時爆蘭宮家の滅亡(はぜらんのみやけのめつぼう)


 白木の床の間には桃色のびいどろ玉を、針金で刺し、根元近くに緑に塗った金物の板を貼って作ったような造花が、透き通る白いぎやまんの壜に飾られている。
 みごとな細工ですなあ、ととし子が褒めると、この茶室のある城のあるじの宮は、細工ではない、と細い首を振った。
 寄ると確かに有機的な皺や捩れが茎や葉に見られ、活けられた成果と見とめると、ますます感心するばかり。めずらかなものをこのように目にすることができたのも、宮の徳によるもので、有難いことでありますなあ、ととし子は慇懃にまたも褒めた。この二畳に満たない茶室では褒める言葉が多く交わされるべきなのだ。
 身をかがめて花を観賞するとし子の衣に魚が躍る。 写実的な描写の一方で銀のうろこが夢のような光を持つ。舶来の絹のそめもの、日の本に上陸するのは初めての逸品だ。とし子が躙り口から這入った時から、宮はすでに心とらわれていたようだが、知らないふりをしているのが、白く肉の薄い頬に顕れている。とてもかわいらしいととし子は思う。
 といってもとし子は宮と一回りも違う年下である。とし子は年若いころから師匠を務めていたために、宮をほんの若い姫である弟子として接してきたためであろうか。庇護したいという気になるのは。否ただそれだけではないだろう。八重の花のかさねのような衣装に埋もれるようなほっそりと小柄な姿に、時の流れなどつゆ知らぬような白磁の膚。丈なす髪の光は天の川だととし子は口にのぼせて褒めたことがある。今日も久方ぶりに云おうか?それとも…。
 花の壜の傍らにある、おろしあ経由で運ばれた、右大臣下賜のおらんだの時計が、針をかちかちと鳴らすのばかり、静かな部屋に響き渡る。もうすぐ、かの国での未の刻。
 
 このお花はどちらで?
 知らぬ。子が摘んできた。
 おお若君が。この間まで乳飲み子であったあのお方が、もうそんなお年になり、宮様のお血筋を受けてか数ある野の花からこのような見事なお花をお選びになったのですね。お健やかでいらっしゃいますか?
 さあ。わらわは昨日いくさ場から帰ってきたばかり。
 わたくしのようなものと先に茶など、よろしいのですか。

 宮は笑んだ。その透くような頬に、淡い紫の打ち掛けに色が映るようだ。
 曜変天目を持つ細い指に切り傷がある。見張られた青いまでの瞳に星が宿る。感傷の涙だ。
 とし子は胸を衝かれた。思えばありえないような運命の仇に憑りつかれた宮だった。生まれは禁中。しかしながら権勢を誇る摂政家の策謀により、命こそは奪われなかったものの母上は心労で産後間もなく死。憐れに思った公家某により庶子として迎えられた。そこでとし子は初めて会ったのだ。その後不運なことに盗賊にさらわれ、物心ついたときに美貌を買われてさる武家の家の乳母に仕えることになる。やがて武家は功を挙げ国を一つ支配することとなった頃、宮はさらにその利発さから取りたてられ正室付きの侍女となった。そのころ、とし子はまたもその城で宮と再会した。秘密は洩らさなかった。宮を寵愛する嗣子の反抗により武家の家長は実子により倒され、嗣子は年上の宮を側室にするのかと思われたが、養子に迎え、さらに女人の宮を嗣子に据えた。前代未聞のありさまに都周辺は震えた。だが大きな咎目もされず、日の昇る勢いで日の本を統べようとしていた右大臣すら口出しもできずにいたのはひとえに出自の秘密のためであろう。堺の舶来ものを納入するためにとし子が出入り、茶を共にする際は、人払いし昔話に耽ったものだった。とし子の見せる豊富な舶来品、唐渡の資財で、宮は壮麗堅固な城を作り、そのあるじとなった。
 とし子は宮を好きだった。同性ながらその匂い立つような気品、運命の激流をはっきり見ているようで大した動揺もせず、受け身に主君殺害者かつ義理の父上の愛を受けながら、年ごとに美しさと賢さを開花させていくさまを観ているのは、一鉢の名花の育つさまに似て内外の美術品を扱ってきた商家の主であるとし子を酔わせた。それは、宮の養父となった武家が、流浪の身であった将軍家を倒し、寺を焼き聖武帝以来の宝であった巨大な仏像を焼いた後、右大臣に反旗を翻した揚げ句敗死したあとも続いた。右大臣は宮を征服した国の女人として客分に迎え、居並ぶ正室、側室の目もはばからず城に呼び寄せたのだ。とし子は右大臣も得意先としていたため、その城でまたも秘密の昔話を繰り返した。
 まるで楽を諳んじるように、とし子も宮も現在の話は、決してしなかった。
 だから、その時分に宮の腹がせせり出、やがて産み落とした子が、誰の胤であったのか、とし子は言えない。
 宮が右大臣に刃向かい、とし子に誂えさせた玉虫色の鎧を帯び白銀の兜をかぶり、奪われていた壮麗な城を奪い返し、、軍勢を挙げたのがその5年後。つい先月。

 右府さまは宮が投降なさればふたたび若君ともに客分扱いで城に迎えようとのことです。
 そうか。
 正室にするつもりもおありとのこと。
 そうか。
 惚れられましたことですなあ。
 右府どのが惚れているのはわらわではない。

 宮は量の減った茶の底から夜の天を光らせる茶碗を弄んだ。
 かちかちと貝のような爪の先が鳴る。その律動は、舶来時計の針の音とぴったり重なる。

 星の光が音を立てたらこんな音でしょうなあ宮様。
 星は音を立てぬ、音を立てるのは生き物じゃ。
 そうでしょうかなあ。宮様、そのお指は刀傷でしょう。塗り薬をお持ちしました、お手当いたしましょう。
 頼もうか。
 小鳥のように喉を鳴らした。笑っていた。
 もうすぐ私ははかなくなるというに。
 傷は思ったより深く、薬を塗るとき触れたところ、熱を帯びていた。
 いっしょに右府のお城に参りましょう。駕籠を用意しております。
 死ぬときに指の痛みで動揺していたらみっともないことだしな。
 宮様、そしてこのお城に引き続いて住まえるようにいたしましょう。またいとけなかった時のことをお話ししましょう。おろしあの赤いお茶と、あなた様のお好きな甘み控えめのぱりぱりするあるみ箔に包んだがりあのしょこらを、たくさんばてれんから買い付けますので、いっしょに頂きましょう。
 もうすぐ刻限だな。未の刻。
 宮様。
 いとけなくなくなった頃の話を今しようか、とし子。
 みや...
 とし子はなぜ婿を迎えぬ。
 親戚から養子を貰ったのです。
 なぜそのような尼の姿をしている。
 5年前に出家しましたもの。
 仏がそんなに好きか。
 はい。好きでございますとも。
 とし子は、宮の眼が刃物のようにしばし光ったのを観た。宮は云った。
 右府につたえよ。城も茶碗も茶道具、宝物も与えぬと。
 針の音が重い沈黙をただただ刻んだ。
 十重二十重の襖、壁をへだてて火の香りがする。槍の夥しい先が、うねるいばらの茎の棘のように増殖し、城を囲んでいる…。鉄砲の深く暗い銃口が、狼の群れの眼のようにこの城をにらんでいる。
 とし子ははっとした。火薬の匂いは思ったより近い。
 床の間のぎやまんの底と、時計の間に針金が1本通っている。その上を、若い星のように青い火花がじりじりとぎやまんに向けて進んでいる。進んだ後には黒い煤が粉になって散っている。
 びいどろ玉のようだった蕾が、いくつかほころび、白い蕊をのぞかせている。
 宮は仕掛けていたのだ。
 躙り口がからりと開く。
 その花はな、爆ぜ蘭という。未の刻に玉を弾けさせて裂ける。みち、とし子を連れて行け。
 そこに浮かんだ小さな顔に、とし子は声を出すことができなかった。
 栗色の髪、緑色の目、高い鼻、桃色の頬。沓は水晶で小さな首に掛かっているのが金剛石の首飾り。あるみの衣。
 5年前、茶室の濃い影の中で薔薇の柄の裾から這い出たあのみどり児。
 ぜんまいが鳴る音とともに腕を伸ばし、とし子の衣の裾をつかんだ。抵抗する気はなかった。
 薔薇の天井、百合の襖、菫の廊下に獅子の天守閣。大理石にぎやまんにびいどろ、漆、白檀、黒檀紫檀。宮がなによりも心を傾けた城。火の気配が外からもそれらを舐め始めた中、とし子は若君を抱いて脱出、待たせていた右大臣の差し向けた駕籠に飛び乗った。同時だった、城が爆発したのが、あの国の未の刻。
 あとかたもない。逆臣の一族は妖女ひで姫の爆死とともに滅んだと都はまた震え、その日は青い星が空を横切り、夜も昼のごとく明るく、とし子が最後に見た宮の銀髪のような雲が絶え間なく流れた。



 
 

時爆蘭宮家の滅亡(はぜらんのみやけのめつぼう)

時爆蘭宮家の滅亡(はぜらんのみやけのめつぼう)

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2018-01-01

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