*星空文庫

アスター

渋木ワカ 作

  1. 0.エピローグ
  2. 1.青いアスター
  3. 2.赤いアスター
  4. 3.ピンクのアスター
  5. 4.花
  6. 5,花びら

0.エピローグ


『君がもしひとりになったとしても』
コンクリートの坂道が太陽の陽を反射して波をうっている。その道を涼しげに赤いランドセルの女の子は、白い帽子をかぶった老婦人が日傘をさしながら歩いている隣で体を揺らし歌っていた。
『きみには君がいるじゃないか』
『たった一人の君を信じて』
そこまで女の子は歌うと、せーのと言わんばかりに老婦人と目を合わせて
『ただ、前に前に。』
と老婦人と声を合わせて歌った。
「最近、この曲しか聞いて無い気がする私! 」
「そうなの? それは嬉しいことね。」
そう老婦人が女の子に微笑みながら答えると、
「私、おばあちゃんと同級生だったら親友だっただろうな〜! 」
と、女の子は向日葵のような笑顔を老婦人に向けた。そして老婦人は愛おしそうにそして壊れ物を扱うように女の子にほほえみかけた。
「私ね! この曲、一番大切な曲なの! 無くしたくない。」
「それは嬉しいな〜。この曲はおばあちゃんにとっても優里にとっても大切な曲になんやね。」
「うん! 」
すると、老婦人は女の子と目線を合わせるためにスカートを抑えてその場にしゃがみこんだ。
「この曲は、今の優里には少し難しいかもしれんけど、人と人との繋がりの歌やとおばあちゃんは思っとると。」
「ひとと人との、つながり? 」
「そう。人間って、人と人とが支えあって上手く絡み合って生活しとるとよ。」
すると、女の子は難しそうな顔をして老婦人の目を見つめて
「たった一人の君を信じて? 」
と呟いた。
「ちょっと深すぎて難しいかな。例えば、、優里の好きな色は?」
「水色!」
「じゃあ、嫌いな色は?」
と、老婦人が女の子に問いかけると少し女の子は考えて
「ピンク、かな。」
と答えた。すると老婦人は、女の子の服を指差して
「でも、優里の着ているズボンは水色だけど少しピンクのキラキラが付いてるよね。」
「うん。」
「でも、この水色のズボンはピンクのキラキラが付いてるから付いてないよりもかわいくなるやん! どんだけ嫌いなものでも何処かしら良いところはあるし、好きなものや優里を輝かせてくれると。そういう巡り合いをどれだけ大切にするかで優里っていう人が強い人になるかだとおばあちゃんは思うんよ。」
「ふ〜ん。メグリアイ、。」
と女の子はズボンに付いているピンクのビジューを爪でトントンとつつきながら老婦人の言葉に返事を返した。
「まあ、今は難しいかな〜! 」
と老婦人はその場に女の子と手を繋いだままパッと立った。そして、二人は再び坂のてっぺんにある女の子と老婦人の家の方へ歩く。すると、女の子が老婦人の手をねえねえ、とひっぱり山の中に続く少し細い道を指差して
「いつもの公園に行きたい! 」
とくしゃっと笑った。

1.青いアスター

「夢、、か。」
鳴り響く目覚まし時計を消した。眩しい朝の光に目が慣れ、なんとなく見えた時計の針は既に7時を指していた。
「え……。え。あ、そっか。そうか! 」
ようやく自分が寝坊していることに優里は気が付いた。今日は春休み明けの始業式だ。7時34分発の電車に乗らなければ学校に間にあわない。慌てて、ハンガーに掛かっているセーラー服に手を掛けた。白色のセーラー服に紺色の襟、そして赤色のリボン。胸ポケットには、エンブレムがつけられている。大江高等学校の制服だ。都内の中でも有名な進学校である。同時に制服が可愛くないことでも有名だが。急いで着替え、セーラー服のボタンというボタンを開けたまま中途半端に着替え、階段を駆け下りていった。

「いってきます! 」
家の鍵を閉めて、勢い良く自転車に飛び乗った。両親は共働きなので、優里は小さい頃から鍵っ子なのだ。
家が坂道のてっぺんにあるので、朝の登校は坂道を自転車で一気に下る。優里の髪や服にふわっと暖かい風が通り抜けていく。とっても爽快な風が吹くので優里はかなりこの道を気に入っていた。毎朝の楽しみになっているほどだ。代わりに帰りは尋常じゃないくらいにきついのだが。平地につき、並木がある住宅街をこれでもかというくらいに立ち漕ぎをして10分程で最寄り駅につく。優里は、自転車をとめてなかなか閉まりにくいサビのかかった鍵を慣れた手つきで器用に閉めた。
「おはよう優里ちゃん! 今日から始業式なの? 」
と、声をかけられ振り返るとご近所さんの鈴木さんが首に巻いたタオルで、でこの汗をふきながらにこやかに優里に話しかけてきた。最近ウォーキングにはまってるらしい。
「そうなんです! 高校2年生スタートです! 」
と、満面の営業スマイルで優里は答えた。そして急いでホームに向おうとバックをカゴから取り出すと、
「あらそうなの! 大きくなったわね〜。私が初めてあったときはこんなんだったのに! 」
と鈴木さんは、膝下あたりを手で指してこれぐらいよほんとに! と続けた。
鈴木さんはいつも話が長い。あと1分で電車が来る。新学年始まって早々遅刻だけはごめんだ。鈴木さんにペコペコと愛想笑いを続けて2回軽く礼をしてホームへとダッシュした。
『閉まる〜ドアに〜ご注意下さい〜』
ピンっと音がなってドアが閉まると同時になんとか電車の中に滑り込めた。間に合った。はあ、良かった、と優里は席に座りホッと一息つき英単語帳を取り出し、手で少し汗ばんだ自分をあおいだところで、ようやく自分のセーラー服がはだけていることに気が付き急いで直した。
そして、「膝下は言い過ぎだろ。」と心の中で呟いた。


数十個単語を覚えたところで、
『大江大学前〜、大江大学前〜。』
というアナウンスが車両に流れた。電車から白色のセーラー服と黒の学ランを着た高校生が吐き出されるようにぶわっと降りていく。大校生にとって、この時間の電車が1番学校が始まる時間に丁度ぴったりなので、乗っている学生の数も一段と多い。これでも今日は少ない方だ。まだ、1年生が入学式を迎えていないので1学年分人数が少ない。
駅から学校までは『大江学園通り』という名前の通りまず、大学が立地してあるので少し歩く。
「ゆーうり! おっはよ! 」
改札を通り抜けたところで、人混みをかき分けて茉優がどんっと優里の肩に飛び乗ってきた。
「おっ……っと。茉優!! 人すごいでしょ! ちょ……ちょっとまって! 」
「新学期のご挨拶です! 」
と茉優はニカっと優里に敬礼をするふりをしてトンっと優里の肩から軽やかに降りた。
「新年最初から飛ばしすぎたよ…… 、ほんとに。ぶっとびすぎだよ。」
「今頃ウチがぶっとんだやつって気づいたの?」
と茉優が優里を覗き込みながら言うと、目があった。その瞬間『ぶっ』と優里が吹いてしまった。
「はい! 優里の負けー! 弱すぎるもん。」
と茉優は呆れたような素振りを見せる。まず、そんな勝負優里はした覚えはないのだけど。
「茉優ちゃん! おはよ! あ! 優里ちゃんもおはよう! 」
と聞こえた方にいる声の主を探すと私には顔覚えのない子。
「おはよ! 」
「おはよ〜」
茉優は明るい元気な性格で人当たりがいい上に、くりくりっとした丸い目にストレートなつやのある長い髪、と誰もが憧れる人。校内ではかなり有名人。ちなみに優里は、おしとやかな大校の大和撫子なんて言われている、とこの前茉優が優里に教えてくれたのだが優里は恥ずかしすぎて言われたあと腰まであった髪の毛を30cmバッサリと切った。これで、きっと大和撫子感を減っただろう。
二人でキャンパス沿いの道を歩いていると、隣の車道にバスが1台ブォンと大きな音をたてて歩いている生徒たちに暖かい風を送る。バスが学校前のバス停にゆっくりと停まり、また吐き出すように生徒たちが降りていった。
「ねえ、いま涼花いた?」
と、茉優がバスに視線を向けたまま優里に聞いた。
「いや、私が見る限りはいなかった。」
「涼花ね! 昨日ウチに明日オフ〜って自慢げに言ってきたの! 絶対調子乗って寝坊してるよ。」
涼花は、バスケ部のキャプテンをしていて運動ができサバサバした性格、そしてキリっとした大人っぽい顔付きからこれまた後輩たちからの憧れの存在なのである。
「……誰が調子乗ってるって?え?」
二人で涼花の寝坊疑惑について話しているとその間をハスキーボイスが割り込んだ。
「え!おお!涼花おはよ!」
「おはよ、優里。」
「おはよ涼花!ウチ、涼花新学期早々遅刻してくると思ってたよ。」
「本気で言ってんの? そういうとこだよね、ほんと茉優は。帰り、ドーナツ茉優のおごりね。」
「え、がち無理!! なんでウチ?!優里だって言ってたじゃん!! 」
「え、私言ってないよ。」
「……。優里ってさ、意外と普通にそういうこと言うよね。ああ! もういいよ! 奢ります! 」
やったーと奢らせる気しかなかったように涼花が棒読みで喜んだ。
駅から歩いて5分ほどで学校の正門につく。学校の正門をくぐると、人混みができていた。昇降口に新クラスの名簿が張り出されているのだ。今年は何組かなーと茉優があまり興味がなさそうにに呟いた。すると、昇降口に近づいたところで、人混みがわっと割れ、目の前に3人の為に作られたも同然の道ができた。
「涼花さんと優里さんと茉優さんだ! 」
「今年も3人ともstだったらしいね。」
なんてボソボソと脇道から聞こえてくる。
大江高等学校には、進学・準進学・特進・スーパー特進とある。その中でも最も高いレベルのスーパー特進(通称st)は男女それぞれ5人の計10人クラスで編成されており、校則が効かないと言われるくらいに自由である。その10人の中の3人が優里、茉優、涼花であり容姿ともに揃っている3人は校内ではほんとうに憧れの存在だ。
「へ〜、今年はst4組なんだ。」
「ウチ! 4組人生で初めて! 」
「また一緒のクラスよろしくね。茉優、涼花! 」
と、3人がクラス表を見終わり昇降口に入ると裂け目が消え去り再び人混みとなった。大江高等学校では、長年の伝統のようなもので暗黙の了解というものがある。それは、『stクラスの生徒は、特別な存在。』というものだ。今、3人がきて道が開けたのもこの暗黙の了解の為である。特別な存在、というのは表向きの言い方であり、簡単にいえば校内にカースト制度があるということだ。学食のメニューもstのみ食べられるメニューもあるし、中央ホールにあるソファにはstが座っているところ以外見たことがないと言っても過言ではない。
優里はこの制度があんまり好きでは無かった、と言うよりも苦手だった。自分がどこが傲慢な人間になってしまいそうで、ヒトでは無くなってしまいそうで。
実際、他クラの生徒たちの中にもこの制度にはあまりよく思っていない人もいる。stから他クラへ移籍してしまった生徒は周りからの扱いが一気に変わる上に、厳しく当たられ、ひどい場合にはいじめを受けることさえある。学校側はそれに目をつぶって、学力向上のための制度だなんだといい、この風習にあまり問題視はしていない。しかし、実際のところみんなstクラスへの編入を目指して、勉強に励んでいるところもあるため、何も言えない。
優里は、またいつものように上靴に履き換え、自分の教室へと向かった。

.

「はい! 涼花がダブルチョコで、優里が宇治抹茶ね! 」
と、茉優が優里と涼花が先に座っていた席にトレーをおいた。
「ほんとに奢ってくれるんだね。」
「は?! 奢れっていったの涼花じゃん?! 」
「そうよ。ありがとう。」
そう言い、涼花はニカっと笑った。普段あんなにクールな佇まいでいるのにこういう時だけ笑顔を見せて、男女共にモテるってこういうことなんだな〜と優里は思った。
「あ、そういや! 昨日の『青春の瞬き』みた? 大久保くん! めっちゃヤバかった!! 」
と、茉優が手を頬にあてながら話し始めた。茉優が手を頬に当てながら話すときはいつも興奮気味だからきっとドラマの話なのだろうと優里は察しづいた。
「あー、見た! あれは反則だよね。」
そういうと、二人は
「俺、お前のこと好きやねんけど、あかん?」
と微妙にイケボでモノマネをした。優里にとって茉優がモノマネをするのは日常茶飯事だが、涼花がこんなに大興奮してモノマネすることなんてなかったから余程、かっこよかったんだろうなーと思いながら2人の話を聞いていた。2人とも分かりやすすぎてほんとに、3人で一緒にいれる時間が幸せだ。
すると、茉優が優里をみて
「あ、ごめん! 優里! あの、『青春の瞬き』っていうね、ドラマがあって……」
と茉優が言ったところで説明しきらないだろうと察した涼花が、
「いつもクールな男の人がいきなり彼女にバックハグして『俺、お前のこと好きやねんけど、あかん?』って言うの。」
と続けた。
「うわー、それはドキドキやね! 」
そう優里が答えると少しの間、会話が続かず気まずい沈黙が続いた。いそいで、優里は次の話題を探そうとしたが、その時茉優が沈黙を破り、スゥっと息を大きく吸い、小さく口を開けて
「なんで、さ、優里はTV、絶対見ないの? 高校生とか学生って見るもの、じゃん。……あ! でも答えたくないなら、いいから! 」
と優里には目を向けずに話した。2人はなんとなく、私がTVを見ないことの理由を聞いてほしくないと思っていることに勘づいていたようだ。実際に、あまり家族以外には話したくないことだし心配も無駄にされたくないことだけど。この2人なら、この人たちなら、言ってもいいかな、と思っていた。こういう話題になる度にいつかは言おうと思っていた。今、そのいつかがきたのだ。優里が迷っていると、涼花が茉優に呆れたような怒っているような少し鋭い視線を送っていた。それに気づいた茉優は花が萎れたようにショボン、とする。
「うん。あのね、」
と優里が三人の間の再びできた沈黙を破った。すると、茉優がえっ、と声を出して顔を上げた。
「2人なら、言ってもいいかな、って。いつかは、言ってもいいかな、ってずっと思ってたの。」
と優里は茉優と涼花の目を見つめて
「だから、もし、もし驚いたとしても、誰にも言わないでほしい。」
「大丈夫! 絶対言わない。」
と茉優が答えると、
「誰も言う人いないし。」
と涼花が続けて答えた。
「……。佐藤優希っていう、子役覚えてる?」
涼花と茉優はうん、と頷いた。
「佐藤優希って、私なの。」
「え?!」
と茉優が机から乗り出した。涼花がハッとして小さい子どもを扱うように茉優をひっぱり椅子に座らせる。
「ごめん。続けて。」
と涼花がいうと、茉優がごめんとぼそっと呟いた。
「全然いいよ! その反応が当たり前だし…。その、ね、佐藤優希として、田原さんと共演させてもらったときがあったの。」
「ああ、覚えてる。田原って人気だよね、アイドルとしても俳優としても。」
涼花がそういう隣では茉優はもう何も言いまいと口を閉じ続けていた。
「うん。まあ、そんなに深くは言わないんたけどその時、なんか、うん。TVの裏を見たっていうか。それもあるし、同じクラスだつた田原さんのファンの子ともなんか色々あったしあんまりいい思い出なくて。」
2人に言っても後悔なんてしない、と優里はそう思い、思い切って話した。
優里は4歳のころ、母に勧められて事務所のオーディションを受けた。その頃は子役の黄金期とも言われているくらい次々と人気子役が誕生していた。そのため、芸能事務所も次の人気子役を自分のところから出そうと一生懸命だった。そのためもあり、容姿も整っていた優里は難なく合格した。元々演技の才能もあったのか、レッスンを3ヶ月うけただけで連続ドラマのキャストオーディションに受かり、佐藤優希は爆発的人気を出した。当時は、3ヶ月レッスンを受けただけでこの演技力、と話題になっていた。5本ほどドラマに出演し、次々と大ヒットドラマをだし、6本目のドラマが最終回を迎えて次のドラマも来るだろうと思われていた頃、佐藤優希は芸能界の引退を発表した。ヒットしたばかりの子役が「普通の女の子に戻りたい。」といつコメントを残して芸能界を引退したことは、子役の労働条件などにもスポットライトが当たり、様々な弁論がワイドショーやニュース番組などで繰り広げられた。そして、子役黄金期は幕を閉じた。
全ては、いじめだった。
よくある、僻みが原因だった。
「優里ちゃん、この前田原くんにハグしてもらったって自慢げに話してたよ。」
という、なんの根拠もないことがいわゆる、クラスのリーダー的存在であった女の子の耳に入った。
その子は、ことの悪いことに田原くんのファンだった。
「優里ちゃんってさ、調子乗ってるよね。」
と言う一言でクラスの女子が、クラスが優里の敵になった。時々、気にかけて話しかけてくれる子もいたが次の日には見えない力が働いたのか、クラスの人たちと同化していた。優里は完全に孤立した。
「優里ちゃ……あ、優希ちゃん! 」
とわざとらしく呼ぶ子もいた。優里が歩くと、クスクスと笑い声が聞こえる。最初は、優里はバカらしいと思うようにして無視をしていたが次第に、孤独が優里の心と体を蝕んで行った。そして、中学生になる歳にちょうど今のこの大江学園に転校してきた。
大江学園は幼稚園から付属校があり、カリキュラムが組まれている。そんな中、中学で急に転校してきてstに飛び入りした優里は全校の注目の的となった。
初登校の日。
教室に入り、自分の席に座ると
「優里ちゃん! よろしくね! 私茉優! 」
「私は、涼花。仲良くやってこ。」
と、2人は優里に駆け寄り暖かく迎えてくれた。
人の暖かさを学校で感じるのは久しぶりだった。今までひどいいじめをうけていた優里にとってそれは涙のでるほど嬉しいことだった。ボロボロと涙が優里の瞳から溢れだす。
「え!? うちら、怖かった?! 」
「なにか、したかな? 」
と2人が焦って、
「茉優がね、ガツガツ行き過ぎなんだよ大体。」
「いや、だって、転校生って嬉しいじゃん?! しかも、こんな可愛かったら友達なりたいよ……。」
とあまりにもアニメで見るような喧嘩をし始めるので、優里はおかしくなって吹いた。それが、3人の始まりだった。

過去を思い出すと、なんだか、暗くなる。
「ゆう、り?」
「……あ!ごめん! 」
「なんかごめんね、変なこと聞いちゃって。」
涼花が申し訳なさそうにうつむきながら優里に謝った。3人の間に再び気まずい空気が流れる。
すると、茉優が、
「あ、そういえば、このチョコレートのツルツル加減、斎藤先生の頭みたいじゃない?! 」普段3人でする学校でのおかしな先生の話を始めた。ムードメーカーは、いつでもムードメーカーだ。いつも通り。いつも通り。そう言い聞かせて。

.

「ねえ! 優里ちゃんって、佐藤優希だったの?! 」
あの日からたった2週間後のことだった。
ふたりにしか言ってないことだったのに。全く知らない子に言われた。きっと大丈夫って。やっと信じたふたりだったのに。信じられなかった。ふたりがそんなことする人たちとは信じられなかった。信じられなかった。もう自分の中からなにもかも、これまで心の中に貯めてきたなにもかもが溢れていった。手で抑えようとしても指の隙間という隙間からスルスルと抜けていく。やめてって、叫びたいのに声がでない。怖い。
「……人違いじゃないかな? 」
いまの優里にできる精一杯の演技だった。
「え、でも……」
と、女の子は何か言いたげに優里に近づいてきた。すると優里は女の子に背を向け
「……でも、何?」
と冷たく呟き、そしてニコッと微笑んだ。その笑顔はいつもの優里のもののようにみえて、冷酷さをより一層放っていた。優里は、学校ではあまり冷酷な表情は出さないように意識していた。だが、今回ばかりは無理だった。
そんな優里の姿を初めて見た女の子は、
「……何もない、です。ごめんなさいっ! 」
と走り去っていった。声が震えていた。

そのまま優里は、走った。止まらず、いや、止まるつもりなど優里には元からない。
「うわっ!」
なんて優里が走り去る後に驚く大高生の声なんていまの優里に届きなどしなかった。
「え?! 優里! どこ行くの?! 」
茉優や、涼花の声も届くわけなどなかった。あなたを信じているけど、心配。
信じたい。信じたかった。まだ、茉優と涼花が言ったとは誰も言っていない。誰かが、あのドーナツ屋さんで聞いていたのかもしれない。違う。違うよ、きっと。信じたい。信じるんだよ。と優里は心の中で自分に言い聞かせた。

2.赤いアスター


どれくらい走っただろうか。優里は、真っ暗な坂を登っていた。自然と足が動く、いつもの道。学校からここまで来るまでに、電車に乗らないとさすがに走っては来れない距離だったが、電車に乗ったこともうっすらとしか記憶にない。
さすがにもう坂を走り抜けるほどの体力は優里には残っておらず、一歩一歩踏みしめるように登っていった。
「ただいま。」
坂のてっぺんにある家についた優里は無気力な声でひっそりとそう言った。靴を脱いで揃える。揃えることは、昔からよくうるさく言われたものだから自然と体が動く。
「あら、優里ちゃんおかえりなさい。今日は少し早いのね〜! 」
ドアが開く音に気づいた優里の母がひょこっと玄関をのぞき込んだ。
「あ、ただいま、お母さん。ちょっと今から塾行ってくるね。」
優里は、母親の声が聞こえはっと自分が笑っていないことに気づいた。精一杯の笑顔で答える。
「あ! じゃあ、夜ご飯帰ってくるくらいに用意しとくね! 」
「ありがとう。」
優里は、階段を上がり自分の部屋にバックを投げ捨て再びガチャっと家のドアを開け、
タッ、、タッ、タッタッタッと駆け出した。再び坂を走る。途中の山の麓にひっそりとちゃんと見てないと気づかないような道が1本あった。優里はそこを見落とさず、まっすぐとそこに向かって走った。
道の奥の方に見える1本の光の道筋を目指す。はぁはぁ、、とだんだん優里の体力も底をつきてきた。すると、1本の光の筋道はパッと優里を包み込んで開き、丘の展望台に迎えた。展望台についた優里は、走るのをやめゆっくりと一番奥にある柵がある方まで歩いた。
街が一望できる展望台。優里にとってそこはとても特別な場所だった。街をかける電車が飛び回るホタルのように光を放ち、住宅街の家々は幸せそうな色の光を放つ。ここから見るこの街は、きれいに見えた。
「……この景色だけは、裏切らないな〜。」
ぼそっとつぶやく優里の頬に一筋ポロッと涙が流れた。泣くなんてらしくないなと思いながら何度も何度も涙を袖で拭うけれど、拭えば拭うほど涙が溢れ出てきた。笑わないといけないのにな、笑わないと。と心の中でなんども呟くけれどなかなか止まらない。
「……なんでだよ、馬鹿。」
優里の目の前に広がる世界は、ぼやけていた。
とりあえず気が済むまで、とそのまま抵抗するのをやめることにした。
.

涙も止まり、ボーッとしてきた。
『君がもしひとりになったとしても』
と頼りなく優里の口から流れ出てきたその歌は、暗い夜空に街灯たちにまみれてふわっとのぼり消えていく。
『君には君がいるじゃないか』
そう歌う優里の目は少し赤く腫れていた。暖かい歌のはずなのに寂しさを感じるのはきっと優里の目が赤くなっているからだろうか。涙が再び流れ出そうになる。優里は、大きく息を吸った。
『たった一人の…』
優里が歌うと、いきなり後ろからギターがGコードを奏でているのが聞こえた。
「…え?」
と優里は、ズッと鼻水をすすりギターの鳴るほうへ振り返った。そこには、優里の知らない男の人がベンチに座り、こちらを向いてギターを鳴らしていた。
ヒィッと優里は変な声を出して、後退りをした。人が来たなんて気づかなかったし、ここの場所は地元の人以外、さえも知らないと思っていた。ひとりだと思っていた。
そんな優里の変な声にも反応せず、その男性はG,C…とギターを弾きつづける。
「……あの、え? 誰、ですか? 」
と恐る恐る優里はその男性に話しかけた。
するとその男性はギターを引くのをやめ、ジロッと優里の方を見つめた。優里はその瞬間ヒィッと再び言いそうになる声を必死に口に手を当て抑える。灯りが逆光なので余計に不気味で優里の恐怖心を煽った。
「公園でギター弾いて、なにが悪いんや。 」
とボソッと男性は呟いた。
「あ、そ、うですよね。」
ハハっと優里はひきつった笑顔を見せた。よくよく考えればこの場所は自分だけの場所じゃなくて公の場だ。ギターなんか弾きに来て当たり前だ。何を自分は自意識過剰なことを考えていたのだろうと思うと恥ずかしくなり、その場を立ち去りたくなったが、家にも帰りたくはない。
「ええから、続けて。」
へ?と間抜けな声が優里の口から抜け出る。さっきは睨まれたのかと思っていたが、その男性の声は柔らかく優しかった。
「ギターを弾きに来ただけじゃないんですか? 」
そう聞いたのに、その男性は再び優里のことをジッと見つめてきた。
「……え、だから、あのー、何をつづ」
そう言ったところで男性はギターを再び弾き始めた。G,Cとまたコードを弾く。優里もギターは弾くので、この男性がギターを長年しているというのは音を聞いて分かっていた。つまり、GとCだけをただ単純に弾いてるわけじゃない。ということは…、さっきの歌を歌えってことか! なるほど! と3回くらい彼がGとCを弾き続けたところでやっと気づいた。
『君がもしひとりになったとしても』
彼のギターの音色は、暖かさを帯びていた。と、同時に優里の歌声にも暖かさを与えていた。
『君には君がいるじゃないか』
優里も彼のギターの暖かさには気づいていた。何より歌いやすい。どこか、懐かしささえ感じる。
『ただ前に前に』
一番を歌い終わったところで、間奏にはいる。柔らかい音色。どれくらい彼は練習しているのだろうか。優里は、彼の声が気になった。
「次、歌って下さい。」
そう言って優里は彼にいつもの笑顔を足してお願いした。
再び彼はギターを弾きながら優里の方をじっと見つめる。多分、今弾いてるCで間奏はおしまいだ。彼は息も吸わない。愛想笑いが効かないのか。ああ、やる気ないんかい、と優里は心の中で彼に突っ込んだ。なにか喋ればいいのに。
彼はギターを弾くのをやめようとはしなかったのでとりあえず彼がやる気がないのなら自分が歌うことにしようと思い息をスッと吸う。声を出そうとした瞬間、
『君がもしひとりになったとしても』
と見た目からは想像がつかない真っ直ぐで芯のある声が優里を震わせた。彼の声だ。あんなに全て面倒だと言わんばかりの雰囲気を放っていた彼がこんなに力強くて真っ直ぐとした声を、歌を歌うとは思ってもみなかった。
『君には僕がいるじゃないか』
自分が歌うのと彼が歌うのとでは、違う歌に聞こえてくる。
『たった1人の大きな君を信じて』
と歌うと、彼はギターを弾きながら
「お前も。」
と優里に聞こえるか聞こえないかくらいの声で呟いた。完全に彼の声に魅了されていた優里は、彼が言っていることに気づくのが遅れた。
「えっ? 」
「お前も歌え。」
最後のフレーズまで、かなりのばして弾いてくれている。
あんなに強気でツンとした言い方しかできないのに、彼はせーのっと言わんばかりにわざと大きく息を吸い、少しギターを上げて入る所を教えてくれた。
『ただ、前に前に、真っ直ぐ。』
ギターで最後まで伴奏を弾く彼の音は柔らかかった。多分、言い方は全てにおいてキツイけれど根はいい人なんだろうなと思い優里はフフッとつい笑ってしまった。
「ギター、歌、お上手ですね。」
最初は、警戒心丸出しだった優里も彼の音を聞いてなんだか身近な人にまで感じていた。すると、ギターをじっと見つめていた彼が反応した。
「……なんでこの曲知っとんねん。」
「え? 」
「お前、高校生やろ。世代やないやろ。」
「ああ。祖母が好きだったんです! この曲! とっても素敵な曲ですよね! 」
なんでこの人はこうもなにもかもに突っかかってくるような言い方しかできないんだろうか。せっかくギターと歌を褒めたのにそれにすら答えないって。と思うと、だんだん優里の中でイライラが増してきた。自分の顔に出ていることに気づく。あ、やばいと思い、優里は再び笑顔を彼に見せた。
「きしょいねん。その笑った顔。」
「え? 」
「愛想笑いしてん、疲れへんの? 」
と彼は優里にへっと鼻で笑い聞いてきた。完全に馬鹿にされているのは分かっているが、なんとなく優里は嫌な気は感じなかった。
「……当たり前じゃん。疲れるよ。」
久しぶりに自分の心の内に思っていることを口に出して言った。いつも意識していたことだったけど、今思えばなんでこんな知らないおじさんに気を遣わなければならないんだと言うことに気がついた。素の自分に戻る。
すると、彼はブッと吹き出して
「自分、変わり過ぎやで? 」
と優里を指差して腹を抱えて笑いだした。あー、きっつ! なんて言いながらヒーと声をだして笑い続けている。
「なに? 」
さすがに優里はこれにはイラッとした。きしょいとか言っときながら、真顔になると笑い出すしなにが言いたいのか全く分からない。そんなことを考えていると、彼は笑うのを止め
「嘘やて、怒んなや。そっちのが、全然ええで。」
と急に真剣な顔をして優里を再びジッと見つめる。いや、見てる。優里は近くに来て逆光ではなくなってから気がついたことだが、今まで彼がジッと見つめてくるように感じていたのは彼が大きな目をしていたからであって、決してこちらを睨んでいたわけではなかった。
「うっさいわ、おっさん。」
「なんがおっさんや。」
自分でも正直変わり過ぎて驚いている。心の中でずっと密かに居続けた自分が表にこう出てくるのは、いつぶりだろうか。
すると、彼はギターをケースにいれ座っていたベンチから立ち上がった。
「え、ちっさ。」
「は? 」
と彼は優里を睨んだ、フリをした。確かに彼の体は小柄で痩せ型な体型をしていた。私と並んだら、同じくらいかななんて優里が思っていると彼は全身を使って足を上げて怒りを表現してきた。そしてまたゲラゲラと笑い始めた。
「帰るの? 」
「なんやお前、俺かて仕事くらいあるわ。」
そう彼は笑って、優里が抜けて来た別の道へとむかって歩いて行った。
「あの! 」
と優里は歩いて行く彼へ大きな声をだして引き止めた。
「おっさん! 名前なんですか? 」
すると彼は顔だけ振り返り
「おっさんやないわ! 」
と笑ってまた道の方へ向きこちらに手だけ振りながら歩いて行った。名前くらい、教えてくれたっていいじゃないかと優里は少しシュンとした。ベンチにちょこんと座る。
「しばいけ! しばいけすわ! 」
後ろから大きな声が聞こえてきた。あんなに小柄なのにどこからあの声は出てくるのだろうか。
「え? 」
「ちゃんと聞けアホ! 芝池須和! お前は? 」
「私は、山下優里! 」
精一杯の声で答えた。多分、聞こえてるはず。彼は、山の細道へと消えていった。
「あの道、あったんだ。知らなかったな。」
なんて呼べばいいのだろうか。芝池さん?須和さん?芝池?なんて考えながら優里は家へ向かった。
変化を好むみたい私。

3.ピンクのアスター


目覚まし時計がジリリリリと鳴った。優里は、目をつぶったまま手だけ動かして時計を探す。すると、ヒヤッと冷たい物が手に当たった。優里はそれを掴み、カチッとボタンを押す。
少しずつ目が覚めてきて、ふと窓を見ると今日は雨が降っていた。雨の日は自転車では学校には行けないので、バスで行くことにしている。バスの時間があるので、いつもの時間よりも少し早めに家を出ないといけない。急がなくっちゃと優里は起きあがった。いつもと同じように制服に着替えようと手にかける。あ、と昨日のことを思い出した。
もう、元には優里には戻れない。なんて言い訳をすれば、茉優と涼花は気にしないだろう。不安な気持ちが優里を襲う。
「行きたくな……。」
階段をおりて、リビングに行くと両親はもうすでに出勤していた。だれも家にはいなかった。

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雨の中、傘をさして玄関に立ちすくむ。
今からでも、少し早歩きで行けばバスには間に合う。優里は、少し雨に濡れたローファーをじっと見つめていた。
「なんで雨なの。」
優里は雨の中、早歩きをして向かう。歩くたびにローファーから水が跳ね返り、靴下が少し濡れた。

優里は、森の中につながる細い道についた。雨が降っていつもより足元がぬかるんでいるので歩きにくい。
展望台につくと、いつものような光はなく暗い色の雲に覆われていた。展望台に屋根はなく、傘をさしたままいつもの柵のところまで滑らないように優里は歩いて行く。結局、私の居場所はここにしかない。
雨でいつもとは目の前の風景は、くすんでいた。
これからどうしよっかな、そんなことを考えていた優里の隣にもう一つ、紺の傘が並んだ。
「お前、学校は。」
隣を見ると芝池須和が傘をさして立っていた。真っ直ぐと前を見ながらポケットに手を突っ込んでいる。
「サボりか。」
答えない優里に、芝池須和がまるで答えを知っているかのようにそう言う。
「サボりじゃないし。」
「サボりやろ。こんな時間にこんなとこおって。」
確かに、サボりだ。でも普通の人のサボりとは自分は違う。と優里は言いたかったがそれは紛れもなくサボりだった。返す言葉が見つからない。
「俺もようサボったわ。学校、つまらんねんな。」
と芝池はまた真っ直ぐ向いたまま呟いく。
「…芝池須和と、一緒じゃないし。」
なんて呼べばいいか分からないままだったことを優里は思い出した。とりあえず、フルネームで名前をいうことにした。
「須和でええ。」
「……須、和さんも、仕事、サボったんでしょ。」
「ちゃうわ。今日は俺、フリー。」
フリー?木曜が休みって何の仕事してるんだろうこの人。優里は、須和が何故か不思議とますます知りたくなった。
「どうすんねん、学校。」
と須和が優里の方を向く。その反動で傘が当たり、優里の傘が少しクルっと回った。同時に雨水が飛んでいく。ポケットに手を突っ込んだまま須和はじっと優里の方を見ていた。答えは、決まっている。
「サボる。」
「……そうか。」
雨の音が強くなった。二人の沈黙がさらに雨の音を強くする。
すると、須和はくるっと振り返りまた昨日と同じ方向へと歩き出した。
「帰るの? 」
優里は、まるで須和へ鍵っ子が仕事にでていく父親に言うような声で聞いた。あんなにツンとした態度をとっていたのに、と急に恥ずかしくなる。
すると、須和はまた前を見たまま鍵がたくさんかかったリングを人差し指に引っ掛けチャリンとならしながら、
「来るか? 」
と聞かれるのを分かっていたように答えた。優里は、迷う時間もなくコクンと頷き須和の後に続いた。


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優里の知らないあの道から出た場所は、いつも優里が入る道よりも下の方にあった。こんなとこ気づかなかったなーなんて優里が思い周りを見渡していると、須和が
「はよ乗れ。」
と車に乗るよう促してきた。なんでこうもこの人は、と優里は思いながらも言われたように助手席のドアを開けて車へ乗ろうとした。しかし、
「あ、すまん。後ろ、乗ってくれんか? 」
と須和が運転席のドアを開けて優里とは目を合わさずに言った。
「あ、はい。」
優里も不思議に思いながらも、言われたとおり助手席のドアを閉め、後ろの席にドアを開けて乗り込む。意外にも、須和の車は白のハイブリット車だった。優里の中の須和は、いかにも男くさいタイプだったたのでもっとでかくてエンジン音のうるさい車に乗っているかと思っていた。意外と、きちんとした人なのかもしれない。
須和が車のエンジンをつける。と、それと同時にポケットからマスクを取り出してつけた。
「なんで車の中なのに今頃つけだすの? つけるなら外でもつけなよ。」
優里は少しおかしくなって笑ってしまった。須和さんって変わってる人なのかも。そんなことを思ってると、須和は何も言わずただ下をむきながら苦笑いをして、車を進めた。優里は、ああ、と思った。
「ねえ、寝てもいい? 」
ただ、そう聞いた。それを聞くだけで十分だと思った。しかし、それを聞いた須和は不思議そうに、
「ええ、けど? 」
と答えた。優里は、せっかく気を遣ってやったのに、と悔しくなり、須和についいじわるをしてしまいたくなった。
「撮られるでしょ。」
とっさに口から出る。優しくないな自分。それを聞くと、須和はああ、という声をこぼした。
「お前、俺のことしっとんか。」
少し、寂しさがその言葉には巻きついていることに優里は傷ついた。そして、優里はパタンと椅子に寝転び、
「私は、芝池須和しか知らないよ。」
といった。そして
「……TV嫌いだから見ないの。」
と答えた。再び須和がああ、という頼りない声をこぼす。
ヒュンと、想像していたエンジン音とは違う音をだして車は進んでいった。そして、優里は罪悪感を残したままいつのまにか寝てしまった。

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目が覚めた。多分、10分くらいしか寝てない。はず。
「どこ行ってるの? 」
と優里は寝たまま何も風景を変えない天井を見ながら運転している須和に聞いた。須和は、ガムを食べているのか車の中がミントの匂いで溢れていた。
「俺ん家。」
「はっ?! 」
と優里は驚いた勢いで、ムクッと起き上がる。すると、優里の目の前に開けた風景は家から少し離れたきらめいた都心部が広がっていた。全然、10分なんかじゃなかった。それどころか、30分くらい寝てたのだ。
「おまっ、寝とけって! 」
と少し焦った顔をして須和はレンズ越しに優里の方へと目をやった。優里も、慌てて椅子に寝込む。これなら、外からみえない。
「家に行くとか聞いてないし。」
「言ってないからな〜。」
と須和は少しニヤニヤしながら意地悪そうに答え、ハンドルを上の方へ握り返した。しかし、
「……え? 」
と優里が本気でその言葉を受けとめていたので、はぁとため息をつき元の真剣な顔に戻る。
「自意識過剰や。お前みたいなガキ、興味ないわ。」
と須和はハンドルを左に回しながら答える。それと同時に車体が左へとグルッと回った。
「うっさいわおっさん。」
「おっさんちゃうわ、くそガキ。」
車は薄暗くなり車体が少し下へ傾く。優里は、少し滑りそうになった自分の体を前の椅子を手で押して支えた。
「地下駐車場とか、いいとこ住んでるんだね。」
優里は、天井を見たままそう言った。
「何目線や。」
フフッと須和が笑った。そして、車はピーッピーッと音をだしながらバックする。車の動きが止まった。ガチャガチャと、車を止める音がする。
「ついたで。」
須和がガチャっと運転席のドアを開けて、車を降りる。優里も、起き上がり車を降りようとドアに手をかける。すると、バッとドアが開いた。優里はドアノブを持ったままだったのでそのままドアに持っていかれ転がり出そうになった。優里は慌てて足をつく
「あ、すまん。」
須和が開けてくれた。彼なりの優しさが出たのだが、それが裏目に出てしまった。
「ううん、いいよ。」
もちろん、その須和の優しさに優里も気づいていた。ほな行くぞ、と決まりが悪そうに歩いて行く須和はなんだか好きな人に振られた小学生みたいだった。今にも「へっ、嘘告だし! 」なんて言い出しそうな勢いだ。
チンっという音がなってエレベーターのドアが開く。ふと須和を見ると、マスクをしたままフードを深く被り逆に怪しかった。13階のボタンを押す。優里は、きれいな高層マンションに来るのが初めてでずっと周りを珍しそうにキョロキョロと見ていた。
「なんで13階なの? 低くない? 」
13階のボタンを押した須和に尋ねる。
「……。」
須和はなにも答えない。あっ、と優里がなにか思いついたように言った。
「高いところ苦手なの? 」
そう優里がニヤニヤしながら少し意地悪そうに聞くと、すぐさま
「ちゃうわ。ここしかなかってん。」
と須和は答えた。この速さは、図星なのかほんとにここしかなかったのか、どっちなんだろうと優里は須和を見るが答えはでないまま『13階です。』とアナウンスがなった。須和がスタスタと歩いて行くので優里はそれに急いでついていく。須和は目的のドアの前で丁度ぴたっと止まると1305号室のドアに手をかけながら、インターホンの下にあるセンサーにカードをかざした。ガチャっと鍵が開く音がする。すご!と、優里は都会のマンションのシステムに感動した。
「ん。」
ドアを開けて、優里にアゴで玄関を指す。優里はあ、どうもと言わんばかりにペコと頭をさげながら玄関に入ろうとした。ふと優里の目に1305号室と書かれた標識が入った。『芝池須和』と書かれた紙がきちんと挟まれている。
「ん。」
さっきよりも強い声で須和が入るように促してきた。はよ入れって言えばいいのにと思いながらお邪魔しまーすと優里は玄関へ入った。須和は、周りを気にしながら優里に続いて入る。
「あ、濡れてる。」
靴を脱ごうとした優里はすっかり雨が降っていたことを忘れていた。靴も着ていた制服も少し雨に当たって濡れていた。
須和は、なにも言わずに靴を脱いで優里の横をさっと抜けていった。え、私、どうしたらいいの? 濡れてるって言ったよね。なんか言ってくれたっていいじゃん。そんなことを思っていたが、優里は須和のこの無言にも大分慣れてきていた。奥の方から須和がタオルと新聞紙を持って来る。少し前の優里なら、置いていかれ少しパニックになり奥の方から須和がタオルを持ってきたことにいちいち驚いていただろうが、もう今は優里は須和が不器用な人というのを分かっていた。
「そんでふけ。新聞紙、靴に詰めときや。」
「はーい。」
優里は、借りたタオルで体に残る水分を拭きながら、そう答えた。
「それと、」
と須和はぼんっと優里の前に服を投げた。
「制服、濡れとるやろから適当に着替えとき。風邪ひくで。」
「ありがとう。」
新聞紙をビリビリに破いて丸め、靴に突っ込む。そして優里は、目の前に置かれた服に着替えた。
「…須和さん。」
そう言って、須和の前に現れた優里は須和の部屋着を着ていた。いや、着られていた、というのが正解だろう。袖が少し長く、履いているズボンはダボダボとしている。優里には須和が比較的小柄な方に見えたのだが須和の服が自分にとって大きくてなんだか悔しい。
「これ、おっきすぎるよ。」
「…お前、そんな格好してたら襲われんで。」
え?! と少し引いた顔つきで優里は見を守るようにポーズをとった。少し顔が赤みを帯びている。
「ウソや嘘! 」
と須和は笑いながらキッチンに置かれたヤカンを取りに行った。マグカップを二つ棚から取り出し、コーヒーを入れる。赤いマグカップにはミルクを入れて少しスプーンで混ぜた。
「ん。」
と須和はカウンターテーブルに座った優里の前に赤いマグカップを置いた。そして青いマグカップに入ったブラックコーヒーをゴクッと一口飲む。
「お前、いくつなん?」
と須和が優里の前に立ち、マグカップで冷える両手を温めながら聞いた。
「17。須和さんは? 」
コーヒーを飲みマグカップに口をつけたまま優里が返す。
「25。」
そう言うと、須和は顔色一つ変えずにコーヒーを口に含んだ。須和は真顔で冗談を言うので本当かウソか全く分からない。が、今回のは冗談だと優里はすぐに分かった。
「随分と若いおっさんですね。」
優里も負けじと顔色一つ変えずに須和の冗談に返す。
「32や。」
そう言いながら、須和はマグカップを持ったままカウンターテーブルにいる優里の隣に座りマグカップをゆっくりと置く。
「んで、なんがあったん? 」
須和には優里のことが、なにもかもお見通しのようだ。優里は、下をむく。
「須和さん、お兄ちゃんみたい。」
そう言った優里は、フフッと笑った。その姿を須和は隣から愛おしく見つめていた。しかし、優里が須和を見たときには既にその須和は消えていた。

「……お前さあ、」
須和は、マグカップのフチの部分を指でなぞりながら口を開いた。気づけば、隣に座っていた須和との距離が近かったことに優里は少し驚く。
「よう知らんおっさん家ついてきたよな。殺されても、おかしないで? 」
マグカップを見たまま、須和は優里にそう言った。目の前に置いてあるリンゴの隣の果物ナイフがカタッと音をならし、少し滑る。
「その時は、その時。」
優里は、また顔色を変えずにコーヒーを一口ゴクッと音を鳴らせて飲んだ。
「殺してみる? 」
と優里は変に笑みを浮かべながら、須和の方を覗きこんだ。すると、須和は立ち上がり
「冗談や。」
須和は奥の部屋へと消えていった。いつもは冗談を言うときは笑うことが多いのに、と優里はマグカップを見つめながら考えていた。ほんとに殺すつもりなのか、それとも、信じ込みやすい私を見抜いて警告したのか。


奥の部屋に閉じこもったきり、須和は出てくる気配がしなかった。さすがに、コーヒーも飲み干してすることがなくなる。知らない他人の家で、ソファーで寝るわけにもいかず優里はただ、ぼーっとしていた。
須和の家は、整然としていて広かった。家具はほとんど木目調のもので統一され落ち着いている。とても優里の30代の男が住んでいる家の想像とはかけ離れていた。一人で住んでいるようには思えない。女の一人くらい、あのルックスではいるだろう。背丈は低く小柄だが、顔はとても整っている。その上、あんな刺々しい言い方しかできないが根はいい人だ。
だから優里は、彼が車の中でマスクをつけたときに違和感を感じた。きっと、キラキラした世界の人なんだろうと。自分が昔いた、キラキラした暗い世界。
すると、優里はポケットに入れていたスマホをとりだし、検索ページを開いた。
『芝池須和』
ツーっと青い線が駆け抜けたあと、でてきた言葉は、
「…大久保、須和?本名は、芝池、須和。」
どこがで聞いたことがある。うーんと考えながら、優里は一番最初に出てきたベージを押した。読み込むマークが出てきて、段々とベージが表示されていく。
『遅咲きの人気俳優、大久保須和。連続ドラマ初主演決定。』
すごい人だったんだ…と優里は自分の今までの態度に対し、内心申し訳無く思う。写真をみたが、その人は紛れもなく、須和だった。いつもより、髪の毛が整っていて、なんだか雰囲気が違う。さらにスクロールしていくと、聞いたことのある文字がでてきた。
「…青春の瞬き。」
どこがで、聞いた。再び、優里がうーんと唸る。どこで聞いたのだろう。でも、耳にはその言葉が残っている。すると、握っていたスマホがパッと手から離れてうえのほうに持ち上げられた。
「何見とんねんお前。ほんまに俺んこと知らんかったんか。」
須和が、画面を目を細めながら指でスクロールしていった。目が悪いらしい。すると、須和は持っていたスマホを優里の手元へ戻す。
「青春の瞬きって、どんなドラマなの? 」
優里は、気になって気になって仕方がなく、須和に聞いた。どこかで聞いた覚えはあるのに、思え出せないのが悔しい。
ああ、と須和が答える。
「30歳の恋愛話や。アラフォー近くなっても青春しようぜっていうな。」
そう言い、須和は自慢げにつづける。

「まあでも、俺の、『俺、お前のこと、好きやねんけど、あかん? 』っていうセリフに火がついてな〜。視聴者層のターゲットは、30代からの大人やってんに、高校生にヒットしてもうてな。俺、今なんか高校生に人気らしいんやで。やから、お前、俺知らへんフリしてんかと思ってたわ。」
そう笑いながらいい、ギターをもったままリビングを何かを探すようにうろちょろうろちょろとしていた。
「ああああああ!!! 」
と、優里がいきなり声をあげる。須和は、その優里の声を聞き、不審な顔で優里を見た。
「なんや、お前……。きしょ。」
「違うの!! 思い出したの!! 『青春の瞬き』ってなんか聞いたことあるなって思ってたから……。友達が、言ってたの! しかも、須和のセリフのモノマネしてた。」
少し小馬鹿にして優里は、その時の涼花のマネをした。須和が、不審な顔から少ししかめ面に変わり、
「真似すんなや! 」
と恥ずかしそうに、でもどこか嬉しそうに言った。
「涼花と茉優がね、須和さんのことかっこいいって言ってたよ! 」
恥ずかしそうにしている須和が珍しかったので優里は、少し須和で遊んだ。しかし、
「涼花ちゃんと、茉優ちゃん、ええ子やな〜。」
とニヤニヤしながら返す須和の反応は優里が期待していたものではなかった。でも、楽しかった。須和は声を出して笑っていたが、段々と優しい笑みへと変わる。
「…もう、大丈夫やんな? 」
そう言い須和は、優しい笑みを浮かべ優里の頭をポンポンとたたいた。優里が座っていて、須和は立っているのでやけに須和が大きく見える。優里は、自分の身に起こっていることに追いつかず、フリーズしかけた。
「何があったか知らへんけど、信じてみてもええんちゃうか? 」
須和は、何でもお見通しだった。
「…人間、信じてみるもんやで。」
と、須和はポンっと優里の頭をたたく。そして、優里は黙ったままただコクンと頷いた。
「その金バッジ、お前、大江のstやろ? いざとなりゃ、お前、下んやつら全員つこうて反乱おこしたれ! 」
と笑いながら結構な問題発言を言い放った。stであることを示す金バッジは、いつもは外してるのだが今日は忘れていた。つけっぱなし。
優里は、目から出てきそうな涙を手で拭い再びコクンと頷く。
「大高まで、送ったるから。ハイブリット車で! 」
最後にギャグのように言うからつい、優里は笑ってしまった。全然面白くない。

よしっと須和は玄関へと歩き、棚にある小物入れから鍵を取って再びマスクをつけた。
「最近、なんかつけられてる気すんねん。気のせいかな。」
と靴を履きながら須和が言うので、
「標識に『芝池須和』なんて書いてるからバレるんだよ。馬鹿じゃん、それ。」
と優里は、また小馬鹿にしたようにわらった。なんで須和には、こんな言い方しかできないんだろう。申し訳無くなる。
「馬鹿ってな、お前、地味に傷つくんやで。」
と須和は大げさに泣いたふりをした。小学生みたい、と優里は言ってしまいそうになる口を慌てて閉じる。
ガチャっと須和が玄関の扉を開ける。優里のことを待って空いているドアはなかなか閉まらなかった。
優里は、ローファーを履き、下を見たまま立ちすくんでいた。
「…怖いんか? 」
と須和が聞く。俯いているので須和がどんな顔をしているかは見えないが心配してくれているのが声を伝ってくる。優里は、ううんと首を振った。
「…もう、私、須和さんと、会えない? 」
そういい、須和へいる方へと顔をあげて視線を持っていく。すると、須和はまた暖かい笑みをフッとみせて
「仕事やなかったら、いつもんとこ、おるで。」
と言った。優里が、一歩踏み出す。ガチャっとドアを閉めると、須和は優里を気にせずにスタスタと歩いて行く。優里は、慌てて追いかけた。甘い夢を見ている気分だった。

4.花

ハンドルを握る。隣にいる優里の様子が少しばかり気になるので、須和は一生懸命二人で話せる話題を考えていた。最近の女子高生の流行りなんか知らない。ましてや、自分は三十路のおじさんだ。世間一般から見ると、女子高生と自分が一緒にいるだけで、かなり怪しい。

「お前さあ、彼氏とかおれへんの?」
考え抜いた結果がこれだ。俺だって昔は彼女おったし、今も昔も高校生の恋愛事情は変わらへんやろ。と須和は無難な話題を選んだ。
「いない。いい人いないし。」
優里は、後部座席で寝転んだままそう答えた。
「そうなんやぁ…。」
会話が続かない。彼氏がいない、いい人いない、と言われたらもうあとは何も聞くことがない。
須和は、比較的沈黙が続いても平気な方だった。しかし、今回は例外だ。優里が学校で何かあったのも感づいていたため、何か話してやらんと。という変な義務感があった。
「タイプとか、ないん? 」
これなら、会話も続くやろ。と須和は話題を絞り出し、寝転がる優里に聞いた。
「好きになった人がタイプ。」
ふーんと須和は、ハンドルを右へと回した。なんやねん、こいつ。ほんまかわいくないわ。と心の中でボソッと呟く。
「須和さんは? 」
思いがけない言葉が飛んできた。
「え? 俺? 」
「うん。須和さんのタイプは? 」
まさか自分が聞かれるとは思わていなかった。あまりにも、優里の反応が悪かったので須和は一生懸命次の話題を考えていたところだった。
「…俺は、ずっと自分を好きでいてくれるええ人。」
すると後ろからブッと吹き出す優里の声が聞こえた。
「なにそれ! 意外と須和さんってピュアなんだね! 」
「は?! おまえ分かってへんな。大切やんそこが一番! 自分を愛してくれるかどうかって結構大事な方やと思うで。俺。」
少し真面目に答えすぎたことを須和は反省した。よくよく考えれば、優里は高校生。優しい人とか答えておけば、それだけでも良かったはずなのに。なんだか、急に恥ずかしくなった。踏切を渡る振動と脈を打つ心臓の音が互いに主張しあって、須和は余計に恥ずかしくなった。

踏切を渡り、左に曲がると並木道が広がっていて横には大きなキャンパスがずらずらと並んでいた。赤みを帯びた茶色のレンガで建てられた少しレトロを感じさせる大きなキャンパスが、目の前にドンと構えている。その奥にはいかにも最近作った校舎ですというような真新しい綺麗なキャンパスが見えた。頭のええ私立って感じやな〜と一人で関心する。すると、『大江高校前』というバス停の表記が窓から見えた。須和はそれを見つけて急いで止まる。
「ついたで。」
と、後部座席に座っている優里の方に振り返った。すると優里は、スマホを両手で持ち光る画面を眩しそうに眺めていた。
「ありがと。」
優里はムクッと起き上がった。寝ていて乱れた髪を手で軽く整える。薄い鞄をもち、優里は車のドアに手をかけた。
「須和さん、仕事、頑張ってね。」
「おう。」
ガチャっとドアを開ける音がなり、車体が少し上に上がる。優里は、スルッと伸びた長い足で階段を上がり校舎へと消えていった。

須和は優里が校舎へと入っていくのを見守り確認すると、ガチャっと車を降りた。ズカズカと誰もいない大学の入り口に歩いて行く。
「なあ、出てこいや。」
と、須和はマスクをつけたまま誰もいない大学キャンパスの方に声をかけた。
すると、キャンパスの柱の影から一眼レフを構えたままの男性がヒョコッと姿を現した。
「バレた? 」
「バレたもなにも…。車、乗れ。」
須和が歩いて行くのを、その男性は首に一眼レフをぶら下げたままタッタッタッと走っていき横から抜き、助手席のドアを須和が乗り込む前に開けた。少しして須和が車に乗り、エンジンをつけた。元きた道を辿る。
「…で、幾らや。」
須和がカンカンとなる遮断器が降りるのを目で追いながらその男性に聞いた。
すると、男性はニコッと片手を広げて須和に見せた。
「5?! お前それは調子乗り過ぎやて。」
須和が少し呆れたように返す。すると、男性はうーんと考える仕草を見せた。
「じゃあ、昔からのよしみで……」
とそう言い、先ほどの手をピースに変えて須和に見せた。すると須和は、はあという大きなため息をつき財布を取り出して2枚取り出し男性に渡す。
そして男性はそれを受け取りヒラヒラと2枚を指に挟んでなびかせ、あざす!と自身の財布の中へと突っ込んだ。
「…なあ裕也。なんがおもろいねん、そんなん撮って。」
と須和はその様子を見ながらハンドルを指でトントンと叩きその男性に問いかけた。
「須和の時は、ただの小遣い稼ぎやけど、他んときはちゃうで。俺はな、世の中の悪を裁くのが憧れやってん! 」
と、裕也は答えた。
「俺はお前の小遣い稼ぎなんか! 」
と須和は仲良さげにツッコミを入れる。
須和には、少し、どころか大分、裕也が理解し難かった。
裕也は、昔からそういうやつだった。裕也は、須和にとっての幼馴染である。幼稚園、小、中、高校と同じ進路をたどってきたが何度も裕也の変わり者加減には驚かされた。
高校の時に、バンドを始めたのだが、裕也は迷いなくベースを選んだ。他のメンバーは、ドラムとギターの取り合いしていたのに対し裕也はすぐに決まった。なぜベースを選んだのかと須和が聞くと裕也は、ベースがかわいそうやったから、と答えた。
須和はてっきり、低音に惹かれた、とかもしくは争うのが面倒だから、なんていう答えが出るのだろうと思っていたが、ベースがかわいそうだった、という答えは考えてもいなかった。
また、ある時彼は死んだネコを手で拾った。大学に進学したとき、お互い進路は別の道をたどっていたが帰省が被ったので二人で飯に行こう、となった。二人で地元の居酒屋まで歩いて向かっている途中、車道に車にひかれて無惨な姿と化したネコが横たわっていた。須和はそれをみて、うわ、っと思い見るだけでスルーしようとした。しかし、ふと気がつくと隣にいたはずの裕也の姿が無く、え?!と思ったときには裕也は、ネコを素手で拾い上げていた。お前っ、なんしとんねん!と須和が聞くと、裕也はかわいそうやん、と同じように答えて歩道沿いにある茂みに猫を寝かせ自身の着ていたチェックのシャツを猫に被せた。須和、保健所に電話かけて。と言われ我に戻った須和は保健所に電話をかけた。その時みた裕也の姿は一生忘れられない。
「…ごめんなぁ。人間らのせいでな。」
と裕也は猫に手を合わせて泣いていた。
優しい人なのか、ただ変り者なのか。よく分からない。
「なあ、」
裕也に言われてハッと我に戻る。いつの間にか、遮断器は上がっていた。
「…記者としてやなくて、杉原裕也として聞きてええ?」
「…付きおうてへんから。」
須和は、裕也に聞かれることが分かっているかのように質問される前に答えた。
「いや、似てんなあとおもて。」
須和が予想した質問とは違ったらしい。裕也は、撮った写真を確認しながらそう言った。
「…悠里ちゃんに、重なってみえてもうたんやろ。」
「……。」
図星すぎて、なにも答えられなかった。裕也は、嘘をついてもなんでも見抜く。だから、裕也には嘘は通じない。
「…あいつ、優里っていうねんて。」
そう須和が呟くと、裕也は目だけで運転する須和の姿を見つめた。
「どこで、拾うたん。」
「…あいつの母親、間宮美希やねん。」
裕也は、須和の口からでた言葉にすごい形相で反応した。
「なんしようとしてんの。」
今までの裕也の声とは思えない低い声で裕也は須和に聞いた。須和は、なにも答えない。
「やからか。亮から連絡きてん。最近、須和の様子が変やって。」
「…そうか。」
そして、裕也は続けた。
「人、殺したら、あかんで。」
「……。」
須和は再び、黙り込む。すると、須和の目から一筋の涙がこぼれた。それでも、沈黙を続けた。
「無理やってんやろ。しかも、多分あの子、実の子ちゃうで。あの年齢で、高校生産むんはさすがに無理やわ。」
「…分かってんわ。」
すると、須和は再びギュっとハンドルを握り返した。
「…あいつ、無理に笑うねん、よく。」
そういうと、須和はコンビニの駐車場に車を止めた。須和は再びハンドルに力を入れて入れる。
「俺、興味湧いてきたわ。探偵ごっこしてもええ? 」
須和は静かに頷いた。


.


あれは、中ニの夏だった。

課題をずっとサボり続け、教室に残されて担任にずっと怒られていた。しかし、急に担任が他の先生に呼ばれ、教室を出ていった。これはチャンス!と須和はその瞬間、教室から逃げ出そうと薄っぺらい鞄を持つと、担任が丁度教室のドアを開け入ってきた。須和はやば!と思い急いで逃げようとしたが担任の顔はあの怒っていたときとはかけ離れていた。
そして、
「…おじさん、亡くなりはってんて。」
と一言須和に告げた。
「……え? 」
「お母さん、迎えに来はるって。それまで、保健室で待っててって。」
担任の方を見ると、夕陽がオレンジ色に空一面をそめているのが見えた。
「……なんで。」
「……え? 」
「…なんで死んだん。」
須和は、両手を力いっぱいに握り下を見続けていた。担任もなにも答えることができずに、戸惑っていた。
「先生も、詳しいことは分からんねん。」
須和は、担任の返事に何も言わずに教室を出ていった。


「すみません、ありがとうございました。」
と、須和の母親は担任に一礼して運転席に乗り込んだ。ブルルルとエンジンをかける。そして、もう一度担任に一礼してアクセルを踏んだ。
「なんで、死んでん?おじさん。」
須和は、被っていた帽子を脱いだ。すると、泣くのを我慢しているのか目が潤んでいた。
「……交通事故、やって。」
須和の母が声を震わせながら答える。そして、ハンドルを強く握り返した。
「…悠里は、どうなるん。まだ小六やであいつ。」
須和は、そのことで頭がいっぱいだった。
「悠里、一人になるん、一番嫌いやねんで。」
須和の母は黙ったままだった。
「なあ、答えてや。悠里は…悠里はどないなるん。」
すると、須和の母は
「多分、今日決まるから、それまで待ってて。」
と答えた。

悠里とは、小さいころから一緒だった。というのも、悠里の家庭はシングルファザーで父親が仕事に出て忙しく、ほとんど須和の家で過ごしていることが多かった。須和にとって悠里は、妹のような存在だった。
『須和にい! 』
といつも笑顔で駆け寄ってくる悠里にいつも元気をもらっていた。
ある時は須和が、大喧嘩を起こして大騒ぎになったとき、母親に言うと怒られるから、とずっと黙っていたが
『今日ね、須和にいが大喧嘩して大変やってん! 』
といつも悠里に先を越されてチクられて、母親に怒られた。
そして悠里は、おじさんが大好きだった。いつもおじさんが帰ってくるまで起きていた。泊まりの日ももちろんあり、その日は須和の隣で寝ていたが、よく眠れてはいない様子だった。
『パパは、悠里の自慢のパパやねん! 』
といつもおじさんの武勇伝を聞かされた。今思えば、おじさんは学生の頃大分やんちゃしてきていたのだが、その頃はとてもかっこいいと思っていた。
そんな、悠里のお父さん、おじさんが亡くなった。悠里の自慢のお父さん。もちろん、斎場には悠里もいるだろう。なんて声をかければいいのだろうか。どんな顔をして会えばいいだろうか。クルマの中でそのことしか考えなかった。


着いたのは、斎場ではなく自分の家だった。
「斎場、ちゃうの? 」
と須和が聞くと、
「…東京で、事故ってんて。やから、明日か明後日こっち、戻って来るらしいで。」
と須和の母が答えた。おじさんは、東京と大阪をよく仕事で行き来していた。何の仕事をしているか詳しくは知らなかったが、シャキッとしたスーツをおじさんはよく着こなしていてかっこよかった。元々、スタイルもいいほうでスーツを着るのがとても様になっていた。
「悠里は、もう知ってんの? 」
そう玄関を開ける前に母親に尋ねると、須和の母は頷き、
「優しくしたってや。」
と須和に言った。おじさんは、須和の母の弟にあたる。悲しみは余程だったはずなのに、須和にそう笑いかけ、頭をポンポンと叩いた。でも、母の悲しみは消えてはいなかった。
家に入ると、悠里が須和の部屋で宿題をしていた。
「……悠里。」
須和は、車でたくさん考えたが結局口から出せる言葉はそれが限界だった。
「あ! 須和にい! おかえり! 」
しかし、須和が想像していた悠里はいなかった。悠里は、笑っていた。
「…宿題か。」
そう須和が言うと、
「あ! 須和にい、宿題してなかってんやろ! 亮くんに聞いたで! ちゃんとせなあかんやろ! 」
と、悠里はいつも通りに須和に話した。そして、笑った。
しかし、その笑顔がいつもとは違うことに須和は気づいていた。無理して、笑っている。すると、須和は
「…なんやねん。なんやねん、お前。」
と下に俯いたままボロボロと泣き出した。気を遣って笑っている悠里を見るのが辛かった。もっと、俺に頼ってほしいのに。
「どうしたん? 須和にい。」
悠里がへにゃっと変な笑みを浮かべて須和に尋ねる。
「…何笑っとんねん、お前。アホか。笑ってんのきしょいねん。ほんまに。なにが、そんなに、…おもろいねん。」
悠里の笑った顔が須和は大好きだったはずなのに、今は悠里の笑顔は須和を苦しめる。しかし、須和は素直になりきれずついついキツイ言い方で悠里に言ってしまった。しかし、悠里はそんな須和の言葉を優しく受け取り、
「泣いてても、しょーがないやん。泣いても、なんも戻れへんねん。笑って、生きて、へん、と、な。」
だんだんと悠里の言葉が詰まりだした。須和は頭を上げ悠里の方を見上げると、悠里は泣いていた。でも、笑っていた。泣きながら、笑っていた。
「須和にいのせいだから、もう、泣かんて決めたんやで。私。須和にい、の……。」
須和は、悠里の言葉を遮り悠里を抱きしめた。今までにないくらいに強く抱きしめた。
「…ちょっ。痛いて、須和にい! 」
「俺が! 俺がこれから、お前んこと守るから。」
そして、さらに強く抱きしめた。
「…一人にしたり、せえへんから。」
それを聞いた悠里は、声をあげて泣き出した。小六のくせに、大人びていた悠里がみせた唯一の涙だった。すべてを吐き出すように泣いた。


二日後に、おじさんの通夜があった。東京にいるおばさんが、遺体の本人確認をしたらしいが思ったよりも死体解剖に時間がかかったらしい。
ただ、一度もおじさんの棺の蓋が開けられることはなかった。

悠里はその後、須和の家にひきとられた。元々、家のようにすごしていたこともあり須和の父親とも母親とも自然に接し、家族同然に過ごしていた。
悠里は、中学生となり陸上部に入部した。短距離で、府内の大会で入賞し、近畿中学総体にまで出場した。さらには、勉学にも励み学業成績もトップ五の常連だったらしい。文武両道とはこのこと、と言わんばかりの優秀ぶりだった。須和と比べると雲泥の差だった。
須和は、バスケ部に友達の誘いで入部したがどうしても体格の差で負けてしまうことが多く、諦めがつき退部した。勉学も優秀とは言い難くいつも中の下くらいだった。高校入試の受験勉強のときに、悠里に教えてもらった。高校は、ソコソコのところへ入学した。
ただ、須和は音楽の才能はピカイチだった。退部したあとに、ギターを始めたのだがギターでの弾き語りがかなり評判だった。悠里は、必ず須和の歌を聞くと満面の笑みを浮かべて嬉しそうにした。そして、
『自慢の兄ちゃんやわ! 』
と必ず言った。
須和は、高校を卒業し都内の大学へと進学した。そこで、演劇に出会い演劇の世界に魅了された。

大学の生活にも少しずつ慣れてきた一回生の年末に、実家に帰省した。
悠里は、府内の有名進学校に入学し陸上でも数々の入賞をしていた。実家に帰ると、悠里の輝かしい記録のトロフィーからなにからであふれかえっていた。
「すごいな〜、悠里! 」
トロフィーをみながら須和が感心していた。すると、悠里は
『頑張ってるんだ。私。』
と見覚えのある笑みを浮かべた。
「俺が小さいころから鬼ごっこしてあげてたおかげやな! 」
と須和はその笑顔を気にせずに言った。悠里が、フフッと笑う。
『ねえ、須和にい。歌ってくれへん? 』
「…え、いいけど? 」
悠里から須和に歌ってくれと頼むのは初めてのことだった。そして、須和は悠里の一番大好きな歌を弾き語りで歌った。
「君がもし一人になったとしても」
「君には君がいるじゃないか…」
悠里は、歌を聞いて泣いていた。ええ歌や、と笑いながら拍手までしてくれた。そして、
『自慢の兄ちゃんやわ! 』
と笑顔で泣きながらそう言ってくれた。


そして、
須和が東京へ戻った三日後。母親から電話がかかってきた。
悠里が、自殺した、と。処方されていた睡眠薬をを多量投与して、亡くなった、手遅れだった、と。
葬式の記憶は、ない。なぜ自分は悠里の異変に気づかなかったのかとただただ自分を責め続けた。
しかし、そんな須和のもとに『いじめ』が悠里の死の原因だったことが耳に入った。何やら、間宮美希、という人物がそのいじめの首謀者だったらしい。
そして、須和は間宮美希という人間を探し続けた。そしてついに、間宮美希が近くのカフェでバイトをしていることを聞きつけた。カフェに客に紛れて行くと、丁度『間宮』という名札をつけた女性が「何名様ですか? 」と受付をしていた。須和は、咄嗟に
「芝池、芝池悠里、覚えてるか。」
と間宮美希に鋭い目を向けて言った。しかし、間宮美希は「え?」と少しとぼけた様子をし、少ししたあと、あ、という声をだした。そして須和の形相を目にして腰を抜かして、厨房へと消え去った。

間宮美希は、悠里のことを忘れかけていたのだ。
須和は、いつか、いつかあいつに復讐してやると心に誓った。

5,花びら


「ほんなら、なんか分かったら連絡するで。 」
ほな!と裕也がコンビニに停めた車から降りようとドアを開けた。
「あんさ、」
須和の一言に裕也は、ん?と半開きのドアを持ったまま振り返った。
「また、バンド始めへんか? 」
え! と裕也は目を丸くして須和を見た。須和の言ってることに驚きを隠せない様子だった。
「亮には言ったんか? 」
裕也は、小学生のガキみたいに嬉しそうだった。かなり乗り気みたいだ。
「言うた。ええよって。」
「んー、なら俺もええで! 」
ほな!とまた裕也は手を上げ、車を降りていった。須和は裕也が降りたのを確認すると自宅へと向かった。今日は夜に仕事がある。

.


『大久保須和さん! クランクアップです!!』
都内のスタジオで拍手が鳴り響いた。それと同時に、花束をもったスタッフが駆け寄ってくる。
「お疲れ様でした! 」
そうスタッフが言うと、再び拍手が鳴り響いた。須和もありがとうございましたと拍手に合わせてペコペコとお辞儀をした。
「須和くん、ほんと良かったよ。今度、また機会があったら宜しく! 」
監督が寄ってきて、須和と握手を交わす。須和はまた、ありがとうございます!と深くお辞儀をした。最後にもう一度、ありがとうございました!とスタッフ全員にお辞儀をして、楽屋へともどった。
『青春の瞬き』の撮影が終わった。須和には、かなりの手応えがあった。須和のセリフをきっかけに、テレビ離れのこの現代でもドラマがヒットし、数字はみるみるうちに右肩上がりになっていっていた。それを見込んだスタッフは、元の脚本よりも須和の登場シーンを増やした。
こんなこと、今までの須和ではありえないことだ。今まで須和のテレビ出演は、四話の重要人物の友人など一話間の脇役が多かった。その代わり、舞台を中心に活動を懸命に続けていたのだ。そんな時、今の監督が須和が出演した舞台を鑑賞しにきたのだ。その時須和のことを大変気にいって今に至っている。
正直、テレビの連続ドラマに出演することは憧れだった。やっと念願のテレビドラマ出演。決まったときは亮と一緒に喜んだ。そして、ヒットして瞬く間に人気が上がっていった。しかし、出る記事出る記事全てが『遅咲きの人気俳優、大久保須和』と報じた。『下積み時代は、』と、舞台をしていたころのことを表現されていた。須和は、決して舞台時代を下積みなんて思ってはいなかった。ここが、テレビ業界の悪いくせだ。自分たちを正当化する。テレビが全てでは、ない。しかし、そんなことに一々首を突っ込んでいる暇など須和にはなかった。
「お疲れ様! 」
ばっと後ろから腕を肩に組まれる。誰や、と思い見ると亮が思いっきりの笑顔で須和に白い歯を見せていた。
「おう。ありがとうな。」
すると、亮はふふふとなんだか自慢げに須和のことを見つめていた。
「っ、なんや? 」
須和は、眉間にシワを寄せ困った顔で亮の方を見る。すると、亮はそのまま須和を抱き寄せドンドンっと背中を強く叩いた。
「お前ほんまよぉやったわ! 大きなったなあ。全く。」
抱くのをやめ、両肩を持ちながら須和を見る亮の目には涙が浮かんでいた。
「ちょっ! 泣くなや亮!! 」
「いやぁ、だってなぁ、お前、ほんとよおやりきったで。」
亮は、たまたま須和が所属した芸能事務所のマネージャーとして働いていた。当時、須和と亮は29歳。須和が所属したことを知ると、須和は自ら須和のマネージャーに名乗り出たらしい。当時の亮は、次々と新人を世に売り出していき、期待の新人だったそうだ。色々と二人で苦労したこともあったし、お互い、衝突したこともあったが、やはり幼馴染とだけあってお互いが一番の理解者であり、そして心の支えとなっていた。青春の瞬きの出演が決まったときは電話で「……亮、驚くなや? 」と電話越しでも伝わるくらいニヤニヤして須和に伝えてくれた。須和は本当に亮のおかげここまでやってこれたと心の底から感謝している。
「ありがとうな。」
そう言い、須和と亮は昔からの変わらないハイタッチをした。
「あ、せや。」
と亮は何かを思い出したようにゴソゴソとカバンの中を漁り、黒い手帳を取り出した。
「ドラマ終わったら、次はバラエティーラッシュやで。」
須和は、おう。と亮の手帖をのぞき込んだ。すると、驚くほどにビッシリとスケジュールが詰まっていた。
「…ゔぇ?!」
驚きすぎて、口から変な声が出てしまった。スタジオの廊下に響き渡る。なんせ、須和は自分にこんなに火がついたのは初めてで、こんなハードスケジュールは経験の無いことだった。すると、亮はハハハと須和を笑い飛ばし、
「まあ、一躍人気者になった証や! 」
と言いのけ、パンっと須和の背中を平手で叩いた。須和は、うわっと少し勢いに負け倒れ込みそうになった。
スケジュールは、夜はトーク番組で、午前から昼にかけては雑誌の取材など、山のような仕事で一週間埋まっていた。そして、最後は最終回が放送される日に朝の情報番組に生出演がきまっていた。
「まあ須和、お前はここからや! トークは持ち前ので得意やろ? 」
「……まあ、せやけど。」
「あ! あと、関西弁やとあかんで。基本的に標準語で喋れて何度も言うてんやん! 」
「お前が関西弁やから移るんや。」
亮はそう言うと、すまんすまんと須和に平謝りした。
須和はクランクアップを迎えたが、主役の水谷とヒロイン役の日田はドラマを撮り続けていた。須和の役は、八話で亡くなるため他のメインキャストよりは早くクランクアップを迎えたのだ。そんな中、半分は水谷と、そしてもう半分は日田とトーク番組の出演が決まっている。二人ともまだドラマの撮影が続いており、ドラマとバラエティーの撮影、どちらもやってのけるのはすごいな、と亮からもらったスケジュール確認用の紙で確認しながら感心していた。
人気者って大変やな。こんなこと、今の須和にとっては贅沢な忙しさだった。

.



「さあ! 今日のゲストは……、水谷洋一さんと、芝池須和さんです! どうぞー。」
司会の声を聞いた瞬間、番協の席からキャーっと黄色い声があがった。須和の人生初めてのトーク番組の収録は、かなり昔から続く長寿番組だった。須和もよく子供のころから見ているものだ。ゲストは明かさずに当日発表という形式で、番協の席はかなり沸いている。司会者は、人生の大先輩でもあるベテラン芸人の高田だった。
「こんばんはー。」
水谷さんが挨拶するのを聞き、須和は一緒に頭を下げた。どうぞ、高田とに手で案内され、中央の決められた席に座る。
「水谷くんは……」
と、水谷さんに話が振られた。須和はトーク番組への出演が初めてだったので、水谷のトークを一生懸命聞いていた。リハーサルももちろんしたのだが、本番はやっぱりリハーサルとは雰囲気が全然違う。
「最近ハマっていることは? 」
「あ、最近ですねカメラにハマっているんです! 趣味で始めまして…」
そう水谷が言うと、モニターに映し出されたのは須和が撮影の休憩中にふざけて女装した写真だった。客席からは、キャーとまた黄色い声があがる。
「あっ、これ芝池くん?! 」
「ちょっ、なんでこれなんすかー! もっとええ写真ありましたよね!? 」
あっ、やば!と須和が思ったころにはもう遅かった。あれだけ注意されていた関西弁が出てしまった。つい素が出てしまったのだ。
チラッと亮の方をみるとあーっと言わんばかりに手で顔を抑えていた。
……やってしまった。
もう一度須和はチラッと亮のほうを見ると、顎で須和を指すようにして口パクで『そのままいけ』と言ってきた。須和は頷き、トークに集中する。あんな顔の亮見たことがない。なまはげみたいな顔をしていた。収録後を思うとゾッとする。
こんなやり取りをしている間にスタジオはわっと笑いがあがっていった。
「めっちゃ素敵な写真ですよね?! 」
と水谷が高田に聞くと、
「めっちゃええ写真やで、これ! 俺これ欲しいわー! 」
と言ってきたので、
「あげませんよ! んなもん! 水谷さんも消しといてください! 」
と笑いながら返した。
「芝池くんは、バラエティーほんまに初めてなん?! 」
客席からええ!という驚きの声があがる。
そこから最後までかなり好調にトークがトントンと進んでいった。高田はやはりプロなだけあって、話を引き出すのがとても上手かった。須和も高田さんの話に合わせて水谷との撮影秘話などを話して、スタジオは良い雰囲気に包まれていた。須和はすっかり、先程のミスのことを忘れていた。

「それでは! 水谷くんと芝池くんからお知らせです! 」
という声を合図に
「『青春の瞬き』最終話! 明日の夜11時から放送されます! 」
と水谷がドラマの紹介を始めた。まだ、6話までしか放送されていないのに、と須和はとっても不思議な気分でいた。
今思えば、最終話自分の出番は回想シーンしかないのに宣伝しているのがおかしく思える。しかし、まだ六話しか放送されていないので須和が亡くなるなんて誰も知ったこっちゃない。
水谷がドラマの紹介を終えて、二人でカメラに向かって礼をする。


「ありがとうございましたー! 」


初めての収録が終わった。
と、それと同時になまはげの顔が頭をよぎる。
やばい。
亮はきっと怒っている。
そんなことを思っていると、いきなりボンっと肩に手を置かれた。華奢な須和の肩に置かれたその手はより一層手の大きさが増して見えた。
この大きな手は、間違えなく亮だ。
須和は恐る恐る振り返ると、なまはげのような亮が立っていた。
とっさに亮の顔に身の危険を感じ、すまんすまんすまんすまん!!!とこれでもかというくらいに両手を合わせて亮の方へ頭を下げる。すると、スタジオの廊下に亮の大きい型位が分かるくらいの太くて大きな声が響きわたった。
「お前な! やらかしてくれたな! 」
亮は、須和が想像していた反応とは真逆の反応を見せた。須和は驚きが隠せず、ほおに驚いてます。と書かれているといってもおかしくないくらいにキョトンとしていた。
須和に連れられ、楽屋に入る。
「うちの事務所はな、あんまり関西弁喋らんようにしてんねんけどなあ。」
と亮は未だに笑いながらそう言った。須和はキョトンとした顔で亮を見つめる。そう言われてみれば、亮は常に須和のまえでは関西弁だが、本社にいる時は標準語で喋っていた。
「まあ! さすがのトーク力や! スタジオ中、お前の色で染まってたで! 」
亮はそう言うと、先輩になんて言お、なんて呟きながら嬉しそうに楽屋を出ていった。

それから、収録は順調に進んでいき全てのスケジュールを終えることができた。あとは、放送を待つのみだ。
やっと、夜が空いた。優里は、大丈夫だろうか。ハードスケジュールを終えた須和は、優里の様子が気になって仕方がなかった。優里にはあれ以降、会っていない。学校は上手くいったのだろうか。心配で仕方がなかった。今日は、夜、あの展望台へ行こう。と須和は自宅へと帰った。



.


日が落ちるのが最近遅くなったなと感じる。あの展望台に向かうため、須和はバイクに乗った。車は本当はあまり好きではない。
バイクで坂を登り、展望台の入り口の道へとたどり着く。
須和の胸はドキドキと高鳴っていた。それは、高校生がよく感じる淡いものではなく、ただの不安だった。あの日から、会っていない。会えていない。優里はまだ、この展望台に来ているだろうか。もう、友達とは上手くいって展望台には来ないのかも。そんな気持ちが須和の心を覆いこんだ。そんな須和の気持ちを無視するかのように足はズンズンと進んでいく。
すると、展望台から誰かが鼻歌を歌っているのが聞こえた。この真っ直ぐな迷いのない声は、優里に間違えない。須和は嬉しくなり、つい駆け足で展望台へと近づいていく。はあ、はあ、はあと段々息が上がっていく。そりゃ、三十路にはこの道はきついわ、と須和は心の中で言い訳をして自分を慰めた。

「……須和さん?」
「おう。元気みたいやな。」
優里が須和の近づく足音に気づいて振り返った。
「もう須和さん来ないから、くたばってたかと思ってた。」
「俺が死ぬわけないやろ、ぼけ。」
お互い素直になりきれていないのがなんだか本当の兄弟みたいで。その時須和は優里の姿を見た瞬間、抱きしめそうになった。須和には優里が、いつか消えてしまいそうな、そんな気がしたからだ。
二人は、並んであの日とは違うきらめきを放った同じ空を見つめた。
「どやってんか、その、学校は。」
「……。もう、分かんないよ。」
須和がそう聞くと、優里は涙を目に浮かべて須和の方を見てくしゃっと笑った。須和にはその姿が悠里と重なって見えた。思わず抱きしめたくなって伸ばした手をハッと気づき、引っ込めた。
「泣けば、ええんとちゃう? 」
すると、優里の笑っていた顔がしわっと崩れて幾筋もの涙が頬をつたった。
不器用な須和なりの、精一杯の優しさだった。「その笑い方きしょい。」なんていつもの言葉なんか口から出るわけなどない。
気がつくと、優里は須和の腕の中にいた。そして肩に顔をのせて全てを吐き出すように声を出して泣いた。彼女の全てが弾けとんだ音がした。
「信じたいっけどね、信じられないの。」
優里は過呼吸になりかけている震える声で須和の肩でそうつぶやく。
「うん。」
「またあの日みたいになるんじゃないかって。」
「うん。」
須和は、「うん。」としか言えなかった。ただ、『あの日』がひどく引っかかる。須和は『あの日』がなにか分からなかった。
「みんなが笑っていても、違う笑い声に聞こえるの。」
「うん。」

「自分のこと、嘲笑っているんじゃないかって。」
「うん。」

「家族にも、話せる人がいないし。」
「……うん。」
須和の抱きしめる腕の力が先程より強くなる。家族奴らは、優里を、優里の変化に、気がつくないのか。段々沸々としたものが須和の心からでてきそうになった。

「ずっと一人だと思ってたの。」
「うん。」

「須和さん、私のこともう忘れたかと思ってた。」
すると、須和は抱きしめていた腕を解き優里の肩をもって自分の目の前へと押し、彼女を真っ直ぐに見つめる。
「忘れへんわ。お前は、優里は、俺にとって家族同然の存在やねんで。忘れるわけ、あれへんやろ。」
そう須和が言うと、優里はブワッとさらに目に涙を浮かべてこぼした。
「須和さんって訳わからない。……ズルいよ。」
と優里がボソッとまた呟く。須和は、優里の肩をもって自分の方に引き寄せた。
「ズルいか、俺って。」
優里は、コクンと小さく頷いた。

『アスター』

『アスター』 渋木ワカ 作

あなたはいつから目の前の人を信じるのを始めましたか? 順調に充実した優里の高校生活は、あることをきっかけに崩れ落ちる。なにもかもに失望し、信じることを忘れた優里。そんなときに出会った見知らぬ三十路の男、須和と1つの歌をきっかけに打ち解け合う。信じることとは、なにか。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2018-02-11
Copyrighted

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