いきる

最期にと、空を見上げた。
これで、私はやっと私という概念から解放されるのだ。
やっと、本当にやっと。

私は自由という概念が常に憧れの対象だったような気がするのだ。
限りのない範囲にいけば、自分という醜い塊が変化するのではないかと錯覚していたのだ。
けれど、自由を主にしていた訳ではなく、自由という概念は、あくまでも化学反応の触媒のようなものなのだ。
私の人生を肯定的かつ円滑にするもの意外のなにものでもないのだ。
そして、私は自由という概念さえ私の中で殺したのだ。
自由になりたいという欲が真っ直ぐさをなくし、また醜い欲へと変化していくのだ。
私は、なにかを醜くく変化される触媒のようだと感じるのだ。

頭痛が一週間続いていた。
梅雨のせいで気圧が下がっているせいなのだと思っていたが、梅雨が明けても、なお続く頭痛に悩まされていた。
数少ない友人に病院に行くように言われたが、保険証を持っていない私には気軽に行ける場所ではなかったのだ。
私の身体の中で起こる変化に対して恐怖を抱くという、少しの矛盾に耐える術さえ私という概念の中にはないのだと、誰かに嘲笑われているように感じたのだ。
世の中という概念から逃れた君に生きる価値はないと言われているようだった。
けれど、生きていなければ、ならない人間なのいるのだろうか、代役など、何処の誰かも知らたい奴が颯爽と現れて埋めて行く。
だからこそ、生きることに対する執着はどこまでも深くなったのだと思った。
生きるだけではダメなのだと、ありふれている人間ではダメなのだと、
自分にしか出来ないことをと、そうやって奮い立たせて何度そんなものがないと痛感しただろう。
だからこそ、自由だけは、自由だけは、私を救ってくれる救世主のように思えたのだ。
頭痛が治ることはなかった。
激しくなる痛みに叶うのは、夢でも、自由でもなかった。
結局逃げられないのだと目の前の札束が訴えてくるのだ。
夢にも、自由にも限りがあるのだと認めざるを得なかったのだ。

結局私は、夢と引き換えに延命治療を受けることになったのだ。
余命も知りながら、まだ夢を追いたい私がいることに私自身が一番呆れていた。
きっと、その夢が生きる意味で、私はそれ以外のものなどなにも要らなかった。
たった、それだけの為に生きてきたのだ。
叶えられなかった悔しさと足掻いた分の犠牲が心にへばりついて離れないのだ。
私は、生き続ける意味など分からなかった。
生きる先に何もないのなら死んだ方がマシだと思った。
心の中で渦巻く汚い感情を消し去りたくて、屋上に向かった。
死を目の前にしても、やっぱり空は清々しく綺麗だ。
悔しいぐらい綺麗だ。

空の写真を撮ろうとシャッターを押そうとした時
「あの、すみません。僕の写真撮って貰ってもいいですか?」
「あ、あっ、はい。」
彼はこれでもかってぐらいの笑顔を向けていた。
なぜ、彼が写真を撮って欲しいと言ったのか、不思議で仕方なかった。
彼は、撮り終えるとありがとうございますと一言発して屋上を後にしようとしていた。
けれど、何故だろう。
彼を引き止めたくなってしまったのだ。
「あの、写真印刷したら渡した方がいいですよね。
宜しければ、お名前教えて頂けませんか?」

「あっそうでしたね。でも、その写真僕は要らないので、もし、良ければなんですけど、ここの住所に送ってもらえませんか?」

「あ、あの、少しだけ付き合ってもらえませんか?
私の夢に。」

「夢?」

「実は、写真家になるのが夢で、けど、もう時間がないんです。なので、、」

「夢、夢かぁ。
僕でよければ。」

彼は、文句も言わず、空を前にあの笑顔でカメラに収まったくれたのだ。
何回も何回も。
彼をカメラ越しに見れば、病人だなんて分からないほど、
青空と彼は、普遍的だった。
けれど、その普遍に寄り添っていったような感じがしたのだ。
彼は彼としてここにいるのではなく、彼という概念からもかけ離れているように思えたのだ。

彼は、きっと、彼の中にあるすべての概念を捨てたのだ。
もしくは、意味も訳も一切合切捨てたのだ。

「あの、差し支えなればいいんですけど、何故写真を撮りたかったんですか?」

「家族を残していったあと、最期まで笑ってたと思って貰うためかな。
そうすれば、僕の人生は、幸せだったと家族は納得出来る。
僕は、自分だけの納得なんて欲しくない。僕は誰かに納得して貰えればそれでいいと思ってる。」

彼は、無欲だった。
その時、彼の瞳に迷いはなかった。
かれは、意味とかそんなものを求めることに自分を置いていなかった。

「でも、夢とか生きることの意味とか、そういうことに自分を置かないなんて、私は死んでいることと同じだと思います。」

「きっと、そういう概念を誰しもが持ってると思う。
だから、生きていけるんだと思うし、生きたいと思えるんだと思う。
でも、僕はそういうの苦手なんだよ。
生きることに執着もなければ、夢も意味も要らない。
ただ、誰かが悲しむのが嫌だから生きてる。
誰かに罪悪感が残らないように笑ってる。
ただ、それだけのこと。
鳥が空を飛ぶのに意味がないように、あるのは訳だけ。
それでも、生きていける。」

「ムカつく。そー言うのムカつきます。
意味だっているし、夢だって要ります。
私にはそれが全てだから、それがないたら死んだって構わないぐらい大切で、大切で、それだけが支えだから。
死ぬって分かっていても、夢見たいし、希望だって欲しいし、こういう欲が汚いと思ってる自分だっているけど、
それでも大切なの。」

何故だろう。
こんなに感情的になってるのは、
きっと、悔しかったのだと思う。

彼には確かな一人称が与えられているのに、簡単に捨てていることが。
それが、あまりにも綺麗だったから。
私が、醜く見えて仕方なかったから。

「だけど、これが僕なんだ。
人生一度きりだから楽しまないととか、夢は叶えないととか、そんなのないんだ。
誰かが僕を必要としてくれるからここにいる。
それだけのことなんだって思うよ。
生きるって、そんな過大なことじゃないと思ってる。
奇跡とか、そんなの確率論だと思うし、生まれて死ぬそれだけのことなんだと思う。」

彼には、なぜ、こんなにも人間味がないのだろう。
彼は、人間の枠からもはみ出しているように思えた。

それが、少しだけ怖かった。



それから一週間後、彼が息を引き取ったと聞いた。
彼と予約を守るために、写真を届けに行くことにした。
送ってと頼まれたのだけれど、どうしても彼が言った言葉を見たかったのだ。

彼の家は、一軒家だった。
ピンポーン

「はい。どちら様ですか?」

「あの、この方と同じ病院でお世話になってる者なのですが、彼に写真を届けて欲しいと頼まれていたのでお届けに参りました。」

彼の名前を知らない私は、彼の写真をいきなり彼の家族に見せるしかなかった。

「わざわざありがとうございます。
上がって下さい。」

「ありがとうございます。」

「あの、これ。」

「最期まで笑顔だったのね。本当に、最期まで、」

彼の言っていた納得を涙が訴えているようだった。
きっと、彼は自分の為という言葉を知らなかったのだ。

「、誰かの為に、ばっかり。」

ねぇ、知ってる。残された側の納得はね、笑顔ひとつじゃ無理なんだよ。

自分の為に生きたって言えないんじゃ、納得なんて出来ないんだよ。


無欲って最強の凶器なんだよ。
もっと、彼は彼として生きていくべきだったんじゃないかと思ってしまうのだ。

「あっ、忘れてたわ。これ、あの子がね、写真の送り主に渡して欲しいって言ってたの。
良かったら受け取ってやってほしいの。」

「はい。」


拝啓 写真家を目指している人へ

約束を守ってくれて、ありがとう。

夢、生きる意味、をこよなく求めることを放棄した僕が言えることでは無いけれど、
最期まで、求めて欲しい。

醜い自分に耐えるより無欲になる方を選んだ僕がこんな事を言うのは可笑しいって思うだろうけど、
醜い自分に耐えて欲しい。

醜さほど人間らしく要られる感情は無いと思うから。
最期まで人間でいて欲しい。

最期の最期まで人間で。


彼は、綺麗さを求めた。こよなく清さを選らんだ。
そして、綺麗さを守るため、清さを守るために、
心を殺した。

それだけの違いだったのだと、知った時、
彼のあの笑顔だけが、浮いて見えた。

死ぬって、居なくなるってことだけじゃないのだと、彼が教えてくれた。


限りある時間の中を、私は人間として、生きてゆくのだと彼と見たあの青空に誓った。

流れ行く雲が、綺麗に並んでいない、そんな空も綺麗で思わずシャッターを切った。

この音が始まりを告げているような気がした。

いきる

いきる

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-02-05

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted