*星空文庫

成上がり首都圏編

播磨王66 作

  1. 第1話:多摩営業所での歓迎会
  2. 第2話:所長と先輩が喧嘩だ。
  3. 第3話:愛の逃避行
  4. 第4話:田中所長の交代の話。
  5. 第5話:同期の奴が新所長になる。
  6. 第6話:甲斐大学での大活躍
  7. 第7話:甲斐大学先生MPCの研修会へ連れていく
  8. 第8話:さおりママとの再会
  9. 第9話:真冬の夜の夢
  10. 第10話:栂池スキー場4キロ・ダウンヒル滑降
  11. 第11話:横浜転勤と母の交通事故
  12. 第12話:古巣の横浜営業所へ
  13. 第13話 安田新所長のとの話
  14. 第14話 横浜営業所の問題点
  15. 第15話:重症メニエールで倒れ、退職へ

首都圏戻った、北野は、以前通り、大学病院で人脈作り、山梨県の市場開拓に成功しつつあり、長野県から続けていたパソコンの医療分野でのデータベースの理想型をつくり出した。その後、母の交通事故で、地元に戻り、問題解決に心労が続き、人選の歯車が、逆回転してきて、重症メニエールで倒れ、会社を去ることになっていく。(カクヨム、小説家になろう、にも、載せています。)

第1話:多摩営業所での歓迎会

 明日から、立川の多摩営業所に、行ってくれと、石井支店長から
 辞令をもらった。翌日、多摩営業所へ出勤した。田中所長はベテランで
、たたき上げ二十五年の、厳しい事で有名な、田中所長だった。

 早速、会議室で面接をして、所長から多摩営業所では、
都内チームの成績は良いのだが山梨県での、市場開拓が、
遅れていて、我が社の市場占有率が民力度の半分にすぎない
のが、最大の問題点であるとの説明だった。

 田中所長から北島君の地方での成功例をこちらでも、発揮して
もらいたいとの訓示をもらった。来週の会議で、具体的な作戦を
ねろうと言い、関連する営業資料の束を渡され、熟読して意見を
聞かせてくれと言われた。

 今日は、内勤で良いから、この資料で、わからない事や、
 質問があったら聞いてくれと、いわれ、会議室で、
内勤する事となった。

 翌週の営業会議で、早速、山梨県の市場開拓をどうしたら良いか、
意見を聞かせてくれと所長からの発言で話をする事になった。

 まず対策として、短期対策と中長期対策分けて話した。
 短期対策としては、卸さんとの関係強化が、急務であります。
 具体的には、山梨県、訪問時は、毎日二件の卸訪問をする必要が
あります。中長期対策は、中心病院である、甲斐医科大学、大型病院での
情報収集の徹底であります。時間がかっかても先生方の情報をしっかり
把握する事が市場開拓のキーポイントだと語った。

 その晩、歓迎会で、所員を紹介された。新人の足立君、ベテランの
三年先輩の清水君、一年後輩の山下君、二年後輩の渡辺君の、合計、
田中所長を含め五人体制だった。

 山梨県は、所長が、月二回程度、訪問するが、担当者は清水君である。
 所長の弁では清水君は担当して十年でマンネリ化しているのかもしれないと
、心配していた。また、山梨県は、よそ者を受け入れない厳しい土地柄で
新規開拓は非常にむずかしいと弱音ばかり、吐いているだった。
 田中所長の計画では、いずれは清水君の後任として北島に頼みたい
との意向のようだった。その晩、北島の歓迎会が始まった。北島が自己紹介を
終えて歓談が始まった。清水君が、やり手の北島君がくれば、多摩も伸びて
良いんじゃないですかと嫌みな言い方で敵視むきだしの様子だった。

 その他のメンバーは、総じて、好意的で、新人の足立君は、所長に
入れ知恵されたのか、驚異的な実績を残した北島先輩の営業方法を学んで、
できる営業マンになりたいですと、歯の浮く様な、お世辞を言う始末だった。

 二次会はスナック「すずらん」立川でも、ちょっと裏通りに入った目に
つきにくい店だった。ママ、さおりは、ベテランで相手の弱い所を探し出す
名人と評判のやり手、ママだった。所長に紹介され自己紹介しようと思うと
軽く手で制止され北島の顔をじっとみつめ、次に、手相を見た。

 北島さんは、意外としたたかだね、と不適な笑みを浮かべた。
 所長、うかうかしてると、寝首をかかれるよと、言った。
 所長の顔が、突然、曇ったのを、私は見逃さなかった。
 変な空気になったので、自己紹介代わりに、得意の洋楽の歌を披露した。
 もちろん、大受けであり、店の女の子も、釘付けになった。
 その後、宴もたけなわになり、他の人の歌に合わせて、店の女の子と、
次々に、踊った。帰り際、店の女の子のハートは、しっかりつかんだようで、
うっとりとした目つきで、送り出してくれた。ただ、ママは、目を見開いて、
笑ってはいるものの、内心、面倒くさい、お客さんだなって、思っている
ように見えた。その後、このママと、文字通り、面倒くさい騒動に、
巻き込まれる、とは、初対面では、予想もできない、北島だった。

第2話:所長と先輩が喧嘩だ。

 多摩での北島の担当は、地域の大学病院、大型病院中心だった。
 田中所長は特に大学病院大型病院の情報収集と、その情報の所員との
共有化を要求していた。いつもの様に、挨拶回りから、はじまり
数週間が過ぎた。

 訪問しての印象としては、都会は患者さんの数や、先生の数、
情報量は、地方と段違いの多さで、久しぶりに面食らった。渋滞も、
ひどく抜け道をさがすのにも、時間がかかった。

 半年がたち、収集した情報量が多く、書き込んだ手帳が二冊目になった。
 その情報を各担当者に伝えるのにも、彼らの個性に合わせて説明する
のに骨が折れた。特に清水先輩は、自分の固定観念が強い為か全く
受け付けてくれなかった。
 
 わかった参考にしようと言うが、話を聞いたから、資料はいらない。
 全く聞き耳を持たないどころか余計な事言うなといういわんばかりに
見える位だった。その後も、清水先輩の実績は、相変わらず低迷しており、
理由は市場が閉鎖的であり頑張ってるが実績が出ないの一点張りだった。

 他の所員は程度の差こそあれ、それぞれ実績が伸びてきた。
 田中所長と清水先輩の論の日々が多くなり清水先輩の、北島への
風当たりも強くなってきた気がする。その年も押し迫った十二月に、
ついに事件が起きた。忘年会の席で清水先輩が田中所長に対して
切れたのだった。冗談じゃないよ、ここに来て十年以上になるのに
所長は、いつも文句ばっかで口を開けば実績が伸びてないとか、
目標に届かないとか、やる気あるのか、とか・・。もう、やってらんねーよ、
やめてやるよと言ってきたのだった。

 田中所長は、最初はなだめて、今日はちょっと飲み過ぎだよとか、
なだめていた。しかし、いつまでも、だだをこねてる清水先輩をみて、
今度は、逆に、田中所長が切れたのだった。馬鹿野郎、俺なんか、
この会社に入って二十五年、じっと我慢して苦労を重ねて、
ここまで来たんだ、たかだか十年で仕事を辞めてやる! 
上等じゃねーか、甘えてるんじゃないよと怒鳴った。

俺だって、何回、辛酸を、なめさせられたか、数知れない。
 そのたびに、今に見ておれと、耐え、忍んできたんだ。
 支店会議や、所長会議でも、東京の市場の割に、実績伸びないねと
嫌みを言われ続け、胃薬を飲みながら頑張ってきたんだよ。
 おまえみたいな、青二才に、何がわか・・。収集がつかない様子を
見かねて、ママが、所長をなだめ、清水先輩をなだめた。ただ清水先輩に、
対するママの目が、尋常でなかった事を私は見逃さなかった。
 最終的には、田中所長が、おれて先日の、支店会議で、あまり厳しい事を
支店長に言われ、いらだってたんだと謝った。
 清水先輩が、ちょっと言い過ぎましたと、みんなに謝った。

第3話:愛の逃避行

 年末年始の休みが明けて、仕事始めの日、清水先輩が出社してこなかった。
 そして数日後、この出来事が、意外な展開を見せはじめたのである。
 清水先輩が休み続けたのである。理由もわからずじまい、家族からも
帰ってこないと電話が入り、最後には、家族から、捜索願が出る事となった。
 仕事の接待で、スナック「すずらん」へ出かけた日の事である。
 ママ、今晩休みなのと店の女の子の話だった。よく聞くと、この数日、
行方知れずだと言う事がわかった。北島は嫌な予感が心の中をよぎった。
 まさか清水先輩とママが愛の逃避行、いくらなんでも、それはないよ、幾度も
つぶやいたが、その心配が心の中で、風船のように膨らんでいくのを感じた。
 そういえば清水先輩の営業車、車検といっていたが、数日、見てない。

 約二週間後、清水先輩のナンバーの営業車を山陰の米子で見たという
一報が入った。ただ、見たと言う事だけで、見つかったわけではなかった。

 所長が、東京支店と、本社に、頻繁に電話をして今後の対策を練っていた。
 そして甲斐大学病院を、私が担当する様に支店長の指示があったと言われたた。
 仕方なく、すぐに甲斐大学病院を訪問し、薬局長や訪問科の先生に前担当者の
清水が、急病で、退社したと伝え担当交代の挨拶をして回った。

 その中に昔、東京時代、仲の良かった、吉川先生がいた。
 吉川先生は現在、医局の講師で将来有望な実力派であり、医局のまとめ役と
なっていた。挨拶も早々に協力の約束を取り付けた。数日後、清水先輩が
クビだと決まったと小さな声で所員の前で田中所長が言ったのだ。
 まだ彼は、いまだ消息不明のまま、もちろん身柄は確保されていない様だった。

 その二ヶ月後、清水先輩の車が博多港で見つかったとの情報が営業所に入った。
港の駐車場に乗り捨てられていたのである。
 博多港から、海外逃亡したかもしれないとの噂が立った。
 その後、港の管理事務所から、女連れのスーツ姿の男性が釜山行きの
高速船に、乗ったとの情報まで入った。女連れ! きっとママに違いない。
 気になったので、スナック「すずらん」の女の子に情報をもらう為、
数日かよってみた。それによると、ママと清水先輩は、やはり良い仲に
なっていて、隠れて温泉旅行、高級ホテルなどで、逢い引きをしていた
のではないかという情報まで、出てきた。最初にママに会った時の感じは、
間違いなかった。清水先輩とママはできていて、
ライバル視して、私をにらみつけていたんだとわかった。

第4話:田中所長の交代の話。

 四月になったある日、石井支店長が、営業所を訪ねてきて北島君、
今日、話があるというので、一緒に出かける事になった。

 高級そうな、レストランの個室で、食事しながらの話となった。
 石井支店長から、びっくりしないで、聞いて欲しいんだけれど
田中所長が交代になる事が、本社営業会議で決まったんだと聞かされた。
 後任には、君の同期の東京営業所の鈴木君が決まったんだとの事だった。
 北島君も、協力して多摩営業所を建て直して欲しいんだと言ってきた。

 北島は思わず田中所長は、どうなるんですかと言ってしまった。
 田中所長は、この騒動の責任を取って工場の課長として転勤となったよ
と言うのだ。関西の工場の課長ですか? いくら、何でも、ひどいんじゃない
ですか、長い間、営業畑で苦労してきたのに・・、いやーわかるよ、
石井支店長は、僕も、そう思うだけれど、本社の上司がこの事件を重く見て、
田中所長の監督不行き届きとして、工場への左遷が決まったんだよ。

 北島は、むっとして、営業マンは、所詮は、単なる将棋の駒ってわけですか。
そう言うなよ、私も心苦しいと思っているんだよと言っていた。

 田中所長と話したんですかと、質問すると、いや、まだだよ。
 なにせ、つきあいも長くて、切り出しにくいんだよと言っていた。
 今晩にでも、田中所長に、話すんですか? いや話はしないというか、
できないよ。 社命と言う事で辞令を渡すしかないんだよ。

 実は私もつらいんだよと、石井支店長も、困った顔で、話し続けた。
 北島は、石井支店長と食事も終えて、話は、これだけですねと、
念を押して、それでは仕事でかけてきますと失礼した。
 数日後、田中所長は、工場への左遷を断って退職するとの情報が入った。
 その晩、所長とスナック「すずらん」へ行き、話をした。田中所長は、
会社やめて、どうするんですかと切り出した。いやね、女房とも話したんだが

子供も高校生で来年は大学進学であり、これから地方への転勤は無理だと言った。
 仕事は、女房の実家の本家が、秋田で味噌と醤油をつくっていて、
 その販売店を、東京に出したいそうで、その営業を、やることになったと話した。
 多分食ってはいけると思うがねと、以外に、さばさばとした口調で、
明るく答えていた。会社って非情だよ、成績が良い時は、おだてられ、
下がりはじめたら、お荷物あつかい、ひどいもんだよ。

 北島も、気をつけて、やれよ。無理して身体を壊すなよと言ってくれた。
 北島も所長には及ばないが、いろんな、苦労を重ねたので、彼のこの言葉が、
ズシンと、心に答えて、我慢できずに涙が頬を伝わるのを感じてしまった。

 すると、彼が北島君も、本当に苦労したんだね。苦労を知らないものには、
この意味が、わからないはずで、涙なんて、絶対に、流すはずもないからな、
しみじみと言ってくれた。おもわず、田中所長の手を、ぎゅっと握って、
わかり合える男同士の感動を共有した気がした。

 そして、最後に、つまらんものだがといって奥さんの秋田の実家の味噌を
渡してくれた。味噌汁にして、味わって、うまかったら、また買ってくれよ。
 そして、あんたの営業センスの良い所で、宣伝してよと、笑いながら晴れ晴れ
とした顔で、言ったのであった 北島は田中所長は、仕事の何たるかをよく
知っており、本当は心の広い、優しい人なんだなーと感じざるを得なかった。
 北島は、心の中で、短い間だったけど、本当にいい人に出会って、良かったと実感した。

第5話:同期の奴が新所長になる。

 翌週には、東京営業所の同期の鈴木君が、新所長として、赴任してきた。
 久しぶりに会ったが、銀縁のメガネが、よく似合う、インテリ風の顔立ち。
 少し年を経て、ますます、切れものの風貌が備わってきた。
 まず私は、彼と握手をして、久しぶりだね。元気って、気さくに話しかけた。
 ちょっと笑いながら、でも所長さんだから敬語でないと駄目かなと、
おどけて見せた。いじわる言うなよと、彼は言い返した。

 北島が時間は大事にしたいから、今から、当営業所の情報を伝える事に
するよ話した。また関係資料のコピーも用意するから、読んでおいて欲しいと
彼に伝えた。営業所の、現状と問題点、その対策を要領よく述べた。

 鈴木は北島の顔を見ながら、流石、実績をあげて言う事も、そつがなく
要領よく、まとまっているなと笑った。これで北島は、話は、
これで終わり後は、この資料を良く読んでおいてと渡した。

 午前十一時には営業に出かける事ができた。数日後、鈴木新所長の
歓迎会となった。行き先は、スナック「すずらん」しか知らないので、
そこで、行うことにした。そこに着くと、童顔だが、ちょっと太めの
店の子が新・ママのさちこです、宜しくと挨拶に来た。

 さちこ、幸せな子書きますと、おどけた口調で言ったのので
周りの笑いを誘った。歓迎会とはいえ、あまり堅苦しくなることもなく、
気さくな感じで進行していった。

 まず、口火を切って、北島が歌を鈴木所長に送った。
 その後、鈴木所長が歌う事になったら尻込みしていたが仕方なく、
今はやってる歌謡曲を歌った。しかし、お世辞にも、うまいとは言えなかった。
実直な歌い方は、演歌そのもので、最近の歌には似つかわしくない歌い方だった。
踊りは、ダメの一点張りで、最後まで踊らなかった。

翌日から、鈴木所長の挨拶のため、山梨の基幹病院を訪問する事にした。
 甲斐医科大学では、東京出身で、吉川先生が、鈴木所長を知っている様で
挨拶した。先生が、こんな遠いところまで、どうしたの? と言っていた。

 鈴木所長が、今度、自分が、多摩営業所の所長になった事を照れながら
話した。すごいね、ついに、所長ですか、スピード出世ですね一番早いんじゃない。
 彼はまぐれですよと返答していた。次に多摩の大型A病院をに鈴木新所長の
仲良しの桜井先生がいるとの事で同行訪問した。

 桜井先生がどうしたの、こんな所まで、来てと言ったのだった。
多摩の所長で転勤したと伝えると良かったねとの反応だった。
 鈴木所長を知っているといった二人の先生の彼に対する印象が大きく
違う事に、後になって驚かされる事になるのだった。
 鈴木所長の担当の挨拶が終わった数日後、スナックで彼の病院での印象に
ついて話を聞いた。彼は、多摩の大型病院は、東京の中心部の病院と同じ感じで、
やり易そうだと言っていた。

 ただ山梨は、さすがに田舎の病院という感じがあって、慣れが必要かなと
感じたと言っていた。甲斐大学病院の吉川先生は、医局のローテーションで
来ている様で、いろいろ、情報をもらえる貴重な存在になっていった。

 甲斐大学病院を訪問した時、吉川先生に、また所長同行で来ますので
宜しくと言った所、ちょっと、しかめっつらをして、その話は、いいよとの
返答だった。東京の大学の医局の教授と何か、あったらしく東京のエリートは
、いけ好かないよと言い出したのだった。吉川先生が、北島君、彼の事、
ほんとに好きなのと言う始末だった。安易に鈴木所長の事は言えない雰囲気だった。
 これ対して鈴木所長と仲の良い、もう一人の桜井先生は彼は、気は利くし賢いし
言う事ない営業マンだよ、彼なら一番、出世するはずだよと言っていた。

 北島君も彼を見習って頑張れよと、逆に励まされた。早いもので、
紅葉が来て、寒くなり今年も年末を迎えた。忘年会は所員の年齢も近く、
わきあいあいの、楽しい宴会となった。私は調子に乗って歌って踊って
はしゃぎまくっていた。スナック「すずらん」の幸子ママが、
私の横に座り、ねー聞いた、と言ってきた。
 前のさおりママがタイで見つかったそうよ。

 北島さんの会社の清水さんと愛の逃避行だったみたいと教えてくれた。
 日本には、戻ってこないつもりらしい、との事だった。素敵と言いたい
所だけれど、ひどい話よね。このスナックの、お金を持ち逃げしたのよ。

 今、そのお金を返済中で、実は大変なのよ言っていた。だから、また、
ご贔屓にしてねと、ウインクした。わかったよ、
 できるだけ接待に使うようにするよと答えた。
 彼女は鈴木所長について、あなたと同期と聞いてますが全く正反対の
堅物ね、良くあれで、営業成績が上がったわねと話してきた。
 彼女の口から、北島さんの方が百倍すきと軽くキスされた。
 実は、北島も同期と言っても直接、一緒に仕事した事はなく、彼と一緒に
仕事するのは今回が初めてで内情は全く知らないんだよと彼女に答えた。
ただ、東京支店長や営業本部長の受けが良い様で、その結果として
多摩営業所所長に10年目に就任するという、
社内一のスピード出世となった様だと話した。

第6話:甲斐大学での大活躍

 今年こそ、山梨を攻略するぞの意気込みで、積極的に、甲斐大学病院を
訪問した。すると、あれだけ反応の悪かった、吉川先生が、君よく頑張るね。
 鈴木所長とは、違うねと。地道な努力って見てない様で見てるんだよ。 
頑張れば必ず成果がついてくると思うよと、うれしい反応だった。
 また、例の体育会系の挨拶は評判いいみたいだよと笑っていた。
 そして、この医局では、だれがポイントなのかとか、
いろいろ教えてくれる様になっていった。
 ただ、北島は、休みなく仕事づけで忙しい毎日だった。
 そんなある日、甲斐大学病院で仕事中に、吉川先生にあった。
 中央高速で、大きな事故があり、大渋滞、これから、都内の病院に
手伝いに行く約束があり困っているんだけど、抜け道を知ってるか聞かれた。
 そこで、北島が送りましょうかと言うと、それはありがたいと言った。
 高速の下の国道二十号線も多分、大渋滞でしょうから富士五湖、
山中湖経由で津久井を抜けて、八王子が、良いと教えた。
 吉川先生が、今、昼だが、四時から手術が、始まると言った。
 吉川先生が頼めるか、と言ったので最善を尽くしますと答えて彼を乗せて
出発する事になった。やはり、国道二十号は、大渋滞、大学を出て山沿いの
道を一路、笛吹市方面へ、そして、国道百三十七号線で河口湖へ向かい、
富士吉田経由で、河口湖へ、そこから道志村を走り津久井を抜けて、
八王子郊外の病院に三時前に到着することができた。
 吉川先生から、非常に感謝された。その後、甲斐大学病院の実績は
昇り龍の勢いだった。夏が過ぎて秋を迎えた。今年も、秋が過ぎ、
忘年会シーズンとなった。多摩営業所でも十二月下旬に忘年会が開かれた。
 今年は、石井支店長も来て、実績好調でありステーキをごちそうして
もらった。一年前の清水君の話や前所長の話は、忘れられた歴史の様に、
話題にも、のぼらなかった。

第7話:甲斐大学先生MPCの研修会へ連れていく

 甲斐大学でも、数人がパソコンを使っているが、主にマックの学会発表の
スライドつくりが主で、吉川先生が東京で手術のや薬剤の臨床治験で
データベースを利用した事がある程度だった。
 そこで中信大学メディカルパソコンクラブの話をして毎年、
夏に、研修会をしている話をした所、吉川先生から、もっと早く
話してよと言われた。更に、吉川先生から実は臨床治験でデータベースを
利用したが上手くできなくて困っていたとの事だった。

 二人ほど、パソコンに強いのがいるから研修会に連れて行って
くれという事になった。早速、中信大学の久光先生に連絡し、
その件を伝えると、大歓迎すると言われた。今年も、お盆過ぎ八月二十日
から二十二日に諏訪で開催するとの事だった。

 そこで私と上川先生と小清水先生の三人で研修会に、参加すると伝えた。
 暑くなり当日がやってきた、私のスペースギアで諏訪の会場の旅館に
到着し久光先生に、甲斐大学の上川、小清水先生を紹介した。

 次々に懐かしい顔にだった。四国からも三人来ていた。データベースⅢの
臨床治験への応用の演題で三台出ていた。初日から上川先生も小清水先生も
質問したり関連資料をもらったり積極的に研修会に参加していた。

 その後の懇親会で、小清水先生が、今後、甲斐大学でデータベースの
応用についてビジョンを語っていた。翌朝、上川、小清水先生を、
「岡谷のやまびこ公園」へ連れて行った。
 そして、諏訪湖と八ヶ岳がよく見える広場に案内した。
 すごい、きれいとの反応だった。こんな素敵な所が、あるとは知らなかった
と盛んに写真を撮っていた。昼食はレストランでゆっくりといただいた。

 午後三時の研修会に間に合うように帰った。今日もデータベースと
マックのファイルメーカを使った、臨床写真入りのデータベース
という演題が、二題出ていた。これには、驚いた。以前、あなたが
最初にファイルメーカーを紹介したんだよねと言ってくれた。

 画像の入ったデータベースをつくるのは、そんなに難しくないけど、
大きなデータベースがつくれないのとデータベースの並べ替え、
抽出が、決められたコマンドだけに限られて、自由度がないのが、
難点だと言っていた。しかし臨床写真を入れたデータベースの価値は
医者にとっては非常に大きいんだと言っていた。

 つまり、どんな手術や医薬品が、どの位効果があったの手軽に
目で見てわかるのは理想的なんだと言うのだった。

 きざな言い方をすると、私の巻いた小さな種が芽を出し始めたんだ、
いずれは日本中の多くの病院で、きれいで大きな花として咲き誇り
多くの患者さんを助ける事になるはずなんだ。

 また懇親会がはじまり、盛り上がった。最後に久光先生が、今回は、
この会の発起人の一人でもある、北島君が、ここに来てくれたのは、非常に
うれしいと言ってくれたのだった。とかく何でも新しいものは東京、大阪など
大都会から流れてくる場合が多いがパソコンのデータベースの臨床治験への
利用というのは我が中信メディカルパソコンクラブが最初だと、感慨深げに、
話してくれた。そして、利用例も一番多いと信じている。
 今後も、地方から、都会へ、逆に、発信していこうではないかと、
締めくくった。当事者としては、何かジーンと心に、迫るものを感じた。
 本当に、ここまで、やってこれて、良かったと、再認識する、北島だった。
 翌朝、面識のある先生方に、お別れの挨拶をして、十時過ぎに帰路についた。
 帰りの車中で小清水先生が北島さん、あんたすごいんだね。
 また、教えてくれと言われた。お昼頃に、甲斐大学について、先生方を
送り届けた。吉川先生の部屋で両先生と共に研修会の話をした。
 吉川先生が、びっくりして何で、この話をもっと前にしないのと言われた。
 そこで北島、は出しゃばるのは、あまり好きではない性分である事。
 ここの大学で、どの位、ニーズがあるのか、調べてる暇が、なかった事などを話した。
 そうーか、どっかの誰かさん、みたいにエリートぶるじゃなくて、見る人は
きっと見てるという自信があったんだねと言ってくれた。
 その後、吉川先生と一層、仲良くなり、仕事に貢献してくれる事となった。
 秋風が吹き出して、仕事も順調で、今年は、もしかしたら、個人で業績表彰を
受けるかもしれない程、実績が好調だった。北島だけでなく北島の
知ってる先生の先は、こまめに、後輩と同行する、日々が続いた。

第8話:さおりママとの再会

 今年も押し迫ってきてやがて新年を迎えた。また地道な、営業活動が
始まった。そんな時に思いよらない、海外旅行のお誘いがあった。
 鈴木所長と、東京支店の事務の女性二人、池田さんと、吉村さんと、
合計四人で、気分転換に、寒い日本を離れて、南国のタイへ、二泊三日の
旅へ出かけようという計画だった。誘われるがままに了解した。

 一月下旬の出発でたった。当日、成田空港を十三時に出発して
タイ・バンコクまでの直行便で六時間、バンコクに日本時間十九時
(時差が二時間だから)現地時間十七時に到着予定だった。
 順調に出発して、機中の人となった。北島は、お酒を少し飲んで
寝る事にしているので、すぐ眠りに落ちた。女性達は、大はしゃぎで、
おしゃべりが続いた。途中で転勤した鈴木君と社員の話や仕事の話題で
盛り上がっていた様で結局ずっと起きていた。バンコクの空港に
着陸三十分前に鈴木君、起こしてくれた。

 だいぶ、疲れがたまっていたと見えて熟睡だったねと、笑っていた。
 そして空港へ着陸、タクシーで、市内へ向かった。
 今回は奮発してマンダリン・オリエンタル・バンコクを予約した。
 チャオプラヤ川に面した、歴史あるホテルである。チェックインして
部屋に荷物を置き川沿いのレストランで、飲みながら、ディナーと
しゃれ込んだ。まず、ビール、シャンパンで乾杯し、ちょっと甘辛いタイ料理
を楽しんだ。川を行き交う船の明かりが、とても風情があって、印象的だった。

 川面を渡る風も、気持ちよかった。疲れが出たせいか女性達と、
鈴木君は食事を終えたら、すぐ部屋へ帰りベッドに入った様だ。
 北島は、飛行機で熟睡したせいか、もう少しホテルの近くを
ぶらついた。ホテルのコンシェルジュに、日本人が行っても、
安全な飲み屋を聞いたら、日本人が経営してる人気のある店が、
ここから五分位の所に、あると紹介された。その店の名は沙織だった。
 店に入ると、店員さんが、たどたどしい日本語で、
いらっしゃいませと言い。川面した窓側の席に案内されたのである。

 ビールと、あまり辛くないつまみを頼むと言うと、野菜サラダと
鶏肉の唐揚げをもってきた。まだ忙しい時間の様で店は活気があった。
 ゆっくり往来を歩く人の姿を見ながら、ちびちびとやっていた。
 夜十時を過ぎて少し、店もすいてきた頃、店員がママが、来るから
と知らせに来た。暗いので、最初は顔が良くわからなかったが、近づいて
きたら何と立川の行きつけのスナックの、さおりママ、ではないか。

 北島と対面すると、最初は、びっくりした様で困った顔をしていた。
 しかし、気を取り直したのか、今日はどうしたのと聞かれた。
 それは、こっちが聞きたいよと、笑いながら、答えた。
 仕事三昧の日々で、疲れたので、会社の連中と冬でも暖かいバンコク
に遊びに来たというと、彼女が世の中って狭いねと笑って言った。

 これも、神様の思し召しかなと、ふざけながら話した。
 そして、ママと清水さんが、博多港で車を乗り捨て船で釜山に渡った
所までは、わかったんだけれど、その後、全く消息不明で、心中でも
したのかとか、周りの人は、心配したんだと、強い口調で、話した。

 ごめんね、みんなに、迷惑かけて、かるく謝った。
 その後の事を聞くと最初は楽しかったのだか、 香港へ行き、
数週間過ごし、町が小さくて、飽きてバンコクに流れ着いたと話した。
 バンコクでは彼の方が日本語が通じないし、もちろん仕事もないし
飲んでばかりいる様になったと言っていた。彼女が持ってきた金も
少なくなってきて喧嘩する日が多くなって最後は若い現地の女と、
どっかへ逃げたと言うのだ。そこで何とか、生きていかねばならない
のでバンコクの日本人富裕層の人をさがしては、仕事を下さいと、
何回も頭を下げてお願いした様だった。
 そして、前の日本人ママが体調を崩した店で、その代わりとして、
この店に雇われママとして入ったとの話しだった。
 今では、何とか、まともなマンションと暮らしを手に入れたと喜んでいた。
 日本へは、誰かに連絡しているのというと、両親はなくなり、兄弟とも
不仲で、誰とも、連絡してないとの事だった。何か、身の上相談みたいに
なって、暗くなったので、気分転換に、歌い、また、歌に会わせ、ママと、
また、楽しく踊った。十二時になり、ママが、店を閉めた。
 彼女のマンションが、近いから、そこで飲み直そうと言われ
言われるままについて行った。こぎれいなマンションで二LDKで
川風も感じ事のできる良い部屋だった。
 うまいウイスキーがあるからと出してきた。
 再び、乾杯した。そして二時過ぎに、タクシーでホテルに戻った。

第9話:真冬の夜の夢

 翌朝、起きたのは九時になり鈴木君の出かけるから起きろと
大きな声で、起こされた。市内観光ツアー十時出発との事で、
カフェテリアで、朝食をとりながら、ツアーバスを待った。
 女性陣から、どこで遊んだのとか、いろいろ質問攻めに遭ったが
昨晩の事は秘密にしておいた。もちろん鈴木君にも内緒にしておいた。
 市内観光は、お決まりの暁の寺(ワット・アルン)、
涅槃仏寺院(ワット・ポー)、王宮・エメラルド寺院(ワット・プラケオ)。
 昼食は、甘辛い、タイ料理。四時過ぎにホテルに戻り、ゆっくりしてから、
みんなで夕食をとった。今晩が最後の夜だった。
 今日は、おとなしく過ごそうと決め、みんなと歓談していたが最初は
話を聞いていたが、何か馬鹿らしくなって部屋へ帰った。
 そうしているうちに北島は今晩が最後かと寂しくなってきた。
 ママに電話しようかと、また北島の悪い虫が心の中で、ささやきはじめた。
 葛藤して二十分後、意を決してママの店に電話した。意外にもママも、
 北島からの電話を待っていた。店を他の子に任せて待ってると言うので
 北島は、みんなが、飲んでるホテルのバーから見つからない様に出ていった。
 そして店の近くでママが待っていた。彼女が今夜は任せてと言うので
タクシーに乗り込んだ。着いたのは高級クラブの様だった。北島が高そうと
言うと、たまには、こんな所もいいわよ言うのだった。

 そこは個室形式になっていた。ある部屋の前で彼女がキーを出して
ドアを開けた。コンドミニアムの部屋の様な作りになっていた。
 シャワー、風呂、ソファー、大きなテーブルと、冷蔵庫、その冷蔵庫から、
 ビールを取り出し、乾杯し、冷蔵庫に入ってる、おつまみを出してきた。

 次に大好きなコニャックがあったので、飲んで良いか聞くと、ウイスキー、
ワイン、コニャックは、キープしてあるボトルだと教えてくれた。
 ヘネシーをロックでいただいた。おつまみの、サラミ、チーズ、
サラダ盛り合わせも、豪華だった。彼女もヘネシーをロックで飲んだ。

 実は、ここは、ママに店を紹介してくれた、日本人の方の、ものだというだ。
 部屋ごと、月極で借りてるとの事だった。
 上得意に、貸したり、接待に使ったりして利用しているそうだ。
 そして、彼女にも合い鍵を渡してくれたと言っていた。もちろん使った分は、
支払いますがと笑って話してくれた。でも日割りで考えると、決して高くないと
言っていた。だた若い方に貸すと大乱交パーティになる事もあるそうよと、
含み笑いを浮かべていた。すこしして、ママが、この所、男ひでりで、
さみしかったのよと、息を吐くように、小さな、色っぽい声で、北島を誘った。

 もちろん、お誘いは、断わりません。ママがシャワーを浴びてガウンを
巻いて出てきた。北島もシャワーを借りて素っ裸で出てきた。するとママも
ガウンをとり裸身をさらした。まず第一印象は、おしりの形の良さ。

 スポーツ・ジムで鍛えて様な、切れ上がった形で細い足も手伝って
美しいヒップラインが一層、強調された。バストは小ぶりだが崩れて
いなくて、きれいだった。彼女が、最初、背を向けてベッドに入ったので、
その美しいヒップラインの頂上に、北島は舌を這わせていった。

 うっと言う声が聞こえ、そこを十分に這わせた後、背中へと移った。
 たまりかねて、彼女をついに、今後は反転してきた。つまり顔を上に
向けてきたのである。ここをチャンスと彼女の全身に舌を這わしはじめた。
次に、彼女の胸の山と谷を、味わいはじめた時、また大きなうめき声がした。
 そして北島の手が彼女の秘密の花園をまさぐりだした。もう彼女はたまらず、
北島のものをしっかりと握っていた。彼女は、十分だと思ったのか、
今度は、北島の上にのってきた。そして何回も何回も腰を動かし果てた。
 
 その後、また、きれいな、おしりをながめたあと、後ろから彼女の足を
大きく開き、いどみかかていった。これには不意を突かれたのか、
また、さっきより一層大きな、うめき声を上げたのだ。
 その次に彼女に膝をつかせて背後から思い切りついたの時、その声が一層、
大きくなるのを感じながら何回も激しく突き上げるのだった。そして果てた後、
今度は彼女が完全に主導権を握って北島のものを、もてあそんだ。
 そのうち、また再生して彼女が再度、上になり今度はさっきよりも、
もっと激しく腰を動かしはじめた。
 北島は、こんなに筋肉質で具合の良い女との経験はない。
 筋肉質の女との営みは、すごいと聞いていたが、これがそうなんだと、
確認させられた。北島が押しつぶれそうになるほど締め付ける。
あまりの快感にあまり持たないのだ。都合五回も、いってしまったが、
彼女は、また再戦を挑んできた。しかしついに六回目は白旗を揚げ終わった。
 また飲み直し彼女の上気した顔には笑顔が戻った。あんた強いね。
 五回もいった人は、はじめてかもしれないと満足げに笑った。
また後生だから、タイに遊びに来てよと、飛行機代も出すから・・、
その言葉を聞いて、思わず吹き出した。ほんとに勝手な事をいう人だ
日本に残した友人たちが、どんなに迷惑を被ったか反省の弁もろくしないで、
また来てとは恐れ入った。いい女だけれど二度と関わっちゃいけないと
心でつぶやく北島だった。

 帰る前に、シャワーを浴びて、別々のタクシーで帰った。
 翌朝は早く起きてタクシーに分乗して、バンコクの空港へ女性達は、
あいかわらず、にぎやかに話していたが鈴木君と北島、静かに目を閉じていた。
空港で出発の手続きを終えて軽い朝食をとった。飛行機が出発して男性達は
寝ており、女性陣は話に夢中だった。十六時前に成田に到着して大型タクシー
に分乗して、めいめいを下ろしながら帰った。

第10話:栂池スキー場4キロ・ダウンヒル滑降

 この年は、仕事も、順調に運んでいたので、家族サービスの
二泊三日のスキー旅行を計画した。
 行き先は、栂池高原スキー場、以前、長女が、一度、栂池の4キロの
ダウンヒルコースを滑ってみたいという希望を叶えてあげることにした。
 二月下旬デリカ・スペースギアで自宅を七時に出発し中央高速を
飛ばして豊科インターでおりて、少しして川沿いの道をひたすら
大町に向かって走り、大町から仁科三湖(木崎湖、中綱湖、青木湖)
を左に見て、白馬さのさか、五竜、八方尾根、岩岳の先に、
栂池スキー場が見える。予約したロッジに到着した。

 ロッジで昼食をとり、一番下のスキー場で、基礎から、
昔を思い出す様に、明日の、長距離ダウンヒル滑走のため、
練習した。そして、翌日は、長女と北島がゴンドラを使って、
一番上まで行って、四キロのダウンヒルコースを一気に滑り降りる
計画をたてた。次女と、長男と女房は、下のゲレンデでいつもの様に、
そり遊びと、疲れたらロッジで一休みと言う事で決まった。

 翌朝は、早く、目覚め、朝食後、九時に、ゲレンデへ
飛び出していった。スキーリフトを何回か乗換えゴンドラに、
乗る頃は、長女は満面の笑みだった。頂上について最初の一回目は
コースを頭に入れる様に、確かめながら慎重に滑る様に言った。

 六回ほど途中で止まって、景色を見たりして、ゆっくりと滑り降りてきた。
 一番下で女房たちと合流して、お茶して、おしゃべりして、また、頂上をめざした。
 二回目は、長女に無理しない程度、滑れるだけ、滑って良いと言った。
 長女は、身体が大きい方ではなかったので、体重も軽く、幸いにも
速いスピードがでないので安心しながら後をついて来た。

 何回か転んだり森に突っ込んだりしたが楽しんで滑っていった。
 八回も滑って、十分満足し疲れたので、早めに、終了した。
 長女は、もっと滑りたそうだったが無理して午後に大怪我するのが多いと、
脅かして、何とか納得させた。それでもロッジに着いたのは四時を過ぎ。
 夢中で滑り昼食もまともに食べてなかったので、腹ぺこで早い夕飯を、
たらふく食べた。少し休んで温泉へ入る事にした。女性達は、長女以外は、
元気で、ずっとおしゃべりしていた。
 長女は、風呂から上がり、少ししたら疲れのせいか、早めに床についた。
 北島は長男と、じゃれ合いながら、ビールを飲んでいた。
 その後十時には、全員寝た。
 翌朝は、午前中で切り上げ十二時には出発する事にした。
 また長女と一番上まで行き、今日は、他の人や障害物に注意しながら、
バンバン滑っても良いと伝えた。そのせいか途中の緩斜面は直滑降でスピード
をあげながら、はしゃいでいた。スキーの腕は十分上達して一人前のスキーヤー
の仲間入りをしていた。十二時前に、集合して、店屋で、お弁当、おにぎり、
お菓子を買い込んで、出発した。夕方六時過ぎに、自宅に着いた。
 長女は、四キロダウンヒル滑走が楽しかった様で、
学校へ行っても、友達に、話して回ったようだった。

第11話:横浜転勤と母の交通事故

 ある日、医局の廊下で突然、吉川先生から、悪いんだけれど、ちょっと、
大至急、運んでもらいたいものがあるから、部屋まで来てと言われた。
 何やら手術道具の部品の様なものだった。 ここから六十キロはなれた、
 
 長野県の派遣病院で必要になり、長野を以前担当していた君に頼みたい
と話してくれた。もちろん了解して、届けるこ事なった。一時間程度で、
その病院の医師に間違いなく届ける事ができた。相手先の病院でも待ってた様で、
大歓迎された。吉川先生が、笑いながら、また、宜しくと、言っていた。

 今年は、三月、四月と、売上も順調に伸びてきて単月で、念願の売上占有率
が、市場民力度を、初めて超える事ができた。感無量の出来事だった。
 個人の実績も、伸び率、全国トップとなって、個人と団体のダブル受賞が、
確実となってきた。春が過ぎ夏が駆け足でやってきた。

 翌週、山梨の甲斐医科大学を訪問した時、ついに、夏の医局の
納涼バーベキューに、参加を許されてた。以前、参加した時の私の体力と、
料理の手際の良さが、特に女性陣の評判になったようだった。
 また、力仕事ある時には、頼むよと言ってきた。
また、体育会系のあいさつで答えた。ただ、三年目のジンクスが、
ひたひたと、近づいてる事を知るよしもなかった。

 その数日後、支店長からの電話で、ちょっと話があるからと、
一緒に食事をする事となった。実績好調の、ご褒美でももらえるのかなと
、内心、うきうきで、出かけた。支店長に会うなり頑張ったね
、山梨が、ついに民力を超えたんだってね。おめでとう、個人でも
、全国トップで表彰だとの事だった。こんな、良い知らせの時に、
何だが、その君の力をぜひ欲しいという話が、西の方から
来たんだよと。西の方ってどこですか。 

 静岡、いや、愛知、岐阜、いや、まさか、大阪いや・・、
岡山県なんだよ。えーなんで、もう転勤は、勘弁してよと言った。 
 ただね、岡山の営業所長としての、栄転なんだよと言っていた。
 即答は、もちろんできませんから、十日間、いや、七日間、
検討させてほしい旨を告げた。自宅に帰り、話すと、女房は、大反対である。
 ところが、2日後、私の母が、交通事故で、意識不明の大怪我を負った。
 早速、病院へ、着いたときには、やっと意識を回復した。集中治療室で、
母を見に行ったが、まだ、私のことに気づくほど回復していなかった。
 二週間で集中治療室から一般病棟へ移ったのだが子供や旦那さんの
顔を見ても、 きょとんとしている有様で、記憶が戻らないようだった。

 その数日後、痴呆の症状があらわれたのだった。そこで、東京支店長に、
事態を話し、関西への転勤を断ってもらうように、お願いした。
もう少し、様子を見ようと、支店長が言ってくれた。
2ケ月が過ぎても、記憶が戻らず、担当の先生に、詳細を聞くことにした。

 それによると、まれに、記憶が戻らない場合があると言われた。
 ただ痴呆の症状がひどくなり、老人病院への転院をした方が良いと
言わ、この話を北島が支店長に話し、関東から、
離れることができない事を訴えた。

 数日後、石井支店長から、横浜営業所の所長が交代となるとの
情報が入った。現在、横浜営業所は、売り上げも好調だが、
競争が厳しく、とうしても、実績をさげたくないので、北島君に、
課長として行ってもらいと言われたので、渡りに船と、喜んで、
引き受けることにした。
 ただし、石井支店長が、地元に帰ると言う事は、そこで所長になること
を諦める事になると言われた。
 そして、順番から言って、もう一度、転勤し、そこの所長になって、
戻ってこない限り、出世の道はない、万年課長のままだと、言い渡された。
 現状を考えると、やむを得ないので了解して、横浜営業所へ転勤する事にした。

第12話:古巣の横浜営業所へ

 横浜営業所へ、北島は懐かしい思い出で出社した。
 しかし、そこでは所長交代の雑務に追われて事務の
君島さん吉山さんが忙しそうに働いていた。
 昼休みに事務の君島さんと吉山君さんを食事に誘い内情を
聞くことにした。すると横浜営業所は最近、転勤者が増えて、
若手が多くなり、世話が大変だと。実績は、以前の優秀な
ベテラン営業マンが抜けた穴が大きく今回も本社の大阪から
優秀な所長が応援として来たそうだ。

 しかし実際に会ってみたが切れ者という感じがしないと言うのだ。
大阪弁丸出し、こてこての大阪人という感じで 彼女たちも戸惑っていた。
 呼ぶ時の口調も偉そうで好感が持てる感じではない様だ。
 むしろ彼女たちは北島に何とかして下さいと言うのだ。
 わかったと北島は言い、できるだけ所員のパイプ役を
かって出る事にしようと答え彼女たちは胸をなで下ろした様子
で笑みがこぼれた。夕方になり営業の男性達が帰ってきた。

 最初に大阪から転勤になった安田新所長と今泉所長が帰って北島は
今泉所長と挨拶をかわし続いて安田新所長に、これから宜しくと挨拶した。
 安田新所長は北島君の、かつての人脈で応援頼むよと言ってきた。
 大型取引先の業績が徐々に落ち始めて歯止めがかかってない状態だと
言うのだ。今泉所長から今晩早速、北島さんの歓迎会を近くの中華料理屋
で開くと言われた。夜七時過ぎには全員帰ってきた。
 それぞれの営業マンに挨拶をした。古株の佐藤係長が北島先輩よく
帰ってきてくれました。いろいろ助けて下さいねと言った。
 その他の石島係長、ベテランの伊東君、中堅の山下君、池田君、
新人の鮫島君、西田君にも挨拶した。
 今泉所長は、東京支店の他の営業所にいたので北島はよく知らない
営業マンだった。昨年、横浜営業所から厚木営業所が独立したので、
そちらの方に顔見知りのベテラン営業マンが移動した。

 七時過ぎから北島の歓迎会が開かれ最初に北島が挨拶する
事になり母が病気で古巣の横浜営業所に戻ってきたと話し今後、
営業所のパイプ役として必要とあれば同行訪問するし、
できる限りの協力は惜しまないと話した。

 その言葉に是非お願いしますと所員の声が上がった。
 安田新所長は意外に謙虚に大阪以外は知らないので、また、
いろいろ、頼んまっせ北島はんと肩をたたくのだった。

 その仕草には関東人の北島としては、いさいさか抵抗があった。
 人を馬鹿にしてるというか、なれなれしいというか、とにかく好印象と言う訳
には行かなかった。北島は心の中で本社とパイプがあり、そのコネで横浜営業所に
来たくせに「おい若造、横浜は市場はデカい、しかし、それだけ競争が激しいんだぞ、
よく覚えておけと、つぶやくのだった。」次第に宴もたけなわになり歌が始まった。
彼らも酒が入り、いろんな話が飛び交うようになった。
 そして安田新所長の歌が始まった。歌は、なんと「浪速恋いしぐれ」
こてこて大阪の、ど演歌だった。北島は横浜で、お医者さんとの接待
で歌われたらと思うと背筋が凍る思いがした。

 この話は一刻も早く安田新所長に話さなければ営業上
支障きたす事は誰の目から見て明らかだった。
 やがて歓迎会もお開きとなった。安田新所長が、もう一軒行こう
と言うのだが完全に酩酊状態で今晩は飲み過ぎだから帰りましょう
とタクシーにのせた。北島が帰ろうとすると今泉所長が、ちょっと
話したい事があるからと誘われた。今泉所長は北島の二年下の後輩で
横浜営業所のかつての凄腕営業マンが他の営業所の所長になったり、
転勤したり、厚木営業所のサポート係になったりして、くじ運良く
横浜営業所の所長になれた男だった。二次会で今泉所長が開口一番
、北島さん、とんだ時に横浜に戻ってきたねと言うのだ。最近の
横浜営業所は業績が落ち始め、これから低迷の時代になるよと言った。

 本社の連中が横浜営業所の昔の栄光で大丈夫と、たかをくくって
いるが現在、北島さん達、優秀な諸先輩が築き上げた頑丈な城が
崩れ落ち様としているんです。できの悪い新人や売上は上げるが素行の
悪いベテラン営業マンとかメンバーの質は現在最悪です。
 加えて、あの脳天気な安田新所長でしょ北島さん本当に大変ですよ。
 北島さん今日の安田新所長の話や行動をみれば良くわかるでしょ。

 特に、安田新所長はプライドが高く人の言う事は聞きませんからね、
大阪で成功したという自信が大きすぎて、とにかく扱いにくいから
注意して下さいねと言った。今泉所長が実は東京に戻れて、
ほっとしていますよと言うのだ。
これは北島さんの事を思って言うのですが身体を壊さないで下さいよ。
馬鹿真面目に営業所員につき合ってたら身体がいくつあっても足りません
と言った。最後に解決策は、できの悪い営業の若手の育成しかないと言った。
 中堅は自分の保身のことばかりで動いていますから十分に
気をつけて下さいという始末で、お先真っ暗という感じの北島だった。

第13話 安田新所長のとの話

 翌日、安田新所長が辛そうな顔をして出社してきた。不機嫌そうで事務の女性に、お茶と横柄な言い方をした。そして来週の土曜日に係長以上の幹部会を開くと突然言い出した。あまりに突然で、皆驚いた。テーマは何ですかと佐藤係長が聞くと、それを今泉所長と北島課長と今日中に決めると言うのだ。北島は安田新所長の強引さには、あっけにとられた。十時からテーマの検討会をするから営業マンは早めに営業活動に出るようにと言った。そして運営会議が始まり安田新所長が司会を決めようというので,それを聞いて、お二人しか情報を持ってないのだから北島が司会をすると言った。安田新所長がお願いできますかと言うので了解した。まず営業所の現在の問題点を書き出して、それぞれの課題に対しての対策を決めると言う事にしたいと思いますが良いですかと北島が言ったところ、今泉所長が、それしかないでしょうと言った。今泉所長の考える問題点を言ってもらい、それを書き出す様にした。現在三係制であるが、役割分担が曖昧である事、指導体制が生きていない事。新人同行が少なすぎて指導が弱い事。係長としての方針ができてない事。営業マンの学術知識不足。営業の仕方の指導ができてない事。安田新所長が、そりゃあかんわと言うのだった。これには北島は笑いそうななるので、じっとこらえるのに苦労した。問題点が出たところで、改善策を出して下さいと北島が言うと、今泉所長が、これについては地方で活躍された北島さんに、伺いたいと言い出したのだった。それに対して北島が営業マンと同行もまだしてないので何も言えませんと答えた。まー確かにねと今泉が困った様に言った。それに対して安田新所長が勉強会の時間を今の二倍にして勉強したら、いいんとちゃうと言った。また方針が曖昧なら係長にしっかりせいとハッパをかけて方針を出させたらいいんじゃないですかと言うのだった。これには今泉所長が今までもやってきたがこの二~三年、中堅ベテランの移動が多くて確実に戦力が落ちてます。笛吹けども踊らずなんですよと言った。それに対して安田新所長が、それならスーパー営業マンの北島課長に全員と同行訪問してもらったらどうでっしゃろと言った。あまり無茶言うので北島が忍者の分身の術でもしろというのですかと笑いながら言った。今泉所長が冗談ごとでなくて本当に良い方法を考えて下さいと厳しい口調で言った。次に安田新所長が今泉所長こそ今迄の事を一番知ってるのだから名案を出して下さいという始末だった。これに対して今泉所長が安田新所長こそ、これから横浜営業所を運営していくのだから妙案を考えてと水掛け論になってしまった。安田所長が幾多の困難を乗り越えた北島課長にむしろ実戦的な案を聞きたいと言ってきた。とにかく同行したら意見も出るかも知れないが今日、初めてであり無責任なことは言いたくないと強く言った。これには皆、沈黙した。今泉所長が安田新所長の意見を聞かせて欲しいとせまった。彼は泣かぬなら、泣かせてみよう、ホトトギスが北島の方針です。つまり係長に係の営業方針を出させる事。学術知識不足は勉強会の時間を増やして知識を詰め込んでいくのが良いのではないかと言い出した。今泉所長が、やらせるという高圧的な指導には現代の若者は反発こそすれ賛同は得られないですよと言った。北島も、その意見に賛同し最終的には所員が、どうしたら、うまく動き出すかによって営業実績があがるのであって、尻をたたくだけで、うまくいったためしはないと付け加えた。北島が意を決して、もう一時間も議論して全然、進んでない。そして係長の意見も情報も全くない会議自体が無意味ではないかと言い今泉所長も北島さんの言う通りだと言った。会議は事前にちゃんと資料を作成して議論してこそ意味があるので思いつきで会議をしようというのは無茶だと今泉所長が、ちょっと厳しい表情での言い放った。北島も、その通りだと思うので会議は終わりましょうといったのだった。困った安田新所長は怒ったようで横浜は凶方位なのか思った通りにいかないとぼやいてた。そこで北島は安田新所長に今晩、係長が帰ってきたら一人づつ話してみて係長の方針でも聞き出してみますと言った。これには安田新所長は表情をかえて、たのんまっさ北島さん、あんただけが頼りなんやさかい頼んまっせと言った。
 そこで横浜では、こてこての大阪弁や大阪弁は基本的に嫌われますから大阪弁でしゃべるのは、やめたほうが良いと、きっぱりと言った。それに対して、安田新所長は、わかりまたさかい大阪弁やめまっさと言った。これには聞いていた事務の女性達からも笑い声が聞こえるのだった。

第14話 横浜営業所の問題点

 翌日、今泉所長が、北島さんの担当病院を考えておきましたの
見て下さいと言われた。担当してた病院、開業医が多く担当病院で
実績と上げると言うよりも若手の育成と係長のレベルアップに
力点を置きたいから負荷のかからないようにしておきましたと言った。
 今週は係長と面談して彼らの方針を決める様に指導して
下さいといわれた。若手、新人の同行は、その後で結構ですと
言われ、まず佐藤係長と面談して夕方、時間取れる日を聞いた。

 今晩でも大丈夫と言われ社外で話を聞く事にした。
 続いて石島係長とは、その翌日に面談する事になった。
 十一時に営業に出かけ、以前、訪問していた、大口取引先の
 開業医さんに挨拶に行った。十数年ぶりの訪問に、川口院長が
喜んでくれたが。しかし担当者の池田君について、まだ未熟だと言った。
 その後、石川病院ここは仲の良かった吉田院長も退職して
知ってる先生はいない。また、病院は別の場所に移り新築して
以前の二倍の病床数の大型病院になっていた。関連する科の
先生方に新任の挨拶をした。夕方から吉山病院を訪問したが、
こちらも以前世話になった山田先生も退職されていた。
 ここでも担当する科の先生に新任の挨拶をして回った。
 六時半に帰社して佐藤係長と七時から飲みながら話する事となった。

 まず佐藤係長に、ずばり横浜営業所の印象を聞いた。
 すると、まず今泉所長は、やさしいけどリーダーシップが
欠如していて所員が問題起こさない様に考えている、極めて保守的
であり業績が伸びないのも当たり前だと言っていた。
 佐藤係長は営業は、やはりリスクをおかしても仕事のめりはりを
つけて重点を置く仕事と、そうでないものに分けてやっていくべきだ
と考えている様だった。では佐藤係長は新しい所長に何を望むと聞くと
、もっと責任を持たして欲しいと思っていると言っていた。

 次に安田新所長について、どう思うか聞いた。まだ数日しか
見てないので良くわからないが、やる気はありそうだが問題も多そうだ
と感じてると述べた。まず大阪弁、商売人風の動作あれは横浜では、
まず医者に嫌われますね。ですから佐藤係長は安田新所長の同行は
、お断りしています言うのだった。次に気分屋すぎる、飲んだ翌日
なんて機嫌が悪く困る。強権的な手法で指示が高圧的で指示の
理由説明が少なくて良くわからない。

 北島は問題点が多いのには困ったもんだと前途多難を感じた。
 新人の指導について聞くと個性的な新人が多くて困ってると言った。
 ほめて後輩を育てろと言われますがほめる所がない新人が多いんです
と言う。その後、営業所の全員と同行してみたがベテランの山下君が
今後期待できるくらいで、その他の営業マンのレベルは低い事がわかった。
 そこで大学担当の石島係長と1番売り上げの大きいMK病院担当の山下君
と月一回、一年にわたり同行する事を決めた。

 そして早くもの秋頃から大学病院とMK病院での売り上げが伸びてきた。
 特に大学病院担当の石島係長君が先生方と一本づつの線のつながりから、
 そのグループ全体の面の付き合い方を会得してきた。
 そして、そのグループの派遣病院での実績も伸びてきた。
 MK病院は一番重要な院長には新人時代から面識があり北島自身も
可愛がってもらっていた。そのために接待の時も担当者と一緒に
参加する様になった。そしてMK病院の実績が過去最高を
更新してきた。年が暮れて新年を迎えた。

仕事始めから、二週間後、新人の西田君が仕事中に、
人をひいてしまったと営業所に連絡が入った。ちょうどその時、
北島が営業所にいたので安田所長から調べてくる様に言われ、
現場へ出かけた。現場につくと外人風の作業着を着た男が道ばたに
座ってうずくまっていた。そこに近くで、西田君が呆然と立っていた。

 そこで、西田君に、詳細を聞くと細い道に入った時、その作業着の
男が急に道を横切り、西田君の運転する車に、ぶつかってきたと言った。
 少しして相手の会社の上司と思しき男が現場に現れた。
 その後、西田君に向かって、お前が、はねた相手か、と言った。
 そこで、すぐ北島が名刺を渡し挨拶した。その後、冷静に、その上司らしき
人に会社の名前と住所、外国人風の労働者の国籍と名前を聞いた。
 それに対し彼の上司らしき人が、そんな事は教える必要はない。
 治療費を出してくれと言ってきた。それに対し、北島が作業着の
男の身分証明書を見せてくれと言い事故報告書を出すので彼の
身分証明書がいると強く言った。
 治療費は書類を提出しないと出ないと言った。すると、
その上司がそんな書類は無いと言った。という事は労働契約書も
ないんですねと北島がたたみかけると困った様に無いと言ってきた。
北島が、それなら医療費を出す方法がないと答えた。

 少しして、うずくまっていた男が立ち上がって太ももをもんで、
ここが痛いと言い出した。上司が旗色が悪いと思ったのか作業着の
男に何か耳打ちをした。そして上司が今日の所は勘弁するが治療費を出さない
と訴えてやると言ってきた。西田君に向かって車を人にぶつけたんだから
、治療費を払うのが、当たり前だろ、と声を荒げた。
 そこで北島は不法労働者には、お金を出せないと、きっぱりと断った。
 警察を呼んで事故報告書を書いてもらおうと北島が言うと警察を呼ぶのは、
やめてくれと上司が言い始めた。その後、西田君をにらみつけて、
北島に馬鹿野郎と言って去っていった。

 横浜営業所に帰り西田君に事故の顛末を聞くと、どうも外人風の労働者が
車の前に急に飛び出して徐行して急ブレーキで止まったところに、
横からぶつかってきた様だ。西田君は胸をなでおろし北島にお礼を言った。

 北島が西田君の事故処理を終えた。春が過ぎて暑くなってきた。
 そんなある日、北島が一番、有望視していたベテランの山下君が
交通違反で一発免許停止六十日間の処分を受けた。
 1日、講習し三十日の免許停止の措置を受けた。
 そのため1ケ月は、電車とバスと徒歩で病院訪問をする事になった。 
 これに対し安田所長が烈火のごとく怒り山下君を叱責した。
 最初は山下君は、すいませんと謝っていた。しかし安田所長が会議で
山下君の訪問件数や仕事について、ねちねちとクレームをつけ始めた。
 あまりにクレームがしつこいので山下君がついに車で営業ができる様に
なったら業績は挽回できると反論した。そこで北島が気を使い山下君と
運転禁止の1ケ月のうち毎週一回、同行訪問する事にした。
 山下君は、一番実績の大きいMK病院を担当していたので、
そこの院長も知っておりフォローしてあげた。
 これには山下君は感謝した様で、その後、北島のいう事を聞くようになった。
 大学病院と山下君の担当の一番実績の大きなMK病院の業績が更に
上向いてきた。今年は去年の売り上げの10%アップと五年ぶりの伸び率になった。
 忘年会には、石井支店長が来て中華街で有名な店でフルコースをおごってくれた。

第15話:重症メニエールで倒れ、退職へ

 また新しい年を迎えた。しかし、その年の春、北島が仕事中、
交差点手前で急にめまいがして路肩に止めて、めまいがおさまる
のを待つと言う経験をした。その足で近くの耳鼻科で診察して
もらうとめまい発作が出ているから車の運転はやめるように言われた。
 いつからめまいが始まったか聞かれたが良くわからなかった。
 先生がとりあえず内服ステロイド薬のパルス治療(短期の大量療法)
を一ヶ月やってみると言った。これで直れば良いが、直らないと回復は
無理かも知れないと言った。重症メニエールは早期発見が鍵で発見から
1ヶ月を過ぎてしまうと治らないケースが多いのそうだ。

 その翌月の勉強会で、ついに、北島が仕事中に強烈なめまいで倒れた。
 耳鼻科ではストレスによるメニエール(自立神経失調症)と言う事で
運転禁止と安静1ヶ月の診断が出た。その後、山下君が自宅に見舞いに
来てくれた。そこで山下君が他の外資系の会社から好条件で入社の
オファーが来ていると話した。今の会社の薄情さは十分感じたので
会社をやめようと思っていると話た。北島は、それは君が決める事で
何も言えないと言った。しかし北島さんが倒れても会社の人は一人も
見舞いに来ないでしょ、あんなに北島さんが努力してくれて世話に
なっても全く恩義を感じない営業所員、この会社に嫌気がさしたんですよ
と打ち明けた。確かに病欠している一ケ月の間、会社から見舞いに
来る人は一人もいなかった。唯一、山下君が何回も見舞いに来てくれた。

 その後、北島先輩のいない、この会社にいても仕方がないので
退社願を出したと言った。営業は義理と人情が不可欠で、
それがない人間は決して良い仕事はできないと山下君が言ったが
北島もそれには同感だった。一ケ月後、出社して内勤に配置転換を
東京支店長に依頼するが断られた。営業本部長や以前の上司に、
お願いしたが内勤は許可してくれず、やむなく退社せざるを
えなくなったのだ。その後、わかった事だが本社が関西であり
関東といろんな面で反目しており売上が大きくても関東の上司の力は
、それ程強くなく本社の方の意見の方が、強かった。

 また会社では等級制度があって北島の等級と今までの業績、
給料が高すぎて、東京支店で内勤するとしても支払う給料が、
社内規定で計算すると東京支店長と同等か越えてしまう事に
なるので本社の総務部が強硬に反対したのが真相だった様だ。

 北島をかってくれていた社長も二代目に替わっていた。
 横浜時代の所長も札幌支店長で役員になり損ねており、
本社に掛け合う力はなかった。東京の石井支店長も本社から
睨まれたら今後の役員への出世の妨げになる様で北島の盾になってくれ
そうもない。本社にいるはずの営業本部長も出張中とか会議中とかで、
しまいには居留守を使う始末だった。全く、とりつく島がなかった。
 
 北島の味方をしてくれる力のある上司がいなかったのだけでなく、
業績が良かった北島に対して、そねみやっかみなどを持つ営業の先輩、
同輩が多かった様で、かなり反感を持たれていた様でもあった。
これが営業の現実の姿なのかも知れないが何か一抹の寂しさを
感じざるを得ない北島だった。人生って華やかな時は、ほんの一瞬、
崩れる時は早く、音を立てて崩れ去る。
 この出来事が、その象徴みたいなものだ。

人生、一瞬先は闇とは、よく言ったものだ。退職の年は寝たり起きたり
の生活が続いた。何しろ集中力が持続できないのだ。特に寒いのが
良くないと言われ、沖縄、グアム、ハワイなどを旅行した。
 確かに暖かい所で汗をかいている時は調子良いのだが寒くなると
、ぼーっとしてくる。新居を構えて、さーこれからと言う時に体調を崩して
早期退職を余儀なくされるという事が起きたのだった。
 まさにこれは、北島にとって最大の災難というか悲劇が襲った。
 さすがに北島の業績に対しては退職金に加えて同額を特別慰労金
として支給くれたのだ。退職金と特別慰労金1500万円づつ、
合計3000万円。ただ50歳の早期退職は、いくら何でも厳しい。
 残りの人生を考えると金銭的な不安がぬぐいきれない。
 退職時(1996年春)の北島家の資産は、自己資金5300万円、
退職金3000万円、合計8300万円、家の購入費用8000万円
、差額300万円。もし家の費用を全額払うと300万円しか残らない。
 まず体調の回復を最優先に自宅療養する事に専念した。最初の1年は
何をしても、すぐに疲れて続かないの、まるで廃人の様で、ひどかった。
 頭、首を冷やさない様にして寝てばかりの日々が続いた。
 特に冬場は症状がひどくかった。翌年1997年から次第に回復の兆しが
見えだし就職試験をいくつも受けたが病気が原因で全て落ちた。
 仕方なく投資でもするかと猛勉強する事を心に誓った。
 大学生をかかえて家族5人で生活費、税金、家のローンをあわせて
年間500万円以上かかるので、もし生活が厳しくなったら北島と奥さんの
両親に1000万円づつ、お金を貸してもらうようにお願いした。

『成上がり首都圏編』

『成上がり首都圏編』 播磨王66 作

飲み屋のママと、北島の先輩が、駈け落ちするという事件が起きて、東南アジア逃げていった。会社内の友人達で慰労を兼ねた、冬の避寒のためのタイ旅行で、駈け落ちした飲み屋のママと再会する。北島は、一晩のアバンチュールを楽しんだ。その後、北島の順風満帆の企業人生が逆回転して、病気で倒れて、助けてくれ上司もなく、会社を去るという最悪の結果となった。

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更新日
登録日 2017-12-06
Copyrighted

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