好きでよかった。

雨と弱虫のち赤色

 高校二年の夏、夜の六時を回った頃。季節と時間で考えれば、今の空は茜色に染まり、光のある一日に終わりを告げようと、哀愁の漂う帰りのムードに包まれているはずだが、私が学校の玄関に佇み、見上げてる空は薄暗く、風で私のセミロングの髪は揺れ、ざぁーと音を立てて大粒の雫が滝のように降り注いでいる。
「かなり降ってるなぁ」
 わたしは誰に聞かれるわけでもない独り言を呟き、目を細めて校舎前の通りを眺める。
 朝はあんなに晴れてたのに…でも、そういえばお兄ちゃんが、夕方から雨降るらしいから傘忘れんなとか言ってたっけ。
 でも、わたしは黄色い熊さんのバッグを背負っているのみ。
 傘なんて、今こうして美術部の活動が終わって、外を出るまでは思い出すことも無かった。
 家まではそう遠くないので、迎えを呼ぶのも気が引ける。
 部活帰りだというのに、一人でさみしく下校する事には理由があるのだ。
 本当は、友達と一緒に帰る予定だった。

 時を数十分巻き戻す。
 わたしは部活が終わり、帰ろうと廊下を歩いていた時だ。
 私は偶然にも、別のクラスの友達の相坂 実音とばったりと出会った。
「あ~、さっちん。今から帰るの?」
「そうだよー。実音も帰るんだったら一緒に帰ろうよ」
 実音は、ほんわかとした雰囲気としゃべり方が特徴の可愛い女の子。
 身長も何センチかは知らないけど小さ目。毛先が丁度肩に触れるくらいの髪の長さで、前髪を髪留めで留めている。
 この子と話すだけでなんだか癒されてしまう。俗に言う、小動物系の女子といったところだろう。
「うん、もちろんっ」と、笑顔で返事をする実音にわたしも笑顔で返す。
 あ、そういえば言い忘れてたが、さっちんというのはわたしのあだ名。本名は正蓮寺 彩希という。
 実音は親しい友達に基本はあだ名をつけて呼ぶ。
 ちなみにわたしの場合は、しょうれんじ→れんじ→レンジ→チン+さき=さっちんといったところだろう。実音のつけるあだ名は、由来を聞けば中々センスのあるものばかりだ。
 本当は、実音と一緒に帰れるのはかなりレアなのだ。なぜかというと…。
「お、やっと来たか」
 わたしは「あ、やっぱりか」と呟くと、わたし達の前に長身でモデルをやっててもおかしくなさそうな超絶イケメンがiPhoneを片手に持ちながら、こちらに目を向けている。
「かなで~おまたせ~」
「なんだ?正蓮寺も一緒なのか?」
 このイケメンは橘 奏。実音と幼馴染で、帰りはいつも一緒に帰っている。
「さっきそこで偶然会ってね~、今日は三人で帰ろうね」
「おう、そうだな」
 笑顔で楽しそうに会話するこの二人。
 付き合ってるわけじゃない、でも、見るからに両想いなのは明らか。
 でも、お互いの気持ちには気づかない鈍感同士。
 その微妙な距離を何年も維持し続けてしまっている意気地なし同士。
 ぶっちゃけ、この二人の間に挟まれて帰るとか、告白とかよりも勇気がいりそうだ。恋とかした事ないけど。
「あ~、わたしそういえば先生に頼まれごとされてたんだった!ごめーん!二人とも先帰ってて!」
「え、さっちん?あ…」
 自分でもドン引きするくらいバレバレの嘘をついて、その場から逃げるように走り去った。残された二人は不思議そうに顔を見合わせる。
 一応、職員室のある三階まで用は無いがやってきた。追いかけては来てないようだ。
 わたしは、そっと窓から校舎前の通りを眺める。
 いくらバレバレな嘘でも、二人が帰ってる横を、堂々と通り過ぎるわけにはいかない。
 わたしは、三階から二人が帰っていく姿を確認する。
 実音、あんな幸せそうに笑って…。
 実音はいつも笑顔だけど、あんな楽しそうに笑うのは奏の前でだけだ。
 奏も、普段はやんちゃでいたずらっこの癖に、実音の前ではなんとなく冷静ぶっちゃって…。
 たまらなく好きなんだろうな…お互い。
 しかし、二人が個々に傘をさして歩いている辺り、二人の間にはまだ僅かに距離がある事を示唆している。

恋…か。

 私は生まれて十七年、恋というものをした事が無い。
 だからといって、男の子とは普通に話せるし、告白だって何度かされてきた。
 だけど、男の子を恋愛的に好きになるの意味が未だにわからない。
 分からないから、高校生活残り約半分となった今でも、焦る理由も分からない。憧れはあるし、どんなものなのかは頭では理解しているつもりだ。
 だけど、さっきの実音と奏みたいに、あそこまで距離が近くになってるのに好きの二文字が言えない理由が分からない。わたしだったら、もっと…。
 いや、そんな事は私には関係ないことだ。
 さぁわたしも帰るぞ…あ、そういえば傘もってきてたっけ?

 で、今に至る。

 仕方ないね。と、家につくまでに、水で浸したびっちょびっちょの雑巾のようになる事に覚悟を決め、わたしは玄関から飛び出そうとした時だった。
「わああぁぁ!」
 後ろから男の子の声が聞こえ、私は驚き振り返ると同時に、男の子がこちらに倒れ掛かってくるのが見えた。
 えっ。っと声もでないままに、ビクついて上がった私の肩をがしっと掴まれる。
「きゃあ!」
 そのまま強い力で押し倒され、私の体と男の子の体は薄黒の雲の真下に放り出され、ベシャ!と大きな音を立てて雨で汚れた通りに、男の子の体重を乗せて、わたしの体は叩きつけられる。
「うぐっ!」
 私のにぶい声が校舎通りに響き渡る。黄色い熊さんのバッグを背負っていなかったら、なにかしら怪我はしていただろう。
さぁーと全身が水浸しになっていくのを感じる。
「ごごご、ごめんなさい!!」
 男の子は即座にその場から跳ねのけ、後ろに両手をつけて驚きにも似たような顔で叫んだ。
男の子が私の上からいなくなった事により、仰向けになっていた私の体に容赦無く雨が降り注ぐ。
「うわっぷ!」
 わたしは意味不明な声をあげて、体を起こした。もう全身が泥まみれでびしょびしょだ。
「あんたねぇ…いきなり何のつもり…?」
 わたしは怒りで声を震わせながら男の子に静かに問う。
「ひいぃ!!ごめんなさい!ごめんなさい!足を滑らせちゃって!今拭きますから!!」と、制服のポケットからハンカチを取り出す。
 もちろん、取り出した瞬間にそのハンカチは雨でびしょびしょになり、おまけに泥だらけの手で触った為、汚い。
「わー!!バカバカ!!そんなので拭いたら余計汚くなるでしょ!それにこんな雨の中で拭いても何の意味も無いでしょうが!」
「ごめんなさい!ごめんなさい!すいません!場所移動しましょう!場所を!」
 確かに、こんな場所でいつまでもいると風邪でも引きそうだ。わたしは男の子と一旦校舎の中に走って戻った。

 玄関にびしょびしょの腰を下ろすと、男の子は鞄から綺麗なハンカチを取り出して私に渡した。
「ほんとにごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさ…」
 何かに取り憑かれたように謝り続ける男の子。
 わたしはその渡されたハンカチを無愛想に受け取り、水やら泥やらで濡れた髪を拭く。
「もう最悪。てか、こんなんじゃ全然足りないし…」
「すいません…もう、ハンカチはこれで最後で…あ!じゃあ僕のベストで拭いてください!」と、男の子はワイシャツの上に着ていたベストを脱ぎ始める。
 わたしはギョッと目を開いて男の子を止める。
「いいって!いいって!だから、あんたのベストもびしょびしょでしょ!?全く、バカすぎて話になんない!」
「すいません!すいません!」
 わたしは、はぁ…とため息をついて、申し訳なさそうに目を逸らす男の子を見つめる。
 男の子にしては髪は長く、飾りっ気の無い黒い眼鏡をかけてる。その姿はまるで気弱な女の子だ。
 地味で目立たない人間はクラスに一人や二人いるだろうが、彼はその内の一人といったところだろう。
 男の子はわたしに何か言いたげにこちらをチラチラ見ており、行動の一つ一つに自身の無さと迷いを感じる。
 これは…わたしの嫌いなタイプの男の子だ。見ていてイライラする。
「なに?言いたい事があるならハッキリ言いなさいよ!」
「ひぃ!あ、あの…!」
 わたしは声を大にして凄むと、男の子は顔を赤くして目を逸らして言った。
「その…し、下着…透けてて…」
「あ」
 ぐっと自分の姿を確認すると、ワイシャツの上から今日に限って着けてきてしまった派手な赤色が透けていた。
「このっ!変態!」と、思わずその男の子の頬に力いっぱいビンタする。
 パチン!と景気にいい音が校舎の玄関に響き渡る。
「いたぁ!!ごめ、ごめんなさい!!」
 わたしは腕で胸を隠すようにして、男の子から遠ざかる。気弱で女々しくて、おまけにむっつりスケベとかもうかまってられない。
「もういい!とにかく!もうわたしの事はいいからもうどっか行って!」
 とにかく、もうこいつとは関わりたくなくて男の子に向かって怒鳴る。
「ごめ…ほんとにごめんなさい…うっ、ううぅ」と、男の子の瞳から明らかに雨ではない雫が落ちた。
「えっ、うそ。まさか泣いてるの!?」
 なんと、男の子はその場で涙をぽろぽろと流し始めてしまった。さすがにわたしも、泣きだすとは予想外だったので慌ててフォローに徹する。
「ちょっと…やだ!まさか泣き出すなんて…ごめんごめんって!」
「ごめんなさい…ごめんなさい…」
 わたしは焦って周りを見渡すと、下校最中の生徒達が不思議そうにこちらを見ている。
――まずい。
「ちょっと!泣かないで!ごめんね!私が言い過ぎた!許してあげるから、そんな泣かないで!」
「ぐすっ…本当にごめんなさい…」
 気弱で女々しくて、むっつりスケベで、加えて泣き虫とか、どこまでめんどくさい男の子なんだ。

 なんとか泣き止んだ男の子は、涙で湿った瞳を潤わせて「ごめんなさい、ごめんなさい」とまだ謝る。さっきから謝ってしかいない。
「あーもう!分かったから!謝らない!」
「はいっ…!すいません!」
「謝らない!」
「は、はいっ!」
 あーもうめんどくさい。多分、彼氏にしたくないランキングがあるとしたら、ベスト十位以内にはランクインしてそうだ。私の中では三位以内だ。
「もういいから、帰んなよ。これ以上わたしのところいても、できる事ないでしょ?」
「はい…すいません」
「謝らない!」
「はいっ!」
 そして、男の子は深く頭を下げると、鞄の中からごそごそと何かを取り出した。
「あの、これ。よかったら使ってください」
 黒く飾りっ気の無い折り畳み傘だった。それをわたしの前にずいっと差し出す。
「いいよー。あんたもそれ使うんでしょ?だったらいらない」
「い、いえ!僕予備でもう一本持ってきているので!大丈夫です!」
「あ、そうなの。う~ん、じゃあ使わせてもらおうかな。ごめんね。明日ちゃんと返すからさ」
 なんだ、気の利く所あるじゃん。まぁ、いいとこなんてそこだけだけど。
「君、名前は?何年何組?」
「えっと、ぼくは小路 遥っていいます。二年B組です」
二年B組…実音と奏と同じクラスなんだ。ってか、遥って…名前まで女っぽい。
「分かった、二年B組の遥君ね。私は二年A組の 正蓮寺 彩希だよ。明日、この傘返しにB組行くからさ」
「はい!すいません!ありがとうございます!それじゃ、ぼくはもう行きます」
「うん、もう転ばないようにしなよ?」
「はい!」
 そう笑顔で返事をすると、遥という男の子は玄関まで走り出した。
 わたしは「はぁ」とため息をつくと、遥から貸してもらった傘を見る。
 これなら、家につくまでに雨で濡れないですみそうだ。まぁ、既にびしょびしょなのだが。
 わたしは玄関に出ると、さっきの遥君の姿が遠くに見えた。
「あれ?」
 遥君は傘はささずに走っている。
 確か、予備の傘を持っているとか言ってなかったっけ?
「嘘か…」
 なによ。いっちょ前に優しい嘘なんてつくなんて、泣き虫のくせに。
ーーまぁ、今日の事は忘れてあげるか。
 わたしは自然と優しい微笑を浮かべると、遠慮なく傘を開き、大雨が降り注ぐ帰り道を歩き始めた。

友達三号

   次の日。
「起立、礼」と、学級委員長の声と共に四時限目が終わる。
   その瞬間から教室の一部の生徒達は廊下へものすごい勢いで流れ込んでいく。
    今日の昼の学食のライスコロッケは数量限定なのだ。まぁ、わたしはお弁当をもってきているから関係ないが。
   そんな血眼になった生徒達をわたしは横目で見送りながら「さてと」と、わたしは机から立ち上がる。
    今日はお弁当を食べる前にやることがある。昨日、遥君から借りた折り畳み傘を返さなければ。
   確か、三年B組だったはず。わたしは、飾りっ気の無い黒い折り畳み傘を手に取り教室を出た。
   教室は隣だから、そう歩く距離があるわけでもない。
   わたしは、B組の教室の扉をガラガラと開ける。
   すると、まず目に映ったのは、カリカリと机のノートにシャープペンシルを立てている実音の姿だった。
「あ、実音」
「ん~?あ~、さっちん~どうしたの?B組に来るなんて珍しいね~」
    実音は、シャープペンシルの先を停止させ、こちらに微笑みかける。
   実音は背が低いから、席替えの際にはわざと人気の無い前の方の席を希望する。なので、教室の前のドアを開けると、とりあえず実音の姿が目に入る。
   どうやら、昼休みで休憩を取る前にちょっと勉強してたようだ。
「実音偉いね。昼休みにまで勉強してるなんて」
「いやぁ~それほどでもないよ~」
   実音は照れくさそうに眉をやや八の字にして笑う。
   わたしはそんな実音の表情に癒されながら、周りをキョロキョロ見渡すが、遥君の姿は見当たらない
「それでさ、このクラスにいるはずの小路 遥って人、男の子なんだけど…知らない?」
「あ~はるじいか~。はるじいに何か用?」
   はるじい?まさか、あだ名?
「実音の友達?」
「うん~私とかなでの中学からの親友なんだ~」
「実音と奏の親友!?あの根暗な奴が!?」
「うわっ!さっちんちょっと声大きいよ~!」
   わたしは驚きのあまり大きな声をあげてしまった。実音は一指し指を唇に当てて「しっー」と仕草で訴える。
「ごめんっ。でも全然知らなかったよ」
「うん、だって話してないもんね~。それで、はるじいがどうかしたの?」
   わたしは手に持っていた黒い折り畳み傘を実音の前に出した。
「あ、それはるじいの傘だ~どうしたのそれ?」
「え、見ただけでわかるの?」
「うん~だってそこに名前書いてあるから」
「えっ」っと声をあげて、傘の柄の部分を見ると、小路 遥と丁寧な字で名前が書いてある。なんて几帳面な性格してるんだ。
「今どきの高校生がこんな真っ黒な折り畳み傘に名前なんて普通書く?」
「えへへ、はるじいはそういう人だからね~」
なぜか照れくさそうに笑う実音は話を続ける。
「はるじいはさっき教室を手ぶらで出て行ったんだよ~。鞄も置きっぱなしだし、すぐに戻ってくると思うよ」
「そっか、ありがとう」
わたしは笑顔でお礼をすると、実音も笑顔で返す。すると、実音は「そうだ」と言って、机にあるノートを片づけ始める。
「せっかく来たんだし、二人でお弁当食べながらはるじい待ってよう~」
実音は鞄からお弁当を取り出し、わたしに微笑みかける。
「勉強はいいの?」
「いいのいいの~。家に帰ってからでもできるし、今はさっちんとお昼ごはん食べたいし」
実音とこうしてちゃんと話すのも久しぶりだし、たまにはいいだろう。
「わかった。ちょっとまってね。お弁当取ってくるから」
「うん~まってる」
わたしはA組から自分の鞄を持ってくると、実音は椅子をもう一つ借りて待ってくれていた。わたしはそこに腰を下ろして言った。
「そういえば、奏は?」
「え?なんで?」
「え…って、二人はいつも一緒にいるんじゃ無いの?」
すると、実音は顔を赤く火照らせて両手で大げさに否定する。
「ちっ違うよ~!家が隣だから一緒に帰ってるってだけで、いつも一緒にいるってわけじゃ…」
「ふ~ん?」
と、私はにやにやしながらお弁当の黄色いふろしきをほどく。
「だから…昨日の帰りだって、別に気を使わなくたって…」
げっ、やっぱりバレバレだったか。
「だ、だって!あんな二人の間にいたら、家までわたしの心がもつわけないでしょ!」
「どういう意味なの~!?」
全く、バレバレだっていうのに認めない辺り、恋心っていうのはつくづく分からない。
「かなでは、さっきライスコロッケ買いに一番に教室出て行ったよ~。ライバルと喧嘩にならなきゃいいけど」
と、心配そうな表情をする実音を後目に、おにぎりをぱくりとするわたし。
「そういえばさっちん~。さっき聞き忘れたけど、なんではるじいの傘持ってたの~?」
おにぎりをもぐもぐとして、飲み込んだ後にわたしは言った。
「…ああ、昨日ね。傘忘れてきた私に貸してくれたんだよ。もう一本持ってるのでーとか嘘までついて」
その言葉を聞いた実音はすごくうれしそうに手のひらを合わせて言った。
「へぇ~!あのはるじいが私達以外の人に声をかけたんだ~!」
「まぁ、それまでに色々あったけど…」
「え?色々?」
「ううん、なんでもない」
実音は不思議そうに首を傾げがら、卵焼きを口に運ぶ。
「はるじいはね~あれでも凄く変わったんだよ?中学の時なんかまともに人と話せなかったからね~」
「え?あれよりひどかったんだ」
「うん、色々あったから…」
その時教室のドアがガラガラと開いた。
「あ、かなで~おかえり~」
扉の向こうから、奏が不満げな表情で教室に入ってくる。どうやら、お目当てのものは手に入らなかったようだ。
「ただいまー。全く、がたいのいいラグビー部の連中がみんなもっていきやがったよ。俺もバスケ部じゃなくてラグビー部入ればよかったな」
「まったく~。またそういう心にも思ってない冗談言う~」
「まぁな」
と、顔を上げてにっと笑う奏は、わたしの姿を見て「おっ」と声をあげる。
「正蓮寺じゃん。珍しいなーお前がB組になんて…実音と飯食ってんのか?」
「うん。あんた達のお友達の遥君って人にちょっと用があってね。遥君が帰ってくるの待ってるついでに、実音とお弁当をね」
その言葉を聞いた奏は驚いて目を見開く。
「え?お前が遥に何の用だよ?」
すると、実音は笑顔で奏に説明する。
「はるじいがね~昨日、さっちんに折り畳み傘貸してあげてたらしくて~さっちんが返しに来てくれたんだよ~」
「ふ~ん、遥が女に傘貸すなんてなぁ。大方、正蓮寺になにか迷惑かけて、そのお詫びってとこだろうな」
え、なにこいつ。なんでわかるの?
「え~?そうなのかな?はるじいもまた一歩成長したんじゃないの~?」
奏は近くにあった椅子を実音の机につけて座り、言った。
「いや、まだまだ自分から困ってる人に声かけられるほど成長しちゃいねーよ。俺だって、知らん女に傘貸すようなギザなマネは恥ずかしくてできねぇよ。まぁ昔より幾分マシになったけどさ」
「え~さっちん~そうなの~?」
わたしは、純粋な瞳で疑問を投げかけてくる実音から目を逸らして私は答えた。
「うん、まぁその通りなんだけど…」
「ほらな」とにやりと実音に微笑む奏。
「なんだ~。そうなんだ~。あ、でも、はるじいもお話しできるお友達が増えてよかったね~」
え?友達?わたしは実音の発言に抗議する。
「違うよ!昨日会ったばかりだし、それに!あいつのせいで私は…!」
その時教室のドアがガラガラと開いた。
「あ~!噂をすれば、はるじい~おかえり~」
昨日会った遥という男の子が教室に入ってきたのだが、昨日の姿に加えてマスクをつけている。
「ん?遥、お前風邪でも引いたか?」
「ああ…奏に実音ちゃんか、うん。朝は何とも無かったんだけど、ちょっと昼に近づいてくにつれてちょっと咳増えてきちゃって、さっき保健室からマスク借りたんだ」
「ええ~大丈夫?無理しない方がいいよ」
遥君は、心配してくれた実音に笑顔で言う。
「大丈夫。ちょっと咳が出るってだけだから……あ」
どうやら、わたしの姿に気づいたらしく、大きく目を見開く遥君。
「あ!昨日の…確か、正蓮寺さん!昨日は、ほんとごめんなさい!」
突然大声で謝り始め、クラスの人たちの視線が集まる。
「ちょ!会っていきなり謝らないでよ!」
「昨日、君を押し倒していっぱい汚して、挙句の果てには君の赤いブラジャー見ちゃってほんとにごめんなさい!」
なんてことを大声で言ってるんだこいつは!!
その遥君の発言にクラスの人達は驚き、実音は口を手で押さえて顔を赤くし、奏は腹を抱えて笑っている。
「わああああああああああああああ!!!」
わたしは大声でその遥君の声をかき消し、おもいっきりおにぎりを顔面に投げつける。
「ぶふっ!」
とおかしな声をあげて沈黙する遥君の肩をはげしく揺する。
「ちょっとあんた一旦落ち着きなさいよ!」
「さっちん!さっちんも落ち着こう!はるじいが死んじゃう!」
わたしは、はっと我に返り手を放すと、遥君はごはんまみれの顔で力なく後ろに倒れこむ。そんな三人の姿を見て大声で笑う奏。わたしはまずいと思い、倒れた遥君の意識を確認するために声をかける。
「ごめん!大丈夫!?」
「だいじょう…ぶ…れす」
力ない声で返事をする遥君は、目をぐるぐるさせている。その様子を見てた奏が笑いながら遥君に声をかける。
「ははは!遥はとりあえず顔拭けよ!ほんとおまえら面白いな」
「なにがおもしろいのよ!」
「さっちん落ち着いて~!」
いつにまにか四人で一つの机を囲み、窮屈そうにご飯を食べる私達。わたしは無言で不機嫌そうにぱくぱく残りのおにぎりを食べ、遥君はきまずそうにお弁当を箸でつつき、実音はそんな私たちを苦笑いして見ながら卵焼きを口に運び、奏はiPhoneをいじりながら学食で買った焼きそばパンをかじる。
「あ、えっと、はるじいの今日のお弁当おいしそうだね~」
なんとも言えない微妙な空気に耐えかねた実音は話題を振る。
「…ほんとに?今日の朝いつもより早起きできたから、ちょっと気合い入れて作ってみたんだ」
「すごーい!わたしにちょっとちょうだい~!」
「うんいいよ。好きなの一つ貰って」
遥君はお弁当の箱を実音の前に出す。肉料理から野菜料理まで色とりどりとしたバランスの良さそうなお弁当だ。ってか、遥君って料理もできるのね。女子力しかないなこいつ。
「やった~!はるじいも私のお弁当から好きなの取ってもいいからね~」
「あ、うん。ありがとう」
まるで、女の子同士のやり取りだ。
「つっても、実音の弁当箱にはいっつも卵焼きしか入ってないだろ」
奏はiPhoneをいじりながら実音の弁当につっこむ。確かに、実音の弁当箱は真っ黄色だ。
「じゃあこれ貰うね~」と、遥君のお弁当から貰った物は結局卵焼きだった。
「おまっ!また卵焼きかよ!」
「だって~はるじいの卵焼きおいしんだもん~」
「あはは…ありがとう」
結局、卵焼きと卵焼きの交換になってしまった。
「でもまぁ、遥の料理はほんとうまいよな。なぁ?俺に毎日作ってきてくれよ」
「ええ~、そういうの男の僕に頼む?」
「俺は単純にうまい飯が食いたいだけだー」
と、焼きそばパンの残りを口に放り込む奏。
「じゃ、じゃあ…私が作ってきても…」
頬を赤らめて、人差し指同士をくっつけながらぼそっと言う実音。
「あーだめだめ。実音の弁当毎日食ってたら全身黄色くなっちまう」
「え~!ひど~い!」
実音は頬を膨らませて奏に怒る。
「でもね、奏。日本人は黄色人種で元々体は黄色いんだよ?」
「あのな、遥。そういう話をしてるんじゃねぇんだ」
遥の的外れな発言に、呆れた顔で返す奏。
「ふふっ」
「ん?どうした正蓮寺」
なんだかすごい楽しそうな三人だ。思わず笑ってしまった。
「なんか、おもしろいね。あんた達」
そんな私の様子を見た実音は嬉しそうに笑った。
「うん~!仲いいからね~私達」
「おいおい、そんな恥ずかしい事良く普通に口にできるな」
遥君も優しそうな顔で笑っている。あ、そういえば一つ忘れている事があった。
「遥君…だっけ。この傘、ありがとう」
わたしは、昨日、遥君から貸してもらった折り畳み傘を渡した。
「あ、わざわざありがとうございます。元はといえば、僕のせいなのに…」
「いいから!もうあのことは!」
「はい!すいません!」
全く、気を付けなければすぐ暴走しそうだこいつは。
「でも、嘘はよくないかな」
「え?」
「風邪…わたしのせいなんでしょ?昨日、あの後で傘無しで走ってる遥君見たもん」
「あ…」
遥君は少し悲しそうに俯いた。
「つまり、あの後は相合傘して帰るのがベストアンサーだったってことだな」
ぼこっ。
空気の読めない奏の発言が聞こえたので、とりあえずグーで殴った。
「いてぇ!」
「言っておくけど、奏だけにはその言葉言われたくないから!」
「はぁ?なんでだよ」
「なんでもない!」
まったく自覚のない奏の顔なんか見ずにぶっきらぼうに言葉を放つ。実音は顔を赤らめて目を逸らして無言になってる。どうやら実音には私の言葉の意味が分かったらしい。
「すいません…嘘なんてついて」
「ううん、別に怒ってないし、悪いなって思ってるのは私の方だし」
なんだろう、なんて言えばいいんだろう。
「その、ありがとう。風邪…はやく治るといいね」
「はい…!」
わたしは照れ隠しでおにぎりにぱくつく。遥はほんとに嬉しそうな笑顔だ。
「よかったね~。さっちんに許してもらえて~」
優しそうな声で実音は遥君に語り掛ける。
「よし、遥の三人目の友達誕生だな」
にっと奏は笑って言った。
「「え?友達!?」」
思わず遥君と声が重なってしまった。友達って…。
「そうだよ~!もう友達だよね?」
まぁ、なってあげてもいいかな。
「う~ん、仕方ないなぁ。じゃあ遥君の友達になってあげるよ」
わたしは笑顔で遥君に語り掛ける。
「え、は、はい…!よろしくお願いします…!」
「固い固い。友達なんだから、敬語じゃなくていいよ」
すると、奏は笑って言った。
「ふふふ、残念ながら遥の敬語はなかなか取れないぞ~。俺たちですら今みたいに話せるまで一年かかったからな」
一年って…コミュ症はすごいな。
「まぁ、いいや。ゆっくりでいいから」
「はいっ!」
わたしはお弁当を食べ終わると、席を立った。
「あのさ、これから…たまに一緒にご飯食べに来てもいいかな?」
「うん~!もちろんだよ~」
即答で返事をする実音は嬉しそうだ。
「ただし、卵焼き持参な」
「も~!わたしそこまで食い意地張ってない~!」
そんな二人の姿を見て、わたしはくすくす笑う。
「それじゃ、またね」
わたしは軽く遥君に手を振る。
「はいっ」
遥君も笑顔で振り返してくれる。
明日からの学校がまた少し、楽しみになった。

だって美術部だから

 それからというもの、学校でお昼は四人で食べる事がほとんどになった。
 わたしはたまにとは言ったけど、四人で一緒にいる時間が楽しくて、昼休みになったらついB組に足を運んでしまう。
 そんな日が続いて、わたしはすっかり三人の輪の中にすっぽりと入り、今はもう四人の輪と呼べるものになった。
 そして、遥君と出会って三週間くらいたったある日の事だ。
 帰りのHRが終わり、すっかり洗って綺麗になった黄色の熊さんのバッグを背負って教室を出る。
 今日は美術部はお休みだ。家に帰って、昨日撮っておいたドラマの続きでもみよう…と考え、廊下を歩いていた時だ。
「あ~さっちん~!今から帰るの?」
「あ、実音はこれから部活?」
 声をかけてくれた実音の姿は、いつもの制服姿ではなく、高校のジャージを着ている。
「あれ?実音って部活は吹奏楽じゃなかったっけ?なんでジャージなんて着てるの?」
「ああ~これね~。今日は吹奏楽は活動お休みなんだ~。だけど、バスケ部はもうすぐ高校総体だからさ、その応援団幕ま作るの今から手伝いに行こうかと思って」
 確か奏あはバスケ部だ。そういえば、マイ運動部は高校総体か…こうして運動部の友達を作らなかったら意識なんてした事なかった。
「それでね~。手伝うって事のになったんだけど、みんながみおちゃん絵心ないからだめ!って言うんだよ~!ひどいよね~!」
「あ、そうなの…」
 わたしは苦笑いする。
学校のインターンシップで幼稚園に一緒に行った時があったけど、そこで園児達と似顔絵書いてて遊んでたら、あまりの絵の下手さに園児を泣かせた事があるのが実音だ。
「それでね~代わりに絵の上手な人を連れて来たら手伝わせてあげるってバスケ部の先輩マネージャーさんが言ってくれたんだけど…それで、さっちんってさ、美術部でしょ?」
「うん…まぁそうだけど」
 実音は両手を合わせてわたしに頼み込んだ。
「お願い!美術部の友達とかさっちんしかいないし、応援団幕作るの一緒に手伝ってくれない!?」
「ええ~?わたしが?別に絵とか全然上手じゃないよ?」
「大丈夫!さっちんきっと絵上手だから~!だって、美術部だし~!」
 美術部って言葉を過信しすぎじゃないかな実音は…。
 少し考えたが帰っても大した用事もないし、まぁ普段頼み事なんてしない実音の頼みだ。ここは人肌脱ぐとしよう。
「仕方ないなぁ。分かったよ。手伝ってあげるよ」
 わたしは微笑んで承諾すると、実音は飛んで喜んだ。
「やった!ありがと~!場所は体育館ね!」
 そう言い残すと、実音はパタパタと体育館のほうへ走っていった。
 奏の所属するバスケ部の高校総体の弾幕を作りたかったんだろうなぁ。と、実音の心の内を悟り、女子更衣室でジャージに着替え、わたしは快く指定された体育館に向かった。

 ダンダン!と、バスケットボールのドリブルの音が聞こえる。わたしは体育館に入ると、奥の方で実音が手を振っている。
 わたしは体育館だからなのか、なんとなく軽く走って向かった。
「実音おまたせー」
 実音の隣には、見覚えのある若い男性の姿がある。生徒では無く、教師だ。
「ん?相坂が連れてきたっていう美術部の子って、正蓮寺だったのか」と、気の抜けるような声でわたしに語り掛ける。
「久瀬先生…そういえばバスケ部の顧問でしたっけ」
 久瀬 晴樹というこの先生は、わたしのクラスである二年A組の担任の教師だ。
「あ~めんどくせ。応援団幕なんて適当に描いて終わらせようぜ」
 極度のめんどくさがり屋。だからと言って、悪い人ではなく、ちゃんと一線を超えないようにはしているとは思うが。
「そんな事言わずにがんばりましょうよ」
「お、それいいな。じゃあがんばりましょうって書くか」
 正直不安だ。
 わたしは久瀬先生のやる気の無さに呆れてると、先生の影から高く可愛らしい声が聞こえる。
「ちょっと久瀬先生!せっかく確保した美術部の子にやる気ない奴らだと思われたらどうするんですか!?」
 大きな久瀬先生の影から出てきた小さな女の子。風貌だけなら小学校三年生くらいだろうか。実音より小さい。実音はしゃがんでその子を紹介した。
「この人が、バスケ部のマネージャーのちさと先輩だよ~」
「え?この子が!?」
「む!先輩に向かってこの子とはなんだ!」
 失礼な反応をしてしまった私を注意するこの小さい先輩。両手を腰につけ、わたしを見上げている。全然迫力がない。
「えっと…すいません」
「君!私の事を小さいとか思ってないか!?」
「……思ってないです」
「その間はなんだ!」
「思ってないです」
「思ってるだろ!」
「…思いましたすいません」
「うわああああああああん!分かってるんだってー!言われなくてもー!!」
 突然、大声で泣き出し、わたしは体を驚きでびくつかせる。なんなんだもう。
「ちょ!先輩泣かないでくださいよ!」
「慰めてくれるの…?こんなちっぽけなわたしを?君いい人だなぁぁ!わたし、芳崎 智里っていうの~!!よろしく~ぅぅ!うわぁぁぁん!」
「え、あ、どうも正蓮寺 彩希です」
 さりげなく自己紹介すると、何故かさらに大声で泣き始める。情緒不安定すぎる。もうどうしたらいいかわかんない。
 その泣いてる智里先輩を泣き止ませる為に、久瀬先生が優しく声をかける。
「芳崎、君も後二年くらいしたらこの正蓮寺みたいに胸もイイ感じにおおき…んふっが!」
 わたしは久瀬先生の股を容赦なく蹴り上げ、地獄の底から響いてくるような低音で凄む。
「先生、いい加減にしないと教育委員会に訴えますよ。生徒へのセクハラを主に」
「…すんません」
 痛みでうずくまる久瀬先生にさっきまで大号泣してた智里先輩が蔑みはじめる。
「そうですよ!!いい加減遠慮というものを覚えるべきですよ!久瀬先生は!」
 さっきの大号泣してた先輩はどこにいったのか…また腰に両手を当ててうずくまる久瀬先生を見下ろす。
 すると、不意に見上げてわたしの胸をちらっと見る。
「うわあああああああああああああん!!分かってるんだってー!私の胸が遠慮しすぎな事くらいー!!」
 …なんかもう帰りたい。そういえば、今日は家に帰ってからドラマ見るはずだったのだ。
 わたしは、なんとも言えない悲しそうな表情を実音に向け、助けを訴えかける。
「う、うん。ごめんね~今助けるから」
 実音は苦笑いして、事の収束に当たってくれた。

 少し時間が経ってから、目を赤くした智里先輩が改めてあいさつをする。
「君が美術部のさっちんちゃんだね!話は聞いてるよ!是非、応援弾幕手伝ってもらいたい!手伝ってください!」
 おかしいなぁ、さっき正蓮寺 彩希と自己紹介したはずなんだけど…まぁいいか。
 久瀬先生は気の抜ける声でだるそうに話した。
「いやぁよかったなぁ。美術部の子がいれば、後は俺いらんだろ。じゃ、そういうことで」
「も~だめですよ!せんせい!」
 実音は困ったような笑顔で先生を引き留める。
絶望的芸術センスの実音と、自分の感情のコントロールができない智里先輩と、めんどくさがり屋の教師じゃどんな弾幕ができるか想像もつかない、もちろん悪い意味で。ここは私がしっかりしなければ…。
「えっと、一応…どんな弾幕にしたいかっていうイメージとかありますか?」
 この三人にまともなセンスがあるとは到底思えないが、とりあえず聞いてみた。
「やっぱりさ~せっかく美術部のさっちんがいるんだし、かっこいいの作りたいよね~」
ほんわかとした声で意見する実音。
 しかし、さっきからわたしの事を過信しすぎではないだろうか。
「う~ん、具体的に言うと?」
「こう、男の子が華麗にシュートしてる躍動感溢れる感じとか~?」
 結構レベル高いのをわたしに要求してくるな実音は。
 すると、久瀬先生が実音に言った。
「あ~、やっぱ言葉じゃ伝わりづらいな。相坂、簡単でいいからイメージ描いてみてくれよ」
「よし~!まかせてください~!」
 すると、実音は余ってる勉強ノートに自信満々にペンをなめらかに滑らせる。嫌な予感しかしない。
「で~きた~!」
「どれどれ」
 ノートの第一ページ目に描かれた、実音の言う躍動感あふれるバスケのシュートの絵。
 ああ、思った通りだ…。
 智里先輩はドストレートに見たまんまの感想を放つ。

「ネギからボールが出てるね」

 智里先輩が何を言ってるのかさっぱりだと思うが、実音の描いた男の子がシュートする躍動感溢れる絵というものは、ネギからポンっと音でもなるかのようにボールが一直線に斜め上に飛んで行ってるシュールな絵にしか見えないのだ。
 久瀬先生は恐る恐る実音に尋ねる。
「一応聞くけど…このネギは?」
「ネギじゃないですっ!シュートする男の子です!」
シュートする男の子どころか、いや、男の子どころかもはや人間ではない事は確かだ。こんなものがテクテク歩いて、ご飯を食べて寝て生活してるわけがない。明らかに、地面に根を生やして地中の養分や水分を吸って生きているようにしか考えられない。
 智里先輩は申し訳なさそうに言う。
「実音ちゃん、悪いけど、私もねぎにしか見えない」
「そんな~!自信あったのに!」
絵が下手だという自覚がないのが実音の難点の一つだ。わたしはため息を吐いて、今度は智里先輩に話題を振る。
「えっと、智里先輩は何かこう…イメージとかないんですか?」
「よーし!まかせてー!」と、別に描けとも何も言ってないのに実音の勉強ノートに描き始める。言葉だけでも十分伝わるのに…しかし、性格はちょっとめんどくさいが、この三人の中では一番まともそうな感性をもってそうだ。
「できた!やっぱり私は、絵じゃなくて文字でがつんと応援のメッセージをね!」
「おお、いいじゃないですか!見せてください」何てことを言いつつも、内心は絵を描かないなら私が呼ばれた意味あるのかとツッコミを入れたくなったが、心のうちに留めておくことにした。
 わたしは前かがみになりながら、精一杯に背伸びをする智里先輩からノートを受け取る。
 ノートにはこう書かれていた。

 背が小さいからバスケできなくて、だからマネージャーやってるんです!だから、君たちわたしの代わりにがんばれ!必勝!目指せ150cm!

「………あの、なんですかこれ?」
「うわああああああああん!!分かってるんだって~!背が極端に低いからバスケ向いてないことくらい~!!」
 またもや急に泣き始める智里先輩だが、急にその涙をぴたっと止めて言った。
「という、私の思いを背負ってもらって頑張っていただこうと思って」
「…………」
「やっぱ長いかな?」
 長いとかそれ以前の問題が山ほどあるが、たくさんありすぎてつっこみきれなさそうだ。わたしは一言でまとめてこう言った。
「うん、だめですね」
「うわああああああああああああん!!分かってるんだって~!応援団幕にわたしの願い事綴ったって大きくはならないことくらい~!!」
「一応聞きますけど、バスケ部の応援団幕作ってるんですよね?智里先輩」
 そんなわたしの当然の問いに答えることも無く泣き続ける智里先輩を、実音は優しく慰める。そして久瀬先生は立ち上がって言った。
「よし、大体イメージは固まったな」
「は!?どのへんがですか!?」
 こいつ、絶対めんどくさくなっただけだろ。
「相坂にはバックの絵、芳崎には文字、そして色塗りは美術部である正蓮寺のセンスに任せよう」
 わたしのつっこみを無視し、役割分担を淡々と話していく。
 結局、一番肝心なところはやらせてもらえないのね。もうどうでもいいや、後で恥ずかしい思いするのはバスケ部の人たちだけだし。
「それじゃ、後は任せたわ。おれちょっと疲れたから一服してくる」
「先生何もしてないですよね?」
 またも私のつっこみを無視し、久瀬先生は体育館から出て行った。
 コーチがこんなんでバスケ部はちゃんと活動してるのだろうか?と、ふっとバスケ部の練習を眺め始める。
 コーチがこんなんでも、練習はどうやらまともにはやってるらしい。
 そんな爽やかな汗を流しながら放課後の練習に勤しむバスケ部員達の姿の中に、奏の姿があった。
「お、奏。やっぱバスケ上手なんだね」
 他の部員や先輩の中でも、バスケをあまり知らないわたしでも分かるくらい、奏の動きがなんとなく違う。俊敏で無駄の無い動きの中に、どこか余裕も感じられる。
「かなでは小学校の頃からバスケ一筋だからね~。先輩の中でもかなり期待されてるんだって~」
 そう自分の事のように嬉しそうな顔で話す実音。
「あれ?」
 そんな男子生徒の輝く青春の中に、一人だけ似つかわしくない女の子…いや、男の子が混じっている。
「遥君?なんで、バスケ部の練習に混じって…」
「あ、知らなかったっけ~?はるじいは奏と同じバスケ部なんだよ~?」
 わたしは驚いて目を見開く。
「はぁ!?あのもやし男が!?バスケ部!?」
 遥君は長い髪を後ろで結っている。その姿はもはや女の子だ。あんなのが男子バスケ部の練習についていけるわけがない。しかし、実音は得意げに言った。
「ふふふ、はるじいはね~。バスケになるとすごいんだよ?」
 …あの遥君が?奏のように俊敏に動けるとは到底思わないが…と、思いつつも遥君のバスケの練習風景を凝視するわたし。
「小路!速攻だ!」と、先輩の掛け声と共に、遥君に向かってボールが勢いよく投げられる。
「は、はい!」
 精一杯の返事をし、ボールを受け取る体制に入る遥君。
「うごっ」と、にぶい声をあげてお腹にボールが勢いよくめり込む。そのままお腹を抱えて動けなくなってしまった。
「なにやってんだよ小路!ドッチボールじゃねぇんだぞ!」
「す、すいません…!」
 先輩に叱られ、痛むを堪えながら立ち上がる遥君。その後、ドリブルをしてちょっと前に進むが、すぐにドリブルをやめて身動きが取れなくなってしまった。
「なにやってんだ小路!考えも無しにドリブル止めるな!」
「す、すいませ…あ!」
 そうこうしていうちに、遥君はボールを相手に取られてしまった。
 これは…お世辞にもバスケがうまいとは言えない。
「すごい…って、悪い意味?」
 わたしはそんな見てられない遥君のバスケの練習から、すごいって言葉の解釈を間違えたのかと実音に問う。
「いやいや~!遥君は、ほんとはバスケすごく上手なんだって~!」
「実音。さすがにあれは上手とは思えないよ」
 わたしは必死に弁明する実音に半笑いして言い、芳崎先輩も加えて言った。
「私ね。一年の時から小路君見てきてるけど、ずっとあんな感じだよ。まるで成長してないっていうか」
「ほら、智里先輩も言ってるんだし」
 そんな私達の言葉を受けて、悲しそうに遥君を見つめる実音。
 遥君を庇ってるのかな…。
 私はちょっと実音が心配になりながらも、弾幕作りの作業を再開した。

心の温度

 弾幕が完成したころには、辺りは真っ暗の夜七時だった。
 我ながら、ずいぶんとひどい弾幕を作ってしまったが、二人は満足そうだ。
 バスケ部の練習は終わってしまった為、広い体育館には私と実音と智里先輩の三人だけで、声がよく響く。
 智里先輩は笑顔で私達二人にお礼を言った。
「二人ともありがと!助かったよ!これで、バスケ部の応援団幕は決まり!」
 もう一度その弾幕を見る私だが、ずっと見てたら後悔の念が襲ってきそうなので目を逸らした。
「こちらこそ~。智里先輩。バスケ部の応援、絶対行きますよ~!」
 実音は両手拳を握りしめて言った。
「わたしも、暇だったら行きますね」
「二人ともありがとう!絶対インターハイ行かせるから!約束!」
 智里先輩はその小さな胸に拳を当てて、自信満々な顔で言う。
「それじゃ、私はこれからちっとばかし用事あるから二人ともまた今度ね」
「はい~!また今度です~!」
 小さな体で大きく手を振る智里先輩は、体育館を出た。
 ちょっとめんどくさい性格をしてるが、ほんとは面倒見もよく真面目な先輩なんだな。と、わたしは思った。
 智里先輩を見送り終わると、実音はくるっとこっちを向いて言った。
「あ~お腹すいたね~。第二体育館にかなでとはるじい待たせてるんだ~。今日は四人で帰ろうね~!」と、嬉しそうに微笑む実音。
「うん、そうだね」と、わたしも笑顔で返した。

 ダンダン!とバスケットボールのドリブルの音が聞こえる。
 奏とそして遥君が居残りの練習をしてるようだった。
 遥君が奏にバスケ教えてもらってるのかな?と、第二体育館の中に入るわたし。
 しかし、その体育館の中で見た光景はわたしの想像していたものと違っていた。
 遥君がドリブルしてる…あれ、なんか。

 速い。

 すごく速い。
 わたしの知ってるバスケのドリブルの倍近いスピードでボールをつき、遥君はボールも見ずに目の前にいる奏を見つめている。
 そして、さっきの練習の時には一切見ることのできなかった真剣で、かつ余裕のある表情をして遥君は言った。
「奏、行くよ」
 その言葉に呼応して、奏はにっと笑った。
 その瞬間、遥君はドリブルをして奏に向かっていく。奏君は大きく手を広げて遥君の進行を妨害しようとする。遥君は奏に近づくにつれて姿勢を低くし、ドリブルの速度を更に加速させる。
 そして、二人が接触するその時。
 遥君は体を大きく捻り、まるで、奏の体をすり抜けるように奏を抜く。
遥君はそのまま、ゴールにシュートを華麗に決める。確か、れいんあっぷ…レイアップシュートだったっけ?
「相変わらず、気持ち悪いドリブルの仕方するなー」と、奏は悔しそうに言う。
「気持ち悪いとか言わないでよ。ほら、次は奏の番だよ」
 遥は爽やかに笑って言い、奏のボールをパスする。
 おかしい、さっき第一体育館で見た遥君とはまるで別人だ。
 わたしは驚きで言葉を詰まらせていると、得意気に実音は言った。
「だから言ったでしょ~?はるじいはね、友達だけの前なら、バスケすごく上手なんだよ~」
「友達だけの前って…?」
「うん、私達の前限定って事だよ~。他の人が同じ空間にいると、はるじい緊張しちゃって…すごく下手くそになっちゃうんだよね~」
 なんだそれ。それじゃ、夕方のあのヘタレっぷりは…。
「無駄に緊張しすぎって事?」
「そういう事だね~」っと、困ったような笑顔で笑う実音。
 なんてことだ、本当は奏と並ぶほどのスーパールーキーなのに、他の部員にはただのバスケ下手くそにしか思われてないなんて。
「でも、ちょっとかっこよかったかも…」
「ん~?なに~?」
「いや!なんでもない!」
 わたしは不意にそう言ってしまった事に顔を赤くし、実音に否定した。わたし達が迎えに来たことに気づいた奏と遥君は、軽く手を振ってこっちに近寄ってきた。
「おう、終わったか?弾幕」
 その奏の質問にわたしは目を逸らすが、実音は自信満々に言った。
「終わったよ~!今年のは期待していいよ~!」
「まぁ、正蓮寺も手伝ったみたいだし、弾幕は大丈夫だろ」
「え…」
「えって…お前美術部だろ?」
 だからなんなんだ、その美術部だから大丈夫っていうのは。
「い、いやぁ、わ、私は色塗ったってだけだし…」
 なんとなく責任から逃れる言葉を発すると、遥君は優しい笑顔で言った。
「楽しみだね」
「…うん」
 バスケ部の試合、応援行くのやめようかな…。っていうか、なんでわたしがこんな責任を感じなきゃいけないんだろう。
 奏と遥君は一旦部室に戻るらしく、私たちは学校の玄関で待つことになった。

 少しすると、奏と遥君がやってきた。
 奏はジャージ姿だが、遥君はちゃんと制服に着替えてきている。
「かえろ~」と実音が笑顔で言い、私たちは校門を出た。

 学校のすぐ近くの繁華街を歩き始める。
「そういえば、四人で一緒に帰るとか初めてじゃね?」と、奏は話題を振るが「そういえばそうだね」と私は素っ気なく返す。
「じゃあ~初めての四人下校の記念~」と、iPhoneを空に掲げてパシャと撮影する実音。
「ちょ、いきなり撮らないでよ実音ちゃん!」
 なんとなく撮影されるのを嫌う遥君。
 その時、わたしはゲームセンターの中にあるプリクラに目が留まる。
「撮影ならさ、四人であれ撮ろうよ」
 私はそう提案すると、奏と実音は乗っかってきた。
「いいな!せっかく四人揃ってるし!」
「よ~し!行こう~!」
 なんの遠慮も無くゲームセンターに入っていく二人。
「ええ~!もう八時近いし、学生がゲームセンターなんかに入っちゃ…」と、真面目に否定する遥君。
「まったく、ほんとカッチカッチね。そんなんじゃ、彼女一生できないよ?」
 わたしはそう言って、笑顔で遥君の手を引っ張り、そのままプリクラの中に入っていった。
「うわ、まぶし!プリクラの中ってこうなってるんだ…」
「まさか遥君初めて!?はぁ…呆れた。今どきの高校生が」
 中ではすでに奏と実音が準備を始めている。
「で~きた!」
「よし!撮るぞ!」
「ええ!?もう!?」
 わたしは、状況の展開についていけない遥君の腕を掴み寄せた。
「え!?正蓮寺さん!?」
「一人だけ枠の中に納まってないから、もっとわたしに寄って!」
「え!?」
「も~!ウジウジしてイライラするな~!」と、わたしは強引に遥君を両手で引っ張った。
「わっわっ!」
「ほら、カメラを見て!撮るよ!」
 パシャ

「ぎゃははは!!遥の顔がプリクラ撮るときの顔じゃねぇ!」
 帰り道で、撮り終わったプリクラを歩きながら見て涙を流しながら下品に笑う奏。
「は、初めてだったんだよ!」
「てか、遥と正蓮寺近すぎね?彼氏と彼女みたいになってるな」
「「は!?」」
 わたし達は声を揃えて驚く、なんか…前にもこんな事あったような気がする。
「ほんとだ~さっちんがはるじいに抱きついてるように見えるね~」
「だきっ!?」
「だって!あの時、正蓮寺さんがもっと近寄って!って…」
「おおー、正蓮寺なかなか大胆だな」
 わたしは顔を真っ赤にして抗議する。
「違っ!遥君が枠内に納まってなかったから、引っ張って勢い余ったってだけで…!てか、遥君誤解を招くような言い方やめてくれる!?」
「ひぃぃ!ごめんなさい!」
 その私達の様子を見て更に笑う奏。
 しかし、実音はそのプリクラを見てちょっと切なそうな顔をする。
 わたしと遥君は不本意にもぴったりくっついてるが、奏と実音には適度に距離が空いている。
 …そっか。
「ん?実音どしたんだ?」
「…へ?」
 その実音の様子に気づいた奏が声をかける。
「ううん~なんでもない~」
 と、笑顔で返す実音。

 分かれ道に差し掛かった。
「あ、私達はこっちから帰るんだ~。ここでお別れだね」と、奏と実音は分かれ道の向こう側に立つ。
「そういえば、二人はお隣さん同士なんだっけ?」
「まぁな」
なんとなく照れくさそうに言う奏。
「それじゃ~またね~」と大きく手を振る実音と、無言で小さく手を振る奏。
「気を付けて帰るんだよー!」と親みたいな事を言う遥君。二人が見えなくなってから少し間が空いた。
「…遥君は、こっち?」
「うん、僕はまだこっち」
「そう、じゃあ行こうっか」
 素っ気なく会話を交わして歩き始めるわたし達。なんか遥君と帰るのってなんかきまずい。なんでだろう。
「あ、そういえばさ!バスケ!ホントは上手なの意外だったよ!」と、わたしは話題を振る。
「ううん、全然そんな事ないよ」
 遥君はちょっと悲しそうな笑顔で言った。
「僕、友達の前でしかちゃんとバスケできないんだ。それに加え、友達も少ないし…困ったものだよね」
「なんで、友達の前でしかうまくできないの?」
 緊張でうまくできなくなるとは聞いたが、本人に聞いてみた。
「…怖いから」
「怖い?なんで?」
 私はまた質問すると、遥君は心無しかちょっと険しい顔になり、わたしは、あ…まずいと思った。
「い、いやいいんだよっ!別に話したくない事ならさ!」
 わたしは目を遥君から逸らすと、丁度バスケットゴールのある公園に目が留まった。
「…ねぇ、遥君」
「なに?」
「私の前ならさ、ちゃんとバスケできる?」
「うん、できると思うよ」
「そっか。じゃあ、ちょっとやっていこうよ!遥君ボールあるでしょ?」
「あるけど…もう八時だし…」
「いいからいいから!」
 私は駆けだして、公園の中に入っていった。
 この時間にはさすがに誰も公園の中にはおらず、すごく開放的でテンションが上がる。
「ちょっと!正蓮寺さん!もう…」
 遥君は仕方なく、鞄からボールを出して公園の中に入っていった。
「わたし、体育以外でちゃんと体動かさないからさ~。たまにはこういうのもね!」
「そうなんだ。はいっ」と、いきなりボールをパスしてくる遥君。
「うわっと!!と!ちょっと!いきなりパスしないでよ!」
 わたしはかろうじてボールを落とさずに受け取る。
「あはは、ごめん~」
 いつもとは違う、いたずらっ子のように笑う遥君。その普段学校では見せない顔に、私は少しドキっとする。
「…うんと、ドリブルってこんな感じ?」
 わたしは、手のひらでボールをぎこちなくバウンドさせる。
「ううん、バスケのドリブルは手のひらで叩いてバウンドさせるんじゃないんだ。主に指先の力でバウンドさせるんだよ」
「指先?」
 わたしは言われた通り、指先だけでボールをバウンドさせようとするが、力が足りずにボールが弾み切らずに、私の足に当たった。
「いたっ!」
「あ、大丈夫?」
 コロコロとボールが遥君の下に行く。それを拾うと、遥君はやってみせてくれた。ダンダン!と、ほんとにほとんど指先だけでドリブルしてるのに、力強い。
「へぇ…すごいねー」
「これは基本だよ」
「ふん、わたし別にバスケやらないから基本とか知らなくていいし~」と、つんとした私の態度に「ふふふ、そっか」と笑う遥君。
 なんだか、出会ったころから、遥君の事を知っていくうちに、大分印象が変わった。最初は根暗で、コミュ症で、気の弱くて女々しい奴かと思ってたけど、今は優しくて、運動もできて、笑顔が可愛くて、料理もできて、勉強もできて、頑張り屋で…あれ?

いいところだけが、たくさん出てくる。

「正蓮寺さん?」
「はひっ!?」
 わたしは、遥君の声で我に返り、体をビクッとさせる。
「大丈夫?ぼーっとして」
「ああ、大丈夫大丈夫」
 遥君はボールを持って、笑顔で言った。
「続きやる?」
「やる!」

 それから、わたしは遥君と夢中で三十分くらいバスケをしていた。
 わたしは疲れて、ベンチに座りこむ。
「たはー!疲れたー!」
「これ飲む?」と、私にスポーツ飲料を渡してくれる。
「ありがとーもうヘトヘト~。遥君、部活帰りなのにすごいね~まだピンピンしてる」
「部活はこれの二十倍きついからね」
「なんだー!わたしと一緒じゃ練習にもならないっていうのかー!?」
「そんな事は言ってないよー。まぁ、練習にはならないけど」
「言ったなー!このー!」と、わたしは遥君に掴みかかる。「うわ、ごめんごめん!」と、嬉しそうに私の腕を掴んで阻止する遥君。
 なんだ、こんな奴と一緒にいても楽しいんじゃん。
 少ししてから、遥君はわたしの隣に座った。
 夜風を浴びて、運動後の爽やかな気持ちに浸りながら私はふと空を見上げる。
「今日は星がいっぱい見えるねー。明日は晴れかな」
「じゃあ明日の昼は四人で中庭のテラス席でご飯食べる?」
「いいね!賛成!」
 テラス席はいつも先輩たちが多く、一人や二人ではなんとなく遠慮してしまうが、四人ならきっと平気だ。
思えば、四人でご飯食べるようになり始めたのも1か月が経とうとしている。
 しばらくの心地の良い沈黙の後、私は気になっていた事を遥君に告げる。
「ねぇ、遥君ってさ。奏や実音と敬語抜きで話せるようになるのに一年かかったって聞いたけどさ」
「うん」
「わたしとは、一週間くらいで普通に話せるようになったじゃん?」
「あ…」
「なんで?」
 わたしの唐突な質問に遥君は、一瞬何かに気づいた表情をした後に少し考える。

「…似てるから」

「え?」
 あまりにぼそっとした声色だったので、わたしは良く聞こえず聞き返す。
「あ…ううん、正連寺さんがぐいぐい引っ張ってくれる感じで…男の子っぽかったからかも?」
 遥君の失礼な言葉に、わたしは軽く怒る。
「なに?今までわたし、女の子してなかった?」
「いやいや!なんか、いつも僕って怒られてばっかだったから…!その、男勝りなのかなって…」
 遥君は両手を横に振って否定しながらも、言葉では否定していない。
 まぁ、確かに、言われてみれば、今みたいなデリカシーの無い発言に怒ってきたことが多かったけど…。
「でもね、今日ちょっと一緒にいてみてさ、僕のいたずらに笑いながら怒ったり、バスケではしゃいだり、正蓮寺さんのそういう所が女の子らしくて可愛いなって思って」
「は!?」
 わたしは可愛いという言葉に顔を赤くする。
「可愛いって…」
 遥君はまた笑顔で言った。
「うん、可愛いと思うよ。きっと正連寺さんモテるでしょ?」
「ばかばかばか!なんでそんな事を本人の目の前で平気で言えるのよ!」
わたしは真っ赤になった顔を隠すために、遥君から目を逸らす。
 可愛いなんて言葉を平気で本人の目の前で恥ずかし気も無く口にできるなんて…やっぱ、こいつのデリカシーはどうかしてる。
 すると、不思議そうな顔で遥君はわたしに問いかける。
「もしかして…照れてる?」
「照れてない!こっち見るな!」
「照れてないなら見せてよー」
「やだ!」
 わたしは、必死に昨日洋画で見たグロイシーンを思い出して顔を青くしようとする。
 しかし、一度火照った顔の熱はなかなか下がらない。
「私だって…」
「ん?」
 顔の熱が下がらないまま、わたしは遥君に言う。
「遥君が思ったより、男の子してたって事にびっくりした!」
「え?」
 わたしは顔が赤いまま、遥君を見て言う。
「女々しくて、泣き虫で、料理上手だし、おまけに顔まで女の子みたいで!生まれてくる性別   間違ったんじゃないかって思うくらいな男の娘だと思ってたけど!」
「あはは…」と、遥君は苦笑いをする。
「でも!ほんとはバスケが上手で大好きで、そんな所が…その…」
「かっこ…よかったっていうか」
 わたしのその発言で、遥君は大きく目を見開く。
「かっこ…いい…始めて言われた」
 遥君は照れくさそうに笑った。
「うん、やっぱちょっと恥ずかしいね」
「でしょ?」と恥ずかしさを紛らわすようにケタケタ笑うわたし。
 すると、わたしの笑い声を遮るように

「でも」

 その言葉の力強さにわたしは笑いをピタリと止める。
 遥君は今日一番の笑顔で微笑みかける。

「ありがとう」

「あ…」
 わたしはその笑顔で言葉を失う。
 なんだか胸が痛い、すごく痛い。
 わたし、痛いくらい胸がドキドキしてるんだ…え、何で?何で?
「正蓮寺さん?大丈夫?さっきより顔が真っ赤だよ?」と、わたしの顔を覗き込む。
「ひっ!」と、わたしは声をあげて遥君と距離を取る。
「え!?正蓮寺さん?どうしたの?」
「あ…あ…」と、言葉が出てこない…なんで?なんで?どうしてどうして?
「わ、たし…」
 わたしは精一杯言葉をひねり出して言った。
「もう帰る!!」
 鞄を持ってわたしは走り出した。
「ええ!?正蓮寺さん!?」
 そんな驚いた声が聞こえるが、わたしはそんなのおかまいなしで走り出す。公園を飛び出し、星がいっぱいの住宅街を駆ける。
 なにこれ…!苦しい!こんなの知らない!
 あのまま遥君といたら!このままじゃ、もしかしたら…!
「わああああああああああああああああああああ!!」
 わたしは、走りながら首を横に振って叫んだ。
 違うんだよ…わたし。そんなんじゃない。きっと、そんなんじゃないから…。
 一向に下がらない心の温度に、わたしはそう言い聞かせ続けた。

傷と痛み

 私は、ちょっと、おかしい。
 昨日のあの後から、わたしはおかしくなってしまったようだ。
 なにかを考える度に、遥君の顔が思い浮かぶ。考えようとしないように振り払う度に、頭の中が遥君でいっぱいになる。
ーーかわいいよ。
 なんで、恥ずかしげも無くそんな言葉が言えるんだろう。
ーーありがとう。
 なんで、あんな混じりっ気の無い笑顔で笑うことができるんだろう。
 もっと、もっと知りたい。遥君と一緒にいた…。

 違う。

 わたしは男らしくて頼りがいのある男の子が好きだ。その証拠に、映画やドラマや漫画では、そんな登場人物に惹かれていた。
 もっと髪が短くて。
 もっと筋肉質で。
 もっと強くて。
 もっと私を守ってくれて。
 もっと優しくて。
 もっと料理ができて。
 もっと肌が白くて。
 もっとバスケが上手で。
 もっと泣き虫で。
 もっと笑顔がかわいい。
 そんな男の子が…わたしは…わたしは…
「だいっきらいだ!!」
 そんなわたしの突然の叫び声に、教室中が驚きでシーンと静まり返る。
「あ…」
 わたしは我に返る。そうだ、今は授業中だ。
「ふーん、そんなに俺の数学の授業が嫌いか。そーかそーか」
 キーンコーンカーンコーン。
 久瀬先生がそう呟き終わると同時に、四時限終了のチャイムが鳴る。
「お、やっと授業終わったか。それじゃ起立」と、教師の発言とは思えない台詞を呟き、生徒を立たせる。わたしも慌てて立ち上がる。
「礼」と学級委員長の掛け声と共に一斉に頭を下げる。
「はい、おつ」
久瀬先生の言葉と同時に教室は一気に騒がしくなる。
 しまった、さっきの授業まったく聞いてなかった。
 心の中で後悔するわたしに久瀬先生が近寄ってくる。
「どうした?」
「いや、別に…ちょっとボーっとしてただけです。すいません」と、わたしは無愛想に久瀬先生から目を逸らして言った。
「ずっと、めんどくさい事考えてる女の顔してたぞ?」
「…なんですか?めんどくさい事って」
 わたしは久瀬先生に目を合わせずに話を続ける。
「恋」
「は!?」
 わたしはものすごい勢いで、久瀬先生に顔を向けて叫ぶ。
「違います!恋なんかじゃ…!」
「ん、そうなのか?恋をしてる女ほどめんどくさい生き物はいないからな」
 久瀬先生は持っている教科書でわたしの頭を軽くたたく。
「いたっ」
「今のお前みたいにな」
 久瀬先生はそう言うと、わたしに背を向けた。
「昨日の金的のお返しだ。安いもんだろ?後、授業はちゃんと聞けよ」
「いつも適当に授業してる教師がよく言いますよ」
 わたしは憎まれ口で久瀬先生に抗議する。
「この台詞言っておかねぇと、後で怒られんのは俺なんだ」
 久瀬先生はそう言い残すと、教室を出て言った。

 恋?

 わたしの今の感情は恋とは違うのだ。恋っていうのはもっとこう…なんていうか…。
 あ、わたし…恋なんてした事なかったんだった。
 でも違うのだ。わたしのこの感情は恋じゃない。そうに決まってる。いいじゃないか、恋かどうかなんて決めるのは自分なんだ。他人に勝手に決められる事ではない。
 わたしはそんな正論を自分に言い聞かせ、不意にiPhoneを取り出す。今の現代人の癖なのか、とりあえずiPhoneを取り出してしまう。
 そんなiPhoneの画面のLINKアプリのマークの右上に赤く「1」と表示がされてある。
 そういえば昨日。あの後、明らかに様子のおかしかったわたしを心配して、遥君がメッセ―ジを飛ばしてくれたんだった。
 どうしたの?大丈夫?
 そんな他愛の無い普通の言葉だが、わたしにはその台詞を吐く遥君が鮮明に想像できてしまう。
 心配そうな瞳で、わたしの顔を覗き込むようにして…。
 わたしは、自分でもよくわかっていない事を他人に説明できるはずもなく、既読をつけずに放置したままだった。
 そういえば、今お昼休みだっけ?っと、ふと時計を見る。
 十二時半…紛れもなくお昼休み、昨日までならいつも通りB組に向かうのだが、ちょっと今日は行きづらい。
 だけど、今日はテラス席でご飯を食べようと奏と美音を誘うのだ。
 昨日の事は遥君になんて説明すればいいのか…と、考えながら、わたしはB組に向かう。
 結局、言い訳も思いつかないままわたしはB組のドアを開ける。
「ただいまー」
いつものように教室に入るわたし。
目の前の実音の机には、奏と…遥君。
 遥君と目が合って、なんとなく目を逸らすわたし。いつも通りを装わなければ。
「正蓮寺さん、こんにちは」
懇切丁寧にわたしをいつものように笑顔で歓迎する遥君。困るんだよなぁその笑顔。
「ほら、ここ座れよ」と、奏は椅子を用意してくれる。
「ありがと」と、わたしは椅子に座り、鞄を置く。
 そういえば、実音の姿が見えない。
「あれ?実音は?いつも最初から最後までいるのに」
 すると、奏は缶コーヒーを飲んで言った。
「ああ、実音は今日体調崩して休みだ」
「え?昨日の帰りあんなに元気だったじゃん?」
「実音はちょっと生まれつき体弱いからな。今まで何度か入院した経験もある」
 入院って…。
「え!?それって、今回のは大丈夫なの?」
「知らねぇけど、本人がちょっと熱あるくらいだから大丈夫とは言ってた。実音の母ちゃんが大事をとって病院行かせるんだってさ」
 なんだか、少し心配だ。
 今日は三人か…四人の中じゃムードメーカーの実音がいないのはちょっと寂しい。そういう事なら、今日のテラス席はまた後日にしよう。
 後で、LINEでメッセージでも飛ばしてあげよう。遥君は心配そうな顔で言った。
「奏、今日ずっと元気ないんだよ。ずっと心配してて」
「ばっか!当たり前だろ!と、友達として…」
 照れ隠しにコーヒーの缶をぐびっと飲もうとするが、どうやら空だったみたいだ。
「あ、そういえば、正蓮寺さんは昨日大丈夫だった?」
「え?」
 遥君のその唐突な質問に戸惑うわたし。
 まずい、なんて言い訳しよう…。
「え、えっと…昨日、わたし…」
「あんなになるくらいまでトイレ我慢しなくてよかったのに、あの公園トイレないからね」
「は?」
 すると、奏はにやにやしながら興味深そうに遥君にその事について質問した。
「ん?正蓮寺、高校生にもなって漏らしたのか?」
「ううん、多分漏らしてはないとは思うけど、昨日顔真っ赤になるまでトイレ我慢してて…」
「ちっがあああああああああああああう!!」
 わたしは、顔を真っ赤にして二人に叫んだ。
 クラスの視線がわたしに集まる。ちょっとその視線を気にして、声を抑え気味で言った。
「昨日突然帰ったのは、用事を思い出しただけ…!勝手に解釈しないで…!」
「ひぃぃ!ごめん!ごめんなさい!」
 まったく、こんなデリカシーの無いやつに恋なんてするわけないじゃん。
 わたしは自分の心の正体を再認識する。
 しばらくご飯を食べていると、奏は顔を深刻そうにして遥君に話しかけた。
「遥、見たか?高橋キャプテンの足」
「うん、見たよ」
 なんだ、部活の話か。と、わたしは特に気にせずにおにぎりにぱくつく。
「俺、昨日さ。休んだ方がいいって言ったんだけどよ。高校最後のバスケになるかもしれないのに、そんな事できないって言って聞かなくてさ」
「うん」
「分かってるよな?もし、高橋キャプテンが試合に出れなくなったり、試合の途中で足の限界がきてベンチに引っ込んだ時は」
「………」
「お前が出ることになるんだぞ?」
 遥君が試合に出る?でも、遥君は普通の人の前じゃまともにドリブルさえ…。
 その言葉を聞いたまま、遥君はお弁当を無言で食べ続ける。
「聞いてんのか?」
「聞いてるよ」
 遥君にしては珍しくぶっきらぼうに返事をする。こんな遥君初めて見た。
「幸い、高橋キャプテンはPG(ポイントガード)だ。遥、お前PG向きだもんな?」
「奏の前でだけね」
 その興味のなさそうな遥君の態度に、奏は少し声を大きくする。
「お前…!最後のバスケになる先輩だっているんだぞ!」
「………」
「遥!」
 遥君は、箸を止めて俯いたまま言った。
「…知らない」
 遥君?なにかおかしい?
 奏は机をダンっと叩く。
 わたしはその音で驚き体をびくつかせる。
「お前…!仮にもいままで一緒にバスケしてきた仲間だろ!」
 怒る奏君の前でも、一切動じない遥君。
「お前の中学の時の先輩は、お前にひどい事したのかもしれねぇけど。高校の先輩は、お前に何もしてねぇだろ!」
 中学の時の先輩…?遥君が人前でバスケできないのは理由があるの?
 その言葉を聞いた遥君は、顔をぐっとあげて叫んだ。
「でも!友達じゃないっ!」
「お前!!」
遥君のむなぐらを掴む奏。
ーーまずい!
「ちょっとやめてよ!奏!一旦落ち着いて!どうしちゃったの?遥君!らしくないよ!」
 わたしはそんな二人に割って入った。奏は「ちっ」と、遥君のむなぐらを乱暴に離す。遥君は、乱れた制服の襟を無言で直す。
「正蓮寺さんには、関係ないことです」
 敬語で冷たくわたしに言い放ち、食べかけのお弁当をそのままにして教室を出ようとする。
 関係無い。
 その言葉が、なんだか強く突き刺さる。
「遥!」と奏は呼び止めると、ぴたっと遥君は動きを止める。
「お前はそうじゃねぇかもしれねぇけど、俺はバスケ部の先輩が…好きだ。キャプテン不在のままでも1回戦勝てば、二回戦まで一週間くらい空きができる!そうすれば、キャプテンの足も、なんとかなるかもしれねぇ!」
 奏は声を震わせながら言った。
「なんとか、してくれないか…?」
 遥は拳を握りしめて言った。
「なんとかできるなら、そうしたよ…!」
 遥君は、教室を飛び出した。わたしは残された奏君にかける言葉が見つからない。
 だって、わたし何も知らないから…。
「ごめんな。またせっかくB組来てくれたのに」
「う、ううん!大丈夫!」と、わたしは元気な素振りをして、遥君のお弁当を鞄に片づけてあげた。
ほんと、実音が今日学校休んでよかった。
 奏はため息をついて、椅子に腰かけて言った。
「遥な。俺と実音が中三の頃に俺たちのクラスに来た転校生だったんだよ」
「え?ずっと一緒にいたってわけじゃないんだ?」
「まぁな…でも、実はその前から俺は遥の事知っててだな」
 奏はそう言うと、少し考えて黙り込む。
「…いや、この話はやめておく」
「え?なに?気になるよ」
「聞きたいなら本人から直接聞けよ。まぁ、俺も詳しく聞いたこと無いし、話してくれるとは思わないけどな」
 昔の事は親友の奏君にも話した事無いなんて。
「一緒の高校入ってから、一緒にバスケ部入ろうって俺が誘ったんだ。遥は快く一緒に入ってくれたよ。だけどな」
「遥は、もう人前でバスケができなくなってた」
 奏は悲しそうな瞳で言葉を続けた。
「前の中学の時、同じバスケ部の連中からいじめにあってたとは聞いていたけど。まさか、その心のダメージが癒えきってないとは、なんで自分が人目を避けてバスケをしてるのか…その時遥も初めて知ったみたいでよ。遥もかなり悩んだみたいで、このままバスケ部続けれるのかなってな。でも、その内慣れてくると思って、昨日今日までバスケ部続けてきたけどよ、未だに何の進歩も無くて」
 そんな事があったなんて。わたしは三人と仲良くなれて、それなりに三人の事を知ってきたつもりだったけど、まだ、なんにも知らなかったんだな。
少し寂しくなった。
「って、何でこんな事を正蓮寺に話してるんだろうな俺。あ、そっか、今日はいっつも話聞いてくれる実音いねぇんだもんな。悪いな、話聞いてくれて、ありがとな」
にっと笑う奏だが、ちょっと寂しそうだ。
「ううん、わたしも話聞けて良かった」
 わたしもにっと笑い返した。

 その日の帰り…午後六時くらいだろうか。
 昼間はあんなに晴れていたのに、今の空はどんよりと暗く、今にも降り出しそうな空模様だ。今日という今日も、傘は持ってきていない。
 早く帰らなければ。
 わたしは少し速足で下校していると、ふと、昨日遥君とバスケをしていた公園に目が留まる。
 そういえば、ここで昨日…と、思い出してはまた顔が赤くなる。
 わたしは、さっさと通り過ぎようさらに速足になる。
 ダンダン!とバスケのドリブルの音が聞こえる。わたしはその音で足を止めた。
 遥君が一人でバスケをしていた。かなり集中していて、わたしに気づいていないみたいだ。
 この時間なら、まだ誰かここを通ってもおかしくはない。もしかして、遥君は…。
「やっほ!」と、私は唐突に声をかける。
「いえあ!?」
 驚きで珍妙な声をあげて遥君はつまずいて転ぶ。
「あはは、その調子じゃまだ全然だめそうだね」
「正蓮寺さん…」
 鼻を抑えてわたしを涙目でみつめる遥君。
「今日部活は?」
「今日は活動はないよ。高校総体前の最後の休養なんだ」
「…その割には、休養って感じじゃないけど?」
わたしのその言葉で無言になる遥君。
「人前でバスケできるように、学校終わってからずっとここでバスケしてたんだね」
 遥君は、そんなわたしの言葉を無視するようにドリブルをし始めた。そんな遥君を、わたしは悲しそうな目で見つめる。
「…中学の頃、部員にいじめられてたんだって?」
 遥君は俯いたままドリブルをし続ける。わたしは気を使って少し笑いながら言った。
「ほ、ほら!いじめなんてさ!いじめるやつが百パーセント悪いんだよ?遥君がいつまでもひきずる事は…」
 その瞬間、遥君のドリブルが唐突に止まり、テーンテーンとボールが制御を失い適当な所に跳ねて行った。
「…さ…です」
遥君はこっちに背を向けたまま呟いた。
「え?」
「うるさいです…」
 予想もしない言葉と声色で、私はビクつき体が硬直する。
「いじめる人間が百パーセント悪い?何も知らないくせに、悪いのは…!悪いのは…!」
 何かを言いかけた後、遥君は振り払うように首を振った。
 初めて遥君が怖いと思った。遥君の背後から、ドス黒くて…何かわからないけど、とても嫌なものが見えた気がした。
 わたしは、昨日とはまた違った意味で、言葉が出なくなった。
 そうか、人の傷にいたずらに触れるって、こんなに怖いんだ。

…こんなに痛いんだ

「僕を励ましたいって気持ちはありがたいです。だけど、正蓮寺さんには…」

「関係ない事じゃないですか」

…そうだよね。
 わたし、なんとなく自分に他人を勇気づけられる力があると思ってた。
 でも、遥君の事、私は何も知らない。何も知らないくせに、知った風な口聞いちゃった。
 遥君と全く関係の無い私が…関係の無い…関係…無い…。

関係無いなんて言わないでよ…!

 視界がぼやける。公園の乾いた地面に、水滴が零れ落ちる。
ーーあれ?わたし、なんで泣いてるんだろう?
「正蓮寺さん…?」
 遥君はわたしの様子に気づいたのか、途端に心配そうに近寄ってくる。
 やめて、来ないで!見られたくない!
「違うの…わたし…」
わたしは遥君に背を向けて走り出そうとした。
「正蓮寺さん…!」
その時、わたしの右手が遥君に掴まれる。
「離してっ!!」
「正連寺さん…!ごめん…!僕はひどいことを…」
 違うよ、遥君は悪くないよ。
「もういい!遥君は悪くないのになんで謝るの!!」
 なんで、こんな言い方しちゃうんだろう。
「正連寺さん…」
その瞬間に、するっと力が抜けるように私の手が離される。
そのまま、背を向けたまま私は公園を飛び出した。

わたしのばか…ばか、ばかばかばかばかばかばかばかばかばかばかばか…!

 遥君に言われた言葉がこんなに悲しくて。
 遥君の事を何も知らない事が悔しくて。
 涙が止まらない。

 地面に水滴が落ちる。
 私の涙と一緒に、私の涙を誤魔化すように、空から雫がぽつぽつと。
 わたしは気持ちを誤魔化すように、ただ走った。
 走って、走って、走った。

 疲れてしゃがみ込んだ時には、雨は静かにも確かに強く降り注いでいた。

「…さっちん?」

 鈴を鳴らすような心地の良い声…聞き覚えのある声が聞こえる。
 その時、わたしを濡らす雨がぴたりと止んだ。
「実音…?」
「ど、どうしたの!?こんなところで!」
 明らかに様子のおかしいわたしに困惑しながら、実音は傘をさしながらこちらを覗き込む。
「か、風邪引くよっ!とにかく立って!」
実音に半ば強引に引っ張り上げられ、わたしは何とか立ち上がる。
「私の家、ここから近いから、お話はそこで聞くからっ」
 びしょびしょのわたしを何の遠慮も無く支える実音。
 どれだけ走ったのか分からないが、どうやら私は自分の家と逆方向に走ってしまっていたらしい。
 ぼーっとした意識のまま、わたしは実音の家に連れられる事になった。

下手くそ、バスケやめれば?

「あ、さっちん湯加減どうだった?私、熱いお風呂苦手だから、少しぬるかったかな~?」
「ううん、大丈夫だったよ。お風呂ありがとうね」
 美音はにこっと笑って、座ってる椅子をくるくると回転させる。
「でも、服なんだけど…ちょっときついかもしれない」
「え~?さっちんとわたしって、そんなに背の差あるかなぁ」
「いやあの、胸周りが…」
 美音は椅子の回転を止めて言った。
「それは我慢してっ!」
 わたしはあれから、美音に拾われて家まで連れてきてもらってしまった。
 思えば、美音の家に来るのはこれが初めてかもしれない。
 見渡すと、ポップな内装でいかにも美音らしい。
 大きなピアノが置いてあり、壁には賞状が何枚も額縁に飾ってある。
「美音、今日病院行くって事で学校休むって言ってたらしいけど、もう大丈夫なの?」
「う、うんっ!熱も下がったし大丈夫!」
 なんだか、何かを隠すように取り繕っているように見える。
 何で雨の日に、しかもよりによって体調崩して学校休んだ日に、外なんか出歩いてたんだろう?なんて疑問が生じたが、それを聞くのは野暮だと思い、やめた。
「それより、さっちんあんな所で傘もささずに座り込んでどうしたのさっ。話なら私聞くよ?」
美音は心配そうに眉をしかめて言った。
「あー、えっと」
 そうか、この流れは今日の事をさっちんに話さなくてはいけない流れなのか。
 わたしは少し迷ったが、ここまでしてもらって今更隠すわけにもいかず、事の顛末を話した。

「…そっか。そんなことに」
 わたしが話し終えると、予想通り実音は悲しい顔をする。
 実音にそんな顔されたくなかったが、話してしまった以上、これは仕方ない事だ。
「わたしが悪いんだよ。二人の問題なのに、わたしが不用意に立ち入って、傷つけて、勝手に傷ついて」
 思い出すと、またやるせない気持ちになってくる。
「わたし、ほんとバカだし、めんどくさいよね」
「そ、そんな事無い!はるじいも言い過ぎたと思ってるだろうし、さっちんの気持ちも分かってるだろうから」
 実音は優しく微笑んで言った。
「きっと、すぐ仲直りできるよっ」
「かな…だと良いんだけど」
 少しの沈黙の後、実音は少し考えて呟いた。
「はるじいが人前でバスケできるようになるには…かぁ。それって、バスケだけじゃなくて、はるじい自身が変わらなくちゃいけない問題だと思うな~」
「自身って、性格とか?」
「うん」
 性格を変える…そういう言葉に直すと、なんだかとてもデリケートな難題な気がする。
 そもそも、それは良い事なのかどうかも怪しい。
「実は、私もはるじいの事あんまりよく知らないんだ~」
「奏も、同じような事言ってたよ」
 遥君は、自分から他人に過去の事話した事無いんだ。
 それほど隠したい事なのかな…。
「あ、でもかなではね。中二の頃のバスケのちょっと大きな合同練習試合でね。はるじいと会ったことがあるんだよ」
 そういえば、そんな事を奏は言ってた気がする。
「やっぱり、その頃から遥君は人前では下手くそバスケだったんだ?」
「ううん」
 ううん?
「下手くそっていうかね、下手くそって言われたんだよ」
 言葉の意味が理解できず、わたしは首を捻る。
「その時のはるじいはかなでにこう言ったらしいんだ」

ーー下手くそ、バスケやめれば?

「…は?」
 わたしは、実音の言っている言葉に違和感しか感じなかった。
 だって、それはただの暴言だ。
 いや、正確には暴言を吐いている人間が信じられ無いのだ。
 あの泣き虫でひ弱でバカ優しい遥君ほど、暴言という言葉が似合わない人間はいないのではないだろうか?
「わ、私も未だに信じられ無いんだ~。でも、その練習試合でかなでははるじいに、コテンパンに負けて、捨て台詞ではるじいがかなでに言った言葉らしいんだよ~」
「そんな、ひどい…。でもなんで?」
「私も良くわからないんだけど、やっぱりかなでは、相当悔しかったらしくてね~。その日からすごく頑張って練習して今みたいに上手になったっていう感じかな~」
 なんだか頭がこんがらがってきた。
 違い過ぎる、まるで今の遥君と真逆では無いか。そんなの、全然想像できない。
「人違いとかじゃなくて?」
「私もそう思ったけど、どうやらかなで曰く本人らしいよ~。まぁ、その詳しい事は二人しか知らないんだろうけど」
もしその話が本当だとしたら、今の遥君は…?
「中3の頃に私達の学校に転校してきたんだけど、その時には既に今のはるじいっていうか…今よりも小心者って感じだったよ」
「奏は遥君の事覚えてたんだよね?」
「もちろんっ。だから毎日奏は、はるじいにバスケで勝負しろー!ってつっかかってたよ。はるじいは逃げてたけど」
遥君を追いかけまわしている奏は安易に想像できる。
「でも、その時なんか…はるじいは嫌がってるっていうか、奏を怖がってるって言った方が良いのかもしれないや」
怖い…か。
「なんか、こんな事話して良かったのかな?」
実音はちょっと話過ぎたかもと、頬を人差し指でかいている。
「わたしも…聞いてよかったのか分かんないや」
性格が変わる…それって良い事なのか悪い事なのか分からないけど、それくらい衝撃的な事が遥君の心に起こったという事だろう。
今日見た遥君の背中のどす黒い何か、抱えている闇。
それは、どうやらわたしが思っているよりも深く、暗いものなのかもしれない。

ーーやっぱり、わたしが軽く踏み込んでいい場所じゃなかったんだ。

ーーまた、誰かを泣かせてしまった。
 どしゃぶりの雨が降る公園のど真ん中で、僕はただただ茫然と立ち尽くした。
 僕の力になってくれようと必死だった正連寺さん。
 そんな人を僕は…。
 これじゃ結局僕は…!

 傷つけて、奪う。
 憎まれ、蔑まれ。
 逃げて、一人になる。

ーー最悪で、弱くて、卑怯者だね。

「おええ…!」
突如、強烈な吐き気が僕を襲う。

 思い出したくない思い出が蘇ってくる。
 いや、思い出す事は僕にできる事じゃない…!

「僕は…違う…!僕じゃない…!僕の記憶じゃない…!」

 消そうとすればするほど、消せないと主張してくる僕の…あいつの記憶。

 最低な俺の記憶。


101対44
 俺のチームの圧勝だった。
 一方的な試合運び。練習試合だというのに、練習になりゃしない。
 試合終了の整列。
 冷めた表情で対戦相手だった目の前の五人を見つめる。
「なんだあいつ」
 一人、顔をくしゃくしゃにして、とても悔しそうな表情をしてるやつがいた。
 試合で大した事をやってたわけでも無い。そんな奴が、人一倍悔しがってるのを見るのは、今の俺の興を更に冷めさせるには十分だった。
ーー気に入らないな。
 俺はそいつの隣を、顔も見ずに通り過ぎる。
 そして、去り際にこう言ってやった。

ーー下手くそ、バスケやめれば?

 そいつがどんな反応したのかも見ていない。
 きっと、もう会うことも無いのだから。

「遥!!相手の男の子に何て言ったの!?」
 試合終了後のミーティングが終了するやいなや、聞き慣れたやかましい声が俺の耳をつんざく。
「うるさいな。別に何も言ってないよ」
「相手の男の子、ショックで急に座り込んじゃったんだよ!?」
 こいつの名前は岸川 明乃。幼稚園の頃から一緒の幼馴染。
 何かにつけて口がうるさい。腐れ縁も、そろそろ腐りきってちぎれてしまえばいいのにと思うほどだ。
 俺はバッシュを脱ぎながら明乃の言葉を聞き流す。
「つまんない練習試合だったなー。来なきゃ良かった」
「あんたねぇ!」
「みんな下手くそなんだよ。なのに、負けた時は悔しそうな顔してさ、下手くそは負けるに決まってるのに」
「下手くそだって、負ければ悔しいに決まってるじゃん!」
「だから、それが面白くない」
「わけわかんない!」
俺はそんな明乃との口論にも飽き飽きし、力の有り余った体にスポーツドリンクを流し込む。

 マネージャーを務める明乃の勧めでなんとなく始めたバスケだが、何故だか自分でも驚くほど噛み合い、中学からバスケを始めたにも関わらず、今や俺の事を全中トッププレイヤーと呼ぶ者も少なくない。

「驕るのも大概にしてよ…ぶっちゃけ、遥の事あんま良く思ってない人も結構いるみたいだから」
「そんなのどうでもいいよ」
「いつか痛い目見ても知らないからね」
 俺はそんな明乃の戯言を無視して、スポーツバッグから弁当を取り出す。
「そんなことより今日のお昼さ。俺、弁当作ってきたんだよ。食べて」
「また?」
「うん、最近料理にハマってさ。もうバスケやめて調理部とかに入ろうかな」
 明乃はため息を吐いて言った。
「全中トップとか言われてるのに随分あっさりしてるね。でも、せめて先輩達の最後の試合終わるまではバスケ部はやめさせないから」
「俺がいないと勝てないからね」
 明乃はその言葉を聞くと、呆れた様子でため息を吐く。
「あーあ、その通りだし、おまけにお弁当もおいしいから腹立つ」
 そう言いながら、俺の弁当の春巻きを食べる明乃。
「当たり前だろ。ほら、もっと食べてよ」
 明乃の前にずいっと弁当を差し出す。
「そんな食べれない~!」

 数日経ったある日。
練習の終わりのミーティングの時間、三年生にとっては最後の大きな大会になるであろう試合のレギュラーが発表された。
俺の番号は6番。もちろんスタメンだ。
「先生!!俺は遥を試合に出すのに反対です!他の二年をいれるべきです!」
先輩の一人が生意気にも僕の出場に抗議する。
「先輩、僕がいなくて勝てるんですか?一回戦」
「か、勝てるっつーの!なぁ、みんな!?」
 しかし周りの反応は「うーん」と唸るばかりで実に乏しいものだった。
 それもそのはずだ。一回戦の対戦相手は去年の優勝チームなのだ。
 しかも、こちらとの対戦経験は無く、実力は未知数だが、かなり高水準な事に変わりはない。
 すると、キャプテンが僕と先輩の間に割って入る。
「まぁまぁ、ただ気に入らないとか言う理由では、先生もレギュラーからは外せないだろ?」
 穏やかな口調で先輩をなだめるキャプテン。
 すると、先生も口を開いた。
「そういうことだ、全員が力を合わせれば勝てない試合では無いはずだからな。当日は頼んだぞ」
 力を合わせる?俺の足を引っ張らないようにの間違いだろ。
 さっさと試合勝ってこんな部辞めよう。
俺はそんな事を考えながら、残りのミーティングも適当に聞き流した。

 やっとミーティングが終了し、俺はさっさと帰り支度を済ませて体育館を出ようとする。
「遥!」
 いつものように明乃が「一緒に帰る」と、俺を呼び止めたのかと思ったが、声の主はキャプテンだった。
「なんですか?」
 俺は半ば気怠そうに振り向く。
「俺は、お前の事信じてるからな」
 唐突にそんな言葉かけてくるキャプテン。
「そんな心配しなくても勝ちますよ。絶対」
「ああ、勝とうな!」
 キャプテンはご自慢の快活な笑顔を俺に向ける。
 全く、信じてるって言いながら、俺の事本当に信じているんだか。

「みんなで、絶対勝とうな!」

…絶対、ね。

 キャプテンの言う絶対は「勝とう」だ。
 俺の言う絶対は「勝つ」だ。
 それが俺とキャプテンの違いで、キャプテンの弱さだ。
 俺は適当に振り返らずに手を振って、体育館を後にした。

 そして、大会当日。
「遥、頑張ってね」
 明乃はそう言って、俺の背中を押し出す。
「頑張らなくても勝てる」
 俺はそう言い残してコートに出た。
 一番最後に列に入り、対戦相手と顔を合わせる。
 どいつもこいつも、必死そうな顔してる。

そんな事を思いながら試合が開始した。

「遥っ!」
 当然の如く、俺にパスが回ってきた。
 俺は、パスを受け取ったその勢いのままに目の前の相手を瞬時に抜く。
 そのまま華麗にシュートを決めた。
ーーまずは二点。
 この試合も、結局他と変わらずいつものように終わる。
「遥!」
 先輩が奪ったボールをボールさえ見ずに受け取る。

ーーまたつまらない奴の、くやしそうな顔見ることになるのか。

 俺は目の前の相手を抜こうと体を沈み込ませようとした時だった。
「くっうう!!」
 相手が辛くも僕の動きに付いて行き、進行が塞がれた。
「あれ?」
 僕はドリブルを加速させて、もう一度相手を抜こうとする。
 しかし、前に進めない。
 「遥っ!パスだ!」
 は?
次の瞬間、相手の手が俺のボールを捕らえて奪われてしまう。
「なにやってんだ遥!ちゃんと状況考えろ!」
どんな状況だよ。こんな状況いままで無かった。
「…本気、出さないとダメかな」
 気に入らない。ちょっと油断しただけだ。

 調子に乗るなよ。

 先輩がボールを奪う。そのボールを半ば強引に受け取りに行く。
「ちょっ!遥!無理すんな!」
俺は先輩から辛くもボールを受け取ると、そのまま超スピードゴールへ向かう。
「っ!」
 しかし、遥の行方に立ちふさがったのは二人。
 くそっ…一人の時であれだったら、これじゃ抜けない。
 パス…するしかないか。それで、また俺が受け取ればいい。
 俺は奥にいる先輩に突然にパスする。
「お、おいっ!」
 しかし、アポも予兆も無い早いパスに先輩は困惑し、ボールを取り損ねてライン外へと出てしまう。
 何やってんだよ…。
「あほか!もっとコンタクト取れ!」
 なんなんだよ、パス取れてないのは先輩だろう。
 今度は俺が自分で相手のボールを奪う。
 そして、ゴールに向かおうとするが二人がまた俺の行く手に立ちふさがる。
 先輩がパス取れないなら、強引にでも抜くしかない。
 俺は何度もフェイントを重ねて、体を沈み込ませた。
 しかし。
「ファウル!」
 俺の体が相手の体に強く当たってしまい、相手ボールとなってしまう。
 くそっ、なんなんだこれは。

 その後も何度も似たことが起き、前半が終了した。

 23体58

 俺らのチームが絶望的に負けている。
 パスも取れない足手まといのせいで、俺が負ける。
 俺はイラ立ちで乱暴にベンチに座ると、監督が俺に信じられ無い事を言った。
「遥、お前は後半戦に出なくて良い」
 は?
「な、なに言ってんですか監督。俺がいてこの体たらくなんですよ?俺抜きで勝てると思ってんですか!?」
「監督命令だ」
 血迷かったのか監督。
 いや、まさか…。
「俺の…俺のせいだって言いたいんですか!?」
「…」
 監督は俺の目も見ない。
 冗談じゃない。
「先輩たちが俺のパスも取れない下手くそだから、俺の足引っ張ってんじゃないですか!」
その瞬間、横にいた明乃が立ち上がる。
「遥っ!いい加減に…」
「いい加減にしろ!!」
 しかし、明乃の声を遮ってキャプテンが声を荒げた。
 怒らず、いつも笑っていたキャプテンが初めて声を荒げた。
「遥。俺さ、お前の事信じてるって言ったよな」
 なんだよ、そんな勝手な思い込みで全部俺のせいにすんのかよ。

「お前でも一人じゃどうにもなんない時、俺たちの事ちゃんと頼ってくれるって、俺は信じてた」

はぁ?何言ってんだよこいつは。
「でも、お前は最後まで結局変わんなかったな」
「パスはちゃんとした!でもそれを取れなかったのは先輩らだろうが!」
俺は敬語も忘れ、声を荒げた。
「あれはパスじゃねぇ!仲間の事も考えもしねぇで何がパスだ!ただボールぶん投げただけだ!」
合わせられないのはお前らの弱さだ。合わせられないなら勝てない。なら、勝てないのはお前らの弱さだろうが…!
 俺は、その言葉を咬み殺す様にぎりっと歯を食いしばる。
「これはお前の試合じゃねぇ!俺らの最後の試合だ!」
 キャプテンはそう言い終えると、静かにベンチに座った。
 そして、監督がまた静かに口を開いた。
「どっちにしろ、後半戦は遥は出さない方向でいく。いいな」
 もう好きにすればいい、どいつもこいつも。
「いいですよもう。キャプテンの言う通り俺らの最後の試合だーって言って、結果は負けたけど悔いは無いしがんばったからよかったー。ってすればいいじゃないですか」
「お前はもう喋るな、黙って見ていろ」
 そう監督は俺に向かって凄むが関係ない。
「下手くそは負けるに決まってる」
「黙って見ていろ!」
 俺は監督に怒鳴られ、さすがに黙る。
 結局、こいつらも負けたら悔しそうな顔するに決まってんだ。下手くそのくせに。
 試合終わったら笑ってやろう。
 中学最後の試合勝てなくて残念でしたねって、思いっきり笑ってやる。

 そして、俺はベンチに座ったまま始まった後半戦。


 ハッと気づけば、後半戦もまもなく終了になる。
 なのに、おかしい。

76対81

 あの絶望的点差がかなり縮んでいる。
ーーうそだ。
 目の前の光景が信じられ無い。
 前半戦よりも互角…いやそれ以上に点を取れている。
 おかしい、なんでだ。
 なんでなんだ、なんでだ、なんでなんだ!

 俺は正しい!お前らは間違ってる!
 間違ってるやつは弱いやつだ!
 弱い奴は負けるに決まってんだ!

 弱い奴が勝つなんて許されない!

 残り一分、点差は五点。

 大丈夫だ。この点差なら大丈夫だ。
 しかし、俺の気持ちとは裏腹に先輩たちが最後の抵抗をする。
 二点入ってしまった。しかし、後三点。
 二回ゴール決めないと勝てない。大丈夫だ。
 残り30秒。
 相手のボールが取られる、まずい。
 また二点入る。残り一点。
 残り10秒。
 早く終われ、終われ。

 負けろ、負けろ、負けろ!!

ビーーーーーー!!

その瞬間、試合終了のブザーが鳴る。

 やった、負けた。
 俺は不意に、顔がにやける。
 だから言っただろう、俺は正しい。
 思いっきり笑ってやろう。俺を出さずに負けたその悔しそうな顔を。
 でも惜しかったなぁ。
 残念だったねぇ。後少しでも時間があれば勝てたかもね。
 
 少しでも時間が…。

「あっ…」

 今までも、俺は自分が勝つことが全てだった。
 その過程も勝ち方もどうでも良かった。
 
 故に、勝ち負けばかりで一番大事な事を忘れてしまっていたのだ。

「ああ…」
前半戦、俺が出てなかったら勝っていた?


…俺のせいで負けた?


「遥…?」
 隣で明乃の声が聞こえた気がした。

ーー俺がいないと勝てないからね。

 認めたくないと頭が拒否しても、目の前の真実が俺の頭の中をぐちゃぐちゃにかき回す。

ーーそんな心配しなくても勝ちますよ。絶対。

 俺の今までの全てを否定される。

ーー頑張らなくても勝てる。

 勝てなかったんだ。

 先輩達がベンチに戻ってくる。
 一体、俺にどんな目を向けるのだろうか。

 悔しそうな目で俺を見るのか。
 怒りの目で俺を見るのか。
 それとも、俺がいないチームの方が強かったと、敗者を見る目で俺を見るのだろうか。

 ああ、それは俺がいつもやってきた事だ。
 ツケが回ってきたんだ。最低な自分へ。

 どんな気分になるのだろう。
 きっと、いい気分では無いんだろうな。

僕は目の前の分かり切った結末を見るように、先輩達の顔を見ようと頭をあげた。

先輩達は、肩を震わせている。

ーー笑っているのか?
 そうか、傲慢な俺を見返す事ができて笑ってるんだ。

 そうだ、笑えよ。
 お前らも同じだ。
 俺とやってる事は同じじゃないか。
 結局、みんなそうなんだ。
 みんな最低なんだ。

 きらっと光るものが、先輩達の顔から落ちた。

ーーえ。

 その時、キャプテンが膝から崩れ落ちた。
「…うっ…うう…」

 先輩達は顔をくしゃくしゃにして、涙を流している。

 その目には、俺の事なんて映ってやしなかった。

 俺は瞬きもせずに、その先輩達の泣き顔を見続けた。
 言葉が出せなかった。声も出なかった。
 俺はいつも誰かを貶す度に、無意味な事だと、そいつの事を見向きもしなかった。
 だけど、俺が見なかっただけで、こうやっていつも誰かが泣いていたんだ。

…俺のせいだ。俺が泣かせた。

 勝つことが当たり前になっていた俺は知らなかった。
 知ろうともしなかった。
 弱い奴がなんで悔しそうな顔をするのか。
 泣いてる姿を見て、初めて気づいた。

ーー勝ちたかったんだって。

俺は今にも消え入りそうな弱い声で、怖くて震える声で

「せん…ぱ…ご、ごめ…ごめんなさ…」

「すまなかった…!」
俺のあまりにも弱々しい声は、監督の声でかき消された。

「私のせいだ…!私がもっとお前たちの力を最初から信用していれば…!」

ああ…俺、もう。

ーーこの人たちの仲間でもなんでも無くなったんだ。

同じ悲しみも悔しさも共有できない、赤の他人。

涙を流していないのは、俺だけだった。

許せない

結局その日、俺は誰からも声を掛けられる事無く、その日の活動は終了した。
俺の事を気にかけてくれる人なんて、もう、ここにはいないんだ。
そんなおこがましい事を考えていた時だった。
「遥!」
聞き慣れた声…忘れかけていた声。
明乃の声だ。
そういえば、こうやって帰る時はいつも声を掛けられていたんだっけ。
「一緒に帰る!」
僕は立ち止まって言った。
「いい、今日は、いい」
そう言い残して、また歩き出す。
しかし、明乃はそんな俺の背中をぽんっと軽くたたく。
「何言ってんのー!いつもの事でしょ!」
そう笑顔で俺に微笑みかける。
どうして、明乃はこんなに普通に接する事ができるんだ。
こんな最低で、傲慢な奴を…なんで。
「もしかして、自分の事、最低な奴だって思ってる?」
「…え?」
「ふふっ、その顔。本当に思ってるんだね」
そう言っていたずらに笑う。
「何がおもしろい?」
僕は表情を変えずに真顔で問い正す。
「いや、今更だなーって思ってさ」
「何…」
「遥が最低な奴だって事、わたしは昔から知ってるし、今更だなーって」
俺は予想外の答えに目を丸くする。
振り返ると、たくさんの人を傷つけてきた。
でも、一番傷つけたのは一番近くにいた明乃だ。
「…なんで、俺なんかと一緒にいれるの?」
不意にそんな質問が俺の口から出ていた。
「…遥は最低だけど、私は、そんな遥の良い所もたくさん知ってるから」
明乃は指折り順番に数えて言う。

ーー頭がいい所とか。
ーー料理が上手な所とか。
ーーまめな所とか。
ーー綺麗好きな所とか。
ーー恩はちゃんと返す所とか。
ーーわたしの誕生日ちゃんと覚えてくれてる所とか。
ーーたまに見せる笑顔が可愛い所とか

俺はあっけに取られ言葉を失う。

「でも、勘違いしないでよ?遥のやった事は確かに最低。私は遥の味方じゃない」
そして、明乃は優しく微笑んで言った。

「だけど、一人にはさせないから」

なんだ、こんな気持ち。
胸の奥から湧き上がって、瞳から流れ出てくる。
「遥…?もしかして、泣いてる?」
もう、自分の色んな事に諦めてしまった。
「バカだな…」
「え…?」
「明乃はバカだよ」
俺は涙で濡れた顔を隠す事もせずに言った。
「ごめん…なさい」
ずっと言わなければならない言葉だった。
明乃だけじゃない、俺が傷つけたたくさんの人に。
「バカはどっちだよ…」
俺の体を温かい何かが包み込む。
明乃は優しく、バカみたいに涙を流す俺を抱き寄せた。

次の日。
俺は目の前の机を見つめて佇んでいた。
木工用のボンドが塗りたくってあり、丁寧に椅子にまで塗ってある。

俺の席だった。

「ちょっと…なにこれ」
明乃は俺の席を見て言葉を失う。
俺はふと、周りのクラスメイトのひそひそ話に耳を傾ける。
「おい、あいつ三年の最後の試合めちゃくちゃにしたらしいぞ」
「知ってる知ってる。三年の先輩達泣いてて可哀想だったよね」
「ていうか、俺あいつ前から気に食わなかったんだよ」
「そうだよ。いつも上から目線で感じ悪かったしな」
「ああなったのも自業自得だろ」

自業自得…。
そうだ、これは自業自得なんだ。
それだけ俺は最低なやつだったんだ。
「誰!?遥の机こんなにした人は!」
俺はクラスメイトに向かって怒鳴る明乃の肩を掴んで止める。
「遥…?」
俺は、何のためらいも無く。乾いたボンドでカピカピの机に座った。
「な、なにしてるの!?」
明乃は驚き、目を見開く。
「いいんだよ。これは、俺の自業自得なんだ」
俺はそれだけ言うと、何事も無かったかのように鞄から物を取り出す。
「自業自得って…!これは紛れもないいじめなんだよ!」
「分かってるよそのくらい」
「だったら…!」
「だったら何?」
俺は目の前のカピカピに乾いたボンドを剥がしながら言った。
「いじめの原因を作ったのは俺だから」
「…!」
「だから、俺はいじめには何も抵抗しない」
そんな事を言う俺を、見たことも無いような悲しそうな瞳で俺を見つめる明乃。

ーーごめんね明乃。

俺は、いじめられて当たり前の人間なんだ。
そうでもしないと、自分を許せなくて。

その後も俺へのいじめは続いた。
スティックのりの蓋を捨てられたり、トイレで用を足してる最中に横から蹴られたり、濡れた汚い雑巾を机の中に入れられたり。

俺は、昔から何でもやればそこそここなせる人間だった。
自分は強い人間だと思っていた。
でも、こうなれば本当に無力だ。
俺は、紛れも無い弱い人間だったんだ。

放課後、俺は退部届けをバスケの顧問に提出した。
顧問の教師は、俺の顔を一切見ずに、来るのが分かっていたかのように、淡々と退部届けに印を押した。
そして、職員室を出ようとした時だった。
「最後に先輩達に謝ってこい」
そう一言だけ言われた。
正論だ。当たり前の事だ。
だけど、先輩達の顔を見るのが凄く怖かった。
いじめを受けて、償った気でいたのかもしれない。
でも、ちゃんと本人に謝罪の言葉を届けない事には、俺は自分を許せる事はきっと無いのだろう。

重い足取りで、体育館に向かう。
きっと先輩達は、後輩の為に自主的に最後の練習の参加をしてるはずだ。
ダンダン…と、ドリブルの音が近づいてくる。
俺は体育館の扉を開けた。
「おい、遥だぞ」
「まじかよ、本当に来やがった」
後輩や同級生の声が聞こえる。
そして、急に静まり返る体育館内。

ーー謝らなくちゃ。

それだけを考えていた。
隅の方で、明乃は心配そうに俺を見ている。

俺はキャプテンの前で立ち止まる。

ーー言わなくちゃ、謝らなくちゃ。

「キャプテン…本当に、申し訳ありませんでした」

俺は、絞り出すような声色でそう言った。
静まり返った体育館には、そんな俺の声でも良く響いた。
どんな言葉でも覚悟している。
どんな罵声でも覚悟している。
どんな事だって…。
「よし!全員揃ったな!」

え…。

「遥も来た事だし!俺らとの最後の練習試合始めるか!」
キャプテンはそう言った。
すると、他の部員も「おー!」っと、いつものように掛け声を出す。
何が何だかさっぱりだ。
キャプテンは俺の肩を優しくポンと叩く。
「おせーぞ遥!お前の事を待ってたんだよ!」
え…。
「よく来たな!」
そういつものように笑うキャプテン。
「何で…」
何で、いつものように笑えるんだ。
俺は先輩達の試合をめちゃくちゃにして、泣かせた最低な奴なのに。
「よし、最後だし。俺ら三年と遥の最強構成でやるぞ!お前らはちゃんと相談して最強構成決めて来いよ!手加減しねぇからな!」
そう先輩は言うと「おい、まじかよ!」「勝てるわけねぇよ!」などと、部員はどよめく。

ああ、何でもっと早く気付かなかったんだ。

俺は一人なんかじゃなかった。
部員達は、俺の事をまだ仲間だと思ってくれていた。
そんなみんなを俺は…。

俺は本当に最低な奴だ。

部員達は現状の最強構成が決まったらしく、俺を抜いた選りすぐりの部員5人が集まった。
「やっぱりお前らか!ははは!」
キャプテンは快活な笑い声をあげる。
いつも部員の事を見ていたキャプテンだ。これくらい手に取るように分かっていたのだろう。
俺もつられて笑顔になる。

そして、試合が開始した。
まずは部員達のボールで始まった。
反撃の隙も無く、あっさりと点を決められてしまった。
「速攻力はあるよなお前らは。でも、どこまで持つかな!」
キャプテンはゴール下でボールを構える。

ーーああ、バスケ部。やっぱり辞めなきゃ良かったな。



「遥!!逃げて!!」



え?




その瞬間、腹に衝撃が走る。
その衝撃は凄まじく、声も出なかった。

俺はその場に倒れこみ、ボールが転がり落ちる。

「おい遥。どうした、パスも取れねぇのか?」

あれ…。

「パスも取れないとか、ヘタクソ過ぎんだろ」

キャプテンはさっきまでの笑顔が嘘のように消え、まるで汚い物でも見るような目で俺を見ていた。
腹の痛みでうずくまる俺を笑う部員達。
夢なのか…それともこれまでが夢だったのか。

わけが分からなくなっていた。

「ほら立てよ。まだ試合始まったばっかだぞ」
一つだけ、分かった事があった。

ーー許して貰える訳が無かったんだ。

俺はよろめきながら、目の前にあるボールを手に取った。
とにかく、はやくこの試合を終わらせないと。
俺はドリブルをしようと、ボールをつこうとした時だった。

「…!?」

周りの人間が見てる。
俺の事を笑ってる。
何をしても、ダメにされそうな気がする。

怖くて、怖くて、怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて。

「あ…」

ボールが足に当たり、ボールが転がる。
俺は急いでボールを拾って、またドリブルをするがまた足に当たってボールが転がる。

ドリブルが、できない。

「おい、どうした遥。本当にヘタクソになっちまったのか?」
その様子を見てみんなはゲラゲラと笑う。
どうして!どうして!
「おら!貸せよ!」
先輩が俺を無理矢理転ばせてボールを奪う。

その後の事は良く覚えてなかった。
試合の勝ち負けも覚えていない。
試合が終わった後は、逃げるように体育館を出ていったらしく、俺は人気の少ない体育館の裏で座り込んでいた。
もう何も感じない。
感じるのは、大量のアザと痛みだけだった。

「遥!!」
明乃は救急箱を持って俺のところに飛んできた。
「明乃…」
明乃は涙で顔をくしゃくしゃにしながら、俺の怪我の手当する。
「違うよ…こんなの違うよ。こんなの、ただ悲しいだけだよ!」
俺のアザだらけの腕に涙が落ちる。
「いじめられる原因があっても、いじめて良い理由なんて無い!」
明乃にそんな顔をして欲しくなかった。
泣かないで欲しかった。
泣かせたのは誰だ。

俺だ。

「ごめん、俺のせいだよ」
「もういい!!もう、いいから…!」

許せない。

好きでよかった。

好きでよかった。

  • 小説
  • 中編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2017-12-09

Copyrighted
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  1. 雨と弱虫のち赤色
  2. 友達三号
  3. だって美術部だから
  4. 心の温度
  5. 傷と痛み
  6. 下手くそ、バスケやめれば?
  7. 許せない