*星空文庫

名残雪

倭文 作

気持ちよく書いた小説です。お手透きの時に読んでいただければ幸いです。

ちょっと、脇の甘い、掌編です。

 賽銭を投げ込み、蛍子達三人はそれぞれの間をもって参拝を済ませた。
「ねぇ、それで涼子は何、お願いしたの?」
「そりゃあ、決まってるじゃないの。今年こそ、素敵な男の子とめぐり逢えますようにって……今年はいよいよ中学終わりの年、なんだからさ」
 三人が神社に背を向けて、歩を進めながら華やかな話を彩らせていると、突如涼子が二人の袖を引っ張り、話を打ち切った。「ねぇ、あの人、今年もいるわね」
 そう言った涼子の視線の先には、20代半ばか後半と窺える青年が、神社を取り囲む林の前に立っていた。青年は見えない杭で打ちつけられたように直立不動のまま目を閉じ、身動き一つしない。
「何なんだろうねあの人、いつも冬になると現れるのよね。通称・冬の神守さん」。「え、何その名前?」。「お母さん達の間でそう呼ばれてるの、聞いたことがあるのよ。まあ背も高いし結構いい感じかもしれないけど……暗すぎるわよね、何だか。私、そういうのパス」
 蛍子はじっとその青年を見続けていた、すると青年がうっすらと目を開け、蛍子達の方に視線を向ける仕草をした。蛍子は慌てて目を反らした。
「じゃあ、今日は前から言ってたとおり、恵の家でパーティーね。レッツ・ゴー」
 三人は神社へと繋がる石段を威勢良く下っていった。

「無いよ……無い!」
 蛍子は就寝前になってその事実に気付いた。財布を無くしていたのだった。すかさずパーティーで騒いだ恵の家に電話をかけたが、そういったものは見当たらないとのことだった。また近くの交番にも電話をかけたが、やはり結果は同じだった。もう一度丹念に自分の部屋を探した後、蛍子は夜中にもかかわらず迷わず家を飛び出した。
 蛍子はまず、神社へと向かった。神社で賽銭を投げた時には、確かに財布は持っていたはずだ。その場所から恵の家への道、そして帰り道を丹念に探そうと思った。
 神社に着くと、蛍光灯が一本だけ、節電対策のためか青白い光を空間に落としていた。ぼんやりと滲んだ大きな光の玉のような世界が蛍子の前にあった。蛍子はそこに駆け込むようにして飛び込み、地面をなぞるように視界を落としてゆっくりと歩いた。胸の鼓動がここまで駆けてきたせいも手伝って、激しく痛いほどであった。しかしその感覚はさほど今の蛍子にとっては気にならなかった。彼女はいつしか歯を食いしばりながら、地面を睨みつけていた。
「おい……おい、ったら!」
 声に気付いたのは、神社をあらかた探し回った後だった。蛍子の近くには、暗い光の輪郭を帯びた男の姿があった。それが昼間見かけた青年であることに気付くのに結構な時間を要した。
「ひょっとして、君、これを探しているのか?」
 差し出されたのは、まさしく蛍子が探していたものであった。蛍子は一瞬の虚無感の後、それをすがりつくようにして奪い取り、自らの胸に抱きしめた。次第に鼓動が収まり、冬の冷気が肌に感じられるようになってきた。
「ルイ・ヴィトンか。でも随分古い、クタクタになった財布だな」
 息を整えた蛍子は、改めて財布を見つめ、頬ずりをした。
「中身、確かめなくていいのか? お年玉が、無くなっているかもしれないぞ」。「――いいんです、そんなの」
 蛍子はゆっくりと立ち上がって、膝をついた土をはらった。そして財布をじっと見つめると――「恩返し、させてください!」と、男に直線的な視線を送りながら言った。「恩返し?」。「はい、お母さんの口癖だったんです。ぜひ、よろしくお願いします」
 青白い蛍光体のように蛍子の瞳に映る青年は、すかさずこう、声を漏らした。「雪を、降らせてくれれば……」。「えっ?」
「いや、なんでもない、気にしないでくれ。もうかなり遅い。早く家に帰りなさい」
 そう言って、青年は蛍子に背を向けて歩き始めた。しかし蛍子は「明日、また来ます!」と背に声を投げかけた。
 翌日、蛍子は予告通り神社へと足を運んだ。そこには思った通り、青年が砂利の上に立っていた。
「どういうつもりだ?」。「母の言いつけなんです。受けた恩はきちんと返しなさいって。はい、コレ」。そう言って、蛍子はコンビニエンスストアで買ってきた食料の入ったビニール袋を差し出した。
「俺は別に、文無しという訳ではない。君から施しを受けるほど、落ちぶれてもいない」「そうですか、じゃあ私が食べます――」
 そうして、蛍子は冬休みの間はもちろん、学校が始まっても青年の元に通い続けた。
「頑固だな、君も……」。「はい、恩返しが済むまでは止めません」
 いつもの通り、蛍子は青年の分と自分の分の食料を地面に並べた。
「これを食えば、君はもうここには来なくなるのか?」。「いいえ、冬の神守さんが満足されるまで、止めません」。「冬の神守……ああ、町内会か。あそこからは了解を得ている。ここに居座る代わりに神社の清掃をさせてもらっている。だから怪しいものではないよ……とはいえ、君もこんなややこしい男に構うのは止めて、まっとうな生活をしなさい」。「じゃあ、どうしたら冬の神守さんは満足していただけますか? 雪ですか?」
 一時の静寂が二人包んだ。それは漂う大気が温度を失ったかのような、二つの精神体が向かい合った結果、生じたものであった。
「私、連れ子なんです……」。蛍子が先に口を開いた。「お父さんは新しいお母さんと結婚して、弟も二人出来て……でも私、お母さんのこと忘れられなくて……この財布、お母さんの温もりがただ一つ残ってるものなんです……それで私、時々ふと思うんです。私って、本当にこの世に生まれてきて良かったのかなって……」。「……お母さんは?」。「今の居所は分かりません。でも北の方の出身の人だったみたいです……」。「そうか……」
 青年は大きく息をついて、蛍子の方に目をやった。「君は、あの人に少し似ている……」、その瞳はどこか優しげであり、且つ寂しげにも見えた。
「――あの人も、君の母親と同じ、北国の出身の人間だった。快活で、そして何事にも筋を通す一本気な人だった……。そして俺は、この雪の滅多に降らない土地で、珍しく雪が降ったあの日、この場所で彼女に求婚をした。するとあの人は、もう一度この土地で雪が降ったら、その時ここで添い遂げましょう、と言った。そうしたら、自分の土地も祝福してくれているように思えるからって……それ以来、ここで俺は冬になると、雪が降るのを待ち続けているんだ……」
「それで……今、その人は、どうされているんですか?」
 青年はしばし目を瞑った後に、口を開いた。「帰ったよ。自分の生まれた場所に」
 自分の足元にじっと目を向け、それから青年は顔を上げた。
「だけど俺は待ち続けている。あの人は頑固だからな。雪が降れば、必ずあの人はこの場所に現れるはずだ。せっかく雪が降ってあの人がやってきても、俺がこの場所に居なけりゃ、話にならないからな――」
「冬の神守さんも、十分過ぎるほど頑固だと思います」
「いや、俺は頑固なんじゃない。ただ、不器用なだけだよ……覚えておきなさい。俺みたいなバカは、結構多いよ」
 そう言って青年は、薄くだが、しかし確かに蛍子に向かって微笑みかけた。それはまるで粉雪のようで……「神守さん、雪です!」、瞬く間にその表情は舞い踊る雪の中で残像となった。
 青年が顔を向けた先には、一人の女性が立っていた。女性は淡い、しかし親しみやすそうな微笑みを表情に浮かべていた。二人は花吹雪のような粉雪の舞う中、しばし向かい合った後、自然と互いに導かれるように歩み寄っていった。そして青年は、ポケットからケースを取り出し、その中にあった指輪を女性の左の薬指に填めた。女性は雪の煌めきに指輪の填め込まれた手をかざし、涙を流した。そして二人は、無言のまま抱き合った。二人の周囲に降り注ぐ雪が星の瞬きのようで、そこから流れる光の音楽が彼らを優しく祝福していた。やがて二人は見つめ合い、声にならぬ言葉を交わして肯き、離れ、女性は青年の横を通り過ぎていった。そして蛍子の前にやってくると、女性は肯き、ある白い固まりを彼女に差し出した。蛍子は手袋を外してそれを手のひらに受け取った。女性は蛍子に向かってにっこりと微笑んだ後、神社の方へと向かって再び歩みを進めた。すると一陣の吹雪が起き、それはその場の空間全体をかっさらっていくようであり、蛍子は思わず目を固く閉じた。そして目を開くと、雪は止んでおり、女性の姿はなく、目の前には手のひらに残る白い固まりがあるだけだった。しばらくの後、青年の長い吐息が聞こえた。それは明らかに安堵の感情が混ざってのものであった。そして、「よし、生きるか――」、と小さいながらもはっきりとした声が蛍子の元に届いてきた。青年はゆっくりとした歩調で、神社から姿を消していった。しかし蛍子は手のひらの白い固まりを見つめたまま微動だにしなかった。それは雪の固まりであった。不思議とそれは温かく、蛍子はそれがゆっくりと溶けていく様をじっと見つめていた。そこにある慈愛が心全体に染み渡っていくかのような、胎内の記憶を呼び起こさせてくれるかのような愛情を、蛍子は確かに感じ取っていたのだった。

『名残雪』

少しでも、純文学的聖性を感じ取っていただければ、嬉しいです♪ 読んでいただき、ありがとうございました。

『名残雪』 倭文 作

蛍子はふとしたことから、一日中神社を管理する「神守さん」なる不思議な人と、一緒の時を過ごすことになる。神守さんの目的は何なのか。ポツリポツリと、その神社を守る理由が語られていく……。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2018-01-12
Copyrighted

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