猿の腰掛

猿の腰掛

昔話風の茸小説です。PDF縦書きでお読みください。


 朝早く一人の爺さんが茸を採りに森の中に入った。
 腰をかがめて下草の中をぼちぼち歩いていく。
 泉のところまで来たが、辺りには小さな茸がぱらぱらと生えているだけで、しかも食べられそうなものは見当たらない。さて、もっと上まで登らにゃなるまい、と顔を上げると、朽ちた木の前で一人の老婆がにたにたと笑いながら立っている。
 歯の抜けた老婆は「茸採りかえ」と、爺さんに声をかけた。
 「そうじゃ、だけんど、今年はあまり採れんな」
 爺さんは老婆のほうを向いて、腰をそらした。
 そのとたん、背中でくきっと音がした。
 「いたたたた」
 「無理するでないよ」
  老婆はまたしてもにたっと笑った。
 「近頃腰が痛くてな、腰が曲っちもうた、茸採りもてえへんじゃ」
 爺さんは独り言のようにつぶやいた。
 「この先に胡桃の木があるんじゃ、その木瘤の真ん中を百回なでるとな、腰の痛みが消えるというぞ」
 そう言うと、なぜか老婆は歯の抜けた口を大きく開けて笑った。
 「ただな、一回なでるごとに、必ず、『胡桃様、胡桃様、腰を治してくれりょ』と言わないとだめなんじゃ。それとな、お願いを途中で止めちまうと、腰の痛みはなくならないで、腰に茸が生えるんだそうじゃ。それにな、きっちり百唱えないと効き目はないそうじゃ」
 しわくちゃな顔を爺さんに向けて、婆さんはまた笑った。
 「百より多かったらどうなるんじゃ」
 「多いとな、腰の痛みはなくなるが、やっぱり腰に茸が生えるそうじゃ」
 老婆はそう言うと、相変わらずにたにたと笑いながら山を下りて行った。
 茸採りの爺さんは首をかしげて、何もいわずに見送った。
 さてと、爺さんは腰を屈めて林の中を登り始めた。
 斜面を少し登ると、老婆が言っていた胡桃の木が見えてきた。
 よいこらと近寄ると、胡桃の木は大人三人が手をつないでも足りないほど太かった。
 爺さんが仰ぎ見ると、はるか上の枝は少し枯れ始めている。余りにも高齢なのだ。
 木の瘤は根元から五尺八寸ほどのところにあった。瘤の大きさは直径が二尺ほどだろうか。
 爺さんはまだ何も入っていない籠を背中から下ろした。
 木の真下にいくと、瘤を触ろうと、背伸びをした。
 腰がみしっと音を立てた。ちょっと痛い。
 爺さんの皺のよった指が瘤の真ん中あたりを触れた。
 「よかったの、手が届いたわい」
 爺さんは胡桃の木から離れて、しばらくの間、瘤を見上げていたが、意を決して近寄った。
 「手は届いたが、百数えられるかのう」
 爺さんは百数えたかどうか覚えていられるか心配だったのである。
 「それじゃ、胡桃様始めますで、どうかお願いいたします」
 爺さんはまず手を合わせ、背伸びをして、瘤の中ほどを指先でこすって呟いた。
「胡桃様、胡桃様、腰をお治しくだせい」
 また、瘤をなでた。
「胡桃様、胡桃様、腰を治してくだせい」
 こうして十回繰り返すと、小枝を拾って足元に置いた。爺さんはなかなか頭の回る男である。
 また手を伸ばして瘤をさすり、願をかけ小枝が九本になった。
 さあ、あと十回と思って、瘤の真ん中をさすり始め、何回目かのときである。爺さんの手に何かが乗っかってきた。
 驚いた爺さんは、あわてて願掛けの言葉を言い終えると、その場に尻餅をついた。
 茶色の栗鼠(りす)が胡桃の木の上に走っていくのが見えた。爺さんの手の上に乗ったのは栗鼠だったのである。
 爺さんがやっとこ立ち上がったとき、「やっちまった」とつぶやいた。
 「何回願掛けたんだベえ」
 爺さんは老婆のいっていたことを思い出した。百回以上だと、腰に茸が生えるが腰の痛みはなくなる。百に足りないと痛みはなくならない、だとすると、少ないより、多いほうがいいじゃないか。そう考えた爺さんはあと十回願をかけることにした。
 「腰に茸が生えても、とればいいだけじゃ、痛みが消えればいいわい」
 爺さんは背伸びをすると、胡桃の木の瘤を再びなで始めた。
 「胡桃様、胡桃様、腰の痛いのを治してくらっせえ」
 そうして、百何回か願いをして、胡桃の脇に立った。
 と、ありゃ不思議、老婆の言っていた通り、爺さんの腰は真っ直ぐになった。
 爺さんは腰に手を当てて少しばかり後ろに反ってみた。痛くない。
 「ありがたいことじゃあ」
 爺さんは両手を高く上にあげた。本当に痛くない。
 爺さんは胡桃の木に深々と頭を下げ、お礼の一礼をすると、籠を背負って茸採りに向かった。

 その日は籠一杯の茸が採れた、舞茸を三つも見つけたのだ。
 爺さんがほくほく顔で山から降りてくると、道端で嫁菜の花を摘んでいる老婆に出会った。胡桃の木を教えてくれた婆さんである。
 「お婆さん、嫁菜の花摘みかね」
 「おや、先ほどの爺様け、今日はうちの爺様のお立日だ、花を供えるじゃ」
 「そりゃ、ご愁傷様なこったで」
 「もう三十年もめえのことさ、おたくさんは胡桃の木に願をかけなすったか」
 「おうさ、ほれ、このとおり、ぴんしゃんしちまった、痛みものうなったのさ」
 「そりゃ、よかったじゃ」
 「婆様のおかげじゃて、ほれ、茸もこのようにようけ採れた」
 老婆は爺さんが降ろした籠を覗きこんだ。
 「ほんまよの、よかったこっちゃ」
 「ほいで、ほら、これ一つ、お礼じゃ」
 爺さんは籠から舞茸を一つ取り出すと、老婆に渡した。
 「くれなさるんか、今日は葉っぱの御浸しにしようと思っていたのじゃが、これはご馳走じゃ、有難いことじゃ」
 「なあに、この腰の痛みがなくなったんじゃ、有難いのはこっちのほうじゃ、ただなあ、願掛けの数が途中で分からんようになって、百回より多くしちまった。腰に茸が生えるが、しかたがないんじゃ」
 「百回以上、言っちまったんか」
 「そうじゃ、栗鼠子がわしの手の上を走って行きよって、数わからんようになったんで、たくさん願かけたんじゃ」
 「そうか、でも心配いらんじゃ、腰に生えてきた茸は取っちまえばいいんじゃ、お手のもんじゃろう」
 「そうじゃな、茸採りじゃからな」
 爺さんと老婆は二人して笑った。
 爺さんは籠を背負った。
 「それじゃ、元気でいてくだされや」
 爺さんは家に向かって歩き始めた。
 爺さんが畦道を歩き始めると、見送っていた老婆が呟きながらほくそ笑んだ。
 「背伸びをしたから、背筋が伸びて、痛みも無くなったんじゃろ、出まかせでも言ってみるもんじゃ、舞茸が手にはいっちまった」
 
 家に戻った爺さんは、婆さんに籠一杯の茸を見せて、山での出来事を話した。
 「ほんなら、爺様の腰に茸が生えるんか」
 婆さんは心配顔で尋ねた。
 「生えたら取ればいいんじゃ」
 爺さんは老婆に言われたように答えた。
 「そりゃそうじゃね」
 婆さんは籠から売り物になる茸を別の籠に移し、崩れた茸たちをかき集めた。
 爺さんと婆さんは採ってきた茸を朝市に運んだ。
 町にやってきた爺さんは大通りの脇にござを敷くと茸を並べた。
 隣はいつもの野菜売りの婆さんである。
 「今日は仰山(ぎょうさん)茸持ってきていなさるのう」
 「ああ、よく採れたでの」
 やがて朝の買い物客たちが集まってきた。
 採り立ての茸はよく売れた。
 舞茸は大きな商家のまかないの者たちや、料理屋の者たちがよい値で買っていった。
 その日、家に戻った爺さんは、裏庭の畑で野菜作りに精をだした。
 婆さんは茸料理の名人だった。夕方、壊れた茸を使って旨い料理を作った。爺さんはそれで一杯飲み機嫌よく床に就いた。明日も朝早く茸を採りにいくつもりだ。

 あくる朝まだ日が昇る前、婆さんが目を覚ました。飯炊きをしなければならない。薄明かりの中で起き上がると、隣の爺さんが海老のように腰を曲げて寝ているのに気がついた。爺さんは気持ち良さそうに寝ている。
 よくみると爺さんの背中から布団の外に何か突き出ている。
 「じいさん」
 婆さんは爺さんに声を掛けた。
 「うーん、もう朝かい」
 「そろそろ起きる時間じゃが、その背中のものはなんじゃい」
 「なに」
 爺さんがおどろいて布団の上に起き上がり、振り返ると腰から茸が生えている。
 「ありゃ、本当に茸が生えちまった」
 背中がなにかこそばゆい。
 爺さんは背中に手を回した。
 「こりゃ、まっとうな猿の腰掛じゃ」
 爺さんは着物をまくった。
 「婆さん、取ってくれ」
 「怖いがね、痛くないのかい」
 婆さんは猿の腰掛をちょっと押してみた。
 「痛かない、下に力を入れれば取れるじゃろ」
 「血など出てこないじゃろね」
 「うーん、わからんが、大丈夫じゃろう」
 婆さんは猿の腰掛に手をあてた。
 「ほら、ぐーんと押してくれ」
 爺さんに促され、婆さんは目をつむって思い切り下に押した。
 猿の腰掛は何の心配もなく、爺さんの腰からぽろっと落ちた。
 爺さんは腰を撫でさすった。
 猿の腰掛が付いていたところはなにも変わった様子はなかった。
 「おーよかったじゃ」
 婆さんも爺さんもほっとした。
 爺さんは猿の腰掛を手に取ると、これまた驚いた。
 「この猿の腰掛は、珍しいものだぞ」
 「なんでじゃ」
 「これは、きっと病にも効くものじゃ、他で見たことがない」
 「ほーそれなれば、売れるかな」
 「売れる、売れる、高う売れるじゃ」
 「ほいなら、今日、朝市に持って行こう」
 「そうしよう」
 ということで、その朝、爺さんは茸採りに出かけなかった。
 山間からお日様が顔を出したとき、爺さんは腰から採れた猿の腰掛の入った籠を背負って家を出た。
 爺さんは猿の腰掛をござの上においた。
 「今日はそれだけかね」
 隣の野菜売りの婆さんが不思議そうな顔をした。
 「んだ」
 しかし、猿の腰掛は売れなかった。とうとう、昼近くになってしまった。やっぱりだめか、と家に帰る支度をしようと思ったとき、立ち止まった侍姿の男がいた。
 その男は猿の腰掛をじーっと見ていると、やがて、
 「この茸はどこで採れたのか」
 と指差した。
 ちょっとあわてて、しかし、爺さんはうまいことを言った。
 「へえ、山の奥の奥でごぜえます」
 「どのような木に生えておった」
 「へえ、腰の曲がった年をとった木でごぜえます。わしも初めて見た木で、この茸も珍しいものでごぜえます」
 「おう、確かに、珍しい茸だ、いかほどだ」
 「どのくらいでございましょう」
 爺さんはいくらにしようか迷った。
 「うむ、五十文でどうだ」
 爺さんはたまげて、声も出せずにいると、男は勘違いしたようだ。
 「だめか、では、百文ではどうか」
 爺さんは猿の腰掛を笊(ざる)ごと差し出した。
 「へえ、へえ、ありがとうごぜえます」
 「どうだろう、また、この茸を採ったときには私のところに持ってきてはくれまいか」と、侍は名前と住まいを言った。
 「へえ、そういたしやす、ありがとうごぜえやす」
 その後、知ったところによると、この男は、どのような病でも治してくれると評判の薬師(くすし)であった。この猿の腰掛は不治の病とされる腹の出来物に良く効く薬になるという。
 その薬師の家はその町の殿様の屋敷の近くで、広い敷地には薬になる草がたくさん植えられている。家の中では大勢の者が薬作りに励んでいた。
 爺さんは家に帰ると、その日は何もせずにごろごろしていた。夜になるのが待ちどうしかったのである。
 やがて次の朝になり、さて、猿の腰掛はいかにと、腰を見ても全く生えていなかった。
 取ってしまえばそれで終わりかと、いつものように、朝早くから山に行き、精を出し、たくさんの茸を採って戻ってきた。
「腰が痛くなくなっただけでもめっけもんじゃ」
 爺さんは朝市で茸を売ったあと、家に帰って畑の手入れしたりして、よく働いた。
 すると次の朝、爺さんの腰に再び猿の腰掛が生えていた。前のものより大きかったのである。婆さんに茸を取ってもらうと大事に籠に入れた。
 その朝は茸採りにはいかずに、聞いておいた薬師のところに直接出向いた。
 「おお、また、採れたかな」
 薬師はその茸を二百文で買い上げた。
 その日はそのまま家に帰ると、畑仕事をしただけで一日を終えた。
 次の日になった。腰から茸は生えなかった。
 その日は雨が降り、茸採りにはいかなかった。
 次の日も腰から茸は生えることはなかった。
 三日目にようやく晴れて、朝早くに茸採りに出かけたが、雨が上がったばかりで売れるような茸は採れなかった。
 ところが、次の日、爺さんの腰には立派な猿の腰掛けが生えていた。爺さんは喜んで薬師に持っていった。
 このように、茸採りにでかけた次の日に腰に茸が生えることがわかった。
 それからは、精を出して茸採りをしたおかげで、毎日のように猿の腰掛を薬師に届けることができた。こうして、秋も押し詰まり、茸の季節は終わった。すると、爺さんの腰にも茸は生えなかった。

 年も変わり、また、茸の季節になった。爺さんは茸採りに精を出した。その年も腰に茸が生え、薬師に高く買い上げてもらうことができた。
 秋も深まったある日、茸を届けに来た爺さんに薬師が言った。
 「この茸のおかげで、よい薬が出来たぞ、病が癒えるだけではなく、からだが丈夫になる薬じゃ、猿の腰掛はずいぶんたくさん集まったので、薬を何十年も作ることが出来る。爺様のおかげじゃ」
 「それはよございました」
 「出来たての薬じゃ、二袋あるから、持っていきなさい、煎じてお婆さんと飲みなさい、八日間飲み続ければ体がしゃきっとなって長生きをする」
 「ありがとうごぜえます」
 家に帰って、その話をすると、早速、婆さんが薬を煎じた。
 爺さんと婆さんは八日間その薬を飲んだ。
 飲み終わった次の日から、爺さんの腰はしゃきっとなった。婆さんも皺が少なくなって良い顔色になった。
 爺さんは勇んで、茸採りに山に入った。ところが、次の朝になっても腰に猿の腰掛は生えなかった。薬を飲んでしゃきっとした腰には、もう二度と猿の腰掛は生えることがなかったのである。
 「おしいことをしたわい、もっと、茸をはやしてからこの薬を飲むのだった」
 と百歳を越した爺さんと婆さんは悔やむのであった。

(「茸女譚」所収:2017年自費出版 33部 一粒書房)
 

猿の腰掛

猿の腰掛

昔話風茸小説

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-02-07

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