Fate/defective c.30

「―――――来い、セイバー!!」

青い雷霆が鳴り響いたのと殆ど同時に、アリアナの喉に触手が巻きついた。手を伸ばしたアーノルドの背から伸びる、その泥の触手が気道を絞め上げる。激しい魔力が弾け、嵐のように光が明滅する中で、アーノルドは必死の形相でアリアナの口を塞いでいた。
「やめろ。やめろ。やめろ。やめろ。やめろ! 何故抗う! 欲望は絶対悪だ、それがどんな大義を掲げていても! 平等な世界に欲望は必要ない。何も望まず、何も欲しず、ただ、ただ謙虚な心を全員が持つだけでいい! そんな簡単な理想が、どうしてわからないんだ!」
アーノルドの叫びに呼応するように、聖堂の闇の中からビーストが姿を現した。胸に開いた虚ろな空洞から、絶え間なく赤黒い泥を零し、ビーストは甲高い声で鳴く。
「Aaaaaaaaaaaa—————rrrrrrr————」
獣が叫んで身を震わせるたび、アリアナに呪いの泥が降りかかった。アリアナは首を絞める触手を両手で振り解こうともがいたが、引っかき傷一つつかない。魔力の嵐の中で、彼女の意識がゆっくりと遠のき始める。
———ああ。
アリアナは死を悟った。聖杯戦争の初日、セイバーを召喚する前にバーサーカーの襲撃を受け、あの工房でナイフを突きつけられた時と同じだ。少し離れた正面に、アーノルドの歪んだ表情が見える。その奥には、聖杯の穴から赤黒い泥を垂らし続ける鯨の獣がいる。もはやアリアナの命がどうこうという話ではない。このまま事態が進めば、あの魔術師の理想がこの世界を飲み込んでいく。
「………っ」

あの時、あたしは諦めかけたのだ。
バーサーカーを前に、勝てるわけない、と。両親を殺した聖杯戦争への報復も、始まる前から終わるのだと。そのために生きてきた年月も、そのために耐えてきた何もかもも、全ては無駄だったと。死を悟ったあの時、あたしは諦めかけた。
——それでも。
それでも、あたしは嫌だった!
諦めきれない。死ぬと分かっても、その最後の瞬間まで足掻かずにはいられない。何もせず、ただ黙って死ぬなんて無理だ。
バーサーカーは言った。あの人は、もっと美しかった。終わりを受け入れて、全てを愛して死んでいった、と。
——でも、あたしは違う。
 こんな終わりなんて絶対に受け入れない。全てを愛するやり方なんて知らない。だから、セイバーを許すとか、信じるとか、好きになるとか、想像もつかないのだ。やり方を知らないのだから。あたしは、あのバーサーカーのかつてのマスターのように無垢ではない。
けれど、あたしにも出来ることはある。正しい信じ方を知らなくても、正しい愛し方が分からなくても、たった一つだけ分かることはある。



アリアナは目を開いた。令呪の刻まれた右手を固く握り締め、アーノルドに向かって差し出す。彼が一瞬だけ驚き力を緩めた瞬間、肺一杯に魔力の満ちた空気を吸いこんで、一息に言った。

「———セイズ 」
「……何を」
アーノルドの声を跳ね除ける。胸の中に浮かんでくるその一つ一つを拾い上げながら、アリアナは言葉を紡いだ。
「セイズ。セイズコア」
ミシリ、と裂傷が開いた。
一言ごとに、アリアナの右手の令呪の一画一画が枝のように皮膚を裂き、延びていく。
「ヴァル。ヴォルヴァ」
赤い令呪が、まるで夜が明けていくように浅葱色に染まっていく。裂傷は右腕の肘部分まで到達し、複雑な幾何学模様を描いた。
この詠唱を、昔から知っていたわけではない。誰かに教えられたわけでもない。自分の望みの為に、自分の身の内に在った言葉を拾い上げて組んだ詠唱だ。けれど迷いは無かった。生の腕を裂く傷の凄絶な痛みも、暴風のように恐ろしく吹き荒れる魔力も、アリアナを躊躇させる理由にさえならなかった。
「フォルフォーダ、——アウレリウス!」
アリアナは身を引き絞る様に、最後の一節を叫ぶ。
人類悪を討つ為では無く。
魔術師を殺す為では無く。
大いなる思想の為では無く。自分の理想を守る為でも無く。ましてや、世界を救うなんて大義の為でも無く。
ただ、信じるべきひとを、信じる為だけに。
「英霊召喚・神代回帰—————!」
「やめろ………!」
アーノルドの叫びが、くぐもった空気を通して聞こえた。
体が熱い。右腕の幾何学模様は皮膚を引き裂かんばかりに燃え上がり、身体中の魔術回路は今にも焼き切れそうだ。それでも、それでもあたしは————



「呼び声に応じ、降霊した」

熱で曇った意識の中で、聞き覚えのある声がした。
……遅い。
そう文句を言ってやろうと思った。
それなのに、熱にうかされた目に広がる温かい液体のせいで、前がよく見えない。耳も、何枚かの分厚い壁を隔てているように遠い。ああ、でも、分かる。そこにいる。知っている。だから、もう、何も———

「まあ、少し待ってよ、アリアナ。ここでみすみす死ぬつもり? まさか。君はそんな諦めのいい人間じゃないだろう」
軽い皮肉めいた口調でそう言いながら、セイバーはよろめくアリアナの背を支えた。
「さあ、立って。いよいよ最終幕だよ。人間の平等の限界を、この目で見定めようじゃないか」
セイバーは凛とした亜麻色の眼光で、半泥塊と化したアーノルドを見る。激しい風に長い金髪をなびかせながら、セイバーは崩れつつある泥に問い掛けた。
「哀れな。そこまで人間を捨てて、君は一体どこへ向かうんだい」
「……神には分からない。僕は人間達をやり直したいだけだ」
「その結論が、あのおぞましい獣かい」
「そうだ。逆に問おう、神霊よ。おまえは人間にうんざりしたことはないのか。 人間は、果てのない欲望を満たす為だけの哀れな機構だ。その為だけに一生を使い果たす、哀れな欲望の奴隷に成り下がったと」
「思わない」
セイバーは毅然と答えた。アリアナの肩を支える手に力が入る。
「神が人間に与する時代はとうに過ぎた。人間は遥か昔に神秘と袂を分かち、己が欲望に従事する道を選んだ。君がどんな悲劇に巡り合い、どんな悲劇を生みながらこの果てに辿り着いたのかは知らないが……」
細身の剣がすらりと音を立てて引き抜かれる。セイバーが握った剣の切っ先は、真っ直ぐにアーノルドの心臓部を指した。
「十年前の因果はここで結する。あの時、君はまだ人間として存在し、私は二つの生命を無為に潰した」
「……覚えている。覚えているとも……! おまえは全てを殺してしまう。そこにあるだけで、その他の生命は全てお前に捧げられるからな。その娘もじきに死ぬ、ああ、だから二度と来るなと言ったのに!」
悲痛な叫びをあげるアーノルドの心臓部に、ズッ、と音を立てて白銀の刃が突き刺さった。彼の目が見開かれる。
 剣の柄を握ったまま、セイバーは無表情で言う。
「そうだ。僕に人間を語る資格はない。私は神霊で、人間じゃない。そこに在るだけで全てを殺してしまう。それでも……」
「……それ、でも?」
「僕は、マスターの為ならきっと、何だってするよ」
 アーノルドは唇を歪めて引き攣った笑みを浮かべた。滑稽で仕方ない、という風に。
「は。は、は。神霊が――――ひとりのにんげんに、肩入れ、する、とは。可笑しい。狂っている。狂っていて―――ああ、――ふざけて、い」
 バシャン、と泥が床に叩きつけられる音でその言葉は途切れた。白銀の刃から数滴の泥が落ちる。セイバーは溜息をついて、剣を鞘に納めた。少し安堵して、肩を支えていたアリアナの顔を見た時、彼女は熱に浮かされたように口を開いた。
「まだ、よ」
「―――――え?」
 うわごとのような言葉に答えた時、空気が震えた。
「aaaaaaaaaaaaa―――――――――rrrrrooooooo――――――――――」
 金属同士を擦りあわせたような、キシキシという不快な叫びが充満する。視線を声の方向へ向けると、聖杯の穴を胸に抱えた鯨の獣が、赤黒い胴体を膨張させ、聖堂の天井に到達するほどに成長していた。ズ、ズと聖堂の柱や天井が揺れ、巨大化していく獣に内側から押し広げられ、大理石からは粉が落ちてくる。
「……なるほど。単独顕現の呪いか」
 アリアナを支え、空いた手でセイバーは再び剣を抜く。切っ先が狙い澄ます先には、急速に成長する鯨の頭部がこうべを垂れていた。
「A aaaアアア――――ア、ロ―――――――――」
 鯨は一層大きな声を上げる。胸に抱えられた聖杯の穴を縁取る水晶がひび割れ、泥の躰からは赤い花のような肉片が次々に咲く。セイバーがアリアナを抱えて一歩後ずさった時、垂れていた頭に真っ直ぐな亀裂が入った。
 外殻が割れ、花弁の様に肉が開いたその中から、ずるり、と赤子が生まれるように、目を閉じた少年の上半身が姿を現した。
「……!」
 血を帯びた白い短髪、不健康なほど細い腕、薄い胸にこけた頬。棒のような体に不釣り合いな銀色の鎧を纏っているが、それもところどころ黒く変色している。禍々しく歪んだ呪印が覆う皮膚、額には細く長い赤黒の角が一対、ゆっくりと開かれた目は赤銅色に曇り、何も見てはいなかった。
「あ、―――――」
 あれは誰だ。
 アリアナもセイバーも、彼を知らなかった。アリアナは熱にうかされた目でその獣から出てきた少年を見る。あれこそが、バーサーカーが蘇生を願い続けたマスターであるとは知る由も無く。だが、二人は心のどこか、深層意識の中で確信していたのだ――――あれこそが、全ての元凶だと。
「セイバー……」
「……分かっているよ、アリアナ」
 セイバーは目をやさしく細めて微笑んだ。人類悪に対峙してもなお揺らがない彼の表情に、アリアナは少し安心する。
「僕は彼を知らない。でもきっと……彼は、もう彼ではないんだろう。何故なら、彼の顔はあまりにも無垢すぎる―――だから躊躇はしない。どういう末路であれ、どういう過程であれ、彼は人類悪に成った。ならば」
 アリアナの肩を支える手に僅かに力を込めて、セイバーは言う。 
「ここで全ての罪を清算する時だ。マスター―――勅命を」
 アリアナは浅葱色の刻印が刻まれた右腕に触れた。
 覚悟は、もうとっくに決まっている。
「セイバー。令呪に命じる」

「――――私という贄を以て、あの人類悪を討ち果たしなさい」



 そうして、セイバー、すなわちフレイの神性は解放された。
 刻印、回路、生命の全てが、浸食されていくのがわかる。フレイに備わった人身御供の機構が、燃え広がる火のように私の中の何もかもを焼き尽くしていく。
 ―――否。私が、捧げているのだ。彼に。
 正しい許し方も、正しい愛し方も、正しい信じ方も分からなかった。けれど、私にも一つだけ分かることはある。
 エマが果たしたもの。佑と那次が示したもの。七種が教えてくれたもの。
 そして、セイバーが導いたもの。
 ―――自分の全てを捧げること、それだけだ。
 もしかしたら、他の人はもっと上手く他人を信じられるのかもしれない。もし私以外の魔術師がフレイのマスターだったら、こんな回り道なんてしなかったかもしれない。
 だけど、私に出来るのはこれだけ。信じてるよなんて言葉も、フレイを助けて行動で示すことも出来ない、無力な人間である私は、自分の全てを捧げて彼に力を与えるという答えにしか、たどり着けなかったのだ。



「……アリアナ」
 フレイは目を伏せた。銀の靴が踏む大理石の床から、幾本もの草花が伸びてくる。自分が神霊の座にかなぐり捨ててきた神性が、徐々に戻りつつある。
 ばかだなあ、と思った。
 きみが無力なわけないだろう。普通の人間なら、命を顧みずに誰かの味方をするなんてことは出来ないんだから。
 足元から広がる豊穣の大地が、一瞬のうちに大聖堂の瓦礫や亀裂を埋め尽くしていく。昏睡したアリアナや、倒れていた他のマスター、人間たちを柔らかな光の葦が包み、泥から守る天然の鎧で覆っていく。静かに、激しくその生の魔力は満ちていく。
「aaaaaa――――――――――!」
 ビーストから身を突き出した少年は、その神霊の力に抗うように叫んだ。その声の主に応えるように、肉の花が一斉に数千の棘を展開する。フレイが天を仰いだ次の瞬間、流星雨のように棘が降り注ぎ、数多の槍の如き棘が豊饒の大地を穿った。草花は散り、土が抉れ、赤黒の泥と金色の枝葉が入り混じって跳ね上がる。フレイは片足を一歩踏み出し、次の瞬間には獣の少年めがけて大きく飛んだ。
 ――――そこだ。
 棘が飛び交う一瞬の隙を突き、狙いを定めてレーヴァテインを投擲する。シュ、と空気を斬る音と共に剣は真っ直ぐ少年の胸元へ飛んだ。
「アアアァァァァ!」
 だが咆哮と共に剣は弾かれる。フレイはビーストが開いた肉片に着地すると、少年の背後を狙う形で再び跳躍した。
 造作もない。マスターの全てを使って取り戻した神格は、それでも本来の力の八割ほどだったが、それでも十分だとフレイは思った。
「第二宝具、展開――――『遥か悠遠の燐光郷(アルフレイム)』」
 フレイが降り立った泥の花弁を中心に、無数の光の木々が芽を出し、枝を伸ばし、頭脳体の少年に向かって伸びる。それはさながら、聖堂全体から金色の森が現れ獣を呑みこんだようだった。
「ア、アアア……!」
 枝に絡め取られた少年は赤銅色に曇った目をフレイに向ける。少年の真正面、中空の枝に立ったフレイは感情のない目で彼を見下ろした。
「私は君を憐れまない。君は十分憐れまれた。
 ――――君の無垢に罪はない。純真に罪はない。いや、この十年、罪を犯した者など、一人もいなかったのだろう。あの魔術師でさえ。
 だが、その器は罪悪だ。
 だから破壊しよう。一片たりとも残すことは無い。全ての因果は此処で終末を迎える」
 フレイは目を閉じた。幾度となく握った剣の柄を、また力を込めて握る。

 僕の勝利を信じるかい、と尋ねた。
 とぎれとぎれに繋がれた意識の中で、ばかじゃないの、と答えが返ってくる。
 ――――――この身を捧げるのが答えよ、と。

「ならば、この剣は応えよう」
 白銀の刃が、黄金色の熱を帯びはじめる。フレイはその剣先を真っ直ぐに天へ掲げた。
「信心の楔は穿たれた。この剣が敗北することは無い。アルフレイムの祝福と、真名に懸けて。
 私は砕く。
 『勝利は(ヴィゾーヴニル)』―――――」

「『絆剣の名の下に(レーヴァテイン)』!!」

 剣を振り下ろす。
 膨大な熱と風、そして光が重なり、紡がれ、一つの光柱が現れる。それはアルフレイムの光の木々を呑み込みながら巨大な光柱へ融合していき、莫大な熱と光を集めた柱は徐々に細い糸のように圧縮されていく。
 エネルギーが極限まで圧縮された糸が限界まで張りつめ――――
 一気に解放された。
「…………!!」
 少年の目が見開かれた瞬間、その頭蓋を、銀の鎧を、更にはビーストの赤黒い泥の肉も花弁も棘も聖杯の穴も、何もかもが光と熱に包まれ、爆風と共にはじけ飛ぶ。空間そのものを切り裂きながら進む破壊の余波は聖堂の天井を崩し、大理石の柱を折り、床に溜まった泥を一瞬で蒸発させる。崩れ落ちてくる天井の瓦礫も跡形も無く呑み込んだ光は、そのまま夜明けを迎えた空へと消えていった。




 ああ――――
 終わったんだ。
 私は瓦礫の中に埋もれたまま、その隙間から夜明けの空を見る。一晩しか経っていないはずなのに、随分長い時間が経った気がする。
 ザリ、ザリと、金属の靴底が瓦礫の中を歩いてくる音が聞こえた。セイバーだろう。律儀に看取ってくれるらしい。私は少しおかしくて、笑った。
「アリアナ」
 何よ、と答える力はもう残っていない。代わりに薄く目を開けると、心配そうにこっちを覗き込む亜麻色の瞳と目があった。彼は瓦礫を取り除いて私の身体を起こす。フレイは私の上半身を左腕で支えながら、いつも通りの微笑みを浮かべた。
「……ありがとう、マスター……」
 礼を言われる筋合いなんてない。私はやりたいようにやっただけなんだから。
 彼はそこで少し何かを言いよどんだ。微笑みは申し訳なさそうな表情に変わる。伏せられた目は濃い愁いを帯びていた。
「……ありがとう。最後に信じてくれて。僕は、十年前にあんな――――」
 私はそこで首を振る。
「信じるって、決めたの。どんな理由が、あっても、今、この七日間、私を助けてくれたのはあなただから。……だから、いい」
 その言葉を聞いたフレイはわずかに目を開いて、それから、ふっといつものように目元を緩めた。
「……君は本当に強くなった」
 言い終えて、フレイは目を閉じる。
「神霊として顕現し、その恩恵を地上にもたらしたら、生贄を受け取らなければならない。それが私に課せられた義務だ。
 だけど本当は、僕は君から何も奪いたくはないことを分かってほしい」
 私は頷く。
「分かってる。そのつもりで捧げたんだから、きっちり受け取りなさいよ」
 フレイは唇を固く閉じて、レーヴァテインの柄を握った。あんな熱を放ったとは思えないくらい冷たい刃が、天井から差し込む朝焼けの光を受けて煌めく。
「……君はさ」
 剣を私に向ける前に、フレイは言った。
「アリアナは人間を好きになることが分からないって言ってたけど、本当は、最初から君は人間が心から大好きなんだ。
 だって、どうでもいい相手に裏切られたって、何とも思わないはずなんだから。
 そんな君だから、僕はサーヴァントとして君に仕えることができたんだよ」

「ありがとう。善きマスター、アリアナ・アッカーソン」


「君の生涯の復讐の歩みは、ここで永遠に閉ざされた」



 ああ、最後の一瞬だけ。
それで十分だ。私は最後の最後に、「裏切らない人」なんて架空の存在を信じるのをやめられた。フレイという神格が人格を得てまで私に捧げた贖罪、ただそれだけで十分だ。
裏切らない人間はいない。
欲望に打ち勝つ人間はいない。
願い、諦め、また願う人間がいるだけだ。その傷つけ合いだけが織り重なり、人間は紡がれていく。アーノルドの言う通り、人間は願いの奴隷になったのかもしれない。希望を持つことは苦しく、誰かを信じる事は恐ろしい。その希望が、信頼が、叶わなかった時の傷の深さを知っているから。
だから、聖杯はある。その願いを、欲望を溜めて出来上がる「願望器」。傷つくことを恐れ、望みが叶わないという絶望から少しでも逃れる為に、万能という一手で傷を塞いで目をそらすのだ。
なんて馬鹿らしい。
 大きすぎる理想を抱いた人間は、夢を見るあまり現実の痛みに耐えられずに溺死していく。あの魔術師のように。
 希望を持つことは苦しく、誰かを信じることは恐ろしい。
 その苦しみと、恐ろしさが生の本質だ。それが現実の痛みだ。だけど―――最後の最後になって、私はようやくその痛みすら、愛せるようになった。
 願いと希望の先にあるのは、苦痛だけじゃない。だから、万能の聖杯は、人間には永遠に必要ない。
 
 ゆっくりと、意識の底に潜っていく。水底に辿り着くまで、もう、あと少しだった。






「そう。君の、聖杯への復讐劇は、これで永遠に終わり。
 ―――これからは、誰かと共にその痛みを愛する未来だ」
 

Fate/defective c.30

Continue to epilogue.

Fate/defective c.30

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-01-18

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

Derivative work