美人
昔から子供は、怪奇な噂が大好物である。
ある所、ある時。小学校では飼い犬や猫の連続失踪事件について盛り上がっていた。学校の裏山に何かが潜んでいて、そいつが動物を喰い荒らしているなぞと、一人が言い出す。すると、そいつとは何か、狼か怪物か恐竜か宇宙人かと、そんな具合に日々無駄な論争を繰り返し、事件の犯人を退治してやるのに大忙しであった。
それが落ち着きを見せた頃には、『呪いの電話』とやらが流行りだす。公衆電話から縁起の悪い数字を適当に並べて電話を掛けたところ、たまたまある老婦人に通じてしまった。そのために、『霊界に繋がる番号』として、老婦人宅に悪戯電話が殺到したのである。
そして中でも、『美人』は子供らの新しい遊びとしては逸材であった。
古びた木造屋敷の二階窓から、帰宅途中の小学生を眺めている影。その彼女の存在に気が付いたある子供が、その容姿から『美人』と名付けて友人に言い触らした。
翌日、その友人らが屋敷の前で「美人出てこい」なぞとふざけていると、突然『美人』が窓を開け放ち、叫び声を上げる。
「ハシゴ。ハシゴをかえして。」
その形相の異様さに、子供らは死に物狂いで逃げた。
後日、屋敷を訪れたが、梯子などはどこを探しても見つからないのである。
その日より、屋敷の前を子供が通るたびに『美人』は同じ台詞を叫ぶ。子供らは肝試しのような感覚でその道を何度も通った。話は学校中に広まり、『美人』発見者らが卒業しても肝試しは引き継がれた。
当の発見者らは、成長するごとに彼女の存在への恐れを増幅させ、その道を避けるようになる。
やがて、『美人』と名付けた子供が建設会社に就職する頃には、彼女の目撃情報は聞かなくなっていた。だが、無人となった木造屋敷は少しばかり有名な心霊スポットと化し、時々誰某らが肝試しに訪れた。
そうして長らく子供らに遊ばれた『美人の抜け殻屋敷』も、とうとう壊される日が来た。
『美人』の名付け親は、人一倍『美人』に興味があった。勤め先に取り壊しの依頼が来たとき、彼は真っ先に屋敷へ飛び込んでいった。
彼女がいつも顔を覗かせていた部屋を探すも、その入り口が見当たらない。古びた木造壁の一部一帯、不自然に新しい壁が貼られている。その奥が『美人』の部屋らしい。
気味が悪い。このまま取り壊してしまおう。
ところが、後日その話を聞いた彼の仲間が、再び彼を屋敷へと引きずり込んだ。そして面白半分に壁を蹴り破ったのである。
それは予想以上に簡単に崩れ去る。途端に広がる異臭と羽音。腐乱した犬猫、虫、ネズミ。喰いちぎられたように散乱した動物の死骸。喰われているのは生物だけではない。ベッドの上にはその姿を半分無くした毛布が、造作なく散らばっている。仲間は嘔吐し、二人はそそくさと屋敷を後にした。
名付け親の彼は、一度だけ『美人』が外を出歩くのを見ている。高校生の時であった。部活の帰りの夜道、屋敷の前を一人歩く。いつも、夜間であれば彼女は窓際に現れない。その日も確かに、窓に彼女の影は映っていなかった。ところが、ふと前方に目をやれば、棒っこのようなものが足を引きずり歩いている。それが何者であるかは、遠くともわかるというものだ。彼は影が背を向けている内に、道を引き返したのである。
屋敷の死骸部屋については、一時警察沙汰になるものの、肝心の『美人』の姿は見とめられなかった。
取り壊しは予定通りに行われた。地上から木造屋敷の姿が消え去ると、今度は地下室への入り口が出現する。それはもう、新聞に載るほどの大事であった。
地下室の中央には蝋燭台が置かれており、その下に札が敷かれていた。『トワナレ』と書かれている。それを取り囲むように干からびた人間が転がっていたそうだ。死因は一人を除き、半分が飢餓、半分が丁寧に腹を斬り裂かれていたという。そしていくつかは手首が斬り落とされていた。
取り壊された木造屋敷は、五十年間所有者がいなかった。しかし、発見された死体の大半は約三十年前に死亡したものとされる。宗教関係の団体が無断で住み着いていたのではないか。その方向で調べは進められたそうだ。
その集団ミイラの中で一人だけ、ある子供の死体だけが、十五年程前と比較的新しいものであった。死因も他とは様子が違う。身体の三分の二が喰いちぎられたように無くなっているのだ。
二十年ほど前に流行した『美人』遊びは、最悪の記憶となる。彼女を知る者は大人となって再び背筋を凍らせる。その『美人』の容姿の異形さから、誰もが彼女はこの世の者ではないと信じていた。今でさえ彼女の存在は定かでない。彼女の姿を目撃した人間は皆、当時は小学生だったのである。
しかし『美人』の名付け親には確信があった。『美人』は存在した。彼の家は木造屋敷の隣の隣の隣にある。高校生の頃の、あの恐ろしい夜。道を引き返して彼女の姿が消えるのを遠く見張っていると、目前を何かが通過する。学習塾の帰りだろうか、夜の景色に似つかわしくない、小学生の男の子である。『美人』のゆく同じ方向へ少年が吸い込まれていくのを、彼はぼんやりと眺めていた。少年はその日から行方を眩まし、十五年後に形を変えて帰ってきた。
名付け親の彼は、酷く狼狽した。後悔の念に苛まれ、三日三晩寝込んだ。小学生を殺してしまった責任は自分にあるのではないか。彼女を見つけ、『美人』と皮肉って煽るような真似をしたから、彼女は恨みを募らせて部屋を出たのかもしれない。
そうして未だ行方の知らぬ『美人』の存在に一人怯え、毛布にくるまるのである。
昔から子供は、怪奇な噂が大好物である。そして大人になろうと相も変わらず、夢に見るのだ。『美人』の生死は、正誤の解答。彼らに迷信させる。
ところが当の本人は、単純自然な欲求に従っただけなのかもしれない。
(20100614)
美人