海辺

砂に埋まった爪先からは、微細な感触しか読み取れなかった。
ましてや、それでこの砂全体を理解できるなどと、どうして思えるだろうか。
鈍く曇った空からは、線になった光が漏れている。分厚い雲には、切れ目を入れられそうにはない。直下の波間へ届く前に、力尽きてしまうのだった。
息を吸い込むと、じっとりと重く肥った空気が粘って肺へ流れ込む。喉の奥から、ぎざぎざとした潮の匂いがする。波は、静かな反復の中で柔らかく砕けていた。
「何回打ち付けたのかしら」
目の前の光景にばかり注意を向けていた所為で、発せられた雪の言葉に答えることができなかった。それに、終わりなく繰り返す波の動きなど、最初から数えられるものではないだろう。
「なぜそんなこと?」
雪もまた答えない。束の間、こちらへ向けられていた視線は灰色の水辺に戻ってしまっている。しかしその瞳も、何を捉えているのかは定かではない。
「不思議よね、この海は私たちが存在するずっと前からここにあって、今と何ら変わらずに打ち付けている。私たちの時間がどれだけ進もうと、最初からこのままなのよ」
雪が、そんな風に自分の思考を切れ目なく他人に言い伝えるのは聞いたことがなかった。
慌てて聞き取った言葉を組み立てるのに、少しの間が必要だった。
「深海には、何億年も前から生きていた魚が棲んでいるらしいじゃない。生まれてきたままの、進化とは無縁の、生まれてきたままの姿で。海にはきっと、たくさんの時間が混ざり込んでいるのね」
「そうかもしれないね、私たちの時間と、その魚たちの時間と、そのほかのものたちも、みんな」
雪は何かに満足したように笑む。
「生きているものたちだけではなくて、海の中に死んだものたち、その死骸もまた、砂みたいになって水の中を彷徨っているのよ。もしかしたら、流れ着いてどこかの底に降り積もっているのかも。それこそ、雪が降り積もるみたいに」
その声に、微かな温度が込められているのが分かった。少しだけ高い、少しだけ温かい、雪の声。
乾いた砂が舞い上がって頬に当たる。目に飛び込みそうになったいくつかの砂粒を、とっさに閉じた瞼が防いだ。じわりと溢れ出す涙を拭い、目を開くと雪は波間へと足を踏み出していた。
細い足首が砂を縫って、砕け散る水の中へと伸びる。やがて足首は消え、ふくらはぎも、膝頭も、太腿も消えていく。その下はどうなっているのか、ここからは見えない。きちんと水の中に突き立って身体を支えているのかもしれない。しかし、消えた先から水に飲み込まれ、細かく溶けて流れ出しているように思える。
やがて足が、腰が、胸が、肩が、—–頭が、沈んだ。
だからと言って何の変化もなかった。波は先ほどと何一つ変わらず打ち付けている。空からの光が増えることもない。
静かな音だけが、繰り返し、繰り返し聞こえる。

雪は、どこに降り積もるのだろう。


(2017/09/12)

海辺

海辺

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-12-15

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