*星空文庫

君を好きだと言えない理由3

nanamame 作

君を好きだと言えない理由3
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JJカップルメインの「君を好きだと~」シリーズ3つ目、ではありますが、今回のメインはヨンジェくんです。多分、これだけでも読めるはず(?)。
あと、これまで書くことができなかった設定をいろいろと明かしています。

1

そろそろ寝ようと思っていたら、玄関のチャイムが鳴った。こんな夜遅くに誰だろうと不審に思いつつも、すぐにある人物を思い描いて、ジニョンはちょっと期待して、インターフォンを覗いた。
そこには期待通りの人物がいた。ジェボムはコンビニの袋を下げて、「開けてくれ~」と言っている。

家に招き入れると、彼は袋から夕飯と思しきお弁当とビールとつまみを取り出して、残りをジニョンに押し付けた。中身はお菓子やパンである。お前の分だ、ということだろう。とは言え、もう寝ようとしていた時分なので、明日の朝いただくことにする。

「悪いな、夜遅くに。仕事終わって帰ろうとしたら、ヨンジェの奴、友達が来ているから帰ってくるな、だと。あいつ、どうせまた、そこら辺の男か女を引っ掛けて連れ込んだんだぜ、きっと。まったく」

仕事終わりで疲れている所に「帰ってくるな」と言われれば、それは愚痴を言いつつどか食いもしたくなるだろう。
ジニョンはふと疑問に思う。「また」ということは、ヨンジェはよくそこら辺の人を引っ掛けて家に連れ込んで遊ぶような子なのだろうか。明るく人懐っこいのでモテそうだし、人あしらいも上手いので、後腐れなく遊ぶことにも長けていそうである。

「またって、ヨンジェってそんな、その、遊ぶ方なの? そうは見えないけどな。アルバイトもやって、大学にも通って、ヒョンの世話もして、しっかりしていると思うけどな」

「ヒョンの世話って何だよ」

ジニョンは自分の失言にちょっと笑って、キッチンに立つ。ジェボムが飲んでいるのを見て、自分ももう少し付き合おうと思ったのだ。寝る前にビールを飲むなんて、ジェボムと会うようになってからついた悪癖である。楽しいことだ。

「あいつ相当遊んでるぜ。人畜無害な面してる上、気楽な末っ子だからな。ああいうのにみんな油断して、結局食われるんだよ。ジニョン、笑ってないで、お前も気をつけろよ」

「ええ? 何ですか、それ。普通、恋人に対して“弟に気をつけろ”とか言います?」

ジニョンは笑ってビールを飲む。彼は気付いていないが、ヨンジェがジニョンも狙っていることをジェボムは把握していた。事あるごとに、ジニョンの家に行きたいとか、家に連れてこいとか言うのを、ジェボムは阻止しているのである。ジニョンがヨンジェのことを弟にしか思っていないの幸いだ。

「ヨンジェって医学部に通っているんでしょう? 遊んでいると言っても、そう無茶なことはしていないと思いますよ。もう少し、弟を信用してあげたら?」

「別に信用していない訳じゃないさ」

そう言ってジェボムはビールを飲み干した。



シャワーを浴びて、借りたパジャマを着る。歯磨きをしながら、携帯をチェックして、明日の予定も再び頭に入れる。ジニョンはもうベッドだ。いつもなら、もう少しテレビを見ながら夜更かしするが、テレビも電気も全部消して、ジニョンが寝ているベッドに潜り込む。彼はいつでも清潔で、きれいな匂いしかしない。今日は何だか甘い匂いがする、と思ったら、この前ジェボムがあげたキャンドルの香りだと気付く。
案外ロマンチックなんですね、とか笑って受け取ったジニョンの姿を思い出すと、もう二度とプレゼントなんてやるか、と思ったが、使ってくれているのを知ると、今度は違う香りも付けてみたいと思った。
自分が選んだ香りを恋人が纏っているのは、気分が良いものだ。

寝ているジニョンにキスをした。彼は目を閉じていただけで、すぐにキスに応えてくる。寝たふりをして、その実、これを期待していたのだと分かる。だけど、決して直接口には出さない。
そうした控え目なところが好きだ。これも、決して口にはしない。

服を脱いで、ジニョンの服も脱がす。下着もさっさと取り去って、お互いの中心をそれぞれシゴく。
上がっていく息遣いの中で、ジェボムは囁いた。

「なあ、今日はお前がネコやれよ。俺が抱いてやる」

「嫌です。ヒョンの中に入りたい」

ジニョンは笑いながら、はっきりと言う。こういうことははっきりと言うようになった。なってしまった。言うことと言わないことの線引がよく分からない。
ジニョンの足の付根辺りに跨ったままのジェボム。ジニョンはジェボムの腰を引き寄せて、後ろに手を伸ばす。ビクリと身体が震える。

「…お前なぁ…」

次は絶対俺が突っ込んでやる、と思ったのも束の間、ジェボムはジニョンの上で喘ぐことになって、そんな覚悟は吹き飛んだ。


 ***


窓から降り注ぐ朝日、テレビから流れる朝のニュース、キッチンでカチャカチャと何かを作っている音。最初は微かだったものたちが、次第にはっきりと感じる。ヨンジェはまだ開こうとしない瞼をこすりながら一緒に暮らす兄に聞いた。

「ふわぁ~。ねぇ~ヒョン~、今何時~?」

「8時55分です」

返事をしたのは一緒に暮らす兄ではなかった。違う男の声、一瞬誰だっけと昨夜の記憶を呼び覚まし、ユギョムを泊めたのだとすぐに思い出したのはいいものの、ユギョムの答えにヨンジェは飛び起きた。

「ああ! 寝過ごした! ヤー、ユギョム! 8時に起こせって言っただろ!」

「起こしたけど、起きなかったのはヨンジェヒョンですよ。講義は良いですか? って聞いたのに、別にいい、って答えたのもヒョンです」

ヨンジェはそんなやり取り覚えていない。9時から始まる必修講義に出るために8時に起こせとユギョムに頼んだ。必修はさっさと単位を取っておくに限るが、講義が殺人的につまらないため、寝るかサボるかしかせずに、去年落としてしまったのだ。だから、今年は我慢して、なんとしても出席だけはしておきたいと思っている。
そんな事情を知っているくせに、8時に「起きないから」という理由で起こさないとは何事だ。寝ぼけている人間とのやり取りなど真に受けるべきではない。

「んなこと知るか! 9時から講義があること知ってるくせに、起こせよな!」

ヨンジェはキッチンで朝食を作ってくれているユギョムの尻を蹴り上げた。

「痛っ! ちょっと、火を使っている時にやめてくださいよ。それから、何か着てください…」

ヨンジェは薄っぺらなTシャツ1枚しか着ていなかった。下着もない。ユギョムは顔を赤らめて、再び調理に取り掛かる。
昨晩さんざん人の身体を味わっておいて、今更恥ずかしがる理由が分からない。ユギョムはそう言う所がある。彼と関係を持つのは初めてのことではない。ジェボムが予想したように、そこら辺の男ではなく、少なくとも同じ大学の後輩というしっかりと正体を把握している相手である。

「寒い」

暖房が効いているからと言って、秋から冬に移る時節にTシャツ1枚は寒い。講義はすでに諦めている。今日欠席で即落ちる訳ではない。出席日数を稼ぎたいだけだ。一応、同じ講義に出るはずの女友達に出席代行依頼のメッセージを送っておくが、彼女も欠席しているか、それ無理、と断られるのが関の山だろう。
くしゃみをして、鼻をすする。
ヨンジェは「朝ごはん出来ましたよ」というユギョムの言葉を無視して、洗濯物と着替えを持ってバスルームに入った。


 ***


「…寝過ごした…」

奇しくもヨンジェが叫んだのと同じ頃、ジニョンもベッドの上で呟いていた。社会人になって数年、寝坊で遅刻なんて失態を犯したことはない。それもこれも、昨夜急にジェボムがやって来て、こっちが頼んでもいないのに、騎乗位という新しい体勢を教えてくれたせいだろう。ジェボムの喘ぐ様子や、彼の男としての重みや印もよく見えて、いつもより興奮してしまったような気がする。
ジェボムもすでに起きているが、途方に暮れるジニョンを見てニヤニヤと面白そうだ。

「会社に電話しろよ。寝坊しましたー、遅刻しますーって」

「学生じゃないんですから、そんなの許される訳ないでしょ。ああ、どうしよう…」

「悪かったなぁー。入れる前に止めとけばよかったなぁー」

「ぐっ…」

そんな所で止められる訳がない。全く悪いと思っていない言い草に少しイラッとするが、翌日のことを忘れて目覚まし時計でいつも通り起きられなくなるほど彼の身体を散々貪ったのは自分であり、彼に起こしてくれと頼んだ訳でもなく、すべては自分自身の不徳の致すところの結果である。
とりあえず、会社に電話しないといけない。ジニョンは深くため息をついて、潔く諦めることにした。

「ジェボムヒョンは、今日の仕事は?」

「ん? 俺は午後からダンスレッスンの助手と、夜はB-BOYのステージ。B-BOY専用の劇場がホンデにあるんだよ。先生から声かけてもらってさ、久しぶりにそこで踊るんだ」

嬉しそうに今日の予定を語るジェボムを見て、ジニョンは少し羨ましく思った。好きなことを仕事にする、ということが、とても偉いことのように感じられる。そうとも限らないのだけど。
ジニョンはシャワーを浴びて、さっぱりとした後、心を決めて、会社に電話をかけた。

『はい、GT商社』

電話に出たのは、幸いにもと言うのか、ジニョンの直接の上司であり新しい業務の指導もしてくれているマークだった。さっぱりと話が通じる人だ。

「あ、おはようございます。パク・ジニョンです。あの、ごめんなさい」

『え? あははっ! 何速攻で謝ってるの? まぁ、その調子じゃ、特に深刻なものでもなさそうだね。朝、よりによって君が来ないから、倒れたんじゃないかとか、事故にあったんじゃないかとか、ジャクソンが大騒ぎして、いろいろ噂が広まるところだったよ』

「はぁ、すみません。ちょっと風邪気味のようで、朝起きられなかったんです。病院に寄って、午後から出社しようと思います」

昨夜コンビニで買ってきたパンを食べていたジェボムは、思わず口をポカンと開けた。どこが風邪気味だと言うのだ。興奮しすぎて夜更かしして、寝坊しただけじゃないか。

『風邪なら、病院に行って、会社なんか来ないで寝ときなよ。酷くない内にしっかり治した方がいいよ』

「うーん、えっと…、休んでも、いいんですか? 途中の書類が…」 悩むふりをして、最大限に控え目な言い方をする。

『まぁ、大丈夫だよ。仕事が立て込んでいる訳でもないし。途中のは明日でも明後日でも間に合うから。それに君、今までほとんど欠勤もないし、有給も全然使ってないでしょ? たまには平日にも休まなきゃ』

「ああ、マークヒョン、本当にありがとうございます。では申し訳ないですが、お言葉に甘えて、休ませていただきます」

ジェボムはジニョンの知らない一面を見た気がした。下手に出ながら嘘をついて、休みをもぎ取りやがった。そんなことも出来たのか、パク・ジニョン。

「あ、ジャクソンさんにはくれぐれも大した事はないと言っておいてください。病院も行くので、心配はいらないと」

上司は外国人なのか? マークとかジャクソンとか、部署が変わったとは聞いていたが、どんな仕事なのだろう。会社勤めというものがどれだけ大変で立派なことか、ジニョンを見ていたら分かる。好きなことばっかり追いかけている自分を、両親が責めてくるのも分かる気がする。

『了解。それじゃ、お大事に』

「はい、ありがとうございます。連絡が遅くなってしまって、すみませんでした。失礼します」

ジニョンは通話を切って、ほっと息をついた。午前の半休だけでも良かったのだが、マークなら言ってくれるかもしれないと思っていた1日の休みを読み通りもらうことに成功した。嘘をついてズル休みなんて、いつぶりだろうか。なぜだか楽しくなって笑ってしまった。

「お前、病院行くのかよ」 呆れたジェボムが言った。

「漢方薬のお店くらいは行ってもいいですかね。滋養強壮効果のあるやつ、買いましょうか」 言ってくれるぜ、とジェボムはますます呆れた。

「何でそんなに楽しそうなんだよ」

「ズル休みなんて、とっても久しぶりです。若返った感じがします」

「しねーよ」

2人は今まであまり詳しく話してこなかったお互いの仕事のことを、ゆっくりと話しをしながら朝ごはんを食べた。

2

ヨンジェはユギョムと2人で大学に行った。ヨンジェは医学部、ユギョムは芸術学部なので、実は学舎が建っている場所は全然違う。それでも出会ったのは、兄のジェボムのおかげというか、せいだった。

ユギョムの専攻は舞踊で、大学に通いながら、様々な場所でダンスのフリーライブをしたり、レッスンを受けたりしている。ジェボムとユギョムが顔見知りになり、ユギョムの大学名を知って弟と一緒だということになり、ヨンジェとユギョムが兄の職場(劇場)で出会って、仲良くなった。
同じ大学ではあったが、お互い、医学部や芸術学部は縁がない場所だと思っていたので、仲良くなったのは意外だった。だが、ヨンジェにとってもっと意外だったのは、ユギョムに、知り合ってから1ヶ月で「好きだ」と告白されたことだ。
ヨンジェは大学に入ってすぐ兵役に就いたが、ユギョムはまだ行っていないので、彼の方が1歳下だが、学年は彼の方が1つ上だった。そんな頃に出会って、告白までされて、肉体関係になるまでに半年ほどかかったのは、ひとえにユギョムが戸惑って踏み切れなかったためである。経験がない、というのは理由にはならない。好きだと言ってきたのはそっちだろう、とヨンジェとしてはもどかしいことこの上なかった。ユギョムが留年して、ヨンジェが進級し、同学年になって、わざわざ会うのも面倒だな、と思うようになり、そう言ったら、やっと決心した。

言わば、セフレというやつである。ユギョムはそれで納得している訳ではないし、好きな人にとって自分が、何人かいるセフレの内の1人という立場は快いものではないが、それを嫌だと言ったり、ヨンジェを束縛したりすると、たちまち関係を解消されて、もう会ってくれなくなるから、我慢をしているのである。

大学の側の食堂で昼食を食べる。学生がよく来るので、安くて美味くて量が多い。

「ヨンジェヒョン、午後からの講義は何ですか? 何時頃に終わります?」

「今日は実験もあるから、何時に終わると言うのは無いよ。多分、夜までかかるかな。あと来年から、臨床実習が始まるから、その勉強もしなきゃ。アルバイト減らすしかないかな~。でもあの店好きだから、あんまり離れたくないなぁ」

「いつも思うんですけど、ヨンジェヒョンっていつ勉強しているんですか?」

いつもバイトと遊びに時間を使っているような印象があるのに、彼は医学部において順調に進級を続けて、成績も悪くないらしい。ジェボムのステージもよく見に来ていて、そこで会うことも多いし、その後、誰かと会ってホテルに行くこともある。

「大学にいる間」

ダンスとバイトに時間を使って、大学のことは二の次三の次で、試験のようなものがあまりない芸術学部においても留年してしまうユギョムとは根本的に頭の回路が違うのかもしれない。

ユギョムはヨンジェのことが好きで、恋人になりたいと思っている。それと同時に、ジェボムの暮らし方、姿勢にも憧れを持っている。先輩ダンサーとして尊敬しているし、いろいろ教えてくれるし、彼のように、ダンスで身を立てたいと思っているので、見習いたいところが多い。大学で学べることもそれなりにあるし、大卒という肩書は悪くない。だが、若い今のうちにしかできない事、大学ではない、ステージの上でしか知ることのできない事ある。それがダンスなのだと、ユギョムは思っている。
講義をサボっていたせいで留年する度に、両親から苦言を呈される。希望した学部に進むことを許したのだから、せめて留年するなと。そして、在学中に軍隊へ行けとも事あるごとに言われる。それが年々苦痛になって、中退も考えている。友達には真面目過ぎると言われるけれど、自分ではよく分からない。みんなは舞踊のこと、ダンスのことを適当にしか思っておらず、それを専攻していても、それを仕事にしようと思っている人は少ないのだろう。本気でダンスで身を立てようとしているユギョムは、そうではない人たちから見たら、危なかっしい、不安定な存在に見えるのだ。
両親が心配して言ってくれていることは分かるが、軍隊へ行って、卒業して、就職してほしいという願いは、重荷である。それが真っ当でごく普通であると分かるだけに。

アイドルの練習生を止めなければ良かったかな、と時々思う。だが、デビューする機会を2度も失えば、3回目が来ないだろうことも、来たとしても怖いというのが正直なところで、大学と練習室以外で踊ることもジェボムと出会って知ることになったので、5年間続けた練習性を辞めた。

「いつまで食べてるんだ? 僕、もう行くよ」

「え? ああ、ごめん! すぐ食べます」

考え事をしていたせいで、ヨンジェはすっかり食べ終わり、ユギョムのおかずだけが残っていた。急いでそれをかき入れ、今日も割り勘にする。ヨンジェ曰く、「お前に奢る理由はない」らしい。別に構わない。一緒にいられるなら。

「今日の夜、ジェボムヒョンが久しぶりにB-BOYの劇場で踊るんですよ。あそこ、小さいけど、お客さんとの一体感みたいなのがあって、踊っていても反応がすごくて楽しいんですよ。俺もまたあそこで踊ってみたいなぁ。一緒に見に行きましょうよ」

「実験が終わっていたらね」

「何の実験ですか?」

「マウスを使った薬物実験。臓器や血液にどれほど薬物の影響が現れるのかを、解剖して、切り取って、検査する」

「う、うわぁー。うわぁーん!」

臓器とか解剖とか言うキーワードにユギョムはいちいち大げさに反応するので、適当にそれらしい嘘を言っただけである。
耳を塞いで、泣きそうになっているユギョムを見て、ヨンジェは遠慮なく笑った。
かわいいな、と思うことも多い。自分にはない純粋さや素朴さ、夢に向かうまっすぐな姿勢も素直にすごいなと思う時がある。だから、関係が長く続けば続くほど、それなりの感情も湧いてくる。

セックスは遊びの1つだが、ちょっと悪い相手に引っかかると、こっちがいろんな意味で怪我をすることになる。今はもうそんな失敗をすることはないが、子供の頃はいろいろと痛い目にあって、兄に心配や迷惑をかけた(しつこい相手を追い払ってもらったり、ケンカで助けてもらったりした)こともある。そろそろ学業に本腰を入れていかなければならない時期だ。医師の卵として、本格的な実習が始まる。アルバイトをしているイタリアンのお店「ロッソ」も、兄の職場も、医学生が絶対に会うことのないような人たちと出会えるから、面白いし、楽しい。将来、心療内科医か精神科医になりたいヨンジェとしては、その面白さや、様々な人間と出会える場所を離れるのが嫌だ。だからと言って、実習を疎かにすることはできない。

ちょうど、転機になる頃なのだろう。兄にも恋人が出来て、仕事も収入も安定するようになってきた。自分も本格的に実習をこなすため、バイトや遊びを一旦リセットする時期なのかもしれない。

「じゃあね、ユギョム」

大学の敷地に入った所で、2人の行き先は別れる。ヨンジェは医学部のある方へ、ユギョムは芸術学部のある方へ、学内と言っても、一番離れている。

「実験が終わったら、連絡ください。俺も連絡しますから! 忘れないでくださいね!」

ちょっとだけ振り向いて、返事の代わりにする。たったそれだけの反応に、大きく笑って手を振るユギョムの姿が脳裏に残る。

兄が大学に行かなかったから、ヨンジェはその分も勉強できる環境にいる。自分の過ちで自分が傷付いたことで、人を癒やす仕事がしたいと、医学の道に進むことを決めた。ジェボムの進路に失望した両親は、ヨンジェの進路を褒めちぎり、兄の方を半ば勘当のような処遇にした。

本当は、違うのに。兄の行動のおかげで、今のヨンジェがあるのに。兄のおかげで、ヨンジェは失敗を恐れるようになり、慎重になったおかげで、また笑えるようになったと言うのに。人を導く、癒やす、という意味を最初に見せてくれたのは、兄のジェボムだ。

医者になるために重要な時期だからと言って、ユギョムに「もう会わないようにしよう」と言えば、彼は傷付いてしまうかもしれない。かと言って、だらだら関係を続けても、これ以上は何もない。それはきっと、ユギョムのためにならない。彼がどんな道に進むとしても。

「ああ、寒いなぁ」

ヨンジェは上着のポケットに手を入れて、校舎へ急いだ。

3

「思ったより、早く終わりそうね」

実験のことだ。クラスの仲は良く、チームワークも上々で、みんなで手分けして行ったことで、他のクラスよりも早く終わりそうだ。調べなければならない数値が多いせいで、とにかくややこしい。だけど、「早く終わりそう」と言った彼女は数字に強く、容量もいい。おまけに器量も良いので、男子学生の憧れである。そんな彼女とヨンジェがセフレの関係にあることは、多分誰も知らない。
彼女を中心に輪ができて、終わったら食事に行こうとみんなが口々に言う中、ヨンジェは1人黙って、数値の入力を続けていた。そういう輪から外れていることが多い。嫌いな訳ではなく、ただとにかくマイペースな人間だと認識されているので、特に構われることもない。
高校までと違って、大学の医学部ともなると、みんな合理的でドライな考え方をする方だ。中には情熱溢れるやつもいるが、ヨンジェはそういう面倒なのには近づかない。

ユギョムから電話が来たが、無視する。少しして、メッセージが来た。

《実験は終わりましたか? 順調ですか? 1号館の食堂で待っています。あと30分くらいでステージ始まりますよ》

1号館は校門に一番近い校舎だ。読んだ後すぐに携帯をしまう。そして入力を続ける。

「ねぇ、ヨンジェはどうする? 終わったら、みんなで飲みに行こうって言うんだけど」

彼女が隣に座って、ヨンジェに言った。輪はもう解けて、みんな実験の最後の詰めをしくじらないよう集中している。

「ううん、僕はいいよ。疲れたから、帰る」

「あら、午後からの実験だけで疲れたの? 風邪でも引いた?」

「違うよ」

昨日、男と寝たせいで疲れているとは言わない。彼女にしても、自分がただのセフレで、ヨンジェには他にもそういう相手がいると知っている(初めに言ってある)が、詮索はしてこない。それは偏に彼女のプライドのせいだろう。両親も医者のお嬢さま育ちだ。いつも自分が優位であるべきだと考えていて、自分の方が夢中になっていることを気付かれたくないのだ。
だけど、何となく分かるのは、彼女に誰それが振られたとか、合コンに参加しなくなったとか、そんな話を聞いて、そして、彼女とベッドを共にすると、自分だけのものにしたいという感情だ。それは、ユギョムにもあることで、彼のことを負担に思うようになったのと同じく、彼女とも、そろそろ終わらせようと言う気持ちになってきている。

彼女はヨンジェが入力している画面を見る振りをして身体をすり寄せてきて、すぐ側で囁いた。

「じゃあ、2人で飲みに行かない? ホテル、奢るわよ」

ヨンジェは考える振りをするように、彼女の目を見つめた。だけど、答えは最初から決まっていた。

「ごめん、終わったら帰るよ。やっぱり、君の言うとおり、風邪を引いたみたいだ」

「あらそう、残念。じゃあ、また今度ね」

さっさと立ち上がり、元いた機械の前に立つ。隣にいたチームメイトに言う。

「ヨンジェは帰るって。風邪みたい。わたしたちも気を付けないとね」

「なんだ、ヨンジェ、風邪引いたのか? ウィルスを医学部に持ってくるなよ。元々売るほどあるんだからなー」

男子学生の言葉に、辺りが笑いに包まれる。ヨンジェも彼らの方を見て、一緒に笑う。医学部は元より、同じ学内の薬学部にも、ウィルスや菌などは、それこそ売れるほどたくさん保管してあるから、それを踏まえた冗談であるが、風邪が嘘であることを知っている本人にとっては、面白くもない冗談だった。

人を癒やすために医者になる勉強をしているのに、嘘ばかりだ。ヨンジェの機嫌はあまり良くなかった。


 ***


実験が全て終わった時、辺りはもう夜で、ジェボムのステージもとっくに始まっている時間で、当然、ユギョムはもう食堂で待ってなどいないだろうとヨンジェは思っていた。メッセージをもらってから1時間以上経っている。そもそも、こんな時間、食堂は閉まっている。大学の門はまだ開いているが、学内の多くの施設や校舎はもう閉じている時間だった。

ユギョムは当然もう、ジェボムのステージを見るために大学を出ているだろうと思っていた。彼が兄を尊敬し憧れを抱いていることは知っている。2人が時々、自分には分からない話をしているのを見て、本当に時々、嫉妬めく時があるけれど、それは、自分がユギョムを所有物のように感じているからではないかと思って、自己嫌悪する。
好きだと言われたことがあるからって、そんな気持ちは簡単に変わってしまう。ユギョムは今も自分の側にいようと努力しているからって、そんな気持ちがいつ消えてしまうか分からないのだ。否、とっくに消えてしまっていて、だけど優しい彼のことだから、自分のためにそばに居てくれるだけかもしれない。
今日はどうも、センチメンタリズムに浸る日のようだ。別れを切り出すきっかけなんて考えていたせいだろうか。

ユギョムから電話がかかってきた。出ようか迷って、結局出なかった。実験中と同じように、すぐにメッセージが来る。

《どこにいます? 迎えに行きます》

校門を目の前にして、ヨンジェは立ち止まり、返事を送る。

《もう家に着いた。迎えなんていらないよ》

寒いなぁ、と思って、手袋をまだしていない両手に温かい息を吹きかけて、ポケットにしまう。半分閉まった校門を通り過ぎる。
下を向いて歩いていたから、気付かなかった。

「家に着いた、なんて、嘘ばっかり」

ユギョムの声が聞こえて、ヨンジェはびっくりして顔を上げた。横を見ると、校門に寄り掛かったユギョムが笑っていた。

「お疲れさまです。実験、無事に終わりましたか? ちょっと遅れちゃったけど、まだ間に合うから、一緒に行きましょう」

「は? 何で、いるの? え、行くってどこに?」

随分と間抜けた返事だった、と後から思う。

「どこってホンデのB-BOY劇場ですよ。ジェボムヒョンが今ステージで踊っている。何でいるの、って言われたら、そりゃあ、終わるのを待っていたんですよ」

ユギョムが携帯で時間を確認して、少し慌てる。

「あ、しまった! ジェボムヒョンの出番もう終わっているかもしれない! ヨンジェヒョン、行きましょう。早く!」

そうして差し出された手を、思わず繋いでしまった。ユギョムは笑顔で、ヨンジェの手を繋いで、大通りまで引っ張っていく。バス停の近くでタクシーを掴まえて、劇場まで急ぐ。電車やバスを乗り継いでも、そんなに時間はかからない場所なのに、タクシーなんて大げさだ、と思う。兄のステージなど、今まで何度も見てきた。B-BOYは久しぶりだと言っても、別に初めてでもあるいまいし、そんなに特別な舞台だとも思っていない。

なのに、どうして、ユギョムは最初の約束を守り通そうとするのだろう。
破ってもいいんだ。嘘をついて、避けたっていいんだ。どうせ、世界には嘘しか無い。本当のことは少ないのに、どうして君には、本当のことしかないのだろう。

4

予め兄からもらっていたチケットで、劇場に入る。ほぼ満席で、ステージではちょうど兄が踊っているところだった。
躍動感溢れるダンスやステップ、そして満面の笑顔と真剣な表情を目の当たりにして、やっぱり兄にはダンスが似合うとヨンジェは自然に微笑んでいた。
女性客が多い中、端っこの方に、見慣れた人物を見つけた。どこか座れる場所を見回しているユギョムを手招きして、その人物、ジニョンの方へ近付く。
ちょんちょんと肩を突くと、彼は驚いて振り返り、ヨンジェを確認して、にっこりと笑った。

端っこだったので席にも余裕があり、ジニョンの隣を譲ってもらう。ヨンジェの隣にはもちろんユギョムが座る。

「ジニョンヒョンも来ていたんですね。もしかして、兄さんのステージ、初めてですか?」

「うん、そう。すごいね、あんな動きが出来るなんてさ。生で見て、びっくりしているところだよ」

素直過ぎるくらいに兄を褒められたので、ヨンジェもにっこりと笑う。

「そう言えば、ヨンジェとお店以外で会うのも初めてだね。アルバイトの帰り? それとも、大学の帰り?」

言われて初めてそうかもしれない、と思った。いつもジニョンの方がアルバイト先のお店に来てくれるから、そこで話をしていてい、外で会うことがなかった。スーツではない、ラフな普段着という感じのジニョンは新鮮かもしれない。兄は未だに、ヨンジェがジニョンの家を尋ねることを許してくれない。それは当たりかもしれない。普段着のジニョンは、スーツの時よりも、もっと付け込みやすそうな気がする。

「大学の帰りです。ややこしい実験があって、始まる時間には間に合わなかったけれど、こうしてジニョンヒョンと一緒に兄さんのステージを見られて良かったです」

それはヨンジェの本心だった。ジニョンにも兄のステージを見てもらいたいと思っていたから、自分のバイトのない時に、偶然にしても一緒に見ることができてよかった。そう思えば、強引にも連れてきてくれたユギョムに感謝だ。彼がいなかったら、まっすぐ家に帰ろうとしていたのだから。

「ヨンジェヒョン、誰ですか、その方」 ユギョムが興味津々を隠しもせずに聞いてくる。

「ジェボム兄さんの恋人」 ヨンジェの答えにユギョムは目を見張る。

「やだなぁ、止めてよ、そんな紹介の仕方」

ジニョンは照れているが満更でもなさそうだ。どことなく、嬉しそうなのは気のせいではないはずだ。
ヨンジェの方も、一緒に来た隣の子は誰かと聞かれたので、「大学の後輩」だと答える。短すぎる紹介に、ユギョムの方は不満そうだが、特に文句はない。それよりも憧れのジェボムヒョンの恋人の登場に驚いている。

ジェボムの出番が終わって、別のダンサーが出て来る。惜しみなく拍手を送った後、少し落ち着いた曲調の中で、ジニョンに対してユギョムが自己紹介をした。もちろん、控え目な声で。

「はじめまして、ヨンジェヒョンの1年後輩のキム・ユギョムと言います。よろしくお願いします」

「パク・ジニョンです。よろしく」

ユギョムがジニョンの方に差し出した手を、ヨンジェはばしっと叩いて退けた。ジニョンに近付こうなんて、100年早い。

「お前がジニョンヒョンとよろしくする必要なんてないんだよ。邪魔しないでよね」

「ええ~? 俺がいつ何を邪魔したんですか。言いがかりですよ」

ジニョンは2人のやり取りに口元を抑えた。肩を震わせて、笑いをこらえているようだ。何かそんなに面白いことがあっただろうかと聞いてみる。

「い、いや、ヨンジェとはいつもお店で会っていたから、後輩と一緒のところは初めてなんだけど、後輩には強気なんだな、と思ってね。いつもの卒のない感じと違ったから、ちょっと珍しくて…」

そう言って、ジニョンはまた笑った。意外な答えに今度はヨンジェが目を見張る。ユギョムはジニョンの答えが気に入ったのか、うんうんと頷いている。なんだその反応、とちょっと面白くない。

話をしている間に曲調がガラッと変わる。ジニョンにはよく分からないが、ヒップホップのような音楽とダンスが始まって、DJも出てくる。そのDJの登場に、会場全体から歓声が上がり、ジニョンは思わず耳を塞ぐ。ジェボムの時も大きな歓声があってジニョンは嬉しくなったものだが、ここまでではなかった。

「今日のハイライトですよ」

ヨンジェがジニョンの耳元で叫ぶ。今回のステージの主催者でメインダンサーの登場である。おまけにDJは有名人だ。ジニョンもヨンジェの耳元で返す。

「すごい人気なんだね」

ヨンジェはうんうんと頷いてからステージを見る。ジニョンも視線をステージの上に戻す。しばらくして、最後の挨拶があり、ターンが変わる。再びジェボムが登場して、すでにステージにいたダンサーたちと一緒に踊り始める。
決して大きくないステージで、たとえ中央でメインとしてではなくても、端の方でスポットライトから外れていても、ジニョンの目はジェボムに惹きつけられる。いつも見ている姿とは全く違う、感動すら覚えるかっこよさだ。体験したことのない大音量で、耳は痛いくらいだけど、来て見て感じて、本当によかったと感動している。

ヨンジェやユギョムのように、見よう見まねで腕を上げてみる。ジニョンは上手くはしゃぐことが出来なかったけれど、その場の誰よりも満足していた。


 ***


ほとんどのお客さんが出て行った後、ヨンジェが顔見知りのスタッフに挨拶をして、裏方に入れてもらう。ヨンジェはよく知っているように、通路を進んで、開けっ放しのドアの1つを覗いた。

「あ、兄さん、いた~。お疲れさま! みなさんもお疲れさまでした~! すっごくかっこよかったです!」

見ないで帰ろうとしていたことは、ヨンジェ自身はすっかり忘れているが、ユギョムは覚えていたのでちょっと笑う。

「おお、チェヨン、久しぶりだな。ユギョムも来ていたのか。ありがとうな、来てくれて」

「わ~アッパ! 久しぶりです~!」

ユギョムがアッパ(父さん)と呼んだ人に駆け寄り、ハグをした。ハイライトでメインで踊っていた人だ。スポーツ選手のように体格が良くて、中央でよく目立っていた。ダンスが分からないジニョンでも、かっこいいと思ったほどだ。なるほど、ステージから降りたオフの時は、お父さんのような雰囲気がある。慕われているのだろう。

「あ、ジェボムヒョン、お疲れさまでした。とってもかっこよかったです。やっとステージを見ることが出来て、すっごく楽しかったです」

「ん、そうか? 楽しかったなら、良かったよ。見たかったら、また言えよ。チケットやるから」

ジェボムは上半身裸で汗を拭きながら、ジニョンの顔を見ないで話をする。ジニョンもまだステージ用の化粧をしているジェボムを正視できない。
余所余所しいような感じなのに、親しい話をしている2人のことをアッパと呼ばれるチームリーダーがヨンジェに聞いた。

「チェヨン、あの人は? ジェボムの友達か?」

「あの人はジェボム兄さんの彼氏、ジニョンさんです」

「えっ!」

初対面の人にそんな風に紹介されてしまって、ジニョンは慌てるが、誰も変な顔をしないし、聞き返さないし、自然に「おお、そうか」などと納得されてしまった。
拍子抜けとはこういうことを言うのだろうか。納得しちゃうのか、と違う方に慌ててしまう。

「気にすんな。そう言うもんだ」

汗を拭いて着替えを終えたジェボムが言った。何が「そう言うもの」なのかはよく分からないが、とにかくそう言うものらしい。
ジェボムは洗面台で化粧を落とし始める。そこには先客がいて、彼と一緒に笑顔で話をしながらクレンジングを始める。

「ジニョンヒョン、お菓子食べましょ。これ食べていいんですよ」

ヨンジェに誘われて、壁際のソファに座る。そこには、今日一番の歓声を受けていたDJの男性がいた。眠そうな目で黙々とお菓子を食べている。私服なのか衣装なのか、すっぴんなのか化粧をしているのか、顔立ちもスタイルも整いすぎていて、よく分からない。どこかで見たことがあるような気もするが、それも分からない。
今日は自分がいろいろと知らないことや未知のものに出会うことが出来た日だと、ジニョンは思った。新しい場所にも来た。大きな感動も貰った。サボった甲斐があったというものだろう。

「ヨンジェは、なんでチェヨンって呼ばれているの?」

ジニョンはヨンジェと一緒にお菓子を食べながら、何気なく聞いてみた。チェヨンのチェとは何だろう。女の子の名前のようだ。

「僕の名前がチェ・ヨンジェだからですよ。アッパのチームの中にユ・ヨンジェさんがいるので、ヨンジェが2人いる時は、僕はチェヨンで、あっちのヨンジェヒョンはユヨンです。ヨンジェヒョンは兄さんの友達だから、一緒になることが多いんです」

ジェボムと一緒に洗面台にいる男性が、タオルで顔を拭きながらと手を上げる。その人がユ・ヨンジェさんのようだ。いや、それよりも気になることがある。

「君の姓、チェなの?」

ジェボムの姓はイムである。弟なのだから、当然同じだと思っていた。

「そうですよ? あ、ジニョンヒョンはまだ知らなかったですか? 僕と兄さんは、父親が違うんです」

「そ、そう…」

知らないことが多い。身近な、よく知っていると思っていた人のことさえ、まだまだ知らないことがある。別に隠し事をされていた、という類のことではない。ただ、父親が違っても、姓が違っても、ジェボムとヨンジェは一緒に暮らすほど仲の良い兄弟なのだ。
ジェボムは話すほどのことでもないと思っていただけだ。話すと長くなるし、ちょっと面倒くさい。今度面と向かって聞かれたら、話してやってもいい。

「ジニョンヒョンが知らないことなんて、この世の中にまだまだいっぱいありますよ。知らないのは、もったいないです。面白いことがたくさんあるのに! だから、また一緒に遊びましょうね。一緒に飲みに行きましょう!」

ヨンジェの言葉は少しだけ、自分に対してのものでもあった。知らないこと知り尽くせないほどたくさんあるし、自分はもっと知りたい・学びたいと思っているし、知る機会をなるべく多く作りたいと思っている。勉強も遊びもアルバイトも、もっと上手くこなせる方法があるかもしれない。

ユギョムは心の中で、ジニョンに同調していた。よく知っていると思っていた人のことでも、まだ知らないことがあった、というのはさぞや驚いたことだろう。そして、ヨンジェに対して思った。
ヨンジェヒョンだって、同じだよ、と。

「そうだね。もったいない…のかもね」

「おい、ヨンジェ。ジニョンを誑かすんじゃねぇよ」

ジェボムが少し怒ったように発した言葉に、部屋にいた全員が笑った。お菓子を黙々と食べていたDJでさえ、相好を崩す。

「彼氏を誑かしたの、絶対ジェボムだろ!」

ユヨンが的を射た発言をして、場がさらに笑いに包まれる。ジニョンとしても、笑うしかない。誑かされたのは事実だ。そして、それで良かったと思っているのだから、もう邪魔を出来る人間はいない。

5

帰り道。打ち上げに参加する面々と分かれて、ジェボムとジニョン、ヨンジェとユギョムは地下鉄の改札で今日の最後の挨拶を交わしていた。2組は乗る路線が違うのだ。ジニョンが打ち上げには行かない(部外者だから)と言ったので、ジェボムも送っていくという理由で不参加にした。参加すれば、ジニョンのことをあれこれ聞かれるのは想像に難くないので、面倒だったのである。ヨンジェも疲れているのは事実なので、早々に帰ることにする。元々そのつもりだったのだ。それにユギョムもヨンジェを送ると言ったので、この組み合わせになった。
ヨンジェはちょっと不満だ。ユギョムに送ってもらう必然性はない。全くない。

「じゃあね、ヨンジェ、ユギョムくんも。また劇場で会うのもいいし、いつもロッソでばかり会っているから、今度は違うところで一緒にご飯でも食べられたらいいね」

「はい、是非!」

おやすみなさい、と挨拶をして、別々の方向へ歩きだす。

ユギョムは振り返って、恋人同士のヒョンたちを見た。手をつなぐでもない、恋人同士という雰囲気も見えない、だけど2人は同じ速度で、並んで歩いて、時々短い言葉を交わして、笑い合う。
そんな2人が羨ましいと、ユギョムは思った。再び前を見たら、ヨンジェはさっさと先に進んでいて、階段を下りるところだった。小走りで追いかける。
ヨンジェは明るくて、勉強もできて、大好きな人だけれど、時々何を考えているのか分からない時がある。
何で返事をくれなかったのとか、どうして嘘をついたのとか、聞きたいことはあるけれど、何となく切り出せなくて、黙って後を付いていく。

ベンチに座って地下鉄を待つ。もうすぐ来るはずだ。

「送ってもらう必要ないから。お前もまっすぐ家に帰れよ」

アナウンスの音に重なって、ヨンジェがユギョムの方を見もせずに言う。ユギョムはめげない。別に今日も関係を持ちたいというのではない。ただ、一緒にいたいのだ。
嘘をついた理由は知らなくても良い。聞かなくても察することが出来るほど、ただ一緒にいたい。

「今日も泊めてください。ジェボムヒョンはジニョンさんの所だから、いいでしょ?」

「嫌だよ」

ホームに滑り込んできた地下鉄に乗る。乗客は少なく、席は空いているが、2人は立って少しドアにもたれ掛かる。
窓の外にはコンクリートの壁しか無いのに、地下鉄の車両に窓があるのは無駄だとヨンジェは思っている。それでもそこに窓があれば、外を見てしまうのだから、人間の行動は不思議だ。
そこにあるから、意識してしまうのだろう。無くなってしまえば、きっと地下鉄のトンネルの壁など、見なくても済むだろう。

ドアが開くブザーが鳴って、ヨンジェは凭れるのを止めて、まっすぐに立つ。駅の名前を確認すると、そこはユギョムの家の最寄りだった。

「降りろよ。お前、ここだろ」

「俺ん家の最寄り駅、覚えていてくれてたんですね」

「別に」

試験で鍛えたれた記憶力の賜物である。ただそれだけだ。なのに、ユギョムは笑顔になって、そして降りようとしない。
ドアが閉まってしまう。そしてまた車両が動き出す。

「送ります。送らせてください」


 ***


ヨンジェとジェボムが一緒に暮らすマンションまで、言葉もなく2人は歩く。
友達なのか、恋人なのか、知り合いなのかすら、一見しただけでは誰も分からないだろう。
そんな距離で歩くことはユギョムには面白くないが、無理に近付くことができない。それは、離れたくないからだ。矛盾している。きっと、ヨンジェなら、ぴったりと合う言葉を知っているのだろう。語彙も乏しい、勉強もろくにできない、好きな人に好きだと言ったのに、恋人にもしてもらえない。
セフレと恋人、どっちがいいか、と友達に聞いたら、ほとんどみんながセフレと答える。その方が楽をして欲求も満たせる。
だけど、ユギョムの答えは違う。恋人がいい。友達や、後輩や、セフレや、弟や、そんなものは嫌だ。家族よりも特別な恋人になりたい。

何も言えないまま、アパートに着いてしまった。

「もうここでいいよ。送ってくれて、ありがと。じゃあね」

ユギョムは慌てて、口籠る。辛うじて、「ヨンジェヒョン」と呼びかける。
ヨンジェは振り返り、ユギョムを見る。いつもの表情だ。特別、明るくでもない、だけど落ち込んでいるでもない、どこまでもナチュラルな表情が、ユギョムは好きだ。
そうだ、自然体だ。そういうところが好きなんだ。

「泊めてくださいよ。何もしませんから」

「何もしないなら、帰れよ」

「1人で起きられますか?」

「お前がいたところで、寝過ごしたじゃないか」

会話をしたい。側にいたい。一緒にいたい。どうして、こんなにも、想いが募るのだろう。あなたの何が、僕を引き寄せるのだろう。

「ヒョン…。ヨンジェヒョン」

「何だよ」

泊めてもらう理由をあれこれ考えているのかもしれない。ユギョムは何を言おうか、迷っているようだ。
ヨンジェは、彼に聞こえるように「はぁー」とため息をついた。案の定、ユギョムは口を閉じて、俯いた。

「しつこいのは嫌いなんだ。また今度相手をしてやるから、今日は帰れよ。ゴネるなら、切るぞ、関係を」

ジニョンといる時、ステージを見ている時は機嫌が良くなっていたが、根本的には悪いことは変わっていないようだ。ユギョムにしても、僕を好きだと言ったのだから、関係を持てるなら、それで充分じゃないかと思う。それ以上なんて、僕にはない。
ユギョムが動かないので、ヨンジェはアパートの入口に近付く。

ドアを開けて、取ってから手を離した瞬間、後ろから強くきつく、抱き締められる。

ユギョムがいつも付けている香水の匂いがする。いつも優しく触れてくる大きな手の感触が、両肩にある。年下のくせに背が高くて、抱き締められると、いつも耳元にユギョムの口元があって、ヨンジェはいつも彼の息遣いがくすぐったい。

それが、気持ち悪いと思う相手もいるのに、ユギョムはそうではない。大人っぽい見た目に反して、子供のようなかわいい声で、「ヨンジェヒョン」と呼ばれると、耳だけでなく気持ちもくすぐったく感じて、笑顔になれる。

2人の背後でドアが閉まる。

「好きなんです。ヨンジェヒョン、ヒョンのことが好きなんです。愛しているんです。側にいさせてください。身体はもういいから、それよりも、ヒョンの気持ちをもっと見せてください。不満でも、愚痴でも、不安でも、希望でも、絶望でも、なんでもいいから、ヨンジェヒョンの心の中を俺に、もう少しだけ、ください」

ユギョムの涙が、ヨンジェの頬を伝う。何を泣くんだ、と思う。振り返って、彼の涙を拭いてやる。ヨンジェの手は夜風に当たって冷たくなっているけれど、ユギョムの頬は上気して、温かい。

「また今度とか、言わないで。切る、なんて、言わないで。側にいるだけで、いいから。ヒョンの一番、側に、いさせてください。あなたのことを、愛しているんです」

ヨンジェの冷たい手が、ユギョムの両頬を包む。不思議なものを見るような、ヨンジェの黒い瞳を、ユギョムは負けじとまっすぐに見つめ返す。

「お前…、そんな恥ずかしいこと、真顔でよく言えるよな」

「へぇ?」

思いの丈を詰め込んだ、一世一代の告白を、この人は何だと思っているのだろうか。気が抜けてしまって、グスグスと泣き止みたいのに、涙がなかなか止まらない。ヨンジェの両手を、ユギョムは両手の中に握り込む。冷たい手を温めたい。ヨンジェが何かに躓いて、恋人を作れないなら、それを破ってしまいたい。

「なんだぁ、ユギョマー。お前、僕のこと、そんなに好きだったのか?」

ヨンジェが笑顔で聞いてくる。この人こそ、そんなことを笑顔で聞いてくるなんて、意地悪だ。何度もそう言ったじゃないか。

「そうです。そうですよ。よく分かんないけど、でも、好きなんです。側にいたいんです。ずっと。一生でも、ヨンジェヒョンの側にいたいです」

ユギョムはもう憚るものも何もなく、気持ちのままを伝える。ヨンジェの眉根がちょっと寄った。

「一生とか、重いよ」

「ヒョーン~、そんなぁ~」

我ながら情けない声が出てしまった。しかも、考えてみるまでもなく、ここはアパートの入口だ。誰も来ないから良かったものの、他人に見られていたら、ひたすら恥ずかしい場面かもしれない。
ヨンジェが笑う。その笑顔が好きだ。笑い声も、笑い方も、全部好きだ。

両手を繋いで、向かい合って、ユギョムの情けない泣き顔を見ていると、自然と笑ってしまう。しかも泣いている理由が、自分を好きで告白したのに、ちょっときついことを言ったくらいなんだから、本当に笑ってしまう。
本当に、かわいいんだから、とヨンジェは思った。それと同時に、この上なく上機嫌な自分に気付く。それが、ユギョムのおかげと思うのはちょっと癪だけど、それは自分の性格が悪いせいだろう。ユギョムのせいではない。

機嫌が良いヨンジェは、まだ泣いているユギョムの口にキスをした。ユギョムは驚いている。

「ふ~ん、そっかぁ~。ユギョムはそんなに僕のことが好きなのか。へぇ~」

ユギョムは今更ながら、何かまずい事態になっただろうか、と感じた。一生側にいたいくらい愛しているとか、この人に言ったら、それを受け入れてもらえたとしても、一生逆らえない気がしてきた。

「そこまで言うんだったら、今日、泊めてやってもいいぞ。行くぞ、寒いんだった」

「あ、ありがと―――」

「何もしないから、って言うのは守れよ。お前と付き合うとは言ってないからな。大体何だ、よく分かんないのに好きとか、そんな告白あるか。僕の好きなところを記述しろ。そうだな、1万字くらいあってもいいな」

「え、えぇ~!」

大学のレポートでも1万字も書いたことがない。2千字でも持て余しているというのに、鬼か、この人は。そういう所も書いてやろうか、と思ったが、容赦なく赤線で添削されそうである。

ユギョムはいつの間にか泣き止んでいた。ヨンジェがキスをしてくれたから。自分と「付き合う」という可能性を示してくれたから。エレベーターを待つ間も、話をしている時も、玄関の鍵を取り出す時もずっと、手を繋いでくれているから。
何もしない、と言ってしまったことを、家に招き入れられてから後悔する。ここは、ヨンジェの匂いで満ちているのだ。

もう1回キスしたい。キスくらいなら、いいかな。そう思って、繋いだ手を引き寄せようとした時、ぱっと手を離されてしまった。
「あっ」と思わず声が出る。
ヨンジェはノートパソコンを取り出して立ち上げる。ワードを開いて、その前にユギョムを座らせた。

「さあ、書け。タイトルは『キム・ユギョムがチェ・ヨンジェを愛する理由』だ。字数は1万字以上。締め切りは明日の朝、僕が起きるまで。あんな熱い告白をしてくれたんだから、一晩で書けるだろ。だよね~、ユギョマ~」

「う、うわぁ~ん! ヒョーン~、そんなぁ~」

ジェボムヒョン助けて、と心の中で叫ぶが、彼は今恋人と熱い夜を過ごしているかもしれない。自分の境遇との落差に、全く関係ないジェボムさえ憎らしくなってくる。ジニョンヒョン助けて、と今日会ったばかりの人にも泣きついてみるものの、ここにいないのだから、どうにもならない。

「コーヒー作っといてやるから」

慰めにもならない。
ヨンジェがシャワーを浴びて、寝る準備をしている間、ユギョムは指定されたタイトルしか打つことができなかった。

「おやすみ~」

「ヨンジェヒョンー。もしもーし!」

寝室の電気が消えて、ユギョムをパソコンの前に残してヨンジェは本当に寝てしまった。ヨンジェが心の底からユギョムのレポートを楽しみにしていることを、ユギョムは気付いていない。いつものいたずらだと思っている。

「く、くそう…、こうなったら…」

感動のレポートを仕上げて、付き合おうとヨンジェに言わせてやる、とユギョムは誓った。

『君を好きだと言えない理由3』

久しぶりのガッセのお話を読んでくださってありがとうございます!

補足をするのなら、作中に出て来るジェボムと一緒にステージをしたリーダーのアッパは、モンエクのショヌさん、DJは同じくモンエクのヒョンウォン、ユヨンはもちろんジェボムのリアル親友、BAPのヨンジェです。妄想する時のビジュアルの参考にしてください。
ツジェ兄弟の姓が違うことは最初からあった設定ですが、これまで特に触れる必要がない情報だったので。兄弟にしたいメンバーたちはそれぞれのグループにいますが、悉く姓が違うんですよね。ガッセは外国人もいるために、全員姓が違うし。ワナワンなんて11人もいるのに、被ってる姓はパクしかないっていう有様で…と愚痴すみません^^;
一応、このシリーズで書けそうなネタはあるんですが、いつになるかは分かりません、ということをご了承くださいませ。

『君を好きだと言えない理由3』 nanamame 作

GOT7、ジニョンくんとジェボム(JB)くんのお話、第3話。今回はヨンジェくんがメインで、後輩ユギョムくんが初登場。BL、K-Pop、FF。

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2017-12-07
Copyrighted

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