男は彼女たちの両親にはさもいい人ぶり口車にのせているので、どんなに姉があの下男を追放して下さいと懇願しても、悲しいほどに信じてくれない。
 また下男は彼女には見せてくる賎しい口元で廊下を去っていった。
 姉はぞっとしつつも口を悔しげにきゅっと結び、身を返して歩いていった。
 上では寒さの身にこたえる季節。心が凍てつく前に姉は外部からは板で仕切られた回廊を歩き母屋にきた。
 そこには両親が深刻な顔をして向かい合い座している。
「父上。母上」
 お七はあんなにも頑張っている。なのにこれ以上はお七の傷口に塩をすりこむような下男の不浄さなど寄せ付けたくなかった。
 だが、いつもどう言うべきかが思い付かずに、言っても解決におよばずにいた。
 無情を感じずにいられずに、姉は引き返して廊下を歩き、自室に来て暗がりで膝をつき深く祈りを捧げた。
「どうか夜神様、お七をお守りください」
 姉は何度も呟きつづけた。
 毎夜その祈りを聴いてきた夜神は、姉の背後にすうっと現れて背に冷たい手を当てた。それは綿入り着物のうえからも感じて、姉は驚き振り返った。
 そこには見なれない背の高い青年が佇み、青く光る瞳で姉に視線を落としていた。
 夜神は彼女が何に怒りを感じ祈りを捧げてきているのか、言葉には出さないので解りかねている。だが疫からお七を守ることも夜神の役目である。
「お主は何に怒りを持っておる。怒りなど似合わぬ顔をして、辛かろうて」
「わたくしは」
 姉は声が震え、いきなり現れた青年に対してどうしたらいいのかわからずに、どうにか整理をしようとした。これは誰として助けの手を差しのべてはくれない日々に突如現れた救いだろうか。
「しかし、酷いことなどしとうございません」
「お主はは怒りを持ってしても清らかだ。だからこそ苦しみ続けているのだろう」
 夜神は静かに言い、身をかえしてふっと姿を消した。
 姉は心底驚き、彼が夜神様だったのだと今に気付きその場に力がぬけて座りこんだ。
 姉は急いで廊下を出ると早足で歩き見回しながらあの青年を探した。
「そうですわね。致し方ない。男手のほしい時期でもあるけれど、向こうの頼みとあってはあちらの村に四年間のこと下男を出して手伝わせるのがよろしいわね。なにやらあちらは足りてないと言うから」
 姉は両親のいる二の間の障子から聞こえた声に顔をあげた。
「何やらお千代が下男について言っていたのもどうも気になり始めた。あの男に我々はなにかされるのかもしれない」
「恐ろしい。その前に屋敷からやはり出しましょう」
 その話に姉は佇んだままにいた。
 その姉の視野に青い光りが二つ。
 そしてもっと先にあの下男がいて黒いものを持つ目で姉を見ていた。
 姉は胸元に手をそえて見た。夜神は実は先ほど男に隠された邪悪さが見えて危険に感じ屋敷から遠ざけさせるように、お七の両親の心を操り下男を追い出させた。
 やはり怒りのもとはあの下男だったようである。そんな者などは不要。明日には下男は使いとやらに出されることだろう。
 夜神は姉を静かに見つめると、身をかえして姿を消した。
 また深夜になればなお暴れだす疫の浄化をしてあげなければ。

 春になり、すっかり花が咲き誇る季節。川のせせらぎが軽やかに三治朗の耳に響き、飛び交う蝶や昆虫がゆるやかな日を浴びている。
 いまだにお七は地下座敷からは出ることができず、三治朗が携えてくる春の便りに四季の眩しさと芳しさを感じとっていた。
「今年の冬は豪雪で寒さも厳しかったが、そのぶん花が綺麗だろう」
「綺麗」
 二人は微笑み、見つめた。
 昨日は妹が春の姉様人形を持ち座敷にやってきて遊んでいき、姉は夫と用事ができて早々に妹をつれ上へ上がっていった。もう春なのだわ。お七は思い馳せて花を見つめた。
「お七」
 冬の間ずっと思い続けていたことを三治朗は花を弄びながら、顔をあげてついには言った。
「二人きりでかまわない。今ここで愛を誓わないか」
 まっすぐに三治朗がいい、花をお七に持たせ手を握りしめた。
 お七は顔が紅潮してまばたきを続け、三治朗を見た。
「秋には祭祀が行われる。その前にお七との愛をしっかりした形にしたいんだ」
 お七はどんなに待ち続けたことかと、胸が締め付けられるほど苦しくなり動けなくなった。本当にうれしくて、今に涙が溢れんばかりだった。喉がつまって何度も深呼吸をして、だが、苦しいと気づいて胸元を押さえた。
「お七」
 三治朗は驚き肩を持ち顔を覗き見た。白い瞳が光り、三治朗は瞬きをした。
 瞳が光ると、お七は体が楽になってようやく顔をゆっくりとあげた。
 膝の上の愛らしい花を見つめる。どれも大好きな花。見ているだけで心救われる尊い花の生命。
 お七は小さく微笑み三治朗を見た。
「お花、どうもありがとう。お話もとてもうれしい。私もどんなに今すぐそれが叶うなら」
 しかし外の空気をまとうものは花瓶にさし遠くからしか眺めることはできなそうだと、さきほど悟った。まだ治癒の段階。夜神様は上手に浄化ができればよその地で生きていけるという。今は辛抱のとき。
「すぐに返事なんかできないよな。俺がいきなり言っていて驚くのだって無理はない」
「必ず、返事をするときがくるわ」
 三治朗さんを愛しているのだから。
「待つよ。だから」
 三治朗はお七を初めてしっかり抱きしめ、耳を染めて走るように座敷を出ていった。あとはぽうっと撫子色に頬を染めるお七が残った。それはお七自身が可憐な一輪の花として座敷に咲くようだった。
 三治朗は菜の花畑を駆けていき、青空に舞う紋白蝶が番で踊るように飛んでいる。
 心地よい風がふき小川の流れもなにもかも軽やかだ。三治朗は声に出し笑いながら走っていた。
 水車の回るところまできて、たくさんの桶に色とりどりの草花が摘まれている。女たちは染め物に勤しんでいた。
「久しぶりにご機嫌だねえ」
 汗をぬぐい染め女の一人が言い、笑顔で三治朗に話しかけた。彼女たちの内には片目がすみれ色、さくら色、よもぎ色などになった者もいた。夜神様の報せによるもので、 彼女たちの場合は座敷に幽閉されることはなかった。
 三治朗は彼女を見て、まるで静かになってしまい今度は項垂れてしまった。ふとっちょのおばさんが「どうしたのお」とやってきて、三治朗の背をばんばん叩き元気付ける。
 やはり自分は勝手なことをお七に言ってしまっただろうかと思った。夜神様に瞳を変えられた乙女が、秋の祭祀(夜神さん)までにまさか結納らしきものを結んだ話など聞いたことが無い。もしも夜神様の怒りをかうことになればどうなることか。
 それでもお七を心から笑顔にしてあげたいのだ。
 一度夜神様が現れた日に何も言わないお七に怒って出ていってしまってから、三治朗は反省し思い悩み続けていたのだ。なんて馬鹿なことを自分はしたのかと。男が女にそんなことを言ってしまった自分への怒りもあり、責任をもってこれまで以上にお七を大切にしたいと思ったのだ。それは純粋な心だった。
 三治朗はおばさんに元気付けに花べっこうあめを口に放られて水車小屋を歩いていったのだった。みな顔を見合わせ、その背を見送った。藍染をしていたおばさんの手跡がついた背を。
「お七との結納は間違っているんだろうか。夜神様はどうお考えだろう」
「それは男としての使命感からであろう」 森で一人ため息をついていたら、いきなり木が喋ったのか、三治朗は見回した。
 自分しかいない。青をたたえる泉は小花に囲まれている。
 先ほど声がしただけで、どこを見回しても見当たらない。まさか幻聴だろうか。どうやら遠い京の都には妖魔や幽霊が出るというが。
「まさか夜神様でもあるまい」
 しばらくしても声は聞こえず、三治朗は畔に座りこんだ。
「そんなに身近な存在でもあるまい夜神様が昼に出てくるとも思えない」
 ばっと振り向くがやはり三治朗一人だった。自分の心の声だろうか。わからない。
 三治朗はため息をつき、泉を見つめた。
「お七を幸せにしたい」
 呟き、頭を抱えた。
「応援いたします」
 三治朗はとっさに振り返り、お七の姉を見た。彼女は微笑み横に座ると泉から吹き上げる風に髪を揺らした。瞳を光らせて。
「あの子が必死に強がる姿を見て、これからも支えになってもらいたく存じます」
「知ってたんですか」
「少なからず察してございました。両親の了解は得られないかもしれません。しかし、愛情というものはまず第一の力。わたくしはあの子を心救えるのは三治朗さんだと信じております。わたくしが見届け人となりましょう」
 お七の姉は三治朗を見て、頭を下げた。
「お七と秘密裏にでも婚礼をしてさしあげてくださいまし」
 二人が裏口から静かに屋敷に入り、地下の座敷にくるとお七を見て驚いた。彼女は水色の淡い光を発して臥せっていた。前に三治朗が見た濃い群青の光りからは大分薄くなっており、ゆらめきも浅かった。
「お七」
 二人は駆けつけたと共にお七を引き上げた。お七の白い瞳が白く光り、いきなり強い光りを発した。そのままお七は気を失い、光る瞳が薄いまぶたに閉ざされた。

 その後、お七は二ヶ月間眠り続けた。不思議と痩せ細ることもなく、静かに横たわったまま時は経つ。
 空を朱鷺の群れが羽ばたいていき、鷲も悠々と羽ばたいている。三治朗は青空を見上げてそろそろ燕も飛び交う時期だと思った。
 時々、お七の姉は彼女は変わらず落ち着いて眠っていると知らせてくれる。
 初夏に色づく鮮やかな翠の山々に囲まれて、お七が早く目覚めることを思う。
 その頃、座敷では誰もいない内を夜神が淡い水色の光りを吸い込んでいた。時々、目も覚めるような美しい青の光りがお七の体を包みこむ。
 透明感のあるその青は、どこにも白みも黒みの欠片もない清い青だ。浄化が上手にいき始めていることの証。
 夜神は静かに手を引き、またその場で姿を消し際に柔らかく微笑んだ。お七は大丈夫にちがいない。
 ふと、お七はまぶたが震えて目をあけた。
 おぼろげに辺りを見回す。そこは幼い頃に姉とよく遊んだ地下座敷で、しばらくは首をかしげていたが、ゆるゆると思い出してゆっくり起き上がった。体は軽く、どこか今までの元気がふつふつとわくように感じる。
 座敷を見回すと、鏡台にシャガの花が挿されていた。
 夏になっている。
 お七は品のある花を見つめ、しばらくはただただ座っていた。
 久しく日を浴びていない白肌は今に左の瞳ほど白くなりそうだ。
 襖の先から姉が驚き現れ、ここまで来た。
「目をさまされたのね」
 声はしばらくは出ずにいたが、こほこほんと咳をすると小さな声が出た。
「眠っていたの」
 姉は頷き、お七は眠る間になにか夢を見ていたようで思い出せずにいた。綺麗な夢だった。
「もう少し横になっていなさい」
 お七は横になり、ゆるゆると目を閉じた。
 三治朗さんに会いたいという気持ちがはじめに心に流れ、眠りに入る。
 夢うつつの願いは、ゆえに夢の世で三治朗に合わせてもらえたらとお七は夢の淵でどうにかその背を掴もうとする。明るい野で笑顔の三治朗が振り返った。ただただ今は安心したい。癒されたい。疲れた体をほっとさせたくて、彼女はその三治朗の胸に倒れるように頬と手を当てた。重い瞼を閉じて、自分の背を抱いてくれる腕と胸部の優しさに包まれて、お七は安堵とした。
 こんなに心が落ち着いたのは、しばらくぶりではないだろうか。体は沈むように眠りの深部へ落ちてゆく。もっとここにいたい、と口がかたどる。そのままお七は夢からも離れて三治朗の胸のなかで意識を遠ざけさせた。眠っていたい。今しばらくは。
 翌日、三治朗が姉とともに座敷に来ていた。
 三治朗がいるときは、妹はつれて降りてくることはできない。幼い子はあったことを正直に何でもいうからだ。
 お七はすうっと目を覚まし、そこが座敷なのだとわかった。
 視線を横に向けると、姉が額に手を乗せて微笑んでくれた。お七も微笑みかえす。
 その横には三治朗がいた。お七は心なしか自然と頬を染めた。夢では彼女を包括してくれて、三治朗が彼女の癒しだった。身も心も軽くなったのを覚えている。幼いころは手をつなぎあったり、それで野を追いかけっこしたというのに、どんどん大きくなっていけばお七はしおらしく、三治朗はたくましくなっていく。まだ頼りない場所もあるけれど、この半年で三治朗は少しずつ男らしくなってきているように思えた。それが彼の瞳のまっすぐな汚れない光りを見ればわかる。
<弐>へ続く

2016.9.16

月影の祭り

月影の祭り

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-02-14

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