選ばれたのはショタっ子でした。

拙い文章ですがご容赦を。感想など気軽にどうぞ

プロローグ

 轟音があたりに鳴り響く。周りは逃げ惑う人々、奥には空まで立ち上る大火。
次々と仲間が死んでいくさなか少女はその戦場を走っていた。いつもの静かな夜は三日前に終わりを告げた。

 少女の国の王が三日前に殺された。王の首を片手に光を従えそれは静かな夜に現れた。一瞬にして世界は白一色に染まり、次の瞬間にはそこには今まで暮らしていた集落ではなくただただ永遠に続く荒野が広がっていた。

どんな音だったのかすら覚えていない。それほどの衝撃音であった。耳は聞こえない。
 自分に起こった異常に混乱する。耳を塞ぎ、目を閉じ、必死に目の前の夢から覚めろと自分に言い聞かせ、その場にうずくまっていると逃げ惑う人々の郡とぶつかりその場に尻餅をつく。起き上がるとそこには男が立っていた。何かを一生懸命話しているようだが、耳が聞こえないため何をいってるか聞き取れない。光で目もやられてしまい、ぼやけて顔もわからない。
 ぼやけた少女の世界に写るのは逃げ惑う人々と、炎に包まれる真っ赤な世界、その先に暗くはだけた荒野が延々と広がる。そして空中には光。四点の光。ひとつひとつ色が違うように見える。そして地上にもひとつ。
 空にある光よりも眩い輝きを放っていた。
少女は幼いながらに理解した。齢5才の少女にこれを理解せよというほうが無理な話なのだが、少女は理解した。お迎えがきたと。昔母親に死ぬ時は必ず天使が空からお迎えにくると聞かされていたからだ。
ここは聞かされていた天国とは違ったけどお迎えが来たんだと少女は思い、空に手を差し伸べた。眩い光に手を翳す。


「君にはあれは天使にみえるのかい?」


声が聞こえ、我に返る。浮世離れした世界に夢中ですっかり目の男の姿が目に入らなかった。


「お迎えがきた。ママがむかしいってたもん」

「そっか。でも必ずしも天使のお迎えを受ける必要はないよ」


こえの聞こえる先に視線が動く。背の高い男だった。顔は暗くて見えなかったが恐らく若者だろう。


「君には君の平和を脅かすものにただただ蹂躙されてしまっていいのかい?」


 少女には言葉の意味が分からなかった。5才の少女には難しい言葉ばかりでこの光景と相まって理解が追いつかない。
“ゴォォォォォン!”
 轟音が鳴り響く。少女と男はひたすら逃げ惑う人達のなかただその世界にたたずんでいる。光は逃げ惑う人達を追うように近づいてくる。


「難しい話したね。すまない。君にも分かる言葉で説明するにはこの状況はあまりにも残酷だ」


大人は笑いながら頭をかく。


「さて…さすがにここに突っ立ったままだとそろそろやばいかもね」

「でもパパもママもどこにいるかわからないから…いくとこない」

「そっかぁ…んじゃパパとママのところにいけるかは分からないけどこれをあげる。これがあれば君を悪いほうには導いたりしない。これを大事にもってるんだ。そしてしっかり今日起こったことを目に焼き付けて覚えておいて」


その男は自らのぽけっとから小包をとりだし、少女の首にかけた。


「うん。おぼえてる」

「そして、あの光が、君からすべてをうばったのが…」


言葉をすべて言い切る前に世界は眩い光に包まれた。赤が白に替わり、けたたましい轟音と突風が巻き起こった。
 気がつけばそこには少女だけがひとり荒野に佇んでいた。

第一話

「いってきまーす!」
 元気よく玄関をあけ、今日も今日とて楽しみな学校へ向かう小学生の姿があった。  
 赤い名札に、群青色の柄の真新しい傷が増えてきたランドセル、五月の初頭に似合うポロシャツに、暑さにやんちゃさを足した結果、少し早いと母に止められつつ、もう子供じゃないんだから自分で決めると駄々をこね無理に来てきた半ズボンをはいた彼、斎藤啓太は学校に向けて今日も走っていた。

「さて今日は…こっちだ!」

 分かれ道で木が倒れた方に足を進める。しばらく歩くと、そこは行き止まりになっており、一階建ての貸家住宅が立ち並んでいた。

「えぇー行き止まりだぁ…困った」

といいつつもニヤリとイタズラに笑みを浮かべると啓太は塀を登ろうとするも、7才の身長では流石に届かない。

「むー…流石にダメだ…そうだ!」

 啓太は肩からランドセルをおろし、腰に巻いたベルトをほどいた。ベルトの金具をランドセルのキーホルダーをつける位置に金具を固定し、輪を作る。そして側に落ちていた少し幹の太い木を片手に、ランドセルを踏み台に塀をよじ登る。

「ふぅ…よし!」

 塀を登りきったことに安堵し、ベルトで輪を作った部分に木を引っかけ持ち上げる。

「うぅ…重たい…でもあきらめないもん!」

 やっとの思いで塀の上にランドセルを引き上げ、背負い直すと、次は低い住宅の屋根によじ登り、密集地ということもあり家々の距離が近く、ぴょんぴょんと屋根と屋根の間を飛び学校に向かう。

「こらぁぁぁぁ!!!」

急な怒号に驚く。

「屋根なんぞにのってあぶねえだろうが!!!」

「やべ!」

捕まる前にと急いで屋根を跳び跳ねる。

「さてここらへんかな…」

降りる場所を見つけ怒鳴り散らしている親父にべぇっと挑発をかまし、彼は屋根から姿を消す。
屋根から塀を伝い降り、塀からフェンスへ移り、それを伝いいつもの通学路に入る。

「おはよー!」

 クラスメイトと挨拶を交わし、やんちゃ坊主啓太の学校生活が今日も始まるのであった。



「フフッ…とんでもなくやんちゃな七才児ですね…」

啓太が位置する場所から少し離れた場所に、女はいた。少女というほど幼くもないが、大人びた顔に少しあどけなさを残し、髪は黒にセミロング、背はスラッと高く、165cm程だろうか。
 片手には、コンビニで期間限定から最近昇格し、定番商品になった、蜂蜜抹茶ラテ。ズズズッっと最後の一絞りを吸い上げ、くしゃっと空の入れ物を潰しその場を後にする。そして去り際一言呟いた。

「また会いにきます。私の可愛い王様❤」

第二話

 寒い、寒い、寒い。ただただ寒い。そして背中によりかかってる子は冷たい。不規則な吐息はほのかに

暖かく、啓太の首筋を吹き抜け何事も無かったかのような冷たさがこの残酷な現実が夢じゃない事を教え

てくれる。そう夢じゃない。

「うぅ…」


背中の少女がうめき声を上げる。その少女の背中は真っ赤に染まっていた。したたる真っ赤な血。あるけ

ば歩くほど紅は鮮やかな紅から黒へと色を変え、啓太らの後を追う。

 ポタッ…ポタッ…

それはまるで死神の足音のように。

 ポタッ…ポタッ…

その音はもうひとつ。その足音は二人。

死神は少女のものだけではなかった。啓太の左腕は、肘から下が無かった。

そして

ドシンッ! ドシンッ!


腹の奥まで響く音。木製の校舎が軋む。震える。

そして踏み抜かれる。

その音はゆっくりではあるが確実に近づいてくる。

(頼む。こっちにこないでくれ…ママ…姉ちゃん…助けて…)

気がつけば廊下の真ん中でうずくまっていた。恐怖のあまり動けない。歯がガタガタと音を立てる。

ドシンッ…ドシンッ…

その音は遠のく。助かった。やった。生きてる。

安心したとたん今まで恐怖のあまり感じなかった左手に激痛が走る。

「うぅ…」


「ヴ」

痛みのあまり上げたうめき声。自分のものではないもの。

「え…」

顔を上げたそこにはただただ黒。黒。黒。

当たり前だ、今は深夜なのだから。当たり前だ。でもその黒はまるで夜すら感じさせない。

まるで影にのまれてしまったのかのような錯覚すら覚える。

その暗闇に手を伸ばす。何故伸ばしたのか。触れる夜なのか。そうでない夜なのか。ただただ好奇心と恐

怖のあまり出てしまった手だった。

答えは、触れなかった。それは自然現象だった。いつもの夜だ。

しかし啓太はおびえるが故気づかなかった。足音が止んでいたことに。先ほどまで絶えず鳴っていた死を運ぶ足音に。

そして死神の足音がひとつ止んでしまった事に。

追う死神はひとりきり。気がつかなかった。ひとりぼっちになってしまったことに。

雲が晴れ、月がこぼれる。こぼれた月はその校舎の窓から注ぐ。

ほんとは知ってた。視たくなかっただけ。

その零し火が照らし出したのは、夜の真の姿だった。

どうしてこうなってしまったのだろうか。

時は少し前までさかのぼる。




授業が終わり、昼休み。教室は賑わいを見せていた。

その中でもひときわにぎやかな集団があった。

その集団の真ん中には一人、少女がいた。名を日野誠。普段からおとなしい子でいつも教室の隅で本を読

んでいるような子だ。しかしそんな彼女が最近ガキ大将、宮田剛のグループの真ん中にいる。

きっかけは給食の配膳時、教室で昼時鬼ごっこをしだした剛が配膳中の誠にぶつかり、剛の服に給食をぶ

ちまけてしまったことによるものだった。おまけにその拍子に転んだ剛は運悪く倒れた体でぶつかった拍

子に転がっていった牛乳を踏み潰してしまい、一日中牛乳臭い服で下校時まですごす事になり、周りに牛

乳臭いといわれかなり気分の良くない思いをしたようで、それ以来誠をグループにいれいじめの対象とし

てなにかあるたびにつっかかっていた。

本人の性格も相まってか誠には友達がいなかった。おまけに剛に絡まれたとあっては皆が皆見ない振りをする。

最初は皆が見てない所でやっていたようで啓太は全くいじめが起こっている事すら知らなかった。

それにしった所で助けてやる程彼女と仲が良いわけでもなかった。

見てみぬ振り。皆と同じ。机につっぷし寝たふり。

「またはじまったよ。剛のよわいものいじめ」

頭上から声がかかる。顔をあげる。そこには親友の顔があった。

「まぁ俺らには関係ないしいいんじゃね?」

「冷たいなぁ…すこしは可哀想とか思わない?」

「お前はやさしすぎるんだよ、歌那多」
田崎歌那多。啓太の親友であり、幼稚園からの仲である。名前は女子のような名前をしているが男だ。

啓太は基本歌那多と二人で行動していた。啓太の性格なら剛達とも仲良く出来ただろうが歌那多がそれを嫌がった。

幼稚園からの付き合いもある。だからそれを優先したが、やはり今の現状をみれば分かるとおり歌那多のいうことは正解だったようだ。

「最初から嫌な奴だとおもってたんだよなぁ…あいつ」

歌那多がぽつりと漏らす。その通りだった。

最初から歳相応というのもあるだろうが、汚い言動、喧嘩の数々は後を耐えなかった。

こいつの言うとおりにして良かったとホッとする。

「きゃぁ!!!」

悲鳴。それは誠の悲鳴だった。

「おら。のめや。自分で零したんだろ。勿体ないよな、おいッ!!!」

誠の頭をつかみ、地面に零した牛乳を飲ませようと怒鳴り散らす。

「やめてぇ…お願ぃ…」

涙を流しながら牛乳で真っ白に染まった彼女は抵抗する。しかし抵抗空しく彼女の顔は地面にひれ伏す。

「どうだ?うめぇか?俺も味わったんだ。お前に味合わされたんだよ?誠ちゃん」

彼女は何も言わなかった。いえなかった。嗚咽ともいえるすすり泣く声、そして周りのささやき声で何かをいっても聞き取れないだろう。

「こんなのつらいよなぁ…こんなこともうやめてほしい?ねぇ!ねぇッ!?」

笑いながら誠の髪をつかみ顔を無理やり上げる。

「こっちみろよ、ブス」

上がった顔はひどく汚れていた。地面の汚れを吸った牛乳とすすもあるが彼女の表情は悲痛の顔で歪んでいた。大粒の涙が声にもならない嗚咽を零しながら流れ落ちた。

「みろよこいつきったねぇ顔、ブスに更に磨きがかかったな」

クラスには笑い声がこだまする。


「さすがにやりすぎだろ」

その笑い声が一斉に止まる。その声の主は歌那多だった。

「あれぇ…もしかして歌那多くん誠ちゃんのことすきなのー?ヤダー」

「そんなんじゃねぇよ。やりすぎだっていってんだよ」

「じゃあお前がかわりになんのかよ。あ?」

まずい。呆気に取られて啓太は動けずにいた。さすがに喧嘩が始まる前にとめなければ。

でもここで止めにはいったら自分まで苛められるかもしれない。だったらいっそこのまま、そう思い留まる。持ち前の元気も恐怖の前には怖気づく。
親友が体を張って出て行った。素晴らしいと思う。でもごめん、俺はお前と一緒に苛められるのは嫌だ。という気持ちが勝ってしまう。
上げかかった腰の力を抜く。ほっとしている自分がいる。
静寂。ただただ静寂。その静寂のさなか視た。視てしまった。誠がこっちを視ている。まるで弱いものをみるような目。そんな目で視るな。お前のほうが俺より可哀想な奴なんだ。だからそんな目を俺に向けるな。

ガラッ

 教室のドアが開き担任がはいってきた事によりこの一連の騒ぎはひとまず収束した。

担任は牛乳で水浸しになった誠に驚きはしたが体育着に着替えてきなさいと言いつけ、誠は体育着で授業を受けていた。

恐らく担任は遊んでそうなった程度にしかおもっていないのだろう。

誠はなにもなかったかのように授業を受けている。

授業中は剛もなにもしなかった。理由は簡単だ。担任の直子先生に惚れているからだ。

直子先生はとても優しく、なによりとっても綺麗だ。すらっとした手足、黒いショートヘアにぱっちりとした目と整った顔立ち。

なので悪ガキの剛も先生の前だけではいいこぶっているのだ。大人の色香に発情するのも大概にしとけ。お前には無理だ。マセガキが。おっと俺も歳一緒だったわ。と思う啓太だった。

授業も終わり、放課後。直子先生がいなくなった途端、教室に大声が響く。

「聞け。俺は誠ちゃんをそろそろゆるしてやろうとおもう。でもただで許すのは筋が違うと思う。だからゲームをしてもらおうと思う」

「これ以上なにしようってんだよ」
歌那多が吠える。

「おぉ恐い、恐い。王子様を怒らせちまったぜ」
笑いながら剛が言う。

「まぁ聞けよ。旧校舎分かるよな?あそこはでるんだぜおばけがさ」
笑いながら剛が続ける。

「その旧校舎と誠ちゃんをいじめてるのになんの関係があるんだよ」

「これはお前も関係してるんだぜ歌那多ぁ?旧校舎の第二音楽室そこに誠を迎えにいってもらう。なにもなくふたりで帰ってこれたら誠のことは水にながしてやるよ?どうだぁ?お・う・じ・さ・まぁ?カカカカカカカッ!!!」

「ッ!?お前勝手にそんなこと決めてんじゃねぇよ」

「なんだよ。恐いのぉ?ならいいけど。俺はやらなくてもいいんだよ?ね?まことちゃぁん?」
誠は黙っていた。

「…わかった。そうすればもう誠いじめたりしねぇんだな?」

「ヒュー!そうこなくっちゃな。かっこいいぜ歌那多」
 剛がうれしそうにニヤける。日時は夜12時、旧校舎に集合。それで決まり解散となった。



話し合いが終わり歌那多と帰路に着く。
「お前いいのかよ?旧校舎に12時って…ママに怒られんぞ」

「あぁ…ばれたら大目玉だよ。」
 歌那多は若干青白い顔になっている。旧校舎にいくという恐怖もあるだろうが歌那多の母親はとても恐い。
一度歌那多の家で遊んでる時にふざけて花瓶を割ってしまったことがあり、ふたりしておこられたことがあった。できれば思い出したくもない程だ。

「でも…誠が苛められ続けるのをただ見てられるほど大人じゃねぇんだよ」

子供ですね、ハイ。かっこいいこといってるけど子供ですよね。ただこの場にいたってはかっこいいのでちゃかさないで上げようと思う啓太だった。

「んじゃ俺こっちだから」

歌那多が手をあげ、またなと手を振る。

「んじゃまた明日な。無理すんなよ」

「わぁってるよ、んじゃ」

二人は別々の道を逝く。これが彼らの将来に隔たりを生む分かれ道だとはこの頃の啓太には知る由もなかった。

第三話

暗闇の中、彼は問われていた。

「いいもなにも、俺には関係ない」

啓太は答える。それが精一杯の彼なりの強がりであった。

彼女は笑う。その笑みは闇にもみ消され、映る事はなかったが、冷たいもののように感じられた。

まるで心の中を見透かされているような、そんな気がして気がつけば啓太は彼女に背を向け歩みを踏み出

していた。

「逃げるんだ」

その言葉が胸に刺さる。しかし歩みを止めない。そんなこと啓太自身には関係のないことだ。

「恐いんでしょ?」

背を向けている啓太に彼女は言葉を続ける。だが彼は止まらない。

「あの女の子、君に助けてほしかったんじゃない?」

「うるさい」

歩みを止め、一言そうつぶやいた。俺には関係ない。誠が虐められてるのだって、こんなことになってる

のだって彼女自身に原因が少なからずあるし、仮に啓太自身が行った所で何になる。なにも出来ずに終わ

るに決まってる。

歌那多のようにお人よしじゃないし、何より余計な事に首を突っ込んで次のいじめの標的にでもなったら

どうする。なら最初から何もしないほうがいい。

「君は…」

「僕は…」

彼女の言葉を遮るように啓太は続ける。

「いや、俺は、英雄ヒーローじゃない」

しばしの沈黙のあと彼女は一言「そう」と短くつぶやき、そのあと言葉が帰ってくることは無かった。




「ただいま」

自宅に着き、すぐ自室に向かう。ランドセルを無造作に置き、ベットに横になる。

学校での誠の表情が脳裏から離れない。まるでかわいそうなものをみるような目。

「クソッ」

枕に顔をうずめ、必死に忘れようとする。

何で自分がこんな事で悩まなければいけないのか。

「啓太ー!帰ってるのぉ?」

ノックの音と共に声が啓太の耳に響く。

「何?おかあさん」

啓太が顔をあげると同時にドアが開く。

「もう帰ってるなら顔くらいだしてよ」

そこには女性が一人、長い黒髪を緩く後ろで結び、左の泣きほくろが特徴的な啓太の母、斉藤多恵が立っていた。


「ごめん。ちょっと考えごとしてた」

「そっか。難しい年頃だもんね。頑張れ男の子!」


多恵は「ファイト!」とガッツポーズをして部屋を後にした。一体何がしたかったんだと考えていた矢先またドアが開く。

「あ、啓ちゃん。今日肉じゃがなんだけどにんじんと白滝きらしてて…今から買って来てくれない?」

「えぇ…今からぁ」

「お願い」

 多恵は両手を合わせて上目遣いでお願いしてくる。啓太はひとつため息をつき、「分かった」といい、ジャージに着替え、手を振って「いってらっしゃーい」と見送る母を後ろ目に玄関を開く。
外は陰りを生み、仄かに残る紅を背に黄昏時を迎えていた。


 近所のスーパーは存外込んでいた。まぁ夕方の7時前。会社帰りや主婦層で店内は賑わいを見せている。
目的の白滝、にんじんをそろえ、買い物袋にいれ、店をあとにする。
外は暗くなっていた。そして時間も店内が込んでいたため押してしまっている。早く帰ろう。そう思いながら足を速める。
夜の道は存外不気味だ。電柱の街灯が薄暗く消えたり、ついたりし仄かに道を照らしている。

「だからいきたくなかったんだよ…」

と啓太はひとりでぼやきながら足を早める。

「君はいかないの?」

後ろから声がかかる。啓太の足が止まった。今まで足音は後ろから聞こえなかったし、振り返ってその声の正体を視る事が彼にはできなかった。

「廃校舎…行かなくていいの?」

背中越しの声に体がびくつく。

「図星ってとこかなぁ?フフッ…」

声の主は不適にあざ笑う。

「いいもなにも、俺には関係ない」

啓太は答える。

「フフッ…震えちゃってる。恐いんでしょ?」

啓太は答えず、そのまま前に足を進める。

「逃げるんだ」

言葉は絶えず背後から続く。しかし啓太の歩みも止まらない。

「恐いんでしょ?」

渇いた言葉が虚しく消える。

「あの女の子、君に助けてほしかったんじゃない?」

「うるさい」

足を止め一言、啓太は呟いた。

俺には関係ない。虐められるのも、誠が悪い。勝手にそれに巻き込まれるのは歌那多が悪い。

仮に啓太自身が行った所で何になる。なにも出来ずに終わるに決まってる。

何より余計な事に首を突っ込んで次のいじめの標的にでもなったらどうする。

なら最初から何もしないほうがいい。

「君は…」

「僕は…」

言葉を遮る。

「いや、俺は、英雄ヒーローじゃない」

「そう」

それ以上の言葉は返ってこなかった。

そうだ。英雄ヒーローなんかじゃない。そう。どこにでもいる見栄っ張りで臆病な小学生だ。

家の方向に足を動かす。歩きながら先ほどの言葉が頭をよぎる。

『あの女の子、君に助けてほしかったんじゃない?』

「あぁもう!」

考えるな。考えるな。考えるな。啓太は自分に言い聞かせる。

『助けてほしかったんじゃない?』

気がつけば走っていた。家とは逆の方向に。

目的地は、廃校舎。啓太は全力で走る。



      ◇ ◇ ◇



 眠い。頭がぼーっとする。どのくらい寝ていたのだろうか。あたりを見渡す。暗い。音が聞こえる。水の音。ポタッ、ポタッ…静かで暗い空間に水滴が滴る音だけが小さくこだまする。
 昼間に剛にここ、廃校舎第二音楽室に連れてこられた。一人でこんな場所に夜まで置き去りにされるのは嫌で必死に抵抗したが、教室の外から鍵を掛けられ結局閉じ込められたまま、気づけば待ちくたびれて眠ってしまっていた。

「…寒い」

 自らの体を抱える。窓の外を振り返ると窓はガラスが一部割れていて、そこから風が吹き込んでいた。
冬はあけたとはいえ、まだ季節は春だ。夜になれば気温も低くなり、吹きつける風はまだ肌寒い。

「歌那多くん、来てくれるかな…」

 歌那多が誠を助けに来てくれなければ誠はずっとこのままここにいることになる。今までどおり剛達に脅えて過ごさなくてはいけない。

「なんで…私がこんな目にあわなくちゃいけないの…」

 誠から涙がこぼれる。原因は一度した失敗。ただそれだけだ。しかしいじめの張本人の剛からすればいじめの標的にするには十分な理由であったようだ。

「ママに怒られちゃうな…」

ガタッ…廊下が軋む音。その音は続く。教室の近くで不規則に鳴る。
 誠は恐る、恐るドアに近づいた。

「…歌那多、くん?それとも…剛くん?」

足音が止まった。しかし返事はない。
 ドアの外を見たい。しかしドアは外から鍵が掛けられててあかない。

「誰かいるの?返事して?」

誠は教室の外まで聞こえる声でめいっぱい叫んだ。

しかし誠の声は虚しく手狭な教室に響き、返答はなく帰ってきた答えは静寂だった。

時間は夜の11時半、もう誰かきてもいいはずだ。しかし誰もこないという事は何かあったのだろうか。

「クゥーン…」

「え」

誠が振り返るとそこには犬が一匹。柴犬くらいの中型犬。くらくてシルエットのみがなんとなくだが分かる。
 そもそも一体何処から入ったのか。教室を見回すと、壁に小さな穴があいていた。恐らく隣の教室を通じて入ったのだろう。

「…おいで」

誠はしゃがみ、犬に手を差し伸べる。犬は誠のほうに歩みを進める。

ドガァァァァァン

「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!?」

何が起こったかわからない。

突然吹き飛ばされた。

「…痛い」

起き上がり頭に手をやるとべったりとした感触。誠の頭から血が流れていた。
土煙が上がり、暗闇と相まって視界が良くない。
頭を抱えて、立ち上がり、壁が崩れたほうに足を進める。

「オマエ アジン」

後ろから声が響く。声は誠のはるか上から聞こえる。
誠は振り返る。そこには大きな影が立ちはだかっていた。
影は問う。

「オマエ アジン?」

「アジンって何?」
誠は答える。立ち竦みはしたが、不思議と誠は恐いという感情が無かった。まるで自分のペットと接するようなそんな感じだった。

「アジンノカジツ」

「か、じ、つ?くだもの、かな?」

「チガウ。カジツ チガウ」
どうやら果物ではなかったみたいだ。誠は考える。
果物でないのなら何なのだろう。腕組みして考える。

「ヒカリ ヒカル」

「うぅー…わかんない」

「ウソダ。オマエ、クサイ。ヒカリ クサイ」

次の瞬間影が動き、そして豪腕がうなり、誠めがけ振り下ろされた。
 土煙が上がり、教室が崩れる。崩れた壁から月明かりが注す。巨躯から放たれた拳が上げられる。割れたコンクリートの床には真っ赤な血液がまるで彼岸花のように咲き乱れて広がっていた。そして明かりに照らされて、影が浮かび上がる。そこに立ちつくしていたのは巨大な牛の獣人、そしてもうひとつ影が映し出される。

そこに立っていたのは小さいシルエット。斉藤啓太少年がそこに立っていた。

第四話

「イタ。カジツイタ」


大きな影が片言で呟く。
声色に変化はなく感じられたが昂揚が入り混じっているようで呼吸が激しく乱れている。
怪物はズズズズッ…とけたたましく重い音を立て体を啓太のほうへ体をゆったりと向けた。
そして教室の中央に腰を抜かして唖然としている誠。恐怖で涙を流しているのか、もしくは驚いて腰が抜けて動けないのか、彼女はその場から動かない。彼女をボーダーに教室の三分の一を占める大きさのばけもの、それと対極するかのように小さな啓太が立つ。そのひざは小さく震え、立っているので精一杯だろう。


「オマエ アオウ カ?」

「アオウ?なん…なんだよそれ」


 寒さで口が強張ったか、目の前の光景に恐怖したか、それとも両方か。うまく声が出ない。必死に強張る体を奮い立たせやっとつむぎだした言葉。


「オマエ カ?ソレトモオマエカ?」


怪物は啓太と誠両者を見る。その闇に蠢く小山は二点の赤い目で覗き込むように観ている。


「か、かいぶつさんは私たちを探しにきたの?」


 中央にいた誠が急に声を掛けた。啓太はあっけにとられ、言葉が出なかった、どころか体が強張って動かない。
怪物はギョロリと誠を見ると、笑った。
正確には暗闇の中開いた口の中の無数の牙が屋内に少し注す月光に反射し、ギラギラと光っていた事から笑ったと啓太は思った。


「ソウ デモオマエラドッチモ ハンノウアル ヒカリアル」

「そ、そうなんだ。困ったね」


誠は困った笑みを浮かべ返答を返す。
そんな誠を見ていることしか出来ない啓太。ひどく情けなかった。自分はこの場で立ち尽くす事しかできない。

「ねぇ、啓太くん」

「え」

いきなり誠に話かけられ我にかえる。


「この怪物さん悪い怪物さんじゃないみたいだよ?ね」

「そ、そういう問題じゃない!早くそっから離れて!」

「だ、大丈夫だよ。ね?怪物さん?」


 怪物は黙っていた。
 雲に隠れた月が顔をだし、わずかな月火は大きくなり、教室のベランダ側半分を照らし出す。怪物の姿が半分だけ露になる。
 その形は大きな犬であるが、犬の耳の中から牛のような角が映えていた。そしてその牙は血で赤く染まっていた。怪物は沈黙の後に一言ぼそっと呟いた。

「ドッチモ コロセバ イインダ」

怪物は笑った。その笑みから漏れたのは人間の腕だった。見間違えもしない。肘から上の手。けして大きくはない手。

「誠!逃げろ!」

声が出たと同時に誠に向けて全力で駆けた。

「え」

 誠が後ろを振り返る前に彼女はすでに空中を舞っていた。
それでも走る。空中を舞う彼女の元へ。しかし小学生の足では間に合わない。
無慈悲に地面に叩きつけられ転がる。ぐったりとした彼女は、無気力にその場に横たわっていた。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 叫びと同時に地面が濡れる。恐怖で尿が漏れる。彼女が死んだかもしれない。次は自分だ。
怪物を見る。怪物は荒い息で、ゆったりと重い足取りで迫ってくる。
格好の獲物を前に狩りを楽しんでいる。獣らしからぬあの笑みがそれを証明していた。
それに口から漏れでたあの腕、きっと旧校舎にきていた剛達か、はたまた歌那多のものか。どちらにしろ笑えない。いずれ自分もあぁなるのか。いやだ。絶対にいやだ。
死にたくない。
そう思うと体がすでに怪物に背を向けていた。
きっと誠もあれだけ高く放りだされたのだ。きっと死んでしまった。そう自分に言い聞かせ全力で走る。教室のドアに向けて。走ってドアに手をかける。怪物はじっと啓太を見ている。恐らく逃げた啓太をゆったりと狩るつもりなのだろう。

「うぅぅ…」

うめき声。とても小さかったが確かに聞こえた。
ドアに手をかけ、誠を見る。微かに動いたような気がする。しかしそんなあいまいな判断で自らの命を危険に晒すのは馬鹿げている。
 啓太はドアを開け、木の廊下を全力で駆けた。ただただ走った。全力で走った。今までにないくらい全力で。後ろも振りかえらず、ただただひたすら出口を目指して。
廊下の角を三度ほど曲がり、昇降口であろう場所を見据えた。あそこまで。あそこまででいい。光に向かって右の手を伸ばす。もう届く。ドアを目の前に動きが止まった。正確には動けなかった。

「ツカマエタ」

低い多重音声が啓太の耳に響く。

「あぁ…あぁぁぁぁぁぁぁぁ」

声にならない声を出し、抵抗する。怪物は動かない。啓太は体を揺らし抵抗する。怪物口でつまんでいる小さな腕を噛み砕いた。

バリッ…ボリボリ…

堅いものを噛み砕く音。痛烈な痛みが体中を駆け巡ったのはその後だった。

「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!?」

 左腕が肘の先からなくなっていた。痛みにその場でのたうちまわる啓太を眺めながら、怪物はぼりぼりと啓太の腕だったものをゆっくりと味わっていた。
怪物は笑っていた。
 笑いながら長いしたで啓太の腕を口の中で噛み砕きながら転がして遊んでいる。
体中が痛みで液体という液体が様々な部分から流れていた。涙で歪む視界で痛みに耐えながら怪物を睨め上げる。もはや感情は恐怖ではなかった。己が腕を奪った。級友を奪った。親友を奪った。全て奪ったこいつを殺してやりたいと。

恐怖は憎悪になり、それは明確な敵意に変わった。
気がつけば啓太はその場に立っていた。
不思議な事に痛みはない。それよりも憎悪が勝っていた。


「コロサレル キ ニナッタ カ」

ケタケタと食事を終えた赤い牙をむき出しに笑う。


「あぁ、出来たよ」


啓太は静かに答えた。

「ンジャシネ」


怪物が啓太めがけて巨体を力任せに動かし飛び掛った。



「お前がな」

次の瞬間怪物の体は細切れに弾けとんだ。
もはや内部から爆発したかの如く離散した肉片はひとつひとつが重く、校舎の壁や金属のドアに無数の穴を空けた。天井からしたたる血液がべたべたして気持ち悪い。
血まみれになった体を見て我にかえる。


「え…え、えええ?え」

 何が起こったかわからない。自分は怪物に殺されるところで、なぜか相手が目の前で爆散した。
それに自分はあの瞬間何か自分の意思とは関係なく喋った。いったい何をしたのか。啓太自信にも理解できなかった。

血が滴る天井を仰ぎ見て、呆然と立っていたが誠の事を思い出し我にかえる。それと同時に自分の左腕が肘より先がない事に気づき痛みが徐々に戻ってきた。左手を押さえながら啓太は彼女の元に向かう。

第五話

教室はひどく静かだった。
 来る道中怪物が這いずりまわった跡が凄惨に残っており、古い木製校舎の廊下はずたずたに抜け、所々壁にぶつかったのか壁に擦った跡が残り所々血がべったりと付着していた。
 そんなにまで啓太という獲物は怪物にとって魅力的であり、いい玩具に映っていたのだろうか。
教室のドアは怪物が飛び出した時に壊れたため、大きな穴が開いていた。ドアを出た正面の廊下の窓ガラスは全て割れ、窓の下は全て削り取られたかのように剥ぎ取られ穴が横に長く広がっていた。
誠はうめいて頭から血は流しているもののそんなたいした出血量ではないようだ。恐らく体のどこかは確実に折れているだろう。
啓太は誠を抱え、教室を後にする。
ガタガタの廊下は、キシキシと音をたてる。
はやくここから出なくては。それだけを考え、誠の左手を肩にかけ、ぐったりとした体を引きずるように一歩一歩をゆっくりと踏み出す。


「ッ…!?」


体に力をこめるたびに左手が肘から先がないことを啓太に諭すように痛みが疾る。
そのたびに止まり、涙をこぼしそうになりながら、それを我慢し飲み込む。
泣くなんて後でいくらだって出来る。
今は誠と一緒に外に出るんだ。二人してこの地獄を乗り越えるのだ。
怪物は死んだ。一体何が起こったのかは分からないが、もうこの校舎に死神はいない。
ならばあとはでるだけだ。
そう一心に思い足を進める。ズズズ…と誠を引きずる音が大きくなるたび、背負いなおす。その度に体が力みと一緒に痛みが駆け巡る。
そんなこと構いもせず一歩一歩を踏み出す。
先ほど駆け抜けた廊下はひどく長かった。まるで迷宮に迷い込んでしまったかのようにすら思えた。
人一人抱えた小学生が動き回るには旧校舎は広すぎた。
ポタッ…ポタッ…
先ほどから水の滴る音が啓太らの跡を追っていた。
ポタッ…ポタッ…
その水滴は二点。啓太の左腕からも終始流れ落ちていた。
後ろを振り返ると、水滴が啓太らのあとに点々と残っていた。
しかしくらくてよくは見えない。黒いのかもしくは赤いのか。
それは抱える誠からも流れていた。
誠をおろし、そっと触る。
先ほど見たときは頭から流れていたと思っていた血は、わき腹から出ていた。

「うわッ」


べったりと手に付着した血に驚く。
暗闇ごしで色は見えないが啓太はこの感触を知っていた。


「怪物のと一緒だ…」


その手触りを彼は忘れる事はないだろう。
全身で感じたあの感触を。目の前で生命が散る感触を。そしてその紅い紅い花のような景色を。

ドシンッ! ドシンッ!

鈍音。とても重い。メキメキと木製の校舎が唸りをあげ、震える。
そしてメキャァ!という音と共に踏み抜かれた音。
その音はゆっくりと確実に近づいてくる。
廊下の真ん中で動けない。恐怖で足が震える。
啓太の頭の中には色々な考えが駆け巡っていた。先ほど死んだのではなかったのか。目の前であんなに凄惨に散ったではないか。ではなぜこのけたたましい腹の中まで響いてくる音が聞こえている。
それともあんな化け物がもう一匹いて、それで啓太らを狙っているのか。
もうさっきみたいに偶然で助かりっこない。助けてくれ。助けてください。助けて誰か。

(マママママママママママママママママママ)

その場にへたり込みうずくまり、ただただこちらへ来るなと祈る。
ドシンッ…ドシンッ…
願いが通じたのか音は遠のく。
(助かった…?やったぁ…)
生きてる。それを実感し、かみ締めた。

「うッ…」

「ヴ」

安心した途端左手に痛みを感じる。
痛みに呻いた。しかし自分とは別にもうひとつ違う声。

「え…」

それは背後。顔をあげる。
そこにはただただ黒。
当たり前だ。だって今は夜なんだから。自分にそう言い聞かせる。
本当は分かってる。分かっているけど言い聞かせずにはいられなかった。手を伸ばさずにはいられなかった。
その夜は触れられる夜だった。
先ほどの怪物が壊した廊下は見晴らしよく外がよく見える。
先刻また隠れてしまった月がまた顔を出す。つくずく思う。
今夜は月に恵まれてないと。
その光が照らし出すのは絶望と過酷な現実の姿だと。
零し火が照らしだしたのは禍々しい夜の姿だった。

第六話

目の前の夜を垣間見た。
それは恐怖の色で象られた啓太に見えた虚像なのかもしれない。
しかしそれをもってしても怪物の姿は酷く禍々しい。
その怪物は先程の牛犬より大きかった。見た目は狼に近い。しかしどこか啓太の知っている狼とは違った。
ギョロリと眼球が開き、啓太を見下ろす。
瞳は赤く、黒々とした目に瞳づたいに蜘蛛の巣のように血管が張り巡らせていた。思わず驚き後ろに身をひく。
その瞳はさながら、黒雲に疾る雷のようであった。
ゆっくりと頭を、そして続くように視線をあげると最初に感じていた違和感の正体がわかった。ひどく耳が後ろに裂けるように長く伸びていて、その更に後ろには蛇のように細長い尾があり、蛇のように地面を這わせていた。

「人間よ」

巨狼が口を開く。低くはっきりと腹の内から轟く声が身体中を伝う。巨狼が続ける。

「貴様が新たなる亜王か?」


「あ、あ、あ…」

目の前の怪物に強ばり上手く喋れない。それでもそれが啓太の精一杯であった。
漏らさずにいられたのは、後ろに誠がいたからだ。自分だけではなかったこの状況だけがぎりぎりの啓太を支えていた。
巨狼が目線をわずかに落とす。そして問うた。

「その腕何故治さない?」

「へっ?」

自分の左腕に視線を落とす。恐怖ですくみ、腕がないことを忘れていた。

「治せる…なら。治せるならな、治してるよ…よ…」

渾身の力を振り絞った。ない左腕を庇う。
巨狼は黙っていた。
じっと啓太を大きな眼が捉えている。
沈黙。この状況でも後ろの誠のことを考えればこそ立っていられた。
教室で見たあの誠の表情。もうあんな表情見たくない。二度と哀れみの目で見られたくない。自分だって逃げるだけじゃない。これは啓太の意地だった。
最後に残った我慢の残りカスのみで今ここに立っている。
しかし左手からの出血と、疲労が相まって立っているのがやっとだ。
しかし目線だけは反らすわけにはいかなかった。
外してしまえば襲われそうな気がしたし、何より逃げることになるからであった。
体は震えている。左手もない。満身創痍もいいとこだ。痩せ我慢だということもわかっていた。
それでも意地だけで立っていた。巨狼は静かに目を閉じ、笑みを浮かべた。
スズッと長い尾が這い、啓太目掛けて飛ぶ。
殺られると思ったが、目は閉じなかった。正確には動けなかった。立っているのでやっとで長い対面に強ばり動けなかった。
眼前まで迫ってもとじることを許さない瞳を嘲笑うかのように尾は綺麗に啓太の直前で軌道を変え、啓太の横を一閃する。

「貴様が気にしていたのはこれであろう?」

緊張がとけ、後ろに目を向ける。尾は後ろで満身創痍の誠を遊ぶように抱えていた。

「や、やめろ。そいつは関係ない!」

精一杯の甲高い声で巨狼目掛けて叫び散らす。
巨狼はニヤリとほくそ笑み、その細い尾は誠の体周りに円を描く。そして円は一瞬で収束し、持ち上げられる。
ギュュュュウゥゥゥ…
巨狼の尾は誠の体を締め上げる。

「うぅ…」

意識を失った誠が呻く。
締め上げられ、真っ赤な血が滴り落ちる。まるで雑巾絞りかのように締め上げられる。

「やめろ…やめろ…」

巨狼は笑う。

「カカカカ…早く助けねば死んでしまうぞ。ほら早く早く早く」

巨狼は高らかに笑い啓太を煽る。
ポキッ
そんな音が啓太の耳に木霊する。誠の手があらぬ方向に折れていた。それを見て巨狼が呟く。

「なんじゃもう壊れてしまったか。人は脆くていかんな」

カカカカ…と笑みを溢す。

「やめろ」

啓太の言葉に力がこもる。もはや先程までのか弱い少年のものとは違う覇気のある声だ。それでも尾は誠の体を締め上げる。巨狼は笑うのみで肯定も否定もない。
啓太の眼に力が宿ったまさにその時だった。
一斉に窓ガラスが割れ、雷のごとき閃光がまさに啓太と巨狼の間を貫く。暴風が吹き荒れ、貫き様に巨狼の尾が跳ねる。一閃の刃に巨狼が呻く。切断された尾から誠が溢れ落ちる。

「大丈夫か!?」

歩みより、彼女の体を揺する。
が、彼女は答えない。しかし息はある。荒々しいがまだ生きている。誠を抱え、視線を上げる。
煙が立ち込める。あたりは電が小さく散っていた。

「この方が亜王の一人と知っての狼藉か」

まっすぐで凛々しい声が煙の中から響く。

「この声…」

その声に啓太は聞き覚えがあった。
ゴォォォッ!っと煙が巨狼によって掃われる。
その煙の中から姿を現したのはナイフ程の刃物を持った女性だった。

「貴様…あちらのものか?」

「それ以外あるものか。何故亜人が亜王を狙うか?」

「カカカァ…そのちびが亜王?先程ためさせて貰ったが魔力はいっさい感じられんかったぞ」

わざと巨狼が誠を使ってまで啓太を煽った理由はどうも啓太が亜王とやらかどうか確かめるためだったらしい。

「間違いない。彼は亜王だ。選定の巫女の私が保証する」

女性の解に巨狼は笑う。

「お前が?人間にも亜人にもなれぬその身でか。選定の巫女がきいてあきれる」

「それでも私は選ばれた。選ばれたからこそ今ここにいる」

女性が高らかにまっすぐな声で答える。

「だがその小僧は人間ではないか!?亜王は亜人のみではなかったのか!!それでは人間共は聖剣だけではなく亜王にもなる存在だというのか!?認めんッ!断じて認めんぞッ!」

巨狼の声は低く轟く。相当興奮しているようだ。赤黒い目は怒りで紅く染まっていた。

「まだそうと確定したわけではない。人外の血が混ざっている可能性も…」

「尚更悪いわッ!!!」

女性の声に被せるように巨狼が吼える。

「それでは…それではあちらの常識が崩れる。奴らは天使だけでは飽きたらず我らが力の象徴すら奪おうというのか」

「…まだ続けるか」

狼狽する巨狼に女性は短剣を構え問う。

「…それが我らが王の命だ」


「人の形も保てず理性も失った獣に成り下がろうとか…」

「それが我らの王への忠義だ」

女性は寂しそうな悲しそうな表情をした。まるで獣を哀れむようなそんな顔だった。

「そこまでして…そこまでして獣の王は王を増やしたくないの?本当に戦うべき相手は…亜人同士で争う必要がどこにあるというの!?」

「貴様には分からぬ。王が決めたのならそれに従うのが我々獣人の定めだ」

そう呟くと巨狼はこちらに背を向ける。
女性は何かを言いかけてそして口をつぐんだ。
巨狼は一度足を止め、顔を向けずにぼそりと呟いた。

「気をつけろ小僧。貴様が真に亜の王とするなら多くを失う覚悟をしておくがよい」

ゆったりと闇に姿を消す巨狼の背中はどこか寂しげに悲しげに小さく啓太には映って見えた。

第七話

痛い。眠い。暖かい。そして柔らかい。

「うぅ…」


「目が覚めましたか?」

瞼を開くとボケた曖昧な視界が女性をまず捉えた。

「…うん」

うなずく。まるでいつもどおりの朝のように。まだ休みきってないと体が訴えてくる。瞼はまたゆっくりと落ちる。落ちた視界越しにフフフッ…と女性の笑い声が響く。

「休んで頂きたいのは山々ですが恐れ入りますがまだやる事がございます」

頭を優しくなでながら女性が耳元でささやく。
やる事。なんだ。分からない。それより眠い。眠い。夢を観よう。夢。夢。夢…じゃない。

「はッ!?」

飛び起きて、周囲を見渡す。

「誠はッ!?」

目の前の女性に叫ぶ。女性は静かに答えた。

「無事でございます。後ろで眠っておりましょう」

後ろを振り返ると毛布を羽織り眠っている少女がいた。見たところ手当てもされている。命に別状もないようだ。
ホッっと肩をなでおろす。

「よかったぁ…」

思わず女性のひざに頭を預けた。
ずっとこの女性が膝枕してくれていたようだった。
女性は膝に頭を預ける啓太の頭を黙って優しくなでていた。
啓太も疲労も相まって動く気にもならなかった。
あたりを見る。昨日の惨状を傷だらけの木製校舎が、そしてなにより左手がないことが全て真実だったことを物語っていた。

「ねぇ…えっとおねえちゃんは…」


「リーアとおよびください」


「えっとリーア姉ちゃんは何者?」


リーアは目を丸くしてクスクスと笑った。

「私は私でございます」

「いやそういうことじゃなくて…えっとなんていえばいいのかな」

「ここで色々お答え差し上げても構いませんが実際にあちらにいったほうがはやいかと」

「あっちってどっち?」

「あちらの世界でございます。こちらの世界には魔力が存在しませんので御身が今後危険になると判断します。よってあちらの世界に一緒に同行して頂く事になります」

「ちょっとまってよ。あっちって別の世界って事?」

「はい。すでに獣人にはあなた様の正体は知れ渡っているのでございましょう。そのうちあなた様を殺しに現れます」

「へ…殺す?僕を?」

「はい」

全くもって思考が追いつかない。僕を狙って。どうして。身に覚えのない事で自分が狙われているという事を理解するのでやっとだった。

「今は幸いにも朝でございます。彼らはこちらでは巨体故昼間に動き回ることはしないでしょう」

「待ってよ。どのくらいで戻ってこれるの?」

「…それは現状分かりかねます」

リーアは口を噤んだ。いえない事情があるのか。
啓太に話しても理解を得られないか。どちらにしろいかないという選択肢はなさそうであった。

「…わかった。だけどマm…母さんや姉ちゃんに許可だけもらわないといけないから家に一度帰ってもいい?」

リーアは複雑そうな表情を浮かべたが了承してくれた。
問題は誠だ。
これだけ傷だらけで夜家に帰らずさぞご両親も心配していることであろう。それをリーアと啓太ふたりが送り届けたらあらぬ誤解をされかねない。
話あった結果最初に啓太の家に行くことになった。誠はリーアがおぶってくれた。
道中このぼろぼろの格好を通りがかりの人々に怪しまれもしたが、今はそんな視線を気にしている場合でもなかった。歩きながらずっとこの腕の事をどう説明するかを考えていた。
明らかに御使いにいって腕がなくなったなんておかしい。
犯罪に巻き込まれたと思うのは明白だろう。
それに朝になって帰ってきつく母に絞られるだろう。
姉も夜必死に探し回ってくれたかもしれない。
どちらにしてもふたりに心配をかけてしまった。
たった二人の啓太の家族。はやくふたりの顔がみたい。
母は、姉はどんな顔をするだろう。怒るだろうか、それとも泣くだろうか、いやあのふたりには笑顔でいて欲しい。そんな悲しい顔させてしまったのは啓太自身なのだから家にかえったら真っ先にごめんなさいをしよう。仲直りしよう。
そう思いながらいると家が見えてきた。住み慣れた我が家。
なんだかひどくしばらくぶりに帰ってきたかのような気分であった。
思わずリーアたちのことを忘れ、家まで走った。左腕がない分走りづらい。バランスが取りづらい。
荒い息で、軋む体を精一杯動かし走る。そして玄関のドアをつかみ、勢いよくあけた。

「ただいま!」

家は静まりかえっていた。

「母さーん?姉ちゃーん?」

返事はない。静寂だけが漂っていた。
靴を脱ぎ、家に入る。早く母に、姉に顔を見せて安心させてあげたかった。思いっきり怒られてみんなで泣いて、最期は皆で笑うのだ。
リビングのドアを勢いよくあける。

「ただいま!」

「…」

リビングには人が確かにいた。
しかしそこにいたのは母でもなく、姉でもない黒いマントを羽織った男だった。

「え…おじさん誰?母さんは?姉ちゃんは?」

男は答えない。黙って包帯がぐるぐる巻かれた手を上げて床を指差した。

「え…」

そこには紅い何かが転がっていた。恐る恐る覗き込む。そしてそれは悲鳴に変わる。








「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」






それは昨日まで母だった、姉だった者の肉解だった。
その瞬間啓太の中で何かが壊れた音がした。

第八話

冷たい。頭が冷たい。
自分の家のリビングで、目の前には見知らぬ男。
そして床には家族だった肉解が転がっている。
それで。それで自分は何をしようとしたのか。
もう酷くどうでもいい。どうでもいいのだ。
全てを一夜にして失った。
夢ではない。級友も、親友も、母も、姉も、左腕も失って。

「…もうどうでもいいや」

酷く濁ったその目にはもう何も映らなかった。
男はゆっくりと啓太に歩みより、目の前に立った。
男は啓太を見下ろす。しかし目が合う事はなかった。
激痛が走る。わき腹に深く深く奇妙な形の刀が突き刺さっていた。
何度か刺したままの刃を捻る。
啓太の表情がわずかに引き攣る。そして男は刃を勢いよく体から引き抜いた。
大量の血液があたりに飛び散る。
その場に倒れ呆然と床を眺めていた。
床は冷たく息の上がって熱を帯びていた体はみるみるうちに冷たくなっていく。
すこし目線を上げ、肉解を眺める。切り刻まれた肉解には血まみれになったエプロンや生前母が肩身離さず首からかけていた指輪が紛れていた。
姉とは部活動の朝の練習に行くため時間が合う事がなく最近は全然喋ってなかった。こんなことになるならもっと喋っていればよかった。
母の最期の姿を思い出す。玄関でいってらっしゃいと笑顔で手を振るそんな姿が。
いつだって笑っていた家族の姿。
それを奪った。この男が。あの獣達が。全部全部全部全部全部。
許せない。ふつふつと憎しみがこみ上げる。力なき体が再び熱を帯びる。
それは怒りか、憎しみか。それは啓太にも分からなかった。
プツンッと解れかかっていた糸が切れた。


「…殺す」


  ◇ ◇ ◇



ドゴォォォォッ!!!
衝撃音。家屋から土煙が上がっていた。
誠を抱えたままリーアはその音のほうへ走った。
何かあったのだ。嫌な予感が脳裏をよぎる。

「啓太様!」

高らかに叫び、煙のほうに駆け寄る。
突然煙の中から手が伸びる。その手はリーアの首に掛かる。

「ぐッ…!?」

咄嗟のことでなすすべなく、腕に捕まる。リーアの腕から抱えていた誠が落ちる。
煙を払うように男の姿が現れる。片腕でリーアも持ち上げたまま、地面に崩れ落ちた誠の頭に足を乗せる。
すごい衝撃で吹き飛ばされたようだが見る限り外傷はないようだった。

「グギッ…はなっ…せぇッ!!」

リーアの蹴りが男の頭目掛けて放たれる。しかしその蹴りはあっさりともう片方の腕に阻まれる。
しかしリーアの攻撃は終らない。何度も何度も蹴りを放つ。しかし全て軌道を読まれ呆気なく阻まれる。

「く…そ」

息が持たない。男は全く怯まずリーアの体を持ち上げていた。
リーアの意識が酸欠で曖昧になってきたときそれは現れた。
突如空からの衝撃が男の周囲一帯を襲う。地面が割れ、男の体に無数の傷を作る。
リーアの首から手が離れ、地に落ちる。
咳き込みながら不足していた酸素を取り込み、衝撃があった方向に目を向ける。
男が飛ばされてきた家屋には大きな穴が開いていた。その中から姿を現したのは啓太であった。

「啓太様…」

しかしその姿は啓太であって啓太ではなかった。
ひどく虚ろな瞳は紅い灯が宿り、獣に奪われた左腕は新たな形状の真っ赤な腕が生えていた。

「まさか…血液中に流れる魔力をッ…!?」

男が啓太目掛けて飛び出す。男の腕にはいつの間にか120cm程の剣が握られていた。

「まさか…魔法武器!?」

勢いよく一刀が啓太目掛けて降り注ぐ。啓太は動かない。その一刀を異形の手で掴む。
にやりと、男の顔に笑みが浮かんだ。瞬間幾千の刃が飛び出す。
瞬間男は刀から手を離し退く。鮮血。啓太の体を無数の刃が通過し、尚刺さり続ける。
そのまま刃は増殖し、啓太を貫いたまま結晶と化し、膨らんだ刃の山は収束する。

「啓太様!」

啓太に向かって駆けるも、横からわき腹に蹴りが入り、そのまま吹っ飛び、民家の石壁にぶつかり、石壁もろともその場に崩れ落ちた。
男はリーアの髪を掴み、拾い上げる。そのままうな垂れるリーアを引きずり結晶化した啓太の前に放る。
そして腹部を思い切り蹴り上げた。

「ヴッ!?」

体中の空気が一気に体から抜ける。
リーアが動けなくなったのを確認し、男はにやりと笑う。

「…まさか本当に亜王に会えるとはね。こりゃ光栄だ」

男は満面の笑みを浮かべ、啓太を見上げ、問いかけるように呟く。

「しかも選定の巫女も一緒とは。まぁなんともあっけないものだね」

そして一息つくと、力なく横たわる誠のほうに歩みを進め、こちらも髪を掴み引きずってくる。

「一応関係者だし、殺すけど文句ないよね?」

笑いながら返答もない方へ問いかける。
啓太はもちろんのことリーアももはや答えられる状況ではない。
沈黙を肯定と受け取ったのか数回男は首をふり頷くそぶりをする。
そして腰に手をやり、短剣を取り出し、笑いながら一言。

「んじゃ殺すね」

なんのためらいもなく、短剣は誠目掛けて振り下ろされた。その一瞬だった。
空中に血しぶきが舞い上がる。その光景にその場に這い蹲るリーアもあっけにとられる。
結果からいうとそれは誠からでた出血ではなかった。短剣は誠にそもそも到達しなかったのだ。
宙を舞う鮮血。そしてその少し上に舞うは腕。鮮血は宙をぐるぐると廻る腕から流れるものであった。

「うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああ」

けたたましい悲鳴があたりにこだまする。
男が左腕を失いもがき苦しんでいる。
そしてその腕を吹き飛ばしたのは先程刃の山に貫かれた啓太から伸びた異形だった。
失った左腕が幾重にも触種のように伸び男の腕を誠に刃が到達する寸でで吹き飛ばしたのだ。
体中に刺さる刃に構わず結晶を異形の手で壊し、男の下にゆっくりと歩みをすすめる。
左肩を抱え男が啓太に背を向ける。しかし啓太もそれを逃さない。異形の手は一度収束し、啓太はまるでボールでも放るかのようなフォームをする。そして腕が放られる。腕は3本に分裂し、先端は鋭利な刃物のような形状に伸び、男目掛けて突き刺さる。足と太もも、わき腹三箇所を貫く。

「うが…ッ!?」

間抜けな声と共に男が倒れる。

「ま…まてッ!ぼ…僕がアクティウス帝国第三王子と知っての狼藉か?い、今なら許してやる」

啓太は答えない。ただただ男を見下ろしていた。先程の寡黙な男の面影はもはやなく、今はただただ啓太の姿を見て脅えて肩を震わせている。

「ひっ…違う。俺は頼まれただけだ…炎帝めの奴!この剣があれば大丈夫だといっていたではないか!」

男はぶつぶつ一人で呟いていた。

「お前欲しいものはあるか…?なんでもやる、やる!だ、だから…」

「あるよ」

ぼそりと啓太が呟いた。

「ならばそれをやる!なんでもやる。だから僕を」

「助けてって?」

狼狽する男に被せるように冷たい眼差しで見下ろし淡々と言葉を紡ぐ。

「そ…そうだ。僕はほんとに頼まれただけなんだよ。仕方なくこんな事をやったんだよ!」

「あなたは…仕方なくで…人を殺すの、ですか?」

その返しに男は何度も口を噤んだり、開いたりしたがやがて眉間にしわを寄せ、叫んだ。

「あぁそうだよ!君には悪い事をした。でも仕方なかったんだよ!あの女が抵抗するから仕方なかったんだよ!そうだよあの女がいけないんだ!僕のいう事を聞かないから!」

酷く混乱した様子で男は怒鳴り散らす。啓太は黙って男をみつめたままただただ男の話を聞いていた。
全て吐き出して楽になったのか心無しか男の顔は清々しい表情を浮かべていた。

「う、腕の事は不問にしてやる。だから僕をつれてゲートに…」

「まだ僕が欲しいものを貰ってないよ」

男に被せるように一言呟く。

「なんだ?金か?土地か?女か?おぬし幼子にしては欲張りだな…よい!あちらにいったら全部くれてやろう。地位も名誉も好きなだけくれてやろうぞ!」

男は高らかに笑いながらいった。

「いや今いったどれとも違うよ」

淡々と言葉を返す。

「ではなんだ?」

男はきょとんとした表情で答えた。
啓太は答えない。沈黙が走る。


「お前の命だ」

「啓太様駄目っ!!!」
リーアの凛々しい真っ直ぐな声があたりに響く。
しかしリーアの叫び虚しく啓太の目の前にいた男は次の答えを聞くことすらならぬまま、啓太の目の前で爆散した。
真っ赤な華が咲き乱れ、一瞬で霧状になり風に消える。

「血中の魔力を暴発させた…」

あれが亜王の力なのか。命を生かすも殺すも出来る。魔力の存在しないこの世界ですら、血中に存在するわずかな魔力を増幅させ、己が力の糧に変えてしまう。正直恐ろしかった。

「…リーア」

啓太が呟く。

「…どうしよう」

真っ赤に染まった顔はリーアのほうを向く。

「僕人殺しになっちゃった」

その顔は歪な笑顔を形どっていた。
泣きたくてもなけないそんな顔を浮かべていた。
思わず啓太に駆け寄り、抱きしめる。
おもいきり、これ以上にない程力いっぱい抱きしめた。
先程まで出ていた太陽はこの凄惨な現実から目を背けるかのように厚い雲の中に隠れてしまった。
雨がぽつぽつと降ってきた。次第に雨の勢いは増し、激しく振り注いだ。



まるで啓太の代わりに涙を流すかのようなそんな空模様であった。

選ばれたのはショタっ子でした。

選ばれたのはショタっ子でした。

7歳の少年斉藤啓太はどこにでもいる小学生。歳の離れた姉と母と三人暮らしで平和に暮らしていた。 しかしある日少年の運命はある女性と出会うことで変わってしまった。 「はじめまして啓太くん。あなたは私達の王様になりました!」 魔物たちを従え、啓太は王の道を齢7歳にて歩み始める。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • アクション
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-02-02

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  1. プロローグ
  2. 第一話
  3. 第二話
  4. 第三話
  5. 第四話
  6. 第五話
  7. 第六話
  8. 第七話
  9. 第八話